西安今昔③大雁塔・城壁からの風景(1997年~2020年)『せいあん!』最終回
2020年5月10日(日曜日)。
なんと~~~、前回の記事から2ヶ月も過ぎてしまいました。(ーー;)
その間、季節は春から初夏へ。
新型コロナウィルスは日本や全世界でも猛威を振るうようになってしまいました。
外出自粛で、旅行どころではない昨今。
旅行写真貼っての記事は、不適切?
しかも季節外れ・・・・・・。(◞‸◟)
でも、これが2017年8月末から始めた『せいあん!』のラスト記事。
初めて西安に旅行した1997年からの大雁塔・西門・南門周辺の様子を、ブログに残しておきたいんです。
単なる自己満足なのですが・・・・・・。(^^;
今回は本当に景色の変遷を残すのが目的なので、現場の情報も少なければ、コメントも少なくなると思います。
それでも・・・・・・、もし興味を持っていただけたなら、ぜひご一緒に、古今の西安の景色をご覧ください。(*^-^*)
【目次】
【大雁塔】
では、大雁塔周辺を散策に出かけましょう!\(^o^)/
【北広場~大慈恩寺入り口へ】
こちら☟は、昨年夏、完全帰国する直前に大雁塔へ出かけた時のものです。
大雁塔周辺は、この2019年7月の写真をメインに、時々昔の写真を織り交ぜてご紹介していきます!(^^)/
真夏らしい青い空と、雲がとても綺麗!
写真では分かりづらいのですが、この日は空気が澄んでいて、大雁塔の後方、白い雲の下に、南山が薄青く見えていました。
北広場、大雁塔に向かって右側(西側)の通りを、噴水の端に沿って南へ移動。☟
乾ききっていない噴水の水に映り込む、大雁塔や白い雲。
後2ヶ月もすると、この写真を撮ってから丸一年経ちます。
本当はもっと早く、ブログに登場するはずだったのに・・・・・・。
前向きに考えて、この風景、季節をちょっと先取りということで。(^^;
☟、噴水が終わり、大慈恩寺の西壁に沿って南へ向かう途中。
突き当りを右に曲がります。
上の写真の植え込みの一角にあった柘榴。☟
色づくには後もう少し。
☟大慈恩寺の西側の通り。
大雁塔を左手に見上げながら、木陰の下を進みます。
☟、チケット購入!
大人1枚40元でした。
【大慈恩寺境内】
手荷物検査を受け、中に入りました。☟
上の写真の右手に、案内看板があります。☟
☟、正面向かって左手。
☟、正面向かって右手。
☟、前進!\(^o^)/
☟、階段の手前から見上げた大雁塔。
【大雁塔からの景色:南側】
唐突ですが、さっそく塔の上から見た風景スタート!
先ずは南側をご覧ください。(*^-^*)
☟、2019年7月10日撮影。
真っ青な空と白い雲の下、南山がくっきり!\(^o^)/
手前から、大慈恩寺の境内、南広場(中央に三蔵法師の銅像!)、その向こうに大唐不夜城の歩行者天国がまっすぐ伸びています。
遠方に見えているのは高級マンション群。
大慈恩寺の境内と南広場の右手には、2018年12月(だったと思います(^^; )にオープンした「西安大悦城」です。
「西安大悦城」と道路を隔てて南側には、隣接する不夜城の建築物と様式を合わせたウェスティンホテルがあります。
☟、2015年5月24日撮影。
帰任間近だった上司の願い「在任中に、ぜひとも兵馬俑を見に行きたい!」を成就すべく、武漢から上司・同僚数名で遊びに来た時のものです。(*^-^*)
この日は、ちょっと霞んでいますね。
遠方の山並みは見えません。
南広場では催し物が行われていたようで、水色のテントが並んでいます。
南広場右手は「西安大悦城」が建設される前にあった古い建物です。
この日の朝は、この建物の一角にあったスターバックスで朝食を取りました。
道向かいにあるウェスティンホテルは、変わっていません。
南に延びる大唐不夜城、見た感じ、2019年と変わらないようですが・・・・・・。
この当時、全面歩行者天国ではなく、両サイドは車道でした。
2018年の春節期間中に遊びに出かけた時も、車道を通行止めにして、臨時の歩行者天国としていました。
2018年年末に工事をしていたので、その時から全面歩行者天国になったのかも?
☟、2004年5月6日撮影。
その直後の4月末からのGWを利用して、寝台列車に乗って西安まで遊びに来ました。
一つ前の写真とは11年の差があるので、随分景色が違いますね。
南広場は出来上がっていますが、そこから先はこれから開発と言ったところ。
将来、大唐不夜城の歩行者天国となる道が、南へ真っ直ぐ延びているだけ。
2004年から2015年の間、半年間留学していたり、何度か遊びに来たりもしたのですが、大雁塔には上らなかったので、残念ながら比較できる写真がありません。(^^;
☟、1997年6月19日撮影。
大慈恩寺境内の南側ギリギリまで古い建物が迫っています。
南広場はもちろん、南へ延びる道もありません。
二十数年前の、長閑な風景が広がっています。
【大雁塔からの景色:東側】
東側へ移動します!(^^)/
☟、2019年7月10日撮影。
☝、右側中央辺りに大唐芙蓉園にある芙蓉湖の一部が見えています。
後方は、一面に広がる高級住宅街です。
☟、2015年5月24日撮影。
スモッグに日差しが乱反射し、白っぽく光っているみたいです。
見にくいのですが、芙蓉園の芙蓉湖は写っていますヨ。
☟、2004年5月6日撮影。
この時は、芙蓉園の辺りはまだ開発が始まったばかりのようです。
高層ビルもなく、地平線に近い低い位置に、薄っすら山並みが見えますね。
☟、1997年6月19日撮影。
長閑な景色です!
