せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月8日(日)_ 敦煌4日目_敦煌博物館2日目(宋代~清代他)・白馬塔他

2018年7月8日(日曜日)、敦煌は快晴でした!!

 

出発前、ホテル出口で写した空の青さ!!!\(^o^)/ 

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12時40分。

真昼の気温は30度、湿度24%で爽やか!

行動開始は・・・・・・、いつも通り遅いです。(^^;

これこそ、一人旅の自由さというもの!(笑)

 

この日は、最初のホテル予約時のチェックアウト日。

フロントで継続宿泊の手続きをしました。

この件、前日、フロントに話を通しておきました。

その時、予約内容を確認されて分かったこと・・・・・・。

再予約した部屋のグレード、最初の部屋とは違っていたんだそうです。

ネットで見た時、確かにちょっと安かった。(笑)

どう違うかというと・・・・・・・。

最初に予約した部屋は、通りに面した本物の窓があります。

再予約した部屋には、外が見えない、形だけの窓。

私は単に予約時期の違いで、値段差が発生していると思っていたんです。(^^;

それなら、部屋を移動しなきゃな~と思っていたら、フロントの女の子から、

「お客様が観光から戻って来られるまでに、明日からも同じ部屋を使えるかどうか、上司に相談しておきます」

とのありがたい申し出が!

結果、本日からも同じ部屋を、継続使用させていただけることになりました!\(^o^)/

荷物は毎朝トランクに全部収納しているので、移動するのに不便はありません。

でも、青空の見える部屋と言うのは気持ちいいものデス。

特に今、西安で住んでいる部屋の視界が悪いので、この敦煌のホテルにチェックインして以来、とても気分が良いい~~~!(笑)

更にエアコンを使用せず、網戸にして寝られるのも大きなポイント!!

ホテル側のご配慮に大感謝です!!(*^-^*)

なので、この日はディポジット清算と再支払いの手続きのみで済みました。

※シーズン前の空いている時期だったからこその計らいだと思います。

 

では、出発します!(*^-^*)

再再再(?)登場の地図、ご参照ください。☟

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☟、ホテル出入り口から西(上の地図で左)、歩行者天国(上の地図の紫の通り)方向の景色。

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頭上にある駱駝のイルミネーション、ライトアップされていなくても、青空をバックにとっても綺麗!

 

昼下がり、休息中の歩行者天国

商品は撤収され、旅行客の姿もナシ。☟

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本当に綺麗な青空~~~!!!

 

遅い昼食を取ろうと、歩行者天国を北(地図上)に進んで「陽関中路」までやって来ました。☟

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ホテルフロントの女の子から教えてもらった「陽関中路」にある「益旺国際購物広場」というショッピングセンターが目的地。☝

これまで、私は毎日ホテル近所のフルーツ屋さんで、フルーツ盛り合わせを買って食べていました。

それを見たフロントの女の子からのアドバイス。☟

『フルーツ盛り合わせ15元(1元=16円換算で240円)は高いです。市場ではボラれるかもしれないので、益旺国際購物広場の地下にあるスーパーで買ったらいいですよ。価格は市場と大差ないし。私たちもそこで買います!』

ナイフはホテルが貸してくれると言うので、この日は自力で果物を調達することにしたんです。

 

地下スーパーはこんな感じでした。☟

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☝の右下は出口です。

入り口はこの写真の手前にありました。

とても広いスーパーで、暫く中を歩いてやっと果物コーナーに到着!

「さあ、メロン、メロン!」といざ買おうとすると・・・・・・。

メロンが何種類も~~~!!

どれを買ったらいいのか、私には見当が付きません!!!(^^;

メロン売り場の周りを暫くウロウロして、決断!

ここの果物はグラム売り。

重量を測る係りの人がいます。

その人に訊いてみよう!!!(^_^)/

重さを量るお客さんの列がなくなるのを見計らって、声を掛けました。

係りの女性は「買い物経験豊かなお母さん」と言う雰囲気の方。

まず、私が好きなメロンは柔らかいタイプか、それともサクサクしたタイプかを確認。

そして自らメロンが並んでいる前まで行って手に取り、外観・重さをチェックして、良さそうなのを選んでくださいました。

そのメロンが、これ「黄金瓜」☟。

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1個、1.312kg、10元(1元=16円換算で、160円)。

夜、ホテルに戻ってから食べましたが、柔らかくて甘くて、本当に美味しかったデス。

お腹が少々苦しかったですが、一人で一気に全部食べ切りました。(笑)

美味しいメロンを選んでいただいて、ありがとうございました!(*^-^*)

 

余談ですが、私は3回、フルーツ盛り合わせを食べました。

その3回目。

「うん?メロンがこれまでと違う!硬い(サクサク)!」

私はそれまで2回で食べていた、柔らかい食感のメロンがすごく好きだったんです。

この日、メロンを選んでくださった係り員さんのおかげで、盛り合わせのメロンが何故美味しくなくなったのか(サクサクになったのか)、理由が分かりました。

メロンの種類が変わっていたんですね。(笑)

 

この時、蟠桃(ばんとう)も一緒に買いました。☟

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ちょっと上から押しつぶされたような、へらべったい感じの桃です。

2個で0.414kg、6.5元(1元=16円換算で、約105円)。

これも甘くておいしかったです!(*^▽^*)

 

この後、昼食を取るべくショッピングセンター内のレストラン街へ!

でも、4階にあったレストラン街、時間が遅かったせいか人が少なく、店内に足を踏み入れにくく、ぐる~っと一回りしただけで、撤収!(笑)

結局、向かいにある「敦煌夜市」へ!☟

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当然、ここにもあまり人はいませんでした。(笑)

 

私は西安の「涼皮(リャンピー)」が好きです。

この「敦煌夜市」の中を歩くたびに、それによく似た敦煌の「酿皮(釀皮)ニャンピー」が気になっていました。

そこで、この日の昼は「ニャンピー」に決定!!☟

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☝私が食事したお店です。

このお店、☝右側の写真のように、他の日の夜に撮影した写真にも写っています。

これ以外にも、このお店が入り込んでる写真がブログに載ってます。(笑)

その都度、☟のようなカラフルな「ニャンピー」を目撃していたんです。

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一般的な白色の他に、緑・紫(ナイロンが掛けてあって良く見えません)・茶色があります。

当時の記憶が確かならば、緑はホウレンソウ、紫は紫キャベツ、茶色は蕎麦だったような???

既に用意してあるニャンピーに、具と調味料を合わせるだけ。

13時25分、料理はすぐにやって来ました。☟

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アップです!☟

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この一皿、10元です。(1元=16円換算で、160円)

一番上にのっている調味料が見えるでしょうか?

これを混ぜて食べるのですが、お皿いっぱいにニャンピーが入っているため、こぼさずに混ぜるのは非常に難しい!(笑)

なんとか溢れ返さず混ぜ終え、一口!

美味しい~~~!!!

味は、西安の「リャンピー」によく似ています。

それもそのはずで、「百度百科」の紹介では「ニャンピー」と「リャンピー」は同種の食べ物で、各地方の方言の関係で異なる呼び名になったとありました。(笑)

 

さてさて、購入した果物を持って回るのは不便なので、一度ホテルへ戻りました。

こんな時、「緑洲島酒店」のロケーションは最高です!\(^o^)/

 

そして、再出発!☟

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地図上で「緑洲島酒店」から西(左)へ、紫色の歩行者天国を通過して更に真っ直ぐ歩き、15時少し過ぎ、「沙州南路」へ到着したところです。

背景がないので、どこで撮影したかなんて、関係ない?(笑)

この日も、完全フル装備。(#^.^#)

 

この後の予定は「敦煌博物館」。

この場所からなら、進行方向にあたるバス停「中医院」に向かうのがベスト。

でも、「中医院」とは逆方向に当たる「沙州南路」ロータリーにある「反弾琵琶伎楽天像」が見たい!☟

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敦煌初日(7月5日)の記事で、曇り空をバックの伎楽天像写真を掲載しました。

その時、「青空バックの写真を再掲する!」と誓ったのです!!(笑)

この日ほど、撮影に適した日はありませんでした。

 

アップもどうぞ!☟

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「反弾琵琶伎楽天像」を撮影していると、散水車がやって来ました。☟

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普段は飛びのいて水飛沫を避けるのですが、この時は吹き出す水を撮りたくてシャッターを押しまくり。(笑)

散水車の白色と吹き出す水の白さが、青と緑を背景に映えるな~。

 

この後、「陽関中路」を東に進み、バス停「沙州市場」へ。

☟は、バス停に到着前、上の地図に赤字で「安旗」と書いてある辺りの手前から、紫色の歩行者天国入り口方向を撮影したものです。

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15時15分、バス停「沙州市場」に到着です。(*^-^*)☟

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この日も③の路線バスに乗って移動します。

「沙州市場」から「博物館」まで1元でした。(1元=16換算、16円)

 

15時半前、「敦煌博物館」に到着!(*^▽^*)

前日の記事で建物正面写真は掲載したので、今回はチケットセンターと入り口の遠景を。☟

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左側がチケットセンター、右側が入り口です。

 

前回の記事で添付し忘れた「敦煌博物館」のチケット。☟(^^;

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チケットの裏に、開放時間の案内があります。

前回も記載しましたが、再掲しておきますネ。(*^-^*)

5月1日~9月30日:午前9時~午後18時半(入館は17時半まで)

10月1日~翌年4月30日:午前9時~午後18時(入館は17時まで)

毎週月曜日は休館。(国家法定祝祭日に当たる場合は除く)

 

この日、博物館に入ると・・・・・・。

1階ホールに大勢の学生さんが!☟

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せっかくなので、前日見学した第一・第二・第三展示室にも立ち寄ったのですが・・・・・・。

どこも学生さんたちでいっぱい!

気になったので、ウォーターサーバーが置いてある場所にいた学生さんに話しかけてみました。

どこから来たのかは聞きそびれましたが、この日見学に来ていたのは高校1年生、合計240人とのことでした。

前日に来ておいて良かった~。(笑)

 

では、見学を始めます!\(^o^)/

【第四展示室:吐蕃と五代及び宋・元・明代】

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☝の第四展示室の写真は、前日撮影したものです。(笑)

  

まずはこの☟パネルから。
【沙州回鶻(かいこつ)、西夏による敦煌の統治】

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おそらく上の写真左側の壁にあったと思います。(^^;

ちょっと見辛いですが、☝の日本語部分をお読みください。m(__)m

そして、このパネルの後に続いていたのが、こちらのコーナーのはず。☟(^^;

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☟、左端のパネルから見ていきましょう!(*^-^*)

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このパネルの日本語は、比較的見やすいですよね?(笑)

しか~~し!!!

なぜか中国語文と日本語・英語の訳が微妙に違っています。

日本語文は英語文を訳してあるようです。

韓国語は読めませんが、年代の数字から判断すると、韓国語も英語からのよう。

全部「よう(です)」表記になるのは、英語力に自信がないから・・・・・・。(^^;

中国語を直訳すると、以下のようになります。

吐蕃と五代帰義軍】

紀元6世紀末から7世紀初めにかけ、吐蕃は首領の松賛干布(ソンツェン・ガンポ)の指導の下、チベット高原を統一、強大な奴隷制国家を樹立した。

玄宗の天宝十四年(755年)、安史の乱が勃発後、吐蕃は機に乗じ大規模な略奪戦争を仕掛け、河西・隴右(甘粛省の隴山以西、黄河以東)地区全体を占領し、60年余りに及ぶ敦煌に対する統治を開始した。

外国語への翻訳に当たっては、「奴隷」や「略奪」と言う表現に配慮したのでしょうか?

 

☟、莫高窟112窟壁画 伎楽図の反弾琵琶図」

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これが、市内のロータリーにある像のモデルです!\(^o^)/

 

「楡林窟25窟 吐蕃婚礼図」

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このコーナー左端の展示品です。☟ 

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「複製品 」と書かれていないということは、本物?

 

このコーナーの壁中央に掲示されているパネルです。☟

【西域のパイオニアーー張議潮】

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日本語がないので、訳してみます。☟

会昌二年(842年)、吐蕃王国で内乱が発生し、その勢力は大幅に衰え、河西における統治にも動揺が走り始めた。

大中二年(848年)、沙州の大族である張議潮はこの機に乗じ各族を率いて立ち上がり、吐蕃の統治者を追いやって沙州と瓜州を占拠、使者を派遣し唐王朝に投降した。

複雑で厳しい形勢に直面し、張議潮及び後継者である張淮深はまず要人を派遣し入朝させ、貢物を贈り続けることにより唐王朝の承認と信用を得ることに全力を挙げた。

同時に、管轄区内に唐制度を全面的に復活させ、部落制を廃止、県郷里制を立て直した。また、人口・土地を新たに登記、唐の制度に基づき新たな戸籍を編成し、新しい賦税制度を制定した。更に、唐朝の服装を復活させ、漢化を推進した。

これらにより、敦煌を「内地と同等の人格と才気」が溢れる都市に変貌させた。

 

龍鳳紋磚】☟ 

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左:龍紋磚 右:鳳紋磚 

三危山老君堂にて収集、五代。

敦煌博物館」WeChatの公式アカウントでは、「龍鳳紋磚」と二つまとめて紹介されています。

「三危山老君堂付近の廟の基礎と慈氏塔の中から出土し、龍鳳磚は装飾として向かい合わせの状態で壁の下部に嵌め込まれ、全体的に青灰色を呈している」とありました。

その後は専門用語に躓いて・・・・・・、ギブアップ。m(__)m

 

 ☟は莫高窟から出土した磚です。

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ここからは、宋と西夏関連です。(*^-^*)

【宋代の沙州「画行」】

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この☝パネルで、「画行」とは何かが説明されています。

沙州の手工業と商業における「行」の設置については、史料の記載によると盛唐時代まで遡ることができる。そして手工業の一種である沙州「画行」に関しては、五代の帰義軍曹氏の時代に記載がある。

沙州画行は沙州地区の民間における大量の仏画肖像画制作の担い手であり、敦煌絵画業界の組織として、その内部には師匠・職人・弟子等の異なる立場の人員がいた。その内の「画行都料」とは、画行内で高い技巧を有する師匠のことを指す。

敦煌文献「董保徳功徳頌」では、『故得丹青巧妙,粉墨稀奇,手迹及于僧鹞,笔势邻于曹氏。画蝇如活。佛铺妙越于前贤;貌影如生,圣绘雅超于后哲』と述べられている。この記載は、曹氏帰義軍時代、敦煌絵画界の絵画の名手が往々にして「手跡が僧鷂と互角である」と自称したことを示しており、敦煌画派は張家祥の継承者であり、改良者であると思われる。

「『帰義軍』って何?」と思われたら、以下のWikipediaをご参照ください。

「曹氏」についても記載されています。(*^-^*)

帰義軍 - Wikipedia

 

☟。「銅馬飾り」が型抜クッキーみたいに見え、思わず撮影してしまいました。(#^.^#)

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地が小さすぎ、出土場所が読めないような気がするので、書いておきますネ!

左 端:「状元及第」銅鏡 北宋 収集物

中央左:銅馬飾り 西夏 1975年姚家溝墓葬から出土

中央右:銅泡 西夏 1975年姚家溝墓葬から出土

右 端:銅片 西夏 1975年姚家溝墓葬から出土

「状元及第」銅鏡の上に置いてある「小さな丸いもの」は何???

説明は見当たりませんでした。

 

こちら☟は写真をご覧くださいネ。(*^▽^*)

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第四展示室の紹介の冒頭で乗せた展示室内の様子とは全然違うでしょう?

 

この☟写真は、7月8日当日に撮影したものです。 

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見学者、おおいですよね。

上述の北宋西夏の出土品は、この上のパネルの向かいにある柱の一面に展示してあったんじゃないかと思います。

もう、記憶があやふやです。(T_T)

 

 

引き続きまして、元と明のコーナーをご紹介します。\(^o^)/

【元・明時代の敦煌

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☝の日本語をご覧ください。m(__)m

 

☟は元のコーナーです。

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左上の方に見える人物像は「マルコポーロ」。

中国語で書くと「馬可・波羅」となります。

昔、むか~し、NHKの「アニメーション紀行 マルコポーロの冒険」が大好きでした。

それで、今回、Wikipediaで「マルコ・ポーロ」を検索して流し読みしていると、以下のような説明が!

17年間中国に滞在したマルコら一行は元の政治腐敗を危惧し、中国を去りたいという申し出をしたがクビライは認めなかった。 しかし彼らは、もしクビライが亡くなれば重用された自分たちは政敵に狙われ無事にヨーロッパに戻れなくなるのでは、と危惧していた。1292年、イル・ハン国のアルグン・ハンの妃に内定したコカチンを迎えに来た使節団が、ハイドゥの乱のために陸路を取れず南海航路で帰国することになった際、航路に詳しいマルコらに同行を求めた。この許可を得た一行は同年に泉州市から14隻のジャンク船団を組んで南へ出航した。(Wikipediaより)

こんなところで、「ハイドゥの乱」を見かけるなんて!

この夏の旅行紀をブログにする際、トルファン3日目の記事を書くにあたって調べた歴史の事件、中央アジアでの出来事が、マルコ・ポーロの帰国に間接的に関わっていたなんて、驚きです!

今でも政情不安で「渡航中止勧告」や「退避勧告」の出ている国・地域がありますが、元代のユーラシア大陸(=陸路)は相当危険だったんでしょうね。

余談ですが、マルコ・ポーロはイタリア語の他に、フランス語、トルコ語モンゴル語、中国語の4言語を話せたそうで、羨ましい~~~。

 

以下、参照したWikipediaのURLです。

マルコ・ポーロ - Wikipedia

☟は、関連記事のある私のブログです。

目次がないので該当箇所を探しにくいと思いますが、よろしければご覧ください。(^^)/

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月4日(水):トルファン3日目_トルファン博物館(古銭)・地下ショッピング街・トルファン駅 - せいあん!

 

では、元代の展示を見ていきます!(*^-^*) ☟

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展示物をご覧ください。☟ f:id:shanshanduohuizi:20180930164249j:plain

敦煌博物館」WeChat公式アカウントによれば、「善業泥」は「擦擦(cā cā/ツァツァ)」とも呼ばれ、よく捏ねた粘土を、事前に彫刻しておいた木型、或いは銅型の上に押しつけ刻印、型から外して作製するそうです。

ものによっては丈夫にするために陶器にしたり、見た目をよくするために色を施したり金メッキするものもありました。

チベット仏教では、「擦擦」を作ることにより五戒十善等の善行及び功徳を積むことができるとみなしたそうです。(一部抜粋)

 

『古代チベット語「六字真言」石経板』☟ 

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敦煌博物館」WeChat公式アカウントの説明(一部抜粋):

六字真言、即ち六字陀羅尼、または六字大明呪とも呼ばれ、「唵(ōng)嘛(ma)呢(nī)叭(bēi)咪(mēi)吽( hōng)(オーン・マニ・パドメー・フーン )」を指す。仏教秘密蓮華部の根本となる真言である。

敦煌領内で石経板が発見されたことは、チベット仏教がかつて敦煌地区に伝来し、敦煌を通じて西域天山一帯に伝播、或いは新疆天山一帯を経由し敦煌へ広まり、相互に浸透したことを説明している。一方で、元政府はかつて敦煌の馬迷兎一帯に重要な宿場を設置しており、往来する僧侶や俗人は六字真言石経板をひれ伏して拝むべき神聖なものとし、巡礼したことを物語っている。

(参考:Wikipedia

六字大明呪 - Wikipedia

こちら☟は、収集された『「六字真言」石経板』。

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こちら☟は、梵字の文物です。

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以下、元代の仏像です。

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☟、明代の展示コーナーです!(*^-^*)

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まずはパネルから!☟\(^o^)/

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嘉靖18年は1539年です。

日本で言うなら『1541年、武田晴信(後の武田信玄)が信濃侵攻を開始』。

そこから200年というと、『八代将軍(1716年~1745年)徳川吉宗』の時代まで。

この間、敦煌は明・清の管理を受けなかったということ。

なら、「敦煌に住んでいた人々はどうしていたんだろう?」と疑問が・・・・・・。

百度百科」では以下のように記されていました。

『嘉靖三年(1524年),明王朝下令闭锁嘉峪关,将关西平民迁徙关内,废弃了瓜、沙二州』

【参考日本語訳】

『嘉靖三年(1524年)、明王朝は嘉峪関の閉鎖を命じ、嘉峪関以西の平民を嘉峪関以東へ移転させ、瓜・沙二州を廃止した。』

※パネルでは「再び封鎖」となっているので、「百度百科」と年代が異なっているのだと思います。

海上シルクロード」に主役の座を奪われてしまった「オアシスのシルクロード」。

重要性が失われていく「オアシスのシルクロード」の中でさ、ルートから外れてしまった敦煌

ついに放棄される時、住民は強制的に嘉峪関以東の内地に移住!

管理しない辺境の地に住民を放置しなかったということで、「明政府、Good job!」と言うべき???

見捨てられた敦煌は、全くの無人だったかどうかは分かりませんが、廃墟と化したんでしょうね。

(参考)

敦煌市 - Wikipedia

敦煌(甘肃省酒泉市代管县级市)_百度百科

 

200年後、統治再開の様子については、この後ご紹介する「第五展示室:清代における敦煌の開発」をご覧ください!(*^-^*)

 

 

では、明代のコーナーの展示物をご紹介します!(*^-^*)

この「磁器の雄鶏」、覚えておいてくださいネ。☟ f:id:shanshanduohuizi:20180930165403j:plain

なぜなら、清代の展示物にも似たような鶏がいるんです。(*^▽^*)

 

次は、展示室中央に設置されているガラスケース内の銅製品展示物をいくつかご紹介します。☟

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明代の展示コーナは・・・・・・、なんと、たったこれだけです。m(__)m

そして、第四展示室も終了。

 

 

次は「第五展示室:清代における敦煌の開発」へ移動します!\(^o^)/☟

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さて、明代に見捨てられた敦煌、どう復活するのでしょうか???

 

☟は、展示室入り口にあった、敦煌に設置された「沙州衛城」の模型です。

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こんなに立派な城に復活できたんだ・・・・・・、おめでとう!\(~o~)/

この後のパネルで説明がありますが、正方形の城郭の周囲に増築された様子が伺えます。

 

では、最初のコーナーをご覧ください。☟

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以下の部分、よろしければ参考にしてください。(*^-^*)

1行目から2行目にかけて:

原文『移民とともに、党水に襲われ、沙州の古城は数ケ所取り壊され、』

修正『移民による屯田を開始したが、同時期に党河の洪水によりかつての沙州古城はその多くが破壊されたため、』

3行目後半:

原文『商業的な収益』

修正『商業の繁栄発展』

どうも・・・・・・、気になりまして。(^^;

 

一つ前の記事で、漢代の炭化した「キビ・アワ・大麦」の種子をご紹介しました。

その際、敦煌博物館」WeChat公式アカウントに内容から、『出土品と漢簡の記載から、漢代、敦煌は重要な穀物の産地、しかも多種の穀物を産出する産地であったことが分かる』ともご紹介しています。

これは漢代のことですが、明代に放棄されてから200年、かつての緑豊かなオアシスは消滅したに違いありません。

それを一からやり直すのはどれだけ大変か・・・・・・。

そんなことを気にしていたら、「百度百科」にこのような記載があったんです。

『雍正末,沙州已有耕地10万余亩,引党河水分10渠灌溉,农业得到很快的恢复和发展形成河西走廊西部的戈壁绿洲』

【参考日本語訳】

『雍正末、沙州には既に10万ムー余りの耕地があった。党河の水を十本の水路で引き込み灌漑することで、農業は素早く回復・発展し、河西回廊西部・ゴビ砂漠のオアシスを形成した』

農地、復活できたんですね~~~、良かった~~~!!!

ネット上の自動換換算システムによれば、10万ムーは、

6666.6666667ヘクタール/66.6666667平方キロメートル

だそうです。

 

 それでは、展示物を見ていきましょう!\(^o^)/

 【玉製関羽像】

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☝、日本語の説明が中国語のまま記載されているので、便宜上「玉製関羽像」としました。(^^;

敦煌博物館」WeChat公式アカウントには、以下のような説明がありました。

この関羽像は、寿山石を一つ丸ごと用いて彫刻されている。関羽は腰掛け、片手で長い髭をなで、もう一方の手には≪春秋≫を持っている。彫刻を行った工匠は寿山石の赤色部分を巧みに利用して関羽の赤い顔を彫り出すことにより、彫像に明るく正しい気風と男らしい威厳を持たせている。(一部抜粋)

 

このコーナー、中央部分の展示品。☟

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その中で、上段右端をアップ。☟

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公式アカウントに紹介があるわけではありません。

昔、こういうものを見るのが好きだったんです。(笑)

 

コーナー右側はこんな感じ。☟

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壁を直角に曲がりました。☟

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上の写真の右隣り。☟

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ここに、鶏がいます!!!☝

 

鶏をアップ!☟

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明代の鶏さんに、再登場願いましょう!☟

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色が違うし、尾の形も違います。

でも、二羽の鶏が同じよう位置に並んで、同じように首をかしげているんです。

写真を撮ってからかなり時間が経過しているので、今回写真を整理するに当たり、単独で見ると、初めの内は見間って混乱することしばしば。(^^;

この二羽の鶏の構図、長期に亘って流行って いたんでしょうか?

 

さらに、壁を直角に曲がります。☟

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上の写真の右端の像を撮影していたので、ご覧ください。☟

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「鎏金」とは「金メッキ」のことです。

 

こちら☟のコーナー、公式アカウントで紹介されているものが二つあります。(*^-^*)

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どれと、どれでしょう???(笑)

 

その前に、パネルをご覧くださいね。☟

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日本語がないので、参考に訳してみます!

【富んで義侠心溢れる庶民の徳ーー清代敦煌商人の敦煌への貢献】

清代の敦煌は明代の廃墟の上に構築された移民都市である。政府は移民の駐屯による開拓・水利施設等の建設を通じ、敦煌地区の封建社会最後となる復活と発展を促進した。

一方、社会的な生産の回復と発展は、商業経済の発展を促した。

同時に、商業経済が相当な発展を遂げた後、商人たちもまた意識的・無意識的に様々な形で社会の恩に報い、敦煌地区の公共事業の発展に多大な貢献を行った。

《重修敦煌県志》碑には、当時の敦煌商人の富んでなお義侠心に溢れる気前のよい行いが記載されている。

※「重修」とは「再建」を意味します。

 

では、このコーナーで公式アカウントに紹介されているものをご紹介します!(*^-^*)

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☝の①②です。

実は、どちらも写真を撮っていませんでした・・・・・・。(^^;

①木製花窓(木花窗):清代 敦煌市西雲観出土(年代記載なし)

②魁星磚(魁星砖):清代 1995年、敦煌市飛機場墓群出土(民間より収集)

 

敦煌博物館」WeChat公式アカウントの説明を、それぞれ一部分ですがご紹介します。

①木製花窓

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「魯班窓」とも呼ばれる。長さ66.5㎝、幅56㎝。

この花窓は、釘もリベットも使われておらず、窓全体が一本一本の木で編んで作られたように見えるのが不思議である。(制作の詳細は割愛)

この窓の設計は巧妙で、技術は非常に高く、風雨にさらされても変形せず、激しい世の移り変わりを経ても朽ちたり破損することがない。

世の人々は魯班が現世に下って作ったものだと尊称したので、魯班窓と呼ばれた。

この窓には中国語で「榫卯(sǔn mǎo):継手・仕口といった、ほぞ・ほぞ穴による接合方法で木材を連結する手法」が使用されています。

「榫卯」構造の歴史は長く、河姆渡(かぼと)新石器時代、中国時の祖先は既に「榫卯」を使用し始めていた。「榫卯」構造は中華民族特有の工法として、悠久の歴史があるだけでなく、中国の古い文化と知恵を体現している。

 

②魁星磚

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磚のサイズ:44㎝×26㎝×3㎝。全体的に青灰色で長方形。

磚の上には刃物で、悪鬼のように牙をむき出し、凶悪な顔付きをした鐘馗(しょうき)が彫刻されている。

鐘馗は左手に一斗升を持ち、筆を持つ右手を頭上に高く掲げ、背後の北斗七星の方へ向けている。(北斗七星の第一星は魁星と呼ばれ、魁星は科挙の文事を司ると昔の人は考えていたため、「中状元(状元に合格する)」を「中魁首」と呼んだ。文人科挙試験を受け官吏となる前、信心深く魁星を祭り、科挙において一度で首位となれるよう祈った。)

鐘馗の片方の足は後方へ跳ね上がり、もう一方の足は大ウミガメの頭上に載せられている。これは「魁星点斗、独占鳌头(魁星が北斗七星に触れ、大ウミガメの頭を独占する)」を意味しており、科挙中試参加者の名を筆で指し示すことは、その試験参加者が合格することの証とみなされた。

清代の敦煌でこのようなテーマの磚が出土したのには理由がある。清雍正の時代、200年近く放置されていた辺境の要地を復活させるため、甘粛の五十六州県の一部民衆を敦煌へ移住させた。このような社会の変遷は思想文化の変革をもたらし、宗教や芸術も世俗の現実的な芸術にそのポストを譲り、敦煌の仏教はかつての魅力を失い、人々は儒家科挙試験による官位の追求により重きを置いた。この魁星磚はまさに当時のこのような社会変革の産物である。

 

☟は、「あ~、魁星磚の写真、写してるっ!」 と勘違いした、左隣の磚。(笑)

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そして、こちら☟はこのコーナーのど真ん中に展示されていた「木製の獅子」

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私は「マーブル模様の人面犬」かと思い、撮影したのでした。(^^;

 

☟、次のコーナーへ移動します。\(^o^)/

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上の写真の左側に写っている釣り鐘をご覧ください。☟

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展示品の中国語の名称には「雍正八年」とあるので、この年に鋳造されたもの?

この釣り鐘について、公式アカウントに説明はありません。

展示ケースに入ってないところを見ると、「複製品?」と気になります。(笑)

 

続いてのコーナーは、敦煌の考古学的発見」です。☟

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☟、パネルをご覧ください。(*^-^*)

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日本語訳・・・・・、省略されている所があるので、最初から全部訳すことにしますネ。(^^)v

 

1900年、道士「王円籙」は偶然「蔵経洞」を発見。その中には各種文字の古い写本、及び少量の印刷本、合計約五万点以上があり、学術的価値が非常に高い。

しかし、清末の当局の腐敗により情報が流出すると、略奪者が次々とやって来た。

イギリス・フランス・アメリカ・日本・ロシア等の探検家であるスタイン・ペリオ・ウォーナー・橘瑞超・オルデンブルクが相次いで敦煌へ訪れ文物を探した。

さらに、スタインは比較的系統立てて敦煌の漢代長城及び烽火台に考古学的発掘を行い、大量の簡牘(木簡・竹簡)・絹織物・木製器具・ソグド文書等の貴重な文物を手に入れた。

これより、敦煌の文物は世界各地に散逸した。

 

☟は「唐書地理志」

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☟については、上下二つの文物のどちらが「大乗無量寿宗要経」で、どちらが「十万頌第一巻十二品」なのか、私の記録不備のため不明です。m(__)m

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上段の展示物にはページ段組みが見えるので、「89~97頁」の表記がある「十万頌第一巻十二品」かも?

とは言え、これはあくまで推測。

「こんなものが展示されてるんだ~」というイメージとしてご覧ください。<(_ _)>

 

他にもたくさん展示してありました。(☟2枚)

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 次のコーナーに移ります。☟(*^-^*)☟

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このコーナーでは、壁の右側に掛けてある「青羅綉花龍袍」が公式アカウントで紹介されています。

※「龍袍」は「皇帝の礼服」、「綉花」は「刺繍」のこと。

この「青羅綉花龍袍」は清代のもので、民間から収集されたものです。

 

この龍袍は清代皇帝の吉服(祭祀の際に着用する衣服)。布地が青い羅であり、その上に龍・雲・柘榴・「寿」の文字等様々な縁起の良い図案が刺繍され、装飾が非常に華やかであるゆえに「青羅綉花龍袍」と呼ばれる。

清代、皇帝の衣服には朝服・常服・行服(外出時に着用)・吉服等があり、種類が非常に多い。

この「青羅綉花龍袍」は作りが精巧な上、保存状態も非常に良い。当時、衣服の所有者はこの服を着ることなく、栄誉として適切に保管していたようである。

(「敦煌博物館」WeChat公式アカウントより一部抜粋)

 

「勅命書」

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「文化と教育」に関するコーナーです。☟

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☟、パネルをご覧ください。(*^-^*)

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こちら☟は敦煌県志木版」

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以下、敦煌博物館」WeChat公式アカウントより:

敦煌県誌》

道光辛卯(1831年)春、木版印刷本。

この県誌は道光年間に敦煌県知事であった蘇履吉が編纂を提唱、鳴沙書院主席講師である曾誠が執筆し完成させた。

蘇履吉は拔貢(朝廷が特に優秀な生員を国子監に選抜する制度)の出身、福建省徳化県人、敦煌県知事を前後七年担当した。在任中、蘇履吉は敦煌の人々のために二大事業を行った。一つは鳴沙書院の建設、もう一つは《敦煌県誌》の著作。さらに私財を寄付し木版を作り、この県誌を出版、現代に伝えた。

蘇履吉は敦煌県知事初任の際、敦煌の悠久の歴史、延々と続く人文の蓄積、素朴で実直な気風に鑑み、敦煌県誌を著作するという考えを持った。その後、安西から戻り敦煌県知事に再任すると、曾誠を編纂の長として招き、清乾隆二年(1737年)に黄文煒が著作した《粛州誌・沙州衛誌》を基本骨子として、敦煌の学生20数名に史料を収集・現地調査を行わせ、一年余りの内に《敦煌県誌》を査定し終え、脱稿させた。県誌は全七巻4冊、約4.9万字。

 

蘇履吉は30代後半から西域各地の職を20年余りにわたって歴任したと「百度百科」にありました。

福建出身の蘇履吉にとって、着任したばかりの頃の西域はにたえら気候風土が何もかも違い、なかなかなじめなかったのではないでしょうか?

広東で働いていた頃、地元出身の同僚が中国東北地区の支部に転勤になると、現地の気候風土に耐えられず、会社を辞めると言うようなことが実際にありました。

しかし、蘇履吉は行く先々で民衆のための政治を行い、冤罪事件の対応に長け、人材育成を楽しみ、「新神君」・「生き仏」と呼ばれたそうです。

 

☟は「七弦琴」

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そして、ついに「敦煌博物館」最後のコーナー、シルクロードの古代貨幣」まで辿り着きました!!☟\(^o^)/

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この中国語文章、ちょっと難解です。

そして日本語訳は・・・・・・、またしても途中の一文がスルーされています。(T_T)

私もスルーしたいのですが・・・・・・、やっぱり、チャレンジしてみます!

シルクロードの古代貨幣】

「銭(Qian)」本来の意味は、現代のシャベルに似た古代の農具のことである。古代の貨幣は本来「泉(Quan)」と呼ばれ、その語義より「泉の水のように流動する」という意味を持つ。

記録によれば、貨幣は燧人氏の時代に出現し(堯の時代に使われ始めたとの記載もある)、黄帝の時代になると使用方法が完備していたとされる。

貨幣は商品の生産と交換の発展過程で自ずと商品から分離し、一般的等価物(貨幣)という特殊な商品として認識されるようになった。貨幣とは人類社会が一定レベルまで発展した際の必然的結果である。

このコーナーで展示しているシルクロードに散在していた古代の貨幣は、歴史において敦煌が商業上の要衝として繁栄していたことを物語っている。

 

ふう~~~、こんな感じでいかがでしょう?(^^;

「一般的等価物」って何?

ネットで調べると、マルクスの「資本論」に関係する言葉らしいと判明。

一応訳してみたものの、ちょっと不安。

そこで、ちょうど国慶節の七連休が終わり授業が始まったので、先生に訊いてみました。

先生の話では、「中国では高校で文系を選択した学生は、基本的な内容を授業で学ぶ」んだそうです。

「日本では習ったっけ?」

あまりに遠い記憶で覚えていないのか(笑)、それとも習わなかったのか?

私の高校時代の記憶に、マルクスの「資本論」はあっても、「一般的等価物」は存在していません。

「さすが中国!」という感じ?

 

 ☟は、このコーナーの様子です。 

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実は、右端のパネルと貨幣を撮影していません。

理由はおいおい分かると思います。(^^;

 

では、左側のパネルです。☟

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このパネルの下に展示されていた貨幣です。

☟「前漢/後漢・晋・隋唐・宋の貨幣」と表示されていますが、小さいですね。(^^;

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「どの貨幣」が「どの時代」のものなのか?

個別の説明がな~~~い!!!

なので、1枚にまとめて写して終わり・・・・・・。

 

真ん中のパネルです。☟

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日本語訳の中の「穿廓」とは、英語を見ると、「穴と円周の縁」のようです。

 

めったに見られない貴重な貨幣があるように記載されているのに、これまたたくさん並んでいる硬貨が「西域貨幣」で一括りにされています。☟(T_T)

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下段の左端に変わった貨幣があったので拡大してみました。

でも、どの国・民族のものか分かりません。

 

ここで気力が尽き、「右側はもういいや、全体写真あるし!」とヤル気をなくしてしまったのでした。(苦笑)

実際、右側に展示されている貨幣は小ぶりのものが多く、写真を撮りたい!という魅力がイマイチ。

でも、そんなことで撮影を放棄したこと、今となっては大後悔です。(╥_╥)

敦煌博物館」の記事のラストが、こんな中途半端なことに・・・・・・。

以後、途中で投げ出すようなことはしません!!

 

この日の見学時間は約1時間半。

以上、「敦煌博物館」でした。(*^-^*)

 

 

では、気を取り直して、青空の広がる外へ出たいと思います!

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17時頃、「敦煌博物館」を出発。

上の地図の青い路線に沿って、「白馬塔」へ向かいます!\(^o^)/

 

博物館から北(地図上方向)に直進し、途中で左折。

暫くはごく普通の住宅地や商店が立ち並んでいました。

そんな中、博物館を出て20分ちょっと過ぎ、「敦煌小鎮」と書かれた額が掛かった「敦煌市非物質文化遺産伝習基地」と言う場所の前を通りかかりました。☟

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左側に見えている建物の看板は、どちらもビール関連。

黒い大きな衝立の向こう、ここにも「夜市」が立つのでしょうか?

 

敦煌市非物質文化遺産伝習基地」から更に2分、ついに党河手前(「党河東路」)までやって来ました!☟(*^▽^*)

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ご覧ください、この青い空!!!\(^o^)/

道路表面も激しい日差しを反射して、白っぽく見えます。

下からの紫外線反射、どれほど強烈なのでしょう???

日傘・サングラス・マスク・スカーフ・長袖長ズボンのフル装備でないと、絶対出歩けない~~~!(笑)

橋の手前にある塔のような建造物、敦煌らしいデザイン!(*^▽^*)

ここまで、博物館から徒歩25分です。

 

もう少し近づくと、右手に「白馬塔大橋」と書かれた石碑がありました。☟

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石碑の側から見た党河(北側)。

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党河の水面、空の色を写してキレイな青色!

 

 

ところで、敦煌についてからの記事で、既に何度も書いてきた「党河」。

この「党河」の「党」、私は「共産党」の「党」だと思っていました。(爆笑)

たまたま「百度百科」の「党河」説明を読んでいたら、

モンゴル語の訳名ーー「党金果勒河」の略称』

とありました。

漢代には「氏置水」、唐代には「甘泉」、宋代には「都郷河」と呼ばれ、元代に「党金果勒河」と改名。

「党金果勒」とは、「肥沃な草原」という意味だそうです。

ついでに、中国で唯一、南から北へ流れる河だそうです。(*^-^*)

 

 

さあ、まったく日差しを遮るもののない、橋の上に向かいます!(決死の覚悟!笑)☟

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橋のたもとから、石碑の側から見た方角を撮影。☟

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時刻は既に17時半ですが、この時季の日没は21時前。

太陽はまだまだ上空高い位置にあり、長閑な夏の昼下がり~~~のような日差し。☟

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今度は左手、南側を見てみましょう!☟

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白く光る鳴沙山が見えます!

敦煌初日の夜、曇り空が闇に黒く染まる少し前に写した鳴沙山とは、趣きが全然違います!(*^▽^*)

 

車が来ていないので、反対側の歩道まで横断しました。

そこから障害物なしで、党河と鳴沙山を撮影。☟

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この景色、何度見ても飽きません、大好き!

なので、更にアップ!(笑)☟

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鳴沙山の稜線がくっきり!

「青空+白っぽい鳴沙山+街路樹と党河に生えている草の緑+光る河面」

大好きな要素が凝縮された景色です! 

 

「白馬塔大橋 」をほぼ渡り切り、もうすぐ「党河西路」に到着する手前。☟

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河と用水路、「水の色」と「流れの速さ」が対照的ですネ。

 

「白馬塔大橋」を渡り、更に「党河西路」を横切ってから、歩いて来た方向を撮影。☟

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西側たもとにも、浮彫りのある塔があります。

 

ここまでは、街の整備が行き届いていました。

でも昔懐かしい、土埃が舞い上がる道の両脇にそびえる胡楊の緑を見たかったなら、ここまでの景色は間違いなく開発しすぎ、手を加えすぎと思うはず。

でも、ご安心(?)ください!(笑)

2018年7月初旬当時、ここから先は期待を裏切らないでしょう!

 

ご覧ください!\(^o^)/☟

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全く別の街に来たみたいでしょう?

一つ上の写真を撮った場所で体の向きを180度回転させたら、この景色になったんです。

車の後方・・・・・・、埃が舞い上がってます。

このままこの道を直進していいのか???

幸い、「白馬塔まで、ここから西へ200メートル」、塔の写真付き看板が設置されていました。

この看板がなかったら、たとえスマホで地図を確認していても、ちょっと不安を覚えたかも?(笑)

 

 埃が落ち着くと、真っ青な空が復活しました。☟

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この道を直進します!(*^-^*)

紫外線対策でマスク着用済みなので、車がやって来て埃が立っても平気なのです!(^^)v

 

前進、前進ッ!!!☟

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ついに、「白馬塔」に到着です。\(^o^)/☟

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赤い塀の向こうに、ちらっと塔の先端が見えています。

手前の樹木にご注目ください。

現地では気にならなかったんです。

でも、今、改めてこの写真をみると、すっごい違和感が!

もしかして、この位置から塔が見えるように、右側の木は左上部を斜めに刈り込まれているんでしょうか?

 

この場に到着した時、入り口は真ん中の大きな扉も、両サイドの通用門も、ぴっちり閉まっていました。

この時、時刻は17時50分。

もしかして、見学時間は終わったの~~~~???

この写真の右側、写っていないところには木陰がありました。

そこに地元の年配男性が集まって、井戸端会議中のようです。

そこまで行って尋ねると、まだ見学可能ということで一安心。

チケット販売の窓口も、そこにありました。

入場料、一人15元(1元=16円換算で、240円)。☟

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チケットの裏面には、日本語の説明もあってびっくり。

でも、中国語の説明がない?

これは外国人観光客用のチケット???

 

「白馬塔」周囲の様子から、現金しか受け付けてもらえないかもと思っていたら、WeChatでの支払いが可能でした。

管理人さんがWeChatで「お金を受け取る」画面から金額を設定、その画面にある二次元コードを私がスキャンして、支払い完了!

ネットに接続でき、受領側が対応してくれさえすれば、どこでも電子マネー支払いが可能です。

 

それでは、中に入りましょう!☟ (*^▽^*)

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通用門から入ると、内側にはこんな☝通路が。

手前には、テーブルの上に民芸品などを並べた土産物売り場がありました。

その場所で、暫く管理人さんとお話。

日本人の見学者、特に団体のお客さんが多いんだそうです。

 

通路の突き当りに描かれた仏画。☟

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この壁の向こうに、「白馬塔」があります。

 

白馬塔遠景。☟

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手前の石碑(左側)。☟

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【白馬塔 概要】

言い伝えでは、後秦(紀元384年~紀元417年)、著名な訳経僧、亀茲国出身の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が仏教を伝えるため敦煌を訪れた際、乗っていた白馬が病死したため、この場に埋葬し記念するため塔を建立したと言われている。

塔は現在九層建てで、高さは約12メートル、直径7メートル。日干し煉瓦を積み上げ、中に柱を立て、表面は藁などの植物繊維を混ぜた土や石灰が塗られている。

基礎の部分は八角形、長方形のレンガで覆われ、八角形の各面の横幅は3メートル。第二層~第四層は襞を重ね合わせた様式。第五層の下側には丸い突起があり、周囲をぐるりと取り巻いている。第五層の上側は、上むきの蓮の花びらの装飾がある。第六層はラマ塔形式の塔身。第七層は相輪形をなし、最上層は角形の「坡刹盘(?)」で、各角に風鈴が吊るされている。

 

第二層には文字が刻まれた石板が2つ、木板が1つある。石には「道光乙巳桐月白文采等重修(1845年旧暦3月、白文菜等が再建)」の文字が、木には「民国二十三年八月拨贡银朱文镇、吕钟等再修(1934年8月、拔貢(朝廷が特に優秀な生員を国子監に選抜する制度)出身の朱文鎮・呂鐘等により改修)」の文字が刻まれている。これらにより、この塔が何度も修繕を経ていることが十分に証明される。しかし、その建築形式は依然として明代の風格を保っている。

1981年、甘粛省人民政府により、省級文物保護単位として公布。

 

※石碑に記載がないのですが、「百度百科」には以下の記述があります。

第八層が六角形の「坡刹盘(?)」で、各角に風鈴が吊るされている。第九層の塔の尖頭は「辺珠式(?)」である。

「坡刹盘(?)」と「辺珠式(?)」については、日本語で何と言うのか検索しきれなかったので、中国語のまま表記しました。m(__)m

 

手前の石碑(右側)。☟

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この☝石碑に刻まれているのは、以下の文字です。

甘粛省省級文物保護単位

白馬塔古建築

甘粛省人民政府

一九八一年九月二日公布

敦煌市人民政府

二〇一四年十月二十日建立

 

ちょっと接近してみましょう。(*^-^*)☟

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目いっぱい近づきます!(笑)

正面。☟

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正面向かって右側。☟

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真後ろ。☟

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第二層目に石板があります。

原版をアップにしてみましたが、ボケてしまい文字の判別はできませんでした。(T_T)

 

正面向かって左側。☟

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ここに、二枚目の石板が!

これは原版をアップにすると、かろうじて「道光乙已桐月白文采等重修」の文字を見て取ることができました!\(^o^)/

 

四方向から撮影した写真。

石板2枚はありましたが、木板はどこなのでしょう???

見落としたのかな???

旅行当時は案内の石碑を読まずに見学しているので、石板や木板をターゲットに写真を撮っていません。(^^;

なので、後から必要なものが見当たらな~いという悲劇が発生します。

もしまたどこかに旅行する機会があれば、時間の許す限り、現地の紹介くらいはその場で目を通すようにしたいと思います。

それ以前に、出発前に余裕をもって下調べをすべきですね。(笑) 

 

 

18時半頃、「白馬塔」を出発、来た道を戻ります。

日が傾いて来て、往路とは空の色も変わって来ました。

ただの農村風景ですが、きっと近いうちに消失してしまうはずなので、記録として残したいと思います。☟

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移動に利用している車両さえ、党河の東側では見かけないもの。

でも、この風景にはすごく溶け込んでいると思うのデス。☟

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「党河西路」手前まで戻って来ました。☟

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「白馬塔」への往路は、☝の写真で言うと左手後方にあった「白馬塔まで、ここから西へ200メートル」の看板をそそくさと撮影し、すぐに移動を開始しました。

無事見学を終え、心にゆとりができた今は、その時に後回しにしていた右手に注目!

 

じゃ~~~ん!!!

