せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その52:3階シルクロード硬貨展示ホール_インド亜大陸の四大帝国及び諸王朝_⑧グプタ帝国・⑨ムガル帝国・⑩東インド会社/西安城壁巡り・小さなインタビュアー)

 2018年12月5日(水曜日)です。

この週末は大気汚染が泣きたくなるくらい悲惨な状態でした。

汚染レベル指数が最悪の500目いっぱいまで振り切った中、西安を訪れた知り合いと共に城壁に上がったという・・・・・・。☟

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緑のルートで鐘楼から回民街を経由して、城壁西門へ。

ピンク色が城壁上を歩いた部分。

西門から北へ進み、北門・西安駅前を通過、東門経由で南門へ。

城壁を下りた後もまた、徒歩で南大街を北上、そして東大街を少し移動。

こうして見ると、城壁1周分はしっかり歩いていますよネ。

この日の歩行数は3万歩を超えました。

私はWeChatの万歩計機能を利用しています。

WeChatを交換している知り合いもこの機能を利用していると、その人たちの歩数も見ることができ、かつ、毎日、☟のように順位が発表されるのです!

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「第1名」とは「1番」のこと。

☝は18時半頃の記録ですが、最終的に23時までこの状態をキープ、初の1番となりました!\(^o^)/

これに対して、「こんなに空気が悪いのに、なぜ出歩いてるの?」とか「体に悪いよ」という心配の声が・・・・・・。(^^;

ニュースでも、「できるだけ外出は避けるように」と呼びかけているのです。

それは、そうなのですが・・・・・・。

天候に合わせて行動を決められない時だって、あるではありませんか!

例え、時に小雨が降り、一日中どんよりとした灰色の世界で、記念写真をとっても全く見栄えがしなくても、予定を中止するわけにはいきません。

知り合いは、はるばるカシュガルからやって来ているんです!

知り合いとは、一つ前のブログに掲載した「カシュガルの高台民居」の写真を送ってくれた、玉やシルクカーペットを扱っているお店の店長さん。

こちらは、カシュガルの店長さんのお店の一部。☟

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もちろん、私に会いにではありません。(笑)

私はお店でお茶を買っただけの、一観光客に過ぎません。

西安には、以前カシュガルで働いていた知り合いがいらっしゃって、その人を尋ねて来られたんです。

でも、私にもわざわざカシュガルの特産品を持って来てくださいました。☟

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カシュガル産の棗や胡桃・アーモンド、それに中に色んな餡が入ったナン!!!

このナン、直径は私の手のひら大で、西安の回民街やカシュガルで写真を撮ったものと比べるとかなり小ぶりで可愛いサイズ。

バラジャム、バラ+ウイキョウのジャム、カシスジャム、唐辛子が中に入っていたり、生地に胡桃を混ぜて上にアーモンドをトッピングしたものもありました。

写真のナンは、部屋に戻ってから撮影したものです。

城壁を歩いている時にお腹が空いて食べてしまったので、最初はもう少し数量がありました。

長持ちするとは言われても、餡入りのものは餡が痛みやすそう。

せっかくの頂き物、無駄にしたくはないので、クラスに持って行ったり、知り合いにおすそ分けしたり。

ウルムチ出身の知り合いは、特に喜んでくれました。(*^-^*)

 

このお土産、店長さん、店長さんのお友達と私の三人、交代で持ちながら城壁を歩きました。

ちょっと重かったかも?(笑)

 

上の方で「灰色の世界」と書きました。

基本、灰色なのですが、そこは中国!

スモッグにも影響されない鮮烈な色彩が!!!\(^o^)/

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☝は西安城内西北の角にある、チベット仏教の「広仁寺」。

全国で唯一の緑度母(緑多羅菩薩)主道場で、陝西省唯一のチベット仏教寺院でもあります。

清の康熙44年(1705年)に建てられ、200年以上の歴史があるとか。

モノクロの風景の中、金色の屋根と赤い壁がとても目立っています。(*^▽^*)

ちなみに、☟の左は2011年9月に撮影したもの、右は今回のものです。

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2011年も、あまり天気は良くありませんネ。(笑)

でも、当時はまだ天気予報で「雾霾(スモッグ)」という言葉を聞くことはありませんでした。

多少淀んでいるようですが、薄暗いのは、あくまで天気が「曇り」だったからです。

その証拠に、背後の高層ビルはちゃんと見えています。

金色の屋根の隣の建物は、2011年当時はまだ建設中でした。

留学生仲間と自転車で回っていたのですが、「あの金ピカの屋根は何???」とみんなで首をかしげたのを覚えています。

金色の屋根は、スモッグにも負けず、今も7年前と変わらず輝いています!

 

自転車の話が出たので、2018年と2011年を比較してみました。☟

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2011年当時の自転車は、生活感あふれていますネ。(笑)

 

☟左の写真の男の子は、イランからの留学生。

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途中、彼が乗っていた自転車、ペダルがポロっと落ちてしまいました。(笑)

 

その他にも目を引くものが!

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写真(左):

スモッグが怖くて、結婚写真が撮影できる!?(笑)

日差しがなく風もあって結構寒い日だったのですが、女性は肩丸出しの衣装。

寒いかな~と思ったのですが、よけいなお世話ですよね。

アツアツに決まってます。(表現、古臭いですか???)(^^;

撮影の瞬間には、裾を持っている二人が手を放し、布がたなびく感じを演出します。

写真(中央):

西安駅です。

高鉄の駅ではない、昔ながらの西安駅。

今年3月頃、授業で先生から「拡張工事のために取り壊される」と聞き、焦って写真の撮り納めに来たのですが、今のところ昔の姿、健在!

昔懐かしい姿を、目線の高さから撮影できたことが何より嬉しい~~~!!!

城壁に登るにはお金がかかるので、そんなに頻繁には上がって来れません。

それに、私の場合、住んでいる場所から考えて、南門や西門から上がる可能性は高くても、駅前や北門からということは先ずあり得ません。

まして、南や西から登って、北まで歩くなんて!

今回はとてもいい想い出になりました。

写真(右):

銀杏の落ち葉で作った文字。

西安城墙中山门(西安城壁中山門)」と書いてあります。

ここは東門の近くにある門です。

城壁の上からでないと、全体感が分からないですよね。

 

以上、スモッグの中の城壁観光の様子でした。(*^-^*)

 

では、本題の硬貨の紹介に入ります!\(^o^)/

今回も 3階の④の位置に当たる展示室です。☟ 

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③にある展示室から入って行くと、展示コーナーが左手奥に見えます。☟

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左手奥のコーナー全体の様子。☟

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「4.インド・パルティア」・「5.大月氏」・「6.クシャン帝国」・「7.キダーラ王朝」は紹介済み。

 

今回は「8.グプタ帝国」・「9.ムガル帝国」・「10.東インド会社」の硬貨をご紹介します。(*^-^*)☟

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では、「8.グプタ帝国」からスタート!!\(^o^)/

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以下、パネル内容の参考訳です。(*^-^*)

【8.グプタ帝国 紀元320年~540年】

グプタ王朝は中世インドを統一した最初の封建王朝であり、古代インドの黄金期にあたる。紀元4世紀末から5世紀初めにかけて、中国東晋の高僧法顕は求法のために西へ向かった。法顕は当時のインドを「人々は豊かであり、多くの人が善行や正義という宗教の教えを実践している」と述べている。グプタ帝国の領土はインド北部・中部及び西部の一部地区をカバー、首都はパータリプトラである。グプタ王朝の時代、大乗仏教が盛んになり、ヒンドゥー教が興った。グプタ朝の諸王は皆ヒンドゥー教を信奉したが、民族及び教派間の矛盾を緩和するため、宗教の共存政策を採用し、各派宗教は自由に発展するに任せた。大乗仏教の中心であるナーランダ僧院は、中世インド前期の宗教と学術の中心であり、唐代高僧玄奘は西へ取経の旅に出た際ここを訪問、その見聞は『大唐西域記』に記され、貴重な歴史的資料となっている。

グプタ王朝の硬貨は、多くが文字・王像・天地の神・雄牛・動物等多様な形式のクシャン式硬貨の風格を継承、内包している文化は幅広い。

 

☟で各硬貨の大きさ等をご覧ください。

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【グプタ帝国/金貨/紀元320年~紀元540年/西安大唐西市博物館所蔵】

☝の写真だと、まだ少し小さい気がするので、☟のアップをどうぞ!(^^)/

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展示コーナーには、どの王の硬貨なのか、説明がありません。

博物館で購入した書籍には以下の写真が紹介されていました。☟

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多分、これは印刷ミスだと思います。

まず、漢字では「金币(金貨)」となっているのに、英語では「Silver」。

・中国語の漢字で検索すると、【グプタ朝の第2代君主サムドラグプタ】。

【根拠】

Wikipediaグプタ朝の第2代君主(在位:335年頃/350年頃 - 375年頃)

百度百科:海护王(沙摩陀罗·笈多)为印度笈多王朝第二任君主(335—380年在位)

・時代「紀元380年~414年」で確認すると、チャンドラグプタ2世。

【根拠】

Wikipediaでは【チャンドラグプタ2世(Chandragupta II、在位:376年 - 415年)、グプタ朝第3代の王東晋の僧である法顕の記した『仏国記』では超日王と呼ばれている】。

百度百科でも、【旃陀罗·笈多二世(Chandragupta Vikramāditya;380年到413年在位),笈多王朝第三代君主、即超日王。】

在位期間に多少のずれはありますが、「第3代目」と「超日王」が一致しています。

ということで、この硬貨の紹介からは、第2代・第3代の王について少し理解できたことで満足しましょう!(笑)

以下、参考です。

サムドラグプタ - Wikipedia

海护王_百度百科 (沙摩陀罗·笈多一般指海护王 )

 

チャンドラグプタ2世 - Wikipedia

旃陀罗笈多二世_百度百科

 

 

次は「9.ムガル帝国です。\(^o^)/

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拡大した紹介文をご覧ください。(*^-^*)☟

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以下、パネル内容を訳しました。参考にそうぞ!

【9.ムガル帝国 紀元1526年~1858年】

ムガル帝国は1526年にインド半島北部に興ったイスラム教国家。創建者はバーブル。その祖先はモンゴルティムールの末裔である。帝国の辺境は、西はアフガニスタンのバルフ、東はベンガル湾、北はヒマラヤ山脈から南のゴーダーヴァリ川まで、アフガニスタンカシミールを含む。最後の統治者であるバハードゥル・シャー2世は、1858年の民族大蜂起後、イギリス植民当局によって追放され、ムガル帝国は終焉を迎えた。

 

【ムガル期のインド硬貨鋳造工場の硬貨製造風景】

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一人が金型を押さえ、もう一人がハンマーを打ち下ろそうとしている。貨幣の半製品は皿に入れられて鋳造されるのを待ち、鋳造が終わった硬貨は床の上に積み上げられている。役人達は貨幣の品質チェックを行っており、使用人は硬貨が詰め込まれた袋を持っている。

ギリシャ式硬貨打刻工程手順:

① 硬貨の表・裏の型を彫る

② 金属の裁断

③ 重量の測定

④ 表の型を固定

⑤ 金属をセット

⑥ 裏の型を上にのせて合わせる

⑦ 力を込めてハンマーで叩く

専門用語は分かりませんが、だいたいこんな☝感じデス。(^^)/ 

 

☟は失敗作の例のようです。

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「製造過程において表・裏の型が正しくセットされなかったため失敗した硬貨を、貨幣界では『陰陽打???』※と称される」 

左側:伊尔汗布赛因汗(「布」を「不」に変更すると、イルハン国のフセイン・ハンで該当があるのですが、確証ないので保留)

右側:バクトリア貨幣

※色々検索してみましたが、分かりませんでした。m(__)m

 

とても有名な【タージ・マハル】。\(^o^)/

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タージ・マハルはインドにおいて知名度が最も高い旧跡の一つである。ニューデリーから200㎞余りのアーグラ城塞内、ヤムナー川の右岸に位置する。ムガル王朝第5代皇帝シャー・ジャハーンが、死去した皇后ムムターズ・マハルのために建設した墓廟である。タージ・マハルは殿堂・鐘楼・尖塔・池等で構成され、全て純白の大理石を用いて建設、ガラス・瑪瑙で象嵌され、その絢爛さに目を奪われる。イスラム建築において著名な代表的建築であり、非常に高い芸術的価値を持つ。2007年7月7日、新・世界七不思議に選出された。

参考としてご覧ください。(*^-^*)

 

ここからは硬貨を見ていきましょう!\(^o^)/

ムガル帝国のコーナーでは、これだけの展示があります。☟

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小さくて全く見えないので、左から一種類ずつ拡大していきます!

全て、西安大唐西市博物館所蔵です。

 

【一番左】

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【ムガル・アクバル(アクバル大帝・第3代君主)/銀貨/紀元1556年~紀元1605年】

 

【左から2番目】

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【ムガル・ジャハーンギール(第4代君主)/銀貨/紀元1605年~1627年】

 

【左から3番目】

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【ムガル・シャー・ジャハーン(第5代君主)/銀貨/紀元1627年~紀元1658年】

 

【左から4番目】

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【ムガル・アウラングゼーブ(第6代君主)/金貨・銀貨/紀元1658年~1707年】

 

☟は、博物館で購入した書籍に掲載された、アウラングゼーブの銀貨」です。

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【左から5番目】

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左【ムガル・ジャハーンダール・シャー(第8代君主)/銀貨/紀元1712年~1713年】

右【ムガル・ファッルフシヤル(第9代君主)/金貨/紀元1713年~紀元1719年】

展示されている硬貨の主の中では、この二人はズバ抜けて在位期間が短いのです。

特に左側のジャハーンダール・シャーは、父の死後、3人の弟を討って帝位を継承したにもかかわらず、その実権は帝位獲得に活躍した功労者に握られていたという。

しかも、帝位継承の翌年、ファッルフシヤルに敗れて殺害されてしまうのです。

たった、1年・・・・・・。

ここだけ読んだら気の毒に思ったのですが、見出しの続きの詳細を読むと、兄弟の中で一番できの悪かったジャハーンダール・シャーが即位できたのは、有力貴族の支援のおかげ。

こんな身も蓋もない表現もありました。

「支援した有力貴族が精力的に活動する反面、馬鹿で無能な皇帝ジャハーンダール・シャーは怠惰な生活を送っていた」

ここまで読むと、8代目が1年しか玉座を守れなかったのも致し方ない・・・・・・と思えます。

ジャハーンダール・シャーを倒し、玉座を継承したファッルフシヤルも、政治的判断を兄弟に左右され、皇帝としての力量を十分に発揮できなかった・・・・・・。

結果、皇帝は有名無実と化し、1719年2月、ファッルフシヤルは陰謀で廃位・目つぶしのうえで幽閉!!!(゚д゚)!

更に、逃亡しようとしたために絞殺されてしまいました。(T_T)(T_T)

これらはWikipediaに記載されていた内容です。

これまでも硬貨に描かれている権力者の歴史を見てきて思ったことですが、相当の覚悟を持って臨まないと、あっという間に玉座と共に、この世ともお別れになってしまうのに、それでも国王・皇帝になりたいとは・・・・・・。

自ら望んでと言う場合ばかりではないと思いますが、それにしても一般庶民の私には理解不能デス。(^^;

(参考)

ジャハーンダール・シャー - Wikipedia

ファッルフシヤル - Wikipedia

 

【左から6番目】

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【ムガル・ムハンマド・シャー(第12代君主)/金貨・銀貨/紀元1719年~紀元1748年】

 

【右端】

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ムガル帝国後期/金貨・銀貨/19世紀】

 

☟は、博物館で購入した書籍に掲載された、ムガル帝国後期銀貨3枚」です。

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この3枚の年代はイスラム歴で記されているので、ネットで西暦を検索してみました。だいたい、この年代のはず。

左:1841年

残り二つ:1856年

この年代だと、バハードゥル・シャー2世(第17代君主・在位:1837年~1858年)に該当します。

この方が、最後の君主となります。

 

 

今回のラスト、「10.東インド会社です。\(^o^)/

コーナー全体の様子をどうぞ!!☟

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【10.イギリス東インド会社 紀元1600年~1947年

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東インド会社はイギリスの株式会社である。1600年12月31日に創立。この日、イングランド女王エリザベス1世が王室特許状を下付し、インドにおける貿易の特権を与えた。この特許状によって東インド会社はインド貿易を2世紀あまりに亘って独占し、商業貿易企業からイギリスのインドにおける実質的な支配者となった。1857年、ギリスがインドの植民統治機構を設立したことにより、行政権力を解除された。

インドで現在流通している貨幣――ルピーは16世紀に始まるが、それは基準単位ではない。1835年、インド領内における貨幣流通の便を図るため、東インド会社は新基準のルピー銀貨を導入、当時インドで約300種類余りものルピーが市場で流通しているという局面を改革した。

Wikipediaから補足:

セポイの乱インド大反乱)の後、インドの統治権をイギリス王室に譲渡し、1858年に解散した。 だが、東インド会社はその後、1874年まで、小さいながらも会社組織は継続した。理由は、イギリス政府が株主に対して、1874年までの配当の支払いを約束していたからであり、残務整理が終了した1874年1月1日、正式に会社の歴史の幕を下ろした。

 

冒頭の会社名の下にある年代や、その他の「期間」は全て「紀元1600年~1947年」と記載されています。

でもWikipediaの記載を見ると、「東インド会社」の終焉は「1947年」ではありません。

では、なぜ「1947年」なのかと考えて、思い至ったのがインドの独立。

「1947年7月インド独立法によってイギリス領インド帝国は消滅(コトバンク:インド独立運動より)」が根拠なのかな?と想像しています。

 

(参考)☟

イギリス東インド会社 - Wikipedia

 

 ☟は東インド会社が発行した新基準の銀貨です。 

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1835年、東インド会社が発行した新基準の銀貨。インドのカルカッタ市で鋳造。表面はイギリス国王ウィリアム4世の肖像、裏面はウルドゥー語※1と英語で標記された額面。この硬貨の設計者はインドで知名度の高いイギリス系インド人※2の歴史・建築学者ジェームズ・プリンセプ。ここからインド・ルピーの統一が始まった。

 

※1

裏面の英語でない方の言語を、「インドなのに、何故アラビア語???」と不思議に思っていました。

中国語表記では、これまで見たことの無い「 乌尔语(ウーアールユー)」。

百度百科」で「 乌尔语」で検索しても該当がなく、その時に表示されたのが「乌尔都语(ウーアールドゥーユー)」。

「都」の文字が一つ多くなっています。

これだと「ウルドゥー語」!

Wikipediaで「ウルドゥー語」は「インドでは、憲法の第8附則において定められた22の指定言語のひとつ」と紹介されていたので、これでOKかと。

(参考)☟

ウルドゥー語 - Wikipedia

乌尔都语_百度百科

 

※2

中国語では「英裔印度人(イギリス系インド人)」と記載されているのですが、Wikipediaでは「イギリスの東洋学者」と紹介されています。

(参考)☟

ジェームズ・プリンセプ - Wikipedia

 

次☟は、インド共和国のルピー。

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インド共和国ルピーニッケル硬貨。1950年製造。表面はインドの国章と紀元前3世紀アショカ王が建立した獅子石柱柱頭。裏面はヒンディー語と英語で表記された額面。インド会社が19世紀に発行したのは銀貨だったが、1870年、銀価格の低落に直面し、「ルピーの下落」期が始まった。1940年発行のルピーの銀含有量が50%減少となり、1947年銀貨の発行を停止した。

 

☟は【東インド会社/銀貨/紀元1600年~紀元1947年】

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☟No.75・76は、博物館で購入した書籍に掲載された、「東インド会社の銀貨」です。

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以上、今回の硬貨の紹介でした。(*^-^*)

 

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引き続きまして、おまけコーナーです。(*^▽^*)

2018年12月1日(土曜日)、私は毎週恒例の大唐西市博物館巡りをしていました。

その時、小さな男の子から声をかけられたんです。

「おばちゃん、インタビューしていいですか?」

全身で「一生懸命!」をアピール。

そして、こんな感じにマイクが差し出されました。☟

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インタビューの内容は「中国の四大発明は何ですか?」でした。

答えは「紙・印刷・火薬・羅針盤」」。

大唐西市博物館に「火薬」に関する文物が展示されていたかはちょっと記憶が曖昧なのですが、残りの3つは展示場所もはっきり分かります!

問題は、それを中国語で答えないといけないこと。

中国語だとこうなります。

「造纸术(紙)・活字印刷(印刷)・火药(火薬)・指南针(羅針盤)」

端的に伝えられないので、長々と説明してしまいました。(^^;

 

その後、こんな風に既定のノートに署名を頼まれ記入。☟

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その時、5文字ある氏名をフルで書いたのですが、何の反応もナシ。

そう言えば、答える時にちゃんと「外国人だからうまく説明できなくてごめんね」とも言ったのに、リアクションありませんでした。

側ではお母さんがスマホで動画撮影をしていました。

きっとカメラの前で緊張してしまって、私の言葉や名前を気にする余裕なんてなかったんでしょうね。

「おばちゃん、ありがとう!」の言葉を残して、男の子は嬉しそうにお母さんのもとへ。

何となく、「いいことしたな~」みたいな気分になって、展示物の見学を再開しようとした時、

「おばちゃん、何人???」と男の子が駆け寄って来ました。(笑)

ノートの名前を見たお母さんが、気付いたんでしょうか?

日本人だと答えると、さあ大変!

「あのおばちゃん、日本人っ!!!」と興奮。

周囲にいた友達に言って回るので、それを聞いた数人がインタビューに推しかけて来るではありませんか!(笑)

インタビュー2人目:シルクロードはいつ作られた?

インタビュー3人目:西市はなぜ造られた?

インタビュー4人目:西商精神とは何か?(2階フロア最後にパネルがあります)

正確ではないと思いますが、とりあえず全て答えてOKをもらいました。(笑)

 

子供たちは、みんな同じ青色の帽子と上着を着ています。☟

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私の所へやって来た4人は、この写真の奥に写っている男の子くらいの年齢でした。

 

みんなが来ている上着の背中には、「新華小記者」の文字が入っています。

『マスメディアや教育の観点から、教室外の特色のある実践活動に参与することを通じ、学生(全国の中小学生)たちの実践能力とイノベーション精神を向上させ、勉学への興味と学習成績を向上させること』

それが「新華小記者活動委員会」の趣旨だそうです。

この活動に参加申し込みをし、活動している子供たちが「新華小記者」です。

インタビューをしてくれた子供たちにはそれぞれ個性があって、やっぱり最初に声をかけて来た男の子は度胸がある感じ。

中には緊張して声が震え、出題問題を間違えて言い直したりする子も。

それでも、その子はちゃんと最後の署名のお願いまで済ませ、礼儀正しくお礼を言って去って行きました。

みんな、小さなころから課外活動に参加して、自分自身を鍛えているのがすごいなあ~と関心した週末の午後でした。(*^-^*)

 

 

 



 

 

西安大唐西市博物館(その51:3階シルクロード硬貨展示ホール_インド亜大陸の四大帝国及び諸王朝_③インド・サカ王朝・④インド・パルティア王国・⑤大月氏/現在のカシュガル「高台民居」の様子)

2018年11月27日(火曜日)、スモッグ・・・・・・。

 

暖房供給がスタートして暫くはまだ青空が広がっていました。

でも、ついにこの季節らしい黄色く淀んだ空が登場。(*_*)

しかも、もう数日続いています。☟(^^;

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☟の図で、濃い紫色は最悪のレベルを示しています。

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表示されるランク、最悪から「厳重汚染(濃紫)」・「重度汚染(紫)」・「中度汚染(赤)」「軽度汚染(オレンジ)」・「良(黄)」・「優(緑)」。

表示される数値は、「0」~「500」。

「500」は非常に汚染されている状態です。

ぴったり「500」ということなどまずありえないので、26日はその「500以上」ということになります。

天気予報を見ると、明日も「厳重汚染」。

これからはほとんどこんな空になるのかな~、そう思うとちょっと憂鬱。

去年よりマシでありますように!!!

 

では、硬貨の紹介に入ります!\(^o^)/

場所は3階、☟のレイアウト図④の展示室。 f:id:shanshanduohuizi:20181118005352j:plain

 

上の③の展示室から④へ入って左側。☟

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ここの☝「3.インド・サカ王朝と『西郡太守』」と、その隣の壁☟に展示されている「4.インド・パルティア王国」・「5.大月氏」をお届けします!(*^-^*)

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今回の部分だけをアップにしたもの。☟

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では、左側のインド・サカ王朝からスタートします。☟(^_^)/

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【3.インド・サカ王朝と『西郡太守』 (約紀元前1世紀~405年)】

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インド・サカ王朝はアフガニスタン南部及びインド北部にあった、スキタイ人を中心とする諸王朝。中国の史書ではスキタイ人を「塞種人」と呼び、欧州の学者は「塞克」と称した。「塞種人」は元々イリ河谷に居住していた古い民族の一つである。生活地域は広く、部落が非常に多く、移動を繰り返していた。紀元前1世紀、彼らはインド北部のガンダーラ地区で罽賓(けいひん)を破り、独立王朝―通称「インド・サカ王朝」を打ち立てた。また別の塞人は南に向けてインド北部へ進入し南西に向け現インド中部西寄りの地区まで進み、インド・グリーク朝の小都市国家を破って分散的なサカ小王廷を作った。中国史ではそれを「西郡太守(西クシャトラパ?)」と呼ぶ。その後、インド・サカ王朝は大月氏が建てたクシャン王朝に滅ぼされた。

これら「西郡太守」サカ小王廷は財政が苦しかったか、もしくは戦争が頻発したことにより行軍の便を考えたのか、銀貨の中にはとても小さなものもあるが、ギリシャ式貨幣製造の特徴を踏襲しており、外縁にはギリシャ語の銘文を残している。ただ、それに特別な意味は無い。非常に精巧に作られており、小さな中に塞王の威武を見て取ることができる。

 

ここでは中国語の音に近い「インド・サカ王朝」としていますが、インド・スキタイ王国、インド・スキタイ朝、サカ王朝、サカ王国とも言われるそうです。(Wikipediaより:☟をご参照ください)

インド・スキタイ王国 - Wikipedia

 

「西郡太守」については、中国の「百度百科」では該当項目がありませでした。

検索して出て来たのは、古銭販売サイトの商品案内ばかり。(^^;

Wikipediaで偶然見かけた

①「西クシャトラパ」が支配した範囲が、上述の地域と合致しているように思えること

②「クシャトラパと言う単語はサトラップと同じく古代ペルシア語フシャサパーヴァン(xšaçapāvan)に相当し、元来は州の総督、または知事を意味した」 というWikipediaの説明と、中国語の「太守」が「州郡の最高行政長官」であること

③「西郡太守」銀貨の説明にある「時代:紀元35年~405年」がWikipediaの紹介と一致

以上3点から、「西郡太守」は「西クシャトラパ」のことでは?と推察しました。

☟、WikipediaのURLです。

西クシャトラパ - Wikipedia

 

パネルを下に見ていきましょう!\(^o^)/

 

【インド・サカ王朝の銀貨と、「西郡太守」の銀貨】

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左がインド・サカ王朝の銀貨、右が「西郡太守」の銀貨です。(上段が表面・下段が裏面)☝

【インド・サカ王朝の銀貨】

馬の背に乗った騎士という独特な貨幣から、塞種人がその名に恥じない「騎馬民族」であることが分かる。馬の背に乗る騎士の図案は、君主の権力が神から授けられたものでることを意味する。

 

インド・サカ王朝の銀貨をアップにしました。☟ 

 

 

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大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている硬貨の紹介です。☟

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ご参照ください。

「西郡太守」の時代が、「紀元35年~405年」となっています。(*^-^*)

 

続いて、【インド・サカ王朝の銅貨】です。☟(^_^)/

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【銅貨 紀元前1世紀頃~405年 大唐西市博物館所蔵】

合計21個展示されています。

アップをご覧ください。

 

上段を左から2個ずつ撮影しています。☟

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中段を左から3個ずつ、撮影。☟

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下段を左から撮影。

縮尺を揃えたかったので、個数が5:4にならないよう、左右それぞれから5個目を重複させています。☟

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ここからは、【インド・サカ王朝の銀貨】
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【銀貨 紀元前1世紀頃~405年 大唐西市博物館所蔵】

合計36個あります。

数が多いので、上下各3段、それぞれ左右に分けて撮影しました。(*^-^*)

 

上左半分。☟

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上右半分。☟

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下左半分。☟

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下右半分。☟

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それぞれ、中心部分の硬貨には重複しているものがあります。

次は「西郡太守の銀貨」です。☟(*^▽^*)
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【銀貨 紀元35年~紀元405年 大唐西市博物館所蔵】

ここにも、年代の紹介がありますネ。

 

合計10個、個別にご覧ください!☟

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実物がかなり小さいので、少しボケ気味で申し訳ありません。(^^;

 

以上、インド・サカ王朝と「西郡太守」でした。

 

ここからは「4.インド・パルティア王国」と「5.大月氏」です。☟(*^^*)☟

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最初は【4.インド・パルティア王国 紀元前1世紀頃~3世紀】です。

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紀元前1世紀頃、大月氏に駆逐された一部スキタイ人が、現アフガニスタン東南部及びパキスタンとインド西北部に移動し、これら地域の支配権を獲得、タキシラ(現イスラマバード北部)を首都とした。この国は安息帝国(「パルティア」とも称す)と政治的平等条約を結ぶことに成功し同盟関係を結んだことから、「インド・パルティア王国」と呼ばれる。紀元1世紀、「インド・パルティア王国」はクシャン王国との戦いで惨敗し、元の領地まで撤退、紀元3世紀にサーサーン朝に征服された。

現存している貨幣を見ると、この国が鋳造した銅貨は基本的に安息貨幣の特徴を踏襲している。表面には王像、裏面には勝利の女神ニーケー(ニケ)多く用いられている。

 

【インド・パルティア】

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貨幣裏面の羽を備えた勝利の女神は、ギリシャ勝利の女神ニーケー(ニケ)の彫刻と非常に似通っており、ギリシャ文化の影響を強く受けていることが分かる。

 

☝のパネルで紹介されているコインでも図案は見えていますが、書籍には時代・サイズ・重さも記載されていますので、ご案内します。(*^-^*)☟

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ではここで、この女神のモデルと思われている『サモトラケのニケ』を見てみましょう!\(^o^)/

サモトラケのニケ』☟

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ギリシャ共和国サモトラケ島(現在のサモトラキ島)の勝利の女神

パリルーブル美術館所蔵

羽があることを除けば・・・・・・。

彫刻と直接比較してはいけませんね。(^^;

 

では、硬貨を見てください!(*^-^*)☟

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【インド・パルティア王国 銅貨 紀元前1世紀~3世紀 西安大唐西市博物館所蔵】

合計6枚。

これらも、とても小さな硬貨です。

写真のピントを合わせるのに苦労しました。(^^;

左から2個ずつ並べています。☟

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余談ですが・・・・・・。

最後の2枚を遠目で見た時、双葉が生えているのかと思ってしまいました。(笑)

 

今回のラスト、【5.大月氏 紀元2世紀頃~1世紀】です。(^o^)/
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月氏は元々甘粛省の南西、敦煌祁連山脈の間に居住していた。しかし紀元前2世紀初め、匈奴冒頓単于が領土拡大に精力を傾けた、紀元前177年~紀元前176年に月氏を征服、その継承者である老上単于月氏王を殺害した。これにより月氏は故郷を追われ、その内の少人数の集団がチベット北東の山中へと逃れ、小月氏と呼ばれた。大集団は西へと遠く去って行き、天山・イリ河上流のチュイ川とナリン川の間にまで至り、塞人を破り、塞の地を占領、大月氏と呼ばれた。しかしまもなく、烏孫が大月氏を攻撃したため、大月氏は西へと移動し、最終的に隣国の大夏バクトリア)へ辿り着き、大夏を支配した。紀元前138年、張騫は大月氏と共同で匈奴に抵抗せよとの漢武帝の命を受け、紀元前129年にようやく大月氏のもとへ到着したが、この時の大月氏は既に大夏、即ち現在のインド西北部を支配していた。

月氏の貨幣には、王像は縁の広いヘルメットを被り、裏面には威風堂々とした獅子という明確な特徴がある。

 

参考:

月氏 - Wikipedia

 

【紀元前2世紀~5世紀 アジア・ヨーロッパ民族大移動図】

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上の大移動図左下のアップです。☟

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そして、小さかった「インド・パルティア王国」の硬貨より更に小さい「大月氏」の銀貨。☟

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少し離れた所から望遠レンズで撮る方が、広角レンズで拡大するより大きく写せるんですが、この☝の2個は、その最高倍率でも一緒の枠内にハマってしまう大きさ。(^^;

左側はヘルメットがなんとなく見て取れます。

そして左が表面なら、右には裏面の威風堂々とした獅子が刻まれているハズなのですが・・・・・・。

全く何がなんだか分かりません。(T_T)

ということで、博物館で購入した書籍に掲載されている写真をご覧ください。☟

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縁が広いヘルメットを被った王様と獅子の姿、見えました!!!\(^o^)/

 

ところで、上の書籍抜粋にある「大月氏」の英語表記にご注目ください。

「Greater Rouzhi Silver Coins」とあります。

どこが気になるかと言うと、「Rouzhi 」です。

「大月氏」を中国語標準語のピンインで示すと、[dà yuè zhī ]。 

でも、「百度百科」では[dà ròu zhī] となっています。

大唐西市博物館で見学中、偶然、解説員さんを頼んでいる団体さんがやって来ました。

その時、解説員さんがわざわざ「この民族の場合だけ、読み方は『dà ròu zhī』」となります」と紹介されていたんです。

1回だけでなく、何回もその場に居合わせました。

では、どちらが正しいのか???

百度百科」の冒頭部分では[dà ròu zhī] 、その少し下の表では[
dà yuè zhī ]と表記されています。☟

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更に下へと読み続けていくと、☟のような記述もあります。

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ピンク色で塗っている所を読むと、

月氏」の発音については、50年代以来、中・小学校の歴史教科書では、読み方の表記は一貫して「ròuzhī(肉支)」とされている。しかし考証によれば、この読み方表記は間違いであり、「月氏」の「月」の「国家語言文字工作委員会が読み方を統一規範する以前の読み方」では「肉(ròu)」であったが、これは間違いをそのまま伝えてしまった結果であり、誤読である。

と書かれ、その下には誤読とする考証についての説明があります。

半世紀以上「ròu」と学び続けているので、世間一般では「ròu」が浸透しているため、音声で読み上げる部分は「ròu」のまま、他の部分で説明を行っているという理解でOK???

学者でもない限り、どちらでもいいのかも。(笑)

ちなみに、「百度百科」での英語表記は「people in Central Asia 」。

これよりは、例え考証結果が誤読でも、「dà ròu zhī」の方がどの民族かはっきり分かってよいと思うのですが・・・・・・。

 

以上、日本語読みでは何の問題も存在しない「5.大月氏」でした。(笑)

 

 

この後に続くのは「6.クシャン帝国」と「7.キダーラ王朝」。☟ f:id:shanshanduohuizi:20181126235246j:plain

⑥と⑦については、約1年前に前倒しでご紹介しているので、そちらをご参照ください。\(^o^)/

西安大唐西市博物館(その29:3階シルクロード硬貨展示ホール_クシャン王朝/寄多羅(キダーラ)王朝) - せいあん!

 

 

ここからは、おまけです。

先日夜、久々に鼓楼の辺りまで出かけました。

夏場から、鼓楼側の噴水が改造工事中だったんですが、いつの間にかそれが完成していたんです!!!

以前の噴水はこうでした。☟

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水が溜まるタイプではなく、定時に噴水が上がった後は、あっという間に乾燥して普通の広場に戻ります。

しかし、下に電気が通っているので、通行禁止。

気にせず通る人もいましたが、大半の人は避けて通るので、この空間だけちょっと無駄に空いているような感じを受けなくもありませんでした。

 

それが、改造を経て、こんな風に!!!\(^o^)/

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常に水が溜まっているので、鼓楼の影が映りこみます!

水面に映る鼓楼と、その上にそびえる本物の鼓楼。

昼間でも、夜景でも、様になりますよね!(*^-^*)

ここ、鐘楼側から(西大街以外から)やって来ると、気付かないまま回民街へ向かってしまう可能性があります。

鼓楼の西側まで、ちょっと足を延ばしてみてくださいね。(^_^)/

 

おまけ、その2。

今年の夏、カシュガルに行った時、「高台民居」に行ってみると、立ち入り禁止。

その理由は言われなくても分かると言いますか、かなり老朽化していました。

「今後、どうなるのかな~?」と思いながら、その時はその場を離れたのですが・・・・・・。

数日前、カシュガルで玉や民芸品を販売しているお店の店長さんから、WeChatで写真が届いたんです。☟

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店長さんの話では、危険なので城壁を作り補強するんだそうです。

城壁で側から補強するだけで大丈夫かな???