【大雁塔からの景色:北側】
次は、北側へ。(*^▽^*)
☟、2019年7月10日撮影。
噴水が上がっていたら、画面が躍動的になって良かったんですけど。(^^;
ここからよく見える噴水の左側の通りを歩いて、大雁塔までやって来ました。
噴水の向こう、北へ真っ直ぐ延びる道は「雁塔北路」。
「雁塔北路」は城壁の「和平門」まで続き、城内に入ると「和平路」と名を変え、東大街と交わった後は「解放路」となって西安駅まで続きます。
西安市の中心である城内へ向いているので、この方角の開発が一番早かったはずです。
☟、2015年5月24日撮影。
噴水もあるし、噴水周囲の建物も現在とほぼ同じ。
噴水広場の北側に、赤い巨大なクレーンが見えます。
地下鉄工事が始まっていました。
☟、2004年5月6日撮影。
この北広場の噴水、2003年に完成したと「百度百科」にあります。
完成して1年経つか経たないかくらいの時期で、友人がわざわざ噴水が上がる時間を調べて、ここへ連れて来てくれました。(*^-^*)
植え込みに背の高い木がないので、広場がすごく幅広く感じます。
☟、1997年6月19日撮影。
かなり拡大し写しているので、大雁塔足元、現在北広場となっている部分は 写っていません。
「雁塔北路」の南端部分からの写真です。
西安市の中心を臨む方角だけあって、1997年の南・東の写真と比べると都市感が濃厚です。
【大雁塔からの景色:西側】
最後に、西側をどうぞ!(^^)/
☟、2019年7月10日撮影。
大雁塔はかなり南にあるので、この道「雁塔西路」を西に進んでも、留学していた西北工業大学にはたどり着けません。
西北工業大学は、この☝写真だと枠を外れてもっと右の方角でしょうか?
二年間の留学の終わりに、雲一つない真っ青な西空を撮影でき、感無量でした。(*^-^*)
写真の左手に写っているのは、「西安大悦城」です。
☟、2015年5月24日撮影。
「西安大悦城」が建設される前の建物が左手にあります。
☟、2004年5月6日撮影。
アップで写していたので、「雁塔西路」が始まる辺りからしか写っていません。
その分、街の様子が大きく見えます。
クレーン車が設置された状態の高層ビルがたくさんあり、歩道も掘り返されていて、開発真っただ中。
☟、1997年6月19日撮影。
北側に劣らず、都会な感じがしませんか?
緑生い茂る大雁塔足元の向こうに延びる「雁塔西路」、手前の方は屋根(アーケード?)がついているような???
以上、大雁塔から眺めた、東西南北の風景でした。
西安郊外の南側と東側の変化、特に大きかったですね。(*^-^*)
【大慈恩寺境内・南広場・北広場噴水】
☟、大雁塔の塔から下りて、外へ出た場所で撮影。
大慈恩寺の建物の屋根が連なっています。
その建物の間を通って、境内から出るため移動中。☟
出入口まで、後少し。☟
そんな時、東の空をふと見上げたら、月が出ていました。☟
☟、銅像の前に回り込んで、撮影。
背後の雲が、迫力あってイイ感じ。(*^^*)
16時前でも、7月中旬の西安はまだまだ日が高く、不夜城の歩行者天国を散策する人はまばらでした。
暫くエアコンが効いた「西安大悦城」で涼んでから、行動開始。
地下鉄に乗るため、大雁塔を見上げながら北広場へ!
「西安大悦城」の出口から撮ったものです。☝
北広場へ到着すると、音楽に合わせ、噴水ショーがちょうど始まった所でした。☟
月に向かって高々と噴き上げる水柱。☟
飛び散る水飛沫で、虹も発生!
とってもキレイ!\(^o^)/
夏場の西安、空気の澄んだ日も多いんですよ。
本当に、爽やかな一日でした。
【2020年元旦の夜景】
大雁塔周辺のラストは・・・・・・。
2020年元旦に出かけて来た時のものです。
学校の先生お二人、そして空いた時間に漢語クラスにまで聴講に来ていた院生のロシア人の友達と、 「西安大悦城」で食事をした後、「西安大悦城」の屋上へ。
いつも見上げていた大雁塔が、真正面にあります。☟
ここ、絶好の撮影ポイントです!(^_^)v
この階段を下りた所から、階段の上を振り返ると・・・・・・。☟
巨大な月が~~~!(゚д゚)!
なんて・・・・・・、こんな球体が設置されているのです。☟
ここも、記念撮影スポットです。(*^-^*)
☟、「西安大悦城」の入り口の一つ。
この向かい(☝写真だと左手)に、大雁塔の南側に見えたウェスティンホテルがあります。☟
ライトアップすると、とても華やか!\(^o^)/
☟、夜の南広場、ライトアップされた三蔵法師と大雁塔。
不夜城方向は・・・・・・。☟
かなりの人出です。
でも、春節期間、特に最終日の元宵節の夜は、こんなもんじゃありません!
今年は新型コロナウィルスの影響で外出禁止だったので例外ですが、毎年、大変なことになります。
その様子、良かったらこちら☟をご参照ください。(*^-^*)
2019年春節、曲江(大雁塔北広場・南広場、大唐不夜城歩行者天国)の元宵節! - せいあん!