敦煌市白馬路道路建設工事」の概況説明看板です。☟

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この工事の範囲:

東は「党河西路」と「白馬塔大橋」の十字路から、西は「陽関西路」まで。

 

 

☟の地図のアップをご参照ください。\(^o^)/

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「白馬東路」全長:870メートル、道幅:24メートル

(歩道2メートル+車道20メートル+歩道2メートル)

「白馬西路」全長:940メートル、道幅:30メートル

(歩道5メートル+車道20メートル+歩道5メートル)

「白馬路」の東西で歩道の幅に多少違いはありますが、いずれにしても広々とした道が整備されます。

だから、「白馬塔」までの往復で見た景色は、もうすぐ失われてしまうのです。

では、いつ消えてしまうのかというと・・・・・・。

工事期間:2017年4月15日着工、2017年11月15日竣工。

「???」

2018年、今年の11月15日竣工の間違い???

いいえ!(笑)

間違いなく、昨年の11月15日竣工と記載されています。

工期目標には、「困難を克服し、努力により施工条件を整え、契約に定められた工期を保証する」とありますが・・・・・・、遅れてしまったんですね。

でも、おかげで懐かしい風景を見ることができました。(*^-^*)

あれから3ヵ月・・・・・・、今はどうなっているのでしょう?

 

 

「懐かしい」繋がりで、ここで2000年1月の写真をご紹介したいと思います。

こちら☟は、記憶が確かならば、「白馬塔」へ向かっている所。

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どの道を通ったのかは、当時でも分かっていませんでした。

運転手さんにお任せです。

道幅が広いので、今回歩いた道とは異なるのではないかと。(^^;

 

そして、「白馬塔」です。☟

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この日は強風が吹いていて一層寒い上に、埃が舞い上がって空気も悪く、車内から写真を撮りました。

それは間違いないんです。

でも、今回、「白馬塔」入口の前で歓談中だった地元の方々から得た情報だと、この写真をどう説明したらいいのか分からなくなるんです。

地元の方々は、上の方で見ていただいた「白馬塔」を囲む「赤い塀」は二十何年も前から存在し、外から塔全体が見えるような場所はないと言われました。

18年前を思い返すと、最初は駐車場のような場所に連れて行かれ、私が「降りない」と言ったので、運転手さんが車内から見える場所へ回ってくれたような・・・・・・?

今回ちょっと探検した「白馬塔」の裏手は、塀の隙間に出入口の柵があって(鎖で開かないよう固定されていました)、その向こうは葡萄などの畑。

このあたりの塀が壊れていたとか?

もし、もう一度敦煌を訪れる機会があるなら、これを地元の方に見ていただいて、このモヤモヤした記憶をスッキリさせたいものです。(^^;

 

この後は、党河に沿って「党河西路」を北(地図の上)へ向かって移動しました。☟

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河川敷は美しくに整備されています。

芝生に水を撒いている辺り、小さな虹がかかっていました。

私はどこに虹がかかっていたか知っているので、この上の写真でもうっすらと見える虹を見つけられるのですが・・・・・・。

どこにあるか、分かるでしょうか?(*^^*)

 

芝生の中の舗道を伝いながら進むと、東屋がありました。☟

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円形の東屋が合体していて、屋根の部分がハート形に見えます。(#^.^#)

 

ここには党河に張り出す形のスペースがあります。

そこから南北の様子を撮影。☟

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これまでも似たような党河の景色を貼っているので、「しつこい!」と思われるかも知れません。

でも、党河に沿って歩いたのはこの日だけ。

記念ということで、貼らせていただきます!(笑)

 

鳴沙山の手前に、「白馬塔大橋」が見えています。☟

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敦煌陽光沙州大酒店」が見えます。☟

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19時5分、ぶらぶら歩き「党河西路」と「陽関西路」の交差点までやって来ました。☟

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「西大橋」の向こうに見えるのは、先ほど東屋の側から眺めた「敦煌陽光沙州大酒店」。

改修されていますが、1979年に宿泊したホテルということで、友情出演。(笑)☝☟

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ここから「陽関中路」を東進し、19時20分過ぎ、「反弾琵琶伎楽天像」がある「沙州南路」との交差点まで戻って来ました。☟

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☝、まずは、後ろ姿をご堪能ください!\(^o^)/

 

午後、「敦煌博物館」へ出かける前は、正面しか貼付していませんでした。

しかし、なんと言っても今回は「反弾琵琶伎楽天像」のリベンジ回!!

この時間帯は、別の角度から「伎楽天」をご紹介します。(*^-^*)

夕日を受けて、向かって右斜め前から。☟

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左斜め後方から、夕日を浴びる後ろ姿。☟

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この空の色の写り方もすごく好きです。(*^-^*)

 

ここまで戻ったので、「沙州夜市」へ夕食に向かいました。☟

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もう19時半ですが、食事をしている人はまだ多くはありません。

 

何を食べようかな~と、上の写真の左手に並ぶお店を見て回り、韓国料理屋へフラフラ~っと入ってしまいました。(笑)☟

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せっかく敦煌に来ているのだから、敦煌名物を食べなくちゃ!とは思ったんです。

敦煌名物の「驢肉黄面」(驢馬のお肉を使用)も食べていません。

でも、ロバ・・・・・・、私にはちょっと勇気が必要です。

それに、あっさりしたものが食べたかったんです。

この韓国料理店、写真ではお客さんがいませんが人気がありますよ。

これまでも通りかかった時、たくさん人が入っていました。(*^-^*)

 

メニューを見て~~~。☟

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選んだのは、すっぱくさっぱり「朝鮮蕎麦冷麺」です!☟

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1杯12元(1元=16円換算で、約200円)。

期待通り、さっぱりといただけました。(^^)v

 

この時、スマホで調べた気温と湿度。☟

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35度もあるのに湿度が9%だからか、すごく爽やかです!

 

食べ終わって外へ出ると、空はまだ暗くなっていません。

20時前ではありましたが、このままホテルに戻るなんてもったいない!

そこで、敦煌市内と敦煌駅・空港を結ぶバスのルート「三危路」にある、1997年にも存在していた牌楼を見に行くことにしました。☟

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到着したのは20時15分頃です。

太陽がようやく夕方らしくなり、オレンジ色を帯びた光に変わって来ました。

 

当時、嘉峪関からバスで8時間くらいかけて敦煌に辿り着き、この牌楼に迎えられた時は本当に嬉しかったんです。

ゴビ砂漠の旅は見たことのない景色ばかりで、居眠りすらせず外を見ていました。

途中の安西県でのトイレ休憩、ガイドさんが現地の市場で買ってくれた西瓜を食べたのも懐かしい想い出!

ただ、窓から差し込む日差しに体力を奪われたんだと思うのですが、敦煌に着いた頃には相当ぐったり。

そんな状態で、この牌楼の下をくぐったんです。

「やっと着いた~~~」との解放感と、「ここが敦煌なんだ!!!」との興奮が一度に押し寄せて来ました。

莫高窟のような歴史あるものではなく、鳴沙山・月牙泉のような自然美とも無縁な牌楼ですが、私にとっては一番最初に敦煌を身近に感じさせてくれた、思い入れの強い建造物です。

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この牌楼のすぐ側、敦煌市内に向かって左手に、長距離バスターミナルがあります。(上の写真の左側にチラっと写っています。)☟

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ホテルも併設された大きなターミナル。

 

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まだ使用が始まってないのかと思ったくらい、閑散とした正面の様子。

敦煌到着の最終便を待っている旅館の客引きの方から、この時間は既に敦煌始発便は全て出発し終え、営業は終了したと教えてもらいました。☟

 

なんと!ここには日本語の標記もあります。☟

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まだ日が沈まない!!(笑)

もう一度、党河に架かる「西大橋」まで戻って、夕日に染まる鳴沙山を見るぞ~~~!!!

と、「陽関中路」の「西大橋」のたもとに建つ「敦煌陽光沙州大酒店」まで戻って来ました。☟

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この時、20時50分過ぎ。もうすぐ日の入りです。

ホテルの壁の色、沈みかけた日差しを浴びて、19時過ぎに通過した時とは違いますネ。

 

「西大橋」の上です。

暖色に染まった鳴沙山。☟

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ただ、ただ、綺麗だな~と、涼しくなった風に吹かれながら見とれていました。

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この日は21時過ぎにはホテルへ到着。

これまでよりはかなり早い帰宅です。

昼間かったメロンを食べて、7月8日は終了です。(*^-^*)

 

 

💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛

長文をここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。m(__)m

 

ここからは、少しだけ、最近の「せいあん!」です。(笑)

このブログは「せいあん!」なのに、もう3ヵ月くらい、西安単独の記事がありません。(^^;

夏の旅行の記事にここまで時間をとられるなんて、当初は思いもしませんでした。

でも、これをアップしたら、あと二日分だけ。

一番手間暇かかる博物館の紹介は終わったし、旅行ブログの完了も目前です!\(^o^)/

今回は、数日前に終わったばかりの国慶節休み中の様子、少しご紹介しますネ!

(旅行客が多いため、観光地には出かけていません (^^; )

 

9月30日(日曜日)振替授業が終了した後、西北工業大学の正門に回ってみました。☟

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国旗が掲揚されて、「国慶節」を迎えるムード満点。

下の写真は、校内プラタナス並木。

 

10月1日(月曜日)、国慶節1日目。

私が大好きな大唐西市城でも、多彩なイベントが行われていました。☟f:id:shanshanduohuizi:20181010004039j:plain

去年と同じく、青海省の物産展が開催されていました。☝

去年はずっと雨でしたが、今年は物産展開催中は快晴続き!☟

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大唐西市博物館では、アンケートと展示品に関するクイズに挑戦して、記念品をいただきました。☟

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私と一緒に写っている人も、どこかの大学の留学生。

彼に渡されたアンケート用紙が最後の一枚でした。

私、アンケートが始まる直前に博物館にやって来ていて、館内で時間を潰してもう一度行ったら、アンケート用紙配布終了~~~。(T_T)

でも、館員さんのご厚意で、二人一緒にアンケートとクイズに答え、二人に記念品を進呈しましょうということになりました。

展示品の名称を記入する問題では、館内いたるところで該当の展示品を探す人たち(だいたい親子連れ)にすれ違い、お互い情報交換!

めでたく全問回答し終え、博物館で販売されている「コースター」と「大唐西市博物館宣伝映像」をいただきました。(*^-^*)

この映像、1階の大スクリーン(写真上段の中央参照)で上映されているのを見て、前々から欲しかったんです。

すっごくラッキーでした。\(^o^)/

 

☟の絵画は、博物館隣の「芸術品センター」で展示されていたもの。

サイズは76㎝×156㎝。

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かなり大きな虎の絵です。

写真だと分かりづらいですが、すごく細やかなタッチで、本当に虎の毛一本一本の質感を感じられるようなものでした。

この絵画、960,000元です。(1元=16円換算で15,360,000円!!!)

 

シルクロード風情街でも、こんな☟催しがありましたよ!(*^-^*)

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この他、西北工業大学のロシア人とバングラデシュからの留学生の手料理をご馳走になりました!☟

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オレンジのお皿(チキンカレー)と、圧力鍋(淡水魚のカレー風味スパイシー煮込み)、そして二枚の写真両方い写っている丸い白いお皿(ミルクとごはんにスパイスをきかせたデザート)がバングラデシュ料理。

男子留学生の手作りです!

パンケーキと、透明のボール・ポテトチップスが周囲に飾ってあるお皿(サラダ2種類)はロシア料理。

国慶節最終日の夜は、ご馳走でした!(*^▽^*)

 

以上、最近の西安局地と私の様子でした。(^^)v

























 

 

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月7日(土)_ 敦煌3日目_敦煌博物館1日目(新石器時代~唐代)・鳴沙山2日目(9/30:鳴沙山入園料変更追記)

2018年7月7日(土曜日)、敦煌はこの日も良い天気でした!\(^o^)/

 

前日、ホテルに戻った後、今後の日程変更のためにスマホで「緑洲島酒店」の宿泊追加予約、飛行機チケット購入、列車切符キャンセル、他都市のホテルキャンセル等をやっていたら・・・・・・、寝るのがかなり遅くなりました。

当初計画での最終訪問地だった武威では、ホテルのキャンセルが不可。

想い出の地を回る旅だから、予定変更なんてしないと思い、「キャンセル不可」と知っていて予約したのですが・・・・・・。

悲しいですが、20年近く前と同じことをするのはムリがありました。

体力気力が付いてきません。(T_T)

ただ、それだけでなく、敦煌が思いの外居心地がよく、3泊4日で去るのが残念に思えてきたことも理由の一つ。

そんなわけで、日程変更の結果、敦煌に計5泊することになりました。(*^-^*)

 

 

寝るのが遅かったので、起きるのも遅くなったのは致し方ありません。

なんて、この旅行、移動がない限り、いつもこんな感じです。(笑)

写真の撮影時間を確認すると、13時過ぎにやっと「敦煌夜市」に移動。

前日の不規則な食事が祟ったようで、この日は旅行中、いえ、ここ数年で一番げっそりやつれていました。

「痩せた」なら嬉しいのですが、見た感じ、細胞の水分が激減して皮膚の弾力が消えうせたよう。(^^;

このままだと、いずれ、干尸(ガンシ―・ミイラ)?

まともに食事をして栄養補給せねば!

と思い、「敦煌夜市」内を物色し、このお店に入ることにしました。☟

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注文したのは「鸡肉焖饼子(ジーロウメンビンズ)(鶏肉燜餅子)」という料理。☟

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一杯15元です。(1元=16円で換算すると、240円)

どんぶりの中に入っている主食の「餅(ビン)」は、小麦粉を捏ねてかなり広い幅でカットしたもの。

鶏肉・玉ねぎ・葱と獅子唐(?)が入っていたような記憶が。

醤油ベースの味付けでとても美味しかったのですが、ボリュームがすごくて私は食べきれませんでした。(^^;

隣の席には嘉峪関から観光に来ていた女性が二人、食事を終えて休憩中でした。

このお二人は、年配のお母さんとその娘さん。

お二人は早朝、日の出を見るために鳴沙山へ行って来たと言われていました。

このお店の食事の量、このお二人にはちょうどいいそうです。

「嘉峪関もいいところだから、観光に来てね」と言われ、キャンセルしたのがちょっと心苦しくなりました。

 

「焖饼子(燜餅子)」、私が食べたのは鶏肉でしたが、一番有名なのはメニューの一番上に書いてある「胡杨焖饼(フーヤンメンビン)(胡楊燜餅)」。(*^^*)

こちらは羊肉が使われているので、ちょっと高くて一杯38元です。(1元=16円で換算すると、約600円)

 

 

エネルギー補給したところで、行動開始!

この日の午後は、またしてもバス停「中医院」から路線バス③に乗って、 「敦煌博物館」へ 出かけました。\(^o^)/ ☟

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☟の地図を見ていただくと分かり易いのですが、「敦煌夜市」にいた私は、③バスに乗るならバス停「沙州市場」から乗車すれば近かったんです。 f:id:shanshanduohuizi:20180831154006p:plain

実は、現地にいた頃、地図の方角を勘違いしていて、頻繁に迷走しました。(笑)

自分がバスで敦煌に到着した場所、東大橋の位置を、地図の上側(北)と思い込んでいたようです。

地図を見る必要がなくなり、現地の建物や飛天像で方角を把握できるようになってからは平気だったんですけど・・・・・・。(^^;

この時も、バス停「中医院」を西域路の紫色で塗った歩行者天国より東(右)と思い、わざわざ西域路までやって来て、バス停が見つからず行ったり来たり。

通りすがりの方に「③の路線バスならあの角を曲がればすぐだよ」と教えていただいたのが、「7天」のある角を曲がって道を渡ったところにある「中医院」だったわけです。(笑)

中医院」から「博物館」までは1元(1元=16円で換算)でした。

 

 

こちらが敦煌博物館」です。☟

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私は「敦煌博物館」WeChat公式アカウントで展示品の写真や説明見ていますが、インターネット上の公式サイトもありますのでURLを貼付しておきます。☟

敦煌文物网

f:id:shanshanduohuizi:20180926170926p:plain☝の矢印の場所をクリックすると、展示品の写真を見ることができます。(*^-^*)

 

上の建物の左端に、チケットセンターと入り口があります。☟

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建物に向かって左手にチケットセンター、右手に博物館の入り口というように向かい合っています。

ここでも、チケットはパスポートを提示して入手します。

私はチケットセンター内にあったロッカーにリュックを預けました。

トルファン博物館のように強制ではありません。(*^-^*)

 

ここで、入館時間の情報を!

5月1日~9月30日:午前9時~午後18時半(入館は17時半まで)

10月1日~翌年4月30日:午前9時~午後18時(入館は17時まで)

毎週月曜日は休館。(国家法定祝祭日に当たる場合は開館)

新疆時間ではなく北京時間で動いているのに、冬場でも18時まで見学できるなんて、ありがたいことです!!

 

入り口を入ると、ここにも荷物を預けるロッカーがあり、その先でセキュリティ検査を受けます。☟

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検査を受け、突き当りの壁を左へ曲がると、☝の一番下の写真の通路に出ます。

敦煌らしい、莫高窟の壁画がお出迎え!

この奥の扉を入ると、☟のようなホールがあります。

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上段の右手からホールに入り、緑の矢印の順に進んで行きます。

右手の壁には、黒い石板に刻まれた中国語・英語・日本語・韓国語の「序言」。

 

日本語の序文をアップにします。☟

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この序文の中で、「華戎交差の大都会」と言う表現があります。

これがホールの正面にあるレリーフの、右中央に見える中国語「华戎交会的都市」の訳です。

上のホールの写真の下段は、ホール左手の壁のレリーフ

ここを矢印に沿って曲がると、☟のスロープが待っています。

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突き当りの胸像は、後漢の軍人「班超」。 

この名前に見覚えがあると思ったら、カシュガルで見学に行かなかった「盤橐城(班超紀念公園)」の主役ではありませんか!!

カシュガルで、訪れておけばよかったのかな・・・・・・?

 

上の突き当りを曲がると、更にゆるい傾斜のスロープが続きます。

この途中左手に、最初の展示室があります。☟

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展示室に入る前に、通路に展示されているものを見てみましょう!(*^-^*)☟

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新石器時代青銅器時代の文物です。☝☟

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序文が四ヶ国語あっただけあり、展示物の説明のほとんどに日本語訳があります!!

ありがたい~~~!!!(*^▽^*)

 

 

では、展示室に入ります!\(^o^)/

【第一展示室:前漢後漢敦煌の大発展】

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最初の展示物のコーナー です。☟

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左側のパネル敦煌郡の設立」を拡大します。☟

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「張騫の西域行路地図」

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前漢匈奴の戦争」

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展示品のアップ。☟

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左:黄釉陶奩 / 右:緑釉四神陶奩

百度百科で調べると、「奩」は「中国古代、女性が化粧用具を収めた鏡箱」と紹介されています。

 

☟の「銅犂」は、「沙州故城」から出土したもの。

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7月9日、「敦煌古城」の帰りに「沙州故城」の側でバスを降りて見学しました。

あそこから出土していたのか~と、2ヶ月以上経過して発見。(^^;

 

次のコーナーです。☟

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この☟展示物を見た時、小さなヘビが後ろを振り返っている像かと勘違い。(笑)

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正しくは、「銅製の帯鉤(おびどめ)」でした。(^^;

でも、勝手に命名「見返りへび」。(笑)

 

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☝☟、「陶かまど」の作りが可愛らしいので、アップで掲載。(*^^*)

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 ままごとのセットみたい。(*^^*)

 

この展示室の中央には、遺跡の復元模型や発掘された「積薪(積み上げた薪)」が展示されています。☟

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上の写真、手前左の模型を拡大した写真です。☟(馬圏湾遺跡の復元模型)

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次☟は、入口の正面、三番目のコーナー!

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ここでは、「漢代長城の修築」を紹介しています。☟

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日本語部分、何とか読めるでしょうか?

 

☟は、コーナー真ん中にあるパネル「漢長城の種類」。(^_^)/

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このコーナーの展示品です。☟

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左上の写真で気になったのが、円形の「黄羊夾」

何だろうとネットで検索してみると、黄羊を捕まえるための罠に使われたもののようです。

細く削った木を麻糸でぐるぐる巻きにした、約10㎝くらいの器物。

草地に穴を掘り、そこにこの罠を置き、草でそれを隠しておく。

黄羊がやって来てそれを踏むと、蹄が中央の穴に引っかかってしまい、素早く動けなくなり、簡単に捕まえられる。

私、大きさを考慮せず、雪の上を歩く「かんじき」に似た物で、砂の上を歩き易くするためのものかと思っていました。(笑)

 

右上の「わらじ」のように見えるもの、これらは左から、「麻靴底」・「靴底」・「麻織靴下」と表示されています。

1979年、馬圏湾遺跡から出土

 

左下は「竹簡」とのみ記載。

 

右下:漆勺 漢代 1998年玉門漢出土

 

このコーナー右端のパネル「修築構造と方式」です。☟(*^-^*)

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次のコーナーへ移動します!\(^o^)/

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☝の写真の下側に、チラリと写っているのは出土した「積薪(積み上げた薪)」

 

薪が混ざった土の塊にしか見えませんが、歴史的価値のあるものなのです。(笑)☟

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敦煌博物館」WeChat公式アカウントの紹介:

国境警備の兵卒にとって、薪の伐採は日常業務の一つで、平時に、いつでも使用できるよう蓄えておいた。

敦煌領内の積薪は、主に葦・紅柳(hóngliǔ)(タマリクス・ラモシッシマ Tamarix ramosissima ギョリュウ属の植物)の枝・胡楊の枝を括りつけたものを積み上げて作る。

敦煌領内の長城沿線には、まだ67もの積薪が残っている。これらは長年露天に曝され、二千年余りの時を風雨や日差しに曝されてきたため、現在は化石化している。

 

コーナーの紹介に入ります!(*^-^*)

「長城の駐屯」☟

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☟は「むしろ」、1979年、馬圏湾遺跡から出土です。

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一枚の完璧な状態のむしろではありません。

でも、これを見た時の感想――「漢代~~~???」

とてもそんな昔のものとは思えない、しっかりした編み目の状態に驚愕。

複製品ではないのかと、わざわざ館員さんに確認しました。(笑)

それくらい、しっかりした編み目です。

湿度が低い敦煌だからこその、この保存状態!

日本だと、きちんと倉庫に保管されていたとして、数十年も放置したら湿気で黴てしまい、腐っていそうです。(笑)

 

莫高窟の壁画の中の「長城出入関図」。☟

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本物は写真撮影禁止なので、パネルやレプリカがあれば、できるだけ載せたいと思います。(*^-^*)

 

櫛や鍋ブラシ(古代の「亀の子たわし」?)も並んでいます。☟

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☝の並びの中で、気になった二つをアップ!(*^-^*)☟

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☝左の木版画は図柄が可愛らしいくて、目に留まりました。(*^^*)

右の「透かし彫りの銅製品」は、透かし模様が細かいですね。

 

☟は、敦煌博物館」WeChat公式アカウントの紹介によれば、漢代の「太初歴」が記された木簡だそうです。

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中国でこれまでに発見されたものの中で、最も古く、最も完璧な状態のもの。

紀元前104年、天門学者落下閎・鄧平等により制定。

「太初歴」では一年を365.2502日、一か月を29.53086日と定めていた。

 

コーナーの右半分は「烽火制度について」。☟

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烽火信号と制度についてまとめた表、中国語のままですが貼っておきます。☟

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☟の束ねた藁のようなものは「苣 jù (ジュー↘)

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「漢代烽火制度」の日本語訳や表に「苣火」と言う烽火の種類があります。

「苣」は、この烽火に使用するものです。

日本語だと、なんと発音するのでしょう?

「苣」の字は「きょ」と発音するようですが、あってるでしょうか?

敦煌博物館」WeChat公式アカウントでの紹介によれば、1979年に馬圏湾烽燧遺跡から出土とあります。

出土した「苣」には「大苣」・「中苣」・「小苣」「引火苣」あり、それぞれの長さは、243㎝・63㎝・47㎝・22㎝。

 

「回転式弩弓」 (複製品)と国境の砦における「回転式弩弓」設置使用概要図。

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次のコーナー屯田」と「漢長城の管理」です!(*^▽^*)

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屯田について。☟

f:id:shanshanduohuizi:20180831230614j:plain歴史の授業で習ったな~。

 

出土した穀物です。☟(*^▽^*)

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左から、キビ(1979年 馬圏湾)/アワ(1963年 当谷燧)/大麦(?年 漢長城)

見た目、これらの種子は皺もなく、色も鮮やかだが、内側の澱粉と胚芽は炭化し、食べることはできず、発芽はしない。

出土品と漢簡の記載から、漢代、敦煌は重要な穀物の産地、しかも多種の穀物を産出する産地であったことが分かる。(「敦煌博物館」WeChat公式アカウントより)

これらの種子が発芽して、収穫ができていたなら・・・・・・。

古代キビ・古代アワ・古代大麦とか名付けられ、敦煌名物になって街おこしに一役買っていたんでしょうか?

それ以上に、生命力が相当強そうなので、悪条件に耐えうる強い品種が改良できて、生産性が一気に向上?

勝手に想像~~~してみました。(笑)

 

 「漢長城の管理」

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敦煌 漢代長城の軍事システム」

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「漢長城の管理」の説明で触れられていた「倉城」の写真です。☟

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「長城の防御器具」

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☟は、弩機のパーツ(上段)と鉄剣(下段)

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共に1964年甜水井で採集。

 

次のコーナーは、「漢代 敦煌の郵便駅」についての紹介です。☟

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写りが非常に悪く、申し訳ございません。<(_ _)>

 

こちら☟は、敦煌懸泉置漢簡』(とんこう けんせんち かんかん)の複製品です。

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懸泉置遺跡にて発見

 

「漢代の簡牘(一式)」

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敦煌懸泉置漢簡』が発見された懸泉置遺跡の写真。☟

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「懸泉置遺跡の復元模型」

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☝、世界文化遺産、 全国重点文物保護単位です。

敦煌市の東64キロ、祁連山脈の支脈三危山前の扇状地にあります。

「三危山」

敦煌空港や敦煌駅と市内を結ぶバスの始発・終点がある通りが、なぜ「三危」という交通事故が多そうな名称なのか、気になっていました。

たぶん、この山の名前から付けたんでしょうね。(*^^*)

 

ここから、後漢のコーナーに入ります。\(^o^)/

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☟2枚は、後漢のコーナー全体図。

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前漢のコーナーにも人物像の「絵」はあったのですが、後漢までやって来て思ったこと。

「人物像」が妙にイラストっぽい!

学研の「歴史群像」シリーズを思い出しました。(笑)

 

布類の出土品です。☟

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左 :シルク断片 1998年玉門漢遺跡出土

中央:麻布 1979年馬圏湾出土

右 :毛皮靴下 1998年玉門漢遺跡出土

 

後漢の紹介文にも登場、廊下には胸像があった「班超」が、使節として西域へ派遣されたルートを示す図です。☟

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たくさんの装飾品。☟(^o^)☟

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装飾品の中で一番目を引いた一ネックレス。☟

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あまり長くないので、手首に二重巻きにするブレスレットなのかな?と思ったら、ネックレスでした。(*^^*)

 

ところで、この装飾品のなかで注目すべきはこのネックレスではなく、上の全体写真の上段左から二つ目の「玻璃耳珰(ガラスの耳飾り)」だったようです。☟

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☟は敦煌博物館」WeChat公式アカウントの説明の一部です。

1982年、敦煌南湖郷の盗掘に遭った漢代の墓から、数点のガラス製耳飾りが出土した。

墓の主の身分は明らかではなく、棺の蓋は朽ちていた。

出土時、耳飾りは石珠・真珠・琥珀等の装飾品と共に首飾りの形で死体の胸元に置かれていた。それらをつなぐ糸は既に存在していなかった。風化してしまったのか、それとも元からなかったのか、今となっては考証することはできない。

専門家の鑑定により、出土した耳飾りの材質はガラスとされ、「中国ガラス外来説」 の影響により、真珠・琥珀同様、シルクロードの交易品と認定された。

しかし、70年代、中国中原地区の2回に亘る発掘により出土したガラス器物が、「中国ガラス外来説」の観点を否定した。

これらのガラスは中国内外の専門家により現代のスペクトロメーターを用いて鑑定され、その結果はともに「鉛バリウムガラス」であり、西方の「ソーダ石灰ガラス」とは全く異なる二つのガラス体系に属することが分かった。

このことは中国が世界で最も早期にガラスを発明・製造・応用した国の一つであることを実証した。敦煌漢墓から出土した耳飾りは、シルクロードの交易品ではなく、中国で作られたガラス器物なのである。

 ※展示物の側にあるプレートには「琥珀耳飾り」とありますが、「ガラス」が正しいと思います。

 

☟の展示物の中で、注目すべきは銅牛車(上段)銅釜甑(下段の左)だそうです。 

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銅牛車☟

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銅釜甑

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これで第一展示室の見学終了です!(*^-^*)

 

 

ここからは第二展示室に移動します。\(^o^)/

【第二展示室:魏晋南北朝時代 敦煌の持続発展】

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ちょっとぼやけていますが、展示室内の様子です。☟

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上の写真の左、壁に掛かっている白いパネルの向かいにあるのが、☟のコーナーです。

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まずは、左端のパネルから!☟(*^▽^*)

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このコーナーで敦煌博物館」WeChat公式アカウントで取り上げ、説明があるのは以下の3点。

1.玉石枕

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魏晋時代の「通信校尉」の墓から出土。

表面の特徴からホータンの青玉の粗玉とみなされている。

ホータンの玉を枕に用いることは、玉が備えている熱を下げ、温度を下げるという特徴を利用し生活用具を制作したということである。

西北部は夏は乾燥し気温が高いため、玉で作られた枕を用いることは、脳をスッキリさせ、血圧を下げる効果がある。

この種のホータン玉で作られた枕は非常に高く、一般的に上層の貴族が所有するものであり、出土数は少ないため、非常に珍しものである。

この墓の主がこの種の玉石枕を使用していたことは、この人物の身分地位にふさわしいと言える。

敦煌博物館」WeChat公式アカウントより一部翻訳

 

2.銅亀

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この銅亀も玉石枕同様、魏晋時代の「通信校尉」の墓から出土。

この墓は盗掘にあっている。

この墓には合計4体の銅亀があったが、盗掘時、4体の銅亀はそれぞれ棺桶の下部の四隅に棺桶の台座として使われていた。

4体の銅亀はほぼ同じ大きさで、保存状態は非常に良かった。

青銅で作られている。

この4体の内、2体は盗掘者により破損した。残りの2体は甘粛博物館と敦煌博物館で収蔵されている。

古代、亀は龍・鳳凰麒麟と共に「四霊」と称され、古代の人々から長寿の生き物とみなされていた。

亀を墓の中に置くことは、墓の主が長寿であったことの隠喩の可能性がある。

また一方で、墓を守るという役割も備えており、墓の主の身分地位の象徴であり、墓の主及び家族が、亀は人を災いから遠ざける縁起物であるとし、家運隆盛という願いを祈念した。

亀の加工技術から分析した結果、この亀は敦煌で作製されたものではなく、他所から運ばれてきたものである。

敦煌博物館」WeChat公式アカウントより一部翻訳

 

3.銅鳩

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上2点の展示物同様、魏晋時代の「通信校尉」の墓から出土。

「銅鳩」なのですが、鳩の形状をした杖のグリップの部分です。

1981年、甘粛省武威から出土した「王杖詔書令簡」から、鳩杖を与えることは、前漢後漢を通じての敬老制度であり、鳩杖を持つ老人は特別待遇を受けることができた。

役所に出入りする際、ひざまずく必要はなく、養ってくれる子女がいない場合、役所が買い付ける小さな商いをすることができ、しかも租税を払う必要がなかった。

鳩杖をついている老人をいじめる者には、大逆無道の罪として処罰が下された。

皇帝が鳩杖を与える際、老人の身分地位の違いにより、与える鳩杖の材質にも竹木・青銅・銀・金等の差があった。

この鳩杖のグリップは青銅製なので、この墓に葬られた主(男性)は、長寿であったと推測されるだけでなく、身分も非凡であったことが分かる。

敦煌博物館」WeChat公式アカウントより一部翻訳

 

次に参ります!\(^o^)/ 

【三国と西晋時期、敦煌経由で輸出入された貨物】

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西域から買い入れているものの中に、「汗血馬」の文字が見えますよ!

 

その他の展示物をアップ!

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前漢時代のものはアップの写真がありませんが、前漢時代にも弩機のパーツが出土しています。

それと比べると、☝の弩機パーツの加工技術、進歩しているな~と感動。

研削機械がない時代、どうやってあんなにきっちりした溝や穴を切り出すことができたんでしょう?

それとも鋳型に青銅を流し込んで製造?

これからも博物館巡りをすると思うので、どこかの博物館の説明で謎が解けることを祈っています!

今すぐ自分で調べないのが、情けない~~~。(笑)

 

「ソグド貴婦人図」☟

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次のコーナーへ移ります。(*^^*)

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このコーナーは、これしか写真がありませんでした。<(_ _)>

 

次は、上の写真の右隣りです。

甘粛省博物館にも同じような展示品があった、絵の描かれたレンガ。☟

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☝のレンガは、展示品の一番下に「複製品」と説明プレートがありました。

この右側にも、四神や人物・動物・が描かれた同様のレンガが展示されていて、それらも複製品なのかどうか、私にはよく分かりません。

写りがあまりよくありませんが、いくつか貼っておきたいと思います。

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☟は、「91DXF・M1号墓レプリカ」です。

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この説明プレート、写りが悪すぎて、自分でも表題以外よく読めません。(^^;

レプリカは、第二展示室の中央にある柱の一角を利用して展示されていました。

 

☟2枚が、レプリカの写真です。(*^-^*)

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☟は「M133照壁木斗拱とレンガ分布概略図」

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展示室中央の柱に掲示してあった概略図の一部です。

 レプリカはM1、概略図はM133です。(念のため)

 

次は南北朝のコーナーです。\(^o^)/

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コーナー全体の様子。☟

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このような文物が展示されています。☟

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上の下段の一部をアップします。☟

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 日本語訳は「鎮魂の缶1組」。

でも、中国語と英語訳から判断すると「鎮墓の壺(墓を守護する壺)一式」くらいの意味ではないかと思います。

 

☟は北涼北魏の石塔です。(*^-^*)

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出入口の近くにあったため、外の強い日差しが廊下の窓から差し込んできて、写真が写しにくいことこの上ない!(^^;

ガラスが反射しまくっていますが、アップをご覧ください。☟

 

北涼石塔:1966年沙山塔から出土。☟

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左:北涼石塔(欠損あり)1981年三危山王母宮から出土

右:北魏石塔 1972年県城広場出土

 

石塔の間に莫高窟の造営」を説明するパネルがありました。☟(^o^)☟

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日本語部分、単独で写したものをはめ込みましたが、やっぱり見にくいみたい。(^^;

☟に再掲します。

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第二展示室、最後のコーナー、莫高窟のパネルの向かいにある西涼国の新興と衰退」です。\(^o^)/

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敦煌が西北部政権の中心になった唯一の時期・・・・・・。

たった5年だったんですね。

でも、中心ではなくても、敦煌は今でも輝いてます!!

 

 

コーナー全体の様子。☟

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上の中から、二点だけご紹介。☟

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以上で第二展示室の大まかなご紹介が終わりました!(^^)/

 

 

引き続き、第三展示室「隋唐時代 敦煌の繁栄」へ参りましょう!!!(*^-^*)

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窓から差し込む日差しが反射して、正面からまっすぐ写すと読めない場所がありました。

それで斜めから写してみたのですが・・・・・・。

いかがでしょう?(^^;

 

ついに、ついに、一番好きな時代になりました~~~!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

展示室、入ってすぐの壁にあるコーナーです。☟

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上の写真の中央にある説明パネルをご覧ください。(*^-^*) ☟

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※文中の「1亩(mǔ ムー)」1/15ヘクタール(666.667㎡)に相当します。

 

☟3枚は、コーナー左端の人物像のパネルです。

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☝「莫高窟第103窟帝王図」

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☝の上:「都督夫人礼佛図」

☝の下:「牢獄図(莫高窟45窟南壁)

 

☟、隋代の「魌頭」です。

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1982年、敦煌市新店台墓群より出土。

敦煌博物館」WeChat公式アカウントによると、敦煌地区での「魌頭」の出土はこの一件のみ。

出土時には合計7点ありあましたが、破損の激しいものが1点あり、6点み展示されています。

古代の人々がこうした葬具を遺体の側、或いはその上に置いた目的は、死後の霊魂をととどめ、また邪悪なものと疫病を追い払うためだそうです。

 

こちら☟は、女性像ではなく、彼女の手元の碁石にご注目!(*^-^*) 

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☝の唐代の碁石は、1982年、敦煌市の南西75キロの場所にある寿昌城遺跡から出土した。

漢代、寿昌県は龍勒県と呼ばれていたが、北魏正光六年(525年)に寿昌県と改められた

≪通典≫巻6≪食貨志・賦税≫の記載によると、『大唐武徳六年(618年)、唐高祖は「敦煌郡は碁石20セットを献上せよ」との詔を出した』とある。このことは、唐以前から敦煌寿昌県は碁石の製造により有名であったことを説明している。

≪唐新書≫巻4≪地理四・沙洲≫には、「献上された特産品:碁石・緑礬・石膏」と記載されている。

現在、敦煌博物館で保管されている≪唐地志≫は天宝初年(742年)の写本である。写本には「・・・・・・都四千六百九十,贡棋子(碁石を献上)」と記載されており、唐武徳元年から天宝初年の100年余りの間、敦煌郡は毎年朝廷に碁石を献上していたことが分かる。

これら碁石の材質は花崗岩だが、その内のいくつかは天山支脈の白・黒玉で作られている。

碁石の外観は美しく、研磨が細かく現在流行の碁石とほぼ同じである

敦煌博物館」WeChat公式アカウントより

 

碁石をただ並べて展示するのではなく、囲碁を差しているように碁盤の上に配置しているのが面白いな~と思いました。(*^▽^*)

 

次のコーナーへ参ります!(^^)/

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☟、上の写真で前述のコーナーの奥側、及び正面のコーナーを見ていきます。

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左側には壺類が並んでいます。☟

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☟右端の壺をアップにしますネ。(*^-^*)

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壺の上に掲示されているパネルがこちら!☟

敦煌壁画「婦女揚場図」
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 ☝敦煌壁画「雨中耕作図」

 

右側のコーナーです。☟ (*^-^*)

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☟は、地図パネルの左側「唐代前期の沙州西部の概略図」

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☝の図、真ん中より少し上の辺りに「罗布泊(羅布泊)」という文字があります。

これ、「ロプノール」です。(^^)/

 

☟地図パネルの右側「唐代初期の瓜州・沙州概略図」

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☟、陶馬俑頭:1987年鉄家堡唐墓葬から出土 唐代

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☝、「陶馬俑頭」の鼻の辺り、細い線で描かれた模様が残っています。

この馬の口角が少し上がっていて、微笑んでいるように見えませんか?(#^.^#)

 

☟、左3人は駱駝を引く人物の俑。1987年、鉄家堡唐墓葬から出土。(唐代)

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上の左側は駱駝の俑。唐代のものとしか情報は書かれていません。

 

鎮墓獣:敦煌市蘇家堡墓葬から出土 唐代

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敦煌博物館」WeChat公式アカウントの☝の鎮墓獣に関する部分の説明は以下の通りです。☟

材質は陶器、副葬品の葬具。

鎮墓獣は中国古代の墓葬でよく見られる一種の怪獣。人々は鎮墓獣を凶悪で恐ろしいイメージに作り上げ、鬼魅に畏怖させ、死後の霊魂を守護するために墓葬内に配置した。

考古学の発掘から、最も時代が早い鎮墓獣は戦国時代の楚の墓から出土したもので、その後、魏晋から隋唐にかけて流行し、五代以降次第に姿を消していった。

鎮墓獣の製作について、早期の材質は木・骨が主体であり、陶製のものは非常にまれだった。その後、陶製のものと唐三彩が主要な材質となった。金属及び石製のものは少ない。この鎮墓獣の材質は細泥紅陶(さいでいこうとう)。

人面獣身であり、顔部分は高い鼻・彫りの深い目元・頬髭という典型的な胡人のイメージで造型されている。

 

次☟は、隣の壁の内側に作られている敦煌莫高窟45窟レプリカ」の中へ!(^_^)/

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☝の写真の右側に入り口が見えています。

 

入りました。☟

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実際の莫高窟の照明、これほど明るくはありませんでしたが、こんな感じに全体を照らしてありました。

 

正面に寄ってい行きます!

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天井を見上げて~。☟

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奥に向かって右側の壁。☟

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奥に向かって左側。☟

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出入口側の壁。☟

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 オレンジ色のライトに照らされて、レプリカ内は金色に輝いていました。(*^-^*)

 

この後は、出口の向こうに見えているコーナーへ移動します。☟

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館員さんお二人の姿が見えなくなりました。

誰かの置忘れの水筒がポツン・・・・・・。

寂しそうに取り残されています。

 

こちら☟は、上の写真の両サイドに建っている唐代の「天王俑」。\(^o^)/

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この二体は博物館が収集したもので、出土時期・場所の情報はありません。

 

では、コーナー右端のパネルから見ていきましょう!(*^-^*) ☟

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コーナー右側に陳列されている「天馬磚」・「伏龍磚」・「玄武磚」からご紹介します。\(^o^)/

☟最初は「天馬磚」

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「天馬磚」には敦煌博物館」WeChat公式アカウントに説明があります。

その一部をご紹介します。(*^-^*)

三危山老君堂遺跡から出土、装飾用磚として壁の基礎に嵌め込まれていた。

この「天馬」は、「漢代、敦煌の渥洼池(現在の南湖郷黄水)に天馬が出現した」という史書の記載を裏付けるものと言える。

漢書武帝紀≫の記載によれば、漢武帝の時代、暴利長と言う名の囚人が敦煌屯田に従事していた時、野生馬を一頭捕らえ、漢武帝に献上した。その馬の立派な体型・非凡な骨格を目にした漢武帝は、漢武帝が最も崇敬する太乙神が与えてくれた宝馬であると思い、「太乙天馬」と名付け、また「太乙之歌」も作成した。

これより「天馬」は一躍有名になり、敦煌もまた「天馬」の故郷と呼ばれるようになった。

渥洼池ってなんだろう?と百度百科で検索。

すると、『≪漢書武帝紀≫の記載によれば』以降の内容が、「敦煌博物館」WeChat公式アカウントのものと全く同じでした。

参考にURLを貼っておきます。(渥洼池の写真があります。)(*^-^*)

渥洼池_百度百科

 

「伏龍磚」

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「伏龍磚」も敦煌博物館」WeChat公式アカウントに説明があります。

その一部をご紹介します。

唐代の葬墓(空港墓群)から出土、墓葬床用の装飾磚。

この伏龍には龍・麒麟・犬の特徴があり、そのため初期には麒麟と呼ばれたり、天狗と呼ばれたりすることもあった。

また、踞座していることから、後に「坐龍」とも呼ばれるようになった。

「伏龍」は家神で、唐・宋代に流行した。

毎年、定期的に家屋敷内のあちらこちらを歩き回り、ある場所に来ると「伏せる」のが特徴である。

「伏龍」がいる場所は、建築・埋葬のための工事を行うべきではない。

「伏龍」を墓の中に置くことから、その墓は墓主の家屋敷の形状に基づき装飾されていることが分かる。

墓内部のいたるところに「伏龍」を置く目的は、おそらく常に家屋敷や墓を守り、或いは不吉なものを遠ざけ、厄を払い、幸運を祈るという目的を達成するためである。

 

「玄武磚」

f:id:shanshanduohuizi:20180926003119j:plainかわいそうな「玄武磚」。

残念ながら説明はありませんでした。

 

☟の写真の展示物は「花磚」です。 

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上段一番左のものは「唐代花磚」:1982年 敦煌市新店台墓群から出土

模様がとても綺麗ですよね。

 

 

この磚の上部に展示されているのは、莫高窟大220窟 東方薬師経変楽舞場」(初唐)。☟

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このコーナー、左1/3です。☟

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☝上段の四枚を拡大します!\(^o^)/

これらは四枚一組で、お墓の壁を装飾していました。

 

☟2枚(上の写真の右2枚)

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「双人双馬磚(右)☝/(左)☟」 1995年空港墓群から出土 (唐代)

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商人二人が駿馬に乗った様子を描いた物。

 

☟2枚(上の写真の左2枚)

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「牽駝花磚(右)☝/(左)☟」 1995年空港墓群から出土 (唐代)

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胡人が駱駝を引く様子

4枚一組で、壮観なシルクロードの隊商の様子を表現しています。

 

次のコーナーは、「中国・西方 交通の興隆」です。☟

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☟パネルをご覧ください。(*^-^*)

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「唐玄奘取経ルート図」

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☟、莫高窟壁画のパネル:莫高窟103窟 各国王子聴法図」(唐代)

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前の方でご紹介した「鎮墓獣」ですが、「敦煌莫高窟45窟レプリカ」の隣に、更なる展示があります。☟

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こちら☝は博物館が収集したものです。

「鎮墓獣」2体が展示されている壁にはガラス窓があり、そこから中の様子を見ることができます。☟

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☝☟は、「唐代敦煌墓葬レプリカ」です。

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☝レプリカの中を正面から覗いたところ。

 

そして、第三展示室最後のコーナー「唐代の言語・文学」です。☟

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の説明パネルの写真、ピンボケが激しいので、中国語を参照しながら何とか解読し文字でご紹介します。

敦煌文書には唐代の韻書・字書(漢字の形・音・義を解説した書籍)・句読点が大量に保存されていることから、近代における漢語・文字・発音と語彙・文法、特に語義の発展を研究する上で極めて需要な資料である』

 

上の写真のコーナー前を右に進み、☟の写真の右側を通過し、スロープを前進し、左折して、第四展示室へ向かいます。

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この日、私は閉館時間を調べていませんでした。

しかし!

①中国全土で月曜日が休館日として統一されていること。

②ローカル時間が北京時間より2時間遅れのトルファンでさえ、17時半で閉館だったこと。

③毎週通っている大唐西市博物館も、夏季時間は17時半で閉館。

以上より、敦煌博物館も17時半で閉館なのだと思い、第四展示室の途中で見学を諦めて出口へ向かいました。

実際は、今回の記事の冒頭の辺り、博物館へ入る時の件でお伝えしたように、サービスの良い敦煌では、夏季の閉館は18時半でした。(^^;

 

第四展示室:吐蕃と五代及び宗・元・明代

第五展示室:清代の敦煌

上記の二展示室については、次のブログでご紹介します。(*^-^*)

同じ博物館に繰り返し通うのが習慣化したみたい。

実際、敦煌博物館には3回足を運びました。(笑)

 

第五展示室を抜けると、一階へと降りて行く長い下りの通路があります。☟

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内装工事中のところがあったのですが、それが「範燕燕」というアートシルクのショップでした。(右下)

このショップの本部、大唐西市博物館の3階にあるんです!

大唐西市博物館は芸術体験館のようなところなので、購入希望があれば販売するけれど、基本は見学させてもらう場所。

なので、遠慮なく中に入れます。(笑)

☟の写真はネット上で探した、大唐西市博物館3階の様子。

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最高級のシルクを使用しているというだけあり、スカーフの手触りはとっても滑らか。

安物しか知らない私。(^^;

触ったことの無い気持ちよい手触りなら、高級品ということで。(笑)

布地のデザインには、莫高窟の壁画もあります。

オバマ前大統領婦人からも称賛された他、国内外の著名人からも認められている芸術品だそうです。

思わぬところで大好きなブランドの進出を目にして、ワクワク。

後日、大唐西市博物館で、この敦煌のショップオープンのために商品を発送している様子を偶然見かけ、またワクワク。

遠いはずの敦煌が、すごく身近に感じられました。(*^-^*)

 

こうして、一階まで下りて土産物屋さんへ。☟f:id:shanshanduohuizi:20180831225727j:plain

甘粛省博物館でもそうでしたが、最後に、博物館の発展にお力添えください(土産物屋でお金落して行ってね!)ということ?