住んでいる人も、怖くないかな?

いっそのこと「古城観光スポット」みたいに、新しく建替え直した方がよくない???

と思ったのですが、実際はどうなのでしょう???

機会があれば、もう一度カシュガルに行きたいな~。

そして、エイティガール寺院前の広場横にあったアイスクリーム屋さんでミルクの味が濃厚なアイスを食べたい!!

3元のアイスを食べに、片道1000元以上かけて飛行機で出かけてみようかな?(笑)

もちろん、アイスだけが目的じゃないですよ!

あと2枚、一緒に送ってくれたものもご紹介します。(*^-^*)

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エイティガール寺院前の冬景色。☝☟

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☝の左端に、宿泊していたホテルが見えてる~~~!!!\(^o^)/

ソフトクリーム屋さんも、ラグメン屋さんもちょうど左手のドームのあたりです。

 

季節が違うと、雰囲気が変わりますネ。

ますますまた行きたくなってしまいました。(笑)

 

今回はここまでです。

お付き合いいただき、ありがとうございました!(#^.^#)

 

西安大唐西市博物館(その50:3階シルクロード硬貨展示ホール_インド亜大陸の四大帝国及び諸王朝_①マウリヤ帝国・②シュンガ朝)

 2018年11月17日(土曜日)、曇り。

最近、晴れの日が少ない西安です。

 

6月末に大唐西市博物館をご紹介してから、4か月以上間が開いてしまいました。(^^;

その間、ずっと夏の西域旅行記を書いていましたが、ついに通常モードに戻ってまいりました!\(^o^)/

旅行を振り返ってブログを書くのも楽しかったですが、ここまで時間がかかると、最後の方はかなり焦りと言うか、プレッシャーがありました。

あまりにも当初の計画より遅れてしまったので・・・・・・。(^^;(^^;(^^;

なので、やっと硬貨の紹介を始められると思うと、嬉しいです!!!(*^▽^*)

 

この間も毎週、博物館へ通てはいたのですが、今回は気分が違います!

ウキウキ出かけていくと、入り口にパンダマークのアーチが!☟

 

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先日は入り口前の広場全部を使て、宇宙・航空関連の発展を紹介する展示がありました。
ここは国営の博物館と違って私営なだけあり、色んな展示やイベントにスペースを貸し出しています。
今回は「秦嶺ジャイアントパンダ文化展覧会」。☟

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展覧会の期間は11月19日~25日まで。

博物館の中に入ると、視界を遮る大きな衝立が設けられています。☟

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まだ準備中なので、この後ろ側へは入れません。

なので、二階へ上がったところから、様子を伺ってみることにしました。☟

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階段の上にも、大きな看板。☝

 

上の看板の前から、1階を見下ろすと・・・・・・。☟

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写真がメインでしょうか?☝☟

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☟は、2階へあがる通り道の側に展示してあった写真です。☟

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カメラマンはかなり遠くから望遠レンズを使って、このパンダが振り向くのをずっと待ていたんでしょうね。

カメラ目線で微笑んでいるパンダ!

いつもは怖く感じる黒い縁取りの中の小さな目が、可愛い!!

口角がキュっと上がって、口元を見るだけでも愛らしい!!!

一度は通り過ぎたものの、引き返して「写真」の写真を撮りました。

その後、更に、カメラマンの名前が写っていなかったことに気付き、再度引き返して撮影。

撮影者は「何少文」という方です。

 

☟は、2018年11月18日(日曜日)、顔見知りになった博物館のチケット交換処に勤務されている職員さんが、モーメンツにアップされていた写真。

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整然と並んだパンダのぬいぐるみ。

正面から見るのもいいけれど、右側の丸い背中が見える角度が何とも言えず愛らしい~~~!!!

日曜日、大唐西市城をウロウロしていたら、博物館以外の場所でもこの展覧会の案内用飾りつけをしていました。

きっと、月曜の午前中には展覧会の開会式が盛大に催されるんだろうな~。

見に行きたいですが、授業優先です。(T_T)

 

では、硬貨のご紹介を始めます!!\(^o^)/

すごく久しぶりなので、3階のレイアウトから。☟ 

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硬貨を展示してある部屋は全部で3か所。

今回から④の展示室をご紹介!!

では、④展示室まで、ご案内しま~す。(*^-^*)

 

①の、入り口のパネル。

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②の展示室には、ギリシャ・ローマ・ビザンチン帝国の硬貨が展示されていました。☟

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③には、バクトリア・パルティア他・サーサーン朝ペルシャの硬貨が展示されています。☟

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そして、③の展示室を後に、④へ向かいます。☟

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☝、右側は②の展示室へ続く通路です。

④の展示室へ入ります!☟

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☝ここが、レイアウト図の④、インド亜大陸やアラブ諸王朝、モンゴル、中国の貨幣の展示室です。(*^-^*)

 

ご紹介していく順番は、展示室入り口の左手から反時計回り。

上の写真では見えていない左側に壁から。☟

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上の展示室全体写真に写っている、左側の壁。☟

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右側の壁。☟

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全体写真の1枚上の写真、入り口付近の写真右手に写っている壁。☟

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そして、中央の展示コーナー手前側。☟

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中央の展示コーナー裏側。☟

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ここに、敦煌の「鳴山路」歩道路面に嵌められていた石板硬貨の実物があります。(^^)/

 

以上、壁4面と、中央に2面。

『これらのご紹介が終わる = 大唐西市博物館の紹介の完了』となります。(*^-^*)

 

では、今回のご紹介範囲をご覧ください!!\(^o^)/☟

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一番左のパネルから、スタート!

インド亜大陸の四大帝国及び諸王朝】

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インド亜大陸、または南アジア亜大陸とも呼ばれ、古代陸上シルクロードにおいて避けては通れない地域である。紀元前4世紀、マウリヤ帝国が成立。第三代の統治者であるアショカ王の時代、その勢力はほぼインド亜大陸全体に及んだ。アショカ王の死後、帝国は分裂を始め、紀元前2世紀にはシュンガ王朝がクシャン帝国に取って代わったが、その統治範囲はインド亜大陸中南部まで縮小した。この時期、インド北西部はバクトリア及びパルティア人・サカ人に侵略・占領された。中国前漢時代、「身毒国」と呼ばれていた国がシュンガ王朝である。この後、北東からやって来た大月氏が打ち立てたクシャン帝国が中央アジア及びインド亜大陸北西部を横断する大帝国となったが、後にキダーラ王朝に取って代わられた。四世紀に入ると、インド亜大陸最初の封建王朝であるグプタ帝国がインドを統一、その領土はインド北部、中部、及び西部の一部地区に及んだ。7世紀になると、北インドはラージプートに統治されるようになった。12世紀末、突厥人が建国したムスリム政権がデリーに都を置き、デリー・スルタン王国がインドの統治を開始し、5つの王朝が起こった。その後、1857年にイギリスの植民者がインドを統治するまで、モンゴルの血統を持つと自称する突厥バーブルが打ち立てたムガル帝国が、インドを統治する時代となる。1947年、インド人が植民統治から脱却した際、インド亜大陸には既にインド・パキスタンアフガニスタン・イラン等の国々が存在していた。

 

※キダーラ王朝(寄多羅王朝)について。

私のブログで、この名前の国が登場するのは、「大唐西市博物館 その29」です。

その他、「その39・46・49」にも「その29」を引用した箇所があります。

「その29」を書いた時には、英語表記しか探し切れず、便宜上中国語の漢字のまま記文章を書き終えました。

ところが今回はなぜかスムーズに「寄多羅」に該当する日本語を発見。(笑)

上述の箇所に、ちょこっと追記しておきます。(#^.^#)

 

では、「1」のマウリヤ帝国をご紹介します。\(^o^)/ 

【1.マウリヤ帝国 (紀元前324年~紀元前187年】

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紀元前324年、インドに統一王朝ができた。言い伝えでは、新国王チャンドラグプタ(紀元前324年~紀元前300年在位)は孔雀を飼育する農民の一族の出であるため、人々はこの王朝をマウリヤ(孔雀)王朝(Wikipediaより:孔雀を意味する語(マユーラ〈梵: Mayūra〉、モーラ〈巴: Mora〉)から。)と呼んだと言う。統治した地域が広大であったことから、マウリヤ帝国とも呼ばれ、統治期間は140年に及んだ。

紀元前327年5月、マケドニアアレクサンドロスペルシャを滅亡後、ヒンドゥークシュ山脈を越え、インド亜大陸の北西部に侵入、瞬く間にインダス川流域を征服した。しかし、その統治は常に現地住民からの抵抗に遭っていた。およそ紀元前324年、率いていた蜂起軍が侵略者の駆逐に成功すると、チャンドラグプタは独立し王となった。チャンドラグプタは引き続き東進し、マガタ国の首都パータリプトラ(現パトナ)を陥落、ついにナンダ王朝を転覆させた。これよりインド亜大陸北部は統一された。マウリヤ王朝はアショカ王の時代に全盛期を迎え、その領土は、北はヒマヤラ山脈南麓、南はマイソール、東はアッサムの西の境、西はヒンドゥークシュ山脈までと、南アジアの大部分をマウリヤ王朝の版図に併合し、これまでにない広大な統一帝国を形成した。

 

【マウリヤ帝国アショカ王時代の版図】

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左下枠内

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右下表☟

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【インド国章(左)とサールナートアショカ王石柱柱頭とフリーズ】

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Wikipediaによると、

「現サールナートは、釈迦が悟りを開いた後、鹿が多く住む林(旧訳「施鹿林」、新訳鹿野苑)の中で初めて教えを説いた初転法輪の故地とされる」

とあります。

中国語は、サールナートを表す言葉として、音から連想される漢字を用いるのではなく、「鹿が多く住む林」の名称を用いているんですね。(*^-^*)

サールナート - Wikipedia

 

「飾帯(饰带)」をどう訳したものかと悩みながらWikipediaを読んでいると、都合よく適切な表現を発見!

それが「フリーズ」です。

でも、ただ「フリーズ」と書いたのでは何のことか分かりにくいかも?

そこで、またしてもWikipediaから関連部分をお借りしてきました。

赤地の部分をご参照ください。(*^-^*)

この柱頭は一塊の砂岩から削りだされたもので、柱そのものとは別のピースとなっている。背中合わせの4頭のインドライオンがモチーフになり、それが頂板に乗っている。フリーズ には象、馬、牡牛のレリーフが刻まれ、それぞれの動物の間は車輪のようなもので区切られている。さらにその下は蓮の台座となっている。

アショーカの獅子柱頭 - Wikipedia

 

博物館でこの「インド国章」を見ていたので、大唐西市城にあるインド料理店「紅堡REDFORT」の店長さんがWeChatでこの意匠☟をアップされていた時、すぐに気づくことができました。(^_^)/

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このイラスト中央のライオン、満面の笑顔に見えませんか?(笑)

 

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紀元前273年、アショカ王は政変によりマウリヤ王朝の第三代国王となった。アショカ王は「法(ダルマ)の政治」を提唱し、仏教を広く宣伝、大量のストゥーパを建てた。また仏教を国教に定め、仏教僧団を各地に派遣し仏教を大いに発展させた。紀元前253年、アショカ王は首都パータリプトラで仏教史上における第3回結集を開催した。仏教の高僧がこの地に雲集、仏教経典を編纂整理し、仏教の教義を統一した。

紀元前251年、釈迦牟尼涅槃の200年余り後、アショカ王は尊者であるウパグプタ(優婆崛多:Upagupta)と釈迦生誕の地――ルンビニへ赴き仏跡を参拝し、記念するために石柱群を建立した。最も著名なヴァーラーナシー城外のは、これら石柱の代表である。柱頭には威風堂々とした背中合わせに座った四匹の雄ライオンがいる。中間にはフリーズがあり、象や奔馬・瘤牛・レリーフが刻まれ、それらの間は仏法の象徴である法輪で区切られている。下段は垂れ下がった蓮。この石柱はマウリヤ王朝で最も代表的な建築彫刻であり、現在のインド国章の意匠のオリジナルである。三匹の黄金の獅子は、自信・勇気・力を象徴している。

 

ここからは 、撮影してきた硬貨をご覧ください!\(^o^)/

まず、全体から。☟ 

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【マウリヤ王朝 銀 紀元前324年~紀元前187年 西安大唐西市博物館所蔵】

 

夏休み前まで、毎月のファイル利用量(写真貼付容量)がどれくらいで、いくら残量があるか、ブラウザの種類の関係で把握できていませんでした。

そのため、容量オーバーしないよう、できるだけ小さめに設定していました。

しかし!

今は残量がばっちりパーセントで見えています。

まだまだ、かなり余裕あり!!!

新調した一眼レフで撮影していますし、硬貨の図案が少しでもくっきり見えるよう、写真の貼り方を変えてみました。(^_^)/

マウリヤ王朝の硬貨は少ないので、一枚ずつ全部撮影!

全体写真の上段左から順に並べています。☟

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いかがでしょう?(#^.^#)

 

 

次は「2」のシュンガ朝です。

【2.シュンガ王朝 紀元前185年~紀元前73年】

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紀元前185年前後、マウリヤ帝国最後の国王が部将のプシャミトラ・シュンガに打ち倒され、マガタ国にシュンガ王朝が打ち立てられた。この王朝は仏教を弾圧し、バラモン教の復興に注力した。シュンガ王朝の統治範囲はマウリヤ王朝よりも遥かに狭く、ガンジス川下流域に限られた。紀元前73年、カーンヴァ朝に取って代わられた。

シュンガ王朝の銅貨の製造は比較的粗末であり、銘文は符号化の傾向を示している

 

【インド サーンチーの塔】

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仏塔は仏教建築における主要な特徴である。生前、仏教の祖である釈迦牟尼は弟子たちに対し、自身の遺骨の上に仏塔を建立するように明示していた。年代の最も古い仏塔群は、マウリヤ王朝のアショカ王時代に建造されたと確定することができる。言い伝えによれば、アショカ王釈迦牟尼の遺骨を八つに分け、八つの仏塔の中に安置した。そのため仏塔はその後仏教徒が到達できる最高の境地――涅槃の象徴となった。中国では高僧大徳の死後、弟子たちはみな大徳を記念するために仏塔を建立した。

上の赤地の部分、アショカ王が遺骨を八つに分けたようになっていますが、Wikipediaにはこのように記載されています。☟

釈迦入滅後に仏舎利は8つに分けて配られ、容器と灰土を合わせて10基のストゥーパが造られた。アショーカ王はそれらのストゥーパを壊して8万4000に細分化し、各地に新たなストゥーパを建設したといわれる。

仏塔 - Wikipedia

 

【シュンガの銅貨】

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【シュンガ銅貨】

シュンガ王朝の貨幣にある「三つのアーチの丘」は、抽象的な仏塔を象徴している。インドの宗教の習俗では、死者を埋葬後、平地を丘のように盛り上げる。中国語の音訳では「窣堵坡(卒塔婆)」、これが仏塔の起源である。

 

上の写真に右側に展示されている銅貨のアップです。☟ 

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☝の下に並べてある、7つの銅貨。☟

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☝、全体の様子をそうぞ!(*^-^*)

【シュンガ王朝 銅 紀元前185年~紀元前73年 西安大唐西市博物館所蔵】

 

個別のアップ。☟

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☝、私には、馬が描かれているように見えます。

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これ☝は、パネルで説明のあった硬貨と同じような図案ですね。

 

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これ☝も、馬のような?

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☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に紹介されている硬貨の写真です。

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No.58・59:マウリヤ朝銀貨 時代:紀元前324年~紀元前187年

No.60:シュンガ王朝銅貨 時代:紀元前185年~紀元前73年

規格・重量については、それぞれ上の数字をご覧くださいね。(*^-^*)

 

以上、大唐西市博物館シルクロード硬貨の紹介再開、第一回目でした。\(^o^)/

 

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

 

ここからは、おまけコーナーです。(*^▽^*)

おまけと言うか、今回は言い訳コーナー???

 

当初計画では数日前にアップできていたハズなんです。

でも、今週、西安の一部地域で大規模な停電が発生。

その範囲にちょうど入ってしまっていた私の住むマンション・・・・・・。(T_T)

ブログを書く時間が、かなり影響を受けました。(T_T)

公式発表ではこうなっています。

11月19日(月曜日)22時停電発生、11月22日(木曜日)13時30復旧。

この間、本当に一度も電気が来なかった地区も!

60時間以上です!!!

電気が来なければWi-Fiも切れるし、水道水も出なくなります!!!

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幸い、私が住んでいるマンションの状況はこんな状態でした☟。

11月19日(月)22時~11月20日(火)5時頃復旧。(故障)

11月20日(火)17時15分~11月21日(水)2時半復旧。(修理)

11月22日(木)15時半~11月22日(木)17時完全復旧。(発電機からの切り替え)

月曜日はブログを書きかけたら停電。(T_T)

火曜日、朝復旧したので一安心。\(^o^)/

授業の後買い物に行って戻って来ると、夕方から修理対応のため停電の貼り紙発見!(T_T)(T_T)

慌てて夕食準備と、シャワーを済ませる頃には停電時間に。

久々に蝋燭のお世話になりました。

以前、友人からもらった綺麗な蝋燭なので、部屋のディスプレイにしていたのですがやむを得ません。

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暫くスマホで文章を作成していましたが、目が疲れてダウン。

なので、水曜日、頑張りました!(*^-^*)

22日木曜も、遅れを取り戻すべくパソコンに向かっていたら、不意打ちで停電。(涙)

まだ明るい時間だったので、パソコンのバッテリーが切れるまでは~とやっていましたが、色んな検索がとても不便・・・・・・。

 

1999年11月、西北工業大学の寮にいた時にも、大きな停電がありました。

その時は3日停電が続くと通知がありましたが、結果は1日繰り上がって2日で復旧。

 

当時はスマホどころか、個人用パソコンも持っていなかったので、不便だったのはテレビが見えないことくらいでした。

そのテレビも、中国語がまだよく聞き取れない頃だったので、BGM代わりにニュースをい流していただけ。

別に見なくても困らなかったのです。

学校の寮は7階建てくらいで、エレベーターなし。

部屋と外部との行き来に、そもそも支障なし。

寮周辺の食堂も、机の上には蝋燭を、調理には常日頃から練炭使用で動じることナシ。

ゆらゆら揺れる蝋燭の明かりで取る食事は、一足早いクリスマス気分を味合わせてくれました。

困ったのは、シャワーを浴びられないことくらい。

これ以上は気持ち悪くてイヤ~~~と思いながら、あと一日の覚悟を決めていた時、部屋が急に明るくなったのです。

喜びはひとしお!!

2日もの停電で不愉快なはずなのに、予定より短くなることで、「素晴らしい!!」と称賛。(笑)

 

今回は、いつ復旧するかの案内が全然なかったので、ネットの反応を見ていると、そのことへの不満が相当大きかったようです。

電気の有難味が身に染みた数日でした。(^^;

 

 

冒頭でご紹介した「秦嶺ジャイアントパンダ文化展覧会」。

開催後に見学へ行ってきました。

行く途中、ボケて咲いていた季節外れの金木犀。☟

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この日はとてもいい天気でした。☟

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実は、大唐西市城・博物館も60時間以上停電していました。

でも、この「秦嶺ジャイアントパンダ文化展覧会」は25日(日曜日)まで。

ショッピングモールは休業になってしまいましたが、博物館は休むわけにはいきません。

そこで、発電機を使って電力供給!

来客を受け入れています。☟

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入ってすぐの場所。☟

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お気に入りのパネル、その2。☟

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お気に入りのパネルその1は、このブログの冒頭のものです。(*^-^*)

 

中の様子。☟

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これ☝は絶滅が危惧されている朱鷺。

 

☟こんなものもありました。\(^o^)/

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最後に、西北工業大学の校庭から。

青空をバックに、見上げたプラタナスの美しさ!!!☟

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赤く色づいた木の葉はほとんど落ちてしまい、今は銀杏の独壇場。☟

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図書館前。☝☟

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庭園も、銀杏の黄色が鮮やか!!!☟

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これも庭園の銀杏ですが、光が透けて黄金色!!!☟

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停電さえなければ、清々しい秋の一日でした。(笑)

 

以上です。(*^-^*)

 

 

 

 

 

 

大唐西市シルクロード風情街:インドのお祝い『ディーワーリー』_@大唐西市印度紅堡REDFORT

2018年11月6日(火曜日)、雨、後曇り。

 

この日の夕方から、大唐西市城シルクロード風情街にあるインド料理店「紅堡REDFORT」で、『ディーワーリー』のイベントに参加しました。(*^-^*)

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『ディーワーリー』は、ヒンドゥー教3大祭りのひとつ、新年を祝うお祭り。

別名「光のフェスティバル」とも呼ばれ、インド暦の第七番目の月の初めの日に開催されます。

西暦だと毎年10月末から11月初めにあたります。

今年、2018年は11月7日。

インドでのお祭りは5日間に亘るそうですが、「紅堡REDFORT」では、前日の6日と当日の7日の2日間、イベントが催されました。

  『ディーワーリー』、中国語では『排灯節』もしくは『万灯節』・『屠妖節』と表記します。

 

 昨年、偶然このイベントの日に「紅堡REDFORT」前を通りかかり、その時からスマホのカレンダーに登録するほど、「来年は参加したい!」と思っていました。(笑)

で、去年と同じ日にお店に行ったら、「今年は7日」だと・・・・・・。

中国の春節のように、西暦では毎年時期がずれるのだと、その時初めて知りました。

カレーは好きでよく食べに行くけれど、インド文化については全く無知なことを暴露。(^^;

これを機に、少しでもインドについて理解したいと思います!

 

では、イベントの写真をご紹介します!\(^o^)/

 

最初は地面に絵を描くところから。

案内では17時~18時となっていたので、17時にお店に行ってみました。

ここは、お店に行く手前にある広場。☟

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お店の方たちが色のついたお米で、象神の石像前に図案を描いていらっしゃいました。

この完成品は、後ほどご紹介します!(*^-^*)

 

お店の入り口の側にも!☟

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この絵を見た後、お店に入ると・・・・・・。

お客さん、誰もいない???

よく理解していなかったのですが、この「17時~18時」は、お店の「外」で地面に絵を描く時間。

つまり、お祭りの準備をする時間。

その様子を見たい人へのご案内でした。

 

1時間、ずっと側で作業を覗き込んでいるのもなんなので、「シルクロード風情街」に今年夏ごろオープンした喫茶店に顔を出しました。

そこにちょうど知り合いがいたので、小一時間、時間潰し。(笑)

その時の様子。☟

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18時なったのでお店に向かっていると、象神の石像の前で、出来上がった絵の上に並べた蝋燭に火を灯していました。☟

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図案のアップ!(*^-^*)

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綺麗~~~!!!。

 

さて、お店に入ると、まずお支払い。

大人80元/一人(1元=16元換算で、1,280円)

学生65元/一人(1元=16元換算で、1,040円)

私は学生証を提示して、65元でした。(#^.^#)

 

次にテーブルへ案内されました。

私は一人参加。

なので、四人掛けテーブルに一人で座っている女性と相席です。

後からお連れの方がお一人いらっしゃるそうですが、結果的にかなり遅い時間にご到着。

それまでは二人でしゃべったり、写真を撮りに行ったりしていました。

 

案内では、18時~18時半は、「ヘナタトゥー」の無料サービス。

同席の女性は既に実施済み。

実は彼女、17時にはお店に到着していて、ずっと店内で待っていたんだそうです。

私と同じ!(笑)

彼女も、17時直ぐから店内で何か催されると思って、時間通りに来たんだそうです。

待っている間、時間がたっぷりあったので、人差し指から手の甲・手首少し上まで、広範囲に綺麗な図柄を描いてもらっていました。☟

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☟は、知らない女性がタトゥーを描いてもらっている所。

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手元をアップ。☟

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インド人の女性のヘナタトゥー、右手は黄色っぽくて、左手は茶色に見えませんか?

ヘナが乾いて自然に剥げ落ちてすぐの頃は、黄色っぽいんです。

 

こちら☟は、私の手。(#^.^#)

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描きあがる直前と、ヘナが乾いて剥がれ落ちた直後の様子。☟

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これが翌日になると、茶色っぽくなり、私の場合、ちょうど1週間で消えてしまいました。

 

このヘナタトゥーが描き終わるころ、突然、大音量の音楽が!!

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男性と女性のペアと、二人の子供さん?がダンス!\(^o^)/

結構ハードな動きです!

 

ダンスの写真撮影に夢中で気付かなかったのですが、この間に、店内では希望者に「眉間に赤い点」を描いていました。

インドの伝統で、おめでたい日には行われる風習のようです。

私もやりたい!と思ったけれど、時間切れ?

赤点を描いていた方の姿、見当たらなくなってしまいました。(T_T)

 

この後、店内のお客さんはまだ少ないのですが、ビュッフェ開始!

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白と黄色に統一されているみたい。(*^-^*)

上から2列目の右端の揚げ物以外、全部試食しました!!!

 

私が取り分けて来たもの。☟

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どれも美味しかったのですが、特にお気に入りは「ひよこ豆のカレー」と「レンズマメのカレー」、「ナン」、「カレー味のジャガイモ」、「オレンジ色のピラフ」。

正式な名前は分かりません。

ただ、上の二枚目の写真の右のお皿に乗っているものが、お気に入りで2回食べた物です。(*^-^*)

上の二枚目の写真の真ん中辺りの、紙コップに入った白いモノ。

これはデザートで、お米をヨーグルトで煮たようなもの?

これも美味しかったです。

結局、食べた物は全部美味しかったのです。(^^)v

 

そしてついに、お祭りのメイン、お祈りスタート!\(^o^)/

みんな、ぞろぞろとお店を出、象神の石像へ向かいます。☟

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この頃、同席の女性のお連れの方、やっと到着。

実はこの方、ここ大唐西市城のイベント企画部の社員さんでした。

残業が長引き、空腹に耐えられず、事務所で食事も済ませたとか。

お気の毒!!!

「友人の相手をしてくれてありがとう」とお礼を言われました。(#^.^#)

 

全員、象神の広場前に集結。☟

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お祈り中。☟

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仰々しい祈りの声は聞こえて来ませんでした。

インドの方々のお祭りなので、あまり前の方で場所を占領しては失礼と思い、素早く後方へ移動。

なので、お祈りの写真はこれだけです。

 

なぜでしょう???

普段、この広場を通る時、この象神の石像を見ても特に何も感じません。

でも、この写真を見ていると、象神の目に妙な力があるように見えるんです。

単に雰囲気に影響されているだけ???(笑)

 

お祈りの後の、オーナーさん家族?の集合写真。☟

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お店に戻る途中、びっくり!!!

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花火です!

中国ではスモッグによる大気汚染が激しくなって以降、市内での花火・爆竹は禁じられています。

春節や結婚式でも花火・爆竹の音が鳴り響きません。

このため春節は「新年を迎えた!」という気分に欠けます。

でも、祝祭日の雰囲気より、クリーンな空気・健康の方が重要なので、こればかりは致し方ありません。

そんな状態に慣れていたので、小型花火とは言え、こんな間近に見たのは久しぶり。

やっぱり花火を見るとワクワクする~~~!!!(#^.^#)

嬉しい~~~、めでたい~~~!!!と気分が盛り上がります。

でも、そんな心の片隅で、「打ち上げているわけじゃないけれど、この花火、いいのかな???」という堅苦しい心配も・・・・・・。(^^;

ネットで『ディーワーリー』を検索している時、Wikipediaでこんな記述を見かけました。

インドのニューデリーでも、例年、大量の爆竹や花火を使用した祝祭が行われてきたが、その煙が、2010年代以降深刻化した都市の大気汚染の一因として問題視されるようになった。2016年と2017年、インド最高裁判所は、首都ニューデリーでディーワーリ前の爆竹の販売を禁止する判断を下した。この決定に抗議したり、市外や密買業者から花火を購入したりするニューデリー市民もいる。

中国だけでなく、インドでも爆竹や花火が禁止されるようになってきてるんですね。

 

レストランの前まで戻って、インド人の皆さんの集合写真。☟\(^o^)/

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お祈りの間に、人が急増していました。(笑)

インド人の皆さんにとっては、このお祈りからが「お祭り」スタートということ?

 

こちら☟は、お店お入り口の図案の周囲に蝋燭がともされた様子。

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幻想的!!!

壁に白いお皿が立てかけてあります。

そこには「HAPPY DIWALI WELCOME REDFORT」の赤い文字。

 

私たちは元居た席に戻り、暫くお互い自己紹介したり、世間話をしたり。

インド人の皆さんは、男女席を分けてお食事開始。

女性は皆さん個室に集まっていらっしゃいました。

 

この後、抽選会が予定されていました。

でも、メインのお客様が食事を始めたばかりで、抽選会は当分始まりそうにありません。(笑)

伝統行事の内容は十分堪能したので、見学者は退散です。

今まではカレーとナンしか興味がありませんでしたが、これからは文化にも目を向けたいと思います!

ちょうど次回から再開する「大唐西市博物館の貨幣紹介」はインド!

楽しみデス!!(*^▽^*)

 

 

以下、今年1月、雪が降った日の「紅堡REDFORT」です。

『ディーワーリー』の写真では、お店の雰囲気が分からないと思うので。(*^-^*)

店内中央席の様子。☟

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『ディーワーリー』の日、インド人男性陣はここで食事。

女性は写真の右手奥の方の個室に集合。

正面のスクリーンの前でダンス。

ダンスがない時は、スクリーンにはインド映画が流れていました。

 

私たちが案内されたテーブル。☟

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このクッションがとても好き!

 

外の様子。☟

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この冬もこれくらい雪は降るでしょうか?

 

お店玄関側にいる木製の象。☟

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頭や背中に雪を載せて、寒そう・・・・・・。

 

こちらがランチセット。☟

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チキンカレー・サラダ・ナン・ライスとミルクティー

定価56元ですが、この時は半額だったので28元。(1元=16円換算で、約500円)

 

以上、「大唐西市印度紅堡REDFORT」の『ディーワーリー』でした。(*^-^*)

 

 

西北工業大学:第5回国際文化祭\(^o^)/

2018年11月2日(金曜日)、快晴!!🌞

 

とても気持ちいい秋晴れの一日。

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この日、お昼12時から、「西北工業大学第5回国際文化祭」が開催されました!

場所は旧キャンパスの図書館前広場。☟

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この写真は別の日の物です。(*^-^*)

 

当日は、手前の広場両脇にテントが並び、中央には客席が設けられていました。☟

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2018年、西北工業大学には64ヵ国からの留学生556人が在籍しています。

その内、このイベントに参加しているのは28ヵ国。

留学生だけでなく、外国籍の教師も参加しています。

参加国が在籍国数の半分以下なのは、ブース数・出し物を発表する時間に制限があるから。

留学生が多い国は参加必須のように先生方から催促されていましたが、私のように1人しかいない国だと、最初から参加は免除。(笑)

当日、見学するだけという厚遇を受けることができました。(^^)v

なんて、ただ見るより、仲間と一緒に1週間くらい前から準備を始め、当日は各自それぞれの役目を果たす方が、楽しいですよね。

若い皆さんには、いい想い出がたくさんできたと思います。(*^-^*)

 

開会前の様子。☟

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会場に到着してすぐに撮った写真。☝

以前、手作りのカレーをご馳走になったバングラデシュからの留学生が、偶然小さく写っていました。

紫いろのターバンを頭に巻いた、白い民族衣装姿、カッコイイ!!\(^o^)/

彼は昨年の 第十回『カルチャーブリッジ』では舞台に上がり、とても上手な中国の歌を披露。

西北工業大学の在籍期間も長く、留学生の中では有名な存在だと思います。(*^-^*)

 

開会前に舞台に上がり、記念撮影!☟

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舞台に上がっているのは、パキスタンからの留学生です。

 

来客に頼まれて、ポーズ!☟

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ウズベキスタンとメキシコからの留学生。☝

 

インタビュー取材中。☟

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このイベント、視界を担当する留学生が4人います。

開会前、その内の一人が、参加国の留学生にインタビューをしている場面にも出くわしました。

各国の民族衣装が、とても綺麗!\(^o^)/

 

こちら☟も取材撮影中。

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前述のメキシコ&ウズベキスタンの留学生と、先生方。

 

☟、そろそろ開会時間。

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この行事総合担当の先生の、真剣な眼差し。

舞台袖から、様子を見守っていらっしゃいます。

 

そして、国際文化祭、盛大にスタート~~~!!!☟

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西北工業大学副校長のご挨拶中。

真ん中で立っているのは、挨拶の後、一番手で舞台に上がるロシア人留学生のダンスを写すため、スタンバっている同郷の学生たちです。

 

舞台袖、出番を待つロシア人留学生たち。☟

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でも、彼ら、彼女たちより先に、司会担当の留学生四人が登場!☟

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それぞれ、中国語で自己紹介。

左端は、上述の写真でインタビューをしていたの女の子です。

 

ついに、ロシア人留学生たち、登場!!☟\(^o^)/

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☟は、プロが舞台正面で撮影したもの。

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すごい跳躍力!!!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

さすがプロの腕前、この瞬間を逃しません!!!

 

留学生のイベントに参加するたびに思うのですが、こういう民俗舞踊、特にこんな難易度の高そうな開脚ジャンプって、誰でもできるもの???

留学生の奨学金枠に、「雑技・舞踊・ダンス等」の特別枠があるんじゃないかと思うくらい、芸達者な人材が少なからずいます。(^_^)/

 

次はフィジー!☟

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とても気持ちよいリズムのメロディーとともに、軽やかなステップで踊りが始まりました!(*^-^*)

リズム感が素晴らしくて、思わず目が釘付け。

動画でお見せできないのが非常に残念です。

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もっとロングバージョンで見ていたかったな~。

WeChatのモーメンツで拾った彼らの集合写真。☟

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みんなカッコいい~~~!!!

 

この日は、たくさんの先生方や学生たちがWeChatのモーメンツに写真をアップしていました。

もちろん、私も!(^o^)/

その中から、自分が持っていないような写真をもらっています。

私の写真も、色んな人のモーメンツに登場していました。(笑)

 

ここまで賑やかなプログラムが続きました。

次は、外国籍の先生による、中国語の詩の朗読です。☟

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ロシア人の先生、感情をこめ、ゆったりと朗読されていました。

 

次は、メキシコ!☟

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ラテン系の彼らは、とってもノリがいいんです。

10月下旬の登山の帰り、渋滞に巻き込まれ車内に閉じ込められたような気分の時、彼らが歌を歌い出しました。

間奏の度に、「Hey,Everybody!」と呼びかけるのですが、車内のどこからも反応なし。

それでも一向に気にかけず、ライブのノリで「Everybody!」を繰り返しながら、陽気に歌うMexican!

こんなに賑やかなフェスティバル、彼らが盛り上がらないワケがありません!!!(*^▽^*)

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2011年に在籍していた時、私のルームメイトはメキシコ人でした。

その当時、メキシコ人は彼女一人だった気がするんです。

当時も色んなイベントがありましたが、彼女が同胞といるところを一度も見たことがありません。

たいてい単独参加、もしくはパキスタン人の友達と参加。

今はこんなに大勢いるんですね! 

 

次は、今も昔も最大勢力、パキスタン!!☟

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最近はロシア人留学生が非常に多くなっています。

でも、パキスタン勢も負けていません。

 

図書館前の花壇にある、鉢を置くための階段状の台の上からも、野太い「ウォ~~~!!!」という歓声が上がります。☟

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パキスタンの民族衣装の特徴は、みんな首にかけている長いストール?

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見た目はみんないかついのですが(笑)、民族舞踊はとても穏やかな雰囲気でした。

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実は私も、上述の鉢を置くため鉄製架台に上がっていました。(^^;

しかもど真ん中に仁王立ち。

ここなら一眼レフの望遠レンズでバッチリ舞台を写せる!と思ったら・・・・・・。

最前列ど真ん中、プロカメラマン以外にも大勢立っている人がいて、その頭越しにしか撮影できない・・・・・・。(T_T)

それでも、背の低い私にとっては、下で撮影するよりはマシというもの。

ところが、最初は誰もいなかったのに、次々に人が増えてぎゅうぎゅう詰めに。

身動き取れないところで隣に気を遣いつつ、ずっと同じ体勢でカメラを構えていたら、ついに足腰の限界が・・・・・・。(T_T)

ちょっと体を動かしたい!