☟、歩行者天国を歩いてみると、まだ2020年春節用の灯籠は準備されていませんでした。
これ☝は、通常モード。
鐘楼や鼓楼のような歴史的木造建造物は、本体に直接照明を設置してはならないことになり、この同時期に私が目にした照明は、以前とは打って変わって薄暗くなっていました。
☝をご参照ください。
でも、観光地として開発された大唐不夜城の建物は、こうした制約を受けないんでしょうね。
春節期間のような特別な展示がなくても、こんなに煌びやか!
北側を振り返ると、大雁塔が見えます。☟
ただただ・・・・・・、眩い。☟
4人で不夜城の歩行者天国を往復し、大慈恩寺の横を通って、噴水のある北広場まで戻って来ました。
このエリアに到着した時は、まだ日が明るかったので目に留まらなかった北広場の灯籠。☟
☟、最後に、後光の射す大雁塔をバックにみんなで記念撮影。
昨年夏の帰国時には、年末年始だけでなく、このGWも中国に行く気満々だったのですが・・・・・・。
海外渡航どころか、国内の県境超えも自粛しないといけない現在、次はいつ、みんなに会えるでしょうか?(◞‸◟)
世界が少しでも早く、安全で、安心して生活できる環境を取り戻せますように!
【城壁(西門から南門へ)】
さて、ここからは、西安の城壁からの風景を見て行きたいと思います。
過去2回、城壁を一周する機会がありました。
でも、西北工業大学に一番近いのが西門だったことから、一番縁があったのはやっぱり西門。
バスや徒歩で、何度西門の下を通ったことか!
西安に初めて旅行に来た1997年に上ったのも西門だったということもあり、西門は私にとって思い入れが特に深い建築物なのです。(*^-^*)
【図①】
☝、赤い矢印のように、2019年12月末に友人と西門から城壁に上り、南門で下りた時の写真をベースに、2019年夏帰国前日、夕日を追い求めて城壁に上がった時の写真と、ちょっと昔の景色をご紹介しますね。\(^o^)/
【西門周辺】
☟、2019年12月29日に撮影した西門です。(^^)/
友人と城内散策をするには絶好のお天気でした。(*^-^*)
柔らかな日差しを浴びる西門。
見ているだけで、私は今でも幸せな気分に浸れます。(笑)
☟、こちらは、2019年7月13日撮影の西門です。
翌日帰国だったので、これが見納め・・・・・・と、両サイドも忘れず撮影。
右側が図の①、左側が図の②です。
真夏なので緑が濃いですね。
☟、夏に撮ったチケット売り場。
年末もここでチケット購入。
余談ですが、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、暫く参観停止になっていました。
その後、2月29日に開放され、5月29日までは、ネット予約で無料チケットを取得し、チケットの二次元コードを提示して入城するようです。
この案内が出たばかりの頃、予約できるか試してみたんです。(笑)
すると、当初はパスポートによる身分証明ができず、外国籍の人々は観光案内へ電話するしかありませんでした。
現地にいれば、電話すれば済む話なんですが・・・・・・。
私は中国語に限らず、日本語であっても電話で何か予約したり、購入するのはあまり好きではありません。(◞‸◟)
当時、日本にいる私が城壁に上がる可能性はゼロにもかかわらず、「不便だな~」と落胆したのを覚えています。(笑)
ところが、本日、久しぶりに検索してみると・・・・・・。
今はパスポート申請も用意されているではありませんか!\(^o^)/
一安心です!
☟、昨年末は54元のチケットを購入し、いざ、瓮城内へ!(^^)/
瓮城とは、
『 中国の城郭や関所で、正規の城門外(まれに城門内側)に防御用の城門を二重(もしくは三重以上)にかけた半円形あるいは方形の小堡をいう』
のだそうです。
以下☟、ご参照ください。(*^-^*)
【図①】にも「西門瓮城」と記載されています。
☟、城門を、手を繋いで歩く二人のシルエット。
若いって、いいな~。(笑)
☟、私達も城門を通って中へ。
正面に見えているのは、【図①】Ⓑの箭楼です。
☟、城門の上に建てられた城楼。【図①】Ⓐ
☟、こちら、箭楼の前にあった紹介で、位置関係を確認!