ここを通らないと、出口に辿り着けません。(笑)

上の写真は、第五展示室を出てすぐの場所から撮影したものです。

上段の写真の土産物売り場に、日本語がお上手な女性店員さんがいらっしゃいました。

西安の大学で日本語を学ばれたそうです。

その方と暫く日本語でお話をしました。

カシュガルの人民広場で出会った日本人女性とお話して以来です。(*^-^*)

 

 

土産物売り場でお話していたので、18時頃、博物館を出ました。

ここから鳴沙山まで歩きます。\(^o^)/

バスで行ってもよかったのですが、それだと鳴沙山に着いてから日没までの時間が長すぎて、待ちきれないかも・・・・・・。

歩道の両側には街路樹が植えられていて日陰も多少あるし、日も傾き始めて、青空を眺めながらのんびり歩くのもいいかな~と。(*^-^*)

 

博物館を出て「鳴山路」を進み始めて間もなく、進行方向を右手にそれていく小道(合水路)にそって、水路がありました。(18時5分)☟

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水路の遥か向こうに、ちらっと鳴沙山が見えています。(^^)/

「三危路」にある東大橋の下を流れる水路。

そこを流れる水も茶色く濁っていましたが、にも関わらず感動を覚えた私。

この水路にも、もれなく不思議な感動を覚え、暫し佇んでいました。

 

さて、再スタートです!

鳴沙山まで、こんな歩道が続いています。

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少し進むと、右手に敦煌市図書館が見えて来ました。(18時10分)☟

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続いて、18時33分、中学校前を通過。

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小さな博物館のような建物に驚きです!

 

中学を過ぎるとすぐ、「文博路」との交差点を横断。☟

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前方にハッキリ鳴沙山の姿が見えます。

後少し!\(^o^)/

 

交差点を渡ったら、道の名前が「敦月路」に変わりました。

歩道がすっかり日陰になって嬉しい!!(*^-^*)

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青空を見上げながら、のんびり進みます。

 

18時47分、右手に公衆トイレを発見。☟

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一時、テレビニュースで延々報道していた「トイレ革命(厕所革命)」推進の成果?

新しそうなので、ちょっと様子を見てみようと扉前まで行ってみました。

・・・・・・残念。

まだ、使用開始前。

シーズンも終わりかけた今なら、もう解放されているでしょうか?

 

ところで、敦煌では毎日、「敦煌盛典」・「又見敦煌」・「絲路花雨」というショーが上演されています。

「敦月路」に入ってすぐの辺りに「敦煌山庄」というホテルがあって、そこに上述の中の一つ、「敦煌盛典」を上演する舞台があります。

砂漠を背景に、野外スタンドが360度回転し、その都度舞台の場面が変わる仕掛けだそうです。

装置にはCGなども駆使されているとか。

ホテルの人にすごく勧められたのですが気が乗らず、「敦煌盛典」に限らず、私は3つとも見ずに敦煌を後にしました。

なので、上演場所はこの辺りですよ~というご案内だけに止めます。<(_ _)>

 

もうすぐ「ツーリストセンター」に到着です。

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☝の写真の右手。

少し手前あたりからレストランが並んでいました。

歩道を歩く人(私を含め、車道を歩く人も)増えてきました。(笑)

 

19時6分、ツーリストセンターに到着!

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博物館から、約1時間でした。

この日は前日より時間帯が早かったので、センター入り口にはたくさんの観光客がいます。 

私は前日のチケットを顔認証登録しているので、センターには寄らず、直接入り口へ。

その時、初回入園の人たちについて、前日と同じゲートに行っていまい、中に入ることができず・・・・・・。

「前日に顔認証登録したんです!」と訴えると、顔認証対応のゲートは向かって左側へ行くよう指示されました。

そこで、サングラスはもちろん、眼鏡、スカーフも外して、やっと認証OK!!

前日、認証を失敗していたかと焦りました。(^^;

 

前日同様、オレンジ色の靴カバーを借りて準備万端!!!

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中に入ると、眼前を駱駝の隊列がずら~~~~っと。☟

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ずら~~~~っと、前日騎乗した場所から東峰のふもとまで、ほとんど途切れることなく続いていました。 

この日もヘリやグライダーが飛んでいます!

 

この時、私がいたのは、☟のガイドマップの「Mingyue Square(鸣月广场)」。

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駱駝の隊列は、破線のルートの下側を進んでいます。

 

「Mingyue Square(鸣月广场)」から、この日の目標地点を眺望。☟

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素直に整備された道を進むのではなく、迂回して右手にあった湿地帯の右側、砂丘のすぐ際から「登山区」を目指します。☟

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正面の砂丘、下から二本の列が上に向かって延びています。

あれは・・・・・・、砂丘の上から夕陽を見るため、懸命に登っている人たちの姿。

あの辺りが「登山区」です。

 

湿地の水面に鳴沙山が映りこんでいます。

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舗装された道を無視してこのルートを選択したので、当然、足元には砂。

歩きにくいですが、足腰強化のための訓練と思って、歩きます!!(笑)

 

「月牙泉」手前の記念碑に到着。☟

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「月牙泉」の記念碑の近くから、「登山区」を確認。☟

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手前にある、右側のルートで登ることにしました。☟

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登る前にちょっと休憩!\(^o^)/

1997年、初めて鳴沙山に来た時の写真をご覧ください。☟

 

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ここは入口の「騎乗ポイント」でも、「東峰」のふもとでもなく、「登山区」のふもとです。

当時はここまで駱駝に乗ってやって来ました。

東峰」への往復に比べると、乗っている距離が少し短くなりますね。

 

☟も1997年の写真です。

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砂丘と月を映したかったのデス!(*^-^*)

 

では、今回も登りましょう!

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青空を背景に、流れるような形状の雲がキレイ。

 

前方の動きが停止したので、この間を利用して振り返って撮影。☟

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道路を挟んで左側の湿地帯の際を歩いてきました。

 

少し角度を変えて、「月牙泉」方向。

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砂丘の表面、足跡の「ある場所」・「ない場所」がくっきり分かれています。

これは砂丘表面の美観を保つための措置です。

でも、まっさらな砂の上に自分の足跡をつけて、そこで撮影した動画をアップしようとする人は絶えません。

そういう人を見つけては、下からメガホンで怒鳴って止めさせていますが、係り員が登ってまで静止するには時間がかかります。

注意されても、1・2枚撮影するくらいの時間はあるようです。

それから急いで立ち退く・・・・・・、そんな様子を何回か目にしました。

 

「月牙泉」のアップ。☟

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あの塔の下まで行けばよかったのですが、私は上から眺めただけで満足。(笑)

後は下りて、市内に戻るだけ。

 

「月牙泉」まで行かない代わりに、またまた昔の写真を貼らせていただきます。(*^-^*)

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☝これは、1997年6月のもの。

左の砂丘の上に人がいます。

今は立ち入り禁止区域となっている辺りも、当時は開放されていたようです。

 

☟、2000年1月の写真です。

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建物は写ってなく、正に「月牙泉」のみ。

見えにくいですが、寒さで凍り付いています。

 

上の写真に入っていなかったので、建物だけ下からアップ。☟

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砂丘の上より、当然ながら下の方が早く日が隠れます。

出入口に向かっていると、まだ「月牙泉」の塔のてっぺんが少し見える辺りで日没状態に!

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☝の場所で、これでもかと言うくらい何枚も撮影して、大満足。\(^o^)/

 

駱駝の騎乗ポイント近くまで戻って来ました。☟

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☝☟、仕事を終えて、引き上げてくる駱駝たち。(*^-^*)

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お疲れ様~~~!!!

駱駝引きのおじさんたちも、一日中キツイ日差しを浴びながら、歩きにくい砂の上を何往復もお疲れ様でした。m(__)m

 

この時間(20時37分)の、「東峰」方向。

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まだこれから「東峰」に向かう隊列もあります。

前日は、私もまだ「東峰」のふもとにいました。(笑)

 

最後に、もう一度、引き上げて行く駱駝を見納め。☟ 

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楽しかったな~~~。(*^-^*)

夕焼けは綺麗だけれど、沈んでいく太陽というのは何となく物悲しいモノ。

これで駱駝とお別れか~と思うと、夕暮れ時の雰囲気に感化され、ちょっとしんみりした気分になりました。

 

2018年9月30日です。

昨日、WeChatに登録している「鳴沙山月牙泉」公式アカウントで、「入園料調整の通知」が公表されました。

2018年10月1日より以下の通り変更になります。

オンシーズン:110元/一人/回

オフシーズン:55元/一人/回

学生・未成年等の割引はこれまで通りです。

顔認証での2回入園については言及されていません。

でも、値下げなので、サービスが低下することはないのでは???

記事アップ直後の調整なので、念のためお伝えします。(*^-^*)

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前日の反省を踏まえ、この日は少し早めにバス停へ移動。

おかげで路線バス③に最終便に間に合いました。(^^)v

 

③バスで「沙州市場」で下車。

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降りるとそこは「敦煌夜市」の入り口。☟

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この門の内側には、お土産物屋さんがあります。

そこに並んでいる駱駝のぬいぐるみ。

先刻、駱駝との別れを惜しんだばかりなので、ものすご~~~く買いたい!!(笑)☟

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でも、まだ数日滞在するし、慌てなくてもいいや。

写真だけ~~~~。(笑)

この時はそう思って買わなかったのですが・・・・・・。

最終日、他の店では日焼けして色あせていそうなので、結局ここにやって来ました。

すると、何匹もいる駱駝の中で、一番私の目を引き付けた個体がいた辺り、数個分がスカッと抜けているではありませんか!!

ちょうど、すれ違った人が黄色い駱駝のぬいぐるみを持っていました!!

僅差で、お気に入りを持って行かれた~~~!!!

教訓:欲しいと思ったものは、その場で買うべきです。

なんて、今写真で見ると、みんな同じようにかわいいではありませんか。(#^.^#)

 

土産物売り場を過ぎると、夜市です。☟

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21時40分。まだまだ賑わってますね!

 

☟も夜市の敷地内。

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この通りをまっすぐ進むと、初日・前日と夕食を買った饼(ビーン)類を売るお店があります。

更にその先が、歩行者天国。☟

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民芸品のお店の軒先で、彫刻中。☟

 

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許可をいただいて、接近して撮影しました。(*^-^*)

 

歩行者天国の南端、「西域路」の近くの飲食店も、まだまだ営業中。(22時40分)

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この日もまた、フルーツの盛り合わせを購入。

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美味しい果物を食べて、一日お疲れ様でした!(*^-^*)

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

日付変わって、9月28日(金曜日)の深夜です。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます!(*^▽^*)

 

最近、西安は雨がちです。

気温もかなり下がってきて、昨日は日中20度以下の肌寒い一日でした。

晴れてくれると、25度くらいまで上がって気持ちの良いお天気なのですが、毎年、9月は雨が多いのでありました。(^^;

 

そう、私の頭の中は相変わらず7月初旬でも、周囲は秋なのです。(笑)

西北工業大学校内も、大唐西市城も、金木犀・銀木犀が咲き乱れています。

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教室の場所が変わって、通学ルートが少しだけ変わりました。

すると、去年は気付かなかった場所にも、とても大きな木犀があるのを発見。

来年はもう見ることができないので、小さな花が落ちてしまうまで、校内をぐるぐる回って鑑賞したいと思います。

 

そして昨日夜、大唐西市城の広場で、大唐西市城オープン6周年のイベントがありました。

雨が止むのを待って、1時間半以上遅れてスタート。

古典楽器の演奏、子供たちの演技・拳法のデモンストレーション・伝統の楽器を弾きながら西安の方言で歌を歌ったり。

プログラムの合間に抽選もありましたよ。

抽選はQRコード(下の写真・右上)を使って実施。

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私は初めの1時間くらいしかいなかったのですが、その時には、1000元相当(1元=16円換算で16,000円)のスキンケアセット8点の抽選がありました。

景品、かなり気合が入ってますネ。

 

以上、簡単ですが、「現在」の西安でした。(*^-^*)

おやすみなさ~~~い。

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月6日(木)_ 敦煌2日目_敦煌莫高窟・鳴沙山1日目(9/30:鳴沙山入園料変更追記)

 2018年7月6日(木曜日)、敦煌は晴れでした!

 

前日は、朝から一日中空の表情が変わらないままでしたが、この日は朝から爽やかに晴れました!(*^-^*)

朝9時半過ぎ、ホテルを出る前に、1階入り口で外の様子を撮影。☟

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旗が立っている辺りが、前日夜、巨大スクリーンでワールドカップの観戦が行われていた場所です。

朝から人だかりができているようですが、何があったんでしょうね。

早朝のホテル周辺や歩行者天国は、商品が撤去されてがらんとしたお店だけが並んでいます。☟

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☝左下は、「敦煌夜市」内のレストラン。

ここは既に営業中。

朝食を食べに来る人達を待っています。

早朝から夜遅くまで、お疲れ様です。m(__)m

 

この日、私の最初の目的地は「敦煌莫高窟」。

かつて、1997年6月も、2000年1月も、ホテルから直接莫高窟に向かいました。

でも、現在は違います。

莫高窟の見学は、先に「莫高窟デジタル展示センター」に行き、そこの映像館で莫高窟の歴史を紹介する映画や、石窟内の様子を詳細に再現した映像を見た後、専用バスに乗って莫高窟に向かいます。

その映像鑑賞は、チケットを持って「莫高窟デジタル展示センター」に行きさえすれば、いつでも自由に、早い者勝ちで中に入って見ることができる・・・・・・そんな適当なものではありません。

私が映像を見る時間(放映时间)は11:30から。☟

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前日、チケットを購入した際、日本語が話せる窓口の女性から、「あなたが入るのは2号館です。間違えないでね。最低でも、上映が始まる30分前にはセンターに到着するようにしてください」と注意喚起がありました。

莫高窟デジタル展示センター」の映像館には1号館と2号館があるんです。

上映時間11時半の30分前 = 11時までにセンターに到着すればOK。

前日、路線バスの運転手さんから20分弱で到着と教えてもらっていたので、バス乗り場に行くにはまだ早い!

朝食、何にしようかな~と考えながら、「敦煌夜市」から「陽関中路」に出て、「陽関中路を「文昌南路」の方へ散策。

その途中で韮を挟んだ小さな饼「(ビーン)」を食べました。

3元です。(1元=16円で換算すると、約50円)

この日、後々、この朝食がどれだけ大切だっかを痛感することになります。(^^;

 

10時20分過ぎ、「三危路」の「東大橋」の側からバスに乗り、「莫高窟デジタル展示センター」へ出発!

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前日もくぐった、1997年にもあった牌楼の下を通り、バスは「飛天大道」→「陽関大道」と走ります。☟

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10時40分前、バスは道路沿いの「莫高窟デジタル展示センター」駐車場入り口に当たる場所で、私たちを下ろしました。

センター建物は遥か向こう・・・・・・。

日差しを遮るものもナシ。(T_T)☟

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建物の近くまで来ると、入り口前に行列ができているのに気付きました。

 

昨日、私は市内にあるチケットセンターでチケットを購入・発券しましたが、当然、ここ「莫高窟デジタル展示センター」でも購入・発券が可能。☟

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ネットで予約購入した後、入館には紙チケットの発券が必要です。

ネット購入者は、当日、ここで発券することが多いのではないでしょうか?

その際は、発券のための行列に並ぶ時間を考慮する必要があります。

ご注意くださいネ!(^o^)/

センターでは、映像上映の30分までに、窓口に来て発券するようお願いしています。

 

ところで、私は到着してすぐには、あの列に並ばせてもらえませんでした。

なぜなら、上映時間ごとに列を作っていたからです。

私が到着したばかりの時は、11時上映の人たちが並び始めたところ。

列に並ぶために、暫く横の方で待つことに。

幸い、さほど待つことなく順番は回って来ましたが、このことからも必要以上に早く着くと、外で待ちぼうけすることが分かります。(ーー;)

 

やっと入館の順番になり、手荷物の検査を受けて、中に入って来ました。☟

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とても広々とした、立派な建物です。

☝の写真の奥の方は、莫高窟の見学が済んで戻って来た時に通過する、レストランや土産物売り場のエリア。

 

上の写真と反対方向に進むと、上映館エリアがあります。☟

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☝は上映館1号館。

 

2号館の前にやって来ました。

一番乗り!☟\(^o^)/

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壁の掲示板。☟

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上半分に上映に関する注意事項、下半分に上映館の入場状況がリアルタイムで表示されています。

11時10分、11:30上映のグループの入場が始まりました。

総数190人、発券数185枚、デジタル展示センター入館済み人数79人、未入館人数106人。

上映時間に合わせてセンター入館を管理しているので、「当前大厅人数(現在入館総人数)」も分かりますよ。

この時は632人です。

 

上映館に入る前、映像ナレーションの日本語を聞くため、レシーバーとイヤホンが渡されました。☟

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☟が最初に入った場所。☟

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ここで、莫高窟の歴史や文化について紹介する映像《千年莫高》が上映されました。

 

その後、場所を変え、石窟内の精巧な芸術をドーム状のスクリーンに投影する《夢幻佛宮》を観賞。

映像の視点は、私たちが実際には足を踏み入れることができない場所。

まるで自分が石窟の中心にいて、壁画を見上げているような錯覚に陥ります。

流れるように動く映像につられ、自分が浮遊しているような感覚も味わえます。

無重力空間で宙に浮いて壁画を見ているような感じ???

無重力空間の体験なんてないので、あくまで想像ですケド。(笑)

 

すごく迫力があります。

ただ、スクリーンが頭上まである巨大なものの上、その全体に細かな描写の壁画が映し出されると、情報量の多さに視力と脳が付いていかなくなることもしばしば。

どこを見ていればいいのか、分からなくなるんです。(私の場合・・・・・・(^^; )

素晴らしいからと言って食い入るように見るのではなく、ぼんやり眺めているのがいいかも知れません。(笑)

 

映像が投影されていると素晴らしい効果を生むスクリーンですが、投影前だとただの白い壁。

なので写真は撮っていません。(笑)

《千年莫高》・《夢幻佛宮》ともに撮影禁止、上映時間は各20分です。

 

 映像による莫高窟の予習が完了しました!\(^o^)/

これから専用バスに乗って莫高窟に移動です。

 

同じ上映館にいた人たち(発券数とイコールなら、185人)が一斉にバス乗り場へ向かいます。☟

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お手洗いなら、バス乗り場のすぐ側、☝の写真に右手にありましたよ。(^^)/
移動時間は約15分。

 

バスのフロントと内部の様子。☟f:id:shanshanduohuizi:20180831070723j:plain

㊱とあるので、このバスは36号車?

一体、何台稼働しているんでしょうね。

12時20分頃、バス出発!

 

荒涼とした風景の中を、バスは莫高窟に向けひた走ります。☟

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白茶けた地面と丘しかない風景ですが、その上に青い空と白い雲があると、とびっきりステキな景色になります。

私の目にはそう見えます!!(笑)

見学が、昨日でなくてよかった~~~。

 

莫高窟が見えて来ました!!!\(^o^)/☟

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突然ですが、ここで、8月の一時帰国でスキャンしてきた2000年1月の写真をご覧ください!☟

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今年の写真と、ほぼ同じ位置の写真です。

今年の7月の写真では河(大泉河)に水はありません。

ところが、2000年の冬、寒くなる前には水があったのか、河は凍結していました。

氷の上を歩いている人もいましたよ。

☟も、ほぼ同じ場所です。

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☟の今年の写真は、☝の写真の左側辺りになります。

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12時35分頃、駐車場に到着しました。

 

上の写真の橋(莫高新橋)の手前にあった見学案内図。☟

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この場所は、☝のレイアウト図の右端にある莫高新橋の駐車場側(東)です。

 

莫高新橋を渡る途中、橋の両側の景色を撮影。☟

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莫高窟の方へ向かって右手(北)の景色。☝

大泉河、まったく水がありませんネ。

 

莫高窟の方へ向かって左手(南)の景色。☟

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この時間帯、南の空は雲に覆われていました。

前方に、見学終了後に渡る橋が見えます。

レイアウト図には、この橋の名前が記載されていません、何故でしょう?

その向こうの河岸に、円錐や円柱上の建物(?)がありますが・・・・・・。

☟は1997年6月の写真。

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この写真にも円錐や円柱状のものが写っています!(*^▽^*)

見学を終えて駐車場に移動中、橋を渡る手前で撮影したものです。

これらが何か私には分からないのですが、20年以上経過してまだ存在しているのだから、重要なものではないのでしょうか???

私個人としては、保護されていて変わることの無い莫高窟そのもの以外で、周囲の景色の中に変わっていないものを発見することが出来、すごく嬉しいです!(*^^*)

 

さあ、見学スタート地点まで歩きます!!!

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☝の写真の右手に写っている建物は、レイアウト図によると「蔵経洞陳列館」です。

 

見学のスタート地点は、九層楼前。

通路の進行方向左手は綺麗に整備された広場。☟

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豊かな緑と色とりどりの花が植えられ、バスの窓から見えた周囲の荒涼とした景色とは大違い。

 

通路の進行方向右手は莫高窟。☟

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見学客が列を作って石窟から石窟へ移動しているのが見えます。

 

ようやく見えた見学の入り口。☟

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ここに☝辿り着く前に、この列☟に並ばねばなりません。

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最初、私もこの列に並んでいました。

前後にいた広東方面からの団体さんに混ざって見学するものと思っていたんです。

皆さんと同様、解説を聞くためのイヤホンも受け取りました。

その時、何気に「日本語用のイヤホンってあるんですか?」と尋ねました。

石窟ごとのQRコードを読み取り、それにより起動する『録音済み日本語解説を聞くための機器』のようなものが渡されると思っていたんです。

それで内容を補充しつつ、中国語の解説を聞くつもりでした。

ところが、この一言のために私は受け取っていたイヤホンを没収され、一人だけ列から隔離、入り口側のテントの下で待たされることに。

「日本語の解説員をつけるから、ここで待つように」とのことでした。

 

この時、その有難味をまだよく理解していなかった私は、他の観光客が20~25人で一組となり、順調に中に入って行くのを羨ましそ~うに見つめていました。

本心は「早く見学を終えて市内に戻り、何か食べたい。お腹減った!」でした。(笑)

この時、13時を回ったところ。

朝食が少なかったので、もうかなり空腹だったんです。(^^;

目の前で、係り員さんたちが美味しそうに西瓜を食べているのを凝視しながら待つこと暫し。(笑)

20分以上待って、それ以上待ちきれずに催促すると、解説員さんついに登場~~~!!!

若い女性のガイドさんです。

他の日本人観光客を待っていたのかな~と思いましたが、そうではありませんでした。

なんと、私だけのガイドさん!!!\(^o^)/

マンツーマンで、見学スタート!!!

 

残念ながら、莫高窟内部は撮影禁止。

なので外観の写真だけご紹介しますネ。

莫高窟の象徴ともいえる第96窟の九層楼(北大仏殿)から見学が始まりました。☟

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真下からだと、最上階辺りは見えません。

中の北大仏を仰ぎ見た後、外に出て南に移動する前に横から撮影。☟

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ここで、ガイドさんの「記念写真撮りましょう!」の言葉に甘えて、1枚!☟ 

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この後、南の方へ回り、南大仏殿を見学。

そこから九層楼の前に戻り、更に北へ向かって合計8か所の石窟を見学しました。

しましたが、何番の石窟に入ったのか、控えていなかったので覚えておりません。(^^;

 

1997年6月、私は懐中電灯を持参し忘れ、壁画を見たくても自分の見たいところを見ることができませんでした。

ガイドさん及び同じツアーの方が照らしている所しか見ることができなかったんです。

外が強烈に眩しいため、石窟内は一層暗く感じられ、上ばかり向いているとだんだん眠くなってきて、最後は眠気との戦いに。(笑)

その反省を踏まえ、今回はLEDライトを持参したのですが・・・・・・。

現在、石窟内は柔らかな照明に照らされ、懐中電灯がなくても全体を見ることができます!

しかも、私だけのガイドさん!

説明の際に場所を指し示す時は、彼女が持参したライトでゆっくり照らしてくれるので、より見やすい!!

「どこか、見たいところはありませんか?」とありがたい気配りも!

 

マンツーマンには、更なる特典もありました。

場合によっては石窟を独り占め!!!

 

石窟を見学していると、あるルールに気付きました。

一人のガイドさんが石窟内で説明をしている時、他のガイドさんは自分が担当する見学客を連れて中に入ってはならないようです。

それは、グループの人数とは無関係。

当然、私も前のグループが出てくるのを石窟前で待ちましたが、私が中で説明を受けている時は、別のグループも外で待っていたんです。

1グループはおよそ20人~25人。

そんな大人数に入り口をふさぐように中を覗き込まれていると、申し訳なくて「早めに切り上げて出ましょう」と言うこともありました。

でも、見学の時間帯が良かったんです。

私が見学を始めた13時半ごろからは、観光客数が減っていました。

南大仏殿の見学を終え、九層楼前まで戻ってきた頃は、入場待ちの列がありませんでした。

これ、偶然ではありません。

ガイドさんの話では、12時からしばらくの間、映像館の入場者数を少なくしているんだそうです。(確かに、発券数、かなり少なめです)

そのため13時半過ぎると、莫高窟にやって来る見学客の人数が減るとのこと。

私は狙ってこの時間にやって来たわけではありませんが、ついていました!

見学の中盤は、前のグループを待つことなく、次のグループのために慌てることもなし。

のんびり一人で石窟を貸し切り状態。

いい体験ができました!!!\(^o^)/

 

 最後に、16・17窟で「蔵経洞」を見学。

映画「敦煌」を映画館で見た年代の私には、特別興味深い場所です。

前学期、中国人の日本語を学んでいる生徒さんに映画「敦煌」を紹介したばかりだったので、二回目の「蔵経洞」見学ではありましたが、感動もひとしお。

 

最後の石窟、16・17窟の見学が終わると、ガイドさんとはお別れです。

ガイドさん、ありがとうございました!!!(*^-^*)

ここからは私一人、16・17窟の向かいにある「蔵経洞陳列館」に入りました。☟

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中庭にあった石碑と「敦煌蔵経洞陳列館」の額。☟

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陳列館に入ると、最初に展示されていたのは「初期における蔵経洞文物の散逸」

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王道士は蔵経洞を発見後、一部の写本・仏画等を粛州兵備道の廷棟及び当県の官員や地方の名士に贈ったのが、蔵経洞文物の散逸の始まりである。光緒三十年(1904年)三月、甘粛布政司令敦煌県令汪宗翰が現場で点検・封をして保管し、かつ王道士に適切に保管し、流出させてはならないと厳しく命じた。

敦煌文献 - Wikipedia

敦煌文书_百度百科

 

「日本探検隊。敦煌での活動」

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大谷探検隊は、日本仏教の浄土真宗西本願寺の第22代法主大谷光瑞が組織した中央アジア学術探検隊。かつて3回に亘り中国西北部で学術探検活動を行った。1910年から1914年の第三次大谷大谷探検隊のメンバー橘瑞超と吉川小一郎は、1912年初め、莫高窟に八週間滞在し、大量の撮影と調査を行った。また王道士から蔵経洞文物四百点余りを秘かに購入した。

大谷探検隊 - Wikipedia

大谷探险队_百度百科

 

上述の歴史背景の紹介後、☟の展示が始まります。

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展示されているのは各国の博物館に収蔵されている文物の模写です。

一部をご紹介します。☟

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千手千眼観音菩薩図 北宋太平興国六年(981) ギメ東洋美術館収蔵

 

降魔成道図 五代(10世紀前半)  ギメ東洋美術館収蔵

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被帽地蔵菩薩十王図 北宋(10世紀後半) ギメ東洋美術館収蔵

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父母恩重経変相図 北宋(10世紀末) 大英博物館所蔵(スタイン絵画)

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引路菩薩 唐代(9世紀末) 大英博物館所蔵(スタイン絵画)

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敦煌雑文章(2) 唐代  大英図書館収蔵

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15時過ぎ、「敦煌蔵経洞陳列館」の見学が終了しました。

ここは「莫高新橋」の手前にあったレイアウト図の右端に位置します。

ここから小牌坊のある出口まで、少し南へ戻ります。

この頃になると、また石窟の見学者が増えていました。☟

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前方の団体さんの後ろについて、出口まで移動。(*^-^*)

 

途中、石窟外側に残っている壁画を撮影。☟

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小牌坊のある出口に到着です。☟

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振り返ると頭上に天女が!

でも、位置が高いのでよく見えません。☟

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アップにしても、このくらいの大きさ。☟

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それでも、色彩が残っているのが分かります。

8月に帰国した際、ミラーレス一眼レフを購入しました。

望遠レンズとセットです。

7月初旬、これがあったら、上の写真ももっと大きく撮影できたのに・・・・・・。

 

☟は、2000年1月にやって来た時に撮影した、同じ場所の写真です。

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☝☟の場合、小さいから見えないというより、時の流れに色あせてしまい見えなくなったと言うのが正しいかも?

この時の印象、今でもはっきり覚えています。

1997年6月には全く気付いていなかったので、

「あ~~~、こんなところに天女が飛んでる~~~~!!!」

と、興奮しました。(*^^*)

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このまま「大牌坊広場」を直進し、駐車場に向かってもよかったのですが、少し離れた場所から九層楼を撮影したかったので、更に南へ前進!!

九層楼近くになると、入場待ちの列が見えて来ました。☟

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見学前にも写真をアップしましたが、通路左手の整備された花壇。☟

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世界遺産莫高窟は当然素晴らしいのですが、通路を挟んでその向かい、観光客の目を楽しませるために植えられた花々も、ちゃんとその役目を果たしてくれています。

綺麗なので、ついつい写真を撮ってしまいます。(*^^*)

 

15時半前、空腹に耐え、目的の場所に到着しました!!!☟

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☝正面からだと、よほど遠く離れないと、最上階の屋根が入りません。(T_T)

帽子のつば先のように反り返った部分が、辛うじて見えています。

 

☟1997年6月の写真です。

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☟2000年1月です。

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九層楼を背にして右手に、院史陳列館がありましたが、もう気力・体力が尽きたので、このまま帰途に着きます。(ーー;)

 

九層楼広場⇒慈氏塔広場⇒大牌坊広場と移動してきました。

☟は大牌坊広場にある土産物売り場や郵便局。

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昔と比べ、土産物が驚くほどグレードアップしていたのは言うまでもありません。

 

これが、莫高窟側から見た大牌坊。☟

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大牌坊の後方に、橋が見えます。

 

こちらは橋側から撮影した大牌坊。☟

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大牌坊の柱の間、一番突き当りに小牌坊があります。

 

大牌坊の側を通過し、橋にさしかかりました。

橋の上から北側、到着した時に渡った「莫高新橋」を望みます。☟

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ここで、また昔の写真をご紹介したいと思います!\(^o^)/

☟は、まだ橋に差し掛かる前に写した、上とほぼ同じ方角の写真。

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かなり着込んでいるように見えますが、冬場の写真ではありません。

「'97 6 17」の日付が印刷されています。

日焼け防止のため、長袖を2枚も着ていました。(笑)

白く色が飛んでいますが、夏場、大泉河に水はなかったようです。

 

橋を渡り切りました。

振り返って大牌坊と橋を撮影。☟

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2000年1月、上の写真より少し北(右)寄りの場所から、九層楼・大牌坊・橋を碾したもの。☟

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北側より、この辺りの方が水が多かったのか、河面全体が凍っていますネ。

橋を渡った後、更に陳列センターを見学できたのですが、前述の理由によりバスへ直行。

 

バス停に到着すると、今にも発車しようとしているバスに運よく乗れました。

15時45分頃、駐車場出発。

行きとは違い、ぐったりシートに凭れ掛かったまま「莫高窟デジタル展示センター」へ到着。(笑)☟

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16時になっていました。

お、お腹・・・・・・、空いた~~~。

 

到着した場所から建物の中に入って行くと、レストランや土産物売り場がお出迎え。

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ウインドウのディスプレイ、綺麗です!(*^-^*)

 

この後は、敦煌駅方面から来るバスに乗って市内に戻るだけ!!(*^▽^*)

と気楽に考えていたら、この「だけ」 に残っている体力を根こそぎ持って行かれることになりました。(^^;

5分くらいかけて広い駐車場を過ぎり、「陽関大道」に到着。

交通法規を無視して(スミマセンm(__)m)、中央のガードレールを跨いで反対車線へ。(^^;☟

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路肩から少し下りれば、木陰があります。

でも、やって来るバスに気付いて、道に戻るまでにバスが通り過ぎたらどうしよう?

初日の記憶が確かなら、そんなことはまずありえず、運転手さんは停まってくれます。

でも、でも、万が一ってことがあるし・・・・・・。

と、木陰に行く決意ができないまま、路肩でバスのやって来る方を見つめ続けます。☟ f:id:shanshanduohuizi:20180831072542j:plain

日傘があるので何とか耐えられたものの、頭と上半身をカバーすると、西に傾き始めた日差しが太ももから下を直射!

肌が露出している部分はなくても、皮膚がヒリヒリ。

かなり待った後、男女のペアが同じくガードレールを超えてやって来ました。

彼らは迷うことなく、木陰へ。

馬鹿みたいに直射日光の下に立っている私にも、「大丈夫だから下に行こう」と声をかけてくれました。

「3人いれば見過ごされることはないだろう」と、ついて下りた私。

足元の土がもろく崩れて歩きにくいんじゃないかと思っていました。

実はそれが怖かったんです。

乾燥しきった土が砂漠の砂みたいに崩れ落ち、足を踏みしめられず、路肩までたどり着けなくなるんじゃ・・・・・・?

どんな蟻地獄のような斜面を想像していたんだか・・・・・・。(^^;

実際は、表面がほんの少し崩れただけ。(笑)

今写真で見ると、何がそんなに不安だったのかまったく理解できません。

本当に短いスロープなんです。

空腹のあまり、正常な判断ができなくなっていた???

そこで足を取られて大騒ぎしていれば、それこそ目立ってバスは停まってくれたことでしょう。

(ーー゛)

 

日陰でホッと一息と思ったら、すぐに緑色のバスが近づいてくるのを発見!!!

休む間もなく、路肩に戻りバスに向かって合図。

バス発見から路肩に戻るまで何の障害もなく、超余裕でバスを待つことができました。

最初から、木陰で待っとけ!ってことです。(笑)

待ち時間、およそ15分でした。

 

バスに乗り、市内へ!!☟

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敦煌駅から乗車しても、「莫高窟デジタル展示センター」からでも、料金は3元。

この時の私は、現金でしか支払えないと思っていました。

しかし、最終日、空港へ行く途中、同乗していた人が降りる際、入り口上に向けスマホをかざしています。

何をしているのかと思いきや、そこにはQRコードがあり、その人はWeChatで支払おうとしていたのでした。

私は乗車時に既に現金で支払い済みだったので、WeChat払いを試すチャンスはありませんでした。

残念。(^^;

 

16時40分前、「三危路」の「東大橋」へ到着!☟

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この日、バスはこの橋の前で停車しました。

 

前日もバスを撮影しましたが、曇り空の下でイマイチな写り。

青空の下でリベンジです!!!\(^o^)/☟

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ポプラの木陰で順番待ちのバスたち。☟

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青空の下なら、水路の濁った水まで綺麗に見えてしまう私の目。

シルクロード愛のなせる業です。(^^;

 

ついに、市内に戻りました!

もう17時前です。

僅かな朝食を10時前に摂って以降、摂取したのは水分のみ。

本当に、もう限界・・・・・・。

莫高窟見学は、「莫高窟デジタル展示センター」で映像鑑賞待ち時間30分以上、映像鑑賞40分、バス移動往復30分、莫高窟見学約180分。

途中の徒歩移動等も含めると、「東大橋」出発・「東大橋」帰着で、この日の所要時間は6時間20分。

シーズン中の見学時間帯は8:00~18:00なので、昼食後すぐに「莫高窟デジタル展示センター」へ行くパターンなら、夕食までに戻って来られると思います。

でも、それ以外の時間帯なら、おやつ持参か、センターか莫高窟の広場にあるレストランで何か食べた方がいいかも知れません。

 

バス乗り場から下の地図で「三危路」を左に進み、「文昌南路」を渡ると、地図上にはありませんが、市場内の通路を通って「敦煌夜市」まで行けます。☟

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でも、空腹すぎて油の多い中華を食べる気になれず、思い浮かんだのが「文昌南路」と「陽関中路」の交差点近辺にあったパン屋さん。

一たびパンを思い浮かべたら、体が勝手にそこへ向かって動いていました。

交差点には、「陽関中路」側の左右それぞれに、一軒ずつパン屋さんがあります。

前日夜の市内徘徊でチェック済みです!

この日は道を渡る手間を惜しみ、「敦煌夜市」側のパン屋さんに直進しました。(笑)

そこで買ったパン。

店内の椅子に座り、一口かじってから思い出したように記念撮影。(☟左上)

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このパン屋さんが、またしても「愛的礼物」のチェーン店だったのは、本当に偶然。

前日は店の名前まで確認していませんでした。

蘭州で買ったのと同じ商品を見つけ、「あ~~~!!!」となったワケです。

中華の脂っこさは受けつけないのに、生クリームは平気なのか?

それは愚問というもの。

全く問題ナシです。✌

 

お腹に物を入れ、一息つきました~~~。

「陽関中路」を紫に塗った歩行者天国へ向かい、開店準備をしている民芸品店の様子を見ながらホテルへ戻りました。

ホテル手前で、水分補給も兼ね、昨夜も購入したフルーツ盛り合わせを再購入。

昼間はお客さんが少ないようで、店員さんも一人で対応。

フルーツ屋さんの後方に、黄地に赤文字の看板が見えます。

そこが宿泊ホテル「緑洲島酒店」です。

フルーツの盛り合わせ、大きさを実感していただくため、ホテル室内の電話とツーショット。(*^-^*)

メロンが美味しくて、ハマってしまいました。(笑) 

 

この後、しばし休息。

旅行日程の変更を検討。

もとの計画では敦煌の後、2000年1月同様、嘉峪関、酒泉、張掖、武威と、甘粛省の都市を列車移動する予定でした。

でも、新疆での列車移動で思いの外疲れてしまい、頻繁に列車を利用するのが面倒に。

落ち着いて考えると、新疆だったからあんなに安全検査が何回もあって面倒だったんです。

前日、敦煌に到着した時に分かったように、甘粛省なら駅から出る時までチェックを受けるような、そんな煩わしいことはありません。

わざわざ買い換えた軟臥(コンパートメント式寝台席)の特典、VIP待合室が使えなかった・・・・・・。

それはトルファン駅に限っての問題。

この先利用する予定だった駅が、同じ状態とは限りません。

それに、この後予約していたのは硬座か硬臥で、どのみちVIP待合室とは無縁。

でも、買ったばかりのリュックは、汚れた荷物検査のコンベアと、コンベア入り口上部からカーテンのように垂れたゴムのビラビラ(笑)のせいで、縁の部分が真っ黒に変色。

あのコンベアを思い浮かべただけで、憂鬱に・・・・・・。

あ~~~、どうしよう???

と悩んでいたら、敦煌西安行き飛行機で安いチケットを発見!

敦煌滞在日数を増やして、西安に直接帰ろう!!

と、考えをまとめた所で、敦煌2日目夜の部の行動を開始しました。(*^^*)

 

18時半頃、ホテルを出発!

まずは歩行者天国の方向(西)へ進み、そこから更に前進。

反弾琵琶伎楽天像から南に延びる「沙州南路」へ出て、バスの進行方向の南側(地図だと下)へ歩くと、「中医院」というバス停に到着します。

ここから路線バス③に乗って、終点の「月牙泉」へ!☟

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中医院」から「月牙泉」までは2元(1元=16円で換算すると、約30円)、乗車時間は約15分でした。

 

バスの中から撮影した「鳴沙山」。☟

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19時少し過ぎ、終点に到着。

終点は土産物売り場が並んでいる通りの途中にあります。

そこから徒歩で「旅客中心(ツーリストセンター)」へ。

向かう途中、道の真ん中で、バスに乗ってやって来た方向を撮影。☟

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これより先は車両通行止めなので、車がやって来る心配はありません。(笑)

振り返って、鳴沙山を撮影。☟

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急カーブでうねる砂漠の稜線が・・・・・・、う、美しい~~~~!!!

砂漠の上、雲の中、地さな黒い点があります。

カメラのレンズにゴミが付いていたのではありません。

観光用のヘリが飛んでいるんです。(*^^*)

 

ツーリストセンターです。☟

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ここでチケットを購入。

一人1枚、120元。(1元=16円で換算すると、約2,000円)☟

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開放時間(チケット販売・入園時間):

今年の6月10日~8月19日:

5:00~20:30(6月4日通知)

今年の8月20日~次に通知があるまで:

6:00~19:30(8月14日通知)

日の出・日の入りを見るために鳴沙山を訪れる観光客がとても多いので、その時間に合わせて調整しているようです。

私は7月6日・7日に遊びに行ったので、5:00~20:30に期間に該当します。

 

このチケット、帰る時にきちんと登録を行っておけば、発券から3日以内であれば、もう一度入れるんです!!!

『チケットは購入日から3日間有効。二度目の入園を希望する場合、観光地を出る前に入出園口で指紋の登録をお願いします。指紋未登録のまま観光地を出られた場合、このサービスを受けることはできません』

チケットには☝のような注意書きがあります。

登録方法は、2017年の五一節から「顔認証」に変わっています。☟

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☝左は再入園の際に通過するゲート。

☝右は、初回、園を出る前に顔認証登録をする設備。

 

敦煌、なんて良い観光地なんでしょう!

更に、ここでも学生証さえあれば半額で済みました。(T_T)

学生証持参で60元のチケットを買えていたら、1回につき30元!

これなら滞在中、4回くらい通ったのに・・・・・・。

敦煌のサービスの良さに驚くとともに、学生証を持って来なかったことを一層後悔。

 

ちなみに、窓口では現金かカードでしか支払いができませんでした。

ただ、ツーリストセンターの建物壁に、「WeChatでのチケット購入」案内とQRコードが貼付されていたので、WeChatでも購入できるのではないかと思います。

 

ここでちょっと割り込みます。(^_^)/

本日は2018年9月30日です。

昨日、WeChatに登録している「鳴沙山月牙泉」公式アカウントで、「入園料調整の通知」が公表されました。

2018年10月1日より以下の通り変更になります。

オンシーズン:110元/一人/回

オフシーズン:55元/一人/回

学生・未成年等の割引はこれまで通りです。

顔認証での2回入園については言及されていません。

でも、値下げなので、サービスが低下することはないのでは???

記事アップして間もなくの調整なので、念のためお伝えします。(*^-^*)

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 話、元に戻します!(*^-^*)

 

この入園料、1997年6月はツアーだったの個別の料金は分かりません。

2000年1月は、「入場料と駱駝の料金合計50元」と言うメモが残っています。

当時の「地球の歩き方」には入園料20元、駱駝往復50元とあるので、オフシーズン特別料金?

 

記念写真を撮っていた方にお願いして、私も記念撮影。☟

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19時半を過ぎ、日差しも弱まって来ましたが、砂埃対応のため、マスクは必須です。

 

この後、入園口ゲートを通過し、そのすぐ側で「靴カバー」を借りました。

15元です。(1元=16円で換算すると、約250円)☟

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靴の中に砂が入るのを防ぐため、靴を履いたままソックスのように履いて、膝下をひもで結びます。

材質は、防水の布のような感じ?

むこうずね部分が着物の襟のように重ね合わせ式になっているのは、足の太さの違いに対応しているんだと思います。

プラス、通気性をよくするためもあるのかも?

とあるご一家が、持参された雨天用の膝下まである透明ナイロン製靴カバーを履いているのを見かけたのですが・・・・・・。

ナイロンの内側に、汗による水滴がびっしり。

私はこの靴カバーのおかげで蒸れを感じることなく、砂丘の上り下りでも靴に砂が入ることもなく、快適。(*^-^*)

ホント、全然入っていませんでした。

おススメです!!!\(^o^)/

 

準備万端、鳴沙山に入ります!

入り口の記念碑と門。☟

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オレンジの靴カバーを履いた人の姿が見えます。(*^-^*)

 

門のみ。☟

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そして、2000年1月にやって来た時の門!☟

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鳥居のような門の後ろに、現在も存在している門があります。

2000年時の門は、横の壁に案内のような看板が見えますが、今は背後の鳴沙山と同じ色で塗り直されていますネ。

路面は比べようもないほど、ガタガタ。

そして何故か門の真正面に、緑色の郵便ポストが!

WeChatのモーメンツで、一瞬にして多数の友人に自分の体験や感想を伝えることができなかった18年前。

ネットでメールを送るにも、一般人ならネットカフェに行くのが当たり前だった時代。

旅行の記念に絵葉書等を家族や友人に送るため、ポストが設置されていたのかも。

 

門を通って中に入り、鳴沙山での一番の楽しみ、駱駝を探しました!☟

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駱駝が集まっている方へ歩いて行くと、チケット販売をしている人たちが「窓口はあちら」と教えてくれました。

駱駝の群れからはちょっと遠のくので面倒ですが、チケットを買わないと乗れないので、しかたなく窓口へ向かいます。

料金は100元。(1元=16円で換算すると、約1,600円)

 

駱駝は5頭一組で編成されているようで、男女の4人組が窓口であと一人のメンバーが来るのを待っていました。

その人たちと一緒に、駱駝のもとへ。☟

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たくさんいます、かわいい~~~!!!(*^▽^*)

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ところで、1997年、初めて鳴沙山に来て駱駝に乗った時、その足元は駱駝の糞で足の踏み場もないほどでした。

旅の初め、カシュガルのエイティガール寺院前の広場で馬車を牽いていた馬には、糞を受ける籠のようなものが取り付けてありました。

それを見た時、鳴沙山の駱駝はどうなっているのかな~?と気になっていたんです。

で、観察してみたのですが、今年はあまり見かけませんでした。

係りの人がこまめに回収しているんでしょうか?

  

ちなみに、こちらは2000年1月、真冬の様子。☟

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駱駝に乗って移動中、柵の中で寒そうに待機している2頭を見かけました。

この時、私は柳園駅から敦煌までの長距離バスの中で知り合ったおじさんと一緒に鳴沙山に来ていました。

稼働中の駱駝2頭、待機中の駱駝2頭、計たったの4頭。

寒さのせいでめったにやって来ない観光客のため、交代で当直対応?

寒い中、ありがとう!!(*^-^*)

 

現在は、こんな感じに一列になって進みます。☟

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出発前に、チケット裏にあったガイドマップを参考に、ルートを確認しておきましょう。(*^-^*)☟

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右下の黄緑色の四角が、駱駝乗り場です。

そこから点線で描かれているのが、駱駝が歩くコース。

往路は下側の点線で進みます。

左上が鳴沙山の東峰

その少し下で、駱駝から降り、希望者は峰の上まで歩いて登ります。

復路、ガイドマップの点線は乗車ポイントまで続いていますが、実際には矢印の位置で駱駝を降りることになります。

 

では、出発です!!\(^o^)/

右端で駱駝を牽いている黒い帽子を被った男性が、私が参加しているグループの係り員さん。☟

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私の駱駝が先頭でした。

自分の影を写してみました。(^^)/

 

この係り員さん、安全管理が非常に厳しく、片手で鞍の端の取っ手を握って、もう片方の手でカメラを構えているのが見つかると、「両手で掴め!」とものすごい形相で怒鳴られました。

それはもう、何回も!