しかたなく舞台真正面のポジションを放棄し、台から下りて移動開始!!

 

移動中に、ウズベキスタンの踊りが始まってしまいました!(T_T)

急げ~、早くいい場所見つけなきゃ!!!☟

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ちょっと斜めになりましたが、前の場所より、前の人の頭が邪魔にならないかも?

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パキスタンの踊りが予想に反してゆったりしたものだったのに対し、ウズベキスタンは軽快な音楽に合わせ、とてもダイナミックな動きを見せてくれました。(*^^*)

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見ごたえ十分!!! f:id:shanshanduohuizi:20181111232007j:plain

ウズベキスタンの留学生もこんなにいたんですね。

「一帯一路」が提唱されるようになって、中央アジアからの留学生も非常に多くなった気がします。

 

次は、バングラデシュ。☟

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彼女の踊り、一人で舞台に上がって来たその瞬間から視線を奪われました。

上の写真は3枚を1枚に仕立てているため、人物が小さくなっています。

でも、写真を写している時は彼女の表情まではっきり見えていました。

重たくて持ち歩きに不便な上に、出番の少ない望遠レンズ。

置いて来ようかとさえ思ったのですが、この時は望遠のありがたさを実感。

躍動感抜群の踊りだけでなく、彼女の目力、最高でした!!

彼女と入れ違いで、男性陣登場!☟

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ここで、舞台での出し物は続くけれど、各国のブースに料理や記念品をもらいに行ってもよいですよ~と、司会者からアナウンス!

みんな一斉に両サイドのテントへ向かい始め、ちょっと気の毒。☟

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その頃、私は舞台の袖まで移動していました。

彼らはインドネシアからの留学生。

 

もう一組!☟

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彼らはミャンマーからの留学生。

 

 

これで、舞台での出し物は終了。

あと二組だけだったのだから、それが済むまで待ってあげてから食事をスタートすればよかったのに・・・・・・。

とは言うものの、文化祭の終了時間は決まっています。

最初の方の国の出し物が、割り当て時間をオーバーしたのかな?

 

 

ここからは、各国のブースを見ていきたいと思います!!!\(^o^)/

とは言うものの、どこのブースにもすごい人だかりで、なかなかテーブル前まで辿り着けませんでした。(T_T)

なので、写真を撮れたいくつかの国だけのご紹介になります。<(_ _)>

 

最初は、クラスメイトの祖国から!

キルギス~~~!!!☟

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開会式が始まる前、図書館前に到着して一番に立ち寄ったので、料理はまだ並んでいません。(^^;

左の写真で立っている女の子、去年のこの時期、一緒に合唱の練習をしていました。

ロシア人留学生と一緒にロシア語で話していたので、てっきりロシア人だと思っていたら、キルギス人でした。(笑)

そう知ってから彼女を見れば、確かに中央アジアだな~と思います。(笑)

残念ながら4班のキルギス人クラスメイトの一人はこの日、北京へ。

学校の代表として、試合に参加するためです。

文化祭の準備だけして、参加できないなんてかわいそう。

その彼女に写真を送ってあげようと、ついつい、キルギスの写真が増えてしまいました。

もう一人のキルギスの女の子は、ここしばらく所用で帰国中。

二人とも一緒に参加できていれば、もっと楽しかっただろうな~。

 

☟、次に訪問した時、料理は配り終わっていました。(T_T)

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キルギスと言えば、2011年のクラスにもキルギス人の女の子がいました。

クラスは違ったけれど、お別れにフェルトの民族帽をくれた女の子もいました。

彼女はその後も中国にいたので、WeChatで再会!

既に母国に帰っていますが、今でも交流がある大切な友人です。

そんなこんなで、キルギスとは何かと縁があります。

記念品として、ミニミニ国旗をいただきました!(*^-^*)

 

 

次は、韓国!!☟

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これまで、韓国の男性の民族衣装を直接見ることがありませんでした。

民族衣装姿の男女そろっていると、韓流時代劇みたい!!\(^o^)/

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白と濃紺のチマチョゴリ

すごく上品でキレイ!!(*^^*)

赤いベストとカーキ色のスカートの組み合わせもおしゃれ!!

韓国人のクラスメイトは3人いるのですが、写真に写っている4班の仲間は二人だけ。

翌週の月曜に知ったのですが、一人はずっと寮の炊事場で「トッポギの炒め物」を作っていたんだそうです。

役割分担とは言え、年に1回しかない文化祭、裏方に徹するなんて。

お疲れ様でした!!!

その「トッポギ」を・・・・・・、お腹がすいた私は、開会式より先にもらって食べてしまいました。(^^;

ご馳走様でした!!!

 

 

私たちのクラス、最初はこのキルギス・韓国・日本の3カ国でスタート。

その後、国慶節前にもう一人仲間がやって来ました。

イエメンからの留学生です。

本人、この文化祭には参加していませんでしたが、国としては他の留学生がブースを出していました。☟

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短剣がとっても目を引きますネ。(*^-^*)

イエメンと言えば、2011年にも留学生に出会いました。

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彼も湾曲した短刀を、ベルトのお腹の真ん前に差しています。

当時のイベントで、彼は自国の伝統的な曲を歌ってくれました。

砂漠で歌う曲らしく、声を出して歌っているのに静寂さを感じるような、透き通るような声。

月の砂漠・・・・・・のイメージ?

写り方でどう見えるか分かりませんが、実物の彼は背の高いジャニーズ系。

笑顔がとっても可愛いかったのを覚えています。(*^-^*)

彼とは普段でも会話する機会がありましたが、今年の留学生とは「写真撮っていいですか?」しか会話がなかったので、過去のことばかり書いてしまいました。(^^;

 

次は、去年11月末の「中国語コンテスト」で同じグループになって、一緒に劇をやった仲間がいるフィジーへ!!☟

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☝の右側に写っているペットボトルを拡大します!☟

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☝、これは「フィジーウォーター」。

日本のネットでも紹介されていますヨ!\(^o^)/

ペットボトルには日本語表記もあったような?

去年一緒に劇をやった(私はナレーター)仲間が言うには、彼の「家」には日本人がたくさんホームステイしてるんだそうです。

英語の勉強に来ているんだとか。

「たくさん」と聞いて、思わず問い返してしまいました。

だって、「国」とか「市」とかなら理解できるのですが、「家」とは???

その直後、思い出しました。

彼の自宅は、プール付きの豪邸なのです。(^^)/

 

続いて、ベトナム!!☟

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 ベトナムと言えば、春巻き!

イベントでは、揚げ春巻き他の料理が準備されていました。

私は春巻きを1個いただきました!!

ご馳走様~~~!!!(*^-^*)

 

💛アルジェリア~~~!!!💛

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ちょっと特別扱い。(#^.^#)

なぜなら、すごくいろんな種類の料理をご馳走になったからデス。

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すごい人だかりの後ろに並び、ずいぶん待って、やっと最前列!

何より先に、☝の写真を撮りました。

両サイドから押される形になるので、構成なんて考えていられません。

取りあえず、カシャ、カシャっと。(笑)

料理の名前は分かりませんが、5~6種類取り分けてもらいました。

待っている人みんな、こんな風に選んで取り分けてもらうので、順番待ちに時間がかかるんですね。(笑)

左下に見えているチキン、これはタンドリーチキン?

メチャクチャ美味しかった~~~!!!

その下のライスに見えるもの、食べてみると、お米とは食感が違います。

何となくパスタのような?この味付けもすっごく好み!!

スイーツもdelicious!!(*^▽^*)

 

以下はWeChatのモーメンツでいただいたもの。

手を付ける前の、綺麗なアルジェリア料理の姿をご覧ください!☟(*^-^*)

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タジン鍋がとってもかわいいです!(#^.^#)

その中には、私の大好きなひよこ豆の姿が!!!

これも食べてみたかった・・・・・・。(笑)

上の3枚、それぞれ別人が撮影したものです。

これだけ豪勢にずら~~っと並んでいると、やっぱり、来客の目を引きますよね!(^^)v

ここで紙皿目いっぱいの料理をもらったおかげで、空腹を満たすことができました!

これだけ準備するのは、絶対に大変。

時間も相当かかったと思うし、学校からの補助だけじゃ足りないと思うのです。

本当にお疲れ様でした。そして、ご馳走様でした。

おかげ様でアルジェリアの料理がこんなに美味しいこと、初めて知ることができました!\(^o^)/

 

この他、WeChatモーメンツからの頂き物を、ご覧ください!(*^-^*)

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☝、左:ロシア、右:インドネシア

 

☟、左:アメリカ、右:ラオス

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☟、左はどこの国か分かりません。右はメキシコ。

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☟、左は不明、右は多分モンゴル。(^^;

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各ブースの様子は以上です。(*^-^*)

☟は、余韻を楽しむ留学生たち!

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踊ったり、記念撮影したり。☟(*^-^*)☝

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そして最後に、みんなの笑顔!\(^o^)/

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とっても楽しい1日でした。

準備してくださった先生方、各国留学生の皆さん、ありがとうございました!!(*^-^*)

 

追伸:

この日を最後に、西安の天気は一気に晩秋モードに。

曇りや雨が続きました。

最低気温が1度の日もありました。

半袖なんて、とてもじゃありません。(^^;

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こんな好天の中、文化祭ができて本当に良かったです。(*^-^*)

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月10日(火)_ 敦煌から西安へ(最終日)_鳴山路石板・敦煌空港他

2018年7月10日(火曜日)、敦煌滞在最終日。

2018年夏~新疆・甘粛~の旅の最終日でもあります。

さすがに、この日は早く起きました。(笑)

 ホテル窓からの景色。☟

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朝8時半のように早朝(?)に撮影した写真は、この日が最初で最後。(笑)

光の角度、柔らかさが全然違いますネ。

敦煌西安より日の出時時刻が1時間くらい遅いので、この太陽の日差し、私には7時半くらいの印象です。

 

8時半に起きて出発準備を済ませ、フロントに向かったのは10時半前。☟

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午後の飛行機は17時15分発。

敦煌市内を15時に出発すればOK。

それまでもう少し市内観光をするため、荷物をフロントに預けました。

「時間が余ったら早めに戻って来て、フロントのソファで休んでいてもいですよ」

と、最後の観光に出かける私に、優しい一声が。(*^-^*)

 

10時半過ぎ、ホテルを出て、まず、朝食兼昼食に向かいました。

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この地図、8月31日に「百度地図」をスクショして作製しています。

この時の通り名「西域路」、今現在の「百度地図」では「西域西路」になっています。

百度地図」、日々進化中!

 

☟、ホテルを出て、西(地図では左)へ。

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閑散とした午前中の様子。

右側の簡易店舗、手前から数えて三つめが「フルーツ盛り合わせ」を買っていた果物屋さん。

 

☟の写真、果物屋さんを通り過ぎてから、振り返ってホテル方向を撮影。

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左側、黒いTシャツ+黒パンツ姿の男性がいる場所が、果物屋さんです。

割高ではあっても、ここの果物盛り合わせが美味しかったから、スーパーに買いに行こうと思えたし、西安に戻ってからも西瓜を食べ続けたんです。

日頃、果物を食べない私の、フルーツ革命の立役者!

記念すべきお店です。(*^-^*)

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よく考えると、このホテル一帯全てが車輛侵入禁止なので、歩行者天国。(ーー;)

でも、このブログでは便宜上、上の地図で薄紫に塗ってある通りをずっと「歩行者天国」と呼んでいました。

☟は、その「歩行者天国」に到着後、北(地図では上)に曲がってすぐの場所。 

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私の左に並んでいる民芸品を撤収してあるお店の横に、男性が二人座って話をしていました。

その内のお一方にお願いし、この歩行者天国、最初で最後の記念撮影!

 

上の場所から南(地図では下)方向。☟

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ほとんどのお店が夕方から商品を並べ始めていましたが、一部、この時間帯でも販売している所がありますね。(*^-^*)

 

歩行者天国」から「敦煌夜市」に入って行く通路のようなところにあった軽食エリア。☟(上2枚と、下左)

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☝、右下は、2回食事した韓国料理屋さん。

 

この日のお昼は「敦煌夜市」で食べたのではなく、敦煌到着日に見掛けて気になっていた「煎餅果子(ジエンビングオズ)」のお店まで出かけました。

「煎餅果子」のお店は、「文昌南路」の「陽関中路」との交差点付近にあります。☟

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お店の写真を撮り忘れたので、「百度地図」から拝借しました。☟

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このお店の「陽関中路」の向かいには、気になっていたけれど行く機会がなかったパン屋さん「味美思烘焙」が。(笑)☟

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この交差点を境に、☝の写真でバスが走って来ている側は「文昌北路」になります。

 

この交差点を境に、☟の写真の奥へと続く道は、「陽関中路」から「陽関大道」と名称変更。

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この道をまっすぐ行くと、「敦煌市莫高窟参观预约售票中心(敦煌市莫高窟見学予約チケットセンター)」があります。

敦煌到着初日、チケットを購入した後、歩いて戻って来た道です。

 

そして、これ☟が私の大好きな「煎餅果子(ジエンビングオズ)」!\(^o^)/

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なぜか「肉夹馍(ロウジャーモウ)」の袋に入っていますが、「煎餅果子(ジエンビングオズ)」です。(笑)

このお店のものは、クレープ部分が柔らかい「天津」タイプでした。

山東」タイプはクレープ部分が「カリッ、パリッ!」です。

今年の春、天津に行って本場の味を知る以前は、「カリッ、パリッ!」以外は邪道と思っていました。(^^;

でも、柔らかいのも美味しいと気付き、今ではどちらも大好物!!!

西安でも、両方とも行きつけのお店があります。(#^.^#)

多い時は、1週間に2~3回食べる時も!

クレープに包まれた巨大な「天かす」のようなものが、「果子(グオズ)」です。

ダイエットのため、油っこい「果子」は避けた方がいいのですが、これがないとただの「煎餅(ジエンビン)」に・・・・・・。

食べ応えも、レベルダウン。

なので、「煎餅果子(ジエンビングオズ)」を食べる場合、カロリーは気にしないことにしています。(笑)

この日、私が注文した「煎餅果子(ジエンビングオズ)」はプレーンなもの。

ソーセージや玉子の追加などはなし。

でも、私と喋っていたのが悪かったのか、店員さん、誤って玉子を2個投下してしまいました。

しか~し、そこは笑顔で「没問題(メイウェンティー)!」と、おまけ扱い。

西安の私の行きつけの「天津タイプ」のお店では、プレーンなものは6元です。(1元=16円換算で約100円)

玉子を1個追加すると、7元。(1元=16円換算で約120円)

結果的に、西安と同額になりました。(笑)

注:決して、狙って話しかけたわけではありません。念のため。(笑)

 

買った「煎餅果子(ジエンビングオズ)」を手に、「陽関中路」を「敦煌夜市」の方へ戻り、11時15分、歩行者天国の入り口の上にある牌楼に登ってみました。☟

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これ☝は7月5日、敦煌到着日に撮影したものです。

 

牌楼の上から、北側(地図では上)を望むと、前日昼食のパンを購入した「安旗(Angelia)」と、道を挟んで果物を買いにいったショッピングモール「益旺国際購物広場」の壁が見えています。☟

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南側を望むと、遥か彼方、建設中の高層ビルの向こうに、チラッと鳴沙山が見えているのに気付きました!☟

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写真だと、ちょっと確認しにくいと思います。

 

拡大したものがこちらですが・・・・・・。☟

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見えるでしょうか?

この日、鳴沙山の上に薄い雲が出ていて、一層見分けにくくなっています。

もし鳴沙山の際まで真っ青だったら、もう少し見やすかったのではないかと。

撮影時、くっきり写らず何度も挑戦して・・・・・・、このレベル。(T_T)

この夏、日本で買って来た一眼レフの望遠レンズなら、綺麗に撮れたんだろうな~と思うと、無念。

かつては、少し高い場所に登りさえすれば、市内のいたる所から鳴沙山が見えたんでしょうね。

そんなことを思いながら、「煎餅果子(ジエンビングオズ)」を食べ終えました。

座る場所はないので、立ったままです。(^^;

 

 

この後、牌楼を下り、側にある「敦煌夜市」の「陽関中路」側入り口の土産物売り場に向かいました。

もちろん、駱駝のぬいぐるみを買うためです!!\(^o^)/

2000年1月に来た時も購入し、その時のぬいぐるみは今も実家に保管してあります。

そのぬいぐるみに仲間を連れて帰ってあげよう!と、ついに購入を決意。(#^.^#)

実はこの日、ホテルから「敦煌夜市」まで歩く間も、歩行者天国両脇に並んでいるお店を見て回りました。

でも、直射日光が入って来そうな場所に並べられていると色褪せが心配になり、結局、前日夜も購入を検討した「敦煌夜市」入口の土産物屋で買うことにしたんです。

「煎餅果子(ジエンビングオズ)」を買いに行くため売り場を素通りした時も、お気に入りの1体が笑顔で私を見ていました。☟

(注:客観的に見れば、全部、可愛い笑顔でこっちを見てます)

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ところが!

「煎餅果子(ジエンビングオズ)」を食べ終え売り場に着くと、これまで数日、いつも代わり映えのなかった駱駝ぬいぐるみコーナーに異変が!

たくさんいる駱駝の中で、私の一番お気に入りがいた辺りの数個が、ない!!

その辺りだけ、スカッと抜けているではありませんか!!!

あ~~~、ちょうど数十秒前にすれ違った人が、透明な袋に入れられた、黄色い駱駝のぬいぐるみを持っていた!!!!(T_T)(T_T)(T_T)

 

写真を見る限り、どの駱駝もこんなにかわいいのに、この時の私は本当に異常でした。(^^;

なんとしても自分が気に入った駱駝をゲットする!!!

と、「敦煌博物館」まで足を延ばしたんです。(^^;(^^;(^^;

理由は、「博物館の土産物売り場なら、日焼けする心配がないから」。(笑)

それに、土産物売り場にいらっしゃった日本語が堪能な店員さんに、お別れを言えたらいいな~という思いもありました。

 

せっかく行くなら、今回は現金ではなく、WeChatでバス代支払いに挑戦!

バスカードをかざす場所の側に、WeChatのQRコードをかざす機械が設置されています。

乗車区間によって料金が異なるので、運転手さんが機械の読み込み部分を手で押さえ、行き先を確認。

乗客はそれからスマホ画面をかざし、QRコードを読み取ってもらって、支払い完了!

この方法は、「白馬塔」や「敦煌古城」のように支払う側が受け取る側のQRコードをスキャンし、金額を入力して支払う方法とは異なります。

非常に簡単に支払い完了!

最初からこの方法を知っていれば、「敦煌博物館」のチケット交付を担当されている方に、わざわざ両替していただかなくても済んだのに・・・・・・。

でも、この切っ掛けがあったからこそ、この方とWeChatを交換し、今も連絡を取ることができるわけです。

そう考えれば、現金払いもコミュニケーション促進の役に立ってくれました。

いずれにせよ、「WeChat」は大活躍!(*^-^*)

※この日、チケット交換の際、両替をしてくださった方にもう一度お目にかかることが出来ました。(*^^*)

 

12時過ぎ、「敦煌博物館」に到着。

この日の目的は土産物売り場。(笑)

ただ、土産物売り場は全ての展示室前を通過するか、中を横切って行かなければたどり着けない、出口の手前。

そこへ辿り着くまで、前2回で撮り損ねた所などを補いながら前進。☟

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でも、ほとんど小走りでやって来た土産物売り場に駱駝のぬいぐるみの姿はなく、日本語の上手な店員さんもお昼休憩で不在。(T_T)

 

駱駝のぬいぐるみが欲しければ、「敦煌夜市」へ戻るしかありません。

全くもって、何をウロウロしているんだろう~~~???と自分を笑うしかありませんでした。(T_T)

 

13時、市内中心部に戻る際、初めはバスを待つつもりでした。

でも、暫く待っても来ない!

よし、それなら歩いて戻ろう!

歩けなくなったら、その近くのバス停まで行って、バスを待てばいいや。

せっかくなので歩行数を稼ぎ、ダイエットにつなげたかったのです。(笑)

歩いたのは「鳴山路」。☟

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歩き始めるとすぐ、右手に公園が。☟

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わぁ~、緑が綺麗~~!

 

公園に沿って歩きます。☟

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ほんの僅かですが、街路樹の影があって、微風もあり、爽やか~。

日傘さえ差していれば、こんな気持ち好い昼下がり、どこまでも歩けそう。(*^^*)

元気よく交差点を渡り、更に前進!!

 

交差点から少し進んだ頃、ふと足元を見て……。

あれ、この歩道の石板、見たことがある!?☟

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この通りは「鳴山路」。

足元にあったのは「古銭」の図柄の石板。

なので、「見たことあって当然」ではあるのですが・・・・・・。

何故に「宋代」?

「宋代」は、かなり「陽関中路」よりのはず。

 

☟の写真、右側は「敦煌国際大酒店」。

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敦煌国際大酒店」の玄関少し手前から、「宋代」の石板が続いています。☝

そう言えば、前日夜、「佛光西路」まで来た後、さらに先に進むべきかと前方を確認した時、前方はそこまでと同じ時代を繰り返していたので進むのを止めたのでした。(^^;

 

それなら、このまま歩き続けていれば、そのうち前日夜の最終地点に辿り着くはず。

そして、予想通り、さほど歩くことなく、記憶に残っているクリーム色の壁と、その側の狛犬に辿り着きました。☟\(^o^)/

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☝は、9日夜に撮影したもの。

「鳴山路」と「佛光西路」の交差点の北側です。

 

上に貼ってある地図、「鳴山路」を途中から薄いピンクで塗っています。

その部分に「古銭」の石板が敷いてあります。

 

これから「7/9、最終地点」から北へ向け、前日撮影したものと合わせてご紹介させていただきます!(*^-^*)

 

☟、この辺りは戦国時代。

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ここで見えているのは「布貨」だけですが、前方には「刀貨」の図案もあります。(^^)/

 

工事のため、黄色い壁で半分潰されてしまっている所は、戦国時代以外に、前漢のものもありました。☟

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せっかく路面をキレイに整備しているのに、通行人の安全のために仕方ないとはいえ、もったいないことをしているなぁ~と思いながらこの場所を通りました。

工事が終了し、この壁を撤去したとして、果たしてもとのまま無傷の石板が出現するのでしょうか???

半分押しつぶされている石板の姿が、ただただ哀れ・・・・・・。(T_T)

 

手前の二つ、前漢外戚であった王莽が立てた新(8年 - 23年)の貨幣の形状です。☟

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左は紀元10年、右は紀元14年に発行されたもの。

 

これまでの写真では見えませんでしたが、ちゃんと時代説明の石板もありますよ。☟

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☝、左が西魏、右が北魏

発行年は読み取れません。(T_T)

 

交差点の向こうに「敦煌飯店」が見えてきました。☟

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☝、手前左は北周(574年)、右は北周(579年)。

そして右上に、私が期待していた隋唐代を含む時代の案内が!

 

その案内石板と、各時代の「古銭」石板のアップ。☟

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☝右の年代を見て、「おおお~~~、666年!」と一人騒いでいました。(笑)

 

☟は、「666年」を含む区画全体。

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 この☟の歩道の右側は、「假日大酒店」。

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☝手前の左は後晋(938年)、右は後周(955年)。

もう「西域西路」までやって来ました。(*^-^*)

 

「假日大酒店」前にあった、通りの案内標識。☟ 

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☟の「古銭」の石板は、上の案内標識写真の一つ上と同一です。(*^-^*)☟

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この辺りは「宋代」。☟

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暫く宋代が続きます。

 

途中、ところどころ、「古銭」ではなく、めでたい言葉(?)を1文字ずつ書いた石板、綺麗な図案が施された石板が嵌められています。☟

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☟「遼金西夏時期」

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☝右下、「遼」の1111年!

 

他にも前述の「宋」で1234年を発見しました!

二つ合わせてアップにします。(^^)/☟

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「唐代」の666年に続いて、大喜び。\(^o^)/

 

元明清時期」☟

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☝手前二つは元、左は1350年発行、右は1358年発行。

そろそろ、前方に「陽関中路」が見えて来ました。(*^▽^*)

 

 「明」は写りが悪かったのでスルーして、「清」へ。(ーー;)

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これも、発行年が「1678年」、「678」と連なってます!(^^)v

この少し先で、「古銭」の石板はおしまい。

古銭に刻まれている文字は何かな~?

面白い発行年はないかな???

戦国時代くらいまで時代を遡ると、色んな形の硬貨があるよな~。

なんて思いながら、ずっと路面を見ながら歩いては立ち止まり、写真を撮っていました。(笑)

地元の方からすれば、「別に出土品をはめ込んでいるわけでもなし、何がそんなに興味深いの?」と変人に見えたかも?(笑)

実は、他にも考えていたことがありました。

「大唐西市博物館」3階に展示されている貨幣です。

これまで古代ギリシャから順次ご紹介しているのですが、3番目の展示室の中央に、大トリとして中国の貨幣が待っています。

そこに辿り着く前に、第三展示室には更にインド亜大陸イスラム各国、モンゴルなどの貨幣もあるので、「いつになったら中国貨幣に辿り着けるかな~」、「どんなふうに紹介したらいいかな~」と思考が西安に飛んでいました。(笑)

当初の予定では、今、順調に「大唐西市博物館」貨幣のを紹介中のはずでした。

そして、今学期中に貨幣の紹介は終了・・・・・・。

ところが夏の旅行記にこんなにてこずり、今学期も既に半ば・・・・・・。

今の目標は、「2019年1月中に完了!」です。(^^;

 

以下4枚の写真は、同じ「鳴山路」ですが車道の向こう側、「陽関中路」から曲がって来てすぐの辺りの歩道のものです。☟

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排水マンホールの蓋も芸術的。(*^^*)

カシュガルでも、最終日にマンホールの蓋を撮影しています。

実は、西北工業大学内でも、古い年代の物を発見すると、思わず撮影!

昔なら、カメラを持っていないとチャンスを逃してしまう、もしくは日を改めざるを得ない状況でも、今はスマホがあるのでいつでも撮影OK!

パソコン内に保存している写真、日々増加しています。(笑)

 

それにしても、「敦煌博物館」って、市中心部からこんなに近かったんですね。(^^)v
地図で見た時も、それほど遠いとは思いませんでしたが、まさかこんなに近いとは想像外でした。
これなら、時間がかかってもかまわなければ、「鳴沙山」まで全て徒歩で行けました。
途中、博物館で一休み!(笑)

 

 

ここから「陽関中路」に出て、「反弾琵琶伎楽天像」の方へ向かいます。

その間、相変わらず下を向いて写真撮影。☟

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上の2枚を撮影後、来た道を振り返って「鳴山路」と「陽関中路」の交差点方向を撮影。☟

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下ばかり見ていて、どこを歩いたのか分からなくなったりしないよう、適時、風景も撮影せねば。(笑)

 

上の写真を撮った場所から、今度は進行方向を撮影。☟

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「反弾琵琶伎楽天像」に辿り着くまで、足元にはこんな石板が。☟

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この図案が何に由来しているかの説明もあります。

左:元代桃心十一瓣蓮花磚(莫高窟より)

かなりボケていますが、7月8日のブログ「敦煌博物館」の「元」コーナーパネルの下にある磚のことではないかと思います。☟

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右:九格兎磚(格:升目のこと。敦煌蘇家堡出土)

九つの升目の中心で跳ねている兎!!!

周囲の花と合わせて、本当に可愛いなぁ~。(*^-^*)

これ、「敦煌博物館」に展示されていました。☟

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7月7日のブログでは、「敦煌博物館」の唐代の展示品の一つとして、他の展示品と一緒に登場しています。

※「敦煌博物館」で紹介されている名称は「九宮兎磚」。

 

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左:万鱔(敦煌佛爺廟湾西晋墓画像磚より)

「鱔」は「田ウナギ」意味する漢字ですが、その前に「万」がプラスされ、背中に羽まで生えている・・・・・・。

☝これは、7月7日「敦煌博物館」の「魏晋南北朝」のコーナーのパネルで見つけました!\(^o^)/☟

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尾の部分が微妙に異なりますが、多分これではないでしょうか?

 

右:赤鳥摶兎(敦煌佛爺廟湾西晋墓画像磚より)

これだけ、博物館の展示品で該当するものを見つけてあげられませんでした。<(_ _)>

 

こうして足下見ながら、「反弾琵琶伎楽天像」の前までやって来ました。☟

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これで、本当に見納め。(ToT)/~~~

 

ここから更に東へ、「陽関中路」の「敦煌夜市」入口へ!

黄色のかわいい駱駝、ついにゲットしました。(*^^*)

 

その後、この旅、各都市で行きつけのようになったパン屋さん「愛的礼物」まで足を延ばし、ちょっと休憩。(*^^*)

前回買い物をした時気になっていた、抹茶ケーキを試してみたかったんです。

その他、機内用にパンを1個購入。

この時、13時50分。

敦煌博物館」を出発してから50分です。

空港行きのバス乗り場に行くにはまだ時間があるので、この後もホテル周辺、広義の「敦煌夜市」をぐるっと回る予定。

ケーキを持ち歩くのは不便なので、お店のテーブルを使わせていただきました。

ここでは一口かじってから撮影したり、すっかり写真を撮るのを忘れて食べ終えてしまったり。(^^;

今回はちゃんと食べる前に、買ったばかりの駱駝のぬいぐるみと一緒に記念撮影!☟ 

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昼食からおよそ3時間経過。

ちょうどいい、おやつタイム!(*^-^*)

抹茶ケーキ、美味しかったです!

 

 

それでは、敦煌最後の散策へ、Go!!\(^o^)/ ☟

「愛的礼物」から「陽関中路」を西(地図左)へ、「敦煌夜市」へ戻ります。☟

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地図①:敦煌夜市

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14時過ぎ、夏場の「敦煌夜市」は、夜の営業に備えて休憩中。

でも、屋根の下にあるお店は、早朝から深夜まで、ず~と営業していました。

 

地図②:フルーツ盛り合わせを買っていたお店の横から、「緑洲島酒店」方向

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左手の白い壁、黄色い看板が「緑洲島酒店」。

敦煌夜市」から薄紫色に塗った歩行者天国を通ってホテルへ戻る、何回も通った道筋。

 

地図③:イスラム寺院(清真寺)の横に出てくる路地。

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7月9日の夜景写真に、「西域西路」側からこの通りを写したものがあります。

食事エリアなので、まだどこもOPENしていません。

 

地図④:イスラム寺院(斜め前から)

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③の路地を歩いて来ると、イスラム寺院左隣にある「清真蘭州老字号楊老三牛肉面」の横に出てきます。

 

地図⑤:イスラム寺院正面

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2000年に中国西北部を旅行した時、新疆のイスラム寺院にはドームとミナレットがありましたが、甘粛省の入ると中国式建築に変化していました。

でも、今回、蘭州でもドーム・ミナレットのあるモスクを見かけました。

現在はイスラム式の寺院が増えているんでしょうね。

 

地図⑥-1:「敦煌夜市」の門

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薄紫色に塗っている歩行者天国最南端、「西域西路」に面した出入口の門です。

 

地図⑥-2:「敦煌夜市」の門前から、「西域西路」の東側を撮影。

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イスラム寺院ミナレットが見えています。

 

地図⑥-3:「敦煌夜市」の門前から、「西域西路」の西側を撮影。

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長閑な夏の昼下がり~。(*^-^*)

頭上に道路標識が見えています。

その交差点の手前右側に、「7天ホテル」があります。

 

地図⑦:歩行者天国「食事エリア」

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14時25分、食事エリアのオープンには、まだまだ早い時間帯。

奥の方、通りの真ん中に民芸品を並べるブースが見えます。

あの位置を右に曲がると、ホテルへ。

そろそろ荷物を取りに、ホテルへ戻らなければ!

 

地図⑧:「緑洲島酒店」

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14時半、ホテル前に戻って来ました。

見上げると、私が宿泊していた部屋の窓が見えます。

ホテルがこの位置だったから、行動がとても楽でした。

どこへ行くのも便利!!!

5泊6日、お世話になりました。<(_ _)>

 

写真を撮った後、2階にあるフロントで荷物を受け取り、「三危路」にあるバス乗り場へ移動!

15時5分、乗り場へ到着。☟

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取発時間を待つバスの中には、既に乗客が数名いました。

ここでびっくりな再会が!

 

☟の写真の左端、白シャツの男性が立っています。

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偶然写りこんでいた、この方が運転手さんなのですが・・・・・・。

なんと!

7月5日、敦煌駅到着後に乗ったバスも、この方が運転していたんです!!

その日、私は助手席に座り、後ろの席のお客さんと、時には運転手さんもご一緒に話をしていました。

日本人だとも公表していたので、運転手さんの印象に残っていたようで、私のことを覚えていてくださいました。(*^-^*)

 

バス、ついに出発。

これで敦煌ともお別れ・・・・・・。(ToT)/~~~

敦煌を去ることは、私にとって単に敦煌旅行が終わるだけでなく、この夏の旅行全行程が終了することを意味します。

敦煌だけでなく、ここまでに回って来た他都市のことも思い返しながら、しんみりした気分で車窓を眺めていました。☟

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すると、「莫高窟デジタル展示センター」の手前で、若い女性が一人下車。

何故、こんなところで???

以前、7月7日のブログで、

敦煌では毎日、「敦煌盛典」・「又見敦煌」・「絲路花雨」というショーが上演されている』

『鳴沙山近くの「敦月路」に入ってすぐの辺りに「敦煌山庄」というホテルがあって、そこに上述の中の一つ、「敦煌盛典」を上演する舞台がある』

ということをご紹介しました。

ここ、「莫高窟デジタル展示センター」の西側には、「又見敦煌」を上演する舞台があるんです。

「三危路」の「東大橋」からここまで、3元。(1元=16円で換算すると、約50円)

この料金は、敦煌駅・敦煌空港まででも同じです。

個人で観劇に行く際は、このバスを利用できます。

でも、19時頃で運行が終了すると教えてもらったので、ショーが終了した後は、タクシーで市内に戻るしかないかと。

 

その後、進行方向右手に「莫高窟デジタル展示センター」を眺めてほどなく、敦煌駅に到着しました。☟

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手前の広場の前を素通りし、右側の道から駅舎前まで回り込みます。☟

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敦煌で5泊もしたので、新疆での出来事をすっかり忘れていました。

新疆では駅舎のこんな近くまで、バスで乗り付けることなんてできませんでした。

もちろん、自家用車やタクシーも同様です。

遥か離れた位置で降りるしかなく、そこから徒歩で、しかもいくつも安全検査を受けながら前進・・・・・・。(^^;

今となっては懐かしい記憶ですが、当時は暑い盛り。

小型とは言えトランクを引っ張り、傘を差して歩くのはかなり面倒で疲れました。

それを考えると、敦煌は便利。(*^-^*)

 

上の写真、手前に男性が写っています。

この方が下車する際、なんと!WeChatで料金を支払いました!!!

乗客がスキャンするためのQRコードが、こんなところに貼ってあったんです!☟

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乗り込む時、わざわざ振り返って頭上は見ないですし、降りる時は荷物の確認と足元を見るのに精一杯。

そんなわけで、このバスに乗るのはこれで4回目ですが、4回目にして初めて気付いた次第です。(笑)

私はもう現金で支払いを済ませていたので、ただ支払いができるのを確認しただけ。

ここの支払い方は、昼、「敦煌博物館」に行く時に乗った市内バスとは違います。

「白馬塔」や「敦煌古城」の支払い方と同じで、支払う側が受け取る側のQRコードをスキャンし、自分で金額を入力して「支払い」をタップすればOK。

 

電子マネー払いが利用できない場所なんて、もうほとんど存在しないんだと実感しました。

 

15時35分。ついに、敦煌空港へ到着。☟

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ここでは、バスは建物のエントランスまで接近できません。

手前で降りて、運転手さんにご挨拶して、お別れ。

バスは市内方向へ引き返していきました。

 

さて、と・・・・・・。

これで本当にラスト。

もし友人がいて、車で駐車料金を支払ってエントランスまで送ってくれたなら、こんな遠目から敦煌空港を見るチャンスはなかったわけです。

せっかくのチャンス、真正面から写真を撮りつつ接近するぞ!!!\(^o^)/

まずは、中国国旗の手前から。☟

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青空に翻る赤い旗!