見取り図の左、城外に飛び出している部分にあるのが箭楼。
見取り図の右側が城楼です。
☟、2019年7月に撮影した城楼。
夕日を浴びて、瓦の色がオレンジ色に染まっています。
☟、箭楼に向かって右手にある階段を上がります!(2019年12月)
階段を上がった場所から撮影した城楼。☟(2019年12月)
こちら☟は、2019年7月のもの。
夏らしい雲と、オレンジに染まった屋根の上方に、白い月。
この日は西安最後の日で・・・・・・、こんな綺麗な景色をこれからは思い立ったらすぐに見に来ることはできないんだ・・・・・・と、ちょっと切なくなった風景です。
【図②】
☝、2019年7月は青色の矢印の方向へ、12月はオレンジ色の矢印の方へ移動しました。
☟、12月末、【図②】の①側、瓮城の北西角から西方向を撮影。
①を通って、城内から出て行く車の列が見えます。
☟、城壁の上、箭楼の前から、真正面に臨む城楼。(2019年12月)
こちら☟は、1997年6月に撮影したものです。
この写真も城楼を正面から写していますが、一つ上の写真とは角度が少し異なります。
もう記憶に残っていないのですが、写真の角度から、箭楼の上から撮影したようです。
当時は中に入らせてもらえたんですね。(^_^)v
写真には、今も変わらずその場に立っている槐の木と、「甜水井」が写っています。
☟、どうしても月と一緒に写したくて、角度の都合上、【図②】の青いルートで北側から城楼へ接近。
どう頑張っても、月は小さな点になってしまいました。(T_T)
☟、側面から見た城楼。
写真の色合いを見るだけで、この日、夕刻、日が傾いて少し涼しくなった心地よい西安の風を思い出せます。(*^^*)
☟、城楼から見た箭楼。(2019年7月)
☟、こちらは1997年6月に写した【図②】の①方向。
この写真も箭楼から写したもの。
左下に箭楼の屋根が少し映っています。
瓦の隙間から草が生えて来てる・・・・・・!(笑)
当時はまだ、今ほど観光資源にお金をかけて整備ができなかったんでしょうね。
でも、これはこれで、味わいがあります。(*^-^*)
こちら☟も1997年のもの。
同じく、箭楼の上から写した「西関正街」。
トロリーバス、赤いタクシー、自転車に乗った人々。
年代の近い1999年の初留学を思い出させてくれる、懐かしい風景。
当時、先生方やクラスメイトと一緒に、夜、回民街へ出かけた戻り、タクシーでここを通過しました。
交差点で停車した時、ふと見た街灯の下、黄色っぽい照明に映し出されたモワモワと白く舞い上がる砂埃!
その量の多さに、思わず手で口と鼻を抑え、息を吸うのを我慢しようとしてしまった、思い出深い場所です。(^^;
でも、呼吸せずには生きていられません。(笑)
当然、埃は街灯の下だけで舞っているのではなく、その場を離れたらからと言って改善される訳ではありません。
結局、西北部は乾燥していて埃っぽいのはしかたない!と開き直るしかありませんでした。(笑)
現在は見違えるほど路面が綺麗で、自然現象の黄砂が強風で吹き荒れる時くらいしか、砂埃が舞い上がるようなことはありません。
その代り・・・・・・、PM2.5による汚染が問題になっていますケド。(T_T)
☟、2019年12月末撮影。
少し霞んだ空の下、環城公園の堀に掛かった太鼓橋が見えています。
☟、拡大写真もご覧ください。
なぜ、この太鼓橋にこだわるかと言いますと・・・・・・。
☟、1997年に撮影した写真にも、太鼓橋が写っていたからなんです!\(^o^)/
木の枝が邪魔でよく見えないかも知れませんが、ちゃんとあるんです。(*^-^*)
2017年夏に西安に戻って以降、この公園を散策する時に見ていた橋は真新しく綺麗だったので、私は環城公園を整備した時に造られたものだとばかり思っていました。
整備前の堀は・・・・・・、地元の方の話では、かなり臭かったそうです。
植え込みも手入れされておらず、1999年9月からの最初の留学時、私は一度もこの堀周辺に足を運んだことがありませんでした。(^^;
私の中で、当時の環城公園は荒廃した印象。
堀を渡るために橋があったとしても、もっと実用的な簡易な橋だろうと言う思い込みがあったんだと思います。
なので、昔の写真に今と同じような太鼓橋を見つけて、驚いたし、すごく嬉しかったんです。(*^-^*)
☟、2019年12月末、箭楼の前を通って城楼の南側までやって来ました。
☟は、上の写真の城楼の側にある鐘。(2019年7月)
来歴については、この場では追究しないことにします。(^^;
☟、城楼の上、東側から見た西大街と鐘楼。
木々の陰から、西大街上の地下鉄工事現場がチラッと見えています。
☟、【図②】の②、城内へ入って来る道路です。 (2019年7月)
ここで、やっとイイ感じの夕日を写すことに成功!\(^o^)/
☟、上の写真と同じ場所から撮りました。(2019年12月)
上の2枚の写真、路面がはっきり見えます。
砂埃が端に溜まることもなく、思いの外、キレイでしょう?(^^)v
【西門⇒西南角】
☟、道路の上を通過して一つ目の馬面(敵台)北側から、箭楼・城楼・城壁の側面を。(2019年12月)
道路脇に設置された、駱駝の隊商のモニュメントも写っています。
☟、一つ目の馬面の南側は、こんな感じです。
環城公園の入り口の一つです。
この広場では、いつもどこかのグループが踊っているような。(笑)
では、城壁西南角へ向けて、出発!!!\(^o^)/☟(2019年12月)
☟、こちらは1997年6月。
当時は、城壁上を自由には歩かせてもらえなかったようです。
かすかに記憶に残っているガイドさんの話だと、国際マラソンが開催される時は、この柵が開かれたそうです。
☟、足元の環城公園を眺めながら、南へ!