影で私の動きを見ているのか、カメラを構えると振り返るんです。(笑)

駱駝を驚かさないよう、自撮り棒禁止、突然大声を出さない等の注意は十分理解しています。

でも、坂道ではない平坦な場所を進んでいる時まで、鞍の取っ手を両手で握りしめ、一時も放すなと言われても、それは無理な相談ではないかと・・・・・・。

1997年に乗った時なんて、片手にカメラ、もう片手にビデオカメラ。

ほとんど全行程、両手を放して乗っていました。

2000年も、こんな感じです。☟

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これを撮影してくれたのは、当時、駱駝を牽いてくれた係りの方。

フィルムの残数が心配になるくらい、駱駝を何度も立ち止らせて写真を撮ってくれました。(笑)

 

写真と言えば、今年の係り員さん「ここが撮影ポイントだ」と駱駝を停めました。他のグループもその場所で楽しそうに写真撮影をしています。

撮影しているのは、そのグループの係り員さん。

私と同じグループの若者4人は写真が撮りたかったんでしょうね。

仲間の一人は、かなり本格的なカメラを持って来ていたくらい。

今、中国の若者はWeChatのモーメンツで知り合いに見せるだけでなく、動画を「Tik Tok」(抖音短視頻/ティックトック)へアップすることに熱狂しています。

でも、駱駝から下りて撮影はできない。

そこで、係員さんに写真の撮影をお願いしました。

すると、「一人、20元!」と言われ・・・・・・、誰も頼みませんでした。(^^;

 

その若者たちの一人、私のすぐ後ろの駱駝に乗っていた女の子。☟

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写真を撮って、WeChatで送って欲しいと頼まれました。(笑)

この写真、平坦ではない場所でも手を放し、しかも振り返って撮影していますが、この時、隊列は停止していたんです。(念のため)(笑)

 

またまた2000年1月の写真。☟

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駱駝の口元のご注目ください。

吐く息が真っ白!

朝早い時間帯だったので、気温は氷点下でした。

2000年1月の手放しは、金属の取っ手があまりに冷たく、触りたくなかったのもあります。(笑)  

 

駱駝の往路はここまで。☟

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駱駝を降り、東峰に向かって半分砂に埋もれた階段を登りました。

5人のグループの内、登ったのは私ともう一人、男の子だけ。

彼はそりで滑って下りたかったようです。

私は2000年に登った場所まで行きたかったのでした。

 

上の写真の駱駝たちの休憩場所から、視線を少し左上にスライドさせると、こんな風景。☟

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鳴沙山が終わり、そこからはオアシスの緑が広がっています。

 

ほぼ同じ位置、2000年1月の景色。☟

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冬場なので、緑がなく、空の青以外、全て白茶けています。

東峰の稜線は18年の月日が経過しても、ほとんど変わっていませんね。(*^-^*)

 

☟2枚は、今年の東峰からの景色です。

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☝☟どちらにも、ヘリが写っています。

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上空から、砂漠に沈む夕日が見られるなんて、羨ましいな~。

 

今年は、ここから歩いて下りました。

靴カバーがあるので、砂が入る心配は無用!

一歩一歩踵から着地させ、滑るように下りるのが楽しかったデス。(*^-^*)

 

  

下まで下りて来ました。

こちら☟が、私が乗った駱駝と、彼(彼女?)の瘤です。(*^-^*)

 

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当然なんですが、駱駝の見た目にもそれぞれ個性があって、私が乗った駱駝は頭に髪の毛がふわふわ生えていました。

背中へ続く部分の毛や、顎から胸の部分も、みんなそれぞれに特徴があって、見ていて飽きません。

西安に戻ってから、大唐西市博物館で駱駝の展示物を見ると、それらにもそれぞれの個性があるのに気付き、驚くとともに、これまでどこ見ていたんだろうとショック。(笑)

 

この瘤、駱駝の歩みに合わせて左右に揺れるんです。

このことは、5月末、西北工業大学が留学生を連れて行ってくれた、舞台劇の鑑賞で気付いていましたが、目の前で揺れると・・・・・・!

たまらなく、かわいい!!!

驚かさないように、指先で軽く「ちょん」と触ってみました。

勝手な想像で、水が詰まった水袋みたいな感触だろうと思っていたのですが、全然違う!

昔家で飼っていた猟犬の肩をなでた時と同じような、しっかりした弾力でした。(笑)

 

それから何時間も経って部屋に戻り、指先が鼻に近づいた時・・・・・・。

驚きです!

ま~だ、駱駝の臭いがする!!

しかもすっごく臭う!!!

何回も手を洗っているにも関わらず・・・・・・、です。

この臭いも想像外でした。(笑)

 

そりで滑って来るグループの仲間を待つ間、もう少し、駱駝を観察。☟

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みんなぐったり。

昼間、何度もこのルートを往復してるんでしょうね。

ありがとう、お疲れ様デス。(*^^*)

 

全員揃い、帰途に着きます。

20時40分、そろそろ日没時刻がやってきます。

鳴沙山が夕日に薄い赤色に染められて、とっても綺麗。☟

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日差しの方向から、振り返って撮影するのが一番キレイだったんですが、振り返ろうとすると係り員さんに怒鳴られ、結局、一番撮りたい風景は撮り損ねました。(T_T)

 

今にも沈みそうな太陽。☟

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ここが、ガイドマップに矢印で示した、駱駝を降りるポイント。☟

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この道、右へ行けば出入り口の門へ、左に行けば月牙泉へ到着します。

観光の順番として、

①入り口近くに乗車ポイントがある駱駝に乗り東峰へ。

東峰から戻り、月牙泉及び登山エリアへ。

このコースを選択する人が多いのだと思います。

 

でも、私は出入口方向へ。

それを見た係り員さんが「月牙泉には行かないのか?」と尋ねたくらい、一般的なコースなんだと思います。

 

私が月牙泉方向へ行かなかったのは、既に太陽が沈んでしまったから。

登山エリアを登って、沈む夕日を見たかったんです。

なので、翌日、出直すことにしました!(*^▽^*)

せっかく2回入園できるんです。

有効活用しなくては!!

 

出入口の門の方へ戻りながら、暮れていく空を背景に、仕事を終えて引き上げていく駱駝の隊列をひたすら撮影。

その中で、一番のお気に入りがこちら!☟

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この時刻(21時15分頃)の登山エリア。☟

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残照に照らされ、まだ少し淡いピンク色。

人がたくさんいますネ。

 

☟は上の写真の左側。

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写真の右手に、登山エリアに登っている人たちが見えます。

左手には、東峰があります。

 

出入口の門の外まで戻って来ました。

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9時半前、門の前の広場のライトが点灯していました。

 

 

こちらは、1997年6月の日没頃の様子。☟

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手前の空き地、今は駐車場や土産物売り場になっている辺りかな?

 

出入口のゲートへと向かう途中の空。☟

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赤く染まった雲がキレイ。

 

左手の建物前には、駱駝に乗った観光客全員の個人写真が並べられています。

一人1枚、20元。(1元=16円で換算すると、320円)

買う買わないは、個人の自由。

でも、そこで写真を探している女性が言っていました。

「この写真は、写りの良し悪しに関係なく、記念に買って帰るわ!」

正にその通り。

だって、駱駝は一列に並んで進んでいるんです。

自分が駱駝に乗っている姿を斜め前から写した写真なんて、連れがいてもまず撮れません。

一人で来ている私には、まったく不可能。

時間をかけて、私も大量に並べられている写真の中から自分を探しました。(^^)v

それが、これ。☟

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人相、ほとんど分かりません。(笑)

下側は、2000年1月の記念写真です。

一人で写っているものもありますが、このおじさんとは洛陽で再会したりと縁があったので、二人で写っているものを。(*^-^*)

 

その後、出入口のゲート手前で「靴カバー」を返却。

そしてゲートの横で顔認証登録をし、鳴沙山を後にしました。

 

バス停へ向かう途中の土産物屋。

21時半を過ぎても営業中。☟

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早朝から夜遅くまで、お疲れ様です。m(__)m

 

お疲れ様と言えば、鳴沙山・月牙泉の管理処で働いている方々。

この時期、朝は5時開園。

日の出を見ようと、早朝からやって来る人はたくさんいます。

夜は20時半でチケット販売・入園は終了しても、中で遊んでいる人はまだたくさん。

私も21時過ぎてやっと出てきました。

都会から遊びに来た人なら、日頃見ることができない満天の星をゆっくり見てから帰るかもしれません。

最後の一人が無事に園内から出るのを見届ける責任がある管理処の夜間担当(?)の方はいつ仕事が終わるんでしょう?

観光客には非常にありがたい対応、ありがとうございます!

 

と、鳴沙山は21時過ぎても遊んでいられたのですが、私が路線バスの停留所に到着した時、最終便は既に出てしまった後。(笑)

「西域路」と「文昌南路」の交差点まで、タクシーで戻りました。

約10分、13.5元です。(1元=16円で換算すると、約220円)

 

そこから、ホテル近くのワールドカップを放映している広場や、歩行者天国を散策。☟

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ついでに、前日の夕食を買った「敦煌夜市」の端にある饼(ビーン)類を売っているお店で夜食を買い、22時過ぎ、ホテルに戻りました。(*^-^*)

 

💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛

 

やっと、7月6日の記事が終わった~~~!

ここまで読み進めていただき、ありがとうございます。

日付変わって、現在は9月15日の深夜です。

西安はすっかり秋モード。

でも、私の頭の中は真夏。(笑)

敦煌篇、内容の多少の差はありますが、後4日分残っています。

季節外れの写真ばかりになりますが、よろしければ、気長にお付き合いください。

m(__)m



 

 

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月5日(水)_敦煌1日目_敦煌駅・莫高窟見学チケット購入・敦煌夜市

この記事の書き始めは2018年9月6日(木曜日)。

朝、CCTVニュースチャンネルを点けると、台風被害による関空の様子や、北海道地震を報道していました。 

台風21号の被害に驚き、胸を痛めていたら、もう次の災害が発生していて、ただただ、驚愕しています。

この夏、日本はどんな巡り合わせにあるのでしょう?

自然災害、頻発しすぎ・・・・・・。

お亡くなりになった方々のご冥福と、負傷なさった方々の早期快復と、各種インフラの迅速な復旧、被災地の皆様の生活の早急な回復を心よりお祈りいたします。

阪神・淡路大震災発生時、電力会社に勤務していたので復旧作業がどれだけ大変かよく分かります。

電気だけでなく全ての分野で、それぞれの専門家の皆様が不眠不休で復旧を急がれていると思います。

ありがとうございます。

どうぞ、皆様ご自身のご健康状態にもご留意ください。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

では、2018年7月5日(水曜日)に戻ります!!(*^-^*)

貸し切り状態で乗った軟臥(コンパートメント式寝台席)。

深夜3時頃停車したハミ駅で、若い男性が一人乗り込んできました。

彼は荷物を私のベッドの下に押し込み、直ぐに上のベッドへ上がって就寝。

そういう時間帯ですよね。

それをぼんやり寝ぼけながら見て、私も眠りに落ちました。

 

そして、朝。

トルファン駅に向かっていた時は、到着時刻が7時45分くらいだったので、6時15分に起床。

今回は到着予定時刻が9時54分。

出発が1時間半も遅れたので、更に遅くなるはず。

なのでゆっくり起きても良かったのですが、今回も日の出が見られるかな?と思い6時半には起きてしまいました。(笑)

でも、よく考えると、トルファン手前の日の出が6時半前でした。

そこから東に移動しているので、日の出時刻はもっと早くなっているんですよね。

それに、この日は曇り・・・・・・。☟

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すっかり夜は明け、雲に覆われた空は灰色。(^^;

青空がないと、テンション上がりません。

でも、これで写真に気を取られることなく、ゆっくり朝の支度ができました。(笑)

 

さらに時間があるので、切符預かり証(换票证)の記念撮影。☟

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一緒に写っている葡萄は、「西域葡萄庄園」で植えられていたもの。
管理人さんのお母さんが、お別れの際に一房プレゼントしてくれたものです。
まだ成熟には早い季節だったので、ちょっと酸味が強め。
でも、甘味も抜群!
すっぱいものが好きな私には、ちょうどいい甘酸っぱさでした。

 

外を見ていると、白い風力発電のプロペラがクルクル回転。 

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他にも、色んな景色を見ることができました。☟

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青空だったら、どんなに綺麗だったでしょう・・・・・・。(T_T)

 

さらに暇を持て余し、硬臥の車両の方へ遠征。☟

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よく見ると、上段・中段はほとんど使われていません。

この列車はウルムチ発。

途中、ウルムチ南・トルファン・ハミ・柳園と停車して、敦煌に到着する「ウルムチ敦煌」の観光列車なんです。

シーズン前だから、ガラガラってことでしょうか?

これなら軟臥じゃなく、こっちでもよかったかも?(笑)

硬臥の洗面台も、がら~~んと、誰も使っていませんでした。(笑)(笑)☟

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さらに、硬臥車両から軟臥車両に戻り、そこを通り越して次の車両へ行くと、そこは食堂車。☟

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中を撮影したかったんですが、乗客ではなく、乗務員さんが朝食中。

撮影はダメと言われ、残念。(^^;

 

トルファン駅の段階で、1時間半遅れだったこの列車。

途中、小さなローカル駅で何度も停車していました。

こんな駅です。☟

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多分、その停車時間を短縮したんじゃないかと思うのですが、定刻なら9時54分着の所、約40分遅れまで巻き返し、10時半過ぎ敦煌へ到着~~~!!!\(^o^)/

 

敦煌駅のホームです。☟

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乗客が少なかったので、ホームを歩いている人も少な~い。

 

みんなに置いていかれそうになりながら、私は乗って来た列車を撮影。☟

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乗車時は真っ暗、途中の停車駅も寝ている間に過ぎてしまったので、ここで撮らねば、もうチャンスはありません!

 

そして、こちらは隣のホームの線路の向こう側に停車していた「蘭州-敦煌」を結ぶ観光列車。☟

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さすが、敦煌~~~!

西からも、東からも、旅行客の便宜を図る列車が用意されてるんだ~と納得し、カメラをしまってホームに視線を戻すと、もう、みんな出口に向かう階段を下り始めていました。

取り残されると不安。

ダッシュで追いかけ階段を見ると・・・・・・。

トランクを引っ張るためのスロープがあるにはあるけど、角度、急すぎ!!☟

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②④の赤いトランクを持った男性、最初はこのスロープを利用しようとしていました。

でも角度が急すぎ、トランクが先に転がっていくのを引き留める方が大変。

結局、手で下げて下り、そして上っていました。

私も同様です。(^^;

 

やっと、階段を上り切った~~~!!!☟

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天井も壁も、敦煌らしい装飾ですね。(*^-^*)

このすぐ先が、改札出口。☟

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自動改札機にはシートがかかったまま。

駅員さんに切符を見せて通過しました。

ここではもう、荷物や人間のX線検査もなければ、パスポートを提示する必要もありません!!!

それだけで、すっごくストレス軽減です!!!

新疆ウイグル自治区の管轄から出たんだな~と、実感しました。(笑)

 

改札を出た場所から、駅前広場を撮影。☟

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このどんよりとした空の色。

ホームに降りた時にも感じましたが、肌寒い!!!

この時の気温は21度でした。

 

さて、どうやって市内に移動しよう???

視線を少し右に動かすと、緑色のバスが停まっていました。☟

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私もみなさんの後について、移動開始!

 

バスに乗る前に、敦煌駅・市内等の位置関係を把握しておきましょう!\(^o^)/ 

☟2枚の地図を参考にしてくださいね。(^^)/

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バスに到着すると、ほとんど満席。

トランクを持ち上げ乗り込もうと努力していると、先に乗っていた欧米人と思われる若者が、サッとトランクを引き上げてくれました。

これくらい、自力でなんとかせねばと思っていたので、思わぬ手助けに感激!

奥の方に1箇所席が空いていましたが、窮屈そう。

トランクは運転席と助手席の間のすぐ後方に、他の方の荷物と一緒に置かれました。

そこで目を付けたのは助手席。

他の席と隔絶した助手席なら、他の乗客から圧迫されることナシ!

この日は曇っていたので、直射日光を浴びる心配も不要。

事故の際に危険度が高まるかまでは気にしていません。(笑)

荷物の様子も分かるし、ちょうどいい!

助手席の後ろに置いてあった補助椅子のようなものを跨ぎ超えて、助手席へ着席しました。

その位置から撮った、フロントガラスに貼られたバスの運行区間。☟

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近すぎて、文字が全部は入り切りませんでした。(笑)

「市区⇔火车站(駅)」とあり、その中間に、「莫高窟数字展示中心(莫高窟デジタル展示センター)」と入っています。

 

☟は車内にあった路線図。料金は3元。(1元=16円で換算すると、約50円)

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左が「市区」。

見えている部分の右端から「莫高鎮」・「飞机场(飛行場)」・「駅(火车站)」となっていますが、「莫高鎮」まで行くのかは謎です。

最後の日、私は飛行場までこのバスで移動しました。

ただ、飛行場まで乗っていたのは私だけ。

その後、バスは前進せず、Uターン。

おそらく、乗客待ちのため、敦煌駅に戻ったと思われます。

このことからも、敦煌駅から乗車して市内への移動はスムーズでも、飛行機で敦煌に到着した場合には、このバスの利用は難しいんじゃないかと思われます。

 

バス、出発!!

走り出して直ぐ、観光客を出迎えてくれているような牌楼をくぐります。☟

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西安で、こういう様式の屋根は見慣れているハズなのに、やっぱりワクワクします。

敦煌に着いた~~~!!!

実感が、沸々と湧いてきます。(*^▽^*)

 

莫高窟デジタル展示センター」が近くなってきました。☟

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左手が「莫高窟デジタル展示センター」です。☟

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まずここで映像による予習(?)を受け、その後、専用のバスに乗って莫高窟に移動します。

路肩を歩いている女性二人は、市内に移動するためにこのバスを待っていました。

よくあることのようで、運転手さんも心得たもの。

一時停止し二人を回収して、再出発!

 

綺麗に整備された「陽関大道」を前進!

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今進んでいるのは「飛天大道」。

遠くに見えているのは鳴沙山です。☟

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☝の看板の位置で左折します。

 

あの木の陰からチラッと見えている牌楼!!!☟

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「飛天大道」に入る前に走っていた「陽関大道」は、整備され過ぎ昔を偲べるような部分がありませんでした。

でも「飛天大道」に入った頃から、なんとなく眼前の景色が昔の記憶とダブり始めていたんです。

前方に見えた、鳴沙山もその一つ。

そして、上の写真にある牌楼を見た瞬間、完全に記憶が復活!!!

1997年に初めて来た時にも見た、牌楼~~~~!!!

当時、周辺には何もなく、あの牌楼だけがド~~~ンと建っていたんです。

運転手さんに確認すると、あれは昔から変わっていないとのことでした。

 

まだバスを降りてもいないのに、敦煌駅到着から30分。

既に興奮MAX状態です。(笑)

 

あの牌楼をくぐったら、バスの終点は目と鼻の先です。☟

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☝の地図の右端真ん中辺りに、緑色で塗っている部分があります。

それが、この☟水路の側です。 

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何台もここに停車して、出発を待っています。

 

この日、私がバスを降りたのは、このバスがたくさん停車している場所の前ではなく、もう少し先の「文昌南路」とのT字路手前、☟の写真の矢印の位置でした。

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赤い矢印の位置には、バスの運行に関する看板があります。☟

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赤丸が付いている「丝路怡苑(絲路怡苑)」は、この道の向かいにある(看板の後ろに壁が見えています)ホテルの名前です。

出発時間が8:30~15:30となっていますが、運転手さんに尋ねると、朝6時半~19時頃まで、約20分間隔でバスが出るそうです。

 

ただ、駅方面から市内に入って来たバスが停車する場所は、運転手さんによってこの看板の前だったり、出発するバスが停車している前だったりと異なっていました。

 

ここから、小さなトランクをコロコロ引っ張って、宿泊先の「緑洲島酒店」へ!

上の地図のおよそど真ん中、黄緑色の四角で囲ってあるのがこのホテルです。

バスを降りた地点から約300メートル。

文昌南路をほんの少しだけ南に進み、道沿いのお店の方に尋ね、すぐに敦煌夜市商業街エリアに入りました。

ホテル周辺一帯は、車両侵入禁止エリアです。

エリア内の細い通りの両側には、商店やレストランずら~っと並んでいます。

その通りをキョロキョロ、スマホの地図と現在地を確認しつつ進むと、拍子抜けするほどあっけなく、到着!

さすが、アプリが「3分で到着できるよ!」と教えてくれていただけのことはあります。(*^▽^*)

 

☟は「緑洲島酒店」の写真。

 

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1階入り口の中は、エレベーターホールががあるだけです。
2階にフロントと客室があります。

 

このホテルに宿泊することにしたのには、ちょっとした訳があります。

最初からここを予約していたのではないんです。

トルファン2日目の7月3日、当初予約していた「iU酒店」から電話がありました。

新しくできたばかりのホテルで、外国人を受け入れる資格がないため、他のホテルを紹介するので、予約をキャンセルして欲しいとのこと。

本当に新しいチェーンホテルのようで、他都市でも新規オープン価格で紹介されていました。

Ctripで予約する時、外国人受け入れについて注意書きがなかったので、宿泊できるのかと思っていました。

電話で、代わりに紹介されたのが、「7天」。

「ちゃんと先方に伝えておきます」と丁寧な対応でした。

2011年、西安で「7天」のカードを作っているのですが、それこそ外国人受け入れ不可の場所もあるので、最初から選択肢に上がっていませんでした。

宿泊費も、「iU酒店」より安くなりますと言われはしたものの、自分の意志で宿泊先は決めたいではありませんか???

「iU酒店」の方には、自分で探す旨を伝えました。

 

それで、「7天」も含め比較検討した結果、「緑洲島酒店」に予約しました。

このホテルは、中国の身分証明証を持っている中国人、香港・マカオ・台湾人以外に、外国人でも「居留許可証」を持っている人なら宿泊できると注意書きがあったんです。

私は「居留許可証」を持っているので、OK!

今調べてみると、この注意書きはなくなっているので、一般外国人の受け入れが可能になったのかも知れません。

 

「iU酒店」玄関前の様子。☟

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ちなみに、「iU酒店」と「緑洲島酒店」だと、価格に大差はありません。

差があるのは立地条件。

上の地図で確認すると、「iU酒店」は地図の左端からはみ出ています。

「7天」は、紫色で塗っている歩行者天国の南入り口(飲食店が並んでいます)には近いけれど、「緑洲島酒店」ほど「敦煌夜市」に近くはない。

ということで、いい場所に位置するホテルを選択できたと思います。

 

こうしてホテルの手配が済んで安堵していた夜、「7天」の方からホテル予約ができたか確認電話がありました。

私は「iU酒店」の方に「自分で探します」と伝えたのですが、それでも「iU酒店」の方は責任を持って「7天」に連絡してくださったんですね。

そして、「7天」の方も、責任を持って確認してくださいました。

この一連の対応に、感謝の意を表します!!!

ありがとうございました!!!(*^▽^*)

 

「緑洲島酒店」周囲の様子は、こちら!☟

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白い壁に赤い柱が、このエリアの建造物の基本のようです。(*^-^*)

上から2枚目は、巨大スクリーンのあるホテル側の広場。

 

私が宿泊した部屋の様子です。☟

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広さ十分、明るく、綺麗で、清潔!\(^o^)/

この時の価格は、1泊150元。(1元=16円で換算すると、2,400円)

この日は涼しかったのですが、暑い日は部屋を出る時、エアコンを付けっぱなしにしてかまわないと言われました。

ルームカードを差したまま出かけても、戻った時にフロントにお願いすれば開けてもらえます。

それだけ、日差しがあると暑いってことなんですね。(^^;

晴れた日が不安だな~。

ちなみに、窓の外には柵が施してあります。

しかも夜間は街灯の明かりに照らされているので、寝る時は窓を開け、それからカーテンを閉めて寝ていました。

20度以下に下がった夜の風。

とても気持ちよかった~~~!!!

 

部屋も窓から外を覗いてみました。☟

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北京時間・・・・・・、もう、わざわざ書く必要ありませんでした。(^^;

この時、11時半。

曇っているので、薄暗いですね。

 

前日トルファンの「愛的礼物」で買った胡桃入りのパンがまだ残っていたので、お昼はそれと、「西域葡萄庄園」の葡萄で終了。

そして、シャワー~~~!!!

すっきりして、一休み。

 

敦煌初日。

何よりもまず、莫高窟のチケットを入手せねばなりません!!!

トルファンにいた時、「莫高窟のチケットは1か月前から予約が可能で、当日行っても入れない」と耳にしました。

その時は、「まあ、昔見たから、見れなくてもいいけど~」程度に思っていました。

でも、もうすぐ敦煌駅に到着ということでデッキ近くまで行って並んでいた時、前後にいた旅行客から別の情報を入手。

当日券とやらがあるとのことで、それを買いに出かけました。

 

出かけたと言っても、横着な私はネットで調べもせず、市内⇔敦煌駅バスの停車場所に向かいました。

運転手さんなら、敦煌の観光に関することなら知ってるはず!!

それが根拠です。(笑)

実際、運転手さんは丁寧にチケット売り場までの行き方、更に「莫高窟デジタル展示センター」までの所要時間等を教えてくれました。

 

初めの方にあった地図です。☟

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ここではバス乗り場がオレンジ色になっています。

バス乗り場があるのは、「三危路」の「東大橋」の側。

そこから水路側の細い道を通って「陽関大道」へ出たら、一路東(右)へ!

暫くすると「陽関大道」の左手に、「迎宾花园(迎賓花園)」という居住区があります。(地図右上)

その北区15号楼102号が「敦煌市莫高窟参观预约售票中心(敦煌市莫高窟見学予約チケットセンター)」です。☟

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「陽関大道」に、案内の看板があります。

 

チケットセンターの正面の様子。☟

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チケット販売時間は7:00~21:00。☟

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 これは、ありがたかったです。

呑気の私は、この日まだ新疆時間から切り替えができていなかったのか、チケットを買うのにホテルを16時に出て来たんです。

しかも、それから場所を教えてもらい、歩いてここまでやって来ました。

到着したのは16時40分。

17時で取り扱い終了だったとしても間に合いましたが、それにしてもギリギリ。

「今日は場所だけ確認できればいいか~」ぐらいに思っていたんでしょうか?(^^;

 

上の写真で「5月1日―10月31日」とありますが、本日、「莫高窟参観予約網」の公式サイトを読んだところ、取扱時間は写真の通り、期間については触れられていないので、通年この時間と思われます。

 

チケットセンター内の様子。☟

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窓口の側にあったチケット価格表。☟

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私は「外宾票(外国人用チケット)」220元を購入しました。☟ 

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1元=16円で換算すると、約3,500円。

言語の種類は自動的に日本語になります。

窓口の担当の女性、私のパスポートを見たら、日本語で説明してくださいました。

日本人旅行者、多いんでしょうね。

と、和やかな気分でいたのですが・・・・・・。

 

しか~~~し!!!
ここで、大ショックなことがありました。
学生証を持参していれば、留学生も半額の「学生チケット」を買うことができたんです。
私のような、学生ではありえなさそうな年齢でも、学生証があれば半額の100元!
「持ってない、持って来てないよ~~~!!!」
とは、その時の私の叫び。
西安では、国内外の全日制本科生以下が半額対象、それ以上の学生は対象外。
窓口で直接聞いたのですが、私の年齢では留学生の学生証があっても対象外。
それに慣れていたので、どこに行っても学生証は使えないものと思っていました。
でも、よくよく思い出すと、授業の時、先生が紹介してくださっていたような?

なんてマヌケ。

 

ただ、翌日の学生半額チケットは売り切れ。

「学生証を持参していても入手できなかったんだ」と思えば、諦めもつくと言うもの。

ところで、このチケットセンターでは、当日・2日目・3日目までのチケットの購入・発券が可能です。

翌日がダメなら、その次は・・・・・・?

尋ねるのは止めておきました。(笑)

 

ちなみにチケットの価格と見学できる石窟の数は、シーズン・オフシーズンで異なります。

【シーズン:5月1日~10月31日】外国人用チケット:220元

見学内容:デジタル展示センター体験(7つのデジタル石窟の映像)+莫高窟実地見学(8石窟・複数の博物館)

【オフシーズン:11月1日~翌年4月30日】外国人用チケット:120元

見学内容:デジタル展示センター体験(7つのデジタル石窟の映像)+莫高窟実地見学(12石窟・複数の博物館)

チケットの予約は、翌日から30日以内が対象。

毎日6000枚が販売されます。

 

私が購入したのは、上記のシーズンチケットです。

 

実は私、翌日見学した際、解説員さんに教えてもらうまで、自分が買ったのは「应急参观(緊急見学)」用のチケットだと思っていました。(笑)

 

「2018年莫高窟観光開放通知」によれば、7月が奇数日・8月が偶数日、それぞれ毎日12000枚応急見学チケットが販売されたそうです。(9月は旅行社経由の100人以上の団体客が対象)

このチケットは、前日購入が可能。

このチケットで見学できるのは、「代表的な大型石窟4窟・敦煌研究院院史陳列館・敦煌石窟保護研究陳列中心」のみです。

見学できる石窟がシーズン時期の半分なので、価格も半額。

 

 

莫高窟見学のチケットを入手した私は、バスの運転手さんから教えてもらったもう一つの情報、「月牙泉」への行き方を確認すべく、行動開始!

運転手さんが教えてくれた通りにある路線バスの停留所に行ってみました。☟

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ここは、「陽関中路」の「敦煌漢唐大酒店」の前。☟

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路線図をアップにしますね。(*^▽^*)f:id:shanshanduohuizi:20180829192158j:plain

路線図そのものに、現在位置の印(逆三角形)がついています。

現在地は「民航局家属楼」。

ここから「陽関中路」を更に西(バスの進行方向)に進むと、「沙州市場」と言うバス停があります。

ここで道を渡ると、そこは「敦煌夜市」!

 

位置把握のため、地図、再登場!

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「沙州市場」バス停のすぐ側にあったのが、後々お世話になる「益旺国际购物广场(益旺国際購物広場)」と、この時すぐに入って買い物をした「屈臣氏(ワトソンズ)」。☟

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この時通りかかった清掃車。☟

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埃を立てないよう水を少し噴射し、ブラシでゴミを撹拌しながら吸収中。

乾燥していて埃っぽいイメージがありましたが、敦煌の路面はきれいでした。(*^-^*)

 

「沙州市場」停留所から、更に西(地図左)へ向かうと、ロータリーに「反弾琵琶」の飛天像があります。☟

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17時半前、一日中どんよりとした空の下、飛天像の美しさも冴えません。

彼女の名誉のために、日を改めて、再度掲載します!

 

ロータリーから引き返し、「敦煌夜市」へ。☟

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17時半です。

でも、この頃の日の入りは20時57分。

夜市と言うだけあって、17時半ではまだ本格的に営業していません。(笑)

 

上の写真の巨大スクリーンの後ろ側、飲食店が並んでいる通りを通過。☟

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お店の前には各店舗の呼び込み担当がいて、通るたびに声を掛けられます。

 

敦煌夜市」を、上の写真の通りを前進し、地図で紫に塗っている歩行者天国に出ます。

その途中にある揚げ物・餃子・新疆のナン・西安名物「肉夹馍(ロウ・ジャー・モウ)」等の粉物(?)売り場。

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私、こういうもの☝が大好き!

 

現地の夕食時間はもう少し遅いようですが、私は空腹になったので、ここで「鸡蛋饼(ジーダビーン)」を購入。

☟は作っているところです。

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薄く広げた生地の上に、卵を割り入れ、ヘラで伸ばしています。

1枚7元。(1元=16円で換算すると、約110円)

 柔らかくプルプルした生地。

とっても美味しい~~~~!!!☟

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しかし!

1枚丸ごと買ったら、大きすぎて食べきれませんでした。

翌日、これと同じような饼を半分だけ買っている人がいて、「おお!丸ごと買わなくてもよかったんだ~~~!」と遅まきながら発見。

 

この「鸡蛋饼(ジーダビーン)」を持って、とりあえずホテルへ戻ります。

歩行者天国へ出ました。

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☝は、「陽関中路」から入って来たばかりのところ。

ドライフルーツを売っているお店が両脇に並んでます。

 

☟は、「敦煌夜市」から出てきて、ホテルへ向かう方角。

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敦煌らしく、二頭の駱駝像が設置されています。

背中に乗って写真を撮ろうとする人がいるんでしょうね。

手前に「严禁攀爬(よじ登り禁止)」の看板がありました。

こちら側には、民芸品店が並んでいます。

 

 暫く部屋で休憩し、20時半過ぎ、再度、周囲の散策に出かけました。 

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この日は朝からず~~~っとこんな空で、変化なし。(笑)

まだ暗くなりません。

 

ここは、地図で紫色に塗った通りの一番南(下)。

敦煌夜市」と赤字で書かれた門の向こうは「西域路」です。☟

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「西域路」から「陽関中路」まで突き抜けている歩行者天国

「西域路」側には飲食店が並び、日暮れ時刻になると各店舗のテーブルが並びます。☟

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黒いアンプの後ろに立って、女性が歌い続けていました。☝

まだ日暮れ前なので、人出はまばら。

 

同じ通りを、「陽関中路」に向けて進むと飲食店が途切れ、特産品・民芸品が並び始めます。☟

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☝の右に、敦煌の壁画を模したデザインのマスキングテープがありました。

蘭州の甘粛省博物館にも同様のテープがあり、「綺麗だな~、でも、何に使うんだろう?」と眺めるだけに終わりました。

ここ、敦煌でも同じです。

ところが、一時帰国していた日本から中国に戻る時、空港の売店でもマスキングテープを発見!

岡山なので吉備団子を売っているのですが、そこで吉備団子の包装に描かれている桃太郎・犬・雉・猿・鬼の顔が描かれたマスキングテープも販売されていたんです。

マスキングテープって、流行っているんでしょうか???

 

歩行者天国を「陽関中路」に向け、駱駝像があった辺りまで来ると、進行方向左手に市場が出現します。☟

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この市場、飛天像から南に延びる「沙州南路」手前まで続いています。

 

市場を「沙州南路」まで歩いたので、今度はそこから飛天像へ向け、北(上)に移動。

そして、飛天のロータリーまで来たら、西(左)へ。

党河の手前の交差点に差し掛かりました。

そこに、中国のどの都市でも見かける有名なホテルチェーンの「錦江之星」が!☟

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とても立派な建物です。

現在(9月初旬)の平均的な部屋の価格は250元前後。

 

西安の鐘楼・鼓楼の側にある「錦江之星」は広場側から見えないので、中国式の建物ではありません。☟

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☝の、右側に連なる中国式の建物の裏手に、ホテルはあります。

 

武漢の、昨年末私が宿泊した立地条件のいい「錦江之星」も普通の建物。☟

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西安武漢のこの場所にある「錦江之星」は今の季節は250元レベル。

見た感じだと、敦煌の「錦江之星」が一番高そう。(*^-^*)

もちろん、250元より安いところもありますよ!

 

この「錦江之星」の側から、党河を渡る橋が架かっています。☟

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橋には龍の頭がいくつも設置されていて、その口から水が噴出していました。

 

橋のたもとから南(地図下側)を望むと、少し離れた場所に鳴沙山が見えます。(^^)/

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手前の党河のライトアップの効果もあって、幻想的。

 

橋を渡って更に西に続く「陽関中路」。☟

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この道をまっすぐ進むと、「沙州故城」に辿り着きます。

この日はこれ以上進まず、来た道を引き返しました。☟

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橋の北側の様子。☟

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橋を渡り切って、「錦江之星」の側から対面の大きなホテルを撮影。☟

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このホテルは「敦煌陽光沙州大酒店」。

橋を渡る前にも、すごく気になったホテルでした。

何がそんなに気になったのかと言うと・・・・・・。

1997年に敦煌に来た際、宿泊したホテルがここだったはずなんです。

21年も前なので、建替えられたのかな?

半信半疑で一時帰国し、確証を得ました!

当時はツアーに参加していまして、そのツアーの日程表が残っていたんです。

1997年時のホテル名は「敦煌沙州大酒店」。

でも、住所は変わらず「陽関中路31号」。

記憶が正しかったことが証明されて、すっきりした~~~!!!(*^-^*)

 

今度は「陽関中路」を東(右)へ、ホテルの方へ戻ります。

またしても「西域路」から「陽関中路」まで突き抜けている歩行者天国の南端にやってまいりました!\(^o^)/☟

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この時の時刻は22時。

すっかり暗くなって、夜市は今、真っ盛り!!!

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ホテル近くにある広場の巨大スクリーン前までやって来ました。☟

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当時はワールドカップ真っ最中。

スクリーンの前に用意された椅子に座り、たくさんの人が観戦中。

 

やっとホテル前まで到着。☟

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ライトアップされて、昼間とは全然違う雰囲気ですね。(*^-^*)

 

でも、まだ部屋には戻りません!

だって、外にこれだけ人がいるんです。

敦煌の夏はこれが日常でも、私にはお祭り状態。(笑)

ワクワクして、とてもじゃありませんが、部屋で就寝準備をする気にはなれません。

さらに言えば、新疆時間が抜けきっていませんでしたし、もともと私は夜更かしなのです。(^^;

 

ホテルの側に果物をカットしたり、フレッシュジュースにして売ってくれるお店があったのを思い出し、そこへGo!☟

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支払いを済ませ、外の椅子に座って待っていると、フルーツの盛り合わせが届きました。☟

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メロン・西瓜・ドラゴンフルーツ・オレンジの盛り合わせ、15元です。(1元=16円で換算すると、240円)

写っていませんが、このテーブルの左に、カップルが同じものを一つ注文して待っていました。

やっぱりこれは、一人で食べるには多すぎる・・・・・・。

そう思いつつ、21時以降固形物は口にしないと言うマイルールは既に形骸化。(笑)

最初にメロンを一口。

あま~~~い!!!

西瓜も同様です。

地元産ではないので、ドラゴンフルーツとオレンジは一般的な味?

可能なら、西瓜とメロンだけで盛り合わせを作ってもらいたかった~~~!!!

多すぎる、多すぎるけど、美味し過ぎる!!!

喉が渇いていたこともあり、結局、一気に全部食べきりました。(笑)

 

このフルーツのお店の側にあった通り。☟

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綺麗なディスプレイの洋風のお店が並んでいます。

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腹ごなしにこの辺を散策した後、ホテルへ戻り、敦煌一日目終了です。(*^-^*)

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月4日(水):トルファン3日目_トルファン博物館(古銭)・地下ショッピング街・トルファン駅

本日の実際の日付は、9月5日です。

既に丸々2か月遅れ・・・・・・。(ーー;)

暑かった西安も、ずいぶん涼しくなってきました。

空気も乾燥してきて、夏が終わったのを実感します。

9月10日からは授業が始まるというのに、この夏休み初めの旅行のブログはいつになったら完了するのでしょう???(T_T)

 

涙目になっていても始まらないので、とにかく、スタート!\(^o^)/

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

7月4日(水曜日)。

前日の曇天とは異なり、この日は朝から青空が!

青空をバックに、柔らかい朝の陽ざしを浴びてフレームを縁取る葡萄の葉。

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早朝の気温は30度くらいでしたが、それでも爽やかで気持ちいい~。

ちなみに、本日のトルファン明け方(北京時間6時)の気温は17度でした。

日中は今でも35度くらいまで上がるのに、最低気温はずいぶん低くなりますネ。

 

☟は、「西域葡萄庄園」の片隅で見つけた花と、トマト。(*^-^*)

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トルファンでも朝顔が咲くんですね。

 

この日は早く起きすぎて、管理人さんのお母さんが料理を作るのを待っていました。☟

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その時、広東から来ていた団体さんがやって来たので、料理を運ぶのをお手伝い。

更に、団体さんに頼まれて、集合写真を撮影。

もしかすると、団体さんは私のことをこの民宿の従業員と思っていたのかも。(笑)

 

前日は出発が遅かったため、博物館で時間切れになってしまいました。

なので、この日は北京時間11時(現地時間9時)過ぎに出発!

☟の緑のルートで、ちょうど④の辺りにある「大十字」まではバスを利用。

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そこから地図上では右へ、「老城東路」を博物館まで歩きました。

ここで、少し、2000年夏に利用していた地図と比較してみましょう!☟

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☝では、「トルファン博物館」の位置が、高昌路を少し北に進んだ辺りにあります。

現在の博物館の位置には、「トルファン市青少年宮」がありました。

 

博物館へ向かう途中、「青年路」の入り口から、葡萄棚を撮影!

緑の葡萄の葉の隙間から、青空が見えます!

やっぱり、葡萄棚には青い空がセットでないと!(^_^)/

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そして、二度目の「トルファン博物館」。

こちらも、この日の写真ではバックが青空!

葡萄棚だけでなく、何を写すにしても、青空があった方がキレイ。(*^-^*)

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右手に緑のテントが見えます。

博物館に入るには、まず、その後ろにある白い壁の小さな建物に入り、パスポート提示、人・荷物それぞれ安全検査を受けます。

 

その後、この建物の陰になっている位置にある建物で入館の手続きを行います。

「チケット売り場」と書かなかったのは、パスポートを提示して、それと引き換えに渡されたのが☟のような帳票だったからデス。

これは、前日もらったものです。

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この帳票をもらった後、真向かいに見える出口の側に設置されたロッカーにリュックを預けました。

手荷物は持ち込み禁止のようです。

小さな手提げ付きナイロン袋に水筒を入れていたら、それもダメだと注意を受けました。

こんな乾燥した地域で、水筒持参NG?

と思ったら、水筒を手に持って入るのはOK。

つまり、袋状の物の持ち込みが禁止のようです。

 

この博物館、入り口は2階にあります。

なので、この☟階段を上ります!(*^-^*)f:id:shanshanduohuizi:20180828030734j:plain

 

☟は建物を側面からみたもの。

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ここ☟が階段を上った先にある入り口です。

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ここにもロッカーはあります。

でも、出口は1階なので、1階で預ける方が後がラク

この入り口の扉の内側に、またしても安全検査が待ち受けていました。

しかも、身分証明証の提示も必要!

初日、私はパスポートをリュックに入れたまま、1階のロッカーの預けてしまいました。

幸い、注意は受けたものの、そのまま通してもらえました。

今回は2回目なので、ちゃんと持参。(^_^)/

この日はポケットの多いワークパンツを履いていたので、収納に不便はありませんでした。

前日だったらポケットが少ない上に浅かったので、途中で落としたかも?

ちなみに、西安で毎週通っている「大唐西市博物館」では、チケット交換時にパスポートを提示すれば、入館の際は手荷物検査だけで、パスポート提示の必要ありません。

安全検査のもう一つのポイントは、水筒の水を飲んで見せること?

西安の地下鉄でも、水筒やペットボトルの中身を飲んで見せるので、同じと言えば同じですが・・・・・・。

少なくとも、上述の「大唐西市博物館」なら、液体チェックまでは行いません。

トルファンでの安全検査は本当に厳しいと感じました。

 

安全検査を通過した後の館内。☟ 

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右手に赤い看板が見えます。

あれが、前日のブログでも書いた、トルファンの歴史を紹介する「吐鲁番通史庁」という展示室。

ちょうど、前日とこの日、私が見学できる2日間だけ、設備補修作業のために閉められてしまった展示室です。

非常に残念!!!!(T_T)(T_T)(T_T)

 

では、前日の写真で、かろうじてピンボケを避けられたものから、いくつかご紹介します!(*^-^*)

蘭州の「甘粛省博物館」でも展示されていましたが、トルファンでもありました!

「吐鲁番自然歴史陳列庁」に展示されている古代生物の化石。

☟は「巨犀化石展示エリア」の「吐鲁番美麗巨犀」。

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この時、この展示室の館員さんから、

トルファン地区で、現在、長さが30メートルある恐竜を発掘中」

と伺いました。

 

 

☟は、ミイラの展示が終了した後に続くエリア。

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☝は「唐調露二年(680年)文書」、トルファン巴達木墓地出土

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☝は眼帯です。

紀元6~7世紀、トルファン巴達木墓地出土

たったこれくらいしか、まともな写真がありませんでした。(T_T)

 

そして、本命登場~~~~!!!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

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「吐鲁番古銭陳列庁」です!!!