 

ポールの前に出ました。☟

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空港も敦煌らしい、中国建築風。

 

宮殿っぽい、太鼓橋?☟

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ついに、エントランス前まで到着しました。☟(*^-^*)☟

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☟、国内線出発ロビー入り口前。

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このターミナルは「T3」。

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 私が乗る「天津航空」は、上から四番目。

 

歩いて来た方を見てみると・・・・・・。☟

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両脇に白い欄が備わった太鼓橋があって、その向こうに広場。

もし、もっと高い目線で写真を撮っていたら、皇帝が謁見するような雰囲気に見えませんか?(小規模なことは、突っこまないでくださいネ。笑)

 

手前のモニュメントも入れて、もう一枚!!!☟

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これだけ撮れば、国内線は満足です!(^^)/

そう、今まで見えていたのは国内線ターミナル。

 

敦煌空港、これだけではありません。

国際線ターミナルもあるんです。

そっちにも行ってみましょう!!!\(^o^)/

国際線ターミナルへ移動中に振り返った、国内線ターミナル方向。☟

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国内線・国際線ターミナルをつなぐ、中間の建物。☟

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やっぱり、とっても中華テイスト。(*^^*)

 

国際線ターミナル、エントランスです。☟

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国際線ターミナルが「T2」。☟

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あまりにシーンとしているので、まだ使用していないのかと思ったくらい。

気になったので、安全検査が済み、搭乗口に行く前に立ち寄ったお手洗いで、掃除をしていた女性に尋ねました。

この日、国際線はフライトがないので閉まっていたそうです。(笑)

 

国内線ターミナルの外側で、最後の風景撮影。☟

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もう、目的とかはありません。

ただ、ただ、敦煌の景色を眼底に、そしてカメラに、焼き付けよう~~~!!!

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満足しました。

ターミナル内に入ります。(*^-^*)

 

私が乗る天津航空「敦煌→慶陽(庆阳:Qingyang)経由→西安」の案内です。☟

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チェックイン手続き、15時45分から始まっていました。

 

数人しか待っている人がいなかったので、チェックイン、あっという間に完了!

その後、「T3」内を撮影。

チェックインカウンターに向かって左手にある、国内線到着出口。☟

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国内線到着出口のアップ。☟

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その反対側に、安全検査前の様子。☟

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行列、ありません。(笑)☟

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なので開いているのは1箇所だけ。

私が並びに行った時も、前には赤ちゃんを抱いた女性が一人いらっしゃただけ。

ただ、この方に問題が発生し、私の後ろに長い行列が・・・・・・。

それでも、他の窓口を開けなくても対応可能なレベル。(笑)

こんな長閑さも、私が敦煌を好きな理由の一つです。

 

安全検査が終わると、搭乗口のある2階へ。☟ 

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ピンボケ、すみません。<(_ _)>

 

エスカレータで2階に上がって左側、搭乗口前。☟

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空港の建物自体がこじんまりしているので、搭乗口前はなんとなくバスターミナルっぽい感じ。

ちょっとお手洗いへ・・・・・・、の移動も近くて便利。(*^-^*)

 

振り返って反対側。☟

 

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こちら側に、私が乗る飛行機の搭乗口「301」があります。

 

アップ!☟

f:id:shanshanduohuizi:20181031234620j:plain「301」がはっきり見えます。

気になったのが、左側に書かれている「↑ International Terminal」の案内。

小さな国際空港だと、チェックインロビーや出発ロビーが、国内線・国際線で相互に行き来が可能だったりします。

地元岡山の「岡山桃太郎空港」もそうです。

でも、搭乗待合ロビーとなると、国際線では出国手続きを済ませた後に赴く場所。

国内線の待合ロビーから直接行ってよい場所???

この先に出国手続きをする場所が設けてあるのでしょうか?

でも、それなら、わざわざ国内線待合ロビー経由で移動する意図は何???

 

今もって不思議に思う「↑ International Terminal」の表示です。(笑)

 

16時35分、「301」搭乗口までやって来ました。☟

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搭乗チケットに案内されている搭乗時刻は「16時45分」。

後10分ほど~、と思っていたら、すぐに搭乗手続き開始!

シートに座って別れの余韻に浸る時間がない~~~!!!(T_T)

でも、遅延しないなんて、素晴らしい!(笑)

 

ボーディングブリッジの窓から、敦煌の風景を見納め。☟

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地平線すれすれから頭上まで、覆いかぶさってくるような小さな雲の集団。☟

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地平線を起点に、大地と空に挟まれてしまいそう。

普段、高層ビルに囲まれていたり、プラタナスの枝葉に視界を遮られ、こんなに広い空を見ることは稀です。

日本の地元では、山に囲まれていましたし。(笑)

なので、私の中で空とは「頭上にあるもの」と認識されています。

その空が、あんなに低い位置から広がり、雲も地平線から湧き出しているみたい。

夜空を埋め尽くす無数の星を見てならともかく、青空と流れる雲を見て「宇宙」が思い浮かんでしまいました。

 

17時06分、飛行機は定刻17時15分より早く出発!(^^)v

暫くすると、軽食が配られました。☟

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お水とハムサンド1個・・・・・・。

機内食があっただけでも、幸せ?

これを見越してパンを買って来たのは正解です。(笑)

 

食事が終わり、一息ついたころ、アナウンスが始まりました。

アナウンスの出だしは「很抱歉地通知各位・・・・・・」

この出だし、空港にいる時に耳にすると、最後まで聞かなくても「ああ、飛行機が遅れるんだ~」、もしくは「搭乗口が変更になった?」と想像できます。

それを機内で聞いたなら、何か問題が発生したのは確実。

緊張して耳をそばだてました。

原因部分は聞き逃しましたが、理解できたのは「この機体は慶陽を経由せず、西安に直行する」ということ。

夏場だったので、雷雲の影響で降りられなかったのかも知れません。

これ、本音を言えば、西安へ戻る私にとってはありがたい出来事でした。

でも、敦煌から西安への途上にある慶陽へ行く人たちにとっては一大事!

目的地を行き過ぎてしまうんです!!

目的地が慶陽だった人たちの話を耳にしたところでは、当日、西安から慶陽に飛ぶ天津航空のフライトはなく、航空会社の手配を待つなら、目的地到着は翌日になってしまうようでした。

急ぎの人は取りあえず、自分で「西安→慶陽」行きのチケットを手配するしかありません。

それから、航空会社と交渉?

私自身、飛行機の遅延により国際線への乗り継ぎに間に合わず、翌日のフライトへ変更されたら、翌日は台風でフライトキャンセルと言うような目に遭ったことがありました。

フライトが予定通りに飛ばないことの影響の大きさは、身に染みてよく分かります。

なので、西安に到着し、焦りながら預け入れ荷物が出てくるのを待っている方々を目にするにつけ、お気の毒でしかたありませんでした。

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このような事態になった結果、西安到着時刻は定刻20時25分より1時間以上も早い、19時18分。

西安で出迎える側の人たちも、焦ったかも?

 

 

この日まで2週間、私は新疆や甘粛省の乾燥した地域にいました。

西安も西北部に属するので、基本的には乾燥しているのですが、それでも、カシュガルトルファン敦煌ほど乾燥してはいません。

しかも、この夏、6月末から7月初め、西安は雨続きでした。

飛行機からボーディングブリッジに移った途端、普段なら西安到着時に感じることのないねっとりするような湿度に驚きました。

それもそのはず、ご覧ください!☟

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敦煌は出発直前、西安は到着直後の天候です。

湿度に注目すると、敦煌は23%、西安は・・・・・・92%!!!

西安は雨が上がったばかりでした。

気温は24度。

暑いところにいたので、肌寒い~。(笑)

 

 

空港から市内へのリムジンバスに乗り、労働南路にあるバス乗り場で下車。

そこから労働南路を、徒歩でまっすぐ南下。

少し歩くと、前方にマンションがチラッと見えてくる、それくらいの短距離です。

あっという間に大唐西市城まで戻って来ました。☟

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やっぱり、この景色が大好きです!

マンション到着前に、「戻って来た~~~!!!」と実感!!!(笑) 

西北工業大学の西門へも、帰還の挨拶!\(^o^)/

「帰りました!!!」

 

 

これで、6月28日~7月10日までの旅行記、全て完了です。

2週間の旅行ブログなのに、4か月もかかってしまいました。

読んでくださる際、間が空きすぎ、前はどうだったか思い出せないことも多かったのではないでしょうか?

にもかかわらず、ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。<(_ _)>

これで、私の夏もようやく終わります。

今後は、また大唐西市博物館の貨幣や、西安の身の回りで起こったこと、回民街などを書いていきたいと思います。

引き続き、よろしくお願いいたします!!!(*^-^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月9日(月)_ 敦煌5日目_敦煌古城・沙州故城・陽関中路の敷石他

 2018年7月9日(月曜日)、敦煌はこの日も好天。\(^o^)/

 

前日より約1時間早い11時45分、ホテル出発です!☟ 

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ホテル(緑洲島酒店)から、いつもはこの☟地図の左(西)に向かって薄紫色の歩行者天国方向へ移動していました。

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でも、この日は他に目的があり、地図を右方向(東)へ、「敦煌駅・空港行きバス乗り場」へ向けて出発!

 

こちら☟はホテルを出て東側の通りの北(地図では上)方向。

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上の写真を撮った位置から反対方向(南側・地図では下側)の風景。☟

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宿泊ホテルは写真右側の植え込みの側にあります。

酒甕が並んでいる向こう側に広場があり、夜はその奥に設置されたスクリーンでワールドカップを観戦していました。

真ん中辺りに尖塔が見えますよね?

これ、ホテル入り出入り口からの写真にいつも写っているイスラム寺院の尖塔です。

 

北向きの写真の右手に植え込みがあります。

その向こうにある道に入りました。☟

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ここから東方向に進みます。

この通り、中央の屋台でも、左端のお店でも、西安名物「肉夹馍(ロウジャーモウ)」を売っています!

 

この通りを更に進んで行くと、こんな感じ。☟

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前方に「文昌南路」が見えています。

 

「文昌南路」まで到着しました!(*^-^*)

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振り返って、今歩いて来た方向を撮影。【①】

この場所からだと左手前方に、「敦煌駅・空港行きバス乗り場」へ向かう「三危路」があります。☟

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☝の写真の右側の建物は、☟の写真のホテル(絲路怡苑大酒店)の右端に該当。【②】

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「文昌南路」と「三危路」の三叉路付近の様子です。☟

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【①】緑州島酒店から歩いて「文昌南路」まで出て来た場所。

【②】ひとつ上の写真の「絲路怡苑大酒店」があります。

【③】ここから、「鸡肉焖饼子(ジーロウメンビンズ)(鶏肉燜餅子)」・「酿皮(釀皮)ニャンピー」や冷麺を食べた、食事処が集まっている「敦煌夜市」へ直行できます。

 

「絲路怡苑大酒店」前から見た、「三危路」の「東大橋」側のバス乗り場。☟

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「絲路怡苑大酒店」側から道を渡って、バス乗り場へ。☟

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ここへは「敦煌古城」へ向かうバスの情報を入手するためにやって来ました。

前日、「白馬塔」見学を終えて「党河」沿いに「党河西路」を歩いていた時、「西大橋」付近で「敦煌古城行き」というプレートを掲げた緑色のバスを見かけたんです。

でも、そのバスは駐車場に停車していたのではなく、移動中でした。

その近辺に緑のバスが停車している駐車場らしき場所はあったのですが、そこに、「敦煌古城行き」のものは見当たらず・・・・・・。

自分の目を信じるなら、バスは確かに走っていた!!!

でも、「西大橋」の向こうまで出かけて空振りするのも虚しい。

そこで、路線は違えど同じバスの運転手さんなら、正確な情報をご存じであろう・・・・・・!とやって来たのでした。(*^▽^*)

 

今回の敦煌旅行、「莫高窟」のチケット売り場・「莫高窟デジタル展示センター」・「鳴沙山月牙泉」への行き方は全部、ここの運転手さんに教わりました。(笑)

この日、更に「敦煌古城」と翌日のための「空港」への生き方(出発・所用時間)も追加です。

 

運転手さんは親切です。

ついでに、側にいた地元乗客の女性もフレンドリー!

古城までのバスに着いて、詳しく教えてくださいました。

バスの乗車場所は、前日私がバスを探し回った「西大橋」側の駐車場でOK。

料金片道10元。(1元=16円換算で160円)

このバスは市内バスではなく、市内と県(中国では「市」の下に「県」があります)を結ぶ「県内班車(县内班车)」だそうです。

ついでに翌日の空港行きの情報もGetし、お礼を言ってこの場を去りました。

 

バス乗り場から「文昌南路」方向。☟

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上の写真、周囲の様子はご紹介できますが、道路標識がよく見えません。

同じ場所の写真が2枚続きますが、道路名も見ていただきたいので、アップ写真も貼ります。(*^-^*)

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「文昌南路」まで歩いたら、そこを右へ曲がって「陽関中路」まで進み、「陽関中路」を西へ。

これから、昼食に出掛けます。(=^^=)

まだ「敦煌古城」に出掛けるわけではありません。(笑)

「陽関中路」に入ってすぐの場所に、この旅行、各地でお世話になっている「愛的礼物」があります。

でも、もう1軒気になるパン屋さんがあったので、この日はそちらへ。

場所は、「陽関中路」を西へ西へ。

敦煌夜市」の前を過ぎ、地図で薄紫に塗った歩行者天国まで来たら、「陽関中路」を反対側に渡ると、目的のパン屋さんに到着!

下👇の写真は歩行者天国入口から撮影したものです。

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青色が奇麗なパン屋さん、名前は「安旗」、英語だと「Angelia」。

親しみを感じるのも無理ありません。

近くにないので買ったことはないのですが、西安にも店名に同じ「安旗」のついた「陝西安旗」があります。(ロゴは少し違います)

蘭州には敦煌の☝のお店とまったく同じロゴの「安旗」があるようですし、フランチャイズ方式?

お店の中、おしゃれなディスプレイでしたよ。(*^-^*)

ここで買ったパンがこちら☟。

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手前の細長いパンは、甘く煮た小豆入りのデニッシュ系のパン「紅豆棒(ホンドウバン)」。(袋に書いてある「毛虫」に見える文字は、このパンとは無関係。(笑))

「紅豆」は「小豆」のこと、「棒」は日本語と同じで、パンの棒状の形状からきています。

たいていのお店にある商品だけあって、(私にとっては)安定した美味しさです。

後方の丸いパン、上に刺さっているのはストロー。

中に入っているクリームが液体状(練乳よりもっとサラッとしていました)で、それを飲むために付いているんです。

生地に染み込んでもいますし、ちょっと揺れただけで上の穴からこぼれるほどの量が入っているのではありません。

でも、わざわざストローが付いてくるほどにはドリンク状なので、持ち帰る時、傾いてこぼれ出てしまわないかと、ちょっと緊張しました。(^^;

感想は・・・・・・。

クリームがパンに染み込んでいる部分は美味しかったです。(笑)

 

腹ごしらえも終わりました!

13時半前、やっぱりいつもと大差ない時間帯になってしまいました。(^^;

今度こそ、「敦煌古城」に向け出発です!\(^o^)/

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ホテルから「陽関中路」に出て、「反弾琵琶伎楽天像」の前を通過。☟

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「陽関中路」を更に西(地図では左)に進むと「鳴山路」に差し掛かります。☟

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横断歩道を渡りながら、スキを見て撮影!

 

渡り切ると、道路標識があります。☟

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進行方向を示しているのは左側の標識です。

銀行や公安の表示に下に、「敦煌古城遺跡」の案内があります。

敦煌古城」だったり、「沙州古城」だったり、標記は異なりますが同じ遺跡です。

右側は一番下に「鳴沙山月牙泉」とあるように、「鳴山路」の方向を示しています。

 

「西大橋」までやって来ました。☟(*^-^*)

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この橋を渡れば、バス乗り場は目と鼻の先です!

 

でもその前に、橋からの景色を見納め。

戻りもここを通るのですが、真昼の日差しの下で見る「党河」の景色は、これで最後。

こう書くと、その時の気持ちが蘇って、4ヵ月も前のことなのに、寂しくなってしまいました。(T_T)

正午前後は青空でしたが、14時前になるとちょっと雲が出現。☟

f:id:shanshanduohuizi:20180930234739j:plain☝。橋の中央に設置されている柵、飛天が舞っています。(*^▽^*)

 

鳴沙山、何回見ても見飽きることありません。☟

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ふと、カシュガルの端から見えた白っぽい山を思い出しました。

「橋・河・遠方の白茶けた山や砂漠」

私はこういう構図が好きなのです!(笑)

 

水面にご注目ください。

魚が泳いでます!!☟ f:id:shanshanduohuizi:20180930234811j:plain

かなりの枚数を撮ったにもかかわらず、魚が藻の下に入ったり、日差しの反射もあって、なかなかはっきり見えるものがありません。

上の写真では数匹しか見えませんが、すごくたくさん泳いでいたんですよ!(*^▽^*)

 

「西大橋」を渡って左手前方、道が少しカーブしています。☟

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ちょうどバスが出てきました。☝

 

戻って来たバスが駐車場に入って行きます。☟

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駐車場はこんな感じ。☟

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駐車場へと下りて行ったのですが、どのバスも扉が閉まった状態で、運転手さん不在。

大型バスの側に人が集まっていたのでそこへ行き、「敦煌古城」行きはどのバスかと尋ねると、次の出発は15時と言われ、大ショック!

この時、14時でした。(笑)

しかも、側に停車している大型バスで行くとかなんとか???

事前調査してきたのと違うバスを示されて、ちょっと困惑。

大型バスの側にいた人たちは、このバスが出るのを待っているそう。

一緒に待つよう言われたのですが、1時間近くも座って待つなんて時間が勿体ないではありませんか!

 

そこで、「西大橋」を引き返し、1997年と2000年には存在していた市場の名残りを探しに行くことにしました。

ちょうど橋を渡った向こうの「敦煌陽光沙州大酒店」の近くだったんです。

ということで、2000年頃の「地球の歩き方」に掲載されていた敦煌の地図をどうぞ。☟

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党河よりの黄色で囲んだホテルが、「敦煌陽光沙州大酒店」の前身「敦煌沙州大酒店」です。

 

その隣に「金山賓館」。

このホテルの名称は変わっていません。

地図上の赤線は、2000年当時に記入した、当時の移動ルート。

 

上の2000年前後の「地球の歩き方」の地図は、8月帰国時にスキャンして来たものです。

今年7月初旬には手元になく、記憶をたどって緑のルートを散策しました。

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この緑のルート、2000年の地図にも追加しています。

 

残念ながら、2000年1月には撮影していません。

冬場の市場は休眠中で、何も売られてなく、誰もおらず、ただ市場があっただけ。

随分探してやっと見つけた1枚がこれ☟です。

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1997年6月、ツアーで来た時のものです。

夏場の市場は活気がありました。

色んな臭い(×匂い)もしていました。(笑)

写真の右手にも市場が広がっていたこと、今でも覚えています。

 

①ホテル「錦江之星」の手前から、「陽関中路」の東(地図では右)方向を撮影。

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☝の写真の右手に、「敦煌陽光沙州大酒店」があります。

信号を渡って、「敦煌陽光沙州大酒店」の横に延びる「党河東路」を南へ進みました。

 

②「党河東路」の様子。☟

f:id:shanshanduohuizi:20181019010057j:plainこの辺りだったかな?と思って進んだのですが、ここは記憶違い。(笑)

「党河東路」、2000年頃は「合水路」と呼ばれていたようです。

 

「党河東路」を進んで行くと、スマホの「百度地図」で「市場巷」という通りがあるのに気付き、左折。

結果的に、この軌道修正は大正解。

2000年の地図で「市場路」と記された通りの西端へたどり着けました!(*^-^*)

ちなみに、2000年頃の「合水路」には、この位置に左折できる路地はありません。

 

2018年の地図で、「金山路」にピンク色のラインを塗った部分があります。

そこの辺り、通りの両サイドに店舗が統一規格の飲食店や雑貨店が立ち並んでいました。

「金山路」を更に進み、途中「宏泰市場」という看板を見かけたので、狭い入り口から通路を中へ。

そこは電化製品を扱うお店が立ち並んでいました。

女性が二人立ち話をされていたので、ちょっと声をかけてみると・・・・・・。

「面影はないけれど、かつてはこの辺り一帯が市場だったのよ。」

と教えてくださいました。

「やっぱりこの辺りであってたんだ~」

取りあえず場所を特定できて満足。

同時に、あまりに様変わりしすぎていて、時の流れを痛感しました。

1997年から数えたら、21年ですもんね。

 

③「陽関中路」に面した「宏泰市場」の出入り口。☟

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ここを通って、市場から出てきました。

 

④「陽関中路」を西向き(党河のある方向)に撮影。

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左側の壁は「金山賓館」のもの。

 

⑤「金山路」。☟

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☝の写真の左側に続くお店間に、「宏泰市場」へと続く通路の入り口がありました。

 

⑥「党河東路」と「金山路」の間にある「金山賓館」です。☟

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こうして、市場探しの散歩は終了しました。

 

14時半過ぎ、「敦煌古城」行きバスが停車している駐車場に戻って来ました。

大型バスの側まで行くと、「あっちへ行け」と状況に変化が。

大型バスは「敦煌古城」には行かないとか?

少し訛りがあってよく聞き取れませんでした。(^^;

内心「なに、そのいいかげんさ!」と腹を立てつつ、言われた方へ行くと、☟のバスが停車していました。

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これを見て、一安心!

この車両こそ、「敦煌駅・空港行きバス乗り場」で運転手さんたちから教えてもらった「県内班車(县内班车)」!!

「市区⇔古城」のプレートもあります!!!\(^o^)/

 

出発は14時50分頃。

早めに戻って来ておいて、良かった~~~!(^^)v

運転手さんに確認、「所要時間30分少々、約14㎞」。

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バスは初め少しだけ「陽関西路」を走り、「沙州故城遺跡」がある場所で左折し「古城路」に入り、一路南へ。

私はこの時初めて、「沙州故城遺跡」の場所を認識。(^^;

直ぐに、市内へ戻る際、ここで降ろしてもらえるか運転手さんに尋ねました。

答えはOK!\(^o^)/

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この運転手さん、とても親切な方でした。

このバス、私を「敦煌古城」で降ろした後、市内に引き返します。

そして再度、「敦煌古城」まで往復するとのこと。

その間、休憩も含め、約1時間半。

敦煌古城」の見学もそれくらいあれば十分だそうです。

時間を気にせず見学できるようにと、バスが「敦煌古城」に到着する少し前に電話してあげようと運転手さんから提案が!

「帰りも乗ります!」と伝えていても、観光バスではないのです。

バスが到着した時、私がバス乗り場にいなければ、運転手さんに私を待つ義務はありません。

運転手さんからの配慮がなかったら、私はリスクを避けるため、早々に見学を切り上げ、城外でぼ~っと待っていたと思います。

さらに!

私がバスを降りる前、携帯に見知らぬナンバーからの着信が!

「誰だ???」と思っていたら、運転手さんからの「私のナンバー確認」&「運転手さんのナンバーお知らせ」電話でした。

運転手さん、段取りに抜かりなし!

このバスを利用して「敦煌古城」に行く個人旅行客が多く、対応に慣れているんでしょうか?

 

バスは「古城路」、「白七路」と進み、「紅格線」に入り、「敦煌古城」へ向け一路南西へと進みます。☟

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この道に入った頃から、日差しが陰り、風は激しくなり、砂塵が舞い上がって空が黄色に!

敦煌に来て5日目。

初日が曇りだった以外、この日の昼下がりまで好天続きでしたが、ついに天気が崩れてしまいました。

 

防砂林として植えられている木々の撓り方、写真で分かるでしょうか?

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15時20分、もうすぐ到着という辺り。

進行方向左手(南東)にある山(砂漠?)の姿がうっすらしか見えません。(T_T)☟

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15時25分、「敦煌古城」駐車場に到着!

この日、移動所要時間は35分でした。

まず、駐車場入り口にあるチケット売り場でチケット購入!☟

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この写真、陽が射しているのは見学終了後に撮影したからデス。(笑)

写りが悪く、申し訳ありません。m(__)m

 

チケットはこちら。☟

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ここでも、WeChatで支払いOKでした。(^^)v

 

ここで、チケットに記載された「敦煌古城概要」を参考に訳してみたいと思います。(*^-^*)

敦煌古城は唐・宋の時代に西北部の要衝であった敦煌の雄姿を再現しており、中国西部建築芸術の博物館と呼ばれています。城内の完璧な建築、精巧な家具用具、多様な古代衣装が、あなたを古代へと導き、唐・宋時代の辺境要衝の風情を感じさせてくれることでしょう。運がよければ、映画やドラマのロケ現場に出くわせるかも知れません。

昼間は古城内で古代衣装を身に纏って存分に観光・撮影を楽しみ、馬場で馬を駆け、擬古娯楽場で遊んだり、酒楼で茶や酒を味わい、射撃場・射場にて射撃や矢を射て楽しむことができます。

日没時には臨城楼に登り「大漠孤煙直、長河落日圓(たいばくこえんなおく、ちょうからくじつまどかなり)」の奇観を観賞できます。

夜になれば、星空の下、篝火を焚いての集いが、昼間とは異なった風情を味合わせてくれるでしょう。興味があれば、モンゴルのパオや宿場の旅館にご宿泊ください。

中国工芸美術の巨匠・阮文輝による精巧で美しい対聯や所蔵品が、あなたに帰途を忘れさせるに違いありません。

映画「敦煌」以降、既に45本もの映画やドラマが敦煌古城で撮影されています。2005年には、敦煌古城は著名な歴史的大ヒット作「大敦煌」のメインロケ地に選ばれ、大宋敦煌城の雄姿が再び人々の前に出現しました。「大敦煌」に関する多くの写真や衣装、小道具等はよい目の保養となることでしょう。

 

いつもの如く、チケットの紹介を読むのは今が初めて。(笑)

なるほど、ロケ用の建築物を見て回るだけのところではなかったんですね。(^^;

1997年6月に城内に入った時は、建物をただぐるっと見て回っただけだったので、今までずっとそう思っていました。

中国人旅行客にとっては、貸衣装を着て、WeChatモーメンツや「抖音(TikTok)」にアップする写真や動画を撮るのが目的なのかと思っていました。

確かに、酒楼や射撃場のようなところはありました。

でも、旅館やパオはどこ???

 

では、中に入ります!\(^o^)/

城門前まで移動~~~。☟

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空、相変わらずどんより。

 

ここで、1997年の写真をご覧いただきたいと思います。☟

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見事に晴れて、青い空!(*^▽^*)

その下に見えるのは砂漠だったんですね。

ここまでの道中では判別できませんでした。

 

☟の写真は同じく1997年6月、バスに乗り「敦煌古城」から既に少し離れた時に撮影したもの。

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ちなみに、2000年1月来訪時は、この日以上の悪天候。☟

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当時70元で車をチャーター。

その車から降りることなく撮影・・・・・・。

なんともったいない。(T_T)

この写真を見ると、2000年の頃にはまだ駐車場やチケット売り場が整備されていなかったみたいです。

 

城門へ接近!

砂埃がひどく、私はマスク着用のフル装備状態でしたが、中から出てくる人たちは気軽な出で立ち。☟

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城門の下から城外を撮影。☟

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遠方、霞んでいます。

それでも、少し日が射してきました。

城門外のカラフルなミニカーは、城外の砂漠を爆走するサービス???

 

城門の下から城内を撮影。☟

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ここでも1997年の写真、登場!

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一つ上の写真より少し左から写した写真です。

日差しが強烈で色が白く飛んでしまってますね。(^^;

城門正面にある「沙州」の衝立の後方、21年前はスカ~っと奥の方の「汴梁城」まで見渡せます。☝

 

現在は・・・・・・。☟

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衝立は花に囲まれ「游客您好!欢迎到古城游览!(旅行者の皆さん、こんにちは!古城観光へようこそ!!)」と書かれ、通りの周囲にもいろんな小道具が配置されています。☝☟

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右手に置かれている牛車には、砂埃をものともせず遊んでいる親子連れの姿がありました。☟

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城門の内側の様子。☟

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振り仰ぐと、城門の大きさを実感。(*^-^*)

足元には、左右一つずつ案内板がありました。

 

左側の案内板です。☟

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敦煌古城概要】

「敦大也、煌盛也」、古人は「盛大に光り輝く」という言葉で古代の敦煌の繁栄隆盛を形容した。現在敦煌市区の西16キロメートルに位置する敦煌古城は、我々のために昔日の敦煌の輝かしく神秘的な伝説を再現してくれている。

敦煌古城は「中国西北部の古代建築芸術の博物館」と呼ばれる、唐・宋の建築を模倣した城壁に囲まれた都市である。敷地面積は15万平方メートル、建築面積は1.5万平方メートル。城内には唐・宋時期の西北部の要衝である敦煌・高昌・甘州・汴梁・興慶の五つの通りを、異なる地域の建築様式で修築している。高くそびえる城楼、寺やシルクを扱う店、居酒屋、質店、旅館等の異なった様式、比類のない美しさは、古代敦煌及びその他シルクロード要衝の地の大いなる繁栄と失われた時を表現している。敦煌古城はこれまでに「敦煌」・「成吉思汗(チンギスハン)」・「怒剣啸狂沙」・「封神榜」・「情剣山河」等の四十本の国内外の映画・ドラマの撮影ロケ地となり、現在では西北部において最も完成された映画・ドラマの撮影基地となっている。

また、敦煌は観光娯楽を一体化した需要な観光地となっている。(以下、チケット裏面の概要とほぼ同内容なので割愛)

 

こちら☟は、右側の案内板です。

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敦煌古城」で撮影された映画・ドラマの名前が記されています。

ご存じの映画やドラマはありますか?

私は一番最初に記載されている「敦煌」しか知りません。(笑)

 

☟は、城門を潜って左手にある「映画・ドラマの写真館」。

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他に、かつての敦煌の白黒写真もあります。

すぐに写真を見ればいいのですが、少しお待ちください。

1997年にタイムスリップ!(*^-^*)

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これ☝、角度は違いますが、同じ建物です。

21年前の方が、現在より古く見えませんか?(笑)

 

では、この写真館内に飾られていた映画「敦煌」の写真を一挙公開!!!\(^o^)/

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映画「敦煌」のために建設された基地だけに、「敦煌」の写真がたくさんありました。

ただ、建物内が薄暗く、しかも写真が古くなっていて、写りはあまりよくありません。

それでも、お亡くなりになった渡瀬恒彦さんのお姿や、若くてスリムな西田敏行さん、大型新人と謳われていた頃の佐藤浩市さん、中央アジアの雰囲気を纏った中川安奈さん他の皆さんの姿を見ることができて、感動!!!

映画が上映された当時、私は映画館で2回連続で見ました。

その後もビデオをレンタルしたり、最近では中国のネットで中国語版の一部を見たり。

前学期、日本語を学習している中国人学生さんと交流する機会があったので、紹介したり。

今でも大好きな映画なんです。(*^-^*)

当時のインタビュー記事、三田佳子さんからの差し入れに関する件は今でも覚えています。

三田さんが陣中見舞いに届けてくださった素麺。

それが俳優の皆さん・スタッフの皆さん、本当に嬉しかったそうです。

その時の私は、中国西北部どころか西安へすら行ったことがなく、「素麺、そんなに嬉しいのか~」くらいに思っていました。

でも、実際に現地に来てみると、当時の敦煌での長期海外ロケがどれだけ過酷かよく分かります。

日本とは全く違う乾燥した気候、脂っこい料理。

ロケ当時より時代が下った1997年6月の旅行ですら、色々馴染めないことがありました。

1980年代後半の撮影・・・・・・。

この地で生活するだけで、ストレスだったと思います。

 

それに加え、炎天下、砂嵐の中での撮影・・・・・・。

スタッフの皆さんも含め、心身ともに極限状態で撮影に臨んでいた時に差し入れられた、母国の食べ物。

どれほどありがたかったことでしょう。

厳しい環境の中、素晴らしい作品を作り上げてくださった関係者のみなさん、ありがとうございました。

敦煌」、また見たいな~。(*^-^*)

 

敦煌」だけでなく、ここで撮影された多くの映画・ドラマの写真もありました。☟

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ジャッキー・チェンもここで撮影していたんですね。

 

ここからは、敦煌という街の歴史を記録した写真です。

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☝西門から敦煌県城に入る党河橋(柳橋)(1907年スタイン撮影)

 

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敦煌県城東門「迎恩門」内の牌坊(1907年スタイン撮影)

 

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敦煌県城内の牌坊街路(1907年スタイン撮影)

敦煌博物館」の紹介では、「清の1729年に新城が完成、1733年には増築、1760年には敦煌県へ昇格」とありました。

この写真は辛亥革命清朝が倒される1912年以前に撮影されています。

敦煌県に昇格してから150年ほどの間、牌坊は途中で修繕されなかったんでしょうか?

屋根が崩れ落ちて来そうです。(T_T)

 

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敦煌県城門(1926年)

 

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敦煌県城門(1943年ジョゼフ撮影)

城門の壁に掛かれた文字、右側は「服従蒋委員長」、左側は「復興中華民族」。

1949年に中華人民共和国が成立する以前なので、「蒋委員長に従う」と書かれています。

さらに、簡体字が制定される1950年以前なので、字体が現在と違っています。

簡体字で書くと、「服从蒋委员长」、「复兴中华民族」となります。

私たちにとっては、この壁の文字の方が読みやすいですね。

 

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敦煌県城東大街(1943年ジョゼフ撮影)

 

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莫高窟外景(1958年撮影)

大牌坊の周辺、まだ整備されていません。

 

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西安美術学院師弟による莫高窟壁画模写(1959年)

  

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☝1979年、敦煌洪水ーー浸水したバスターミナル

降水量が著しく少ない敦煌でも、時に洪水の被害に見舞われます。

ネットで検索すると、近年では2011年6月16日に、記録的な大洪水が発生しています。

 

写真館内の写真を見終えたので、他の部屋をくるっと見て回って外へ。(^^)/☟

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外に出ると、先ほどよりは空が明るくなっていました。

まだ結構強い風が吹いていましたが、それでも日焼け防止のため傘をさし、城内散策へ、Go!

 

ここ☟は貸衣装店。

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場所は、写真館のすぐ側。

城門の下から撮った写真☟、左側に三角の黄色い旗が上がっている場所です。

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私がこの店の前を通り過ぎる時、ちょうど古代衣装を身に付けた4人組が出てきました。

この方々が、行く先々で写真画面に彩を添えてくれます。(*^-^*)

 

城内概要で紹介されていた五つの通りの一つ、「高昌街」。☟

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【高昌街】

高昌はシルクロード北路上の要衝の地であり、唐代に出現した時には相当に繁華な都市であった。しかも高昌故城・交河故城・沙州故城はシルクロード上で最も著名な古い城である。

この通りはトルファンの農村をモデルに設計され、唐・宋時期、高昌故城は西回鶻が盤踞する地であったため、この通りはウイグル族の建築様式を主としている。

《神探狄仁傑》第四部の主なロケ地である。

 

案内板を読んで、「高昌街」に足を向けたのに、一番に目についたのは昭和レトロ風のたばこの看板。(笑)☟

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でも、写す角度を変えると、それっぽい雰囲気があるかも知れません。☟

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断言できないところが悲しい・・・・・・。(ーー;)

 

そんな時、コスプレ(?)の4人組、登場!!☟

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唐・宋代の雰囲気が出て来たでしょうか???

ムリかな~~~。(苦笑)

映画やドラマのカメラ越しの風景だと、建物以外に小道具や大勢のエキストラがいるので、古代の生活感を表現できるんだと思うんです。

「思うんです」と言うのは、製作費の少ないドラマなどでは、安っぽいセットにしか見えない時もあるから。(笑)

 

☟のように、アーチで奥の景色を切り取ってみるとどうでしょうか?

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微妙・・・・・・。

 

上の位置の向かい側、二つ上の写真で黒いタイヤが置いてある場所を左に曲がると、こんな風景が広がっていました。☟

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ここが、馬場や射撃場・射場のハズ。

現地で確認まではしていません。<(_ _)>

 

酒楼のセット?☟

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ここ☟は、部屋の設えが充実していました。(*^-^*)

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両側の部屋の中は、こんな☟感じ。

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私が中から出てくるのと入れ替えに、古代の衣装を纏った四人がやって来ました!☟

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ゆるくカーブしている通りに沿って歩いていると、「敦煌古城」の城門が見える通りに到着。☟

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上述しましたが、1997年6月には、ロケのセットの建物しかなかったのに、今は通りの両サイドにいろんなものが設置されて賑やかです。

 

天候回復!

日差しがますます強くなって、暑い~~~!!

観光客も増えてきました。(*^_^*)

 

同じ場所で、城門に背を向けるとこんな風景。☟

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 奥に見えているのが「汴梁城」。

 

城門の方に向いて左手には、こんな☟場所が!