☝は2019年12月、☟は2019年7月のもの。
☟、延々と続く卓球台。(2019年12月)
城壁が少し右に張り出しているのが見えると思います。
あそこはまだ、西南角ではありません。
西門から歩いて来て何個目かの馬面です。
☟、特に目立つもののない、城壁上の風景。(笑)(2019年12月)
でも、この風景だって大切な思い出。(^^♪
☟、城壁上からの夕日、その2。(2019年7月)
☟、太鼓橋が見えて来ました。(2019年12月)
冬場は、木々の葉が落ちてしまっているので、見やすいですね。
☟、ほぼ真正面からの太鼓橋。(2019年7月)
☟、ここまで、環城公園の方ばかり眺めていたので、視線を城内方向へ向けてみました。(2019年7月)
頭上に白い点のような月が写っています。
夕日を浴びて、建物が赤く染まっています。
☟、西南角が見えて来ました! (2019年7月)
☟、城壁上からの夕日、その3。(2019年7月)
☟、城内側に並ぶアパート。
このくらいの高さだと、エレベーターはないハズ。
古い建物なので、城外に立ち並ぶマンションと比べたら不便な点も多いかも知れません。
でも、「城内に住めるなんて、羨ましいな~」と思いながら眺めました。(笑)
☟、西南角少し手前の城壁内側。
西南角にも城壁へ上がり下りする入り口がありましたが、通常は閉鎖されています。
城内側を写している間にも、夕日は刻々とビルの谷間に沈んでいきます。
急いで環城公園側へ戻ると・・・・・・。
ぎちぎり、セーフ!!!
☟、城壁上からの夕日、その4。(2019年7月)
ちょうどいい感じにビルが途切れていました!\(^o^)/
スモッグに飲み込まれて姿を消すのではなく、まん丸いオレンジ色に輝きながら、完全な円形を保って沈んで行こうとしています!!!
帰国前日、しかもこの日は誕生日。
大好きな西安から、ステキなお別れ&誕生日プレゼントをもらった気がしました。(*^-^*)
☟、西南角の円角台に到着~~~!!!
顔に「Xi’An City Wal」と書かれた、カラフルな兵士がずらり。
端まで行って、城外を見下ろすと・・・・・・。☟(2019年12月)
最後の留学の2年間、何度も足を運んだ懐かしい西南角の景色が!
☟、こちらは2019年7月バージョン。
堀の向こう側から、この場所の写真をどれほど撮影したことか。☟
☝は、2019年3月撮影。
今いるのは、矢印が指している場所です。
他の3つの角は四角く出っ張り、上に楼があります。
円形なのは、ここだけ。(^^)v
【西南角⇒南門】
☟、兵士たちの後ろ姿。(ここから暫く、2019年12月撮影)
☟、西南角の北側は、歩いてやって来た西門方向。
さっきの夕日は、一番手前の旗の柱の側で撮影しました。(*^-^*)
☟、反対側、これから進む南門方向です。
☟、写真中央の丸く突き出した場所が、兵士が並んでいた西南角の角台です。
☟、堀と道路の向かいに、西北大学が見えます。(注:「西北工業大学」ではありません)
☟、南門へと続く城壁と、その途中にある一つ先の馬面。
☟、含光門の手前までやって来ました。
含光門には、唐長安城の考古学界で現存する保存状態が最も良い城門遺跡があります。
こちらに関しては、以前ご紹介したものがあるので、よろしければ☟をご参照ください。(*^-^*)
西安唐皇城壁含光門遺跡博物館と2019年西安城壁灯籠祭り - せいあん!
☟、2019年7月、夕方。西方向をちょっと振り返ると・・・・・・。
夕焼けが大好きな私ですが・・・・・・。
この日ばかりは、暮れゆく西空を見ると寂しさが込み上げて来ました。(T_T)
☟、こちらは、またまた2019年12月。
午後の日差しが明るく、久しぶりに会った友達も一緒。
楽しく前進していると、工事現場がありました。
春節用の灯籠の準備かな?と思ったら・・・・・・。
☟、29~30号馬面の間の修繕工事でした。(笑)
☟、工事区間、こんなにあります。
新型コロナウィルスの影響で観光は一時中止されていたけれど、その間、工事は行われていたのかな?
工事期間は2020年4月30日までとなっていたので、もう完成したのでしょうか???
☟、城内の街並み。
城壁すぐ内側のこの辺りは食事処が並んでいて、食事時には路上駐車場が車で埋まります。
2017年7月に西安に戻ったばかりの頃、大学が夏休みなので学生ビザの申請ができず、武漢で取得した就労ビザで滞在していました。
その頃少しだけ、高級日本料理屋で従業員に日本のマナーを教えるバイトをしたことがあります。
何店舗か訪問したのですが、その内の一店舗がこの辺りにありました。
懐かしい!
ところで、そのバイトの時給は、なんと、1時間30元!!!
当時のレート、1元=16円で、たったの480円!!!(笑)
でも、レストランで働く地元の人達の時給はこのくらい。
バイト内容も簡単だし、こんなもんかな~と思っていたのですが・・・・・・。
ここではなく、南門近くの蟹専門に行った時、たまたま「二人連れで一食に4,000元くらい使ってくれた!」と店長が嬉しそうに話しているのが聞こえて来ました。
日本円にすると、約64,000円!!!