 

☟は展示室内の様子。

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☟は入口扉を入ってすぐ左手に掲示されている序言です。

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ウィグル文字も英語も読めないので、中国語の部分のみ拡大しました。(笑)☟

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この展示室についての説明なので、頑張って訳してみます!(^_^)>

トルファンは新疆東部に位置し、古代シルクロードの北道において避けては通れない道であることから、東西貿易の中心及び中継地となった。その独特な地理的要因と悠久の歴史文化により、トルファン地区はシルクロード文化研究の宝庫となっている。貨幣はシルクロードの貿易と交換の媒介として、当然ながらシルクロード文化の重要な内容の一つである。そしてここ数年、トルファン地区での考古発掘により出土及び収集した古銭が、シルクロードの貨幣研究のために、また新たな内容を追加した。

シルクロード上の重鎮として、トルファン地区は古来より多民族の集住地区であり、集散地区でもある。東西を行き交う行商人・車馬・キャラバン・役人たちがここを通過したり、常駐したりした。彼らはトルファンの歴史を発展させるために、それぞれが貢献を果たした。張騫が西域への道を切り開いて以来、西域は次第に中原との関係を深め、西域で最も重要なオアシスとして、東西文化と貿易において大きな影響力を持つ役割を担ってきた。トルファン地区で中原の貨幣と当地の貨幣、及び国外の貨幣が出土したことは、貿易面での突出した成果である。

 

上の序言の側に、☟の新疆とトルファンでの古銭出土分布図があります。

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分布範囲、見にくくて申し訳ありません。

古銭の種類には、「貝」・「金」・「銀」・「銅」・「鉄」・「紙」のものがあります。

 

【先史時代】 

☟は、その内の「貝」について。

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文字の部分を拡大します!☟(*^^*)☟

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【先史時代の貝殻】

太古の時代、人々の商品交換手段は物々交換であった。しかし生産力の向上につれ、物々交換は生活需要に適応できなくなった。そこで人々は一種の固定物品を一般的等価物とする方法を探し求め始め、次第に貝(キイロダカラ(黄色宝))が商品交換の一般的等価物に用いられるようになった。同時に、装飾品としての機能も備えるようになった。

海洋墓地からかなりの数の貝殻が出土したが、これらの貝殻は太平洋とインド洋の沿岸に分布していることから、明らかに交換或いは贈り物といった手段によりもたらされたものである。貨幣と装飾品という二つ機能を備えている。

商品の交換が頻繁に行われるようになると、貝殻はしばしば供給不足となり、各種素材による貝貨幣の模倣が発生した。交河溝北の骨素材による貝貨幣や洋海の青銅貝貨幣はそれらの代表である。銅製の貝の出現は、金属貨幣の鋳造の先駆けとなった。

 

☟、貝殻と銅製貝殻の出土状況。

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次のコーナーへ移動します!(*^-^*)

【漢~高昌回鶻(かいこつ)】

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【漢から高昌回鶻(かいこつ)時代にかけてのトルファンの貨幣】

紀元前60年(漢宣帝・神爵二年)に西域都護府が西域の直接管轄を開始して以降、西域は中国にとって切り離すことのできない領土の一部分となった。漢から唐にかけて、トルファン地区は前後して、西域都護府管轄下で車師・高昌郡・高昌王国・唐西州・高昌回鶻等の歴史を経験してきた。

これらの期間中、トルファンは中央政権が西域のオアシス都市を管轄する前線の陣地として、中原・中央アジア・当地の政治・経済・文化がここで相互にぶつかり合い、交流し、融合しあった。トルファンから出土した各種貨幣がこの特徴を示している。全国共有の貨幣もあれば、中央アジアで流通している金貨・銀貨もあり、また当地の高昌吉利銭や西州回鶻銭、及び物品を貨幣としたという記載もある。

北宋は我が国の貨幣発展史において非常に重要な期間である。貨幣経済も空前の繁栄の様相を見せ、大量の銅銭・鉄銭を鋳造した。また紙幣を印刷、以後「交子[jiāo zǐ]」とも呼び、信用貨幣時代が始まった。金銀もこの時期に流通領域に再び戻って来た。

(☝の英文では、「北宋」以降の内容が記載されていません。アンダーライン部分は中国語と英語を見てもよく理解できず、相談した英語も分かる中国人の友人も悩んでいた部分です。あくまで、あくまで参考としてお読みください)

 

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唐の前期は、一般的に白色の練絹で馬を購入した。

≪唐咸亨四年(紀元673年)西州前庭府杜対正买驼契≫:『❝ ❞』の部分はどこまでが名詞かすらよく分からないので割愛します。m(__)m

ネットで調べると、駱駝の売り主が「康乌破延」、買い主が「杜」。

十歳の健康な駱駝を購入するにあたり、その価格は白い練絹14匹と契約書には記されています。

 

 ☟で、古銭の配置や大きさをご確認ください。(*^-^*)

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 次は、「西州回鶻(かいこつ)銭」です。☟

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西州回鶻(かいこつ)は9世紀中葉に西に移動した回鶻の一氏族である。トルファンと北庭(現在の吉木薩爾Jimusaer )を中心として打ち立てた地方政権であり、高昌回鶻、或いは阿薩蘭回鶻とも呼ばれ、唐の開元七年暦法を使用していた。西州回鶻の首領は阿斯蘭汗、或いは亦都護と称した。回鶻銭は回鶻が西に移動後、唐の開元銭の形を模倣して作製し、回鶻文字を用いて鋳造した貨幣である。

 

展示してあった硬貨をごらんください。☟

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左上:大統五銖:西魏文帝大統六年(紀元540年)鋳造開始。(巴達木墓地出土)

右上:常平五銖:北斉

左下:四銖半両:前漢(紀元前175年~紀元前119年)

右下:赤仄五銖:前漢(紀元前116年~紀元前110年)

 

☟は説明のプレートを除いた、硬貨だけのアップです。

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☟は、このコーナー中央に設置されている「西州回鶻(かいこつ)銭」です。

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このコーナーの一番右に設置してあるグループ!☟

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個別のアップはありません。m(__)m

☝の手前二つは、左:開元通宝(唐)、右:大観通宝(北宋:紀元1107年~紀元1110年)。 

 

次のコーナーへ移ります!(*^▽^*)

シルクロード貿易の目撃者】

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☟は文字部分の抜粋です。

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【繁栄するシルクロード貿易の目撃者――金貨・銀貨】

2004年から2006年にかけて、交河西溝・巴達木・木納爾・アスターナ等の墓地で考古的発掘を行い、かなりの数の金貨・銀貨を獲得することができた。このことにより、トルファンの東西貿易と文化交流における役割、及びシルクロードにおける歴史的な地位の高さが十分に証明され、トルファンの古代文化研究のための貴重な資料となっている。同時に、シルクロード貨幣の研究に新たな内容を付け加えた。

2006年、貨幣収集家の杜維善氏は、またしてもトルファン博物館へペルシャサーサーン朝の銀貨とアラビア銀貨35枚を寄贈してくださった。当館は近年また民間から新疆現地と中央アジアの貨幣を約77枚を収集した。これらはみな貨幣所蔵品の数量と種類を大きく豊かにした。

 

☟は金貨が出土した際の現場写真です。

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「口琀[kǒu hán]」とは、中国における一種の古い葬儀習俗であり、先史時代から現在まで踏襲されている。トルファンアスターナの死者の口の中に含ませられていた貨幣は、実際は死者を弔うためのものであり、その目的は、「死者が口を開き、空腹のままあの世へ行って苦労しなくて済むように」である。

 

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次は、このコーナーの「トルファン出土金貨」です。(*^-^*)

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金貨部分、後ろ側の2列だけアップにします。☟

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このコーナーの真ん中にある「トルファン出土銀貨」です。(*^▽^*)

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☟は、上手前の列のアップ!(個別説明なし)

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☟は上、二つ上の後段。

f:id:shanshanduohuizi:20180828034329j:plain左2個:サーサーン朝 ホスロー1世銀貨(紀元531年~579年)

右2個:サーサーン朝 ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

 

そして、このコーナー右手にある金貨です!!

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☟は☝の手前2個。

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左:ガズナ金貨(紀元977年~紀元1186年)

右:サーマーン朝金貨(紀元874年~999年)

 

☟は、2つ上の後ろ4枚。右端がボケまくってます。(^^;

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左から:

東ローマ貨幣:(紀元610年~641年)

サーマーン朝金貨:(紀元874年~999年)

セルジューク金貨:(紀元1040~1157年)

ガズナ金貨(紀元977年~紀元1186年)

 

次のコーナーに参りましょう!(*^-^*)

【元~清】

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【元から清代にかけてのトルファンの貨幣】

トルファンで元代(紀元1271年~1368年)の紙幣が発見された。元朝は建国当初から自由に兌換できない紙幣――宝鈔の使用に力をいれていた。またそれを流通における基本貨幣とし、銅銭の流通領域における主要な地位を失墜させた。同時に、更に金銀の流通を禁止した。トルファンでは元代の中央政府が発行した中統元宝交鈔と至元通行宝鈔が発見されている。またモンゴル・ハン国の金貨・銀貨を収集した。

明代の貨幣は、トルファンではあまり発見されていない。現在は僅か数枚を収集できたにすぎない。

清代(紀元1644年~紀元1911年)の新疆における貨幣制度は、ほぼ銀両(秤量銀貨の通貨単位)と紅銭(赤銅で鋳造したので紅銭と呼ぶ)の平行本位制度を採用、両者が相互補完しあって運用されていた。金額の大きなものには銀を用い、少額のものには銭を用いた。新疆紅銭は南路でのみ流通し、北路では内地製の銭が通用していた。銀銭の価格比較は、紅銭400文を一貫とし、白銀1両に相当する。

 

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左:新疆紅銭「乾隆通宝」

紫銅(赤銅)を原料とし、赤みを帯びていることから名付けられた。裏面には満州文字とウィグル文字が用いられている。

右上:干支記念紅銭

光緒末年、クチャ局はテッカ宝新局からの委託を受け「新十」銭を鋳造した。

右下:咸豊大銭

清政府が軍費を調達工面し太平天国の乱を鎮圧するために採用した通貨政策の一つ。

 

【海都(カイドゥ)貨幣・海都と都哇(ドゥア)貨幣】

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☝1269年に発生した元代のカイドゥ・ドゥアの反乱の歴史を示している。この反乱により高昌城と交河城は壊滅した。

左 :カイドゥがカシュガルで製造。表面(上)と裏面(下)。

中央:カイドゥとドゥアが連盟時に鋳造。表面(上)と裏面(下)。

右 :ドゥア銀貨。表面(上)と裏面(下)。

トルファン観光の目玉といっていい二つの故城が壊滅することになった反乱。

2000年夏に見学したけれど、実はたいして勉強しておらず、何故壊滅したかも知らないまま現在に至っています。(^^;

で、百度百科で検索してみました。

解説の、冒頭部のみ訳してみようと思います!!\(^o^)/

【カイドゥの乱】

元世祖至元五年(1268年) から元成宗大徳十年(1306年)、元朝西北の宗王カイドゥが他の藩主と連合して起こした反乱。至元六年(1269年)、カイドゥ・バラクキプチャク・ハン国君主がタラス河畔にて会盟し、フビライイル・ハン国に対し公然と反対、また協議しカイドゥを盟主とすることとした。盟約を結んだ各王はフビライ・ハンは既に漢族化してしまっていると指摘、フビライに対し出兵しモンゴル人としての遊牧の本質を取り戻さねばならないと言明した。

翌年、フビライはノムガンを将軍とし、「別失八里」でカイドゥを打ち破った。至元十二年(1275年)、フビライは「安童」を派遣しノムガンの西征を補佐させた。至元二十四年(1287年)カイドゥ等は東部のナヤンと連絡を取り、フビライが率いる元軍主力が東部へ反乱の平定に向かった隙をつき兵を出し、一時的にカラコルムを占領したが、まもなくして兵を引いた。至元二十六年(1289年)、元世祖は74歳の高齢ながら五年ほど親征を行い、最終的にカイドゥは戦死した。元の成宗大德十年(1306年)、カイドゥの子チャパルが投降して、西北諸王の反乱はようやく平定された。

 (人物紹介)

カイドゥ:

13世紀の後半に中央アジアに独立王国を建設したモンゴル皇族。チンギス・ハーンの三男オゴデイの五男カシンの子。

ドゥア:

モンゴル帝国の皇族、チャガタイ家の第10代当主。チャガタイ・ハン国の実質的な建国者。

ラク

モンゴル帝国の皇族で、チャガタイ家の第7代当主。

(参考)

海都之乱_百度百科

カイドゥ - Wikipedia

ドゥア - Wikipedia

バラク (チャガタイ家) - Wikipedia

 

百度百科の「海都」の項目の最後、「評価」を読むと、カイドゥは41回の戦役に参加しているんだそうです。

「1241年のポーランドハンガリー遠征にも参加していることから、戦争における真の指揮者であることが分かる。アジア全域で、彼だけがフビライの運命を変えることが可能だった。(一部略)彼は巡り合わせが悪かった・・・・・・」

と書かれています。

 

☟「至元通行宝鈔」

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ここからは、このコーナーのコインの写真です。

でも、薄暗く写りが悪いので、気に入ったものだけ個別に取り上げます。(*^^*)

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☟は、上の写真の両サイドの金貨です。

左がチンギスハンの金貨、右がチャガタイハン国の金貨。ともに13世紀。

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ウマイヤ朝ヤズィード1世(左)と、ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリク?(右)

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右の人名は、ネット上で同じ文字が見つからず、音が近いものを選び、日本語のWikipediaのコインの写真に似ていたので、「ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリク?」と疑問符付きで記載しています。

 

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左 :アッバース朝銀貨(紀元749年~754年)

中央:サーマーン朝銀貨(おそらくヌーフ2世?)(紀元976年~997年)

右 :ガズナ銀貨(紀元977年~紀元1186年)

 

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右:エフタル銀貨

左は説明がありません。それとも右と同じ?

 

 

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左:突騎施銅銭(唐代)

右:ウマイヤ朝ワリード1世(紀元705年~715年)

 

☟この後の2枚は、明代・清代の硬貨。

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私の興味のあるなし、あからさまですね。(ーー;)

 

☟はチンギスハンを筆頭に、その息子たちの国の銀貨。

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手前に四個並んでいるのは「銀錠」です。

チンギスハン関連の硬貨、大唐西市博物館にも少しは展示されていますが、こんなに多くなかったような。

もっとしっかり写しておけばよかった、・・・・・・と後悔。

予定では、今学期中にご紹介できるはず。(笑)

 

 【中華民国

ここからは、民国時代です。

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右側に、民国時代の「新疆紅銭」があります!

 

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☟は犬が印刷されています。

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そして、ここからが、本命中の本命!

このコインたちを写したいがために、二日連続でやって来たのです!\(^o^)/

サーサーン朝の硬貨がたくさん並んでいま~~~す!!!

私は、イランが大好き!!!

中央のガラスケースの中に展示されているので☟、ガラスの上にスマホを置くという安定した撮影方法ができる!

うれしい~~~!!!(*^▽^*)

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もう、どのガラスケースだったかは覚えていません。(ーー;)

しかし、全部撮影しているので、一ケースずつご紹介していきます!(*^-^*)

まずは、ケース全体の様子。

便宜上、☟をガラスケース【A】とします。

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☝のケースは全てサーサーン朝の硬貨です。

 

☟は、【A】の上段(反対向きになっている列)です。

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左 :シャープル1世銀貨(紀元241年~272年)

中央:シャープル3世銀貨(紀元309年~379年)

右 :バハラーム5世銀貨(紀元420年~438年)

小さく見えますが、アップにできると思うのでお試しください。(*^^*)

 

☟は、【A】の下段です。

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左 :アルダシール1世銀貨(紀元224年~241年)

中央:シャープル3世銀貨(紀元383年~388年)

右 :バハラーム4世銀貨(紀元388年~399年)

 

☟はガラスケース【B】。

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☝は、上段右が「アラブ-サーサーン」である以外、全てサーサーン朝のものです。

 

☟は【B】の上段(反対向きになっている列)です。

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 左 :ペローズ銀貨(紀元457年~454年:←この年代、後の年代の方が、年数が古くなっています)

※年代について。

以前、大唐西市博物館3階の硬貨展示ホールの紹介時に、サーサーン朝の世襲表を訳しました。

その時、博物館のパネル上の情報とWikipediaに多少の齟齬はあったものの、ペローズ1世に関しては「459年~484年」で一致していました。

ちなみに、「457年~459年」はホルミズド3世の時代。

また、今回、夏に日本帰国した際に見つけ出して持って来た「シルクロードのコイン -エーゲ海からガンダーラまでー」(発行 財団法人 古代オリエント美術館、岡山市オリエント美術館)では、王名表には「457/59年~484年」、硬貨の写真と共に記載された年代は「457年~483年」とありました。

上述資料の王名表に「457年~459年」でホルミズド3世の名はありません。

古代のことなので、色んな説があるのだと思います。

「454年」は、印刷ミスだと思いますが・・・・・・。(笑)

それと、元写真を拡大などしていたら、この硬貨、さかさまに配置されているのに気付きました。

コリュンボスという球体の装飾が下に来てますネ。(笑)

☟は上述の資料の抜粋ですが、球体の位置を比べて見てください。(#^.^#)

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中央左:カワード1世銀貨(紀元488年~531年)

中央右:ホスロー1世銀貨(紀元531年~579年)

 右 :アラブ-サーサーンホスロー式銀貨(紀元653年~670年)

 

☟は、【B】の下段です。

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 左 :ヤズデギルド2世銀貨(紀元438年~457年)

中央左:ヤズデギルド3世銀貨(紀元632年~651年)

中央右:カワード1世銀貨(紀元488年~531年)

 右 :ホスロー1世銀貨(紀元531年~579年)

 

☟は、この展示室の奥正面に展示されている「高昌吉利銭」。

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6~8世紀、巴達木墓地出土。

 

☟は、ガラスケース【C】です。

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☝は全てサーサーン朝のものです。

 

☟は、【C】の上段(反対向きになっている列)です。

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 左 :ホスロー1世銀貨(紀元531年~579年)

中央左:ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

中央右:ホルミズド4世銀貨(紀元579年~590年)

 右 :ホルミズド4世銀貨(紀元579年~590年)

 

☟は、【C】の下段です。

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 左 :ホルミズド4世銀貨(紀元579年~590年)

中央左:ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

中央右:ホルミズド4世銀貨(紀元579年~590年)

 右 :ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

ガラスケース【C】はホスロー2世とホルミズド4世がほとんどでしたね。

 

☟はガラスケース【D】です。

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☝は、バラエティに富んでます。

でも、謎もたくさん。

 

☟は、【D】の上段(反対向きになっている列)です。

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 左 :アラブ-サーサーン載徳銀貨(ヒジュラ歴50年・紀元670年)

中央左:サーサーン朝ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

中央右:アッバース朝拉希徳銀貨/白衣大食銀貨(ヒジュラ歴306年・紀元918年)

 右 :銀貨 無名1 黒衣大食銀貨(ヒジュラ歴117年・紀元735年)

※「白衣大食」はウマイヤ朝(661年~750年)、「黒衣大食」はアッバース朝(750年~ 1258年/1517年)を指すと日中双方のネット検索で一致しています。

この年代から見ると、中央右はアッバース朝(黒衣大食)、右はウマイヤ朝(白衣大食)ではないのかな???と思います。

「拉希德」と言う漢字は「ラシード」と読めるのですが、アッバース朝でラシードと言えば「第5代カリフ・ハールーン・アッ=ラシード」が思い当たるのですが、在位は紀元786年~809年で、紀元918年とは一致しません。

左の「载德」に至っては「サイード」と推測できるのですが、「サイード」ってすごく普遍的。

特定するのは諦めました。

 

☟は、【D】の下段です。

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 左 :サーサーン朝ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

中央左:サーサーン朝ヤズデギルド3世銀貨(紀元632年~651年)

中央右:銀貨 無名2 黒衣大食銀貨(ヒジュラ歴93年・紀元712年)

 右 :アッバース朝ムクタディル銀貨/白衣大食銀貨(ヒジュラ歴306年・紀元918年)

※右の「ムクタディル」はアッバース朝で該当人物を発見できました!\(^o^)/

でも、「白衣」か「黒衣」かは・・・・・・、悩ましいです。(ーー゛)

 

よろしければ、ご覧ください。☟(*^-^*)☟

(参考)

西安大唐西市博物館(その46:3階シルクロード硬貨展示ホール_ペルシャ第二帝国及び従属国①アルダシール1世/②シャープール1世) - せいあん!

西安大唐西市博物館(その47:3階シルクロード硬貨展示ホール_ペルシャ第二帝国及び従属国③~⑬) - せいあん!

西安大唐西市博物館(その48:3階シルクロード硬貨展示ホール_ペルシャ第二帝国及び従属国⑭~㉒) - せいあん!

西安大唐西市博物館(その49:3階シルクロード硬貨展示ホール_ペルシャ第二帝国及び従属国:タバリスタン・Turan・Sakastan・アラブ-サーサーン)・「ユーラシア大草原の早期遊牧民族文化 カザフスタン国立中央博物館文物傑作展」 - せいあん!

 

ラストの「結び」です。☟

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トルファンに出現した古代各国の貨幣は、シルクロード上で流動する文明の因子である。貨幣一枚ごとに、生産国の政治・経済・文化が凝縮している。また、トルファンがかつて中国の歴史において、西部辺境の安定と経済繁栄のために卓越した貢献を行ったことを実証している。今も、我々はこの素晴らしい歴史的伝統を継承し発揚している。

 

これで、博物館の見学は終了です。

 

この後は、「老城東路」を緑のルートに沿って西(左)へ歩き、「大十字」で北(上)へ曲がりました。☟

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この日は前日より天気も良く、ちょっと暑さに耐えがたくなっていたので、地下へ降りて見ることにしました。

直射日光があたらないなら、それだけでありがたい!!(^^; ☟

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☝の写真には「高昌路商業街」の入り口が写っています。

階段を降りるとすぐ、地下のショッピング街に入る手前で安全検査を受けます。

☟の写真に2か所写っていますが、地上からの入り口には全て設備が配置され、保安要員が待機。 

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ここで、荷物をX線に通し、パスポートを提示します。
パスポートの出し入れも、リュックを下ろすのも面倒。
なので、いったん地下に入ると、気軽に地上に出るのがためらわれます。
だって、度地下に入るために、もう一度安全検査が必要なんですもん。(ーー;)

 

地下街はかなり長く、横にも広がっています。☟

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☝の写真の中央は、前回のブログに少し紹介した「旅游文化广场(観光文化広場)」の地下にある、家電量販店(国美電器)へ続く通路の様子です。

途中、写真を撮っていると、保安要員さんに「何を撮っているの?」と職務質問を受けてしまいました。(^^;

その時写していたのは、通路の頭上にある横断幕でした。

中国(漢民族文化)らしいスローガンが書かれ、その下に地下街の名称が入っているものです。☟

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「誠実な経営、親切なサービス  新絲路(シルクロード)地下街 宣言」

確かに、地元の人にとっては、写真を撮るような対象ではないし、怪しく見えたんでしょうね。(^^;

私、地下をかなり徘徊していました。

地下街名も入った場所の「高昌路商業街」から「新絲路地下街」に変わっていたので、

「自分がどの辺りまで歩いて来たのか、記念に残しておきたいから」

そう説明すると、ありがたいことに、簡単に放免してもらえました。

良かった、良かった。(*^-^*)

 

時刻はそろそろ北京時間15時、現地時間13時になろうとしていました。

朝食を食べたのは、北京時間の9時過ぎ、現地時間7時過ぎ。

超空腹デス!!

地下街内にはレストラン街もあるだろう思い、通路を奥へ、奥へ。

歩く方角は、「西域葡萄庄園」のある北。

左右に逸れるとか、逆戻りとかはしたくなかったんです。(笑)

やっと、フライドポテトのような匂いを嗅ぎつけ、そこまで辿り着いたのですが・・・・・・。

規模の小さいファーストフード店が1軒あるのみ。

更に進むべき?

念のため、近くに待機していた保安要員の女性に尋ねると、食事は地上に出ないと無理とのこと。(T_T)

「食事処が集中しているのは〇番の出口」と教えてもらい、結局少し、逆戻りするハメになりました。

先刻注意を受けた保安要員さんの前を笑顔で会釈して通り抜け、地上に出ると、暑い~~~!!!

食べたい物を売っているお店を見て回る気力なんて、ゼロ!

脂っこいものも食べたくはありませんでした。

そんな私の目に飛び込んできたのは、パン屋さん!!

迷わず、店内に飛び込みました!!

食べたのはこちら!☟

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ピザとプリン。

脂っこくないのか???と問われると答えに詰まるのですが、でも、美味しかったんです。(*^-^*)

このお店の店内、なぜか親近感?がありました。

売っているものの包装、見たことあるような・・・・・・?

そう、これらを売ってたんです!☟

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蘭州2日目の夜に入ったパン屋さん「愛的礼物」と同じチェーン店でした。

縁があるな~。

店内で食事を済ませ、寝台車で食べる分のためにもう一つ「胡桃パン」を買って、お店を後にしました。

 

バスに乗って「西域葡萄庄園」へ戻り、柵で囲まれた敷地のすぐ側を流れる溝を覗き込むと、水がとっても澄んでキレイ!☟

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この「庄園」の敷地以外にも、周囲には葡萄棚が広がっています。☟

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写真の並びの通り、道の左手に葡萄棚、右手に「庄園」があります。

そこへ、こんなにキレイな水が供給されてるんですね。

葡萄、美味しくないわけがありません!(*^▽^*)

 

街中ですることがなく、出発時間より2時間ほど早く戻って来た私。

管理人の女の子は出かけていましたが、彼女のお母さんのご厚意で、管理人室で仮眠をとらせていただくことができました。

 

仮眠する前、Wechatで管理人さんへ連絡。

私が「庄園」に戻ったのを確認して、彼女が乗り合いタクシーに連絡してくれる手はずになっていたんです。

もし、個人でタクシーに乗りトルファン駅へ向かうと、160元くらいかかってしまいます。

旅行に来ていて、乗車が1回だけなら諦めもつきますが、地元の方々のように頻繁にトルファン駅、もしくはその近辺へ移動しないといけない場合は、相当な出費になります。

なので、みなさん、タクシーをシェアしているんです。

シェアだから、自分の都合だけで出発時間は決められないし、自分が乗った後も、他のお客さんを迎えに回ったりしますが、そこはお互い様。

その結果、費用はなんと、20元!!

1時間かかる距離を、高速利用で、20元!!!

ありがたいシステムです。

普通のホテルでこうした対応をしてくれるかどうか、それは分かりません。

でも、フロントで尋ねてみてはいかがでしょう?

もしくは、日帰りツアーに参加するなら、その時の運転手さんから情報収集するとか?

知り合った地元の方に尋ねるのもいいかもしれません。

運転手さんは、よく利用する人たちが参加している、WeChatのタクシーシェアグループがあるような口ぶりでしたよ。

支払いは降りる時、現金でもWechatでもOKでした。

 

以下、乗り合いタクシーの中と外の様子です。

車内から、前方を望みます。☟

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車左手の景色。☟

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車右手の景色。☟

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ちょっと雲が出て来てます。

新疆らしい、荒涼とした風景が続きます。

これを、「何もない」と言ってしまえばそれまでですが、私はこの景色がたまらなく好きです。(*^^*)

 

 

途中、高速を降りて省道に入った後、検問がありました。

専門の小さなな建物まであり、その側の路肩に車を停止させられ、運転手も含め、乗員全員が身分証明書の提示を求められました。

私は当然パスポートを用意。

すると、運転手さん、驚いた様子。

そして、私は車を降りるよう命じられました!!!

何事???(; ・`д・´)

外国人はここから先、通らせてもらえないとか???

焦る私!

車の側で、警備員から立ったままいくつか質問を受けました。

「どこから入国したか?いつトルファンに来たか?中国に来た目的は?」

西安に語学留学していて、夏休みを利用し旅行中。7月2日にトルファンに到着」と答えると、

「OK、それじゃ、建物に入ってチェック受けて」

と言われ、建物内に入ると・・・・・・。

パスポートの提示、入国スタンプ押印ページを確認、パスポートと一緒に撮影、荷物のX線チェックが待っていました。

荷物がコンベアから出てくると、大慌てで掴んで外へ。

もしかして、置いていかれたかも???

運転手さんは私が外国人と知らなかったようなので、もしかしたらここで時間ロスすることは想定せず、出発時間を決めてるかも知れません。

だとしたら、時間が間に合わなくなるじゃないですか!?

省道に出た私は、位置関係がよく分からなくなり、周囲をキョロキョロ。

降りた場所に、車・・・・・・いな~~~い!!!

と焦っていたら、その方角にいた(多分、最初に質問をした)警備員が「そっち!」と手で反対側を示してくれました。

広い路肩に停まっていた乗り合いタクシーを見つけて、本当に一安心。

警備員に、お礼のお辞儀を一つ。

それから走って車に戻り、運転手さん、乗客みんなにお詫びの言葉を連呼。

幸い、誰もそんなに急いでいなかったみたい。(笑)

待たされたことも、気にしている様子ナシ。

おおらかな土地柄がありがたかったです。

 

検問を過ぎると、トルファン駅まで後ほんの少し。

一人、二人と目的地に着き、車を降りて行きます。

そして、私が最後の一人でした。

車は駅の手前で停止。☟

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写真の真ん中辺りに見える黄色と黒のバーは、踏切りではなく車両通行止めを示しています。

「これ以上進めないから、悪いけどここで降りてね」と運転手さん。

出発時、後部トランクへ載せる私の荷物を転落させてしまったことも、わざわざ誤ってくれました。

親切で優しい、いい運転手さんでした。(*^-^*)

 

車が来ないのをいいことに、トランクを引っ張って、車道のど真ん中をバーの手前まで移動。

その後、歩道に入りました。☟

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進んで行くと、前方に安全検査の入り口はこちらですよ~と矢印が見えます。☟

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この建物内で、駅敷地内に入るために、荷物も人もX線チエックを受けます。

ここで、トランク内に「ハサミがあるから確認します」と言われ、トランクを開けました。
めぼしは付いていました。

眉毛を切るための、小さなハサミ。

ここまででも、結構出番があったんですよ。

カシュガルにいる時は、これで前髪を切って、プラスチックの結束バンドの切断にもお世話になりました。(*^^*)

役目以上に頑張ってくれているミニハサミの危機!

取り出して見せ、「没収しますか?」と聞くと、その必要はないと言われました。

良かった。(*^_^*)v

その場で荷物を元に戻し、マスクをかけ直していると・・・・・・。

「まだ安全検査があるよ」と言われ、ちょと脱力。

 

次の安全検査を受けるため、坂を下って左折。☟

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こちらが☟が、二つ目の安全検査場所。

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ここでは、パスポート提示(見るだけでなく、コンピューターで確認していたような?)とX線によるボディチエックが行われました。

荷物は入り口付近に置いたままボディチェックを受け、その後、ボディチェック用機器の横を通って取りに戻って、建物を出ます。

この2回に分けた安全検査、ボディチェックは2回受けることになるし、一つに統合してもらえるとありがたいのに。

正直な感想です。(^^;

 

この後、駅舎正面を通過して、正面横に開いている入り口へ。

列ができているので並びます。☟

 

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並んだ場所から、駅正面前の様子を撮影。☟

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たぶん、今みたいに管理が厳しくなかった時代は、私がやって来た駅舎真正面の道路はこの階段のすぐ側まで車で乗り付けることができたんじゃないでしょうか?

そして、この階段を下りて、そのまま入り口の荷物検査を受ければ、簡単に駅構内にはいれたんだろうな~と想像。

 

ところで、この日の私の切符はこちら。☟

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7月2日にトルファン北駅で発行してもらったものです。

そう、専用のVIP待合室の利用が可能な「軟臥(コンパートメント式寝台席)」!!

構内に入るための荷物検査を終えた私は、このVIP待合室を探しました。

 

狭い一般待合室は、大きな荷物を持った乗客でごった返しています。☟

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軟臥に変更しておいて、良かった~~~と思ったのですが・・・・・・。

VIP待合室、どこ???

あるには、ありました。

でも、鍵がかかり、使用不能

駅員に問い合わせると、「使えないから愛心座椅(シルバーシート)エリアを使って」と返事が。☟ (T_T)

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お年寄りや体の不自由な人のための席です。

年齢はかなり上がって来たけれど、まだシルバーシートに大きな顔をして座るほどでもなく、どうしようか悩みましたが、それがここのルールと思い、着席。

私の前でシートを3つ占領して寝転がっている女の子は、おじいさん・おばあさんと一緒に列車に乗るようです。

ご老人二人は、私の隣に座っていました。

例え席が空いていても、この態勢はないだろうと思っていたら・・・・・・。

心臓の治療を受けに河北省まで移動するという男性が奥さんに連れ添われて登場し、女の子に注意。

女の子、不機嫌そうに私の正面に腰掛け、リュックはおばあさんへ渡しました。

そのリュックで、私の席が圧迫されることに。(^^;

心臓の治療に赴かれる男性ご夫婦には、トイレに席を立つ際に荷物を見ていただき、しそれから少し話をしました。

西洋医学では治せず、中国医学でも河北省の都市にある医療機関でしか治せないので、長距離だけれど、飛行機離着陸時の圧力を避け、列車で移動するしかないんだと言われました。

私が乗る列車は1時間半遅れでやって来ましたが、このお二人が乗る列車も遅延があり、私はこのお二人に見送っていただく形で「愛心座椅」エリアを後にしました。

 

私が乗るのはK992。掲示板の一番下に表示されています。☟

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今回の切符、カシュガルからトルファン北までの時と同様、改札口の情報が印刷されていませんでした。

それもそのはずで、改札口は一つ。(笑)

改札を通過すると、駅員の誘導で車両ごとに列を作り、列車の到着を待ちます。

そして、列車到着近くになると、一列ずつ、ホームの乗車位置へ移動。

こんな乗車の仕方は初体験。

いつもは乗車口に誰も彼も猛ダッシュしていますもんネ。(笑)

側にいた乗客も、これはいいね!と言っていました。☟

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ついに、列車到着!☟

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ちなみに、トルファン駅から寝台車に乗り込んだのは、私一人でした。

 

寝台車の通路。☟

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寝台車内部。☟

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自分のコンパートメントまで移動する間、扉を開けて談笑しているコンパートメントは3つくらいしかありませんでした。

このコンパートメントにも先客はナシ。

もしかして、貸し切り???(笑)

高さも幅も十分あって、小さな荷物を置くラックやハンガーまである!

VIP待合室は利用できなかったけれど、この空間で寝られるなら大満足!\(^o^)/

 

洗面台も清潔。☟

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時刻は既に北京時間の23時前、現地時間の21時前。

目的地・敦煌甘粛省にあります。

明日からは北京時間での行動になるので、23時はそろそろ寝るべき時間なのです。

さっそく、この洗面台で顔を洗い、ゆったりとしたコンパートメントのテーブルを使ってスキンケア!

カシュガルから移動して来た時みたいに、硬座の中段で、背中を丸めて下を向いてスキンケアをする必要ナシ!!

ああ、幸せ!!!(*^▽^*)

これを喜ぶのは、体力の低下が原因?

2000年頃の私なら、節約することが幸せだったのに。(笑)

 

四人用のコンパートメントに一人。

この場合、中から鍵をかけていいものかどうか?

希望は最後まで貸し切り状態ですが、途中の駅で誰か乗ってこないとも限りません。

取りあえず、鍵は掛けずに、おやすみなさ~い!!

 

 

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月3日(火):トルファン2日目_青年路の葡萄棚・柏孜克里克(ベゼクリク)路のレストラン他及び2000年8月ツアー

本日は8月26日(日曜日)。

西安は晴れていて、まだ残暑厳しいですが、夜は涼しくなりました。

お盆で日本に一時帰国していた間に、季節はそろそろ秋になろうとしています。

ところが、7月初旬の旅行記が、まだ書き終わっていません!!!(涙涙涙)

急がなければ!

急がないと、学校が始まってしまう~~~~!!!

 

でも、日本に戻っている間、無駄に時間を過ごしていたわけではないんです。

最初の留学時、フィルムで写した写真をスキャンして持ってきました!

当時の旅行日記もスキャンしました!!

これで、薄れかけていた昔の記憶も補えます。

スキャンして、一番多かったのはカシュガルの写真でした。

これは後日、今回書いたブログに追加していきたいと思います。\(^o^)/

 

そして、トルファンの写真については、2000年夏には行ったけれど、今回は行っていないところがほとんど。

なので、今回のブログにまとめてご紹介しようと思います。

では、スタート!!!

 

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

 

 7月3日(火曜日)は、朝から曇り。

 

北京時間の10時前、現地時刻の8時。

窓ガラスを叩く音で目が覚めました。

管理人さんのお母さんが、「朝食食べないの?」と起こしに来たんです。

いつも朝食なしの予約なので、食事時間を聞くのすら忘れていました。(^^;;

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 ナンと粟のお粥、各種漬物とゆで卵。

更に果物があったみたいですが、食べに行くのが遅かったので、既に無くなっていました。(^^;

 

北京時間13時半、現地時刻11時半、出発!!\(^o^)/

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①から⑤の順で、西域葡萄庄園から高昌路へ出ました。

 

☟がこの日の移動ルートです。

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ピンク色のルートを徒歩で移動!

 

☟は「西域葡萄庄園」から南下中、最初のT字路の様子。

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まだ建物はあまりまりません。

☝の写真左上に公安があって、写真を撮るなと注意されました。

こんなところとっても何もないぞ、と。(笑)

 

ここでは左折せず、高昌路を南進します!

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向こうに見えている道は、西へ延びる「軍民共建路」。

ここからもう少し南下したところで「光明路」を左折。

「光明路」を「青年路」に着くまで真っ直ぐ歩いて、そこから「青年路」を一路南へ!途中「緑洲中路」・「文化路」がありますが、それらを渡って「老城東路」まで、ひたすら葡萄棚の歩行者天国が続いていました。

 

上述のように「青年路」は「緑洲中路」・「文化路」で分断されます。

「民俗団結主題長廊(歩行者天国)」の両端には巨大なコンクリートブロックが設置され、その隙間には中に入れないよう柵も設けられています。

☟は「緑洲中路」南側の入り口。

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☟2枚は「文化路」南側に面した入り口。

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葡萄棚の様子もご覧ください。

季節が早かったので、どの場所の葡萄もまだ熟していませんでした。

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☝の2枚は「光明路」から曲って入って来たばかりの所の「青年路」。

両サイドの小道はタイル舗装されていましたが、中央の通りはアスファルトのまま。

 

☟2枚は「文化路」の南側に延びる「青年路」の葡萄棚。

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紫色の粒が見えるのは、造花ならぬ造果?(笑)

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青い空と太陽の日差しがあれば、前日の「葡萄溝」のように色鮮やかな歩行者天国の様子が撮影できたのに、残念でした。

 

そして、「老城東路」に到着。(*^-^*)

ここまで徒歩1時間15分。

 

前方にも葡萄棚が続いていて、その途中に「トルファン賓館」の入り口があります。


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私、この「トルファン賓館」、名前と場所に見覚えが!

それもそのはず、2000年8月、このホテル前まで来たことがあったんです。

それも何度も!

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☝は当時2冊持っていた「地球の歩き方」の保存版の方の地図。

今回帰国時に探してみましたが、当時持ち歩いていたものは紛失していました。

ただ、日記も発見できたので、宿泊していたのが「交通賓館」であったことが判明。

そして、「トルファン賓館」の前には、「John's Cafe」という洋風レストランがありました。

上の方の継ぎ接ぎ地図なら①の場所です。

残念ながら、現在、「John's Cafe」はこの場所にはありませんでした。

他へ移動したのでしょうか、それともお店が無くなってしまったんでしょうか?

当時はここへ、食事、ツアーの集合場所、散歩等で何度も足を運びました。

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☝は、2000年8月7日、高河故城の見学を終えた後、北京時間22時頃に食べた「トルファンピザ」。

色が褪せていて、ソフトで修正してもこの程度の色合いですみません。<(_ _)>

ソーセージと玉ねぎがたくさん載っていました。

で、このピザ、いくらしたのか?

ここで買ったヨーグルトが2元とか、ツアー中の葡萄溝で食べたラグメンが8元とかの記述はあるのに、このピザの料金はなぜか書き忘れ。

8月5日夜には「カシュガルピザ」を食べたように記載しているのですが、やっぱり金額はナシ。

14元か21元?という、適当~~~な記憶が、頭の片隅に引っかかっています。(笑)

 

昔懐かしいレストランがなかったこと。

これはけっこうショックでした。

トルファン賓館」の看板を見て記憶がよみがえった時、私はここで昼食をとろうと思ったんです。(ーー;)

正直、日本で食べるピザとは違っていたんですが、それでも想い出は美化されて、記憶のなかでは美味しいという認識。

ピザ、食べたかったなぁ~~~。(T_T)

 

しかし、ないものは仕方ありません。

「老城東路」まで戻り、「トルファン博物館」に到着するまでの間で、どこかで適当に食べることにしました。

余談ですが、この「老城東路」、18年前の地図では「木納爾路」となってますね。

 

その移動中、覆面車輛を目撃!☟

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このホテルの駐車場の車ほぼすべて、黒とゼブラ模様で覆われていたんです。

この日は、ゼブラ柄塗装の車に、日差しがキツイので車内を守るべく窓に黒いシートを被せているのかな???と想像しながらその場を通り過ぎました。

誰も周囲にいなかったので、尋ねようがなかったんです。

 

でも、この好奇心を満たすチャンスがやって来ました。

翌日も、私はこの道を通って「トルファン博物館」へ行きました。

その帰り道、ちょうどこの車に乗り込んでいる男性が!

数人いたので、一番近くにいた人のもとへ小走りで近寄り、

「すみません!!昨日も見かけて、気になって仕方なかったんです。この模様はなぜですか???」

と率直に質問。(笑)

男性はゼブラ柄はシールだと、チラリとめくって見せてくれました。

まだ発売前なので、デザインを隠すための工夫とのこと。

でも、すっごく目立つんですが・・・・・・。(笑)

これほどボディラインがはっきり見えていたら、デザインバレるんじゃないでしょうか?

☝の3枚目、青空がのぞいている写真は、その時に撮影したものです。(*^^*)

 

疑問が解けたのは翌日の話で、この日は空腹のまま、この車両の前を通過。

私の目は、ひたすらレストランを探していました。

すると、なんだかレストランが連なる通りを発見!!

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通り入り口近くに「抓饭(ポロ)」のお店が二軒も並んでいる!☝

この通り「柏孜克里克路(ベゼクリク路)」はレストラン街でした。

通りすがりの地元の方に、どっちのお店の「抓饭(ポロ)」が美味しいか尋ねると、別の店を推薦され、地元の方が言うのだから・・・・・・と、空腹を堪えて前進し始めたものの・・・・・・。

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軒を連ねるレストラン。

どうやって見つければいいんでしょう?

店名と料理名に関連性のないものが多いのです。

実は、先ほど尋ねた方は現地の少数民族で、指し示す方向は分かったものの、店名は聞き取れませんでした。(T_T)

 

とりあえず一軒一軒様子を見ながら歩いていると、いつのまにか「文化路」との交差点へ到着。(笑)

仕方ないので引き返し、色んな賞をもらっていて、入り口の上が金色の表彰状で埋め尽くされているお店に入ってみることにしました。☟

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ここで、この旅行初の「抓饭(ポロ)」を注文!

☟はこのレストラン、「凱蒂娜美食」のメニュー。

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ほとんど15元以上!!

15元が高いと驚いているのではなく、カシュガルも含め、新疆の物価はもう少し安いのかな?と思っていたので、ギャップに驚きました。

 

店内と料理。☟

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「抓饭(ポロ)」はそれだけでなく、付け合わせのヨーグルトと甘酸っぱい漬物が付いてきました。

新疆では、お茶は1テーブル、1ポットが基本のようです。

ありがたい~~~!!(#^.^#)

 

☟は「抓饭(ポロ)」単品の写真。 

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お分かりいただけますか?

この「抓饭(ポロ)」、パラっとしているんです。

これまで食べたどのポロもベチャっとしていたのに、ここのポロはパラっ!

しかもニンジンが潰れず原型をとどめ、羊肉もしっかり大きな塊。

レーズンもふっくら。

とても美味しかったです!\(^o^)/

これをWechatのモーメンツに載せると、前日一緒に「葡萄溝」や「高河故城」へ出かけたカップルの彼氏さんからコメントが!

「僕らもそこで食事したよ!」

 

偶然入ったレストランでしたが、旅行客にも名の知れた名店だったのかも?

そういえば、トイレも清潔な上に、小奇麗な装飾でした。

 

 この後、予定通り「トルファン博物館」へ行きました。

でも、不運なことに、トルファンの歴史を紹介する「吐鲁番通史庁」という展示室が閉まっていました。

ちょうど、この日と翌日、私が見学できる2日間だけ、設備補修作業のために閉められていたんです。(T_T)(T_T)(T_T)

大ショックです!!!

 

すごく感動したトルファン出土の文書が展示されている「吐鲁番出土文書庁」は、撮影禁止。

ここにはベゼクリク出土の仏教絵画やサンスクリット文字の文書や、1969年にアスターナから出土した「論語の模写」、トルファン市が収集した「察合台(チャガタイ)文字」の文書、「回鶻(かいこつ)語」の「懺悔文(さんげもん)」もありました。

どれもこれも墨の色が鮮やかで真新しい感じ。

近年複製したものかな?と思い、わざわざ学芸員さんに問い合わせたくらいです。

「复制(複製)」と示されていない限り、全て出土品とのこと。

パンフレットによれば、ソグド文字のマニ教経典や、西夏文字の仏典もあったようです。(記憶が薄れてまいりました。(^^; )

興味を持たれた方はぜひ、博物館まで足を運び、実物をご覧ください。m(__)m

 

また、この博物館にはたくさんのミイラが展示されています。

撮影自体はOKなのですが、ミイラを片っ端から写すのも気が引けて・・・・・・。

 

そして、限りある撮影可能な展示品の写真は、なぜか大半がピンボケ・・・・・・。

 

一番興奮した「吐鲁番古銭陳列庁」は・・・・・・。

パンフレットには夏季:10:30~18:30、冬季:11:00~17:30(北京時間)とあります。

でも、7月3日は夏季に該当しなかったのか、「17:30閉館だから」と、入り口部分を少し見ただけで時間切れに。(T_T)

このために、翌日、もう一回来ることしたんです。

ということで、「トルファン博物館」については、7月4日のブログでご紹介します!\(^o^)/

 

博物館からの帰り道、「老城東路」を西に進み、もうすぐ「高昌路」という辺りで、懐かしい店名を目にしました。☟

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カシュガルにもあった「伊合拉斯超市(IHLAS)」です!

カシュガルのスーパーはとっても大きかったんですが、ここはこじんまりした商店くらいの大きさでした。

「伊合拉斯超市(IHLAS)」を百度地図で検索すると、カシュガルウルムチに次いで店舗数が多いようです。

ちなみに、トルファンは一番少ない数字でした。

写真を見ると、大規模なものから、☝の写真のようなものまでさまざま。

新疆ウイグル自治区で広く展開しているスーパーだったんですね。

 

 

 

☟の写真は「高昌路」と「青年路」に挟まれた「旅游文化广场(観光文化広場)」の入り口の様子です。

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☝は「青年路」側。

上に青い看板が付いている両側の回転扉は出口。

真ん中に見える赤い看板が付いた建物が入り口。

ここでチェックを受けて中に入るようです。

☟は「高昌路」側。

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出入りの仕組みは「青年路」側と同じでした。

☟は柵の内側にカメラを差し入れて撮影した広場の様子。

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曇っていてさほど暑くはなかったのですが、人影はあまりありません。

7月2日のブログに書きましたが、

トルファンでは、目につきやすい公共の場(主に広場や公園のようです)で、少数民族の人たちは3人以上で行動してはいけないそう」

です。

そんなこともあり、広場を利用するのはトルファン市の総人口の23%(百度百科参照)にしかすぎない漢民族が中心なんだと思います。

だからこんなに閑散としてるんじゃないでしょうか?

この場所、2000年当時の地図では「体育場」となっています。

私もぶらっと散策しました。

当然ならが柵なんて存在せず、誰でも自由に出入りしていたんです。

それを知っているので、管理の厳しさを一層強く感じてしまいました。

 

この後は、途中で壊れてしまったスマホのケーブルを買い、19時前、「西域葡萄庄園」へ戻って一日が終わりました。

日暮れはまだまだ先なのに、街中を見て回りたいという気分にならないのは、露店を見かけなかったから???

これでブログを終えるのはあまりに寂しいので、冒頭でもお話した2000年8月の写真を紹介したいと思います!(*^-^*)

 

もう一度、当時の地図を載せておきますネ。☟(*^▽^*)

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当時の日記によれば、8月5日、ウルムチにいた私は11時10分発の長距離バスに乗り、14時10分頃トルファンへ到着しました。

この日、トルファンは薄曇り。

特記すべきは、11時10分、長距離バスが定刻で出発したこと。

当時の経験では、これは素晴らしいことだったんです。(笑)

 

トルファン到着後、バスターミナルに隣接していた「交通賓館」にチェックイン。

4人部屋で、1ベット22元でした。

この当時、確かウイグル族の青年で「あいちゃん」と呼ばれている人物がいました。

まだチェックイン前、バスから降りようとした時に、ツアーの勧誘に来ていたんです。

初めは警戒していたのですが、あいちゃんが自己紹介してくれて緊張緩和。

彼は当時の「地球の歩き」に紹介されていたんです。

あいちゃんとは「あい」+呼称の「ちゃん」ではなく、「あいちゃん」というのが彼の名前の日本語風の呼び方だと言っていました。

そう、彼は日本語が話せる現地ガイドさんでした。

この時、翌日のツアーに参加することを決定!

 

その後、部屋の様子を見に来ていた日本人男性と出会い、一緒に「John's Cafe」に行き、そこで知り合った日本人の若者2人も一緒に話をしたりと、8月のオンシーズンだったからか、けっこう日本人に出会っています。

夜にも「John's Cafe」に行って、前述した「カシュガルピザ」を食べたのはこの時です。

 

2000年8月6日、快晴!

北京時間9時前、現地時間7時前、集合場所前にある「John's Cafe」でヨーグルトを(2元)を飲んで、ツアーへ参加。

ツアー参加者は計5人。
南京から来た老夫婦、アメリカ人と中国人の若者と私。

私の席はワゴン車の助手席。

朝から照り付ける日差しを受けて、観光地に着く前に、既にぐったり。

あいちゃんは客引き担当なのか、ツアーに添乗はしていませんでした。

 

最初に行ったのは「蘇公塔」。

中を見る必要はないと言われ、外から写真撮影。☟

 

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次は、このために朝早く出て来た「火焔山」。☟

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現地時刻の8時過ぎだったと思うのですが、既に、見るからに暑そう。(^^;

でも、この☝途中まで登りましたヨ。

「火焔山」の記念碑と、18年前の私・・・・・・。☟

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日傘を差さず、帽子だけでこの日差しの中を行動しているとは・・・・・・!
自分で見て、驚きです。(笑)

 

☟は、移動中に見えた「火焔山」。

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この後、今となってはまったく記憶に残っていない「アスターナ古墳群」へ。

写真はありません。

撮影禁止だったのかな???