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ちょうどベビーカーを押した親子三代のご一家が、ここで記念撮影をされていました。

申し訳ないな~と思いながら声をかけ、撮影を依頼。☟

 

 

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門に掲げてある額の文字を見ると、ここは「帰義軍節度府」。

「帰義軍」は、一つ前のブログ「敦煌5日目」の「敦煌博物館」【宋代の沙州「画行」】にその名が出てきました。

よろしければ、Wikipediaとともにご参照ください。(^^)v

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月8日(日)_ 敦煌4日目_敦煌博物館2日目(宋代~清代他)・白馬塔他 - せいあん!

帰義軍 - Wikipedia

 

「帰義軍節度府」の門から中へ入ります!☟

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ここ☟は先ほど写真を撮ってもらった「帰義軍節度府」の門前。

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 左奥に見える通りを、歩いてここへやって来ました。

左手は城門方向。

右手は「汴梁城」方向です。

 

次は、「帰義軍節度府」を出て「汴梁城」方向へ右折します。☟

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この道を進み、突き当りの通りが「汴梁街」。

 

「汴梁街」へ出る前の右手に、こんな場所がありました。☟

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中へ入ると中庭があって、その向こうに休憩所のような場所が。☟

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この建物の向こう側は、今歩いて来た通りとは異なる都市の通りになります。

そこに、「西瓜ジュース」などと書かれた看板があったので、おそらく現代の喫茶店です。

喉が渇いたら、ここで一休み。

ただ、この日のこの時刻、お客さんの姿も、店員さんの姿も見当たりませんでした。

 

 これまでに何度も登場した「汴梁城」についに到着!!\(^o^)/☟

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【汴梁城】

大古都(開封・洛陽・西安・北京・南京)

六大古都の一つ。通り全体が張択端作の「清明上河図」を参考に造られており、全体に勢いがある。建物の特徴には敦煌と明らかな対比性があり、建物は高く大きく、青黒い瓦屋根は「人」字形に傾斜するという、典型的な中原様式である。これも歴史の変遷である。陸路のシルクロードが寂れるに従い、海上シルクロードが栄え、中原の経済・文化は全面的に向上、「日に日に発展したことは、その建築から証明することができる」と言って差し支えない。

 

☟は 「汴梁城」に向かって「汴梁街」の右手。 

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酒の甕が並んでいます。

 

そこをアップにすると、こんな感じ。☟

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左側には「西夏」世界へと続きますが、今は視線を右に戻しましょう!(*^-^*)

 

酒樽の向こうに「汴梁城」が見えます。☟

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ちなみに、「汴梁城」の前を左へ突き当りまで進むと、お手洗いがありました。

21年前の記憶を引くずっているので、不安を抱きながら中へ。

足元には、開け放たれた上部の窓から入り込んだ落ち葉が散らばっていました。

そのくらいは何ともありません!

問題は、個室内の清潔さ&水が流れるかどうか。

結果は・・・・・・、合格です!!!(笑)

 

そのお手洗いに対し、「汴梁街」の反対側にあるお寺。☟

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上の写真左側の通用門から中に入るとこんな風景です。☟

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次は、酒樽の側に見えた階段へ!(*^-^*)

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【興慶城】

寧夏銀川を代表し、「敦煌」撮影当時、西夏太子である李元昊都城として登場。西夏にはタングート・漢民族・回鶻が雑居していたため、建築物にはそれぞれの特徴がある。1997年、通りの中心に粥屋を設置。2004年には《海神》を撮影、1997年に撮影した《左宗棠》は災害救済の場面で登場した。「木板村」は2007年に韓国映画《グッド・バッド・ウィアード》を撮影した時のセットである。2011年には《双城記》の主なシーンをここで撮影した。

 

よ~し、それじゃ、これからこの階段を上がってみよう!と思ったら・・・・・・。

17時少し前、運転手さんから電話が入りました。(^^;

 

なので、階段を上がるのは諦めて、☟の右側の通りを速足で城門方向へ!

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この☟写真の右手に、提灯がぶら下がっている場所があります。

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そこが先ほど別の通りから覗き見た、「西瓜ジュース」などを飲みながら休憩できるお店の玄関です。

 

この道を進んで行くと、左手にこんなセットがありました。☟

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右側の壁には、☟のような紹介が!

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ここが、「興慶城」の紹介にも出て来た韓国映画《グッド・バッド・ウィアード》の撮影現場です。

2007年、韓国映画《グッド・バッド・ウィアード》は敦煌で撮影され、韓国のスターLee Byung-hun・Song Gang-ho・Jung Woo-sungが撮影に参加した。

敦煌市政府各界の協力により、撮影は円満に成功した。

最後の一文、中国らしい紹介の仕方だな~。(笑)

 

☟のセット、《グッド・バッド・ウィアード》のセットの側にありましたが、関係あるのかどうか、確認する余裕がありませんでした。(^^;

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やっと城門前まで戻って来ました!\(^o^)/

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ここで、1997年に同じようなアングルで撮影した写真と比較したいと思います。☟

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空の青さは置いていおいて・・・・・・。

1997年当時は、城門の扉は古ぼけて威厳なく、城内に植えられた木は枯れていたり、お手洗いは目も当てられない状況で、手入れをしているようには感じられませんでした。

さらに自分達以外、他の観光客は誰も見かけない寂しさ。

まるでゴーストタウンのようでした。

敦煌」を撮影した『聖地』として、敦煌にやって来た日本人にとっては見ておきたい場所であっても、現地の人にとってはただの使い終わったロケセットでしかない。

私はそんな風に理解していました。

だから2000年1月に来た時、1997年より一層寂れているに違いないロケセットを、砂嵐の中、わざわざ車を降りて、中まで入って見なくてもイイや!と思ったんです。

でも、普通に考えて、これだけ立派な城門・城壁を備えたセットを、使い捨てにするわけないですよね。(^^;

その後もセットを増やし、「敦煌古城」は映画村として、観光地として、活躍しています。(*^-^*)

 

城門を出てみると、駐車場がすごく賑やかになっていました。☟

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私が到着した時はこんなに車が停まっていなかったのに。☝☟

 

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この時は、真夏。

日が傾いて涼しくなる夕方まで待って、皆さん遊びに来たんでしょうね。

チケットの紹介にあったように、「臨城楼」に登って砂漠の夕暮れを観賞するのもいいかも。

 

日本のネットで敦煌旅行のブログを読んでいると、この「敦煌古城」、あまり人気がないようです。

確かに、長い歴史がある建築物でもありません。(笑)

私にとっては、「1997年当時とどう変わっているか」が目的でしたし。

なので、今回たくさん貼っている写真を見ていただいて、

「これなら行かなくてもいいか~」

「話題作りに出かけてみるか」

など、旅行計画を練る際の一材料にしていただければ、嬉しいです。(*^-^*)

 

少し待つと、幹線道路から逸れて、緑色のバスがこちらにやって来ました。

これに乗り込み、次は「沙州故城遺跡」へ!\(^o^)/

 

「沙州故城遺跡」は「陽関西路」が南西に向けてカーブする少し手前、「古城路」との交差点少し南側にあります。☟

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今回、私は南にある「敦煌古城」から「古城路」を北上し、この遺跡の側でバスを降りました。

  

☟は、「沙州故城」の北端から、北向きに撮影したもの。

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手前から写真奥に向かって伸びる「古城路」が、少し先で「陽関西路」と交差しています。

 

上の写真を撮った場所から南(後ろ)へ振り返ると、遺跡があります。☟

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石碑によれば、石碑の後ろにちょこんと見えている、頭上に避雷針(?)を載せた土の塊は、沙州城の北西角の望楼(中国語:角墩)。(「望楼」は「Watchtower」を直訳しました)

 

石碑の後ろへ回り込むと、望楼の全容を見ることができます。☟

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右側に見えている道が、「敦煌古城」から戻って来た「古城路」。

左側の道は、この遺跡を取り囲んで、右側の「古城路」に合流します。

 

上の写真で、足元にある遺跡の案内を可能な限りアップにしてみました。☟

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☝、左側の文字部分。「沙州故城概要」

☟、右側の図の部分。「平面レイアウト図」

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今いる場所は敦煌城の「北西角」。

上のレイアウト図の右下で、黄色に囲われている場所。

屋根マークと「角墩」と書かれている位置です。

レイアウト図の真ん中辺り、黄色い横線を引いている場所は、前日訪問した「白馬塔」。

城の東側には「党河」が描かれています。

現存する「望楼」や「白馬塔」、更に「党河」のおかげで、当時の沙州城の規模が分かり易くなりますネ。(*^-^*)

 

それでは、頑張って「概要」を訳してみたいと思います。

映画セットの説明を訳して、歴史ある遺跡の説明をスルーするわけにはいきません!✊

【沙州故城概要】

沙州故城は敦煌市の西、七里鎮白馬塔村、党河に西岸に位置する。東西718メートル、南北1,132メートル、面積812,776平方メートル。漢武帝が西域を切り開き、この地に敦煌郡城とした。西涼国はかつてこの地に都を置き、唐の神龍年(705年)、この城に豆卢軍を設置した(唐代における「豆卢」は「帰義」を指す)。唐中期、吐蕃を陥落し、宋の景祐初年、西夏を陥落、元世祖の至元十四年(1278年)沙州を再度設置、明の永楽二年沙州衛を置いた。その後、党河は南西から流れて来るため、旧城の東城壁の外を迂回することになり、東城壁のいたる所が水により突き崩され崩壊した。雍正三年(1725年)、故城の東、即ち現在の敦煌市沙州鎮の所在地に衛城を建築した。

故城遺跡は現在、南・北・西三面の城壁が断続的に残っている。また白の北西角には望楼(角墩)が残っている。

漢・唐時期の沙州故城はシルクロード上の名城であり、需要な都市であり、中国と西域の政治・経済。文化交流の枢軸に位置していた。清代の《敦煌県誌》は「古城夕暮れ」を敦煌八景の一つとして挙げている

Wikipedia百度百科を検索しながら訳してます。

それで気付いたのは、Wikipedia百度百科・石板の年代が数年ずつずれていたり、石板に年号と西暦が記載されているものの、その年号と西暦の組み合わせがWikipedia百度百科と一年ずれていたり。

その辺は深く追求せず、石板のままにしています。

参考としてお読みください。

 

それでは、望楼の後方に続く城壁を見て回りましょう!\(^o^)/

望楼に向かって、反時計回り、「古城路」の側からスタート!☟

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故城遺跡の周囲は、木の柵で囲まれています。

 

「古城路」側、城壁南北の真ん中辺りに来ました。☟

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望楼の後ろ姿がよく見えます。(*^-^*)

ここから少し、遺跡の東西幅が狭まります。

木の柵に沿って、随所に沙州城の関するエピソードの紹介があります。

それらは後でまとめてご紹介します!(^^)/

 

遺跡の南端まで来ました。☟

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南端の柵に沿って東に進むと、「甘粛省級文物保護単位 沙州城遺跡」と記載された案内板がありました。☟

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南端を更に東に進み、東端まで到達。☟

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ここから北上します!

 

遺跡北端まで戻って来ました。☟

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こちら☟は、2000年1月に撮影したものです。

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18年の月日に、「望楼」が風化しているように見えます。

当時は柵で囲われていなかったんでしょうね。

かなり接近して撮影しています。

それに、ゴミが遺跡の足下にもたくさん落ちています。(^^;

 

では、沙州城遺跡の周囲にあったエピソードを一挙にご紹介!\(^o^)/

参考にしてくださいね。

 

【帰義軍節度使の駐屯地】

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唐大中二年(848)、敦煌人である張議潮は沙州の漢人を率い、ソグド人・吐谷渾(とよくこん)人と連合し、強大な反吐蕃同盟軍を結成し、吐蕃の警備軍の将を一挙に駆逐し、沙州を収復した。西暦851年11月、唐は沙州に帰義軍を設置、張議潮は帰義軍節度使、兼十一州営田観察処置使に任ぜられた。敦煌故城は帰義軍節度使の駐屯地である。

 

【マル・コポーロ、沙州体験】

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至元十一年(1274)、マル・コポーロはシルクロードに沿って敦煌に至り、城内全てを遊歴、また当時の敦煌の葬儀等習俗を特に書き残した。『東方見聞録』にその記述がある。

 

【沙州城内呼び売りの詩】

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敦煌文献P.3644には、二編の中国文学史上で最も古い商業宣伝的な「呼び売り文学」、即ち店舗商売の機運に乗じて世に現れた作品が保存されている。

 

西涼儒学の中心】

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西涼の李暠には傑出した才知と計略があり、人物をよく知り、その才能に応じて任用し、優れた才能を持つ者を広く募ったため、李暠の統治期間、西涼国内の文人や名士、例えば天文学者の趙〇(名前の部分、中国のネット上でも空白です)、教育者の劉昞、歴史地理学者の闞駰、経学者の宋繇はみな李暠のもとに身を寄せた。当時、敦煌には群雄が一堂に集い、西涼儒学を伝播する中心となっていた。

 

【沙州という名の由来】 

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前漢武帝の元鼎六年(紀元前111)に敦煌郡を設置。三国・曹魏西晋はそれを踏襲した。東晋前涼時代、敦煌・晋昌・高昌の三郡と西域都護・戌己校尉・玉門大護軍の三営をまとめて沙州が立てられた。東晋隆安四年(400)、李暠が西涼を建国、最初の都を敦煌とした。北魏の初め(439)敦煌鎮が置かれ、紀元526年瓜州を設置、敦煌は地方政府の所在地となった。北周初に沙州を設置、県南部の鳴沙山から名を取り、紀元564年敦煌県を改め鳴沙県とし、敦煌郡に属すこととなった。隋初、郡を廃止し瓜州を設置、大業三年(607)敦煌郡を復活させ、同時に鳴沙県の名称を敦煌県に戻した。

 

【故城の惨禍】 

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西涼建初十三年(417)、李暠が病死、享年67。李暠の次男・李歆が後を継いだが、李歆は功名心にはやる人物で、内部に対しては刑を重くし、大規模な土木工事を行ったため、人々の恨みは膨れ上がった。庶民はやせ衰え、沮渠蒙遜により死に追いやられた。酒泉を失って以降、李歆の弟・李恂が敦煌へ逃れ、城を防守した。そこで「蒙遜は自ら軍を率いて敦煌を攻撃、土手道を造り、水攻めを行った。わずか10日で李恂の武衛である宋承、広武である張弘等が開城し投降したが、李恂は殺され、住民も全て殺戮された」。敦煌は一時、廃墟と化した。

 

【張芝墨池】

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張芝墨池、かつては北水池と呼ばれていた、後漢から北宋時代の敦煌の貯水池である。沙州子城から東北へ一里の位置にある羅城内にあった。後漢献帝の時代、書家がこの池で書を練習したため、池は墨で真っ黒になった。 その書は非常に優れ、天下にその名が広く伝わった。これにより王羲之は『鄱書論』で、「池に臨んで書を学んだため、池水が真っ黒に変色した。その書の素晴らしさは比類なく、私の書はそれに及ばない」と述べている。また、草書は張芝から始まっていることから、当時の人は張芝を「草聖」と称した。

この紹介文、英語訳には「王羲之」が登場していません。

 

以上、沙州故城遺跡周囲に立ててある案内板の内容でした。(*^-^*)

 

次は、下の写真の赤い矢印の場所、足元に嵌め込まれた石板の案内をご紹介します。☟

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前漢:沙州城の創建】

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元鼎六年(前111)、漢武帝は‟武威・酒泉の地に張掖郡・敦煌郡を設置し、民を移住させ、郡の設置を実行した。”《沙州城土境》には、‟沙州城:将軍趙破奴が命令を受け、甘・粛・瓜三州の人民及び兵士を率いて築いたと記載されている。

 

後漢:西域経営の前哨】

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延光元年(122)、張璫は死の危険を冒して上申し、西域を手放してはならない、玉門関・陽関を閉じてはならないと懸命に忠告を行った。漢は西域副校尉を設置し敦煌に常駐させたことにより、敦煌郡城は漢の西域経営において軍政の中心となった。

 

【魏晋:華戎が交わる一大都会①】

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中平元年(184)、黄巾の乱が勃発、「黄河以西は乱れ、隔絶され道が通じなくなった」が、敦煌だけは比較的安定していた。敦煌太守が吾彦・倉慈の期間、自ら農耕を実践し、民衆を説得し生産を行い、胡人の子孫を保護することで、異なる民族が仲睦まじく暮らし、中国と西域の貿易は繁栄し、敦煌地区に「どの家も暮らしが豊かであり、快適で人口が多く物産が豊か」な繁栄をもたらした。歴史上「華戎が交わる一大都会」と称された。

※「華戎」とは「中華」と「中国古代の西方の民族」

 

【魏晋:華戎が交わる一大都会②】

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東晋隆安四年(400)、晋昌太守の唐瑶は文書を発布し、李暠を沙州刺史・涼公に推挙すると六郡に通達した。これが十六国時期の「西涼」である。西涼初期は敦煌城を都城とした。当時の敦煌は「他の郡の規模より大きく、西域を制御し、万里を管轄する」都市であり、「一時期、于闐は玉を贈り、鄯善前部王は使者を派遣し自国の特産品を献上した西涼時代、敦煌城に対し大規模な修理が行われた。靖恭堂・謙得堂・恭徳堂・嘉納堂等の建築を新たに建設、また城内に泮宮(pàn gōng)を設置。泮宮とは「官吏や裕福な家庭の学生」が学習する場所をである。

 

北魏:宗室の統治】 

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太平真君三年(442)、沮渠無諱は北涼の残存勢力を率いて敦煌を離れ、西方にある鄯善の吐谷渾へと逃走、それに伴い敦煌北魏拓跋氏が占有することとなる。北魏は李宝を鎮西大将軍、開府儀同三司、領護西域校尉、沙州牧、敦煌公に封じた。また、李宝の弟・李懐を敦煌太守に封じ、共に敦煌の抑えに当たらせた。北魏孝昌(525~527)期間、敦煌は鎮を廃止し瓜州を置いた。初代刺史は北魏宗室東陽王の元栄。元栄は職位にあった20年間、莫高窟の造営を推進し、敦煌の仏教を迅速に発展させた。

 

【隋唐:繁栄の時代の都市】 

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隋代の敦煌郡は、敦煌・常楽・玉門の三県を統括していた。郡が敦煌故城を治めていた。シルクロードの要衝である敦煌は、この間、その地理的位置の重要性を一層明らかにしていた。裴矩は『西域図記』に「故知伊吾・高昌・鄯善并西域之門戸也、総凑敦煌、是其咽喉之地」と記載している。

唐の開元天宝以前の百年余りの間、敦煌は「村落が連なり、人家が密集し、いたる所に仏塔があり、市場は広く、どの家も暮らしが豊かで、人口が多く物産が豊富」であった。唐代の敦煌城は子城と羅城の二つに分けられる。子城は小城とも呼ばれ、羅城の西南に位置した。官府・衙門・官吏と名門大族の居住地である。羅城は大城とも呼ばれ、商業と主な住民区であり、城内には豆卢軍が駐屯していた。当時、沙州城は長安に次ぐ国際的な大都市となった。

 

西夏元明:日増しに凋落】

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西夏敦煌を統治していた間、地方行政組織は宋と同様に州・県の2ランクに分けられ、敦煌は依然として沙州と称していた。

元太祖二十二年(1227)、敦煌はモンゴルの統治を受けることとなった。至元十七年(1280)、沙州は路に昇格。至元二十九年「沙州・瓜州の民を甘州へ移住させ、詔于甘・粛両界、划地使耕、無力者則給以牛具農田」。この移住により、敦煌は軍の駐屯地区でしかなくなった。

洪武五年(1372)、朱元璋は将軍徐達・馮勝・李文忠を派遣し西へ出兵、沙州は明朝の所有となった。明朝は前後して関外「七衛」を設置した。敦煌領内には罕東と沙州の二衛を設置、その内、永楽二年(1404)に設置された沙州衛の遺構は、敦煌故城にある。正統十一年(1448)沙州衛は住民を塞内(甘州一帯)に移住させたことにより、これにともない廃止された。嘉靖十八年(1539)、明王朝は嘉峪関を封鎖。この時から康熙五十五年(1716)まで、敦煌地区には200年近くに亘り、中原王朝の行政機関は設置されなかった。

 

【清代: 新たな衛城を建設】

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康煕帝の時代、西域経営を開始、嘉峪関外の領土を次第に回復し、雍正元年(1723)、「沙州所を再び設置」、その後三年、「所から衛に昇格」、同年、沙州衛城が党河の氾濫により東の城壁が崩壊したため、「故城の東に衛城を建設、周囲は三分三里、東・西・南の三つの門を設けた」。雍正三年(1725)、現在の党河東岸、即ち現在の敦煌市沙州鎮の所在地に衛城を建築した。乾隆二十五年、沙州衛を敦煌県に改め、安西直隷州に隷属した。

 

当初、土の塊のような遺跡だから、写真を貼るだけで簡単に紹介が終わりそう・・・・・・と安易に考えていました。(^^;

そうしてもよかったのですが、せっかく一枚一枚アップで撮ってきたし、歴史の勉強にもなるからと訳し始めたら・・・・・・、自分で自分の首を絞めてしまったようです。

すごく手間取りました。(T_T)

現代中国語だけでなく、古文が引用されている部分もあって、念のために学校の先に確認していただいたりもしました。

でも、授業の合間の短い休憩時間に教えていただくには限界があったので、中国人の友人にも協力してもらったんです。

でも、先生も友人も歴史の専門家ではないので、すぐには分からない部分もあり、これ以上ご迷惑をかけてはいけないので、そうした部分は原文のまま残しました。

更に、中国語で教えていただいているので、私が理解できていない可能性もあります。

毎度同じ言葉を繰り返しますが、あくまで参考としてご覧くださいネ。<(_ _)>

以上、「沙州故城」のご紹介でした。(*^▽^*)

 

 

18時15分前、ここから歩いて「党河」の方へ向かいました。

18時半、「党河」に架かる「西大橋」を渡るのもこれが最後。

☟「西大橋」から眺める「鳴沙山」もこれが最後・・・・・・。(T_T)

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最後の「鳴沙山」はちょっとぼんやりした姿でした。

 

この後は、「陽関中路」を足元を見ながら東へ移動!(^^)/

なぜかと言いますと、この通り、色んな石板がはめ込まれているんです。

「党河」寄り交差点付近には古代の楽器を描いた石板。

とても可愛らしいタッチで描かれています!

東へ進んで行くと、途中から劇画タッチの風景の石板に変わります。

面白いので、「陽関中路」の片側だけですが、一種類ずつ写してきました。(*^-^*)

 

まずは、楽器から!☟

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☝左:西魏・阮  /  右:唐代・箜篌

 

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☝左:唐代・葫芦琴   /  右:唐代・花辺阮

 

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☝左:唐代・風笛 異型笛  /  右:盛唐・答腊鼓 腰鼓

 

交差点を過ぎると、玉門関より更に西にある「ヤルダン地質公園(雅丹地貌公园)」の風景や、詩とそれに関する風景が刻まれた石板に変わります。

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下を向いて、石板を探しながら進むこと暫し。

「鳴山路」に差し掛かった時、「鳴山路」には古銭の図柄の石板が貼られていたことを思い出し、右折。

延々と写して歩いたのですが、これは最終日、「敦煌博物館」から徒歩で戻って来た時に撮影したものと合わせて、次のブログでご紹介します。(*^-^*)

キョロキョロ周囲を見渡してもよし。

疲れたら、うつむいて歩いていてもOK!

足元にも、楽しめるものがあるのデス!(^^)v

 

こうして色んな通りを下ばかり見て徘徊していたので、夕食がすっかり遅くなってしまいました。

20時前、「敦煌夜市」着。

前日夕食と同じ韓国料理屋で、「キムチチャーハン」を注文。

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前日、他のお客さんが食べているのを見て、無性に食べたくなったんです。(#^.^#)

1食12元。(1元=16円換算で、約200円)。

少なそうに見えますが、お皿が深めで、結構なボリュームでした。

満腹です!(*^-^*)

 

ところで、敦煌の物価が少し気になりました。

この韓国料理屋さんに行く途中に見かけた、西安名物の「肉夹馍(ロウジャーモウ)」と「涼皮」の値段。☟

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「肉夹馍(ロウジャーモウ)」は10元(1元=16円換算で、160円)、「涼皮」が7元(1元=16円換算で、約120円)。

最近、西安旅行が流行りになった影響を受け、値上がりした西安地元の一般的な価格がこちら。☟

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この看板にある『米皮(米粉使用)・面皮(小麦粉使用)』は涼皮の一種です。

上の看板の真中、地元西安の人が「値上がりした~~~!!!」と嘆いている価格が7元。(1元=16円換算で、約120円)、

左はタレが特製だったり、胡麻ダレだったりと、少し高級感があって11元。(1元=16円換算で、約180円)。

看板左の「肉夹馍(ロウジャーモウ)」は脂身が多いもの(普通)で9元(1元=16円換算で、約150元)、赤身のもの(优质)でも12元(1元=16円換算で、約190円)。

 

普通、他所の都市の名物は高値に設定される気がするのですが、敦煌では「涼皮」は西安と同額、「肉夹馍(ロウジャーモウ)」もほぼ同じ。

この日と前日に食べた韓国料(もしくは少数民族朝鮮族料理)も、敦煌地元のものや、西北部他都市の麵料理より安いものが結構ありました。

敦煌の地元名物は軒並み15元以上なんです。

スーパーで売られていた果物やミネラルウォーター等、私の記憶にあるものは西安よりはるかに安いので、物価そのものはそんなに高くないと思うんですが・・・・・・。

名物料理も旅行客の目的の一つだから、高く設定されているんでしょうね。

そう考えると、中国国内で急激に人気がUPして来た西安でも、名物料理は値上がりしてきています。

とはいえ、15元以下で選択できる麺類がまだまだ豊富。

中国西北部一の都市なのに、今のところ、この価格レベルをキープしていることに感謝です!(#^.^#)

 

この後、前日「黄金瓜」と「蟠桃(ばんとう)」を購入した「陽関中路」にある「益旺国際購物広場」へ出かけました。

食事をした「敦煌夜市」とは目と鼻の先なのです。(*^-^*)

この日、購入したのは「西瓜」。🍉

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1キログラム、1.36元!(1元=16円換算で、約22円)

このスイカは2.558キログラム、なので四捨五入して3.5元。(1元=16円換算で、56円)

日本円にしてワンコイン(500円ではなく、100円!)でおつりが来ます!\(^o^)/

これをホテルで借りたナイフで半分に分け、片方はナイフの返還時にフロントにプレゼントしました。

さすがに、食事でお腹いっぱいの所に、西瓜を2キログラム近く食べるなんて不可能です。(笑)

半分でもかなり強烈。(苦笑)

でも、とても甘くて、水分もたっぷりで、止めることができませんでした。(笑)

この日以降、西瓜に憑りつかれてしまい、西安に戻っても、毎日、毎日、西瓜🍉を食べていました。(笑)

西安では、敦煌で購入したものと同等クラスだと、1キログラム10元~12元くらいしました。(☟価格表示は500g単位)

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そこで、私は割安な、巨大な楕円形の西瓜を1/4にカットしたものを購入。

7月は1.58元/500g=3.16元/1キログラム(1元=16円換算で、約51円)で、8月に入ると1.38元/500g=2.76元/1キログラム(1元=16円換算で、約44円)で売っていました。

この夏お世話になった1/4カットの西瓜。

文句なくとても美味しかったのですが、敦煌で食べた西瓜🍉の味は・・・・・・、忘れられません。(笑)

 

ところで、この2.5キログラムする西瓜が3.5元。

前日かった「黄金瓜」が1個、1.312kgで10元。

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とても全部は食べられませんが、食べ切ったとしても13.5元。

ホテル側の果物屋さんで買っていた「フルーツの盛り合わせ」は、この他にオレンジとドラゴンフルーツが少し入っていました。

でも、メインは西瓜とメロン。

それで15元。

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フロントの女の子が「高い」と言っていたのも頷けます。(^^;

 

 

西瓜を食べ終わった頃、既に21時なっていました。

しかし、時は真夏。

日は沈んだばかり!

ということで、敦煌最後の夜、散歩に出かけました!\(^o^)/

以下の写真の位置は、☟の地図の番号に該当します。

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①文昌南路にある、「敦煌風情城」の門。

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②鳴沙山初日、タクシーで戻って来た時に下車した場所。

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「文昌南路」と「西域西路」の交差点。

 

③「西域西路」にあるイスラム寺院の尖塔。(左側)

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ホテル玄関から見えている尖塔です。

 

④ ③の位置から通りの向かいを西向きに撮影。

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イスラム寺院の尖塔の一つをアップ。

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イスラム寺院の正面玄関が見えて来ました。

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イスラム寺院を過ぎると、「敦煌夜市」の入り口に差し掛かります。

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ここは大きな門がある⑨の手前にある路地です。

 

⑧ ⑦の路地の様子。

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⑨頻繁に登場している歩行者天国の南端の門。

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この日も賑わっていました。

 

⑩ ⑨の前から、「7天ホテル」方向。

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ボケて見難いですが、中央右寄りの黄色い看板が「7天ホテル」。

 

 ⑪この旅最後の「反弾琵琶伎楽天像」。

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⑫ 地図で薄紫色に塗った歩行者天国の、「陽関中路」寄りにある果物やドライフルーツを売り場まで続く市場の「沙州南路」側。

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ここをまっすぐ進むと、歩行者天国に出ます。

 

⑬ ⑫を通り抜けて、歩行者天国に出てすぐの辺り。

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⑭この日は唐代の衣装を身に付けた女性が歩いていました。

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歩行者天国を南に進んで、民芸品売り場から、食事エリアまでやって来ました。

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この先、写真の中央奥に、ちらっと⑨の門が見えています。

ここからUターンして、「陽関中路」側にある「敦煌夜市」へ!

 

⑯ 22時半、「敦煌夜市」へ到着。

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この日はやはり天気が不安定で、この時間、小雨が降り出しました。

市場の従業員さんが、露天部分に手慣れた様子でテントを設営中。

 

ここへ来たのは、駱駝のぬいぐるみ☟を買うかどうか悩んでいたからデス。

☟駱駝のぬいぐるみ、この「敦煌夜市」の入り口建物の中で売られています。

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7月7日の夜も、悩んだあげく、結局買わずじまいでした。

そしてこの夜も、雨にせかされ決断しきれず、買わずにホテルへ戻ってしまい・・・・・・。

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翌日の最終日、バタバタすることになるのです。(苦笑) 

 

以上、7月9日でした。(*^-^*)

 

今回も長くなってしまいました。

 

ここまで読み続けて下さって、本当にありがとうございます。

 

この後は、西安での近況です。

宜しければ、引き続きご覧ください。(*^^*)

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

ここからはオマケの、2018年10月の様子です。\(^o^)/

 

 

10月13日(土曜日)は、 西北工業大学の創立80周年記念日でした。

校内のいたる所に飾り付けが!

「I💛NPU」の前で、キルギスからのクラスメイト2人と一緒に記念撮影。(*^-^*)☟

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☟は、13日~15日まで学食で使用できる食券と食券と引き換えの食事、記念品のキーホルダー。

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食券、留学生は全員、最終期限の15日当日にもらったため、食堂は大混雑!

並ぶのが遅く、10元(1元=16円換算で、160円)分なら鶏のドラムとか、豚カツとかのお肉がつくはずなのに、すでに売り切れ。(T_T)

7元~8元程度のおかず内容になってしまいました。

キーホルダーは数字の「80」をもとにデザインされています。

旗にも、看板にも、食券にも、いたる所に使用されています。

このデザイン、私はけっこう好きなんです。(*^▽^*)

 

10月、延安大学の「対外中国語学科」の学生さんが実習にやって来ました。

彼女たちが、10月半ばから半月、火曜~木曜の18時半~20時半、文化クラスを担当するこになりました。

授業の内容は、「切絵」・「中国絵画」・「中国結び」・「歌唱」の四種類。

私はその内の「切絵」・「中国絵画」・「中国結び」に出席しました。

 

「切絵」の授業の様子。☟

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切っている間は特に何も感じなかったのですが、切り終えて広げた瞬間!

「面白い!!」と思ってしまいまいした。(笑)

今は、クラスの掲示板に貼ってあります。\(^o^)/

 

☟は、墨で竹を描く練習をした後、絵の具も使っ簡単な絵を描きました。f:id:shanshanduohuizi:20181031180721j:plain

梅の花、簡単に見えたのに、まったく見本のようには描けません。(T_T)

 

「中国結び」、眼は疲れましたが、楽しかったです。(*^-^*)☟

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10月21日(日曜日)、インタビューを受ける様子を撮影したいと言われ、協力!

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「喜马拉雅FM」(ヒマラヤFM)FMという、スマホのアプリがあります。

西安に本社があって、観光地に貼ってあるポスターのQRコードを読み込むと、無料で観光地の案内を聞くことができたり、アプリの中にある色んな物語やレッスン(有料・無料両方あり)を聞くアプリです。

かつて大唐西市博物館でボランティア解説員をしていた女の子が、大学卒業後、この会社に入社。

「外国人も使用しているという様子を、社内に伝えるための動画を撮りたい!」

それが、大唐西市博物館の正規解説員さん経由で、私に回って来たんです。

本当に短い会話だけだったのでOKし、クラスメイトと一緒に出掛けました。

待ち時間、回民街で「灌湯包子(牛肉・羊肉・鶏肉)」と「八宝粥」をご馳走に!

更に、漢民族のものとは違う、回民の「涼皮」や「肉夹馍」も!!(*^-^*)

天気はイマイチでしたが、とても楽しかったです。

 

10月26日(金曜日)は、学校の「秋のバス旅行」でした。

行き先は、西安市内から南へ高速利用で3時間ほど行った場所にある「塔雲山」。

紅葉、ちょうど見ごろでした。☟

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一人旅ではないので、景色以外に、人物写真もたくさん!!☟

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先生やクラスメイトと一緒だったおかげで、私も珍しく「直立不動」やら「ピース」以外のポーズがあります。(笑)

 

大唐西市博物館では、暫くの間、宇宙開発に関する展覧会を行っていました。☟

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上の写真は10月27日(土曜日)のもの。

ターゲットは子供たち!

博物館前の設置されたテント(赤い看板の後ろ)には、宇宙に関する何かを体験できるコーナーがありました。

「何か」と言うしかないのは、私は入らなかったから。

子供たちに遠慮したのではなく、博物館に隣接している芸術品センターを見学していたら時間切れになったんです。

 

同時期、芸術品センターでは、「タンカ・貝葉経(ばいようきょう)・舎利展」が開催されていました。☟

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センター内で、「タンカ」を描かれている絵師がいらっしゃいました。

f:id:shanshanduohuizi:20181031180944j:plain側で見ていると、細い筆の先で「細かな点」を重ねるように、画布に色を載せていらっしゃいました。

そのスピードで、このサイズのものを仕上げるのに、どれだけかかるんだろう?と眩暈がしました。

右の写真の奥に掛かっているようなビッグサイズもあるわけで、よほど根気強い人物でなければ完成させることなんてできませんね。(^^;

 

舎利の中には、日本からのものもありました。

☟は「道元和尚、(1200~1253年)、日本仏教曹洞宗創始者」と紹介されています。

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紹介文に、写真のように見える人物画があります。

他の方のものはイラストだったので、これはすごく写実的な肖像画か、現代の僧侶の写真を拝借?してあるのかも?

 

☟は、現在の西北工業大学内の紅葉です。

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最近、毎日天気が良くて、ついつい校内を徘徊し、あちこちで写真を撮っています。(#^.^#)

 

そして、ラスト!

☟は、「敦煌博物館」のチケット交付を担当されている方が、10月14日、モーメンツにアップされていた「敦煌西湖胡楊」の紅葉です。

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快く「どれでも自由に使って!」と許可をいただきました。

この季節にも・・・・・・、敦煌に行きたかった!!!