巨大なタラバガニを空輸しているので、高くて当然なのですが・・・・・・。
その時は、さすがに自分のバイト代が哀れに感じました。(笑)
☟、こちらは馬面の修繕工事ではありません。
春節用の灯籠の準備も始まっていました。
☟、南門に近づくにつれ、完成した灯籠が増えて来ます。(*^-^*)
囲いの上からはみ出した部分しか見えなのが残念。
☟、2019年7月、上の写真とほぼ同じ場所の夜景。
【天街】
☟、まっすぐ北に延びる「南広済街」。(2019年12月)
ここは朱雀門の真上に当たります。
突き当りに見えているのは、「北広済街」の入り口にあるかつての「百盛(パークソン)」。
2018年11月22日、パークソンが撤退後、現在は「時代盛典百貨」になっています。
この建物の下を通って、「北広済街」の回民街へ入ります。
☟、2019年7月も、同じ場所を撮影。
回民街の入り口の一つが見えた!と嬉しかったんです。(*^-^*)
☟、ここに、こんな紹介がありました。
久々に、参考として訳してみたいと思います。(*^-^*)
【天街】
唐長安皇城内の承天門街、その旧跡はおよそ現在の朱雀門内にある「大保吉巷と南北広済街」に当たる。この通りは皇城内の中央を南北に走る大通りで、北は宮城の承天門外を横に延びる通りの南まで、南は皇城の朱雀門に達し、通りの幅は百歩、およそ147メートルに及ぶ。皇帝の居住地である太極宮の正門・承天門に直通、「天廷」に直結していることから、「天街」と称される。
☟、地図も紹介されていたので、ご覧ください。
☟、大唐西市博物館で展示されていた、唐代と現代を対比させた地図で、「天街」を確認してみましょう!\(^o^)/
黄色が「天街」、緑の四角は現在の城壁の場所、赤の十字は現在の東西南北の大街、赤点は鐘楼です。
こうしてみると、唐代の東西中心線は、現在より西よりだったんですね。
☟、この辺りから、出来上がった灯籠を見ることができました。
アーチの向こうに、南門が見えています。
☟、工事現場の衝立がなくなったので、城壁の外も見やすくなりました。
【南門周辺】
☟、南門に到着後、箭楼の前を通過してやって来た東側のスペース。
ここにも、西南角にいたのと同じ兵士たちがいます。
☟、その側にあった鐘。
でも、鐘がメインではなく、鐘の後ろから差し込む夕日こそが、この写真の主役なのです。(笑)
☟、箭楼と城楼を繋ぐ東側の城壁上に設置された「祈願灯廊」。
たぶん、去年と同じように願い事を書いた黄色い短冊がつるされるはず。
去年の様子は、既にURLを貼っている『西安唐皇城壁含光門遺跡博物館と2019年西安城壁灯籠祭り』でご紹介しています。
☟、いくら天気が良くても、年末です。
周囲の人はみんな厚手の上着を着こんでいる中、何の撮影なのか分かりませんでしたが、半袖チャイナ服で撮影に臨むモデルさんがいました。
モデルさんって、大変。
☟、箭楼と城楼の間のスペースでは、今年の干支であるネズミの灯籠を建設中でした。
およそ半年ぶりにやって来た西安。
久しぶりに上った城壁で、今回も運よく綺麗な夕日に巡り会えました!\(^o^)/
☟、城楼の横から、東方向を。
東側も、灯籠を造っている最中。
せっかく造っている灯篭ですが、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、春節期間を含めて長期間外出禁止となってしまいました。
毎年、地元の人や観光客でごった返す城壁の灯籠祭り。
今年は準備万端整った直後、参観中止に・・・・・・。
造った人たちも、楽しみにしていた人たちも、そして灯籠たちも、とても残念だったと思います。(T_T)
それでも、参観中止直前や、中止が解かれて人数制限有りでの鑑賞はされたようで、その時の写真をWechatモーメンツからもらったり、友人が直接送って来てくれたりしました。
こうした写真、ブログの最後にまとめて貼らせていただきます。(*^-^*)
☟、南門の外に出ました。
☟、こちらは2019年7月のもの。
この頃はまだ歴史的木造建築物に対するライトアップ規制がありませんでした。
なので、城楼が発光しているみたいに輝いているみたいです。(*^-^*)
【南門城外】
ここからは、南門を城外から見てみたいと思います。\(^o^)/
☟、2000年5月、知り合いの駐在員さんご夫婦が宿泊されていたANAホテル(現在は「西安君楽城堡酒店」)のお部屋から撮影させていただきました。
☟、同じく、ANAホテルから。(2000年7月)
河北省へ転校する夏休み前、手料理をご馳走になりに伺った時に撮影。
最初の西安留学の際、とてもお世話になったご夫婦。
今も、時々奥様と連絡を取らせていただいています。(*^-^*)
☟、南門を西側面から、吊り橋と閘楼。
1999年9月~2000年7月の間にいただいたものです。
☟、2004年5月初め。
吊り橋と閘楼。
☟、2019年7月10日。
この一枚、手前から吊り橋、閘楼、箭楼、城門と、運よく一緒に収まっていました。(*^-^*)
☟、下2枚は、2019年3月に含光門遺跡と2019年の灯籠祭りを紹介した記事にも貼っているのですが、再登場してもらいました。
☝吊り橋と、☟吊り橋から見上げた箭楼。
西門箭楼前に設置されていた紹介(西門の紹介の時に写真を貼っています)によると、南門の箭楼は民国初期、戦火により破壊されたとあります。
その他三つの門の箭楼は、明代に建設された状態が保存されているとのこと。
それじゃあ、今目にすることができる南門の箭楼は何時修復されたのか???
気になってネットで調べてみると、1926年に破壊され、2013年1月から工事が始まり、2014年4月に完成したそうです。
へえ~~~?
と思い、少し上に貼った2000年に撮影した写真を見直してみたら・・・・・・。
ありませんでした~~~~!!!(笑)
2000年当時、南門には上がらなかったし、手前に閘楼があるので、バスで前を通った時も、何か足りないとか感じることもありませんでした。
2011年9月、留学生仲間と一緒に初めて南門に上ったのですが、その時は自転車で城壁を一周するのが目的で、建物はあまり撮影していませんでした。
南門周辺で写していたのは、城楼と箭楼がある建物の間のスペースで兵士がパフォーマンスをしている様子だけ。(T_T)
箭楼がなかった時代を写すチャンスがあったというのに、非常に残念!!!