日記にはこうあります。

『見学可能な墳墓は3つだけで、しかも小さい。ミイラが1体(2体?)あったけど、狭く暑いところに寝かされ、人にジロジロ見られて、挙句「大したことない」と思われるなんて、かわいそう。』

「たいしたことない」というのが、古墳に対するものなのか、私個人の感想か、他のツアー参加者がつぶやいていた言葉なのか、今となっては確かめようがありません。

自分の感想だとしたら・・・・・・、反省しなければ!m(__)m

 

そして、「高昌故城」。

ちょうど真昼時でした。

南京からの老夫婦は、体力を考えてか中へ入られませんでした。

当時の私の正直な気持ちは、どっちでもいいというもの。

だって、真昼なので、遺跡内に日差しを避けることが可能な影なんてどこにもないんです。

5人のツアー参加者の中で、唯一、アメリカ人の若者だけが、果敢に炎天下の遺跡へのチャレンジを主張!

それで、ただ待っていてもつまらないからと、私と中国人の若者も見学することになりました。

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顔はカバーしようとしていますが、手の甲は直射日光を浴びっぱなし。

あの年、私の手の甲は、まるで爬虫類の手のようなありさまでした。(^^;☟

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☝の写真が存在しているのは、私が中国人の若者と一緒に回っていたからです。

途中で別行動をとっていたアメリカ人の若者と出会い、そこからは3人一緒。

 

高昌故城、非常に広いんです。

私は途中で引き返したくなり始めていました。

でも、既に入り口は遥か彼方。

どうせ諦めるなら、もっと早く、簡単に戻れる内に決断すればよかったんです。

でも、疲れが出始めたころには、おそらく入り口から最も離れた辺りに来てしまっていました。

 

連れがいるので平気な振りをしていたものの、内心途方に暮れかけていた時、救世主出現!!

☟の写真にあるようなロバ車に乗った女性が通りかかったんです。

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アメリカ人女性の二人連れ。

二人は高昌故城で偶然出会って、一緒にロバ車をレンタルしたそうです。

二人とも中国語が堪能!

しかも、その内お一人は流暢な京都弁を操って私と話をしてくださいました!

以前、ご主人の仕事の関係で、京都に住んでいたそうです。

荒涼とした新疆の遺跡の中で、明らかに東洋人ではないと分かる金髪の女性の口から語られる京都弁。

不思議な気分でした。

無料で乗せてくださると言われたのですが、それでは申し訳ありません。

10元払って便乗させていただきました。

一緒にいたアメリカ人と中国人の若者は徒歩希望だったので、私は一足先に入り口に戻りました。

 

この後は、「葡萄溝」へ。

途中、中国人の若者が、ワゴン車を止めて西瓜を買いに行き、みんなに振舞ってくれました。

喉が渇いていたので、この時の西瓜の味は格別!

「葡萄溝」は入場料が値上がりしていたようで、当時の私は少々不機嫌。(笑)

地球の歩き方」には20元とあったので、40~50元になっていたんでしょうか?

「不愉快」とだけ書いて、金額を書いていません。(^^;

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不機嫌ではありましたが、葡萄の鮮やかな黄緑色については、素直に「綺麗」と感想を残していました。(笑)

ただし、葡萄棚以外には魅力を感じなかったようです。

ここで、人生初のラグメン(8元)を食べました。

ちなみに、2018年の入場料は75元。

18年間で35元~25元くらいの値上がりなら、それほど悪くないのでは?

 

ツアーだと、1日が充実しています。

次はカレーズ!

しかし、前日カレーズを見に来たと言う人から、「20元も払って入る価値はない」と聞かされていた上、他の4人も入らなかったので、建物の外で、溢れ出して来る地下水を眺めただけに終わりました。

ここでも、「地球の歩き方」で紹介されていた6元から、値上がりしていますよ。

 

そして、この日のツアー最後の見学となる「交河故城」へ!

しかし・・・・・・。

助手席で、トルファンのキツイ日差しを浴び続けた結果、私は完全ダウン。

老夫婦と一緒に、若者2人が見学を終えるのを入り口外で待っていました。(^^;

この場所が、今年の旅行で踏み込んだ「情人谷」への道のと分岐点だと思われます。

 

こうして見ると、「蘇公塔」以外、トルファンの観光地は郊外にあることがよく分かります。

今は自家用車を運転して来る旅行者も多いですが、私のように中国の免許を持たない外国人は、やっぱりツアーに入るのが便利だと思います。

 

その日の夜、これまた「John's Cafe」で今度は「イタリアンピザ」が出てくるのを待っている時、あいちゃんに出会い、翌日夕方、「交河故城」へ行くことを勧められました。

交通賓館の同じドミトリーに長期宿泊していた日本人の若者からも、「交河故城が一番いいのに・・・・・・」と言われ、かなり残念な気分になっていたこともあって、再チャレンジを決意!

「あいちゃんからは、情緒があるのでロバ車で行くことを勧められたけれど、私は通常の車で行くことにした」~~~と書いてある!!!

私、記憶違いをしていました!!!

7月2日のブログにも、ロバ車で出かけたと書いたし、ずっとそうだったと思っていたのに・・・・・・。

事実は・・・・・・、車で往復する道中、のんびり道を行くロバ車を見た?

多分、そんなことで、記憶がすり替わったんでしょうね。(^^;

記録の大切さを実感しました。

 

日付変わって、2000年8月7日。

「交河故城」へ行くのは夕方なので、昼間は暇を持て余し、交通賓館向かいにあった市場を散策。

市場内でソフトクリーム(0.5元)を買って食べて、お腹の調子が微妙に。

北京時間19時過ぎ、現地時間17時過ぎ、「John's Cafe」へ移動。

私の腹調子のことを知ったあいちゃんからの忠告。

「地元民は平気だけど、アイスには生水を入れることがあるから、旅行者は注意が必要だよ」

どうりで・・・・・・。

ウルムチで食べた時も、お腹壊しました。(苦笑)

 

「John's Cafe」からジープに乗って、「交河故城」へ、Go!!

ジープです!

ロバ車もいいけれど、ジープだって荒涼とした風景にとても良く合います!!

それにスピードも速い。(笑)

では、今年見損ねた夕焼けに染まる「交河故城」の様子をご覧ください。(*^-^*)☟

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遺跡の入り口の坂道。

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☝☟、2018年7月2日は、この断崖の下を歩いていたんです。

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谷間からだと見えませんでしたが、小川の右手にも高台があったんですね。

そこに、2000年8月には葡萄乾燥庫がありました。

今年も変わらずあったのかな???

 

そろそろ日が沈みます。☟

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この辺りにはお寺らしき遺構がたくさんあったようです。

けれど、仏像はほぼすべて破壊されていたと記しています。

 

遺跡の一番奥へたどり着きました。

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☝は、今年、私たちが歩いたのは反対側の谷間。
その向こうに、夕日が沈もうとしています。

日記によると、北京時間21時過ぎ、日没。

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この後は入口まで戻ってジープに乗り、22時頃「John's Cafe」へ到着。

同じドミトリー長期滞在の日本人の若者や、少し年配の日本人男性、長期滞在さんの知り合いのウイグル人や、ウイグル語が少し話せるアメリカ人も一緒におしゃべり。

インターネットにも接続できた「John's Cafe」は、当時、旅行者にとって国際交流の場だったんです。

今はスマホでいつでもネットに接続でき、情報交換もWechatで簡単にできる時代。

もう、こうした場は必要ないのかも知れませんが、私としては残念でした。

 

終わり。(*^-^*)

 

 

 

 

 

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月2日(月):トルファン初日_トルファン北駅・ブドウ農園・葡萄溝・交河故城

2018年7月2日(月曜日)、トルファン、快晴~~~!!!

 

北京時間の朝6時15分、スマホの目覚まし音にびっくりして飛び起きました。

周囲はまだ眠っています。

起こしたら大変。

私は朝の準備に時間がかかるので、早起きしないといけないのデス。(^^;

カーテンの隙間からチラっと外を見ると、日の出前の静かな世界が後方へ流れています。

しばらくぼ~っと見ていると、白っぽく薄暗い景色の中、前方右手の稜線がうっすら赤みを帯び始めました。

日の出???

検索すると、この日、トルファンの日の出時刻は6時28分。

急いでスマホとカメラを準備。

撮影を開始!!!\(^o^)/

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私の生活リズムでは、朝日を拝むことはまずありません。(^^;

そんな私が今回、日の出にお目にかかれました。

朝日を見られただけでも幸せなのに、その場所が西域の荒野!!

この両方が揃うなんて、私にとっては奇跡!!!

幸せ~~~!!!(*^-^*)

 

 その後も、車窓からの景色は刻々と表情を変えていきました。☟ 

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☝は全て進行方向右手の景色です。

日の出直後の赤みを帯びた山や大地。

それがずんず明るくなっていきます。

風力発電のための風車も登場。

白い風車が一面に並び、プロペラがゆっくり回転している姿は幻想。

 

青く晴れ上がった空には、白い月が浮かんでいました。☟

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トルファン北駅まで、後、十数分。☝

私は既にデッキでスタンバっていました。(笑)

 

デッキ反対側(進行方向左手)の窓から。☟

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山並みが近くに見えます。

 

到着まで、後5分ちょっと!☟

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後、1分!☟

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デッキ左側の窓に、トルファン北駅の裏手にある「トルファン高河空港」が見えました。

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トルファン空港」の中国語「吐鲁番机场」の後ろ3文字、「番机场」が写せました。

よく見ると、岸の上にチラッと管制塔らしきものの頭が覗いています。

 

 

 予定の北京時間7時45分より5分くらい遅れて、列車はホームに到着。

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トルファン北駅へようこそ!」☝

 

朝っぱらから、ホームへ降り注ぐ日差しの強いこと!!!(^^;☟

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眩しいだけで、実は涼しいのでは?なんて思わないでくださいネ。

北京時間の8時前は、現地時間の6時前。

にもかかわらず、日の当たる所の暑いのなんの・・・・・・。(^^;

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調べてみると、このトルファン北駅は2014年8月末に竣工。

まだ4年しか使用されていないので、ホームと改札口(出口)をつなぐ通路がピカピカ!☟

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改札(出口)のある建物へ入ります。☟

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改札口が見えて来ました。☟

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切符を自動改札機に通して外へ。

 

改札口を出た場所から、正面やや右手に見えた「トルファン市バスセンター」。☟

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柵の前の案内板。☟

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この看板によると、「售票处(切符売り場)」は左手にあるようです。

前日、切符発券で焦ったことを思い出し、今回は到着そうそう切符売り場に向かいます。

失敗を無駄にしないぞ!(笑)

 

でも、移動前に周囲を観察。

振り返って、今出て来た改札口を撮影。☟

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続いて、駅舎を振り仰ぎます。☟

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この駅舎、トルファン地区の葡萄乾燥庫の建築要素を取り入れ、アーチや装飾文様等独特な地域文化の特色を採用していると、百度百科に紹介されていました。

 

そして、横には地下へ降りるエスカレーターと階段。☟

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周囲の確認が終わったので、いざ、チケット売り場へ!!\(^o^)/☟

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この入り口の左横に、切符売り場の営業時間が掲示されていました。

【営業時間】

北京時間 05:25~23:15

注:出発の5分前は改札は終了となります。

 

ここも新疆ウイグル自治区の一都市なので、切符売り場に入るにも安全検査があります。☟

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ちなみに、一つ上の写真に写っているのは、出てくる時に通過するセキュリティ回転ドアです。

入る時は、入り口を直ぐ右に曲がって、☝の安全検査を受けます。

 

窓口は一つしか開いていませんでした。

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でも、北京時間8時過ぎと言えば、現地では早朝の6時過ぎ。

市内中心から14kmくらいある駅まで来るには、ちょっと早すぎるのかも知れません。

順番は直ぐに回って来ました!(*^-^*)

 

今回はソフトコンパートメントの下段!

背中を丸めなくても、スキンケアと化粧が楽々!!

写真を撮りに、ベッドを上がったり下りたりしなくてもいいし、便利~。

昔は全然苦にならなかったこんなことが、面倒になるなんて・・・・・・。

先刻、改札口を出た後で、二等寝台車から変更してしまいました。(^^;

駅の待合室も一般の場所とは違うVIP室を使えるし、ホームに入る時も専用の改札からでられる!

もう、もみくちゃにされる心配なし!!

メリットがいっぱい~~~!!!

と喜んでいたら、親切な窓口の男性から一言。

 

「次に乗る列車は、この駅から発車じゃないから、注意して下さいね!」

 

な、なんですと~~~???

 

こちらをご覧ください!☟

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トルファン北駅」ではなく、「トルファン駅」です!!!

前述したように、「トルファン北駅」は市中心部から14kmくらいで、さほど遠くありません。

路線バスもあります。

ところが!

トルファン駅」は市中心から高速利用で約53km、一般道なら65km~~~!?(゚Д゚;)

なにゆえこんなに遠いの~~~~???

分かっています。

今さら驚く私がヘンなんです。

切符を予約した時にきっちり見ておけってことなんです。

でも、本当に驚きました。

一般的には、新しい駅の方が遠くにあるモンです。

そして、駅よりも空港の方が遠くにあるんです。

なのにトルファンでは、新しい駅と空港が市内から比較的近い位置に併設され、昔からある駅は車で1時間・・・・・・。

路線バスはなく、タクシーで行くしかないと聞かされました。

アプリで調べると161元と出てきます。

はぁ、予定外の出費だ・・・・・・。

※これについては、この後書く予定のトルファン最終日のブログもご参照ください。

解決策があります。☟

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月4日(水):トルファン3日目_トルファン博物館(古銭)・地下ショッピング街・トルファン駅 - せいあん!

この日のブログの、最後の方に関連記事があります。

目次が付いていないので、ご不便をおかけします。

すみません。

いまだ、どうすれば目次が付けられるのか、マスターできておりません。m(__)m

 

少々落ち込みながら、下の広場へ出るためエスカレーターに乗りました。

下に着いて、出口を見てビックリ。

ここでも安全検査~~~~!!!☟ 

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内側から写真を撮るのは憚られたので、外に出てから撮りました。

☟はアップにしたものです。

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ここでも、セキュリティ回転ドア

しかも、身長の高さ以上あります。

荷物をコンベアに載せ、人間も検査機の下をくぐり、身分証明証の提示して、やっと外に出てきました。

そして、パスポートを提示した外国人の私は、この場だけのチェックでは終わらず、係り員に誘導され壁伝いに右へ。

茶色っぽい簡易事務所のようなところまで、連れて行かれました。☟

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☝で紺色のパラソルの向こう側が駅出口です。

☟は簡易事務所のアップ。

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この事務所の前に銃を持って立っている人が、自分の携帯を使って私のパスポート情報を撮影。

さらに、私の顔の横にパスポートの顔写真ページを持って来て、また撮影。

 

駅を出るだけなのに、なぜこんな厳しいチェックがあるんだろう?

カシュガルやコルラでも、空港ターミナルから出る時にはノーチェックだったのに。

旅行客はここからトルファンに足を踏み入れるので、入国審査ならぬ、入市審査なの???

トルファン、警戒管理が厳しいです。

 

でも、対応はとてもフレンドリーした。

しばらく係り員さんと雑談。

ライフルを持ちっぱなしで重くないですか? → 慣れてるから平気。

トルファンの出身ですか? → 親族がここに住んでいるから、転勤して来た。

今どこに住んでいるの? → 西安です。

トルファンは初めて? → 18年前に来たことあるんです!!!(*^▽^*)

等々。

 

☟の2枚は、簡易事務所の側から広場を撮影したものです。

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☝「トルファン市バスセンター」の手前にバス停があります。

 

☟バス停の様子。

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☟、駅の入り口です。

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駅舎右下で、赤い看板に挟まれているのが入口。

入り口の上部が切符売り場です。

 

入り口と切符売り場のアップ。☟

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では、「トルファン北駅」から、私が宿泊する施設(ブドウ農園)までのバス路線を確認しましょう!(^_^)/

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「路線バス202」に乗って、「共青団四隊駅」で下車です。

 

「202」がやって来ました。

待っていた人が乗り込もうとすると、中から下りてきた赤い服の女性が荷物のチェックを開始!

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西安武漢の空港でターミナルに入る時、警備員が手に持った機器で荷物の安全検査を行いますが、あれと同じ要領です。
これにはびっくり!!
路線バスに乗るのに必要???
カシュガルではこんな検査、ありませんでした。

駅からの始発時だけかな・・・・・・?とか考えていたら、途中から乗る客に対しても行われました。

改めて、トルファンの警戒の厳しさを実感。

 

余談ですが、手荷物検査員の女性の真っ赤な服は、制服ではありません。(笑)

各自、自由な服装でした。

 

バスの中、窓から差し込んでくる日差しが、眩しい、暑い~~~!

日傘を半開きにし、頭にかぶせて肌を焼くような陽光に耐えました。(^^;

 

バス停「共青団四隊」に到着~~~\(^o^)/。☟ 

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日差しを浴びてキラキラ輝くポプラ並木が美し~い!(*^-^*)☟

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乾燥しているので、日陰さえあれば、わりと過ごし易いんです。

 

 ☝の写真、スクーターが見えますよね。

百度地図の画面は、その手前、路面の色が違って見えるところで左折するよう示しています。(^_^)/

ぱっと見には、私道のよう。

右側、農園を囲っている柵の前で行き止まり。

左側、道はずっと先へと延びていて、その入り口には立派な門。

門には大きく「西域葡萄庄園」とありました!

ここだ~~~!!!☟(*^▽^*) f:id:shanshanduohuizi:20180731235329j:plain

ただ、アプリの指示のように、簡単に左折はできませんでした。

この門をくぐるためには、道路を横断しないといけないんです。

でも、中央分離柵が行く手を阻んでいる!

柵が途切れるところまで行って渡ろうと思うと、遥か先まで行ってUターンしないといけません。

遠い~~~!!!

 

・・・・・・左右、確認!!!

ヨシ、車は来ていない、今だッ!!!

 

ダッシュで道路中央へ。

トランクを反対車線側に下ろし、柵を乗り越え、またダッシュ・・・・・・。

交通ルール違反です。m(_ _)m

 

☟は入口の門の内側。

中央を隔てる柵が見えます。

あれを乗り越えてやって来ました。(^^;

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☝と更にその上の合計2枚は、翌日撮影したもの。

空の色が全然違います。(^^;

 

門をくぐり、☟の柵沿いに入り口までやって来ました。

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☟ここが入り口。

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人の出入りは、車用の扉の横にある通用門から。

通用門を入るとすぐ、手荷物検査の設備があります。

ここでパスポートを提示し、荷物のチェックを受けました。

ただ、この農園では初回にチェックを受けただけで、その後はフリーパスでした。

この点、ホテルと農園の違いなのか、カシュガルのホテルの方が厳しかったですね。

 

☝の入り口の反対側は、敷地内へと続く通路。

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通路スタート地点で、ウイグルの民族衣装を着て楽器を演奏する人形がお出迎え!

☟は通路を奥側から写したものです。

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 通路を進んで行くと、左手に農園内宿泊施設の受付けがありました。☟

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葡萄棚の下に受付カウンター、食事をするテーブルやブランコ椅子、簡易な食事を作るための台所設備があります。

日焼けしそうではありますが、黄緑色の葡萄の葉の隙間から零れ落ちてくる日差しと、くっきり濃い影の下、風がとっても気持ちいい!

 

この宿泊施設、私が宿泊した7月初旬は朝食込みで1泊168元(1元=16円換算で、約2,700円)でした。

このころは葡萄はまだ熟れてなく、農園内の色んなイベントも始まっていない、シーズン直前。

7月半ばになると、宿泊施設管理人の女の子がWechatモーメンツで「葡萄収穫開始!購入希望者はご連絡ください!」とアップ。

この時期の部屋代は1泊朝食込みで297元(約4,800円)。

7月末になると、338元(約5,400円)。

しかも、一番高い部屋まで全部予約で埋まっています。☟

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人気がありますネ!

 

☝の7月31日チェックインー8月1日チェックアウトの部分をご覧ください。

この右半分には「内宾(nèi bīn)/中国本国の旅行客」と言う標記があります。

これは、「中国大陸の身分証明証を持つ住民を対象とする」という意味です。

私が予約した時も、7月中旬時にもない注意書きですが、現在では中国「大陸」の住民以外は宿泊できなくなったようです。

実は当時、「VPNは使わないで」と言われました。

理由は「VPNを使うと海外サーバーへアクセスしているのが発覚、チェックが入ると使用者が外国人と分かり、外国人が宿泊しているのがバレるから」。

以前は外国人を受け入れる資格がないまま、予約を受けていたんだろうと思います。

それが今は、指導でも入ったのかな?

 

資格なく宿泊させるのはマズいんですが、そこはちょっと置いておいて。

注目すべきは、VPNの使用が〇局にすぐばれ、使用元(個人)を突き止められること。

これを聞いた時には、かなり気分が重くなりました。(◞‸◟)

 

さて、チェックイン手続きが終わった頃は北京時間10時半過ぎ。

現地では朝の8時半過ぎ。

ここのチェックインは本来北京時間14時(現地時間12時)です。

相当早く到着したんですが、大半の旅行客は暑くなる前に観光地へ向かうので、チェックアウト済み。

部屋さえ開いていれば、この時間でも対応してもらえるんです!

でも、さすがに早かったようで、部屋の片付けがまだ。(^^;

清掃完了を待つ間、サービスで朝食のお粥とゆで卵をいただきました。(*^▽^*)

 

☟が宿泊施設です。

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一番手前は管理人室。

 

私が宿泊した部屋の様子。☟

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昨年、内装工事をしたとのことで、とても綺麗。

エアコンの効きもバッチリ。

加湿器もありました!

 

☟は洗面台等。

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洗濯しやすい、幅広く深めの洗面台ボウルがありがたかったデス。

 

エアコンを付け、部屋を確認して、その後は眠気に負けて寝てしまいました。(笑)

起きたのは北京時間15時前。(^^;☟

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現地では午後13時。

既に38度。

予報では、この日の最高気温は43度!!!

これから更に暑くなります。

この気温を見て、「出掛けよう!」という気力を根こそぎ奪われてしまい、洗濯することにしました。(笑)

こんなふうに洗濯物を庭に広げて干せるなんて、日本の実家を思い出します。☟

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中国ではマンション住まいなので、狭いベランダに干すしかないんです。

気持ちいいな~~~。

見ているだけで、幸せになります。(#^.^#)

 

この後、農園内を探索しました。\(^o^)/

収穫にはまだ少し時期が早く、一粒一粒は小さいのですが、一房の長さが日本で売られている標準規格より長くなるであろうことは既に見て取れます。☟

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農園なので、葡萄棚だけの区画もあるんです。

この時期は全ての種類が黄緑の状態。

でも、熟したら紫になる種類もあるそう。

 

ここからはイベント施設。

訊くところによると、私がチェックアウトした翌日(7月5日)から、イベント開催ということでした。

私、4日の夕方までここにいたんですよ、本当に残念。(T_T)

 

☟右側にカウンターのようなものがあるので、ここで食事を提供するんでしょうか?

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☟葡萄棚の下のハンモックチェアーが気持ちよさそう。

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☟私が宿泊中も、団体客がやって来て利用していたレストラン。

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☟通路脇に置かれているブランコタイプのベンチ。

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☟葡萄棚の下の休憩スペース。

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ここからは居住エリア。

アーチ型の葡萄棚の下に宿泊施設があります。

これならトルファンの強烈な日差しが屋根に直撃せずに済むので、多少はエアコンの助けになりそう。(笑)

 

☟この列だけ壁の色が違うので、面積の広い三人部屋はこの列にあったのかな?

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☟私が宿泊していたところ。

管理人さんのお母さんが洗濯したシーツが翻っています。

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左の端っこに、私のスカーフもチラッと写ってます。(*^-^*)

☝の写真、葡萄や木々の濃い緑、青空、白い雲とピンクのシーツのコントラストがお気に入り。

 

☟部屋の前の通路。

グリーンのシーツが増えてますネ。

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シーズンを目前に忙しくなるからと、管理人さん(20代初めの女の子)のお母さんが、わざわざ湖北省から手伝いに来られていたんです。

武漢市近くの襄陽市だそうで、この地名を聞いて話が盛り上がりました。

ここの副市長、かつて私が武漢で働いていた会社の親会社の重役だったんです。

以前いた会社の董事(役員)でもあって、かなり頻繁にお目にかかる機会がありました。

これで、一気に親近感が湧いたのは言うまでもありません。(笑)

 

☝の写真、通路と畑の境目となる、水色の台状の部分があります。

その上に上がってしゃがみこんでいる人物が見えるでしょうか?

そう、私の洗濯物の向こう側に座っている人物です。

しょっちゅうあそこに出てきては、電話をしたり、たばこを吸ったり。

なので、洗濯物を干す時にも顔を合わせました。

洗濯物は、洗っては干しに出、また中に入って洗っては、持って出て。

これを繰り返していたので、その都度会話数が激増!

私もよくしゃべる方ですが、彼もけっこうおしゃべり好き。

それもそのはず、旅行会社の営業担当だそう。

電話は、仕事の対応をしていたんだそうです。

彼女と旅行に来ていて、夕方から葡萄溝へ行って、時間が余ったら交河故城の日没を見に行きたいと言っていました。

 

余談ですが、私はタバコ嫌いです。
でも、風であっという間に煙が拡散していくので、あまり気にならずにすみました。
洗濯物にも、臭いナシ。

 

私が農園探検を終えて戻って来ると、案の定というか、また定位置でタバコを吸っていました。(笑)

 

気軽に挨拶すると、先方から「良かったら、一緒に行きません?」とお誘いが。

もちろん、最初は断りましたよ。

カップルの邪魔をする気はありません。(笑)

それに、葡萄溝にはムリに行かなくてもいいように、葡萄棚のある農園を宿泊先に選んでいたんです。

でも、彼女も喜んでいるということだったし、交河故城にも行くつもりのよう。

車をチャーターしての移動だから、頭数が増えれば一人当たりの費用は少なくなる。

私だけじゃなく、二人にもメリットがあるなら、いいかな~?

で、同行させてもらうことにしました。(*^-^*)

 

この時刻の気温は☟をご覧ください。

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現地時刻では14時半過ぎで、40度、湿度11%!!

出発は北京時間18時、現地時間16時と決まりました。

 

運転手さんには「葡萄溝に行く」とだけ伝えてあったようで、交河故城行きも含めての価格を車内で再交渉。

方向が逆、待ち時間が長い等のやり取りがあって、合計150元で交渉成立!

私の負担は50元です。

私とにかく交渉が苦手。

付いて来て良かった~と思った瞬間でした。(笑)

 

 

葡萄溝風景区のチケットセンターまで、市内中心から少し離れている「西域葡萄庄園」からは10分弱でした。

駐車場から彼氏さんと二人、チケットセンターへ。

彼女さんは暑いということで車に残りました。

☟がチケットセンター内部の様子です。

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ここに入るにも、安全検査があります。

すごく広いロビーでしたが、シーズン前のせいか、時間帯のせいか?

殆ど人はいませんでした。

 

ここの窓口、スマホでの決済ができませんでした。

Wechatもアリペイもダメ。

現金かカード払いのみ。

どちらも持っていなかった彼氏さん、大慌て!

私は貴重品一式肌身離さず持ち歩いているので、出発前に用意した現金とカードがあります。

ここは現金を温存して、カードで3人分を支払いました。

1人75元。(1元=16円換算で、1,200円です)

二人の代金150元は、私の車代50元を差し引いて、Wechatで返金してくれました。

 

☟これがチケット。揺れる車内で撮影。

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一人一枚ではなく、一緒に購入した人数と合計額が記載されたチケット1枚だけ。

二人の旅行記念になるはずだから、私は写真にして持ち帰り。(*^-^*)

これって紙の節約、エコ活動なんでしょうか???(笑)

 

  

葡萄溝風景区はトルファン市の北東11km、南北約8km、東西約2km、火焔山の西にある峡谷です。

2007年5月8日、国家5A級観光景区に認定。

今年の2018年4月13日には、「神奇西北100景(神秘の西北百景)」に選出されました。

 

縦に長い観光地なので、スクショをつぎはぎして全体を表現!v(^o^)/

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見学したのは3か所です。

1.葡萄遊楽園

2.達瓦孜民俗風情園【※ダワズ(達瓦孜):新疆に伝わる空中綱渡り術】

3.阿凡提風情園【※エペンディ(阿凡提):ウイグルやカザフ等少数民族の、伝承中の機知にたけた人物】

 

チケットセンターを出発後、私たちを乗せた車は一路北へ。

葡萄溝で一番奥まった場所にある「葡萄遊楽園」へ向かいました。

 

1.葡萄遊楽園

園内に入り、正面に延びる、この回廊を進みます!(*^-^*)

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☝の左脇に設置されていた案内図を拡大しました。☟

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日本語でも書かれています。(^_^)/

 

団体さんが現地ガイドさんを雇っていました。☟

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写りが小さく見辛いですが、現地の風景には、現地の民族衣装がよく似合いますネ!

 

少し進むと、無料の休憩撮影ポイントを発見!☟

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彼女さんと二人、写真をお互いに撮り合いました。

 

更に少し進むと、葡萄のフレッシュジュースの販売が!

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熟した葡萄はやっぱり粒が大きい!

ここでしか飲めない、本場の搾りたて!!

飲まなかったら後悔する~~~!!!

しかも、1杯10元、1元16円でたったの160円~~~~!!!!

で、買ったジュースはこちら!👇(*^-^*)👇

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表面泡立ち過ぎて、ジュースがどんな色だかさっぱり分かりませんね。(笑)

味は、「甘さ > 酸っぱさ」のバランスがばっちりで、とても美味しかったデス。

ほぼ、一気飲みでした。(#^.^#)

 

この観光ポイントには、民俗建築の紹介もありました。

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室内の展示を見終え、外へ出て坂を上ると・・・・・・。☟

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前方に葡萄乾燥庫が見えました。☝

その横にず~~~っと連なっているのは火焔山!

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なので、ここにも「火焔山」の記念碑が!☟

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2000年8月に一度火焔山には行っているので、今回はパスするつもりでした。

でも、葡萄溝に来たおかげで、火焔山にこんなに接近できました。(^^)v

 

葡萄遊楽園の観光は以上で終わりです。

☟は出入り口の様子。

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入る時、ここでチケット以外に、安全検査を受けました。

このゲートの外側、ドライフルーツを販売するお店がずら~~~っと並んでいます。

 

再び車に乗り、来た道を引き返しながら二番目のポイントへ向かいます。(^o^)/

 

2.達瓦孜民俗風情園【※ダワズ(達瓦孜):新疆に伝わる空中綱渡り術】

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ここが入り口。☝

右側、写真に写っていない場所でチケットを提示し・・・・・・、以下略。(笑)

 

ここにも、日本語が併記されています!

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「ダワス観光地」

最初見た時は「ダクス」に見えました。(笑)

ちなみに、私はこの観光ポイントの冒頭で「ダワズ」と記載しています。

「孜」の発音が「zi」で日本語の発音の「ズ」に近いことと、「人民中国インターネット版(日本語)」の記事で「ダワズ」と紹介されていたからです。

(参考)

多様化する北京五輪後の「鳥の巣」活用法_人民中国

「千万人を超えた「鳥の巣」詣で」の三行目

 

この「ダワズ」 、新疆に伝わる空中綱渡り術のことですが、園内で空中綱渡りを行うような場所は見かけませんでした。

シーズン前で準備されていないだけ?

何か関連するものないかな~?

百度で写真を検索したところ、こんなものが見つかりました。☟

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少なくとも、入園する際にくぐる門の上に、綱渡りをしている姿を模した人形が飾られていたようです。

左側のパラソルの上には、写真も設置されています。

シーズンになったら、復活するのかな?

 

この☝写真のおかげで、個人的に気になっていたことが解決しました。

私が撮影した門の写真には、左側の塔の窓に白っぽい人形が置かれています。

日が陰り始めた時刻に見ると、なんだか幽霊みたいで不気味でした。(^^;☟

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この人形、左腕を前に伸ばしています。

この姿勢、「百度図片」から拝借した綱渡り中の人形と同じに見えませんか?

出番が来るまで、日陰で休んでるんでしょうか?(笑)

 

門の写真でも、アーチの向こうに見えていましたが、小道の中央を水が流れて来ています。☟

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澄んだ水の流れのおかげで、少し涼しく感じます。(*^-^*)

 

傾きが大きくなり、オレンジ色っぽくなってきた太陽に照らされる葡萄トンネル。☟

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☝☟房がびっしりぶら下がってます!

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☝宝石を連ねた装飾品みたい!!

 

葡萄棚の内と外、光と影のコントラスト!☟

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ゆるく曲がりながら続くかなり長い葡萄のトンネル。☟

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その先には、小さな滝が!☟

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カレーズの渓流だそうです。

 

滝の内側から見た水飛沫!☟

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シャッタースピードを変えて撮影してみました。(#^.^#)

 

滝の反対側へ出ました。☟

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 ほとんど雨が降らない地域なのに、カレーズのおかげで水資源が豊か!

 

☟巨大ナン焼き窯。

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手前にあるのは、ナンを模した紹介板です。

高さ8メートル、直径10メートル。

ナンを焼くだけでなく、駱駝一頭、牛二頭、ヒツジ十頭を同時に焼くことができる。

一度に100人余りの人々に供することができる。

ネットで検索すると、少し古いですが2013年8月2日付の記事を見つけました。

2005年8月、「金駝吉祥」という名称の駱駝の丸焼きを作った。

炉に入れる前の駱駝の重量は300kg以上。

2007年8月には総重量400kgの牛二頭を丸焼きにした。

2010年8月、第19回シルクロード葡萄祭りでは、一度に100羽の鳥の丸焼きを作った。

巨大なナン窯は、2013年時点で連続7年「金牛祈福」・「金駝吉祥」等の美食を焼き上げることに成功している。

巨大なナン窯は世界ギネス記録にも登録された。

関心のある部分を箇条書きにしてみました。

お飾りではなく、実際に使用されているんですね!

百度を検索して、実際に催しが行われている写真を発見したので拝借しました。☟

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 第22回なので、2013年の催しです。

こういう写真を見ると、より暑くても、人が多くなっても、宿泊費が倍になっても、シーズン中に観光すべきだったかな~と言う気にさせられます。(苦笑)

 

ここから更に進むと、先ほど見た滝から流れてくる渓流に出くわしました。☟

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今度は流れ落ちてくる水を正面から見ることができました。

本当に涼しくて、ここから動きたくありませんでした。(笑)

 

青空・火焔山・葡萄棚。きれいな色合い!☟

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スポットライトを浴びているような葡萄!

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夕日を浴びるポプラと葡萄の葉!☟f:id:shanshanduohuizi:20180731214923j:plain

この光の透け加減がたまりません!

こういう光景が大好き!!!

なので・・・・・・、パソコン内には似たような写真が山のようにあります。(笑)

 

☟は駐車場にて撮影。

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夕刻になり日差しが弱まった上、薄い雲の流れ方もあって、なんとなく秋めいた雰囲気の空。

夏本番はこれからなのに、そう感じるのは、私だけでしょうか?

 

ダワズの紹介は以上です!(^o^)/

 

また車に乗って、移動。
途中、行きがけに見かけた結婚式を見学しようと彼氏さん・彼女さんは楽しみにしていました。
運転手さん曰く、少数民族は通りすがりの人でも、今も昔と変わらず、慶事を一緒に喜んでくれるなら誰でも歓迎してくれるとのこと。
でも残念、宴会は既に終了していました。(◞‸◟)

 

渓流に沿って、夕日を浴びながら、最終観光ポイント「阿凡提(エペンディ)風情園へ。☟

3.阿凡提風情園

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日もかなり傾き、風もあって、少しずつ涼しくなってきました。

この門でも、もれなく安全検査を受けます。

 

ここでも気になったのが、「ダワズ」の時同様、日本語の表記。

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初見では、「エペンディ」とは読めないと思うのですが?

とても躍動感あるカタカナです。(笑)

 

阿凡提(エペンディ)とは、ウイグルやカザフ等少数民族の伝承に登場する、機知にたけた人物のことです。

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でも、ウイグルやカザフ等の少数民族だけでなく、漢民族の間でもとても有名!

☟はエペンディと彼のロバ。

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一緒に見学している二人も、子供の頃、エペンディの物語が大好きだったと言っていました。

2000年8月に新疆に来た時、途中から同行させてもらった漢民族姉弟も、私にエペンディの物語を聞かせてくれました。

残念だったのは、当時の私はまだやっと留学1年目が終わったばかり。

基本的なことを聞き取るのがやっとでした。

記憶できたのはエペンディの名前と、頭のいい人だったということだけ。(T_T)

よって、18年の歳月を経て、今更ですが復習したいと思います!(#^.^#)

 

百度百科にはこう紹介されています。

【エペンディ(イスラム世界の伝説上の人物)】

西はモロッコから、東は中国新疆イスラム諸民族の間で活躍した人物。貧しい人々のために救いを求め、権力者が貧しい人々から搾取するのを阻み、モンゴルが西へ進攻するのを阻んだ。

中央アジア・新疆の伝説ではエペンディと呼ばれ、西アジア一帯では「ナスレッディン」または「ナスロッディーン」と呼ばれる。異なる地域の伝説では、「ホージャ」・「モッラー」・「エペンディ」等の肩書で呼ばれている。

 

【世界のエペンディ】

エペンディの実在性、活動した地域、生年月日はどれも不確かである。一般的な推測によると、エペンディはおそらく11世紀から14世紀の間のある時期に、ペルシャもしくはアナトリアで活躍していたと言われている。今日、トルコのアクシェヒルにある霊廟がエペンディの墓だと言われている。また、ウズベキスタンのブハラにも、背の低いロバに後ろ向きに乗った中年男性の姿をした彼の像がある。アゼルバイジャンの首都バクーやイランのタブリーズでも、エペンディの名で書かれた旅行記が発見されたという。

トルファンのエペンディ】

新疆トルファンの人々は、この楽観的で、ユーモアがあって、機知に富んだ民族の偉人が、葡萄溝の南部、達甫散蓋村と呼ばれる古い村落の生まれだと信じて疑わない。エペンディの旧居にある石碑に書かれた紹介から、エペンディの生年月日は1777年6月5日、逝去したのは1876年6月5日、享年100歳であったことが分かる。

※石碑では、享年99歳。普通に計算しても、99歳だと思うのですが・・・・・・。☟

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引き続き、百度百科の紹介を!\(^o^)/

エペンディは貧しい農民の家に生まれ、6歳で私立小学校を卒業、11歳からクルアーンを学び始め、17歳でアラビア語の書籍の翻訳を行うことができた。当時、トルファン王、金持ち、豪商、宗教関係者の庶民に対する詐欺による生活の圧迫や残酷な搾取の数々により、人々は塗炭の苦しみを味合わされていた。エペンディは人々の境遇に深く同情し、搾取する者への激しい不満が生まれた。そこで勇敢に立ち上がり腐敗した勢力と戦った。エペンディは自身の知恵・鋭い言語により、ユーモア溢れる笑いの中で、地主や金持ちを無情に風刺することで、人々のために正義を広めた。

 

こうして調べると、面白いのは風刺を効かせたエペンディ作の物語であって、本人は腐敗した社会との厳しい戦いの中に身を投じていたんですね。

百度百科を訳すにあたり、以下のサイトを参考にさせていただきました。

情報が少ない中、とても役立ちました!

ありがとうございました。\(^o^)/

ナスレッディン・ホジャ - Wikiwand

阿凡提(伊斯兰世界传说人物)_百度百科

 

 

前置きが長くなってしまいました。m(_ _)m

葡萄棚の下を通って、エペンディの旧居へ向かいましょう!☟(*^▽^*)

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エペンディの旧居。☟

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この扉の横に、上述した石碑(石板?)がありました。

 

家屋の様子。☟

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☟同じ敷地内にあった土産物屋さん。(笑)

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葡萄溝なので、またよく似た構図の葡萄の写真。(笑)

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この後、交河故城へ日没を見に行かねばなりません。

☝の太陽の傾き方を見ても、少々急がないと間に合わないかも?

ということで、葡萄溝の遊覧はここまでとなりました。

 

 

葡萄溝から交河故城へ移動中。

既に北京時間20時半、現地時間の18時半です。

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気象アプリによれば、この日、トルファンの日没は北京時間21時46分。

後1時間くらいです。

シルクロードの夕焼け。

しかも宿泊先の周囲のような市内ではなく、自然に囲まれた郊外。

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私の場合、この場にいられるだけで十分幸せを感じられます。(#^.^#)

 

 

北京時間20時50分、交河故城のサービスセンター前に到着。☟

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当然ながら2000年8月にはこのような建物はありませんでした。

ここはどこ???な感じです。(笑)

 

☝の写真の右側に設置されていた紹介。☟

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【交河故城大遺跡景区紹介】(一部のみ訳します)

大遺跡景区は、観光サービスセンター・古村・情人谷(雅爾湖景区)・交河故城の四部分から構成され、交河の遊覧・俯瞰の基盤なっている。

観光サービスセンター:建築面積3,990㎡。サービスセンター内には文化回廊・交河の文物歴史展・交河の歴史短編放映・展望台・交河を再現する3D映画館・レストラン等がる。

古村:大型の民俗テーマ博物院。

情人谷(雅爾湖景区):交河故城の高台を囲む河と道のエリア。『漢書・西域伝』に記載された『車師前国の国王は交河を治めた。河の水が故城を分け』に登場する二本の河が形成する古城・山水・植生による観光エリア。

交河故城は紀元前2世紀から紀元5世紀にかけて、車師人が創始し建造。西域三十六城郭の一つ、車師前国の都。南北朝及び唐の時代に最盛期を迎え、9世紀から14世紀にかけ戦が続き、交河故城は次第に衰退していった。

【参考】

交河故城 - Wikipedia

 

そいれでは、観光サービスセンターへ入ります。☟\(^o^)/

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紹介看板を撮影しただけで、読んでいなかった私。

「 ここで安全検査を受けて中に入れば、すぐにチケット売り場があって、建物を出ればすぐに故城に入れる!」

そう安易に考えていました。

ところが・・・・・・。☟

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紹介の看板にあったように、この観光サービスセンター、とっても広いんです。

チケット売り場の手前には☝のような展示空間が。

 

辿り着いたチケット売り場。☟

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故城の入場料は70元(1元=16円換算で、1,120円)。

「交河古村」は別料金35元。

時間がないので、これはパス。

更に、「観光区間車(観光区内移動車)」が30元。

状況はよくわかりませんでしたが、三人で相談し、歩くことにしました。

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チケット、葡萄溝とまったく同じ様式。☟(笑)

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トルファンのチケット、もしや市内統一?

これ以上チケットの必要な観光地には行かなかったので、確認できないのが残念。(笑)

チケット売り場の側に自動改札機のような設備があったのですが、それは稼働していませんでした。

時間が遅くて、既に停止でしょうか?

 

これですぐ外に出られるのかと思うと、またしても胸像などが並んだ空間が。☟

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やっと外に出たと思えば、広大な駐車場があり・・・・・・、先が長そう。(ーー;)

 

場所をご説明するために、あの日、これまた撮影はしていたけれど、役立てることができなかったレイアウト図を貼りますネ。

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あの日、このレイアウト図の存在を思い出していたら、状況は変わっていたでしょうか?

  

道路に出て、しばらく歩いた頃の景色がこちら。☟(写真①)

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新疆の民俗と交河の歴史文化を見ることができる「交河古村」。☟

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写真②☟

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道の左手には、きっと昔から変わっていない風景が広がっている~~~。

この景色を見るのは楽しいのですが、私の頭の中は???でいっぱいでした。


2000年8月、私は2回、交河故城の入り口まで来たことがあります。
1回目は、昼間参加していたツアーで。
その時はあまりの暑さに中に入るのを諦め、出入り口側の木陰で他の参加者が出てくるのを待っていました。
2回目は、翌日の夕刻。
やっぱり中を見たくなり、一人でジーロバ車(※8/26修正:当時の日記を確認)をチャーターし、のんびり道路の中央を進んで、日の入り少し前にやって来ました。
その時はどちらも、入り口のすぐ側まで連れて来てもらえたのに。

今は故城以外の施設と一体化していて、故城本体の入り口が遠すぎです。

だから、移動用のバッテリーカーを有料提供してるんですね。

それくらい、チケット代に含めて欲しい・・・・・・。

どこまで歩けば、18年前の入り口に辿り着けるんだろう???(T_T)

 

 正面には、今にも谷間に沈もうとする夕日。☟(写真③)

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☟写真④。坂を下って来たので、太陽が見えなくなってしまいました。(T_T)

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ここは写真④の撮影ポイント。☝

運転手さんが教えてくれた、綺麗な夕日が見えるという「情人谷(Lover Valley)」の入り口。

実はここが、運命の分かれ目でした。

右に行けば、情人谷へ。

ほんの少し直進すれば、故城本体への登り坂。

薄暗くはあったけれど、このほんの少し前方の地形に見覚えがありました。

その時は地図で確認していないので自信がない上、二人の目的は最初から「情人谷」で夕焼けを撮影すること。

私はオマケの存在なので、自己主張してはいけません。

それに、なんとなく、夕日が一番きれいに見えるところと言うのは、最終的に高台にあがるんじゃないかと思っていたんです。

谷間からより、高台からの方がよく見えるじゃありませんか?

そんな希望的観測を抱いていた私と、ここまで来たら何としても夕焼けを撮りたいという二人は、川沿いを果敢に前進しました。(薄いピンクのライン)

 

その時の写真です。☟

夕焼けと、せめて故城の側面だけでも写っている写真を選抜しました。(笑)

奥へ前進中、来た道を振り返って。右手に故城が見えています。☟

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交河故城と呼ばれる由来の、故城を取り囲んで交差する河の内の一つ。☟(前進中、進行方向)

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 2000年の夏は、沈む夕日に向かって高台にある故城内を進みながら、下を流れる川を見下ろしていました。

美しい風景だな~と、感嘆しながら。

今回は、その逆。

下から上を仰ぎ見て・・・・・・、嘆息。

さすがに、今から故城に入るには、時間遅すぎ。

夕焼けを背景に、薄赤く染められた土煉瓦の遺跡。

その中を散策するという当初の計画は、諦めるしかなさそうです。

でも、2000年の夏に疑問に感じた「こんな垂直に切り立った高台から、どこを通ったらあの河べりまで行くことができるんだろう?」の回答はGetできました。(笑)

 

この辺りまで来て、二人もついに前進を断念。

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引き返しています。☟

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河の対岸では、時折、近辺に住む人々の姿を見掛けました。

河岸に上がるとそこは木々に覆われているのですが、その隙間から、屋外で夕食をとっているらしき明かりがチラホラ。

私、朝、チェックイン時にいただいた朝食以降、水分以外何も口にしていなかったんです。

宿泊している場所の周辺、到着時の記憶では食事ができるところがありませんでした。

あったとしても、敷地内から出るのが面倒?(笑)

葡萄溝で食事とかするのかな?と思っていたら、二人は出発前に軽く食べていたそうで、ここまで食事休憩なし。

 

対岸の明かりに、胃袋が激しく刺激されました。(笑)

 

二人の交河故城に対する感想は・・・・・・、70元の価値なし。

それは、故城部分が見れなかったからではありません。

彼氏さん曰く、「故城の古い崩れかけた建築物を見ても意味がない」だそう。

不満の原因は、彼女と一緒にロマンティックな夕焼けを見られなかったことに尽きるようです。

前日、トルファンでは少し雨が降ったそうで、「宿泊している「西域葡萄庄園」から撮った夕焼けの方がよっぽど綺麗!」と連呼していました。

旅行の目的が違うので、この見解の相違は致し方ありません。

二人にとっては、旅の想い出作りが最優先なのです。(笑)

 

見解の相違と言えば、他にもありました。

青海省で今非常に人気の高い観光スポット「茶卡(チャカ)塩湖」が気に入ったようで、「すごく良かった、あそこは行くべきだ!」と彼氏さんは力説。

カシュガルで出会ったTさんも、ちょうど青海省に移動していて、現地で色んな方から勧められたからと、「茶卡(チャカ)塩湖」行かれました。

でも、彼女の感想は、観光地化しすぎ。

 

私も含め、日本人はどちらかというと、名所旧跡にはよけいな手を加えず、現状維持のメンテナンスのみ行って欲しい。

その周辺についても、名所旧跡の雰囲気を損ねて欲しくないと思っているのではないでしょうか?