 

今回は、これで終わりです!(*^-^*)

お知らせ:11/1(追加)

2018年11月2日(金曜日)。

こんにちは!(*^_^*)
前回、まったくネットを開くことができなくなりそうになり、慌ててお知らせをしてから10日ほど経ちました。
現在、状況はかなり改善されています。

依然としてVPNは必要です。
でも、ちゃんとブログの「記事を書く」も開くことができるようになりました。
たまに不安定になり、4時間かけて書いたものが、保存できずに消えた時には泣きそうになりましたけど。(T_T)

さらに、WeChatという中国版LINE上から、私のブログアドレスを直接開くことはできなくなっていました。
それが、理由は分かりませんが、いつの間にか、開けるように復活していたんです!\(^o^)/

こんなわけで、原因が分からず規制されたり、解除されたりするようです。
次回、規制が厳しくなった場合には、慌てることなく暫く様子を見ようと思います。

これからも、このブログを続けられること、とても喜んでいます!(*^-^*)
拙いものですが、これからも引き続きよろしくお願いいたします。



💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛


2018年10月22日、(月曜日)です。

今朝の西安の気温は8度。
私の記憶ではこの秋一番の冷え込みでした。

実は、私の心も冷え込んでいます。
昨年8月末から書いてきたこのブログ、中国国内で完全に閲覧できない状態になったみたいなんです。

Internet ExplorerやEdgeで開こうとしても、「ページが存在しない」と表示されてしまいます。
VPNを使っていてもこうなります。

今はスマホから記入しています。
スマホでいつも記事を書いているページを開こうとしたら、「危険…」なんとかと表示が!
ただ、スマホには「信頼できるサイトであれば、『信頼する』」を選択してください」という選択肢が残されていたので、今、何とかこの「お知らせ」を書いています。

これまではWechatで知り合いにアドレスを紹介した際、Wechat上から直接開くことが出来ないだけでした。
でも、今日突然、ネット上で単に見ることも、記事書くページを開くことも出来なくなってしまい、このままだとスマホでも扱えなくなるかも……。
そうなる前に、ひと言、状況をお知らせしておきたかったんです。

夏の旅行ブログ、あと2日だけ、しかも最終日前日は半分以上出来てるんです。
それだけに、とても残念です。


今後、他のアカウントを取得するなど対応策を考えます。
また書くことができる状態になった暁には、どうぞよろしくお願い致します。(*^_^*)

追伸:
スマホで書ける間は、時間はかかるかもしれませんが、夏の旅行の続きを書いていきます!

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月8日(日)_ 敦煌4日目_敦煌博物館2日目(宋代~清代他)・白馬塔他

2018年7月8日(日曜日)、敦煌は快晴でした!!

 

出発前、ホテル出口で写した空の青さ!!!\(^o^)/ 

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12時40分。

真昼の気温は30度、湿度24%で爽やか!

行動開始は・・・・・・、いつも通り遅いです。(^^;

これこそ、一人旅の自由さというもの!(笑)

 

この日は、最初のホテル予約時のチェックアウト日。

フロントで継続宿泊の手続きをしました。

この件、前日、フロントに話を通しておきました。

その時、予約内容を確認されて分かったこと・・・・・・。

再予約した部屋のグレード、最初の部屋とは違っていたんだそうです。

ネットで見た時、確かにちょっと安かった。(笑)

どう違うかというと・・・・・・・。

最初に予約した部屋は、通りに面した本物の窓があります。

再予約した部屋には、外が見えない、形だけの窓。

私は単に予約時期の違いで、値段差が発生していると思っていたんです。(^^;

それなら、部屋を移動しなきゃな~と思っていたら、フロントの女の子から、

「お客様が観光から戻って来られるまでに、明日からも同じ部屋を使えるかどうか、上司に相談しておきます」

とのありがたい申し出が!

結果、本日からも同じ部屋を、継続使用させていただけることになりました!\(^o^)/

荷物は毎朝トランクに全部収納しているので、移動するのに不便はありません。

でも、青空の見える部屋と言うのは気持ちいいものデス。

特に今、西安で住んでいる部屋の視界が悪いので、この敦煌のホテルにチェックインして以来、とても気分が良いい~~~!(笑)

更にエアコンを使用せず、網戸にして寝られるのも大きなポイント!!

ホテル側のご配慮に大感謝です!!(*^-^*)

なので、この日はディポジット清算と再支払いの手続きのみで済みました。

※シーズン前の空いている時期だったからこその計らいだと思います。

 

では、出発します!(*^-^*)

再再再(?)登場の地図、ご参照ください。☟

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☟、ホテル出入り口から西(上の地図で左)、歩行者天国(上の地図の紫の通り)方向の景色。

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頭上にある駱駝のイルミネーション、ライトアップされていなくても、青空をバックにとっても綺麗!

 

昼下がり、休息中の歩行者天国

商品は撤収され、旅行客の姿もナシ。☟

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本当に綺麗な青空~~~!!!

 

遅い昼食を取ろうと、歩行者天国を北(地図上)に進んで「陽関中路」までやって来ました。☟

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ホテルフロントの女の子から教えてもらった「陽関中路」にある「益旺国際購物広場」というショッピングセンターが目的地。☝

これまで、私は毎日ホテル近所のフルーツ屋さんで、フルーツ盛り合わせを買って食べていました。

それを見たフロントの女の子からのアドバイス。☟

『フルーツ盛り合わせ15元(1元=16円換算で240円)は高いです。市場ではボラれるかもしれないので、益旺国際購物広場の地下にあるスーパーで買ったらいいですよ。価格は市場と大差ないし。私たちもそこで買います!』

ナイフはホテルが貸してくれると言うので、この日は自力で果物を調達することにしたんです。

 

地下スーパーはこんな感じでした。☟

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☝の右下は出口です。

入り口はこの写真の手前にありました。

とても広いスーパーで、暫く中を歩いてやっと果物コーナーに到着!

「さあ、メロン、メロン!」といざ買おうとすると・・・・・・。

メロンが何種類も~~~!!

どれを買ったらいいのか、私には見当が付きません!!!(^^;

メロン売り場の周りを暫くウロウロして、決断!

ここの果物はグラム売り。

重量を測る係りの人がいます。

その人に訊いてみよう!!!(^_^)/

重さを量るお客さんの列がなくなるのを見計らって、声を掛けました。

係りの女性は「買い物経験豊かなお母さん」と言う雰囲気の方。

まず、私が好きなメロンは柔らかいタイプか、それともサクサクしたタイプかを確認。

そして自らメロンが並んでいる前まで行って手に取り、外観・重さをチェックして、良さそうなのを選んでくださいました。

そのメロンが、これ「黄金瓜」☟。

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1個、1.312kg、10元(1元=16円換算で、160円)。

夜、ホテルに戻ってから食べましたが、柔らかくて甘くて、本当に美味しかったデス。

お腹が少々苦しかったですが、一人で一気に全部食べ切りました。(笑)

美味しいメロンを選んでいただいて、ありがとうございました!(*^-^*)

 

余談ですが、私は3回、フルーツ盛り合わせを食べました。

その3回目。

「うん?メロンがこれまでと違う!硬い(サクサク)!」

私はそれまで2回で食べていた、柔らかい食感のメロンがすごく好きだったんです。

この日、メロンを選んでくださった係り員さんのおかげで、盛り合わせのメロンが何故美味しくなくなったのか(サクサクになったのか)、理由が分かりました。

メロンの種類が変わっていたんですね。(笑)

 

この時、蟠桃(ばんとう)も一緒に買いました。☟

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ちょっと上から押しつぶされたような、へらべったい感じの桃です。

2個で0.414kg、6.5元(1元=16円換算で、約105円)。

これも甘くておいしかったです!(*^▽^*)

 

この後、昼食を取るべくショッピングセンター内のレストラン街へ!

でも、4階にあったレストラン街、時間が遅かったせいか人が少なく、店内に足を踏み入れにくく、ぐる~っと一回りしただけで、撤収!(笑)

結局、向かいにある「敦煌夜市」へ!☟

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当然、ここにもあまり人はいませんでした。(笑)

 

私は西安の「涼皮(リャンピー)」が好きです。

この「敦煌夜市」の中を歩くたびに、それによく似た敦煌の「酿皮(釀皮)ニャンピー」が気になっていました。

そこで、この日の昼は「ニャンピー」に決定!!☟

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☝私が食事したお店です。

このお店、☝右側の写真のように、他の日の夜に撮影した写真にも写っています。

これ以外にも、このお店が入り込んでる写真がブログに載ってます。(笑)

その都度、☟のようなカラフルな「ニャンピー」を目撃していたんです。

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一般的な白色の他に、緑・紫(ナイロンが掛けてあって良く見えません)・茶色があります。

当時の記憶が確かならば、緑はホウレンソウ、紫は紫キャベツ、茶色は蕎麦だったような???

既に用意してあるニャンピーに、具と調味料を合わせるだけ。

13時25分、料理はすぐにやって来ました。☟

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アップです!☟

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この一皿、10元です。(1元=16円換算で、160円)

一番上にのっている調味料が見えるでしょうか?

これを混ぜて食べるのですが、お皿いっぱいにニャンピーが入っているため、こぼさずに混ぜるのは非常に難しい!(笑)

なんとか溢れ返さず混ぜ終え、一口!

美味しい~~~!!!

味は、西安の「リャンピー」によく似ています。

それもそのはずで、「百度百科」の紹介では「ニャンピー」と「リャンピー」は同種の食べ物で、各地方の方言の関係で異なる呼び名になったとありました。(笑)

 

さてさて、購入した果物を持って回るのは不便なので、一度ホテルへ戻りました。

こんな時、「緑洲島酒店」のロケーションは最高です!\(^o^)/

 

そして、再出発!☟

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地図上で「緑洲島酒店」から西(左)へ、紫色の歩行者天国を通過して更に真っ直ぐ歩き、15時少し過ぎ、「沙州南路」へ到着したところです。

背景がないので、どこで撮影したかなんて、関係ない?(笑)

この日も、完全フル装備。(#^.^#)

 

この後の予定は「敦煌博物館」。

この場所からなら、進行方向にあたるバス停「中医院」に向かうのがベスト。

でも、「中医院」とは逆方向に当たる「沙州南路」ロータリーにある「反弾琵琶伎楽天像」が見たい!☟

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敦煌初日(7月5日)の記事で、曇り空をバックの伎楽天像写真を掲載しました。

その時、「青空バックの写真を再掲する!」と誓ったのです!!(笑)

この日ほど、撮影に適した日はありませんでした。

 

アップもどうぞ!☟

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「反弾琵琶伎楽天像」を撮影していると、散水車がやって来ました。☟

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普段は飛びのいて水飛沫を避けるのですが、この時は吹き出す水を撮りたくてシャッターを押しまくり。(笑)

散水車の白色と吹き出す水の白さが、青と緑を背景に映えるな~。

 

この後、「陽関中路」を東に進み、バス停「沙州市場」へ。

☟は、バス停に到着前、上の地図に赤字で「安旗」と書いてある辺りの手前から、紫色の歩行者天国入り口方向を撮影したものです。

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15時15分、バス停「沙州市場」に到着です。(*^-^*)☟

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この日も③の路線バスに乗って移動します。

「沙州市場」から「博物館」まで1元でした。(1元=16換算、16円)

 

15時半前、「敦煌博物館」に到着!(*^▽^*)

前日の記事で建物正面写真は掲載したので、今回はチケットセンターと入り口の遠景を。☟

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左側がチケットセンター、右側が入り口です。

 

前回の記事で添付し忘れた「敦煌博物館」のチケット。☟(^^;

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チケットの裏に、開放時間の案内があります。

前回も記載しましたが、再掲しておきますネ。(*^-^*)

5月1日~9月30日:午前9時~午後18時半(入館は17時半まで)

10月1日~翌年4月30日:午前9時~午後18時(入館は17時まで)

毎週月曜日は休館。(国家法定祝祭日に当たる場合は除く)

 

この日、博物館に入ると・・・・・・。

1階ホールに大勢の学生さんが!☟

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せっかくなので、前日見学した第一・第二・第三展示室にも立ち寄ったのですが・・・・・・。

どこも学生さんたちでいっぱい!

気になったので、ウォーターサーバーが置いてある場所にいた学生さんに話しかけてみました。

どこから来たのかは聞きそびれましたが、この日見学に来ていたのは高校1年生、合計240人とのことでした。

前日に来ておいて良かった~。(笑)

 

では、見学を始めます!\(^o^)/

【第四展示室:吐蕃と五代及び宋・元・明代】

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☝の第四展示室の写真は、前日撮影したものです。(笑)

  

まずはこの☟パネルから。
【沙州回鶻(かいこつ)、西夏による敦煌の統治】

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おそらく上の写真左側の壁にあったと思います。(^^;

ちょっと見辛いですが、☝の日本語部分をお読みください。m(__)m

そして、このパネルの後に続いていたのが、こちらのコーナーのはず。☟(^^;

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☟、左端のパネルから見ていきましょう!(*^-^*)

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このパネルの日本語は、比較的見やすいですよね?(笑)

しか~~し!!!

なぜか中国語文と日本語・英語の訳が微妙に違っています。

日本語文は英語文を訳してあるようです。

韓国語は読めませんが、年代の数字から判断すると、韓国語も英語からのよう。

全部「よう(です)」表記になるのは、英語力に自信がないから・・・・・・。(^^;

中国語を直訳すると、以下のようになります。

吐蕃と五代帰義軍】

紀元6世紀末から7世紀初めにかけ、吐蕃は首領の松賛干布(ソンツェン・ガンポ)の指導の下、チベット高原を統一、強大な奴隷制国家を樹立した。

玄宗の天宝十四年(755年)、安史の乱が勃発後、吐蕃は機に乗じ大規模な略奪戦争を仕掛け、河西・隴右(甘粛省の隴山以西、黄河以東)地区全体を占領し、60年余りに及ぶ敦煌に対する統治を開始した。

外国語への翻訳に当たっては、「奴隷」や「略奪」と言う表現に配慮したのでしょうか?

 

☟、莫高窟112窟壁画 伎楽図の反弾琵琶図」

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これが、市内のロータリーにある像のモデルです!\(^o^)/

 

「楡林窟25窟 吐蕃婚礼図」

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このコーナー左端の展示品です。☟ 

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「複製品 」と書かれていないということは、本物?

 

このコーナーの壁中央に掲示されているパネルです。☟

【西域のパイオニアーー張議潮】

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日本語がないので、訳してみます。☟

会昌二年(842年)、吐蕃王国で内乱が発生し、その勢力は大幅に衰え、河西における統治にも動揺が走り始めた。

大中二年(848年)、沙州の大族である張議潮はこの機に乗じ各族を率いて立ち上がり、吐蕃の統治者を追いやって沙州と瓜州を占拠、使者を派遣し唐王朝に投降した。

複雑で厳しい形勢に直面し、張議潮及び後継者である張淮深はまず要人を派遣し入朝させ、貢物を贈り続けることにより唐王朝の承認と信用を得ることに全力を挙げた。

同時に、管轄区内に唐制度を全面的に復活させ、部落制を廃止、県郷里制を立て直した。また、人口・土地を新たに登記、唐の制度に基づき新たな戸籍を編成し、新しい賦税制度を制定した。更に、唐朝の服装を復活させ、漢化を推進した。

これらにより、敦煌を「内地と同等の人格と才気」が溢れる都市に変貌させた。

 

龍鳳紋磚】☟ 

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左:龍紋磚 右:鳳紋磚 

三危山老君堂にて収集、五代。

敦煌博物館」WeChatの公式アカウントでは、「龍鳳紋磚」と二つまとめて紹介されています。

「三危山老君堂付近の廟の基礎と慈氏塔の中から出土し、龍鳳磚は装飾として向かい合わせの状態で壁の下部に嵌め込まれ、全体的に青灰色を呈している」とありました。

その後は専門用語に躓いて・・・・・・、ギブアップ。m(__)m

 

 ☟は莫高窟から出土した磚です。

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ここからは、宋と西夏関連です。(*^-^*)

【宋代の沙州「画行」】

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この☝パネルで、「画行」とは何かが説明されています。

沙州の手工業と商業における「行」の設置については、史料の記載によると盛唐時代まで遡ることができる。そして手工業の一種である沙州「画行」に関しては、五代の帰義軍曹氏の時代に記載がある。

沙州画行は沙州地区の民間における大量の仏画肖像画制作の担い手であり、敦煌絵画業界の組織として、その内部には師匠・職人・弟子等の異なる立場の人員がいた。その内の「画行都料」とは、画行内で高い技巧を有する師匠のことを指す。

敦煌文献「董保徳功徳頌」では、『故得丹青巧妙,粉墨稀奇,手迹及于僧鹞,笔势邻于曹氏。画蝇如活。佛铺妙越于前贤;貌影如生,圣绘雅超于后哲』と述べられている。この記載は、曹氏帰義軍時代、敦煌絵画界の絵画の名手が往々にして「手跡が僧鷂と互角である」と自称したことを示しており、敦煌画派は張家祥の継承者であり、改良者であると思われる。

「『帰義軍』って何?」と思われたら、以下のWikipediaをご参照ください。

「曹氏」についても記載されています。(*^-^*)

帰義軍 - Wikipedia

 

☟。「銅馬飾り」が型抜クッキーみたいに見え、思わず撮影してしまいました。(#^.^#)

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地が小さすぎ、出土場所が読めないような気がするので、書いておきますネ!

左 端:「状元及第」銅鏡 北宋 収集物

中央左:銅馬飾り 西夏 1975年姚家溝墓葬から出土

中央右:銅泡 西夏 1975年姚家溝墓葬から出土

右 端:銅片 西夏 1975年姚家溝墓葬から出土

「状元及第」銅鏡の上に置いてある「小さな丸いもの」は何???

説明は見当たりませんでした。

 

こちら☟は写真をご覧くださいネ。(*^▽^*)

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第四展示室の紹介の冒頭で乗せた展示室内の様子とは全然違うでしょう?

 

この☟写真は、7月8日当日に撮影したものです。 

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見学者、おおいですよね。

上述の北宋西夏の出土品は、この上のパネルの向かいにある柱の一面に展示してあったんじゃないかと思います。

もう、記憶があやふやです。(T_T)

 

 

引き続きまして、元と明のコーナーをご紹介します。\(^o^)/

【元・明時代の敦煌

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☝の日本語をご覧ください。m(__)m

 

☟は元のコーナーです。

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左上の方に見える人物像は「マルコポーロ」。

中国語で書くと「馬可・波羅」となります。

昔、むか~し、NHKの「アニメーション紀行 マルコポーロの冒険」が大好きでした。

それで、今回、Wikipediaで「マルコ・ポーロ」を検索して流し読みしていると、以下のような説明が!

17年間中国に滞在したマルコら一行は元の政治腐敗を危惧し、中国を去りたいという申し出をしたがクビライは認めなかった。 しかし彼らは、もしクビライが亡くなれば重用された自分たちは政敵に狙われ無事にヨーロッパに戻れなくなるのでは、と危惧していた。1292年、イル・ハン国のアルグン・ハンの妃に内定したコカチンを迎えに来た使節団が、ハイドゥの乱のために陸路を取れず南海航路で帰国することになった際、航路に詳しいマルコらに同行を求めた。この許可を得た一行は同年に泉州市から14隻のジャンク船団を組んで南へ出航した。(Wikipediaより)

こんなところで、「ハイドゥの乱」を見かけるなんて!

この夏の旅行紀をブログにする際、トルファン3日目の記事を書くにあたって調べた歴史の事件、中央アジアでの出来事が、マルコ・ポーロの帰国に間接的に関わっていたなんて、驚きです!

今でも政情不安で「渡航中止勧告」や「退避勧告」の出ている国・地域がありますが、元代のユーラシア大陸(=陸路)は相当危険だったんでしょうね。

余談ですが、マルコ・ポーロはイタリア語の他に、フランス語、トルコ語モンゴル語、中国語の4言語を話せたそうで、羨ましい~~~。

 

以下、参照したWikipediaのURLです。

マルコ・ポーロ - Wikipedia

☟は、関連記事のある私のブログです。

目次がないので該当箇所を探しにくいと思いますが、よろしければご覧ください。(^^)/

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月4日(水):トルファン3日目_トルファン博物館(古銭)・地下ショッピング街・トルファン駅 - せいあん!

 

では、元代の展示を見ていきます!(*^-^*) ☟

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展示物をご覧ください。☟ f:id:shanshanduohuizi:20180930164249j:plain

敦煌博物館」WeChat公式アカウントによれば、「善業泥」は「擦擦(cā cā/ツァツァ)」とも呼ばれ、よく捏ねた粘土を、事前に彫刻しておいた木型、或いは銅型の上に押しつけ刻印、型から外して作製するそうです。

ものによっては丈夫にするために陶器にしたり、見た目をよくするために色を施したり金メッキするものもありました。

チベット仏教では、「擦擦」を作ることにより五戒十善等の善行及び功徳を積むことができるとみなしたそうです。(一部抜粋)

 

『古代チベット語「六字真言」石経板』☟ 

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敦煌博物館」WeChat公式アカウントの説明(一部抜粋):

六字真言、即ち六字陀羅尼、または六字大明呪とも呼ばれ、「唵(ōng)嘛(ma)呢(nī)叭(bēi)咪(mēi)吽( hōng)(オーン・マニ・パドメー・フーン )」を指す。仏教秘密蓮華部の根本となる真言である。

敦煌領内で石経板が発見されたことは、チベット仏教がかつて敦煌地区に伝来し、敦煌を通じて西域天山一帯に伝播、或いは新疆天山一帯を経由し敦煌へ広まり、相互に浸透したことを説明している。一方で、元政府はかつて敦煌の馬迷兎一帯に重要な宿場を設置しており、往来する僧侶や俗人は六字真言石経板をひれ伏して拝むべき神聖なものとし、巡礼したことを物語っている。

(参考:Wikipedia

六字大明呪 - Wikipedia

こちら☟は、収集された『「六字真言」石経板』。

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こちら☟は、梵字の文物です。

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以下、元代の仏像です。

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☟、明代の展示コーナーです!(*^-^*)

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まずはパネルから!☟\(^o^)/

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嘉靖18年は1539年です。

日本で言うなら『1541年、武田晴信(後の武田信玄)が信濃侵攻を開始』。

そこから200年というと、『八代将軍(1716年~1745年)徳川吉宗』の時代まで。

この間、敦煌は明・清の管理を受けなかったということ。

なら、「敦煌に住んでいた人々はどうしていたんだろう?」と疑問が・・・・・・。

百度百科」では以下のように記されていました。

『嘉靖三年(1524年),明王朝下令闭锁嘉峪关,将关西平民迁徙关内,废弃了瓜、沙二州』

【参考日本語訳】

『嘉靖三年(1524年)、明王朝は嘉峪関の閉鎖を命じ、嘉峪関以西の平民を嘉峪関以東へ移転させ、瓜・沙二州を廃止した。』

※パネルでは「再び封鎖」となっているので、「百度百科」と年代が異なっているのだと思います。

海上シルクロード」に主役の座を奪われてしまった「オアシスのシルクロード」。

重要性が失われていく「オアシスのシルクロード」の中でさ、ルートから外れてしまった敦煌

ついに放棄される時、住民は強制的に嘉峪関以東の内地に移住!

管理しない辺境の地に住民を放置しなかったということで、「明政府、Good job!」と言うべき???

見捨てられた敦煌は、全くの無人だったかどうかは分かりませんが、廃墟と化したんでしょうね。

(参考)

敦煌市 - Wikipedia

敦煌(甘肃省酒泉市代管县级市)_百度百科

 

200年後、統治再開の様子については、この後ご紹介する「第五展示室:清代における敦煌の開発」をご覧ください!(*^-^*)

 

 

では、明代のコーナーの展示物をご紹介します!(*^-^*)

この「磁器の雄鶏」、覚えておいてくださいネ。☟ f:id:shanshanduohuizi:20180930165403j:plain

なぜなら、清代の展示物にも似たような鶏がいるんです。(*^▽^*)

 

次は、展示室中央に設置されているガラスケース内の銅製品展示物をいくつかご紹介します。☟

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明代の展示コーナは・・・・・・、なんと、たったこれだけです。m(__)m

そして、第四展示室も終了。

 

 

次は「第五展示室:清代における敦煌の開発」へ移動します!\(^o^)/☟

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さて、明代に見捨てられた敦煌、どう復活するのでしょうか???

 

☟は、展示室入り口にあった、敦煌に設置された「沙州衛城」の模型です。

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こんなに立派な城に復活できたんだ・・・・・・、おめでとう!\(~o~)/

この後のパネルで説明がありますが、正方形の城郭の周囲に増築された様子が伺えます。

 

では、最初のコーナーをご覧ください。☟

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以下の部分、よろしければ参考にしてください。(*^-^*)

1行目から2行目にかけて:

原文『移民とともに、党水に襲われ、沙州の古城は数ケ所取り壊され、』

修正『移民による屯田を開始したが、同時期に党河の洪水によりかつての沙州古城はその多くが破壊されたため、』

3行目後半:

原文『商業的な収益』

修正『商業の繁栄発展』

どうも・・・・・・、気になりまして。(^^;

 

一つ前の記事で、漢代の炭化した「キビ・アワ・大麦」の種子をご紹介しました。

その際、敦煌博物館」WeChat公式アカウントに内容から、『出土品と漢簡の記載から、漢代、敦煌は重要な穀物の産地、しかも多種の穀物を産出する産地であったことが分かる』ともご紹介しています。

これは漢代のことですが、明代に放棄されてから200年、かつての緑豊かなオアシスは消滅したに違いありません。

それを一からやり直すのはどれだけ大変か・・・・・・。

そんなことを気にしていたら、「百度百科」にこのような記載があったんです。

『雍正末,沙州已有耕地10万余亩,引党河水分10渠灌溉,农业得到很快的恢复和发展形成河西走廊西部的戈壁绿洲』

【参考日本語訳】

『雍正末、沙州には既に10万ムー余りの耕地があった。党河の水を十本の水路で引き込み灌漑することで、農業は素早く回復・発展し、河西回廊西部・ゴビ砂漠のオアシスを形成した』

農地、復活できたんですね~~~、良かった~~~!!!

ネット上の自動換換算システムによれば、10万ムーは、

6666.6666667ヘクタール/66.6666667平方キロメートル

だそうです。

 

 それでは、展示物を見ていきましょう!\(^o^)/

 【玉製関羽像】

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☝、日本語の説明が中国語のまま記載されているので、便宜上「玉製関羽像」としました。(^^;

敦煌博物館」WeChat公式アカウントには、以下のような説明がありました。

この関羽像は、寿山石を一つ丸ごと用いて彫刻されている。関羽は腰掛け、片手で長い髭をなで、もう一方の手には≪春秋≫を持っている。彫刻を行った工匠は寿山石の赤色部分を巧みに利用して関羽の赤い顔を彫り出すことにより、彫像に明るく正しい気風と男らしい威厳を持たせている。(一部抜粋)

 

このコーナー、中央部分の展示品。☟

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その中で、上段右端をアップ。☟

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公式アカウントに紹介があるわけではありません。

昔、こういうものを見るのが好きだったんです。(笑)

 

コーナー右側はこんな感じ。☟

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壁を直角に曲がりました。☟

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上の写真の右隣り。☟

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ここに、鶏がいます!!!☝

 

鶏をアップ!☟

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明代の鶏さんに、再登場願いましょう!☟

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色が違うし、尾の形も違います。

でも、二羽の鶏が同じよう位置に並んで、同じように首をかしげているんです。

写真を撮ってからかなり時間が経過しているので、今回写真を整理するに当たり、単独で見ると、初めの内は見間って混乱することしばしば。(^^;

この二羽の鶏の構図、長期に亘って流行って いたんでしょうか?

 

さらに、壁を直角に曲がります。☟

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上の写真の右端の像を撮影していたので、ご覧ください。☟

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「鎏金」とは「金メッキ」のことです。

 

こちら☟のコーナー、公式アカウントで紹介されているものが二つあります。(*^-^*)

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どれと、どれでしょう???(笑)

 

その前に、パネルをご覧くださいね。☟

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日本語がないので、参考に訳してみます!

【富んで義侠心溢れる庶民の徳ーー清代敦煌商人の敦煌への貢献】

清代の敦煌は明代の廃墟の上に構築された移民都市である。政府は移民の駐屯による開拓・水利施設等の建設を通じ、敦煌地区の封建社会最後となる復活と発展を促進した。

一方、社会的な生産の回復と発展は、商業経済の発展を促した。

同時に、商業経済が相当な発展を遂げた後、商人たちもまた意識的・無意識的に様々な形で社会の恩に報い、敦煌地区の公共事業の発展に多大な貢献を行った。

《重修敦煌県志》碑には、当時の敦煌商人の富んでなお義侠心に溢れる気前のよい行いが記載されている。

※「重修」とは「再建」を意味します。

 

では、このコーナーで公式アカウントに紹介されているものをご紹介します!(*^-^*)

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☝の①②です。

実は、どちらも写真を撮っていませんでした・・・・・・。(^^;

①木製花窓(木花窗):清代 敦煌市西雲観出土(年代記載なし)

②魁星磚(魁星砖):清代 1995年、敦煌市飛機場墓群出土(民間より収集)

 

敦煌博物館」WeChat公式アカウントの説明を、それぞれ一部分ですがご紹介します。

①木製花窓

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「魯班窓」とも呼ばれる。長さ66.5㎝、幅56㎝。

この花窓は、釘もリベットも使われておらず、窓全体が一本一本の木で編んで作られたように見えるのが不思議である。(制作の詳細は割愛)

この窓の設計は巧妙で、技術は非常に高く、風雨にさらされても変形せず、激しい世の移り変わりを経ても朽ちたり破損することがない。

世の人々は魯班が現世に下って作ったものだと尊称したので、魯班窓と呼ばれた。

この窓には中国語で「榫卯(sǔn mǎo):継手・仕口といった、ほぞ・ほぞ穴による接合方法で木材を連結する手法」が使用されています。

「榫卯」構造の歴史は長く、河姆渡(かぼと)新石器時代、中国時の祖先は既に「榫卯」を使用し始めていた。「榫卯」構造は中華民族特有の工法として、悠久の歴史があるだけでなく、中国の古い文化と知恵を体現している。

 

②魁星磚

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磚のサイズ:44㎝×26㎝×3㎝。全体的に青灰色で長方形。

磚の上には刃物で、悪鬼のように牙をむき出し、凶悪な顔付きをした鐘馗(しょうき)が彫刻されている。

鐘馗は左手に一斗升を持ち、筆を持つ右手を頭上に高く掲げ、背後の北斗七星の方へ向けている。(北斗七星の第一星は魁星と呼ばれ、魁星は科挙の文事を司ると昔の人は考えていたため、「中状元(状元に合格する)」を「中魁首」と呼んだ。文人科挙試験を受け官吏となる前、信心深く魁星を祭り、科挙において一度で首位となれるよう祈った。)

鐘馗の片方の足は後方へ跳ね上がり、もう一方の足は大ウミガメの頭上に載せられている。これは「魁星点斗、独占鳌头(魁星が北斗七星に触れ、大ウミガメの頭を独占する)」を意味しており、科挙中試参加者の名を筆で指し示すことは、その試験参加者が合格することの証とみなされた。

清代の敦煌でこのようなテーマの磚が出土したのには理由がある。清雍正の時代、200年近く放置されていた辺境の要地を復活させるため、甘粛の五十六州県の一部民衆を敦煌へ移住させた。このような社会の変遷は思想文化の変革をもたらし、宗教や芸術も世俗の現実的な芸術にそのポストを譲り、敦煌の仏教はかつての魅力を失い、人々は儒家科挙試験による官位の追求により重きを置いた。この魁星磚はまさに当時のこのような社会変革の産物である。

 

☟は、「あ~、魁星磚の写真、写してるっ!」 と勘違いした、左隣の磚。(笑)

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そして、こちら☟はこのコーナーのど真ん中に展示されていた「木製の獅子」

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私は「マーブル模様の人面犬」かと思い、撮影したのでした。(^^;

 

☟、次のコーナーへ移動します。\(^o^)/

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上の写真の左側に写っている釣り鐘をご覧ください。☟

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展示品の中国語の名称には「雍正八年」とあるので、この年に鋳造されたもの?

この釣り鐘について、公式アカウントに説明はありません。

展示ケースに入ってないところを見ると、「複製品?」と気になります。(笑)

 

続いてのコーナーは、敦煌の考古学的発見」です。☟

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☟、パネルをご覧ください。(*^-^*)

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日本語訳・・・・・、省略されている所があるので、最初から全部訳すことにしますネ。(^^)v

 

1900年、道士「王円籙」は偶然「蔵経洞」を発見。その中には各種文字の古い写本、及び少量の印刷本、合計約五万点以上があり、学術的価値が非常に高い。

しかし、清末の当局の腐敗により情報が流出すると、略奪者が次々とやって来た。

イギリス・フランス・アメリカ・日本・ロシア等の探検家であるスタイン・ペリオ・ウォーナー・橘瑞超・オルデンブルクが相次いで敦煌へ訪れ文物を探した。

さらに、スタインは比較的系統立てて敦煌の漢代長城及び烽火台に考古学的発掘を行い、大量の簡牘(木簡・竹簡)・絹織物・木製器具・ソグド文書等の貴重な文物を手に入れた。

これより、敦煌の文物は世界各地に散逸した。

 

☟は「唐書地理志」

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☟については、上下二つの文物のどちらが「大乗無量寿宗要経」で、どちらが「十万頌第一巻十二品」なのか、私の記録不備のため不明です。m(__)m

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上段の展示物にはページ段組みが見えるので、「89~97頁」の表記がある「十万頌第一巻十二品」かも?

とは言え、これはあくまで推測。

「こんなものが展示されてるんだ~」というイメージとしてご覧ください。<(_ _)>

 

他にもたくさん展示してありました。(☟2枚)

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 次のコーナーに移ります。☟(*^-^*)☟

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このコーナーでは、壁の右側に掛けてある「青羅綉花龍袍」が公式アカウントで紹介されています。

※「龍袍」は「皇帝の礼服」、「綉花」は「刺繍」のこと。

この「青羅綉花龍袍」は清代のもので、民間から収集されたものです。

 

この龍袍は清代皇帝の吉服(祭祀の際に着用する衣服)。布地が青い羅であり、その上に龍・雲・柘榴・「寿」の文字等様々な縁起の良い図案が刺繍され、装飾が非常に華やかであるゆえに「青羅綉花龍袍」と呼ばれる。

清代、皇帝の衣服には朝服・常服・行服(外出時に着用)・吉服等があり、種類が非常に多い。

この「青羅綉花龍袍」は作りが精巧な上、保存状態も非常に良い。当時、衣服の所有者はこの服を着ることなく、栄誉として適切に保管していたようである。

(「敦煌博物館」WeChat公式アカウントより一部抜粋)

 

「勅命書」

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「文化と教育」に関するコーナーです。☟

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☟、パネルをご覧ください。(*^-^*)

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こちら☟は敦煌県志木版」

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以下、敦煌博物館」WeChat公式アカウントより:

敦煌県誌》

道光辛卯(1831年)春、木版印刷本。

この県誌は道光年間に敦煌県知事であった蘇履吉が編纂を提唱、鳴沙書院主席講師である曾誠が執筆し完成させた。

蘇履吉は拔貢(朝廷が特に優秀な生員を国子監に選抜する制度)の出身、福建省徳化県人、敦煌県知事を前後七年担当した。在任中、蘇履吉は敦煌の人々のために二大事業を行った。一つは鳴沙書院の建設、もう一つは《敦煌県誌》の著作。さらに私財を寄付し木版を作り、この県誌を出版、現代に伝えた。

蘇履吉は敦煌県知事初任の際、敦煌の悠久の歴史、延々と続く人文の蓄積、素朴で実直な気風に鑑み、敦煌県誌を著作するという考えを持った。その後、安西から戻り敦煌県知事に再任すると、曾誠を編纂の長として招き、清乾隆二年(1737年)に黄文煒が著作した《粛州誌・沙州衛誌》を基本骨子として、敦煌の学生20数名に史料を収集・現地調査を行わせ、一年余りの内に《敦煌県誌》を査定し終え、脱稿させた。県誌は全七巻4冊、約4.9万字。

 

蘇履吉は30代後半から西域各地の職を20年余りにわたって歴任したと「百度百科」にありました。

福建出身の蘇履吉にとって、着任したばかりの頃の西域はにたえら気候風土が何もかも違い、なかなかなじめなかったのではないでしょうか?

広東で働いていた頃、地元出身の同僚が中国東北地区の支部に転勤になると、現地の気候風土に耐えられず、会社を辞めると言うようなことが実際にありました。

しかし、蘇履吉は行く先々で民衆のための政治を行い、冤罪事件の対応に長け、人材育成を楽しみ、「新神君」・「生き仏」と呼ばれたそうです。

 

☟は「七弦琴」

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そして、ついに「敦煌博物館」最後のコーナー、シルクロードの古代貨幣」まで辿り着きました!!☟\(^o^)/

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この中国語文章、ちょっと難解です。

そして日本語訳は・・・・・・、またしても途中の一文がスルーされています。(T_T)

私もスルーしたいのですが・・・・・・、やっぱり、チャレンジしてみます!