☟、気を取り直して、2004年5月初めに戻って、南門の南側の様子を。(*^-^*)
南門西側から撮影しました。
南門城外の高層ビル、建設真っただ中!
☟、2019年12月末に なると、建設中だった建物はこんな風に!
どちらの写真にも右端に同じ形をしたアンテナのようなものが見えるので、位置関係が分かりやすいと思います。
☟、南門東側の城壁下を通過する歩道から。
写真ど真ん中の、屋根が中国建築風の建物、あれが2000年に南門の写真を撮った、かつてのANAホテルです。
あそこからなら、南門前広場で国賓を招いてのセレモニーがあっても、上から見下ろせます!
最高のロケーションですよね! !
【2020年灯籠祭り】
ここからは、友達が送って来てくれた2020年春節に準備された灯籠です!\(^o^)/
「祈願灯廊」やっぱり去年と同じようになっていましたネ。
人数制限があるので、写真を撮るには便利かも?
灯籠の周囲に映り込む人影、ほとんどありません。☝☟
だんだん、薄暗くなってきました。
去年の私もそうでしたが、友人、明るいうちに城壁に上がり、日が暮れてライトアップが始まるまで、ずっと城壁上で待機していたそうです。
みんな考えることは同じみたいです。(笑)
☟、そろそろ、日が暮れてきました。
城楼の真北側から撮影した鐘楼。
ここ数年、私が南門に上がった時は、城楼の北側へ入れないようになっていました。
真正面に鐘楼を写したくても、ムリだったんです。
この写真が撮れたなんて、羨ましいな~。
☟、日が暮れて、ライトアップされた灯籠。
せっかく綺麗に造ってもらっているのに、観客が少なくてもったいない気がします。
またいつか、見に行きたいな~。
以上、友人からもらった写真でした。
最後は、西方工業大学の留学生がアップしていた、春節直前、灯籠祭り開催イベントの時の写真です。☟
2019年末、建設中だったネズミ。
参観中止になる前に、お披露目してもらえて良かった。(*^-^*)
ネズミ背後の箭楼のライトアップは、昨年と大差ないかも?
☟、昨年の灯籠祭りの様子です。
比較して見てください。(笑)
春節灯籠祭りのための特別仕様かもしれません。
☟、2019年3月、まだ春節の灯籠が手前に残った西門です。
建物が白く光ってますよね。
こちら☟、2020年1月2日に撮影した西門。
露出の絞り方でかなり暗くなっていますが、それとは別に、城楼本体の照明が屋根の縁取りだけになっているのが分かると思います。
西門ではこのような違いがあるので、南門は灯籠祭りの中心として、特別な計らいがあったのかもと推測しています。
【最後に・・・・・・】
昨年夏に帰国して、もう少しで一年が経とうとしています。
これまで、時間はかかりましたが、西安にいる間に書き終えることができなかったことを、少しずつご紹介して来ました。
そんな「せいあん!」でしたが、今回で、予定していた内容、ついに全て終了できました!
ここまで気長に待ち、拙いブログを読んでくださった皆様、誠にありがとうございました。(*^-^*)
「せいあん!」は2017年7月、私が西安へ戻ってからの2年間をダラダラ遊んで過ごさないように、きちんと記録を残せるようにと思って始めたものです。
途中、西安以外を紹介することも多々あって、ブログの趣旨「西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです」から逸脱することもありました。(笑)
でも、それも全て、西安にいたから行けた場所、興味を持てたもの。
私の中では、「西安大好き!」が周囲へと拡大していったような感じです。
このブログを通して、主に歴史に関することですが、色んなことを学べました。
ただ漠然と見聞きしていただけでは記憶に残らないこと、気付けなかったことがたくさんあります。
例えば、南門の箭楼のこととか。(笑)
中国語の資料を調べることで、記憶に残るだけでなく、中国語の読み書きもレベルアップできました。
留学生用のテキストではなく、中国語を母国語とする人々へ発信された情報を読解するのは、いい勉強になりますね。
そのために、授業の休憩時間、先生方には私の質問に答えていただき、とても感謝しています。
ブログを書くためには、まず取材が必要。
もともとStay Homeが日常だった私が、積極的に外へ出るようになり、多くの方々と出会い、今でもWechatを通して交流が続いています。
日本にいても、西安はもとより、カシュガルやトルファン、敦煌の様子が伝わってきます。
本当にありがたいな~と、心から思っています。
ブログを書き続けてきて、良かった!!!!
今は新型コロナウィルスの影響で、いつまた自由に旅行へ出かけられるか分からない状態ですが、いつかまた、懐かし場所、懐かし方々に会うために、旅行に出たいと思います。
それでは、ここまで読み進めてくださって、誠にありがとうございました。<(_ _)>
新型コロナウィルスが少しでも早く終息し、誰もが安心して生活でき、自由に行動できる日々が戻って来ますように!!!
西安今昔②回民街編(イスラム寺院とお店の看板)3/10:2012年3月写真追加
2020年3月9日(月曜日)。
前回のアップから、1ヶ月経過してしまいました・・・・・・。
その間、初めの内は中国の新型コロナウィルスをずっと気に掛けていたのですが・・・・・・。
1ヶ月の間に状況は変わり、日本も、世界も大変なことに!!!