しかし、人口の多い中国では、名所旧跡の周囲をアミューズメントパークのように開発し、名所旧跡だけでは収容しきれない観光客を満足させなければ観光業が成り立たないのかな~?と考えてみたり。

理解はできるのですが、納得できるかどうかは・・・・・・、開発の仕方次第です。

 

 

交河故城からの帰り道、運転手さんから聞いた話を2点ご紹介しますネ。(*^▽^*)

 

トルファンでは、目につきやすい公共の場(主に広場や公園のようです)で、少数民族の人たちは3人以上で行動してはいけないそうです。

過去の経緯もあり、集団でいると何か企んでいると見なされるとか。

そして、それを取り締まるのは主に少数民族の警官。

これを聞いた彼氏さん、

「それでは、あまりにも本来この場所の住民である少数民族が気の毒じゃないのか?

自分がその立場だったら、不愉快になる。友人と集まって食事もできないのか?」

と反論。

これは、私も感じたこと。

しかし、現地で生活している漢民族の運転手さんにはまた違ったものの見方があるようで、「レストランで食事するのは問題ないが、目立つ場所での集団行動は制限されていいる。仕方ないんだ」と言葉を返していました。

 

 

二点目は、屋台について。

帰路、私たちはトルファンで一番の繁華街を通りました。

でも、賑わいはまったくなし。

よくしゃべる彼氏さん、ここでも色んな情報を披露。

「前日、他の通りも車で通ったが、何もなかった」と運転手さんに話を振ります。

運転手さん曰く、数年前から、道べりでの屋台は禁止になったそうです。

シシカバブー等の民族料理はレストランに行けば食べられると聞かされ、かなり衝撃を受けました。

目の前で焼いていて、煙と香りが漂ってなくて、何が楽しいの???

農園式宿泊施設が人気になるのも頷けます。

ホテルに宿泊していたら、屋外での楽しい雰囲気は味わえません。

街中での体験が不可能になった、新疆ならではの風情。

それを農園内で味わえるなら、少々郊外でも構わないと思いませんか?

どのみち、トルファンの観光地はほとんど郊外ですし。

特に、今は自家用車での旅行者も増えているので、駐車スペース面からも農園式スタイルが歓迎されているように思います。

 

でも、シーズン外れは農園式でも寂しいものです。☟

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この日、夕食を注文した人たちが食べていたのは、デリバリーされたもの。

声を掛けられたので、3人そろってテーブルの側へ行き、話の輪に参加。

食べ物も勧められ・・・・・・!!!

『21時以降食事はしない』って何のこと???

どうせ、カシュガルにいた時から守れていません。

既に北京時間23時直前でしたが、ありがたくいただきました!!(感涙!)

 

この席で、一人旅をしている台湾の女の子に出会いました。

この日同行させてもらった二人は、翌日、この女の子と車をシェアして火焔山へ行くことに。

朝早く出るというので、別れを述べて、部屋に戻りました。

 

7月初旬。

世界中が注目していたもの。

それはワールドカップ

部屋に戻ると、隣の部屋からTVの実況中継が!

(※二人の部屋ではありません。反対側の部屋です。)

とても感じのイイ部屋ですが、作りはプレハブ式。

防音だけはイマイチでした。(^^;

 

 

 

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月1日(日):カシュガル4日目_民俗展示館・古城・カシュガル駅→トルファン移動

2018年7月1日(日曜日)、砂嵐。(T_T)

この日は北京時間の午後14時にチェックアウト。
それまでに古城でまだ行っていない場所を回ろうと思い、普段より早く行動開始!


当初、私は最後の観光に出かける前にチェックアウトし、荷物をホテルに預け、午後14時に取りに戻って来るつもりでした。
ちなみに、預かってもらえるのは宿泊していた別館ではなく、本館。
ところが、前日観光を終えて戻って来た時に確認すると、「其尼瓦克国際酒店」のチェックアウト時刻は、北京時間の午後14時(現地時間12時)!!
なんて好都合!
これなら観光から戻って来て、ちょっと休憩もOK!\(^o^)/

そんなわけで、普段より早く起きて、部屋のカーテンを開けると・・・・・・。☟

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夜明け前???

思わず時計を見直してしまいました。(笑)
そうではなく、強風により砂が舞い上がって、視界が遮られているんです。
白い空の真ん中より少し右に、黄色っぽい点になってしまった太陽が見えます。
前日の青空とは大違い。(T_T)

ホテル出発は北京時間午前10時。
出かける前の恒例、ホテルの玄関先で写した写真がこれ☟です。

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全くもって、心が浮き立たない・・・・・・。(T_T)

どんなに暑くても、旅行中は青空が必須。

しかも、単なる曇り空ではありません。

前日のクリーンな空気とはどこへ?

この日は本来の用途でマスク着用となりました。

☟は、本日のカシュガル駅へ向かうまでの行動ルートです。

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まず、黄色のルートで、エイティガール寺院前の広場へ出ました。

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「解放北路」の向こう側も、舞い上がった砂埃で霞んでいます。

エイティガール寺院の前を通って、側にある「民俗印象」へ。
カシュガル2日目、エイティガール寺院でチケットを買った時に案内をもらった、民俗を紹介商品てくれる場所です。

もらった案内。☟

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小さな入り口があって、そこから地下に下りました。
中に入ると直ぐに解説員さんがやって来て、見学スタート!

最初は、ウイグル族の伝統的な家屋の様子を展示した部屋へ案内してくれました。☟

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中央スペースの四辺に、それぞれの部屋があります。

「部屋」と言うと、壁で仕切られた独立空間をイメージしますが、ここではオープン。

昼間はここがリビングになり、来客があればここへ通します。

就寝時には、ここに寝具を広げるそうです。

☝の一番下の写真は、カシュガル2日目に訪れた「カシュガル地区博物館」の紹介でも登場しました。

この他、タジク族の家の様子も展示されていました。

こちらはウイグル族のお金持ちの部屋の様子。☟

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「金持ち・地位の高い人」を、地元の言葉で「巴爷:bā yé(バーイェ)」(ウイグル語・漢字表記)と呼ぶんだそうです。

和田玉の原石や、和田玉の原石が風化したり、河などの水で押し流され小さくなり、表面が滑らかになったもの・珊瑚の化石・マラカイトなどの展示もありました。

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ど真ん中の白い石が、小さく表面が滑らかになった和田玉です。
左上のシイタケの裏側のようなものは、その名もズバリ「キノコ石(蘑菇石)」。



絨毯の紹介もあります。

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☝は、上述したお金持ちの部屋の向かいの壁に掛けてありました。
かなりの大きさです。
このサイズだと、一人なら3年、二人でも2年以上かかるそうです。

実際に絨毯を織っています。☟

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パターンの細かいものは、18~20歳の娘さんが拡大鏡を使用しながら織るとか。
上述しましたが、大きなものは一人で3年かかるので、一人の女性が一生に織ることができる大作は、1枚が限度だそう。

その年齢を超えると、眼に負担の少ない図柄に取り組むそうです。

展示されている織物。☟

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☟2枚は、☝の写真のガラスケース内の展示物。

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どちらも同じ規格です。
【材 質】シルク
【サイズ】1×1.5インチ
【織り方】経緯双糸、逆八の字結び
【密 度】1200L
綺麗だな~~~。(*^-^*)

と、ここまでは展示だったんですが・・・・・・。

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☝次のスペースから、絨毯の販売が始まりました。(笑)

 

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壁に掛けてあった大作のミニチュア版もあります。☝

四辺の縁には各種楽器とモスク(?)。

中央に描かれている人物は、それぞれ弦楽器・管楽器・打楽器を演奏しています。

最前列、左から二番目の人は歌い手でしょうか?

この人物だけ、何も持っていません。

その左右に、両手に鈴とカスタネットのようなものを持っている人物が二人。

歌い手と合わせて三人、すごく躍動的!

全身を使って音楽を表現中!!

この中で楽器名が分かるのは一つだけ。

カシュガル地区博物館」でピンポイントで記憶した楽器、「卡伦琴(Ka lun)」。☟

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狩りをしている図案には人物も描かれていますが、これほど人物中心の図案は珍しいような気がします。

展示コーナーに単独で壁に掛けてあり、説明があるくらいなので、これも人気のある伝統的な図案なんでしょうね。



更に玉製品の販売も!☟

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ガラスケースの中に、ウン千元する玉の装飾品が並んでいます。
その他民芸品やお茶葉もありました。
ここの店長さんとWechatを交換していたおかげで、「アスラン・ハーン」のお墓に関する情報を教えていただくことができました。<(_ _)>

見学を終え帰る時は、また地上一階に戻らなければなりません。
上がるとそこは、広~い玉製品売り場でした。(笑)

地上一階にあった入り口の隣は、玉製品売り場だったんですね。

入る時は気付きませんでした。

展示や実演を見て、その後購入を誘う。

地元にお金が落ちるように、ちゃんとルートが考慮されていました。(笑)



外に出て、「解放北路」を渡ろうと広場を移動中、鳩の群れが飛んで来ました。☟

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写真を撮っている時は遠方を見ていて気付かなかったんですが・・・・・・。

写真を左右に分けたとすると、右半分の真ん中辺り。
一羽、結構間近に迫って来ていました。(笑)

北京時間11時15分頃。

ここから、ピンクのルートで移動します。☟

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「欧爾達希克路」に入って、前日ザクロジュースを飲んだ辺りを通り過ぎると・・・・・・。

両側に野菜市が!☟

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前日の様子。☟

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野菜、もう、ほぼ撤去されていますネ。

前日ここを通った時は、単に「まだシーズンじゃないから、お店が全部出きっていないのかな?」と思っていました。(笑)

 

ここの写真を撮っている時、後方(解放北路方向)から清掃車両がやって来ました!

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「欧爾達希克路」にやって来たのには目的があります。

前日ナンを買った店で、もう一度ナンを買うこと!

「違う種類のナン、また買いに来ます!」

前日の自分の言葉が引っかかっていたんです。

お店の人は気にしていないと思いますが、私は気になる!(笑)

それに、たった1枚しかナンを食べずにカシュガルを去るのもイヤでした。(^^;

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お店の正面から。

撮影時、わざわざフレームから外れようと気を遣ってくださったところを、「是非!」とお願いして入っていただきました。

濃い顔がタイプな私。(#^.^#)

この若者、カッコいいなあ~。

他にも、いたる所に私好みの美形発見。(笑)

 

この日買ったのは、☝の写真に写っているような縁が盛り上がっているものとは違う薄いタイプ。☟

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これもかなり大きめ。

お値段は、前日のブログにも書きましたが、3元です。

西安の回民街だと、小ぶりのもので8元、大きいものでは10元や15元と、お店によって差はありますが、やっぱり本場よりは高くなっています。

この西安の価格、去年の秋から今年の春節頃のものなので、値上がりしているかも?

今、西安は今まで以上に、非常に人気の高い観光地になっています。

回民街は週末祝祭日関係なく、いつも大勢の人でごった返してます。

その影響で、特産品のお値段が上昇傾向。(◞‸◟)

 

前日は、このお店の位置から「欧爾達希克路」を左に曲がって路地に入りました。

この日は「欧爾達希克路」を直進します!(^^)/

ピンクのルートがカーブに差し掛かったところで、こんな人たちを見掛けました。☟

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この後、ホテルに戻る時、西のメイン出入り口付近でも見かけました。

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野球バットを持って、練習に出かけているわけではありません。(笑)

カシュガルに来て2日目の昼下がり、この☝場所で、住民のみなさんが横数列に並んで棒を振っていたんです。

近くにいた警官に尋ねた所、「訓練」とのこと。

多分、自警団。

警備の厳しい新疆なので、念のために訓練の様子を撮影していいか尋ねたのですが、結果は・・・・・・。

尋ねた若手の警官では判断できず、事務室内にいた年配の警官を呼びに。

そして、いただいた答えは、NG。(^^;

しかも回答を待つ間に、訓練は終了していました。(笑)

時間的に見て、今回は訓練に行く途中と訓練解散直後の様子でしょうか?

これなら、撮影してもよかった???

 

前日同様、「欧爾達希克路」を南下し、「恰薩路」との交差点まで辿り着きました。☟

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これは前日のものを流用。(#^.^#)

 

本日は、「恰薩路」を左(西)へ!\(^o^)/

するとすぐ、観光マップにも小さく記載されている「薩吉耶(SAJIYE)経文学校」跡地に差し掛かります。☟

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「薩吉耶(SAJIYE)経文学校跡地」の説明です。☟

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「薩吉耶(SAJIYE)」は突厥語で、本来の意味は「頭髪」であったが、原義が拡大され「高尚な」・「高級な」となり、アラビア語の「麦徳莱賽(MAYDELAISAI)」と組み合わされ、「宗教大学」・「高等経文学校」という意味を持つようになった。

カラハン朝時代、カシュガルは王朝政治・経済及びイスラム学術文化の中心として、いくつものイスラム寺院・宗教学校・図書館等を建設した。「薩吉耶(SAJIYE)経文学校」はこの間の最も早い時期に建造された、最も著名な宗教学校の一校である。カラハン朝の宗教文化の中心及び最高学府として、「薩吉耶(SAJIYE)経文学校」は新疆地区のために大勢のイスラム教教職員・学者・天文学者を育成した。玉素甫・哈斯・哈吉甫(ユースフ・ハーッス・ハージブ)や馬哈茂徳・喀什噶里(マフムード・カーシュガリー)等の著名な学者や思想家はみな、かつてこの学校で学問に励んだ。

 

※ユースフ・ハーッス・ハージブについて、関心があればことらもどうぞ。(*^-^*)

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_6月29日(金):カシュガル2日目 (1)エイティガールモスク・ユースフ・ハーッス・ハージブ墓・アスラン・ハーン墓※7/24アスラン・ハーン情報追加 - せいあん!

 

柵の中の様子です。☟

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スクーターが目立ちますネ。(笑)

 

引き続き、「恰薩路」を前進します!(*^▽^*)

観光マップ上のピンクのルートが右へ折れ曲がる場所の手前までやって来ました。

正面左に、白い壁とドームを持つ、周囲とは様式が異なる建物があります。☟

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 なんだろう???と近寄っていくと・・・・・・。☟

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青色の壁の部分に、上から「カシュガルイスラム教協会」・「経文進修学校」と記されていました。

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この「協会・学校」と「恰薩路」で向かい合っている建物の方を見ると!

わあ~、とっても雰囲気のある路地ではありませんか!!!\(~o~)/☟

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この雰囲気、場所はもう覚えていませんが、2000年夏に来た時に歩いた古城住宅街とよく似ています。

観光地化された古城は、あちこち手直しされています。

百度地図で一部の通りの実風景を見ることができますが、その撮影時、ちょうど改装を行っている場所もありました。

実際、使われている建築資材が新しそう。

なので、昔見た、通った場所が「ここだ!」ということはないと思いますが、路地の上に家があって、トンネルのようになっている景色は昔と同じです。

最終日、最後のチャンス。

ここに辿り着けて、本当に良かった~~~!!!(*^-^*)v

 

この下を通らずに帰るわけにはいきません!

右折して、路地を直進!

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入り口の雰囲気だけでなく、途中の壁の感じも見覚えがあります。

伝統的な建物なので、似通っているだけなんですよね???

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トンネル状態になっている部分の上は、確か通路だったような記憶が。

昔は二階に上がって見学しました。

少しずつ思い出してきた~~~!!!\(~o~)/

路地入り口の左側に、扉の付いていない建物があります。

もしかしたら、上に登る階段があったのかも?

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もう少し進むと左手に広場があって、子供たちがボール遊びをしていました。

そこで右折して、直進中。☟

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正面、砂埃に霞んで、タワーがうっすら見えています。

その下の突き当りを左へ。☟

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まっすぐ、まっすぐ進むと~~~、なんと!!!

ナン屋さんの側へ出てきました!(笑)☟

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このまま「欧爾達希克路」をエイティガール寺院の方へ戻っても良かったのですが、まだ時間があるし、行ってみたい場所も残っていました。

下の観光マップで、青い楕円で囲んだ部分です。☟

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 広めな道から行くのでは、少々遠回り。

この古城を攻略できたことにするために、細い路地を制覇するぞ!!!(^o^)/

 

そう意気込んで、青いルートで探検スタート!

既に路地に入っています。☟

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お~~~、行き止まり?☟

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よそ様のお宅の玄関前まで接近すると、左右に小道がありました。

少し広めな右を選択したのですが、少し広い空き地の一番奥にも民家の玄関。

どこにも抜けられそうにありません。

数軒の民家の共有スペースのような空き地に、ちょうどスクーターを動かそうとしていた人がいたので道を尋ねると・・・・・・。

 

「行き止まり!!!」

 

先の進み方を教えてくださったんですが、お粗末な記憶力の私には覚えきれません!

だって・・・・・・、曲がって、曲がって、曲がって・・・・・・。

一方向じゃないので、すぐに脳が覚えるのを放棄。

スマホを見ると、時間もそろそろ厳しくなっています。

念のため、左側の路地を覗いてみましたが、そちらも民家のドアに直結していました。

仕方がないので、せめてもう一度、あのトンネル路地を見て帰ろうと、さっき通った道に再トライ!

 

トンネル路地と、「協会・学校」の間を通りすぎて、東のメイン出入り口から続いてきている「阿熱亜路」へ到着!!

観光マップでは、左手(南東方向)☟は道路が黄色に着色されている、賑やかなバザールがある区間

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時間帯のせいか、あまり人影がありません。

 

エイティガール寺院の方へ戻らないといけないので、私は右手(北西方向)へ曲がりました。☟

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☟は☝の写真の向かい側です。

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☝の写真の一番奥に写っている建物。☟

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歩道の整備中?

 

更に前進すると、両側にはお土産物屋さんがずら~っと並んでいました。☟

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ついに、まっすぐ進めば、エイティガール寺院がチラッと見える、「欧爾達希克路」に到着です!\(^o^)/☟

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赤い提灯の下にいる三人組が分かりますか?

真ん中に、白いワンピースを着て、青色のスカーフを頭に巻いた女性がいます。

彼女たちが立っていたのは、イチジクを売っている場所の側。☟

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三人は、白いワンピースの女性と、彼女が持っている「いちじく」と「ザクロ」を撮影していました。

そこへ出くわした私。

厚かましく、「私にも写させてください!」と撮影に飛び入り。

ノリのいいこの女性、ポーズをとってくださいました。

ご協力、ありがとうございます!!!(*^▽^*)

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大バザールで、このくらいの色合いのスカーフを買っておけば、現地での使用だけでなく、他にも使い道があっただろうに・・・・・・。

この女性の着こなし、ステキだな~。

うう・・・・・・、また、思い残しが・・・・・・。

 

しかも!!!!

このブログを書いていて、大変ショックな発見をしました。(T_T)

☟をご覧ください。

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少し前の文章で「道路が黄色に着色されている、賑やかなバザールがある区間」と表現しました。

この時初めて、「黄色に着色」の意図について考えたという・・・・・・。

そして、右上の標識の説明を見てドン底に⤵⤵⤵。

黄色で塗られたところが、カシュガルの特色を見ることができる通りや路地だったんです~~~~~~!!!!!(号泣)

私、こんなに細かくブログを書いたのに、見るべきところを見学したのは、ピンクで囲んだ部分だけだったんです。(T_T)(T_T)(T_T)

準備期間もなく、突然思い立ってやって来た上、おっちょこちょいで色んな情報を見落とした結果です。

はあ~~~、スカーフだけでなく、古城内にも未練が残ってしまいました。(◞‸◟)

 

でも、4日間歩き回った場所全て、とても綺麗で想い出に残っています。

だから、失敗ではないのです!!(力説!!!)

でも、最初に黄色表示に気付いていたら、ぜったいそこから攻めていただろうなぁ。

 

カシュガル、すごく好きな街。

また来たい!

でも、そんなに簡単に来られるほど、近くない街・・・・・・。

どうしようかな~~~~~。(笑)

 

さて、気を取り直して。(#^.^#)

「解放北路」を渡って、ホテルへ戻りましょう!

時刻は既に北京時間の12時半です。

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何度も何度もアップするけれど、やっぱりエイティガール寺院はカシュガルの象徴。

はてなブログの今月のファイル利用容量にもまだ余裕があるし、たくさん載せちゃいます!

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☝、緑の辺りの地下に、この日、一番に見学した「民俗印象」があります。

 

空がかなり明るくなってきました。

広場の外縁に設置されている駱駝の隊商のブロンズ像にも影ができています。

これまで撮影していなかったので、最後の記念に!

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ホテルに戻りながら、足元のマンホールの蓋が気になりました。☟(#^.^#)

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左:自来水(水道水)

中央:「カシュガル老城」としか書かれていません。

右:下水 

水道水と下水の蓋には、「古城カシュガルへようこそ!」の一句もあります。(*^-^*)

 

そして、何度となく通ったパン屋さんの前の道。☟

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この日の昼は、パン屋さんのすぐ手前にあって気になっていた、クレープ屋さんに立ち寄りました。

売られているのは、こちら。☟

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側に置いてある砂糖をまぶして、袋に入れてくれます。

中はカスタードクリームかな~???(希望!)

 

実物はこちら!☟

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①~③は、私が食べた順番です。

②、一口、齧りました。

齧ったものをお見せし、失礼いたします。<(_ _)>

まだ、味が分かりません。

外側に付いている砂糖の甘味だけ。

カスタードクリームは後ろの方に偏っているのでしょうか?

③、ニ口、三口、「何か出て来た!う、脂っこい!これ、羊肉!!!」

外は甘く、内は脂っこい・・・・・・。

見かけにすっかり騙されました。(笑)

1個、2.5元(1元=16円換算で40円)です。

漢字表記がなかったので、何と言う食べ物なのか、名前は分かりません。(^^;

 

 

北京時間14時、ホテル、チェックアウト完了!! 

紫のルートで、エイティガール広場の側にある市内バス㉘のバス停まで行きます。

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途中、二回食事したレストランの前を通り、ソフトクリーム屋さんへ。

最後にもう一回、食べたい!!(#^.^#)

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朝、撮影したのでどんよりとした空。☟

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外に置かれたテーブルについたお客さん、結構います。

 

☟はホテルへ戻る前。明るくなりました!(^_^)/

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最後の最後。バス停に行く前に立ち寄った時は、とても民族色豊かなお客さんが集まっていました。☟

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真ん中、赤い服の女性が店長さん。

左、緑の中山服(?)を着ているのは、キルギス族のおじさん(おじいさん?)。

話しかけてくださって、自己申告してくださいました。(#^.^#)

右、髭も上着も白く、民族帽をかぶっているのはウイグル族のおじいさん。

キルギス族のおじさんが会話の内容を通訳していました。

後ろに二人、外で食べていたお客さんもいます。

私が自撮り棒で撮ったので、変な位置にパラソルのポールが来てしまいました。(^^;

そして、マスク・サングラスなしの私のドアップはカット。

腕だけ参加。(笑)

 

キルギス族のおじさん、毛首席を敬愛されているようで、わざわざバッチと星を取り出し、ポーズを決めて、「写真を撮れ」と一言。☟

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おじさん、写真が欲しいわけではないので、「俺の雄姿を持って帰れ」ということでしょうか?

私に否やはございません!

鋭い目線をカメラに向ける渋いおじさん。

目力が強~い。

とてもかっこいい!!

その前に並んだヨーグルトとレモン型ケーキ。

渋さと甘さの対比が絶妙!

このおじさんの雰囲気なら、側にあるのは水たばこの方が似合いそうですモン。

右上は、小さくて読めないかも知れませんが、このお店のメニューです。(^^;

そして、最後のソフトクリーム!

今日は入れ物が紙コップではなく、ガラスコップ。

本当においしかったデス。\(^o^)/

 

そして、いよいよ旅立ちの瞬間・・・・・・。

ブルーが基調のモスクが多い中、このエイティガール寺院はクリーム色。

2000年8月、初めて見た時は正直、「なんじゃこりゃ?」な印象でした。

でも、18年ぶりに見学して、周囲の大いなる変化とは裏腹に、昔の面影をしっかり留めていてくれたエイティガール寺院。

懐かしさが加味されて、今では忘れがたい存在となりました。

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手前の青と白のガードレール。

もう広場内に入る時間はない。

路線バスに乗るため、「解放北路」の歩道を通っている自分を表現しているつもり。

 

2000年夏に来た時は、市内にいない日もあったり、市内にいても知り合いの車で移動だったり。

カシュガル市内を自分の足で歩くことが少なく、それが悔やまれました。

その分を取り戻すべく、今回はしっかり歩いたゾ~~~!!!

 

さようなら、カシュガル。(T_T)

大満足、すっごく楽しかったよ!!\(^o^)/

 

 

さあ、路線バス㉘に乗って、カシュガル駅へ!f:id:shanshanduohuizi:20180730174539j:plain

ここで、マイチェア持参でバスを待ち、バスが来たら折りたたんで乗り込むおじいさんを見掛けました。(*^-^*)

 

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エイティガール寺院前からだと、25分弱かかります。

途中、東湖公園の遥か手前、まだ「解放北路」を南下中のこと。

後ろのウイグル族のお客さんが、「あれを撮って」(動作で理解)と何度も言うので、とりあえず、めぼしいものを撮っていたんです。

でも、「違う、それじゃないよ」を繰り返すばかり。

戸惑う私。

そして、「解放北路」を左折したとたん!

「あれ!あれ!」と指さしたのが、これです。☟

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カシュガル市都市計画展示館~~~!

カシュガル2日目(1)でも書いたエピソード。

「数日前に、何枚も撮りましたよ」と言ったのが伝わったかどうか?

後ろの席の女性は、駅より少し手前で下車していきました。

 

現在、㉘路線バスはカシュガル駅の敷地内までは行かず、横手にバスターミナルの建物が見える辺りで下ろされます。

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その後、どう行けばいいのか???

ウロウロして地下道を下りようとしていたら、そこを上がって来た女子二人連れが、

「駅ならこっちじゃないよ。一緒に行こう!」

と声をかけてくれました。

でも、彼女たちもよく分かっていないようで、進入禁止の表示がある、フェンスで封鎖された方へと迷走。(笑)

実際には、下りた場所から進行方向へ真っ直ぐ行けば、「駅入り口(火车站进口)」の標識を発見できます。☟

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左の木の側にある、青い看板がそれです。

矢印に従って、右折すると・・・・・・。☟

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駅舎と安全検査施設がありました。

 

☟は、安全検査を行う建物を、側面から写したものです。

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正面から撮影すると、注意を受けるかと思って。(笑)

 

ここで余談ですが、一言。

このブログ、中国国内ではアク禁対象になっているようです。

一つ前のブログに登場したTさんから「ブログを読んでみたい」と連絡をいただき、WechatでURLを送信しました。

当然、TさんはWechat上から開こうとされます。

すると、「このページは今後アクセスできなくなります」の画面が出現。

驚かれたTさんから連絡をいただき、私の知る所となりました。

 

実は「アク禁」、私の知っている限り、2回目です。

今回、警備の厳しい新疆の空港などを掲載しているので、引っかかるんじゃないかな?とは思っていました。

2回目なので、もう驚きませんし、焦りません。(笑)

前回と違って、思い当たる箇所が1箇所じゃないので、修正するのも大変。

そもそも、日本語で書いているブログなので、中国国内で閲覧できなくてもそれほど影響ないと思います。

それに・・・・・・、アクセス数、そんなに多くないですから・・・・・・。(^^;

こんな知り合いレベルしか閲覧していない小さなブログさえ、漏れなくチェックしている中国政府の監視力に、敬意を表したくなるくらい。(笑)

そんな中、読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。(*^-^*)

 

では、本題に戻ります!(^^)/

安全検査を終えて、日差しを遮るもののない、駐車場だった場所の側を通って延々と歩き、折り返して柵の内側を更に駅舎入り口に向かって進みます。☟

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2000年8月にも見た駅舎。

1999年にできたばかりの新しい駅でした。

あの年代、中国の他地方で目にした駅とは違い、とっても斬新な印象。

周囲はまだ閑散としていた記憶が。

当然、手前の白い柵などなく、駅舎のすぐ側でタクシーが利用客を待っていました。

 

当時、私はウルムチカシュガルの移動のみ寝台列車を利用。

戻りは飛行機でウルムチまで飛びました。

なので、カシュガル駅の利用は到着時のみ。

ただ、トルファンで知り合い、ウルムチカシュガルと同行させてもらった方がカナス湖へ行くというので、駅まで見送りに来ました。

なので2回この駅に来ているのですが、18年も経つと、駅舎は変わっていなくても、周囲の状況は激変です。

 

ちなみに、2000年8月、飛行機でカシュガルを去った私は、悲惨な目に遭いました。

深夜2時過ぎ出発だった飛行機は、雷雲発生のため明け方6時前にようやくテイクオフ。

ウルムチでの乗り継ぎに間に合わなくなると慌てましたが、そちらも遅延。

しかも午前9時半頃発だった便は、夜9時過ぎになってやっと、やっと、西安に向けて飛んでくれました。

留学1年が過ぎたばかり。

聴き取り能力も低く、空港のアナウンスを理解するのが大変でした。

 

安全検査からの長い道のりを経て(笑)、やっと駅の入り口に到着!!\(~o~)/

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☝の列に並んでいる時、ふと気付いたことが・・・・・・。

切符を発券する場所、どこ???

ボケてます!!!(^^;

 

列の前の人に尋ねて、あんな遠くまで行かないといけないことを知りました。(ーー;)☟

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はぁ、早めに来ておいてよかった。(◞‸◟)

 

切符売り場に入るにも、安全検査。(T_T)

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窓口前には少なからぬ人の列。

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しかも、なかなか前に進みません。(T_T)

ネットで事前に購入している中国人民のみなさんは、この列には並びません。

窓口の横に設置されている自動発券機で発行するからです。

ここに並んでいるのは、問い合わせをしながら、都合にあった時間帯・金額の切符を検索&発券する人々。

焦った私は最後の手段に出ました。

私は事前にネット購入しているので、窓口で注文番号とパスポートを提示すれば2分もかからず発券できます。

一番前まで行って、次の方に理由を説明し、割り込ませていただきました。

快く割り込ませてくださった方、ありがとうございました!!<(_ _)>

 

そうやって入手した切符。♡

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切符を手に駅入り口に戻り、安全検査を受けてようやく待合室へ。☟

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最近は減ってしまったという緑の車体の列車。

新疆ではまだバリバリ現役!☟

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一つ前、16時19分発車の列車、改札が始まりました。☟

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みんな列を作り、順番に3番改札口からホームへ出て行きます。

 

その人たちが出払った後、私はすかさずこの位置へ並びました。

旅行前、知り合いから聞いた話が気になっていたからです。

『以前、窓際の上にあった荷物棚はなくなっていて、トランクなどの大きな荷物は下段ベットの下に押し込むしかない』

「床、汚いじゃないですか~~~~!!!」

と反論したら、今は列車乗務員が頻繁に掃除していてきれいだから大丈夫と言われましたが、やっぱりイヤだな~。

 

少しでも早く乗り込んで、状況を把握し、最善の対処をしよう!!!

 

今こそ、1999年の留学時に身に付けた、バス・列車乗車時必須の華麗なるスタートダッシュを見せる時!\(^o^)/

でも、ここに並んでいていいんだろうか?

疑問が浮かびました。

なぜなら、切符に改札口の情報がないんです。

上の方にある切符の写真を見ていただくと分かりますが、最近乗った列車の切符には、右上に改札口情報が印刷されているんです。

でも、今回はない・・・・・・。

なぜ???

 

振り返ると、私の後ろにはこんなに人が並んでいます。☟

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並んではいないけれど、椅子に座っている人たちも、改札が始まれば立ち上がって列にって来る。

だから、ここで大丈夫!

と言い聞かせ、前方を見つめる私。

 

突然、周囲が一斉に動き出しました!

それに続いてやっとアナウンス。

正面の表示は未だに「列車チェック中」。☟

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なんと!全ての改札口が一斉に開かれ、乗客がそこへ突撃!!!

真面目に並んでいた私は、列の両脇に椅子があるため列を離脱することもできずません。

座っていた人は当然列に入ってきます。

だから全然、前に進まな~~~い!!!(゚Д゚;)

スタートダッシュ、大失敗。(T_T)

 

それでも、私が乗り込んだ時には周囲のベッドの乗客はまだ見当たらず、一安心。

しかも、あるじゃないですか、窓際の棚!!!\(^o^)/☟

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この辺りでは、一番に棚の載せることができました!☟

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背の低い私にとって棚は少し(かなり?)高く、トランクをいったん頭に載せてから押し上げようとしていると、通りかかった女性が手伝ってくださいました。

ありがとうございます!\(^o^)/

 

湯沸かし器も、記憶にあるのと同じ!

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相当古い車体のようです。

懐かしいな~。

 

北京時間16時32分。

列車は定刻発車しました。(*^-^*)

 

私はのベッドは中段。

下段は両側とも広州からの旅行客。

夫婦旅行というか、家族旅行?

他の列のベッドに、お連れの方がいらっしゃるようでした。

ご主人は高級そうな一眼レフで、車窓の風景を撮影されていました。

 

私は、スマホと10年前のコンパクトカメラを持ち替えながら、せっせと撮影。(笑)

カシュガル駅を出発して間もないころ通過した、何かの工場。☟

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厳しい自然環境の中で、頑張って生きている草木。☟

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遺跡???と思って写したけれど、あれは何だったんでしょう?(^^;☟

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小さな駅(阿图什)の手前、葡萄棚が見えて来ました。☟

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阿图什駅、17時36発車。

 

次の駅(巴楚)までの大半が高速道路と並走していました。

ここは三道班料金所。☟

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巴楚駅の少し手前。

白くなっているのは塩田?それとも塩害?☟

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巴楚駅が近くなってきました。☟

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北京時間20時08分、巴楚駅到着!

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カシュガルで乗車した際、下のベッドのご夫婦と話をしていて、外に出直して列車を撮るのを忘れていました。

巴楚駅にて補足撮影。(*^▽^*)

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外に出ると、太陽が傾いてきて、ずいぶん涼しくなっていました。

 

巴楚駅と次の駅(阿克蘇:アクス)とのちょうど中間辺り。

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地層がくっきり表れた、赤っぽい山?

北京時間20時半、撮影です。

 

この後は、顔を洗ってスキンケアをして、就寝準備。

中段の空間に座り、背中を丸め、下向きで行うスキンケア。

やりにくい~~~!!!

でも、17年過ぎても、体がコツを覚えていました。(笑)

順調に作業完了!!\(^o^)/

 

それでは、おやすみなさい!(*^-^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_6月30日(土):カシュガル3日目_古城・高台民居・国際大バザール・茶館

2018年6月30日(土曜日)、快晴!!\(^o^)/

 

朝からすっごく晴れました!

この頃、カシュガルの日の出は北京時間の7時半頃。

日の出とともに、窓の外が眩しい!!!

そんな時間に起きていたのか???

たまたま目が覚めたんです。(笑)

寝る前に洗った洗濯物がまだ乾いていなかったので、窓枠にハンガーを引っ掛け、寝なおしました。

だって、現地時間では朝5時半なんです。(笑)

 

再び起きて、ビックリ!

洗濯物、日が当たっていた場所に引っ掛けていたものは、カリカリに乾いていました!

でも、太陽の位置が移動して、日陰になってしまっていたところでは、生乾き。

日差しの強烈さを実感!

心して日焼け対策をして出かけないと、黒焦げになりそう。

 

そして、準備を済ませてホテルの出口に立つと・・・・・・。☟

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雲一つない、澄み切った青空!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

最高~~~~!!!

 

前日のブログ、文字数が多すぎたことを反省し、今回は極力、この青い空の下に写ったカシュガルの街並みをご紹介していきたいと思います!(*^-^*)

 

この日の移動ルートはこちら。👇(*^-^*)👇

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ピンクのルートでスタート!

 

ホテルの門を出ました。

振り返ると、高々と聳えるホテル本館と青い空!☟

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この場所から、初日、色満路を登って来た方向を確認。☟

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来た時に気になったのは、夏場なのに、オレンジ色に紅葉した木の枝の装飾。

実は、カシュガル空港内でも見かけました。(笑)

☟は☝の写真の反対方向、古城入り口へ向かう側です。

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警察の車が停車しているのが見えますか?

そこが入り口です。

この時間帯は通行車両が少ないので路上を渡るのも余裕ですが、ここには地下道もあります。

 

☟は交差点。

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古城側から、向かい側を撮影。

この日の夜、向かいに延びている道を少し入った右側のお店で、蟠桃(バントウ)を買いました。

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大きいの2個を、一度に片手に載せられるくらいの大きさ。

ちょっと小ぶりです。

柔らかくて、甘くて、ジューシーで、とっても美味しい!!

3個で2.5元!(1元=16元で換算すると、40円!)

 

そして、ここが4つあるメインの入り口の一つ、「西入り口」です。☟

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あのテントがある場所で、身分証を提示します。

旅行者は提示が不要なのかもしれません。

私は最初提示しただけで、次はリュックから出そうとしていたら、警察官に動作で「通っていいよ」と示されました。

以後、古城の出入りは笑顔で会釈して通過していました。

 

入り口の先の様子。☟

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夜、この右手に並んでいる果物屋さんの中で、おばあさんが商売しているお店で桃を買おうとしたんです。

でも、重さを量りもせず、たった1個で10元を要求。

高いと言ったら、8元に値引き。

これは適正価格???量ってないんだから、適正なわけないじゃん!!

と考えていたら、通りすがりの方から助け舟が。

地元の漢民族の人かと思ったら、上海からの旅行者で、同じようにこのお店のおばあさんに吹っ掛けられたそう。

他でも果物を買っていたので、違いが分かったとのこと。

「基本的に客を騙すような人はいないけど、このおばあさんは悪質」

そうアドバイスしてくれました。

それで、道を渡った後、別のお店で蟠桃を買ったんです。

 

☝の写真、通りの左側に、案内の看板があります。

それを拡大したのが、こちら!☟

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カシュガル古城観光スポットの案内です。

ここにお役立ち情報が書かれているのでご紹介します!(*^▽^*)

  • 毎朝10時半、東門で入場儀式が行われます。(特殊な状況を除く)
  • ネット上でチケットを購入された旅行客は、イスラム寺院或いは老城記念館に入る前に、必ずエイティガール寺院側の「旅客中心」でチケットを受領してください。
  • 老城記念館の開放時間は、毎日12時と18時の各1回です。

 ※「老城記念館」とは、どこにあったのでしょう???(T_T)

お願い事項もあります。

  • エイティガール寺院は毎日、入り口に礼拝時間を掲示しています。礼拝時間を避けて見学をお願いします。

 

では、ピンクのルートを先へ進みます!

北京時間12時半前(現地時間10時半前)、まだ閉まっているお店が多い中、ナンを売るお店では、どこもせっせと焼いています。

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アーケードの下で民族楽器を弾くおじいさんと、民族衣装の女性と子供たち。☟

まだ開いていないお店の前で、みんなゆったりとした時間を楽しんでいるようでした。

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今進んでいる通りは「諾爾貝希路」です。

☟は「諾爾貝希路」から入って行く小さな路地。

光が当たっている路地の奥の家の壁と、手前の日陰の暗さとの対比が鮮明。

異国情緒を感じます。(*^-^*)

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ピンクのルートを右に曲がります。

初日の夕方もここを曲がりました。(#^.^#)☟

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ここからは「艾格孜艾日克路」です。

☝の写真、道が左に曲がる辺りでサッカーボールが転がってきました。

写真に写っている小さな男の子ではない、別の男の子が緩い坂の下に向けて蹴ったもの。

私、条件反射で止め、蹴り返してしまいました。(^^;

この時の私は、マスク+サングラスで顔面を覆った不審な姿。

怖がられたらどうしよう?

「よけいなことするな」と、不愉快にさせてしまったなら、どうしよう?

幸い、男の子は嬉しそうな笑顔を向けてくれたので、ホッと一安心。

私も、マスクとサングラスを外して、笑顔のお返し。

 

☝の写真の角を左折した先の風景。☟

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前進の途中、見掛けた店先の様子。☟

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押し染めの木型かな?

 

「艾格孜艾日克路」と「吾斯塘博依路」の三差路に到着。☟

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☝のお店では、私が愛飲している「茯茶」や、香辛料を販売。

 

ピンクのルートはここで「吾斯塘博依路」をエイティガール寺院の方へ曲がります。☟

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エイティガール寺院の側にある、アザーンの呼びかけを流す塔。☟

前日のブログの最後の一枚にも、ちょこっと姿を見せています。(*^-^*)

漢民族の旅行客が、側にあるドライフルーツを売っている男性からそう教わっていました。

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「解放北路」沿いに出てきました。

既に、2回利用させてもらった大型スーパー「IHLAS(伊合拉斯)」。☟

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入り口のパラソルの下、手荷物安全検査用の設備が見えています。

 

これまでは案内図の左側にいました。

これから「解放北路」を横断して、右側エリアに入ります。

ここ、「欧爾達希克路」の入り口にも、身分証明証をチェックする警察官が数人待機しています。 

そこを通過すると、その先はこんな感じです。☟

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右端の真ん中に見える銅像は、こちら!☟(*^▽^*)

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後方に、入り口に立つ警察官が見えます。

ここは「欧爾達希克路」と「阿熱亜路」との十字路。

進行方向に向かって右手の景色。☟

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こちら側は、カシュガル最終日の翌日、散策しました。

進行方向に向かって左手の景色。☟

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そして、進行方向!(*^▽^*)

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☝の写真の右側中ほどにあったお店で、ザクロジュースを飲みました。☟

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大きい紙コップ1杯、10元です。

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左側にあるガラスのポット、縦中央に氷を入れるスペースがあって、その周囲にザクロジュースが入っています。

よく冷えたザクロジュース、美味しかったデス!(*^-^*)

 

その先にあった、ナンを売っているお店。☟

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縁の部分がパイのような層になっていて、いちだんと美味しそう!

でも、1枚がとても大きいので、買うのは諦めました。(T_T)

 

そして更に先に進むと、ピンクのルートが右に曲がっている場所に差し掛かりました。

案内図に「ナン屋さん」と書き加えている場所です。

ここで、待望のナン、Get!! (^^)v

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このお店には、色んな大きさが揃っていたんです。

右端にある大きいサイズのものは4元。

真ん中に並んでいる小さめなのは2元。

左端の薄いタイプのものは3元でした。

私は2元の小さいものを購入。

この三種類以外に、こんなかわいいナンもありました。☟

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後ろでナンを焼いている青年のお母さん?

お願いしたら、快く写真撮影に応じてくださいました。

☟は、このお店のナンを焼く窯。

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残念ながら、ちょうど全部のナンが取り出された後でした。

でも、窯の内側に、ナンを貼り付けた跡が残ってます。(^^)/

 

この場所から、「欧爾達希克路」を左に曲がって路地に入りました。

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水色のドームが見えます。

この周辺の人が礼拝に通うモスクかな?

☝の写真の真ん中あたりの建物の壁に、こんなものがありました。☟

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オリンピックの聖火のような絵柄のあるボックス。

見ようによっては、赤いソフトクリームみたい?(笑)

赤い部分に「気」とあるので、この中にガスのメーターが入っているのかな?

黄色の箱に赤い炎の標識が可愛らしいな~。(*^-^*)

 

☝のボックスのある場所に、右へと延びる更に細い道がありました。

そこを進んで行くと・・・・・・。☟

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ここを更に進んで行くと、池のある公園の東側にあるメインではない出入口へ向かって下る坂に差し掛かります。

その途中の左手で見かけた、階段。☟

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標準的な二階建て・三階建ての家が並んでいるのとは雰囲気が違って、迷路感が一層濃い感じ。

 

北側のメイン出入り口から延びて来た小道。

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一つ上の「階段」の写真をちょっと行った場所、観光マップで言うと、ちょうど「您当前所在位置(現在地)」の「置」の字の辺りです。

 

視線を前方に向けると、こちら!☟

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観光マップの右上に緑色で描かれている公園に到着!\(^o^)/

このアーチをくぐって振り返ると・・・・・・。☟

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合成部分、ちょっとずれていますが、ほぼこの通り。(#^.^#)

 

ここで来た道を引き返します!(^^)/

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水色の矢印の場所から路地を左に曲がって、「欧爾達希克路」が南へほぼ直角に曲がる箇所へ出ます。

 

「欧爾達希克路」へ出てくる手前、カーブを曲がったところ。☟

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「欧爾達希克路」を南下して、「恰薩路」との交差点まで辿り着きました。☟

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☝の交差点を右へ進んで、少しカーブする箇所へ差し掛かりました。☟

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記憶が確かなら、トイレマークのあるところです。

 

そこから進んで、最初の左手にある路地。☟

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☝の写真の右の建物の続きに沿って、緩やかなカーブがあります。☟

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なだらかな下り坂を進むと、ついに視界が開けます!☟

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東入り口手前の路地。☟

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ついに東出入り口までやって来ました。\(^o^)/

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下って来た方を見てます。☝

両サイドのポットが、街並みにとっても似合ってますね。(*^^*)

 

☟は、☝の写真を撮った位置から、東出入り口を望む。

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門をくぐりました!☟

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高層ビルがないので、視界が広~~~い!!!\(^o^)/

気持ちいい~~~~~~~~!!!!

時刻は、北京時間14時40分。

ローカルタイムで12時40分。

真昼の日差しが眩いデス。

正面にまっすぐ延びている通りは「艾孜熱特路」。

この先に、国際大バザールがあります。

ちなみに、左右に走ってるのは「吐曼路」。

 

門の下から北西方向を見ると、古城の城壁と、その横には先刻も見かけた塔が!

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ここからもう一度城内に戻って、周囲を見学しながら「高台民居」へ向かいます!

 

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門の方から下りてきたところ。

☝の道を「吐曼路」へ向けて下っていくと、正面に烤包子(kǎobāozi:サムサ)のお店を発見!

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前日は出来上がり品しか見ていなかったので、作っている所を見学。☟

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上段の写真、少し後に包む皮がドサ~~~っとやって来ました。

皮で羊肉の餡を包んだ状態で、窯に入るのをスタンバっているサモサたち。

子供の頃、年末に家族と一緒に作ったお餅みたい!

岡山なので、丸餅。

そして田舎だから、昔は1個、1個がかなり大きかったんです。(笑)

 

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サムサのお店の前を通って、「吐曼路」へ!

緑の矢印が指している場所が「高台民居」です。

 

その前に、少し左にそれて、東の出入り口を外から撮影しました。

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角度を変えて!☟

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それでは、これから「高台民居」へ!\(^o^)/

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「吐曼路」を渡って到着したところ。

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ここで、ビックリ。

今は見学ができなくなっていました。

ホテルに戻った後検索した中国の旅行サイトで、「ずいぶん前から見学できなくなっている」とのコメントがあったので、間違いないと思います。

出入りしているのは、地元の人だけ。

 

実は、私、ここの見学を結構楽しみにしていました。

18年前に歩いた迷路のような民居エリアは、古城観光地区ではなく、「高台民居」だったんじゃないかと思っていたからです。

でも、もう断片的な記憶しか残っていない上、現地は根こそぎ変貌を遂げているのであまり自信はありませんケド。

 

ただ、このまま引き返すのも残念なので、入り口右手にあった駐車場に入らせてもらいました。☟

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観覧車がすぐ近くに見えました。☟

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では、次の目的地へ移動!!!