シルクロードの古代貨幣】

「銭(Qian)」本来の意味は、現代のシャベルに似た古代の農具のことである。古代の貨幣は本来「泉(Quan)」と呼ばれ、その語義より「泉の水のように流動する」という意味を持つ。

記録によれば、貨幣は燧人氏の時代に出現し(堯の時代に使われ始めたとの記載もある)、黄帝の時代になると使用方法が完備していたとされる。

貨幣は商品の生産と交換の発展過程で自ずと商品から分離し、一般的等価物(貨幣)という特殊な商品として認識されるようになった。貨幣とは人類社会が一定レベルまで発展した際の必然的結果である。

このコーナーで展示しているシルクロードに散在していた古代の貨幣は、歴史において敦煌が商業上の要衝として繁栄していたことを物語っている。

 

ふう~~~、こんな感じでいかがでしょう?(^^;

「一般的等価物」って何?

ネットで調べると、マルクスの「資本論」に関係する言葉らしいと判明。

一応訳してみたものの、ちょっと不安。

そこで、ちょうど国慶節の七連休が終わり授業が始まったので、先生に訊いてみました。

先生の話では、「中国では高校で文系を選択した学生は、基本的な内容を授業で学ぶ」んだそうです。

「日本では習ったっけ?」

あまりに遠い記憶で覚えていないのか(笑)、それとも習わなかったのか?

私の高校時代の記憶に、マルクスの「資本論」はあっても、「一般的等価物」は存在していません。

「さすが中国!」という感じ?

 

 ☟は、このコーナーの様子です。 

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実は、右端のパネルと貨幣を撮影していません。

理由はおいおい分かると思います。(^^;

 

では、左側のパネルです。☟

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このパネルの下に展示されていた貨幣です。

☟「前漢/後漢・晋・隋唐・宋の貨幣」と表示されていますが、小さいですね。(^^;

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「どの貨幣」が「どの時代」のものなのか?

個別の説明がな~~~い!!!

なので、1枚にまとめて写して終わり・・・・・・。

 

真ん中のパネルです。☟

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日本語訳の中の「穿廓」とは、英語を見ると、「穴と円周の縁」のようです。

 

めったに見られない貴重な貨幣があるように記載されているのに、これまたたくさん並んでいる硬貨が「西域貨幣」で一括りにされています。☟(T_T)

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下段の左端に変わった貨幣があったので拡大してみました。

でも、どの国・民族のものか分かりません。

 

ここで気力が尽き、「右側はもういいや、全体写真あるし!」とヤル気をなくしてしまったのでした。(苦笑)

実際、右側に展示されている貨幣は小ぶりのものが多く、写真を撮りたい!という魅力がイマイチ。

でも、そんなことで撮影を放棄したこと、今となっては大後悔です。(╥_╥)

敦煌博物館」の記事のラストが、こんな中途半端なことに・・・・・・。

以後、途中で投げ出すようなことはしません!!

 

この日の見学時間は約1時間半。

以上、「敦煌博物館」でした。(*^-^*)

 

 

では、気を取り直して、青空の広がる外へ出たいと思います!

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17時頃、「敦煌博物館」を出発。

上の地図の青い路線に沿って、「白馬塔」へ向かいます!\(^o^)/

 

博物館から北(地図上方向)に直進し、途中で左折。

暫くはごく普通の住宅地や商店が立ち並んでいました。

そんな中、博物館を出て20分ちょっと過ぎ、「敦煌小鎮」と書かれた額が掛かった「敦煌市非物質文化遺産伝習基地」と言う場所の前を通りかかりました。☟

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左側に見えている建物の看板は、どちらもビール関連。

黒い大きな衝立の向こう、ここにも「夜市」が立つのでしょうか?

 

敦煌市非物質文化遺産伝習基地」から更に2分、ついに党河手前(「党河東路」)までやって来ました!☟(*^▽^*)

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ご覧ください、この青い空!!!\(^o^)/

道路表面も激しい日差しを反射して、白っぽく見えます。

下からの紫外線反射、どれほど強烈なのでしょう???

日傘・サングラス・マスク・スカーフ・長袖長ズボンのフル装備でないと、絶対出歩けない~~~!(笑)

橋の手前にある塔のような建造物、敦煌らしいデザイン!(*^▽^*)

ここまで、博物館から徒歩25分です。

 

もう少し近づくと、右手に「白馬塔大橋」と書かれた石碑がありました。☟

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石碑の側から見た党河(北側)。

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党河の水面、空の色を写してキレイな青色!

 

 

ところで、敦煌についてからの記事で、既に何度も書いてきた「党河」。

この「党河」の「党」、私は「共産党」の「党」だと思っていました。(爆笑)

たまたま「百度百科」の「党河」説明を読んでいたら、

モンゴル語の訳名ーー「党金果勒河」の略称』

とありました。

漢代には「氏置水」、唐代には「甘泉」、宋代には「都郷河」と呼ばれ、元代に「党金果勒河」と改名。

「党金果勒」とは、「肥沃な草原」という意味だそうです。

ついでに、中国で唯一、南から北へ流れる河だそうです。(*^-^*)

 

 

さあ、まったく日差しを遮るもののない、橋の上に向かいます!(決死の覚悟!笑)☟

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橋のたもとから、石碑の側から見た方角を撮影。☟

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時刻は既に17時半ですが、この時季の日没は21時前。

太陽はまだまだ上空高い位置にあり、長閑な夏の昼下がり~~~のような日差し。☟

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今度は左手、南側を見てみましょう!☟

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白く光る鳴沙山が見えます!

敦煌初日の夜、曇り空が闇に黒く染まる少し前に写した鳴沙山とは、趣きが全然違います!(*^▽^*)

 

車が来ていないので、反対側の歩道まで横断しました。

そこから障害物なしで、党河と鳴沙山を撮影。☟

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この景色、何度見ても飽きません、大好き!

なので、更にアップ!(笑)☟

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鳴沙山の稜線がくっきり!

「青空+白っぽい鳴沙山+街路樹と党河に生えている草の緑+光る河面」

大好きな要素が凝縮された景色です! 

 

「白馬塔大橋 」をほぼ渡り切り、もうすぐ「党河西路」に到着する手前。☟

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河と用水路、「水の色」と「流れの速さ」が対照的ですネ。

 

「白馬塔大橋」を渡り、更に「党河西路」を横切ってから、歩いて来た方向を撮影。☟

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西側たもとにも、浮彫りのある塔があります。

 

ここまでは、街の整備が行き届いていました。

でも昔懐かしい、土埃が舞い上がる道の両脇にそびえる胡楊の緑を見たかったなら、ここまでの景色は間違いなく開発しすぎ、手を加えすぎと思うはず。

でも、ご安心(?)ください!(笑)

2018年7月初旬当時、ここから先は期待を裏切らないでしょう!

 

ご覧ください!\(^o^)/☟

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全く別の街に来たみたいでしょう?

一つ上の写真を撮った場所で体の向きを180度回転させたら、この景色になったんです。

車の後方・・・・・・、埃が舞い上がってます。

このままこの道を直進していいのか???

幸い、「白馬塔まで、ここから西へ200メートル」、塔の写真付き看板が設置されていました。

この看板がなかったら、たとえスマホで地図を確認していても、ちょっと不安を覚えたかも?(笑)

 

 埃が落ち着くと、真っ青な空が復活しました。☟

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この道を直進します!(*^-^*)

紫外線対策でマスク着用済みなので、車がやって来て埃が立っても平気なのです!(^^)v

 

前進、前進ッ!!!☟

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ついに、「白馬塔」に到着です。\(^o^)/☟

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赤い塀の向こうに、ちらっと塔の先端が見えています。

手前の樹木にご注目ください。

現地では気にならなかったんです。

でも、今、改めてこの写真をみると、すっごい違和感が!

もしかして、この位置から塔が見えるように、右側の木は左上部を斜めに刈り込まれているんでしょうか?

 

この場に到着した時、入り口は真ん中の大きな扉も、両サイドの通用門も、ぴっちり閉まっていました。

この時、時刻は17時50分。

もしかして、見学時間は終わったの~~~~???

この写真の右側、写っていないところには木陰がありました。

そこに地元の年配男性が集まって、井戸端会議中のようです。

そこまで行って尋ねると、まだ見学可能ということで一安心。

チケット販売の窓口も、そこにありました。

入場料、一人15元(1元=16円換算で、240円)。☟

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チケットの裏面には、日本語の説明もあってびっくり。

でも、中国語の説明がない?

これは外国人観光客用のチケット???

 

「白馬塔」周囲の様子から、現金しか受け付けてもらえないかもと思っていたら、WeChatでの支払いが可能でした。

管理人さんがWeChatで「お金を受け取る」画面から金額を設定、その画面にある二次元コードを私がスキャンして、支払い完了!

ネットに接続でき、受領側が対応してくれさえすれば、どこでも電子マネー支払いが可能です。

 

それでは、中に入りましょう!☟ (*^▽^*)

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通用門から入ると、内側にはこんな☝通路が。

手前には、テーブルの上に民芸品などを並べた土産物売り場がありました。

その場所で、暫く管理人さんとお話。

日本人の見学者、特に団体のお客さんが多いんだそうです。

 

通路の突き当りに描かれた仏画。☟

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この壁の向こうに、「白馬塔」があります。

 

白馬塔遠景。☟

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手前の石碑(左側)。☟

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【白馬塔 概要】

言い伝えでは、後秦(紀元384年~紀元417年)、著名な訳経僧、亀茲国出身の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が仏教を伝えるため敦煌を訪れた際、乗っていた白馬が病死したため、この場に埋葬し記念するため塔を建立したと言われている。

塔は現在九層建てで、高さは約12メートル、直径7メートル。日干し煉瓦を積み上げ、中に柱を立て、表面は藁などの植物繊維を混ぜた土や石灰が塗られている。

基礎の部分は八角形、長方形のレンガで覆われ、八角形の各面の横幅は3メートル。第二層~第四層は襞を重ね合わせた様式。第五層の下側には丸い突起があり、周囲をぐるりと取り巻いている。第五層の上側は、上むきの蓮の花びらの装飾がある。第六層はラマ塔形式の塔身。第七層は相輪形をなし、最上層は角形の「坡刹盘(?)」で、各角に風鈴が吊るされている。

 

第二層には文字が刻まれた石板が2つ、木板が1つある。石には「道光乙巳桐月白文采等重修(1845年旧暦3月、白文菜等が再建)」の文字が、木には「民国二十三年八月拨贡银朱文镇、吕钟等再修(1934年8月、拔貢(朝廷が特に優秀な生員を国子監に選抜する制度)出身の朱文鎮・呂鐘等により改修)」の文字が刻まれている。これらにより、この塔が何度も修繕を経ていることが十分に証明される。しかし、その建築形式は依然として明代の風格を保っている。

1981年、甘粛省人民政府により、省級文物保護単位として公布。

 

※石碑に記載がないのですが、「百度百科」には以下の記述があります。

第八層が六角形の「坡刹盘(?)」で、各角に風鈴が吊るされている。第九層の塔の尖頭は「辺珠式(?)」である。

「坡刹盘(?)」と「辺珠式(?)」については、日本語で何と言うのか検索しきれなかったので、中国語のまま表記しました。m(__)m

 

手前の石碑(右側)。☟

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この☝石碑に刻まれているのは、以下の文字です。

甘粛省省級文物保護単位

白馬塔古建築

甘粛省人民政府

一九八一年九月二日公布

敦煌市人民政府

二〇一四年十月二十日建立

 

ちょっと接近してみましょう。(*^-^*)☟

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目いっぱい近づきます!(笑)

正面。☟

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正面向かって右側。☟

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真後ろ。☟

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第二層目に石板があります。

原版をアップにしてみましたが、ボケてしまい文字の判別はできませんでした。(T_T)

 

正面向かって左側。☟

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ここに、二枚目の石板が!

これは原版をアップにすると、かろうじて「道光乙已桐月白文采等重修」の文字を見て取ることができました!\(^o^)/

 

四方向から撮影した写真。

石板2枚はありましたが、木板はどこなのでしょう???

見落としたのかな???

旅行当時は案内の石碑を読まずに見学しているので、石板や木板をターゲットに写真を撮っていません。(^^;

なので、後から必要なものが見当たらな~いという悲劇が発生します。

もしまたどこかに旅行する機会があれば、時間の許す限り、現地の紹介くらいはその場で目を通すようにしたいと思います。

それ以前に、出発前に余裕をもって下調べをすべきですね。(笑) 

 

 

18時半頃、「白馬塔」を出発、来た道を戻ります。

日が傾いて来て、往路とは空の色も変わって来ました。

ただの農村風景ですが、きっと近いうちに消失してしまうはずなので、記録として残したいと思います。☟

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移動に利用している車両さえ、党河の東側では見かけないもの。

でも、この風景にはすごく溶け込んでいると思うのデス。☟

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「党河西路」手前まで戻って来ました。☟

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「白馬塔」への往路は、☝の写真で言うと左手後方にあった「白馬塔まで、ここから西へ200メートル」の看板をそそくさと撮影し、すぐに移動を開始しました。

無事見学を終え、心にゆとりができた今は、その時に後回しにしていた右手に注目!

 

じゃ~~~ん!!!

敦煌市白馬路道路建設工事」の概況説明看板です。☟

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この工事の範囲:

東は「党河西路」と「白馬塔大橋」の十字路から、西は「陽関西路」まで。

 

 

☟の地図のアップをご参照ください。\(^o^)/

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「白馬東路」全長:870メートル、道幅:24メートル

(歩道2メートル+車道20メートル+歩道2メートル)

「白馬西路」全長:940メートル、道幅:30メートル

(歩道5メートル+車道20メートル+歩道5メートル)

「白馬路」の東西で歩道の幅に多少違いはありますが、いずれにしても広々とした道が整備されます。

だから、「白馬塔」までの往復で見た景色は、もうすぐ失われてしまうのです。

では、いつ消えてしまうのかというと・・・・・・。

工事期間:2017年4月15日着工、2017年11月15日竣工。

「???」

2018年、今年の11月15日竣工の間違い???

いいえ!(笑)

間違いなく、昨年の11月15日竣工と記載されています。

工期目標には、「困難を克服し、努力により施工条件を整え、契約に定められた工期を保証する」とありますが・・・・・・、遅れてしまったんですね。

でも、おかげで懐かしい風景を見ることができました。(*^-^*)

あれから3ヵ月・・・・・・、今はどうなっているのでしょう?

 

 

「懐かしい」繋がりで、ここで2000年1月の写真をご紹介したいと思います。

こちら☟は、記憶が確かならば、「白馬塔」へ向かっている所。

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どの道を通ったのかは、当時でも分かっていませんでした。

運転手さんにお任せです。

道幅が広いので、今回歩いた道とは異なるのではないかと。(^^;

 

そして、「白馬塔」です。☟

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この日は強風が吹いていて一層寒い上に、埃が舞い上がって空気も悪く、車内から写真を撮りました。

それは間違いないんです。

でも、今回、「白馬塔」入口の前で歓談中だった地元の方々から得た情報だと、この写真をどう説明したらいいのか分からなくなるんです。

地元の方々は、上の方で見ていただいた「白馬塔」を囲む「赤い塀」は二十何年も前から存在し、外から塔全体が見えるような場所はないと言われました。

18年前を思い返すと、最初は駐車場のような場所に連れて行かれ、私が「降りない」と言ったので、運転手さんが車内から見える場所へ回ってくれたような・・・・・・?

今回ちょっと探検した「白馬塔」の裏手は、塀の隙間に出入口の柵があって(鎖で開かないよう固定されていました)、その向こうは葡萄などの畑。

このあたりの塀が壊れていたとか?

もし、もう一度敦煌を訪れる機会があるなら、これを地元の方に見ていただいて、このモヤモヤした記憶をスッキリさせたいものです。(^^;

 

この後は、党河に沿って「党河西路」を北(地図の上)へ向かって移動しました。☟

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河川敷は美しくに整備されています。

芝生に水を撒いている辺り、小さな虹がかかっていました。

私はどこに虹がかかっていたか知っているので、この上の写真でもうっすらと見える虹を見つけられるのですが・・・・・・。

どこにあるか、分かるでしょうか?(*^^*)

 

芝生の中の舗道を伝いながら進むと、東屋がありました。☟

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円形の東屋が合体していて、屋根の部分がハート形に見えます。(#^.^#)

 

ここには党河に張り出す形のスペースがあります。

そこから南北の様子を撮影。☟

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これまでも似たような党河の景色を貼っているので、「しつこい!」と思われるかも知れません。

でも、党河に沿って歩いたのはこの日だけ。

記念ということで、貼らせていただきます!(笑)

 

鳴沙山の手前に、「白馬塔大橋」が見えています。☟

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敦煌陽光沙州大酒店」が見えます。☟

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19時5分、ぶらぶら歩き「党河西路」と「陽関西路」の交差点までやって来ました。☟

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「西大橋」の向こうに見えるのは、先ほど東屋の側から眺めた「敦煌陽光沙州大酒店」。

改修されていますが、1979年に宿泊したホテルということで、友情出演。(笑)☝☟

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ここから「陽関中路」を東進し、19時20分過ぎ、「反弾琵琶伎楽天像」がある「沙州南路」との交差点まで戻って来ました。☟

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☝、まずは、後ろ姿をご堪能ください!\(^o^)/

 

午後、「敦煌博物館」へ出かける前は、正面しか貼付していませんでした。

しかし、なんと言っても今回は「反弾琵琶伎楽天像」のリベンジ回!!

この時間帯は、別の角度から「伎楽天」をご紹介します。(*^-^*)

夕日を受けて、向かって右斜め前から。☟

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左斜め後方から、夕日を浴びる後ろ姿。☟

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この空の色の写り方もすごく好きです。(*^-^*)

 

ここまで戻ったので、「沙州夜市」へ夕食に向かいました。☟

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もう19時半ですが、食事をしている人はまだ多くはありません。

 

何を食べようかな~と、上の写真の左手に並ぶお店を見て回り、韓国料理屋へフラフラ~っと入ってしまいました。(笑)☟

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せっかく敦煌に来ているのだから、敦煌名物を食べなくちゃ!とは思ったんです。

敦煌名物の「驢肉黄面」(驢馬のお肉を使用)も食べていません。

でも、ロバ・・・・・・、私にはちょっと勇気が必要です。

それに、あっさりしたものが食べたかったんです。

この韓国料理店、写真ではお客さんがいませんが人気がありますよ。

これまでも通りかかった時、たくさん人が入っていました。(*^-^*)

 

メニューを見て~~~。☟

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選んだのは、すっぱくさっぱり「朝鮮蕎麦冷麺」です!☟

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1杯12元(1元=16円換算で、約200円)。

期待通り、さっぱりといただけました。(^^)v

 

この時、スマホで調べた気温と湿度。☟

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35度もあるのに湿度が9%だからか、すごく爽やかです!

 

食べ終わって外へ出ると、空はまだ暗くなっていません。

20時前ではありましたが、このままホテルに戻るなんてもったいない!

そこで、敦煌市内と敦煌駅・空港を結ぶバスのルート「三危路」にある、1997年にも存在していた牌楼を見に行くことにしました。☟

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到着したのは20時15分頃です。

太陽がようやく夕方らしくなり、オレンジ色を帯びた光に変わって来ました。

 

当時、嘉峪関からバスで8時間くらいかけて敦煌に辿り着き、この牌楼に迎えられた時は本当に嬉しかったんです。

ゴビ砂漠の旅は見たことのない景色ばかりで、居眠りすらせず外を見ていました。

途中の安西県でのトイレ休憩、ガイドさんが現地の市場で買ってくれた西瓜を食べたのも懐かしい想い出!

ただ、窓から差し込む日差しに体力を奪われたんだと思うのですが、敦煌に着いた頃には相当ぐったり。

そんな状態で、この牌楼の下をくぐったんです。

「やっと着いた~~~」との解放感と、「ここが敦煌なんだ!!!」との興奮が一度に押し寄せて来ました。

莫高窟のような歴史あるものではなく、鳴沙山・月牙泉のような自然美とも無縁な牌楼ですが、私にとっては一番最初に敦煌を身近に感じさせてくれた、思い入れの強い建造物です。

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この牌楼のすぐ側、敦煌市内に向かって左手に、長距離バスターミナルがあります。(上の写真の左側にチラっと写っています。)☟

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ホテルも併設された大きなターミナル。

 

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まだ使用が始まってないのかと思ったくらい、閑散とした正面の様子。

敦煌到着の最終便を待っている旅館の客引きの方から、この時間は既に敦煌始発便は全て出発し終え、営業は終了したと教えてもらいました。☟

 

なんと!ここには日本語の標記もあります。☟

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まだ日が沈まない!!(笑)

もう一度、党河に架かる「西大橋」まで戻って、夕日に染まる鳴沙山を見るぞ~~~!!!

と、「陽関中路」の「西大橋」のたもとに建つ「敦煌陽光沙州大酒店」まで戻って来ました。☟

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この時、20時50分過ぎ。もうすぐ日の入りです。

ホテルの壁の色、沈みかけた日差しを浴びて、19時過ぎに通過した時とは違いますネ。

 

「西大橋」の上です。

暖色に染まった鳴沙山。☟

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ただ、ただ、綺麗だな~と、涼しくなった風に吹かれながら見とれていました。

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この日は21時過ぎにはホテルへ到着。

これまでよりはかなり早い帰宅です。

昼間かったメロンを食べて、7月8日は終了です。(*^-^*)

 

 

💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛

長文をここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。m(__)m

 

ここからは、少しだけ、最近の「せいあん!」です。(笑)

このブログは「せいあん!」なのに、もう3ヵ月くらい、西安単独の記事がありません。(^^;

夏の旅行の記事にここまで時間をとられるなんて、当初は思いもしませんでした。

でも、これをアップしたら、あと二日分だけ。

一番手間暇かかる博物館の紹介は終わったし、旅行ブログの完了も目前です!\(^o^)/

今回は、数日前に終わったばかりの国慶節休み中の様子、少しご紹介しますネ!

(旅行客が多いため、観光地には出かけていません (^^; )

 

9月30日(日曜日)振替授業が終了した後、西北工業大学の正門に回ってみました。☟

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国旗が掲揚されて、「国慶節」を迎えるムード満点。

下の写真は、校内プラタナス並木。

 

10月1日(月曜日)、国慶節1日目。

私が大好きな大唐西市城でも、多彩なイベントが行われていました。☟f:id:shanshanduohuizi:20181010004039j:plain

去年と同じく、青海省の物産展が開催されていました。☝

去年はずっと雨でしたが、今年は物産展開催中は快晴続き!☟

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大唐西市博物館では、アンケートと展示品に関するクイズに挑戦して、記念品をいただきました。☟

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私と一緒に写っている人も、どこかの大学の留学生。

彼に渡されたアンケート用紙が最後の一枚でした。

私、アンケートが始まる直前に博物館にやって来ていて、館内で時間を潰してもう一度行ったら、アンケート用紙配布終了~~~。(T_T)

でも、館員さんのご厚意で、二人一緒にアンケートとクイズに答え、二人に記念品を進呈しましょうということになりました。

展示品の名称を記入する問題では、館内いたるところで該当の展示品を探す人たち(だいたい親子連れ)にすれ違い、お互い情報交換!

めでたく全問回答し終え、博物館で販売されている「コースター」と「大唐西市博物館宣伝映像」をいただきました。(*^-^*)

この映像、1階の大スクリーン(写真上段の中央参照)で上映されているのを見て、前々から欲しかったんです。

すっごくラッキーでした。\(^o^)/

 

☟の絵画は、博物館隣の「芸術品センター」で展示されていたもの。

サイズは76㎝×156㎝。

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かなり大きな虎の絵です。

写真だと分かりづらいですが、すごく細やかなタッチで、本当に虎の毛一本一本の質感を感じられるようなものでした。

この絵画、960,000元です。(1元=16円換算で15,360,000円!!!)

 

シルクロード風情街でも、こんな☟催しがありましたよ!(*^-^*)

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この他、西北工業大学のロシア人とバングラデシュからの留学生の手料理をご馳走になりました!☟

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オレンジのお皿(チキンカレー)と、圧力鍋(淡水魚のカレー風味スパイシー煮込み)、そして二枚の写真両方い写っている丸い白いお皿(ミルクとごはんにスパイスをきかせたデザート)がバングラデシュ料理。

男子留学生の手作りです!

パンケーキと、透明のボール・ポテトチップスが周囲に飾ってあるお皿(サラダ2種類)はロシア料理。

国慶節最終日の夜は、ご馳走でした!(*^▽^*)

 

以上、最近の西安局地と私の様子でした。(^^)v

























 

 

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月7日(土)_ 敦煌3日目_敦煌博物館1日目(新石器時代~唐代)・鳴沙山2日目(9/30:鳴沙山入園料変更追記)

2018年7月7日(土曜日)、敦煌はこの日も良い天気でした!\(^o^)/

 

前日、ホテルに戻った後、今後の日程変更のためにスマホで「緑洲島酒店」の宿泊追加予約、飛行機チケット購入、列車切符キャンセル、他都市のホテルキャンセル等をやっていたら・・・・・・、寝るのがかなり遅くなりました。

当初計画での最終訪問地だった武威では、ホテルのキャンセルが不可。

想い出の地を回る旅だから、予定変更なんてしないと思い、「キャンセル不可」と知っていて予約したのですが・・・・・・。

悲しいですが、20年近く前と同じことをするのはムリがありました。

体力気力が付いてきません。(T_T)

ただ、それだけでなく、敦煌が思いの外居心地がよく、3泊4日で去るのが残念に思えてきたことも理由の一つ。

そんなわけで、日程変更の結果、敦煌に計5泊することになりました。(*^-^*)

 

 

寝るのが遅かったので、起きるのも遅くなったのは致し方ありません。

なんて、この旅行、移動がない限り、いつもこんな感じです。(笑)

写真の撮影時間を確認すると、13時過ぎにやっと「敦煌夜市」に移動。

前日の不規則な食事が祟ったようで、この日は旅行中、いえ、ここ数年で一番げっそりやつれていました。

「痩せた」なら嬉しいのですが、見た感じ、細胞の水分が激減して皮膚の弾力が消えうせたよう。(^^;

このままだと、いずれ、干尸(ガンシ―・ミイラ)?

まともに食事をして栄養補給せねば!

と思い、「敦煌夜市」内を物色し、このお店に入ることにしました。☟

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注文したのは「鸡肉焖饼子(ジーロウメンビンズ)(鶏肉燜餅子)」という料理。☟

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一杯15元です。(1元=16円で換算すると、240円)

どんぶりの中に入っている主食の「餅(ビン)」は、小麦粉を捏ねてかなり広い幅でカットしたもの。

鶏肉・玉ねぎ・葱と獅子唐(?)が入っていたような記憶が。

醤油ベースの味付けでとても美味しかったのですが、ボリュームがすごくて私は食べきれませんでした。(^^;

隣の席には嘉峪関から観光に来ていた女性が二人、食事を終えて休憩中でした。

このお二人は、年配のお母さんとその娘さん。

お二人は早朝、日の出を見るために鳴沙山へ行って来たと言われていました。

このお店の食事の量、このお二人にはちょうどいいそうです。

「嘉峪関もいいところだから、観光に来てね」と言われ、キャンセルしたのがちょっと心苦しくなりました。

 

「焖饼子(燜餅子)」、私が食べたのは鶏肉でしたが、一番有名なのはメニューの一番上に書いてある「胡杨焖饼(フーヤンメンビン)(胡楊燜餅)」。(*^^*)

こちらは羊肉が使われているので、ちょっと高くて一杯38元です。(1元=16円で換算すると、約600円)

 

 

エネルギー補給したところで、行動開始!

この日の午後は、またしてもバス停「中医院」から路線バス③に乗って、 「敦煌博物館」へ 出かけました。\(^o^)/ ☟

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☟の地図を見ていただくと分かり易いのですが、「敦煌夜市」にいた私は、③バスに乗るならバス停「沙州市場」から乗車すれば近かったんです。 f:id:shanshanduohuizi:20180831154006p:plain

実は、現地にいた頃、地図の方角を勘違いしていて、頻繁に迷走しました。(笑)

自分がバスで敦煌に到着した場所、東大橋の位置を、地図の上側(北)と思い込んでいたようです。

地図を見る必要がなくなり、現地の建物や飛天像で方角を把握できるようになってからは平気だったんですけど・・・・・・。(^^;

この時も、バス停「中医院」を西域路の紫色で塗った歩行者天国より東(右)と思い、わざわざ西域路までやって来て、バス停が見つからず行ったり来たり。

通りすがりの方に「③の路線バスならあの角を曲がればすぐだよ」と教えていただいたのが、「7天」のある角を曲がって道を渡ったところにある「中医院」だったわけです。(笑)

中医院」から「博物館」までは1元(1元=16円で換算)でした。

 

 

こちらが敦煌博物館」です。☟

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私は「敦煌博物館」WeChat公式アカウントで展示品の写真や説明見ていますが、インターネット上の公式サイトもありますのでURLを貼付しておきます。☟

敦煌文物网

f:id:shanshanduohuizi:20180926170926p:plain☝の矢印の場所をクリックすると、展示品の写真を見ることができます。(*^-^*)

 

上の建物の左端に、チケットセンターと入り口があります。☟

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建物に向かって左手にチケットセンター、右手に博物館の入り口というように向かい合っています。

ここでも、チケットはパスポートを提示して入手します。

私はチケットセンター内にあったロッカーにリュックを預けました。

トルファン博物館のように強制ではありません。(*^-^*)

 

ここで、入館時間の情報を!

5月1日~9月30日:午前9時~午後18時半(入館は17時半まで)

10月1日~翌年4月30日:午前9時~午後18時(入館は17時まで)

毎週月曜日は休館。(国家法定祝祭日に当たる場合は開館)

新疆時間ではなく北京時間で動いているのに、冬場でも18時まで見学できるなんて、ありがたいことです!!

 

入り口を入ると、ここにも荷物を預けるロッカーがあり、その先でセキュリティ検査を受けます。☟

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検査を受け、突き当りの壁を左へ曲がると、☝の一番下の写真の通路に出ます。

敦煌らしい、莫高窟の壁画がお出迎え!

この奥の扉を入ると、☟のようなホールがあります。

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上段の右手からホールに入り、緑の矢印の順に進んで行きます。

右手の壁には、黒い石板に刻まれた中国語・英語・日本語・韓国語の「序言」。

 

日本語の序文をアップにします。☟

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この序文の中で、「華戎交差の大都会」と言う表現があります。

これがホールの正面にあるレリーフの、右中央に見える中国語「华戎交会的都市」の訳です。

上のホールの写真の下段は、ホール左手の壁のレリーフ

ここを矢印に沿って曲がると、☟のスロープが待っています。

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突き当りの胸像は、後漢の軍人「班超」。 

この名前に見覚えがあると思ったら、カシュガルで見学に行かなかった「盤橐城(班超紀念公園)」の主役ではありませんか!!

カシュガルで、訪れておけばよかったのかな・・・・・・?

 

上の突き当りを曲がると、更にゆるい傾斜のスロープが続きます。

この途中左手に、最初の展示室があります。☟

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展示室に入る前に、通路に展示されているものを見てみましょう!(*^-^*)☟

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新石器時代青銅器時代の文物です。☝☟

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序文が四ヶ国語あっただけあり、展示物の説明のほとんどに日本語訳があります!!

ありがたい~~~!!!(*^▽^*)

 

 

では、展示室に入ります!\(^o^)/

【第一展示室:前漢後漢敦煌の大発展】

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最初の展示物のコーナー です。☟

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左側のパネル敦煌郡の設立」を拡大します。☟

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「張騫の西域行路地図」

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前漢匈奴の戦争」

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展示品のアップ。☟

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左:黄釉陶奩 / 右:緑釉四神陶奩

百度百科で調べると、「奩」は「中国古代、女性が化粧用具を収めた鏡箱」と紹介されています。

 

☟の「銅犂」は、「沙州故城」から出土したもの。

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7月9日、「敦煌古城」の帰りに「沙州故城」の側でバスを降りて見学しました。

あそこから出土していたのか~と、2ヶ月以上経過して発見。(^^;

 

次のコーナーです。☟

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この☟展示物を見た時、小さなヘビが後ろを振り返っている像かと勘違い。(笑)

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正しくは、「銅製の帯鉤(おびどめ)」でした。(^^;

でも、勝手に命名「見返りへび」。(笑)

 

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☝☟、「陶かまど」の作りが可愛らしいので、アップで掲載。(*^^*)

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 ままごとのセットみたい。(*^^*)

 

この展示室の中央には、遺跡の復元模型や発掘された「積薪(積み上げた薪)」が展示されています。☟

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上の写真、手前左の模型を拡大した写真です。☟(馬圏湾遺跡の復元模型)

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次☟は、入口の正面、三番目のコーナー!

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ここでは、「漢代長城の修築」を紹介しています。☟

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日本語部分、何とか読めるでしょうか?

 

☟は、コーナー真ん中にあるパネル「漢長城の種類」。(^_^)/

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このコーナーの展示品です。☟

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左上の写真で気になったのが、円形の「黄羊夾」

何だろうとネットで検索してみると、黄羊を捕まえるための罠に使われたもののようです。

細く削った木を麻糸でぐるぐる巻きにした、約10㎝くらいの器物。

草地に穴を掘り、そこにこの罠を置き、草でそれを隠しておく。

黄羊がやって来てそれを踏むと、蹄が中央の穴に引っかかってしまい、素早く動けなくなり、簡単に捕まえられる。

私、大きさを考慮せず、雪の上を歩く「かんじき」に似た物で、砂の上を歩き易くするためのものかと思っていました。(笑)

 

右上の「わらじ」のように見えるもの、これらは左から、「麻靴底」・「靴底」・「麻織靴下」と表示されています。

1979年、馬圏湾遺跡から出土

 

左下は「竹簡」とのみ記載。

 

右下:漆勺 漢代 1998年玉門漢出土

 

このコーナー右端のパネル「修築構造と方式」です。☟(*^-^*)

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次のコーナーへ移動します!\(^o^)/

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☝の写真の下側に、チラリと写っているのは出土した「積薪(積み上げた薪)」

 

薪が混ざった土の塊にしか見えませんが、歴史的価値のあるものなのです。(笑)☟

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敦煌博物館」WeChat公式アカウントの紹介:

国境警備の兵卒にとって、薪の伐採は日常業務の一つで、平時に、いつでも使用できるよう蓄えておいた。

敦煌領内の積薪は、主に葦・紅柳(hóngliǔ)(タマリクス・ラモシッシマ Tamarix ramosissima ギョリュウ属の植物)の枝・胡楊の枝を括りつけたものを積み上げて作る。

敦煌領内の長城沿線には、まだ67もの積薪が残っている。これらは長年露天に曝され、二千年余りの時を風雨や日差しに曝されてきたため、現在は化石化している。

 

コーナーの紹介に入ります!(*^-^*)

「長城の駐屯」☟

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☟は「むしろ」、1979年、馬圏湾遺跡から出土です。

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一枚の完璧な状態のむしろではありません。

でも、これを見た時の感想――「漢代~~~???」

とてもそんな昔のものとは思えない、しっかりした編み目の状態に驚愕。

複製品ではないのかと、わざわざ館員さんに確認しました。(笑)

それくらい、しっかりした編み目です。

湿度が低い敦煌だからこその、この保存状態!

日本だと、きちんと倉庫に保管されていたとして、数十年も放置したら湿気で黴てしまい、腐っていそうです。(笑)

 

莫高窟の壁画の中の「長城出入関図」。☟

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本物は写真撮影禁止なので、パネルやレプリカがあれば、できるだけ載せたいと思います。(*^-^*)

 

櫛や鍋ブラシ(古代の「亀の子たわし」?)も並んでいます。☟

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☝の並びの中で、気になった二つをアップ!(*^-^*)☟

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☝左の木版画は図柄が可愛らしいくて、目に留まりました。(*^^*)

右の「透かし彫りの銅製品」は、透かし模様が細かいですね。

 

☟は、敦煌博物館」WeChat公式アカウントの紹介によれば、漢代の「太初歴」が記された木簡だそうです。

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中国でこれまでに発見されたものの中で、最も古く、最も完璧な状態のもの。

紀元前104年、天門学者落下閎・鄧平等により制定。

「太初歴」では一年を365.2502日、一か月を29.53086日と定めていた。

 

コーナーの右半分は「烽火制度について」。☟

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烽火信号と制度についてまとめた表、中国語のままですが貼っておきます。☟

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☟の束ねた藁のようなものは「苣 jù (ジュー↘)

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「漢代烽火制度」の日本語訳や表に「苣火」と言う烽火の種類があります。

「苣」は、この烽火に使用するものです。

日本語だと、なんと発音するのでしょう?

「苣」の字は「きょ」と発音するようですが、あってるでしょうか?

敦煌博物館」WeChat公式アカウントでの紹介によれば、1979年に馬圏湾烽燧遺跡から出土とあります。

出土した「苣」には「大苣」・「中苣」・「小苣」「引火苣」あり、それぞれの長さは、243㎝・63㎝・47㎝・22㎝。

 

「回転式弩弓」 (複製品)と国境の砦における「回転式弩弓」設置使用概要図。

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次のコーナー屯田」と「漢長城の管理」です!(*^▽^*)

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屯田について。☟

f:id:shanshanduohuizi:20180831230614j:plain歴史の授業で習ったな~。

 

出土した穀物です。☟(*^▽^*)

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左から、キビ(1979年 馬圏湾)/アワ(1963年 当谷燧)/大麦(?年 漢長城)

見た目、これらの種子は皺もなく、色も鮮やかだが、内側の澱粉と胚芽は炭化し、食べることはできず、発芽はしない。

出土品と漢簡の記載から、漢代、敦煌は重要な穀物の産地、しかも多種の穀物を産出する産地であったことが分かる。(「敦煌博物館」WeChat公式アカウントより)

これらの種子が発芽して、収穫ができていたなら・・・・・・。

古代キビ・古代アワ・古代大麦とか名付けられ、敦煌名物になって街おこしに一役買っていたんでしょうか?

それ以上に、生命力が相当強そうなので、悪条件に耐えうる強い品種が改良できて、生産性が一気に向上?

勝手に想像~~~してみました。(笑)

 

 「漢長城の管理」

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敦煌 漢代長城の軍事システム」

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「漢長城の管理」の説明で触れられていた「倉城」の写真です。☟

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「長城の防御器具」

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☟は、弩機のパーツ(上段)と鉄剣(下段)

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共に1964年甜水井で採集。

 

次のコーナーは、「漢代 敦煌の郵便駅」についての紹介です。☟

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写りが非常に悪く、申し訳ございません。<(_ _)>

 

こちら☟は、敦煌懸泉置漢簡』(とんこう けんせんち かんかん)の複製品です。

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懸泉置遺跡にて発見

 

「漢代の簡牘(一式)」

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敦煌懸泉置漢簡』が発見された懸泉置遺跡の写真。☟

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「懸泉置遺跡の復元模型」

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☝、世界文化遺産、 全国重点文物保護単位です。

敦煌市の東64キロ、祁連山脈の支脈三危山前の扇状地にあります。

「三危山」

敦煌空港や敦煌駅と市内を結ぶバスの始発・終点がある通りが、なぜ「三危」という交通事故が多そうな名称なのか、気になっていました。

たぶん、この山の名前から付けたんでしょうね。(*^^*)

 

ここから、後漢のコーナーに入ります。\(^o^)/

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☟2枚は、後漢のコーナー全体図。

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前漢のコーナーにも人物像の「絵」はあったのですが、後漢までやって来て思ったこと。

「人物像」が妙にイラストっぽい!

学研の「歴史群像」シリーズを思い出しました。(笑)

 

布類の出土品です。☟

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左 :シルク断片 1998年玉門漢遺跡出土

中央:麻布 1979年馬圏湾出土

右 :毛皮靴下 1998年玉門漢遺跡出土

 

後漢の紹介文にも登場、廊下には胸像があった「班超」が、使節として西域へ派遣されたルートを示す図です。☟

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たくさんの装飾品。☟(^o^)☟

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装飾品の中で一番目を引いた一ネックレス。☟

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あまり長くないので、手首に二重巻きにするブレスレットなのかな?と思ったら、ネックレスでした。(*^^*)

 

ところで、この装飾品のなかで注目すべきはこのネックレスではなく、上の全体写真の上段左から二つ目の「玻璃耳珰(ガラスの耳飾り)」だったようです。☟

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☟は敦煌博物館」WeChat公式アカウントの説明の一部です。

1982年、敦煌南湖郷の盗掘に遭った漢代の墓から、数点のガラス製耳飾りが出土した。

墓の主の身分は明らかではなく、棺の蓋は朽ちていた。

出土時、耳飾りは石珠・真珠・琥珀等の装飾品と共に首飾りの形で死体の胸元に置かれていた。それらをつなぐ糸は既に存在していなかった。風化してしまったのか、それとも元からなかったのか、今となっては考証することはできない。

専門家の鑑定により、出土した耳飾りの材質はガラスとされ、「中国ガラス外来説」 の影響により、真珠・琥珀同様、シルクロードの交易品と認定された。

しかし、70年代、中国中原地区の2回に亘る発掘により出土したガラス器物が、「中国ガラス外来説」の観点を否定した。

これらのガラスは中国内外の専門家により現代のスペクトロメーターを用いて鑑定され、その結果はともに「鉛バリウムガラス」であり、西方の「ソーダ石灰ガラス」とは全く異なる二つのガラス体系に属することが分かった。

このことは中国が世界で最も早期にガラスを発明・製造・応用した国の一つであることを実証した。敦煌漢墓から出土した耳飾りは、シルクロードの交易品ではなく、中国で作られたガラス器物なのである。

 ※展示物の側にあるプレートには「琥珀耳飾り」とありますが、「ガラス」が正しいと思います。

 

☟の展示物の中で、注目すべきは銅牛車(上段)銅釜甑(下段の左)だそうです。 

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銅牛車☟

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銅釜甑

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これで第一展示室の見学終了です!(*^-^*)

 

 

ここからは第二展示室に移動します。\(^o^)/

【第二展示室:魏晋南北朝時代 敦煌の持続発展】

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ちょっとぼやけていますが、展示室内の様子です。☟

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上の写真の左、壁に掛かっている白いパネルの向かいにあるのが、☟のコーナーです。

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まずは、左端のパネルから!☟(*^▽^*)

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このコーナーで敦煌博物館」WeChat公式アカウントで取り上げ、説明があるのは以下の3点。

1.玉石枕

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魏晋時代の「通信校尉」の墓から出土。

表面の特徴からホータンの青玉の粗玉とみなされている。

ホータンの玉を枕に用いることは、玉が備えている熱を下げ、温度を下げるという特徴を利用し生活用具を制作したということである。

西北部は夏は乾燥し気温が高いため、玉で作られた枕を用いることは、脳をスッキリさせ、血圧を下げる効果がある。

この種のホータン玉で作られた枕は非常に高く、一般的に上層の貴族が所有するものであり、出土数は少ないため、非常に珍しものである。

この墓の主がこの種の玉石枕を使用していたことは、この人物の身分地位にふさわしいと言える。

敦煌博物館」WeChat公式アカウントより一部翻訳

 

2.銅亀

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この銅亀も玉石枕同様、魏晋時代の「通信校尉」の墓から出土。

この墓は盗掘にあっている。

この墓には合計4体の銅亀があったが、盗掘時、4体の銅亀はそれぞれ棺桶の下部の四隅に棺桶の台座として使われていた。

4体の銅亀はほぼ同じ大きさで、保存状態は非常に良かった。

青銅で作られている。

この4体の内、2体は盗掘者により破損した。残りの2体は甘粛博物館と敦煌博物館で収蔵されている。

古代、亀は龍・鳳凰麒麟と共に「四霊」と称され、古代の人々から長寿の生き物とみなされていた。

亀を墓の中に置くことは、墓の主が長寿であったことの隠喩の可能性がある。

また一方で、墓を守るという役割も備えており、墓の主の身分地位の象徴であり、墓の主及び家族が、亀は人を災いから遠ざける縁起物であるとし、家運隆盛という願いを祈念した。

亀の加工技術から分析した結果、この亀は敦煌で作製されたものではなく、他所から運ばれてきたものである。

敦煌博物館」WeChat公式アカウントより一部翻訳

 

3.銅鳩

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上2点の展示物同様、魏晋時代の「通信校尉」の墓から出土。

「銅鳩」なのですが、鳩の形状をした杖のグリップの部分です。

1981年、甘粛省武威から出土した「王杖詔書令簡」から、鳩杖を与えることは、前漢後漢を通じての敬老制度であり、鳩杖を持つ老人は特別待遇を受けることができた。

役所に出入りする際、ひざまずく必要はなく、養ってくれる子女がいない場合、役所が買い付ける小さな商いをすることができ、しかも租税を払う必要がなかった。

鳩杖をついている老人をいじめる者には、大逆無道の罪として処罰が下された。

皇帝が鳩杖を与える際、老人の身分地位の違いにより、与える鳩杖の材質にも竹木・青銅・銀・金等の差があった。

この鳩杖のグリップは青銅製なので、この墓に葬られた主(男性)は、長寿であったと推測されるだけでなく、身分も非凡であったことが分かる。

敦煌博物館」WeChat公式アカウントより一部翻訳

 

次に参ります!\(^o^)/ 

【三国と西晋時期、敦煌経由で輸出入された貨物】

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西域から買い入れているものの中に、「汗血馬」の文字が見えますよ!

 

その他の展示物をアップ!

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前漢時代のものはアップの写真がありませんが、前漢時代にも弩機のパーツが出土しています。

それと比べると、☝の弩機パーツの加工技術、進歩しているな~と感動。

研削機械がない時代、どうやってあんなにきっちりした溝や穴を切り出すことができたんでしょう?

それとも鋳型に青銅を流し込んで製造?

これからも博物館巡りをすると思うので、どこかの博物館の説明で謎が解けることを祈っています!

今すぐ自分で調べないのが、情けない~~~。(笑)

 

「ソグド貴婦人図」☟

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次のコーナーへ移ります。(*^^*)

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このコーナーは、これしか写真がありませんでした。<(_ _)>

 

次は、上の写真の右隣りです。

甘粛省博物館にも同じような展示品があった、絵の描かれたレンガ。☟

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☝のレンガは、展示品の一番下に「複製品」と説明プレートがありました。

この右側にも、四神や人物・動物・が描かれた同様のレンガが展示されていて、それらも複製品なのかどうか、私にはよく分かりません。

写りがあまりよくありませんが、いくつか貼っておきたいと思います。

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☟は、「91DXF・M1号墓レプリカ」です。

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この説明プレート、写りが悪すぎて、自分でも表題以外よく読めません。(^^;

レプリカは、第二展示室の中央にある柱の一角を利用して展示されていました。

 

☟2枚が、レプリカの写真です。(*^-^*)

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☟は「M133照壁木斗拱とレンガ分布概略図」

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展示室中央の柱に掲示してあった概略図の一部です。

 レプリカはM1、概略図はM133です。(念のため)

 

次は南北朝のコーナーです。\(^o^)/

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コーナー全体の様子。☟

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このような文物が展示されています。☟

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上の下段の一部をアップします。☟

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 日本語訳は「鎮魂の缶1組」。

でも、中国語と英語訳から判断すると「鎮墓の壺(墓を守護する壺)一式」くらいの意味ではないかと思います。

 

☟は北涼北魏の石塔です。(*^-^*)

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出入口の近くにあったため、外の強い日差しが廊下の窓から差し込んできて、写真が写しにくいことこの上ない!(^^;

ガラスが反射しまくっていますが、アップをご覧ください。☟

 

北涼石塔:1966年沙山塔から出土。☟

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左:北涼石塔(欠損あり)1981年三危山王母宮から出土

右:北魏石塔 1972年県城広場出土

 

石塔の間に莫高窟の造営」を説明するパネルがありました。☟(^o^)☟

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日本語部分、単独で写したものをはめ込みましたが、やっぱり見にくいみたい。(^^;

☟に再掲します。

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第二展示室、最後のコーナー、莫高窟のパネルの向かいにある西涼国の新興と衰退」です。\(^o^)/

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敦煌が西北部政権の中心になった唯一の時期・・・・・・。

たった5年だったんですね。

でも、中心ではなくても、敦煌は今でも輝いてます!!

 

 

コーナー全体の様子。☟

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上の中から、二点だけご紹介。☟

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以上で第二展示室の大まかなご紹介が終わりました!(^^)/

 

 

引き続き、第三展示室「隋唐時代 敦煌の繁栄」へ参りましょう!!!(*^-^*)

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窓から差し込む日差しが反射して、正面からまっすぐ写すと読めない場所がありました。

それで斜めから写してみたのですが・・・・・・。

いかがでしょう?(^^;

 

ついに、ついに、一番好きな時代になりました~~~!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

展示室、入ってすぐの壁にあるコーナーです。☟

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上の写真の中央にある説明パネルをご覧ください。(*^-^*) ☟

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※文中の「1亩(mǔ ムー)」1/15ヘクタール(666.667㎡)に相当します。

 

☟3枚は、コーナー左端の人物像のパネルです。

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☝「莫高窟第103窟帝王図」

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☝の上:「都督夫人礼佛図」

☝の下:「牢獄図(莫高窟45窟南壁)

 

☟、隋代の「魌頭」です。

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1982年、敦煌市新店台墓群より出土。

敦煌博物館」WeChat公式アカウントによると、敦煌地区での「魌頭」の出土はこの一件のみ。

出土時には合計7点ありあましたが、破損の激しいものが1点あり、6点み展示されています。

古代の人々がこうした葬具を遺体の側、或いはその上に置いた目的は、死後の霊魂をととどめ、また邪悪なものと疫病を追い払うためだそうです。

 

こちら☟は、女性像ではなく、彼女の手元の碁石にご注目!(*^-^*) 

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☝の唐代の碁石は、1982年、敦煌市の南西75キロの場所にある寿昌城遺跡から出土した。

漢代、寿昌県は龍勒県と呼ばれていたが、北魏正光六年(525年)に寿昌県と改められた

≪通典≫巻6≪食貨志・賦税≫の記載によると、『大唐武徳六年(618年)、唐高祖は「敦煌郡は碁石20セットを献上せよ」との詔を出した』とある。このことは、唐以前から敦煌寿昌県は碁石の製造により有名であったことを説明している。

≪唐新書≫巻4≪地理四・沙洲≫には、「献上された特産品:碁石・緑礬・石膏」と記載されている。

現在、敦煌博物館で保管されている≪唐地志≫は天宝初年(742年)の写本である。写本には「・・・・・・都四千六百九十,贡棋子(碁石を献上)」と記載されており、唐武徳元年から天宝初年の100年余りの間、敦煌郡は毎年朝廷に碁石を献上していたことが分かる。

これら碁石の材質は花崗岩だが、その内のいくつかは天山支脈の白・黒玉で作られている。

碁石の外観は美しく、研磨が細かく現在流行の碁石とほぼ同じである

敦煌博物館」WeChat公式アカウントより

 

碁石をただ並べて展示するのではなく、囲碁を差しているように碁盤の上に配置しているのが面白いな~と思いました。(*^▽^*)

 

次のコーナーへ参ります!(^^)/

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☟、上の写真で前述のコーナーの奥側、及び正面のコーナーを見ていきます。

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左側には壺類が並んでいます。☟

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☟右端の壺をアップにしますネ。(*^-^*)

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壺の上に掲示されているパネルがこちら!☟

敦煌壁画「婦女揚場図」
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 ☝敦煌壁画「雨中耕作図」

 

右側のコーナーです。☟ (*^-^*)

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☟は、地図パネルの左側「唐代前期の沙州西部の概略図」

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☝の図、真ん中より少し上の辺りに「罗布泊(羅布泊)」という文字があります。

これ、「ロプノール」です。(^^)/

 

☟地図パネルの右側「唐代初期の瓜州・沙州概略図」

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☟、陶馬俑頭:1987年鉄家堡唐墓葬から出土 唐代

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☝、「陶馬俑頭」の鼻の辺り、細い線で描かれた模様が残っています。

この馬の口角が少し上がっていて、微笑んでいるように見えませんか?(#^.^#)

 

☟、左3人は駱駝を引く人物の俑。1987年、鉄家堡唐墓葬から出土。(唐代)

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上の左側は駱駝の俑。唐代のものとしか情報は書かれていません。

 

鎮墓獣:敦煌市蘇家堡墓葬から出土 唐代

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敦煌博物館」WeChat公式アカウントの☝の鎮墓獣に関する部分の説明は以下の通りです。☟

材質は陶器、副葬品の葬具。

鎮墓獣は中国古代の墓葬でよく見られる一種の怪獣。人々は鎮墓獣を凶悪で恐ろしいイメージに作り上げ、鬼魅に畏怖させ、死後の霊魂を守護するために墓葬内に配置した。

考古学の発掘から、最も時代が早い鎮墓獣は戦国時代の楚の墓から出土したもので、その後、魏晋から隋唐にかけて流行し、五代以降次第に姿を消していった。

鎮墓獣の製作について、早期の材質は木・骨が主体であり、陶製のものは非常にまれだった。その後、陶製のものと唐三彩が主要な材質となった。金属及び石製のものは少ない。この鎮墓獣の材質は細泥紅陶(さいでいこうとう)。

人面獣身であり、顔部分は高い鼻・彫りの深い目元・頬髭という典型的な胡人のイメージで造型されている。

 

次☟は、隣の壁の内側に作られている敦煌莫高窟45窟レプリカ」の中へ!(^_^)/

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☝の写真の右側に入り口が見えています。

 

入りました。☟

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実際の莫高窟の照明、これほど明るくはありませんでしたが、こんな感じに全体を照らしてありました。

 

正面に寄ってい行きます!

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天井を見上げて~。☟

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奥に向かって右側の壁。☟

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奥に向かって左側。☟

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出入口側の壁。☟

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 オレンジ色のライトに照らされて、レプリカ内は金色に輝いていました。(*^-^*)

 

この後は、出口の向こうに見えているコーナーへ移動します。☟

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館員さんお二人の姿が見えなくなりました。

誰かの置忘れの水筒がポツン・・・・・・。

寂しそうに取り残されています。

 

こちら☟は、上の写真の両サイドに建っている唐代の「天王俑」。\(^o^)/

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この二体は博物館が収集したもので、出土時期・場所の情報はありません。

 

では、コーナー右端のパネルから見ていきましょう!(*^-^*) ☟

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コーナー右側に陳列されている「天馬磚」・「伏龍磚」・「玄武磚」からご紹介します。\(^o^)/

☟最初は「天馬磚」

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「天馬磚」には敦煌博物館」WeChat公式アカウントに説明があります。

その一部をご紹介します。(*^-^*)

三危山老君堂遺跡から出土、装飾用磚として壁の基礎に嵌め込まれていた。

この「天馬」は、「漢代、敦煌の渥洼池(現在の南湖郷黄水)に天馬が出現した」という史書の記載を裏付けるものと言える。

漢書武帝紀≫の記載によれば、漢武帝の時代、暴利長と言う名の囚人が敦煌屯田に従事していた時、野生馬を一頭捕らえ、漢武帝に献上した。その馬の立派な体型・非凡な骨格を目にした漢武帝は、漢武帝が最も崇敬する太乙神が与えてくれた宝馬であると思い、「太乙天馬」と名付け、また「太乙之歌」も作成した。

これより「天馬」は一躍有名になり、敦煌もまた「天馬」の故郷と呼ばれるようになった。

渥洼池ってなんだろう?と百度百科で検索。

すると、『≪漢書武帝紀≫の記載によれば』以降の内容が、「敦煌博物館」WeChat公式アカウントのものと全く同じでした。

参考にURLを貼っておきます。(渥洼池の写真があります。)(*^-^*)

渥洼池_百度百科

 

「伏龍磚」

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「伏龍磚」も敦煌博物館」WeChat公式アカウントに説明があります。

その一部をご紹介します。

唐代の葬墓(空港墓群)から出土、墓葬床用の装飾磚。

この伏龍には龍・麒麟・犬の特徴があり、そのため初期には麒麟と呼ばれたり、天狗と呼ばれたりすることもあった。

また、踞座していることから、後に「坐龍」とも呼ばれるようになった。

「伏龍」は家神で、唐・宋代に流行した。

毎年、定期的に家屋敷内のあちらこちらを歩き回り、ある場所に来ると「伏せる」のが特徴である。

「伏龍」がいる場所は、建築・埋葬のための工事を行うべきではない。

「伏龍」を墓の中に置くことから、その墓は墓主の家屋敷の形状に基づき装飾されていることが分かる。

墓内部のいたるところに「伏龍」を置く目的は、おそらく常に家屋敷や墓を守り、或いは不吉なものを遠ざけ、厄を払い、幸運を祈るという目的を達成するためである。

 

「玄武磚」

f:id:shanshanduohuizi:20180926003119j:plainかわいそうな「玄武磚」。

残念ながら説明はありませんでした。

 

☟の写真の展示物は「花磚」です。 

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上段一番左のものは「唐代花磚」:1982年 敦煌市新店台墓群から出土

模様がとても綺麗ですよね。

 

 

この磚の上部に展示されているのは、莫高窟大220窟 東方薬師経変楽舞場」(初唐)。☟

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このコーナー、左1/3です。☟

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☝上段の四枚を拡大します!\(^o^)/

これらは四枚一組で、お墓の壁を装飾していました。

 

☟2枚(上の写真の右2枚)

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「双人双馬磚(右)☝/(左)☟」 1995年空港墓群から出土 (唐代)

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商人二人が駿馬に乗った様子を描いた物。

 

☟2枚(上の写真の左2枚)

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「牽駝花磚(右)☝/(左)☟」 1995年空港墓群から出土 (唐代)

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胡人が駱駝を引く様子

4枚一組で、壮観なシルクロードの隊商の様子を表現しています。

 

次のコーナーは、「中国・西方 交通の興隆」です。☟

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☟パネルをご覧ください。(*^-^*)

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「唐玄奘取経ルート図」

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☟、莫高窟壁画のパネル:莫高窟103窟 各国王子聴法図」(唐代)

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前の方でご紹介した「鎮墓獣」ですが、「敦煌莫高窟45窟レプリカ」の隣に、更なる展示があります。☟

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こちら☝は博物館が収集したものです。

「鎮墓獣」2体が展示されている壁にはガラス窓があり、そこから中の様子を見ることができます。☟

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☝☟は、「唐代敦煌墓葬レプリカ」です。

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☝レプリカの中を正面から覗いたところ。

 

そして、第三展示室最後のコーナー「唐代の言語・文学」です。☟

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の説明パネルの写真、ピンボケが激しいので、中国語を参照しながら何とか解読し文字でご紹介します。

敦煌文書には唐代の韻書・字書(漢字の形・音・義を解説した書籍)・句読点が大量に保存されていることから、近代における漢語・文字・発音と語彙・文法、特に語義の発展を研究する上で極めて需要な資料である』

 

上の写真のコーナー前を右に進み、☟の写真の右側を通過し、スロープを前進し、左折して、第四展示室へ向かいます。

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この日、私は閉館時間を調べていませんでした。

しかし!

①中国全土で月曜日が休館日として統一されていること。

②ローカル時間が北京時間より2時間遅れのトルファンでさえ、17時半で閉館だったこと。

③毎週通っている大唐西市博物館も、夏季時間は17時半で閉館。

以上より、敦煌博物館も17時半で閉館なのだと思い、第四展示室の途中で見学を諦めて出口へ向かいました。

実際は、今回の記事の冒頭の辺り、博物館へ入る時の件でお伝えしたように、サービスの良い敦煌では、夏季の閉館は18時半でした。(^^;

 

第四展示室:吐蕃と五代及び宗・元・明代

第五展示室:清代の敦煌

上記の二展示室については、次のブログでご紹介します。(*^-^*)

同じ博物館に繰り返し通うのが習慣化したみたい。

実際、敦煌博物館には3回足を運びました。(笑)

 

第五展示室を抜けると、一階へと降りて行く長い下りの通路があります。☟

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内装工事中のところがあったのですが、それが「範燕燕」というアートシルクのショップでした。(右下)

このショップの本部、大唐西市博物館の3階にあるんです!

大唐西市博物館は芸術体験館のようなところなので、購入希望があれば販売するけれど、基本は見学させてもらう場所。

なので、遠慮なく中に入れます。(笑)

☟の写真はネット上で探した、大唐西市博物館3階の様子。

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最高級のシルクを使用しているというだけあり、スカーフの手触りはとっても滑らか。

安物しか知らない私。(^^;

触ったことの無い気持ちよい手触りなら、高級品ということで。(笑)

布地のデザインには、莫高窟の壁画もあります。

オバマ前大統領婦人からも称賛された他、国内外の著名人からも認められている芸術品だそうです。

思わぬところで大好きなブランドの進出を目にして、ワクワク。

後日、大唐西市博物館で、この敦煌のショップオープンのために商品を発送している様子を偶然見かけ、またワクワク。

遠いはずの敦煌が、すごく身近に感じられました。(*^-^*)

 

こうして、一階まで下りて土産物屋さんへ。☟f:id:shanshanduohuizi:20180831225727j:plain

甘粛省博物館でもそうでしたが、最後に、博物館の発展にお力添えください(土産物屋でお金落して行ってね!)ということ?

ここを通らないと、出口に辿り着けません。(笑)

上の写真は、第五展示室を出てすぐの場所から撮影したものです。

上段の写真の土産物売り場に、日本語がお上手な女性店員さんがいらっしゃいました。

西安の大学で日本語を学ばれたそうです。

その方と暫く日本語でお話をしました。

カシュガルの人民広場で出会った日本人女性とお話して以来です。(*^-^*)

 

 

土産物売り場でお話していたので、18時頃、博物館を出ました。

ここから鳴沙山まで歩きます。\(^o^)/

バスで行ってもよかったのですが、それだと鳴沙山に着いてから日没までの時間が長すぎて、待ちきれないかも・・・・・・。

歩道の両側には街路樹が植えられていて日陰も多少あるし、日も傾き始めて、青空を眺めながらのんびり歩くのもいいかな~と。(*^-^*)

 

博物館を出て「鳴山路」を進み始めて間もなく、進行方向を右手にそれていく小道(合水路)にそって、水路がありました。(18時5分)☟

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水路の遥か向こうに、ちらっと鳴沙山が見えています。(^^)/

「三危路」にある東大橋の下を流れる水路。

そこを流れる水も茶色く濁っていましたが、にも関わらず感動を覚えた私。

この水路にも、もれなく不思議な感動を覚え、暫し佇んでいました。

 

さて、再スタートです!

鳴沙山まで、こんな歩道が続いています。

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少し進むと、右手に敦煌市図書館が見えて来ました。(18時10分)☟

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続いて、18時33分、中学校前を通過。

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小さな博物館のような建物に驚きです!

 

中学を過ぎるとすぐ、「文博路」との交差点を横断。☟

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前方にハッキリ鳴沙山の姿が見えます。

後少し!\(^o^)/

 

交差点を渡ったら、道の名前が「敦月路」に変わりました。

歩道がすっかり日陰になって嬉しい!!(*^-^*)

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青空を見上げながら、のんびり進みます。

 

18時47分、右手に公衆トイレを発見。☟

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一時、テレビニュースで延々報道していた「トイレ革命(厕所革命)」推進の成果?

新しそうなので、ちょっと様子を見てみようと扉前まで行ってみました。

・・・・・・残念。

まだ、使用開始前。

シーズンも終わりかけた今なら、もう解放されているでしょうか?

 

ところで、敦煌では毎日、「敦煌盛典」・「又見敦煌」・「絲路花雨」というショーが上演されています。

「敦月路」に入ってすぐの辺りに「敦煌山庄」というホテルがあって、そこに上述の中の一つ、「敦煌盛典」を上演する舞台があります。

砂漠を背景に、野外スタンドが360度回転し、その都度舞台の場面が変わる仕掛けだそうです。

装置にはCGなども駆使されているとか。

ホテルの人にすごく勧められたのですが気が乗らず、「敦煌盛典」に限らず、私は3つとも見ずに敦煌を後にしました。

なので、上演場所はこの辺りですよ~というご案内だけに止めます。<(_ _)>

 

もうすぐ「ツーリストセンター」に到着です。

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☝の写真の右手。

少し手前あたりからレストランが並んでいました。

歩道を歩く人(私を含め、車道を歩く人も)増えてきました。(笑)

 

19時6分、ツーリストセンターに到着!

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博物館から、約1時間でした。

この日は前日より時間帯が早かったので、センター入り口にはたくさんの観光客がいます。 

私は前日のチケットを顔認証登録しているので、センターには寄らず、直接入り口へ。

その時、初回入園の人たちについて、前日と同じゲートに行っていまい、中に入ることができず・・・・・・。

「前日に顔認証登録したんです!」と訴えると、顔認証対応のゲートは向かって左側へ行くよう指示されました。

そこで、サングラスはもちろん、眼鏡、スカーフも外して、やっと認証OK!!

前日、認証を失敗していたかと焦りました。(^^;

 

前日同様、オレンジ色の靴カバーを借りて準備万端!!!

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中に入ると、眼前を駱駝の隊列がずら~~~~っと。☟

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ずら~~~~っと、前日騎乗した場所から東峰のふもとまで、ほとんど途切れることなく続いていました。 

この日もヘリやグライダーが飛んでいます!

 

この時、私がいたのは、☟のガイドマップの「Mingyue Square(鸣月广场)」。

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駱駝の隊列は、破線のルートの下側を進んでいます。

 

「Mingyue Square(鸣月广场)」から、この日の目標地点を眺望。☟

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素直に整備された道を進むのではなく、迂回して右手にあった湿地帯の右側、砂丘のすぐ際から「登山区」を目指します。☟

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正面の砂丘、下から二本の列が上に向かって延びています。

あれは・・・・・・、砂丘の上から夕陽を見るため、懸命に登っている人たちの姿。

あの辺りが「登山区」です。

 

湿地の水面に鳴沙山が映りこんでいます。

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舗装された道を無視してこのルートを選択したので、当然、足元には砂。

歩きにくいですが、足腰強化のための訓練と思って、歩きます!!(笑)

 

「月牙泉」手前の記念碑に到着。☟

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「月牙泉」の記念碑の近くから、「登山区」を確認。☟

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手前にある、右側のルートで登ることにしました。☟

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登る前にちょっと休憩!\(^o^)/

1997年、初めて鳴沙山に来た時の写真をご覧ください。☟

 

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ここは入口の「騎乗ポイント」でも、「東峰」のふもとでもなく、「登山区」のふもとです。

当時はここまで駱駝に乗ってやって来ました。

東峰」への往復に比べると、乗っている距離が少し短くなりますね。

 

☟も1997年の写真です。

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砂丘と月を映したかったのデス!(*^-^*)

 

では、今回も登りましょう!

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青空を背景に、流れるような形状の雲がキレイ。

 

前方の動きが停止したので、この間を利用して振り返って撮影。☟

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道路を挟んで左側の湿地帯の際を歩いてきました。

 

少し角度を変えて、「月牙泉」方向。

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砂丘の表面、足跡の「ある場所」・「ない場所」がくっきり分かれています。

これは砂丘表面の美観を保つための措置です。

でも、まっさらな砂の上に自分の足跡をつけて、そこで撮影した動画をアップしようとする人は絶えません。

そういう人を見つけては、下からメガホンで怒鳴って止めさせていますが、係り員が登ってまで静止するには時間がかかります。

注意されても、1・2枚撮影するくらいの時間はあるようです。

それから急いで立ち退く・・・・・・、そんな様子を何回か目にしました。

 

「月牙泉」のアップ。☟

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あの塔の下まで行けばよかったのですが、私は上から眺めただけで満足。(笑)

後は下りて、市内に戻るだけ。

 

「月牙泉」まで行かない代わりに、またまた昔の写真を貼らせていただきます。(*^-^*)

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☝これは、1997年6月のもの。

左の砂丘の上に人がいます。

今は立ち入り禁止区域となっている辺りも、当時は開放されていたようです。

 

☟、2000年1月の写真です。

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建物は写ってなく、正に「月牙泉」のみ。

見えにくいですが、寒さで凍り付いています。

 

上の写真に入っていなかったので、建物だけ下からアップ。☟

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砂丘の上より、当然ながら下の方が早く日が隠れます。

出入口に向かっていると、まだ「月牙泉」の塔のてっぺんが少し見える辺りで日没状態に!

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☝の場所で、これでもかと言うくらい何枚も撮影して、大満足。\(^o^)/

 

駱駝の騎乗ポイント近くまで戻って来ました。☟

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☝☟、仕事を終えて、引き上げてくる駱駝たち。(*^-^*)

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お疲れ様~~~!!!

駱駝引きのおじさんたちも、一日中キツイ日差しを浴びながら、歩きにくい砂の上を何往復もお疲れ様でした。m(__)m

 

この時間(20時37分)の、「東峰」方向。

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まだこれから「東峰」に向かう隊列もあります。

前日は、私もまだ「東峰」のふもとにいました。(笑)

 

最後に、もう一度、引き上げて行く駱駝を見納め。☟ 

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楽しかったな~~~。(*^-^*)

夕焼けは綺麗だけれど、沈んでいく太陽というのは何となく物悲しいモノ。

これで駱駝とお別れか~と思うと、夕暮れ時の雰囲気に感化され、ちょっとしんみりした気分になりました。

 

2018年9月30日です。

昨日、WeChatに登録している「鳴沙山月牙泉」公式アカウントで、「入園料調整の通知」が公表されました。

2018年10月1日より以下の通り変更になります。

オンシーズン:110元/一人/回

オフシーズン:55元/一人/回

学生・未成年等の割引はこれまで通りです。

顔認証での2回入園については言及されていません。

でも、値下げなので、サービスが低下することはないのでは???

記事アップ直後の調整なので、念のためお伝えします。(*^-^*)

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前日の反省を踏まえ、この日は少し早めにバス停へ移動。

おかげで路線バス③に最終便に間に合いました。(^^)v

 

③バスで「沙州市場」で下車。

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降りるとそこは「敦煌夜市」の入り口。☟

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この門の内側には、お土産物屋さんがあります。

そこに並んでいる駱駝のぬいぐるみ。

先刻、駱駝との別れを惜しんだばかりなので、ものすご~~~く買いたい!!(笑)☟

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でも、まだ数日滞在するし、慌てなくてもいいや。

写真だけ~~~~。(笑)

この時はそう思って買わなかったのですが・・・・・・。

最終日、他の店では日焼けして色あせていそうなので、結局ここにやって来ました。

すると、何匹もいる駱駝の中で、一番私の目を引き付けた個体がいた辺り、数個分がスカッと抜けているではありませんか!!

ちょうど、すれ違った人が黄色い駱駝のぬいぐるみを持っていました!!

僅差で、お気に入りを持って行かれた~~~!!!

教訓:欲しいと思ったものは、その場で買うべきです。

なんて、今写真で見ると、みんな同じようにかわいいではありませんか。(#^.^#)

 

土産物売り場を過ぎると、夜市です。☟

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21時40分。まだまだ賑わってますね!

 

☟も夜市の敷地内。

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この通りをまっすぐ進むと、初日・前日と夕食を買った饼(ビーン)類を売るお店があります。

更にその先が、歩行者天国。☟

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民芸品のお店の軒先で、彫刻中。☟

 

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許可をいただいて、接近して撮影しました。(*^-^*)

 

歩行者天国の南端、「西域路」の近くの飲食店も、まだまだ営業中。(22時40分)

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この日もまた、フルーツの盛り合わせを購入。

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美味しい果物を食べて、一日お疲れ様でした!(*^-^*)

 

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日付変わって、9月28日(金曜日)の深夜です。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます!(*^▽^*)

 

最近、西安は雨がちです。

気温もかなり下がってきて、昨日は日中20度以下の肌寒い一日でした。

晴れてくれると、25度くらいまで上がって気持ちの良いお天気なのですが、毎年、9月は雨が多いのでありました。(^^;

 

そう、私の頭の中は相変わらず7月初旬でも、周囲は秋なのです。(笑)

西北工業大学校内も、大唐西市城も、金木犀・銀木犀が咲き乱れています。

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教室の場所が変わって、通学ルートが少しだけ変わりました。

すると、去年は気付かなかった場所にも、とても大きな木犀があるのを発見。

来年はもう見ることができないので、小さな花が落ちてしまうまで、校内をぐるぐる回って鑑賞したいと思います。

 

そして昨日夜、大唐西市城の広場で、大唐西市城オープン6周年のイベントがありました。

雨が止むのを待って、1時間半以上遅れてスタート。

古典楽器の演奏、子供たちの演技・拳法のデモンストレーション・伝統の楽器を弾きながら西安の方言で歌を歌ったり。

プログラムの合間に抽選もありましたよ。

抽選はQRコード(下の写真・右上)を使って実施。

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私は初めの1時間くらいしかいなかったのですが、その時には、1000元相当(1元=16円換算で16,000円)のスキンケアセット8点の抽選がありました。

景品、かなり気合が入ってますネ。

 

以上、簡単ですが、「現在」の西安でした。(*^-^*)

おやすみなさ~~~い。