「高台民居」入り口から、「吐曼路」を北方向に見た所。☟

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この道を進んで、「艾孜熱特路」方向へ右折!

引き続き、「国際大バザール」へ向かいます。(^^)/

 

その途中、「高台民居」の側面が見えました。☟

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歩道の右手が空き地&駐車場だったので、ちょっと近づいてアップで撮影。

☟は橋に差し掛かった時のもの。

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右端に観覧車がチラっと写ってます。

この様子を見れば、見学が中止されても仕方ない、中止すべきだと思いました。

今にも崩れ落ちてしまいそうな雰囲気。

大勢の旅行者が遠慮もなくズカズカ入って行ったら、老朽化に拍車をかけるようなもの。

生活している人がいるのだから、迷惑がかかるようなことは慎まなければ。

 

この橋を渡っている時の、反対側の景色。☟

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欄干の上に遠くの緑が見え、更にその上に白っぽい山が見えています。

いかにもシルクロードって感じ!

こういう景色、大好き!!!\(^o^)/

 

橋を渡り切って交差点を渡ると、とても賑やかな場所に到着!

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私はここがバザールなのかな?と思って入ってしまいました。(^^;

でも、ここは衣類を販売しているお店が集まっている店舗でした。☟

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せっかく面倒な手荷物検査を受け、パスポートを提示して入ったのに、空振り。(T_T)

 

ここから出でもう少し先に進むと、ついに入り口発見!

分かりにくい~~~!☟

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もう一度検査を受けて、中へ!

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入ってすぐの辺りは、日用品を販売していました。

この通りの途中で左に曲がって見たら・・・・・・。☟

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なんとなく、らしくなってきました!\(~o~)/

 

そして、ついに!

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すごく広い建物の中で、色んなものが販売されています。(*^-^*)

 

今回カシュガルに来るにあたり、買いたいものがありました。

それは、ウイグル族の「艾徳莱斯(ài dé lái sī:アイデェライス)」で作ったワンピース!

昔、現地の人が着ていた黄色系アイデェライスのワンピースがとても綺麗だったんです。

2000年夏、買っても着るチャンスはないと思って購入しなかったせいで、その後ず~っと気になることに。

絶対買うぞ!絶対買うぞ!!

と意気込んでバザールにやって来たんですが、今回もまた購入を見送ってしまいました。(^^;

やっぱり、このカシュガルの風景が背景にあるからこそ、あの色合いが映えるんですよね。

 

ここだけでなく、外の通路を挟んで、販売スペースはさらに広がっています。

まずは、外の通路。☟

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いくつも外の通路に出る出入り口がありました。

 

向かいのレストラン。☟

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☝は何という食べ物なんでしょう?

小さなナンの上に、羊肉と玉ねぎが載っています。

カシュガル版ピザっぽいけど、チーズがないですね。(笑)

美味しそうでしたが、まだお腹が空いていなかったので諦めました。

この通り、レストランが連なっていました。

 

乾物、外の通り沿いに集中していました。

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外の通りの向かいにある建物に入って見ると・・・・・・。

いっきに生活感が!

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どこにでもある卸売場ですね。

 

入って来たゲートに戻ろうとしたら、迷ってしまいました。(ーー;)

かなり近いところまではたどり着けるのに、そこからまた別の場所へ移動してしまい、バザールの中から抜け出せない!!!

幸い、写真をたくさん撮っていたので、バザール内で働いている方にそれを見ていただいて、戻るルートを教えていただきました。

最初に左に曲がったのを失念していました。(^^;

 

この後、また古城へ。

橋の手前にあった、男女の白い像。

青空の下で白さが際立ちます!

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東の出入り口に戻った時には、北京時間18時前、ローカルタイム16時前。

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傾いた太陽の光を背後から受けた門は、真昼とはまた違った表情を見せていました。☟

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ちょうど日陰になっていたので、自撮り棒で記念撮影!☟

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フル装備状態です。(^^;

 

これから城内に入って、「阿熱亜路」を今度はオレンジのルートで移動です。

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最終目標は、人民広場、毛沢東像とのツーショット!(^^)/

 

☟、右へ延びる道が「阿熱亜路」、写真の左手には上述したサモサのお店があります。

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緑のアーチの下をくぐって、Go!

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通りの両脇で見かけた、おしゃれな路地の入口。☟

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オレンジのルート上で、トイレマークがある場所です。

観光マップで、両サイドに路地があるのが分かります。

入り口に緑の枠がある階段を上がっていくと、「空中ガーデン」があったみたい。

 

ここで、「阿熱亜路」について、紹介します!(*^-^*)

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疏勒国の時代、カシュガル古城は百年に一度も発生することがないほどの大洪水に見舞われた。住民は次々に古城の高台へと押し寄せた。今にも城内が水没しそうになった時、路面に大きな亀裂が入り、洪水は亀裂の中に呑み込まれ、古城は難を逃れ、住民は幸運にも生き残ることができた。人々は亀裂が入った場所を「阿熱亜」、即ち「間に河がある場所」と呼んだ。

 

☟、「阿熱亜路」を進んできたオレンジのルートが、マップの下へ向かって曲がる場所にあります。

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【坎土曼巴扎(kǎn tǔ màn bā zhā)カントゥマンバザール 】

ネットで検索すると、ここは鉄製品を加工販売するバザールみたいです。

 

このバザールの斜め向かいには、こんな像がありました。

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観光マップで、公衆電話のマークがある位置です。

斜め向かいのバザールをイメージした像なんですね。(*^_^*)

 

ここから南下して人民東路に出、その後右折すればすぐに毛沢東像の前に到着できたんです。

でも、何を勘違いしたか、今日もまた迷走・・・・・・。(^^;

左折してしまい、相当無駄な動きをして引き返して来ました。

 

やっと、毛沢東像前に到着。

でも、人民東路の毛沢東像の側だと、大きすぎて写真に収まりきりません。

道を渡って広場へ移動です!

広場側から見た、毛沢東像。☟

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この像は、2000年8月と同じです。

当時もここで、同じポーズで写真を撮りました。(笑)

「なるほど・ザ・ワールド!」

でも、このポーズをとって撮影するには、自撮り棒では少々困難。

誰か通りかからないかな~?と待っても、現地時間の16時45分頃。

まだ日差しも強く暑い時間帯。

あまり人は歩いていません。

しかも、中国国旗も入れたかったので、広場の結構真ん中へんにいました。

僅かな通行人は、わざわざど真ん中まではやって来ません。

お願いしに駆けつけようかと思っても、相合傘のカップルには気が引けます。

4~5人の旅行客は、その内の一人が毛沢東像を撮影しているのを無視して、ずんずん先に行ってしまっています。

とても、お願いできる雰囲気ではありません。

 

仕方ない!!!

 

傘を差したまま自撮り棒でチャレンジしようとしていた時・・・・・・。

奇跡が起こりました!!!

女性が一人、広場の中央を横断しようとしているではありませんか!

まっすぐこっちに向かってくる!~~~!

取りあえず、サングラスを外して、丁寧に中国語でお願いしました。

その瞬間!

あれ?日本人???

返事は確か中国語の「好的(分かりました)」だったんです。

でも、微妙な動作で分かるものなんですね。

だからいつも、私は中国人の友人から「うなずくのを止めたら?」と言われるんです。

この習慣的動作で、喋らなくても日本人とバレバレ。(^^;

 

でも、今回はおかげで助かりました。

その方はキルギスから入国して来られたばかり。

中央アジアの暑さで慣れているからと、日傘も、マスクも、サングラスもなく、帽子と首に巻いたタオルだけの軽装。

その勇気(?)を見習って、写真を撮っていただく時は、私も日傘は手放しました。

でも、それ以上は・・・・・・、ムリ。(^^;

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これで、18年前の写真と並べて見比べることができます!

Tさん、ありがとうございました!!\(^o^)/

 

この後、Tさんと二人、広場の端っこの木陰で休憩。

その広場の様子。

毛沢東像から見て、向かって左。☟

Tさんはこの中国銀行の側から、広場内に入っ来られたんです。

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正面。☟

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私たちは、この太鼓橋の向こう側の木陰に座り、久々に日本語を使って会話しました。

向かって右。☟

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そして、一緒に古城の方へと移動。

黄色のルートです。

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前日夜にも通ったルート。

途中、この日のお昼、男の子にサッカーボールを蹴り返してあげた場所にあるパン屋さんに寄って、翌日の列車移動時に食べる菓子を購入。

☟の奥真正面に見えるお店です。

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左側の一つは、小麦粉よりレーズンと胡桃の方が絶対に多い、スコーンのようなケーキ?

甘さ控えめ。

もう一つも材料は同じですが、ちょっと甘め。

右は星形の素朴な卵クッキー。

どれもすごくおいしかったです!

 

夕食は、初日の夜と同じ「諾爾貝希快餐厅」で、二人ともラグメンの(小)を注文。

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初日と比べて量が明らかに少なく、価格は10元。

前のはやっぱり(大)でした。

 

ここのラグメン、小さいどんぶりになっても、羊肉は柔らか!

美味しいです!!

☟に、別のレストランのラグメンについて紹介してマス。(#^.^#)

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_6月29日(金):カシュガル2日目 (1)エイティガールモスク・ユースフ・ハーッス・ハージブ墓・アスラン・ハーン墓※7/24アスラン・ハーン情報追加 - せいあん!

 

美味しいと言えば、このお茶も好きな味。

どんなお茶葉なのか、見せてもらいました。

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ブラックティーに花?か何か入っています。

ジンジャーの香りもしました。

買って帰りたかったので、缶に書かれている情報をチェックしたら・・・・・・。

スリランカ製」

???

空き缶を利用しているんだそうです。(笑)

そこで、店長さんにお茶の名前を書いてもらいまいした。

それを持って、買いに行くぞ~~~!!!

翌日。

店長さん、頑張ってローマ字表記にしてくださったのですが・・・・・・。

結果は、そのメモを見た地元の人には理解不能。(^^;

似たような味のお茶を買って帰ったら、水質の違いか、湿度の違いか?

全然、美味しくありません。(T_T)

龍井茶を龍井で飲んだら美味しいのに、日本に持って帰って飲んだら「美味しくなかった~~~(╥_╥)」のと、同じだと思います。

 

この後、すぐ側のお店でソフトクリームを食べました。

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一つ3元!(1元=16元で換算して、48円)

濃厚で、美味しい!!!

初日夜から気になっていたんです。

いつもお客さんで賑わっていました。

でも、一人だったらこの夜も食べてなかったかも。

Tさんのおかげです!

 

更に、茶館へも行きました!

本当に、一人だったら絶対に体験できませんでした。

入り口の様子。☟

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入り口から2階に続く階段。☟

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ベランダ席で、夕暮れの景色を眺めながら。☟

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お茶葉はピンからキリまでありました。

私たちには何が味が価格に見合うのか分からないので、一番安いものをチョイス。

ワンポット、10元です。(160円)

お湯の追加あり。

一人ずつ注文するのかと思っていたんですが、二人一緒でいいということで、とってもお得な気分でした。

空気が非常に乾燥している中動き回っていたので、食事の時にも飲みましたが、まだまだいくらでも飲めました。

 

ベランダから眺めた通りの様子。☟

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22時くらいまでここにいて、それぞれホテルへ。

 

この日は思わぬ出会いもあって、特に想い出に残る1日なりました!(#^.^#)

 

 余談:

Tさんは今も中国国内を旅行中です。

先日、西安にもいらしゃって、数日、夕食をご一緒させていただきました。

今は四川省西部の標高3000m台の場所にいらっしゃるとか。

暑かったり、寒かったり、環境の変化が著しいので、どうか健康には十分ご注意くださいね!(*^_^*)

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_6月29日(金):カシュガル2日目 (2)カシュガル地区博物館・香妃墓

2018年6月29日(金曜日)、カシュガル、晴れ時々曇り。

 

前回の続き、29日の後編です!\(^o^)/

地図をご覧ください!

現在地は、地図右下の「アスラン・ハーンのお墓」前です。

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 アスラン・ハーンのお墓から移動しようとした時、既に17時前。

次の目的地「カシュガル地区博物館」は、これから行って、まだ開いてるかな?

開いてても、残り時間が少なかったら、入れてもらえるんだろうか?

なんて、心配もチラホラ。

それで、一度は「カシュガル地区博物館」見学は翌日に回し、このまま直接「香妃墓」へ行こうかな~と考えました。

そして、現地の人が「反対車線にあるバス停で待ちなさい」と教えてくれたので行ってみました。

私自身も、緑色の車体で、正面の電光掲示に「香妃墓」と表示したバスを目撃したばかり。

でも、道を渡ってバス停に行っても、標識らしきものがありません。

さっき見たのは、通過しただけ???

本当に停車してくれるのか、かなり不安。

見えて来たら全力で手を振ってバス止めねば!と日陰に立たず、直射日光を浴びて待つことしばし。

暑い・・・・・。

当分来そうになくて、だんだん待つのが面倒に・・・・・・。

もろに日差しを浴びながら、いつ来るか分からないバスを待つのも苦痛なものです。

 

見極めが早いと称賛すべきか、諦めが早い反省すべきか?

悩むのを止めて、日陰になっている、元居た側の歩道に戻り、前進を開始。

取りあえず博物館へ行って、入れなかったら「香妃墓」へ行くことにしました。

 

ここで、もし待っていたら、バスは来たのだろうか?

この疑問を検証すべく、路線の確認を始めて・・・・・・。

百度地図」が成長中であることを発見。

既に、7月28日の記事に補足しましたが、「遊覧観光バス」も「百度地図」で検索できるようになっていました。

そして、「香妃墓行き」の「遊覧観光バス①」の路線は、ま~~~ったく「アスラン・ハーンのお墓」の前の通りをかすめもしていませんでした。

仮に、ホテルから「香妃墓」へ往復しようとすると、こうなります。☟

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左と中央は行き、右は戻りの路線です。

戻りは、停車するバス停の関係で、「遊覧観光バス①」は使えません。

これは現地で写したバス路線案内図でも確かめられました。

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もしかして「遊覧観光バス①」が空港へ戻っている所を見たのかな?

そう思って、☝のバス停を「百度地図」上で探していきましたが、ルートは外れていました。

私が見たのは、いったい何だったんでしょう?(╥_╥)

 

ちなみに、この場所からバスで「香妃墓」へ行こうとするなら、☟のルート。

乗り継ぎで、やっと「遊覧観光バス①」が出てきます。

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☝は、最短の10路線バスと「遊覧観光バス①」の組み合わせです。

青年北路の「アスラン・ハーンのお墓」の前から直接バスに乗って行くことはムリでした。

さっさと次の行動に移って何よりでした。

ただ、今、「百度地図」でこうでも、1か月ほど前は違っていたのかも知れません。

 

いずれにせよ、カシュガル地区博物館の近くまでは歩かないとバスにも乗れないので、前進あるのみです!!!

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☝は、今歩いて来た青年北路と、東湖公園方向から歩いて来た人民東路、更に世紀大道と、これから進む塔吾古孜路が交差するロータリー。

建物に縦に赤い字が書いてあるのは、で店名が書いてあるのは、世紀大道と塔吾古孜路の間に建っている「怡家快捷賓館」です。

 

ここから「カシュガル地区博物館」へは、徒歩200mくらい。

あっという間に到着です!\(^o^)/

時刻はおよそ17時15分。

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ここも、敷地内に入るには、入り口のカギを開けてもらい、パスポートを提示して、手荷物検査を受けなければなりません。

幸い、ここの守衛さんお二人は、門のすぐ内側のよくみ見える場所に座って待機していました。

まだ見学できるようデス!\(^O^)/

 

階段を上がって建物の中に入り、受付でノートに氏名やパスポートナンバー等を記入。

日傘が邪魔だったので、受付けで預かってもらいました。

受付けの女性に確認したところ、開館時間は北京時間10時~19時半ということでした。

これなら、まだ2時間くらいあります!(*^▽^*)

百度百科で紹介されている時間帯と誤差があります。

百度百科記載:オフシーズン:10時から19時 / オンシーズン:9時半から20時

 

二階と三階に展示がありました。

二階は、中央に働くウイグル族の人々、壁際には音楽を奏で、踊る人々の人形。

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二階はこの周囲に、テーマごとの展示コーナーがあります。

 

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【序文】

独特の自然風景、素朴な民族風情、輝かしい悠久の歴史文化が、人々に「カシュガルに来なければ、新疆の歴史がこれほどまでに長いことを知らないままだった」との感嘆を上げさせた。

(中国語の)「喀什( kā shí :カシ)」は「喀什噶尔(kā shí gá ěr:カシュガル)」の略称であり、「玉石が集まる地」を意味し、文字により記載されている歴史は2000年余りに及ぶ。この地は古来より多民族が集住する地域であり、漢民族ウイグル族・タジク族等、多数の民族がこの地で祖国の辺境を共同で建設し、現代的民族の発展の過程を共同で完成させ、貴重な文化遺産を留めた。これら文化遺産は、各民族の絢爛多彩な民族文化の物証であり、また中華民族「一体多元」文化の重要な構成の一部である。

展示は衣・食・住・交通等の面からウイグル族とタジク族の風俗習慣を紹介している。各民族間での理解・尊重・寛容・評価・学習・助け合いが促進されることを願い、「社会の安定と長期に亘る治安の維持」という全体目標を成し遂げるために力を集中させ、富強・民主・文明的で調和のとれた社会主義カシュガルを建設するため、新たな一章をつづる。

展示のテーマを書いておこうと訳し始めたら、すごく政治色の濃い序文でした。(^^;

でも、ここで「喀什噶尔(kā shí gá ěr:カシュガル)」のピンインを検索した際、一つ前の記事で情報がないとい残念に思っていた「アスラン・ハーン(赛依提艾里・艾斯拉罕)」について、用いられている漢字は違うけれど、音にすればほぼ同じ、つまり同一人物ではないかと思われる記述に行き当たりました。

これは、ラッキー!!

確認するため、カシュガルで唯一Wechatを交換した、カーペットや玉を売っているお店の店長さんに訊いてみました。

結果は、同一人物~~~!!🎉🎉🎉

ということで、一つ前の記事に情報を追加することができました!!!

店長さん、ご協力ありがとうございました。\(^o^)/

 

序文でも触れてあるように、「衣・食・住・交通」の面に分けて、展示されています。

私は入り口左手から見学し始めたので、最初は「食」です。(*^-^*)

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カシュガルの住民の多くは小麦粉で作ったものを主食とするが、米やとうモロコシの粉も食べる。また羊肉・牛肉を好み、一般的に食事には牛肉・羊肉を用いる。普段食べている物には、ナン・ラグメン・バオズ・ポロ等がある。ナンは特製の窯で焼き上げる。種類は豊富で、保存しやすい。麺類には主にラグメン・焼きうどん・スープ麺等がある。ポロとペテルマンタは特色ある食べ物である。また、羊肉の串焼き・羊の丸焼き・駱駝肉の串焼き等の美食は全国にその名を知られている。

【参考】

ウイグル料理 - Wikipedia

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一般的に、こういう食べ物の見本は、レストランの入り口に置いてあるような食品サンプルだと思います。

でも、ここの展示物、綿製品類やドライフルーツ類はどう見ても実物に思えます。

本当に本物なら、定期的に交換しているんでしょうか?

館員さんに確かめておけばよかった・・・・・・。(◞‸◟)

 

次は農畜産業について。 (^^)/

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【農耕従事 牧畜と園芸業の兼業】

古書では、ここは「農業がきわめて盛んで、花や果物が生い茂っている」と記載されている。現在、カシュガル地区のウイグル人は主に農業に従事し、小麦やトウモロコシ・綿花、更に水稲・大麦・油菜・まくわ瓜・西瓜等を栽培している。家庭では羊・牛・馬・ロバ・駱駝等の家畜を飼育している。また補足的に園芸業や果樹栽培を行っている。カシュガルは(新疆ウイグル自治区で採れる)アーモンド・棗・桃・杏子・林檎ザクロ及びドライフルーツを豊富に産出する。

パミール高原に居住するタジク人は牧畜業を主とし、メンヨウ・ヤギ・ヤク・牛・馬・ロバ・駱駝等を家畜としている。農作物は寒さに強い裸麦・春小麦・豌豆等が最も多く作られている。

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工具の展示と、麦刈り中の模型がありました。

 

☟は「住」です。(*^▽^*)

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【 阿以旺式住居(Aywangs Style Dwellings)】

カシュガルの民居は、阿以旺式が最も代表的である。阿以旺式とは内向きの閉鎖された空間で構成され、その平面と空間は中央にあるホールを中心とし、四辺に全ての部屋が配置される。採光・通風は高い位置にある窓から行い、竈・暖炉・壁龕は全て柱の側に設置され、風と砂埃が激しい自然条件に適している

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ここで展示されていたのは、四辺の内の一辺にある部屋2か所の様子です。

☟は、7月1日に見学した「民俗」という民俗文化の紹介と特産品の販売を行っている展示館で撮影した写真です。

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ちょっと(かなり?)質素ですが、形式は同じ。

左手に竈が見えます。

 

ここからは、手工業の紹介です!(*^-^*)

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【陶器と銅製品の製造 秀でた手工芸】

カシュガル地区のウイグル人は自分達の生活における必要性と審美眼により、地元カシュガルで材料を調達し、例えば銅製品・陶器・押し染め・刺繍・楽器・木製器具の製作等、自分達民族の文化伝統を伝える手工芸品を発展させてきた。それぞれに非常に精巧で図案は美しく、色鮮やかであり、これらは中華民族の芸術宝庫における絢爛たる花である。

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☟は銅製品。全て清朝のものです。

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☟は陶器。左側が清、右側が中華民国のものです。

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☟は英吉沙と言う場所の特産であるナイフ。

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☟は押し染めや刺繍の展示。

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☟は、中華民国時代の、押し染めの木型。

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昔、イランでペルシャ更紗をプリントしている所を見たことがあります。

あれも、木型を使っていました。

印刷する時、ちょっと位置がずれたりしないのかな~?

不器用な私の、素朴な感想んでした。(笑)

 

次は、服飾。\(^o^)/

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【豊富で多彩な服飾】

カシュガル地区の人々の服飾は多用で優美である。ウイグル族の伝統的な服飾について、男性が着用する袷袢(qiā pàn:チアパン)は前身ごろが真ん中で割れ膝まで届く長い上着で、腰には長いベルトを巻く。縁飾りのついたプルオーバーを上着の下に着る。女性は色とりどりのシルクで作られた艾徳莱斯(ài dé lái sī:アイデェライス)、或いは多色の織物で作ったワンピースを着用することが多い。その上にベスト或いは上着を纏う。眉を描き、イヤリング・指輪・ネックレス等の装飾品を身に着ける。男女ともに刺繍が施された小さな帽子を被り、革靴を履くが、様式・装飾図案は異なる。民族的特色が非常に豊かである。

タジク人の服飾には毛皮が多用され、また装飾を重んじる。男性は頭上に子羊の皮で作った帽子を被り、冬場は羊の皮で作った外套を着用する。女性の刺繍が施された帽子の後部にはベールが垂れ、ワンピースを着用し、その上に袷袢(qiā pàn:チアパン)を羽織る。衣服・ベルト・帽子・靴の全てに縁飾りが刺繍され、民族と地域の特色が鮮明である。

☟の左に掛けてある布が「艾徳莱斯(ài dé lái sī:アイデェライス)」。

右側に両袖を広げて展示されているのが「袷袢(qiā pàn:チアパン)」です。

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私は森薫先生の「乙嫁語り」が好きです。

細かい刺繍が描かれた衣装を、一コマ一コマ、繰り返し描き続ける。

衣装だけでなく、建物や食品の質感もとってもリアル。

どれほど根気のいる作業なんでしょう!!

この博物館1階の展示物は清や民国時代のものが中心で、「乙嫁語り」の時代はこうだったのかな~と思いながら展示物を見ていました。(*^-^*)

 

更に、楽各種楽器の展示もありました。

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☝の下は「卡伦琴(Ka lun)」という楽器だそうです。

上の写真の上段に並んでいる楽器とはタイプが違っていて、これだけアップを撮りました。

これは・・・・・・、複製品?

この後、三階を見学しました。

この三階の最後の方に、清代の楽器が展示されていて、その中に「卡伦琴(Ka lun)」も展示されていました。

それをここで紹ご紹介しておきますネ。(*^▽^*)

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年季が入ると、こんな感じです。☝

 

ここから、三階へ移動します!(^o^)/

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【序文】

カシュガルの古称は「疏勒(呉音:しょろく、漢音:そろく、拼音:Shūlè)」。中国の西端・ 葱嶺(そうれい:パミール高原)の東麓に位置し、東西の陸路交通をつなぐために避けては通れない場所である。石器時代には人類は既にここで活動を始め、青銅及び前期鉄器時代の先史時代、既に中原とその周囲及び草原地帯と密接な経済文化関係を保ち、紀元前60年になると漢朝が西域都護府を設置、正式に中国の版図に組み込まれた。

漢唐以来、シルクロードの発達に伴い、使者・商人の往来が絶えず、商業貿易が繁栄し、各種宗教が伝播した。シルクロードの南・中央の大動脈を押さえていた疏勒は、中央アジア西アジア・ヨーロッパをつなぐ要路の接点であり、シルクロードの珠玉である。この地に集まり生活する各種族の人々は、自らの勤労と知恵により、絢爛たる歴史文化を生み出した。

カシュガル地区はめったに雨が降らず乾燥しているため、地上や地下に点在する古代の文物が比較的良い状態で保存されてきた。これら文物は我々に、「ここが祖国にとって切り離すことのできない重要な場所、多様な民族・宗教・文化が併存する場所である」と伝えている。我々は中華民族の素晴らしい伝統・団結と寛容・民族団結の擁護及び祖国の統一を継承・発揚し、中華民族の偉大なる復興の道を大きく前進していく。

【参考】

疏勒 - Wikipedia

 

 終盤1/3は、またしても中国的な文面でしたね。(笑)

でも、それ以前の部分で、カシュガルの歴史は非常に古いということが分かります。

 

最初は、先史時代。(*^-^*)

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【先史文化と東西交流の始まり】

カシュガル地区は石器・青銅器・前期鉄器時代の先史時代を経て来た。ここで出土したものには打製石器・細石器・磨製石器があり、狩猟経済から農業経済へ発展する全過程を反映している。

カシュガル地域には、疏附県の康玄・タシュクルガン・タジク自治県の上庫英地爾遺跡のような青銅及び前期鉄器時代の遺構が点在しており、下坂地・香宝宝・曲曼墓地は科学的な発掘が行われている。これらの遺跡や墓からは、動物の骨格・麦わら・陶器・木器・銅器・鉄器・毛織品・皮革製品等が出土しており、この時代の人々が農業と牧畜業の兼業生活を送っていたこと、陶器・木器の加工及び毛織物業等の手工業がある程度発展していたこと、また商品のやり取りが既に行われていたこと、自然と神への崇拝が行われていたことを説明している。

 

☟は「石器工具の使用」に関する展示。

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小さい上にピンボケです。(ーー;)

☟は、「下坂地墓地」。紀元前1500年~紀元前600年。

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☟は、「香宝宝墓地と曲曼墓地」の紹介。

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ピンボケの説明パネルの文字を根性で読むと、香宝宝墓地と曲曼墓地は共にタシュクルガン・タジク自治県内にあるお墓のようです。

紀元前500年~紀元前400年の間のお墓だと説明されています。

☟は、☝の写真のパネルの、左から2枚分。

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現地の様子ですが、香宝宝墓地と曲曼墓地のどちらなのか、オリジナルの写真でも読めませんでした。(T_T)

  

次は、漢唐と疏勒に関するコーナー!(*^-^*)

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【漢唐シルクロードの開通及び疏勒の勃興】

漢代に西域都護府が設置されて以降、疏勒は文字による記載が残された歴史時代に入った。魏晋南北朝を経て、唐代、疏勒は軍事の要衝となり、唐朝はここに佉沙(qū shā:カーシャ=疏勒)都督府を置き、また疏勒鎮を設置、安西都護府が統括した。

漢代にシルクロードが開通して以来、東西を行き来する官吏や使者・商人が押し寄せ、社会経済を促進させた。特に商業貿易は急速に発展し、これに伴って農牧業や手工業、特に交通輸送業の発展がオアシス都市を出現させ、人々の生活は改善された。同時に、文字が登場、文化が発展し、仏教が盛んになり、仏教芸術が繁栄した。

 

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たくさんある展示物の中で、☟の三つは乾燥した気候だからこその保存状態に感動!

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☝の英語説明では、羊毛の紐となっていますが、中国語では綿紐で編んだ靴です。

唐代の紐、撚った状態がこんなにクッキリ!\(^o^)/

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唐代の木製の鋤と、漢唐代と時代の判別がちょっとアバウトな胡桃。(笑)

私は幼少の頃、祖父母の家に行って納屋で遊んでいた時、こんな風に白っぽく古くなった木製の工具を見たことがあります。

あれは、せいぜい十数年ほったらかしだったくらいじゃないでしょうか?

胡桃も、中身がどうなっているのか分かりませんが、外観からはまだ割って食べられそうな感じ。

 

☟の上は、唐代の陶製の壺です。☟は漢代の陶製の鉢。

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☟は唐代の上段は伎楽菩薩のレリーフ

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下側は説明を写し忘れていました。(◞‸◟)

 

前学期、ず~~~っと貨幣の紹介をしてきたので、どこの博物館でも貨幣が気になります。

ここでうまく撮影できたのは、左「開元通宝」(唐代)と、右「五銖銭」(漢代)です。

共にカシュガルで収集されています。

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この博物館でも、サーサーン朝の銀貨を見かけました。烏恰県出土。☟

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合計四枚並んでいたのですが、1枚に的を絞りました。(^^)v

どの王の硬貨なのか、説明はありません。

 

この後、次の宋・元・明・清の展示室へ移動する途中、左手に小さな部屋がありました。

中から他の見学者が出て来たので入って見ると、そこにはミイラが一体、ガラスケースの中に横たわっていました。

何の説明もありません。

衣類も靴も頭髪も残っています。

衣類の様子から、裕福な家柄だったんじゃないかと想像しました。

 

この地域のミイラは、エジプトのミイラのように処理されたものではありません。

乾燥しているため、そのまま埋葬したら水分が蒸発し、干からびた状態になったものを指します。

なので、日本語だとどちらも「ミイラ」なのですが、中国語では異なります。

新疆のミイラは「干尸:gān shī/ガンシー」。

エジプトのミイラは「木乃伊:mù nǎi yī/ムーナイイー」。

博物館の受付の女性にこのミイラについて尋ねた際、無意識に「ムーナイイ―」と言ってしまい、「違う!ガンシー」と訂正され、違いの説明を受けました。(^^;

館員さんの話によると、このミイラは男性、生前の身長は188㎝、検査により2500年前の遺体と確認されているそうです。

でも、どこのお墓に葬られていたのかは分からないとのこと。

お墓以外の場所で発見されたということ?

盗掘されて、金目のものだけ奪われて、体は放り出されてしまった?

だとしたら、とても気の毒・・・・・・。

お墓に眠っている所を発掘されて、博物館にやって来たとしても、最終的な状況は同じなんです。

いずれにせよ、安眠を妨げられて、人目に触れざるを得ない。

でも、その前の過程で、どこに葬られていたのか分からないと聞くと、特別、気の毒なになってしまいました。

 

次は、元・宋代のパネルだけ。(^^;

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【宋元のシルクロードと社会文化の変遷】

9世紀末、疏勒はカラハン朝の東の都となり、歴史上「カシュガル」と呼ばれるようになった。カラハン朝は中国の西部、回鶻人(ウイグル人)が主役となった汗国で、彼らは宋朝と密接な関係を保っていた。12世紀中葉及び13世紀初頭、この地は中国の歴史上の西遼とモンゴルの政権によって統括された。この期間のカシュガルは一貫して穀物・鉱物資源・手工業等の豊富な物産資源により、これらの政権にとって重要な収入源となった。シルクロードは依然として滞りなく通じ、商業貿易は繁栄した。『クタドゥグ・ビリグ』と『突厥語大詞典』の相次ぐ発表は、当時の思想文化の発展を具現化している。

 

さ~て、展示品を見るかな~とパネルの前から動こうとした時。 

同じくらいに入って来た団体さんがビデオも見終わって出ていく気配を感じ、ちょっと不安に。

薄暗~い三階の展示室に、私一人だけ。

同じ階には「ガンシー」もいて、さっき室内にいる時、どこからともなく「パシ!パシ!」と音が聞こえてきたのも怖さを煽ります。

それで写真を撮るのを割愛し、スピードアップ!

それに、やっぱり時代が宋代くらいまで下がってくると、あまり興味が湧かないのかも知れません。(^^;

我・愛・唐・朝!!(#^.^#)

 

でも、カシュガルの歴史を漠然とでもいいので、理解したい!

ということで、明・清代の説明パネルも撮影しました。

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清朝による西域統一 新疆省の設置】

1406年、明朝は哈密衛を設置し中国と西方の商業貿易ルートの安全を維持、また西域他地区に対し羈縻政策(きびせいさく)による統治を行い、16世紀には現在の莎車(ヤルカンド)を都として成立したヤルカンド・ハン国が明朝と密接な関係を保っていた。

1762年、清朝によりイリ将軍が設置され、天山南北各地の軍政管轄を一括して行った。1884年清朝は新疆省を設置、新疆と中国国内各省の行政制度の統一を実現した。

清朝は新疆の経済回復と発展に注力し、水利施設を修復し、農業発展を促進させ、オアシスを増やし、人口を増加させた。これに伴い、商業活動は活発になり、手工芸は発達し、貨幣が流通した。カシュガル地区の社会経済及び文化は比較的大きな発展を遂げた。

【参考】

新疆省 - Wikipedia

ヤルカンド・ハン国 - Wikipedia

羈縻政策 - Wikipedia

 

☟は、☝の紹介でも取り上げられていた「貨幣」です。

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一番左がカシュガルで収集された、カシュガル造幣の清代の銀貨。☟アップ。

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あんまり鮮明ではありません。<(_ _)>

左から二番目については、写真を残していないので、下に説明がなかったと思われます。

右から二番目は、カシュガルで収集された、カシュガル造幣の清代の銅貨。

右はカシュガルで収集された、明代のヤルカンド・ハン国の銅貨。

小さな粒のような大きさだったので、拡大写真は諦めました。(ーー;)

 

☟は清代の印章です。

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図案が美しいな~と思ったので、珍しくい鮮明に写せた上の段だけアップにしました。

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全く読めないアラビア文字

私の中では文字と言うより、図案をより美しく見せる紋様に見えます。

 

この後、団体さんがカシュガルの紹介映像を見ていたスクリーンのある部屋の前を通って、受付けまで下りました。

 

現在、唐の都だった西安に住んでいて、毎週のように長安の西市での出土品や、各地から収集された文物を見学できる恵まれた環境にあるので、どうしても唐代の展示物を見る時は、評価が厳しくなってしまいます。

質素だな~、と。

でも、私、最初は二階にしか展示はないと思ってたんです。

ところが、三階にもこんなにたくさん。

木製品や乾物の保存状態はさすが!!

更に、ここでしか見られない現地所縁のものもたくさん!!!

どの博物館にも、それぞれの見どころがあります!\(^o^)/

 

薄暗~い館内から外に出ると・・・・・・。

眩しい~~~~!!!!

日中は薄曇りでしたが、この時刻にはかなり青空が!

19時前の、まだまだ高い位置にある太陽が、ギラギラ照り付けて来ます。

 

この後、どうしよう?

どこかで香妃墓は21時まで見学できると見かけていました。

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百度地図の検索結果は、カシュガル地区博物館から香妃墓まで2.4㎞、徒歩でも27分!

お腹もすいてきたし、途中で夕飯を食べて行こう!!

 

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塔吾古孜路を一路北上!

この通りでも、ネムノキがピンクの花を咲かせていました。

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色んなお店が並んでいます。

シャッター(格子戸)を閉めて閉店のように見えますが、まだ営業中。

周囲の様子を眺めながら、前進、前進!!!

艾孜熱特路との交差点に到着。

☟は交差点を右手に曲がって少し進んだ通りの様子。

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ここに写っている建物どこかに、☟の 烤包子(kǎobāozi:サムサ)を売っている場所がありました。

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 この女性に許可をいただいて写しています。

しかも、最初に撮ったものは、ご本人のお気に召さず、撮り直し。(笑)

撮り直してこれなのですが、OKをくださったので、この一枚を採用。

日差しが眩しかったのかな?

ここで、私は手前にあるサムサ(烤包子)と、後ろに見えている烤包子2個分くらいある丸いパンのようなものを購入。

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女性はこれを「ナン」と表現していました。

「サムサは1個2元、大きいのは「ナン」だから5元ね!」

ウイグル訛の中国語で説明してもらい、確かに大きいからそれくらいの値段かな~と思った私。

価格に不満はありません。

写真では分かりにくいですが、サムサ1個で十分な大きさなんです。

じゃあ、なぜ「ナン」と紹介されたものまで買ったかというと・・・・・・。

「ナン」とやらの生地から透けて見えていた黒っぽい物が、私には「干し葡萄」に見えたんです。

『サムサには羊肉が入っているから、少し脂っこい。

口直しに、ドライフルーツが練り込まれたナンを食べてみよう!

さすがカシュガル、珍しいナンがあるんだな~。

せっかくここまで来たんだから、試さなきゃ!』

こんな思考パターン。

普段は悩んだ挙句に買うのを止めるのに、この時はヤケにポジティブシンキング!!

 

サムサ、美味しいんですよ!

絶妙な塩加減と玉ねぎの風味の、香ばしく焼けた外側の皮。

羊肉も香辛料が効いていておいしいんですが、私はカリっと硬めな皮の部分が特に気に入りました。

座る所がなかったので、その場で立ったまま、サムサはあっという間に食べ終わりました。(*^-^*)

 

その後、隣のコンビニのようなお店にミネラルウォーターを買いに立ち寄りました。

鉄格子のようなシャッターをどう開けたらいいのか分からず、しばらく悩んでいると中から人が出て来たので、そのチャンスを逃さずに中へ!

そうそう、サムサを買ったところでは現金支払いでしたが、このお店ではWechat支払いが可能でした!

事前に聞かされていたより、現地の電子マネー化は急速に進んでいるようです。

 

喉も潤ったので、

「さ~あ、次はレーズンの入ったナン!ほんのり甘めなんだろうなぁ~」

と大いに期待してかぶりついたら・・・・・・。

「おんなじ味~~~!!!」

というオチだったんです。(笑)

 

これも、美味しいんです。

特によく焦げてカリっとした表面が、たまらなくおいしい!!

でも、さすがに・・・・・・、羊肉や味が染み込んでいる部分は胃にもたれ始めました。(T_T)

それでも、そこを避けて、食べ続ける私。

だって、美味しいんです。(T_T)

 

座れる場所も見つからなかったし、時間も気になっていたので、歩きながら、思い出したようにこの「ナン」を取り出しては、一口。

これを繰り返して、かなり歩きました。

☟こんな建設現場の側を通り、

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そのすぐ前にある交差点の向かいに、こんな☟建物を発見し、

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「やった~~~!!!もうすぐ到着!!!」

と思ったら・・・・・・。

ここから更に15分くらい歩くはめに。

ちなみに、ここまでで既に30分以上経過してます。(ーー;)

 

しかも、せっかく「香妃路」に到着したのに、どこから入ればいいのか分からない!

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香妃墓の入り口は、緑のルートで進んだ、香妃路の奥まった位置にある小道を入ったところ。

それは、歩いて来た艾孜熱特路からでは全然見えません。

しかも、香妃路の入り口辺りから艾孜熱特路に沿って、青色の青い衝立で周囲が覆われていました。

隙間からチラリと見えているのはたくさんのお墓。

なら、この近辺に入り口はあるはずと思い込み、艾孜熱特路をさらに前進。

ついに民生路との交差点まで来てしまいました。(赤いルート)

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☝は艾孜熱特路に立って、交差点方向を撮影。

艾孜熱特路はまだ先に続いていますが、周囲の様子は一変!

道路の両脇にはほとんど何もありません。

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☝は、交差点を左折した、民生路の歩道の様子。

この昔ながらの風景を見ることができて、何だか妙な満足感!(*^-^*)

ここで数人の方に香妃墓入り口の場所を尋ね、通り過ぎてしまったことを確認。

歩道まで青い囲いで覆われ、車道を歩くしかない道を引き返しました。

 

そして、香妃路まで戻り、念のため入り口にあった駐車場の女性係り員さんに確認すると、

「まっすぐ行って、右へ曲がるのよ」

とのこと。

最初に来た時、せめてここまで歩いて尋ねればよかった・・・・・・。(╥_╥)

 

駐車場がこんな手前にあるし、香妃路を挟んで反対側には衝立の陰からお墓も見えていたので、この周辺に入り口があるのかと勘違い。

でも、それは自分のせいなんです。

確認不足。(T_T)

 

香妃路を歩いていると、先が長いからと、ミニサイズの観光車輛の客引きがありました。

やっと、香妃路を右に曲がる位置まで辿り着きました。

振り返って見ると、艾孜熱特路からかなり奥まっています。☟

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そして、右に曲がると・・・・・・。☟

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この写真の一番奥左、上に中国国旗が翻っている建物が入り口かと思ったら、そこではなくてさらに前進。

ただ、私が訪れた時間が遅かったせいか、この場所にいたガードマンさん(?)2人からチケットを購入しました。

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【アパク・ホージャ墓】

アパクホージャ墓は国家重点文物保護単位の一つで、紀元1640年に建設が始まった。

墓には大礼拜寺・教経堂・主墓室・貯水池等の建築物がある。墓には17世紀の宣教師アバク・ホージャ、その父アジムハマドユスフ(阿吉穆罕黙徳玉素甫)等5世代にわたる72人の一族が葬られている。この墓には清朝乾隆帝の妃であった「香妃」の墓もあると伝えられているため、「香妃墓」とも呼ばれている。この墓は非常に美しく壮観に構築されており、ウイグル民族の建築工芸の特色を十分に表現している。1988年、国務院により全国重点文物保護単位に指定された。

 

そこを先に進んだ場所が、こちら。☟

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☝の上段の青い衝立で一面が覆われている場所に着きます。

その場所の向かい側が☝の下段、入り口です。

この入り口前の広場に、チケットや解説員の料金についての案内板がありました。☟

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通常はここでチケットを購入するんだと思います。

この時、19時54分。

まだまだ明るい!

 

そして、ここまで来て、やっと2000年夏に来た時の記憶と景色が重なりました!(^^)/

入り口に安全検査の装置がありましたが、動いていなかったので素通り。(笑)

上の写真の入り口前に人が立っていますが、あの方は係り員さんではなく、旅行者です。

入り口の建物を通り抜けると、☟の景色が待っています。

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そして、やっと18年振りにご対面!

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「ここが撮影のベストポジション」と案内がある場所で、撮影。

18年前も同じ案内があって、ここで撮影した記憶があります。

当時は一人ではなく、トルファンの日帰りツアーで知り合った中国人旅行者と一緒にここまで来ました。

その人はカシュガル現地に知り合いがいて、その人の車に乗せてもらってここまで来たので、どう移動したか、全然記憶にありません。(笑)

今回は一人なので、写真は自撮り棒頼りです。

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かなり重装備です。(#^.^#)

 

正面から撮影。

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向かって右手から。

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入り口。

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中は撮影禁止なので、写真はここでストップ。

 

最初見た時は、18年の歳月が流れたんだな~と感じました。

何となく、古くなった感じを受けたからです。

でも、もしかしたら、日暮れ間近の日差しの弱さのせいかも知れません。

 

ここの庭園の端から、側のお墓が見えました。

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色々検索していると、このお墓は地元の人の集団墓地との記載がありました。

 

少し、裏手に回って見ました。☟

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なんとなく秋めいて見える青空の下、カラータイルが鮮やか!

 

この建物を囲った柵の外側に、「講経堂」と書かれた案内がありました。

チケット裏の説明にあった「教経堂」のことだと思います。

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【教経堂】

この観光ポイントで最も古い建築物。当時、ユスフ・ホージャとアバク・ホージャが布教活動を行っていた場所である。教経堂は内・外の二つの部分から構成され、冬場は内殿で、夏場は外殿で教えを説いた。室内の中央には楕円形の長さ30㎝程度の青白い点模様が目立つ「聖なる石」が安置されていた。この「聖なる石」は病や災いを退ける力を持ち、厳粛で恭順な信徒は「聖なる石」に触れると、平安と幸福を得ることができたと言われた。

 

教経堂を正面に、案内板の位置から左手を見ると、少し先にモスクへと続く入り口がありました。☟

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【加満イスラム寺院】※英語部分を見ると、Friday mosqueと記されています。

加満イスラム寺院は紀元1873年に建設された、一階建て三合院式建築である。百メートル近い広々とした回廊と後殿からなる。62本の木柱は62名の名匠が丹念に彫刻し作り上げたものである。木彫りの図案と彩色模様は一つとして同じものはない。ウイグル族の木彫り芸術の神髄ということができる。金曜日(ジュマァ)・イスラムの需要な祭日である「ラマダーン明けの祭日」・「グルバン節」の間、多くのイスラム教徒がここで礼拝を行う。

 

2000年夏、こちらには足を運ばなかったと思います。

中央に庭があって、その三方に建物があります。

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これで、見学終了!(*^-^*)

既に21時直前です。

でも、まだこれから見学に入って行く人もいました。

何時までOKなんでしょう?

 

ちなみに、今のスマホアプリの百度地図では、このチケット売り場の広場辺りから、20路線バスの最終便(21時発)が出発するはず。

でも、6月29日、私が香妃路を行き来する間、一度もバスは見かけませんでした。

 

香妃路を艾孜熱特路まで戻って、近くのバス停からバスに乗りました。

何番だったか、記憶にありません。

あるバスがやって来たと思ったら、乗ってきた人が全員降りて、別のバスに乗り換えて去ってしまいました。

ぎゅぎゅうずめになったバスに乗るつもりだった私は、ダッシュし損ねて置いてけぼり。

次があるのかどうかも分からず途方に暮れて佇んでいると、そのバスがまた発車するというんです。

でも、営業時間を過ぎているから、既定のルートは通らないとかとか。

回送車輛だったんでしょうか?

なんにせよ、少しでも街中に近づかないと!

グズグズしていると、夏至直後でとっても長いカシュガルの日中も、さすがに暮れてしまいます。

バスに乗り込み、現在位置を把握しながら周囲をチェック!

ここで、一日ひたすら歩いていたのが役立ちました。\(^o^)/

バスはカシュガル地区博物館の前を通り、東湖公園の方に曲がって人民東路を西へ!

開放路が南北に、人民路が東西に分かれる交差点を少し過ぎた「中国郵政」というバス停で下車しました。

そこはちょうどエイティガール寺院の方へ続く道「庫木代爾瓦扎路」の側でした。☟

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初めて通る道です。楽しみ!!(*^▽^*)

ちょうど夕暮れ。

建物壁が夕日に染まってとっても綺麗!

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☟この辺りは、既にお馴染みの道。(*^-^*)

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☝の道をまっすぐ下るとエイティガール寺院の裏手右に出ます。

ここを右に曲がって、前日も行ったスーパーへ!

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☝の道を途中で左に折れると、☟の道。

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この道を解放北路まで出たら右側がスーパーです!

旅行用のミニボトルの衣類用液体洗剤の購入が目的。

液体洗剤なら、濯ぎが多少楽ではないでしょうか?

 

この日、ホテルに戻ったのは22時半。

約10時間の観光。(笑)

長い一日でした!(*^-^*)

ここまでお付き合い、ありがとうございました!!m(__)m