私が住んでいる田舎でも、マスクに限らず、一時期はトイレットペーパーも完売。
中国では武漢を除き、他地域では日常生活が回復してきているみたいですが、ここまで1ヶ月以上かかっています。
これまで、「武漢加油!」「中国加油!」と現地の友人たちにメッセージを送って来たのですが、最近は先方から私の安否を気遣ったメッセージをもらうようになりました。
これからは「日本がんばれ!」もプラス!
隠れ陽性になって無意識に拡散することがないよう、まずはウィルスに感染しないように予防を心掛けねば!
ところで、こちら☟は西安の友人がWechatモーメンツで共有していた動画をスクショしたものです。
動画の最初の画面に、2020年2月20日と撮影日が記載されていました。
少し前進し、回民街入り口へ。☟
左端にチラッと写っている、蛍光緑の上着を着た人物は警備員さん。
他に人影はありません。
こちら☟が、動画のURLです。
Webブラウザーでも開くことができました。
関心のある方はどうぞご覧ください。
動画を見ると、BGM効果もあってより一層物悲しくなる風景でしたね。
ここからは、コロナ以前の賑やかな回民街をご覧ください!\(^o^)/
【目次】
- 【回民街地図】
- 【化覚巷旅游記念品街】
- 【北院門】
- 【大皮院】
- 【大皮院 続き】
- 【北広済街と西羊市・廟後街の十字路】
- 【廟後街】
- 【洒金橋路】
- 【大麦市街】
- 【西大街地下工事】
- 【北広済街】
- 【大学習巷】
- 【夜の廟後街】
- 【夜の西羊市】
- 【夜の北院門】
- 【早朝の回民街】
- 【臘八粥(ラーバージョウ)】
- 【追加:北院門と北広済街 2012年3月19日】
- 【おまけ: 西五台雲居寺 2015年9月5日】
今回は、☟の地図を参考に、2020年元旦前後とそれ以前の写真を交えながら、ちょっとと気がかりな変化と、2年間の留学中に紹介しようとして企画倒れに終わったイスラム寺院について、手元にあった写真だけで簡単にご紹介を行いたいと思います。(^_^)v
【回民街地図】
いつも乗っていた43路バスで、日本人の友人に会うため鼓楼へ!
彼女もこの期間、ちょうど日本から西安へやって来ていたのです。(笑)
城壁の西南角の交差点、運よく一番前で信号待ち停車。 ☟
この旅行中、できれば前方に見えている環城公園も歩きたかったのですが、時間が取れずじまい。
その分、城壁に上がったので、上から見下ろしました。(^_^)v
その時の様子は、次回ご紹介します!
2019年12月29日(日曜日)。
城壁の西側を北上し、西門から城内にはいります。☟
バスに乗る時は、運転手席側での一番前が最高です!(笑)
広済街のバス停で降りて、鼓楼の西側から待合場所の鼓楼チケット売り場へ!☟
チケット売り場は、東側にあります。
この日はとても天気が良くて、青空をバックに見上げる鼓楼がとってもキレイ!
【化覚巷旅游記念品街】
回民街入り口から、北院門通りを撮影。☟
冬の昼間の日差しが柔らかく降り注いでいます。(*^-^*)
この日は北院門を北へ向かわず、すぐ左手にある「化覚巷」という土産物通りへ入りました。☟(地図:水色『化覚巷旅游記念品街』)
☝の写真は、1月2日に再度出かけた時の物です。
久々に会った友達とのおしゃべりに夢中で、29日は写真を撮り忘れていました。(^^;
細い路地の両側に、お店がずら~っと並んでいます。☟
この中のお店で、友達はお土産に頼まれていたバックを購入。
私はリュックを一つ買いました。(^o^)
こちら☟は、2015年9月5日、武漢から遊びに来た時に写したものです。
この時は天井がちょっと傷んでますね。
この方が明るくて私は好きですが、照明は裸電球が剥き出し状態。(笑)
お店のディスプレイも、4年の時の流れを感じます。
この通りを西羊市へ向かう真ん中辺りに、今回ご紹介する一つ目のイスラム寺院があります。
【①化覚巷清真大寺 2000年5月16日撮影】
2017年7月から2年間の留学中、回民街には何度も足を運びましたが、化覚巷旅游記念品街を歩くことがなかったので、この「化覚巷清真大寺」を訪れることもありませんでした。
そこで、寺院のレイアウトはネット上から拝借。(^^;
写真は2000年5月に参観した時のものをスキャンしました。
デジタルだと撮影日時がはっきり分かるのですが、フィルム写真ではムリ。
アルバムに撮影順に貼っていればよかったのですが、これまでの間に何度か出し入れしたようで、順番はバラバラ。(T_T)
最近ネットにアップされたブログや写真を参考に、レイアウトと照らし合わせて、何とかご紹介順を決めました。
2019年にここを訪れた方のブログによると、この寺院を見学するには、大人1人25元(1元=16円換算で、400円)が必要です。
それでは、20年前の化覚巷清真大寺、ご覧ください!\(^o^)/
【①木牌楼】
牌楼を潜って、内側(西側)から照壁方向を撮影しています。
牌楼の文字は「道法参天地」。
東側には「勅賜礼拝寺」とあるそうです。
照壁は元々色が飛んでしまっていたのか、20年の月日に色褪せたのか・・・・・・。
図案がほとんど見えません。m(__)m
【②五間楼の下から西方向】
奥に③の石牌坊が見えています。
【③後方 碑亭の一つ(背面)】
③の 石牌坊の後方(西側)には、左右一対の碑亭があります。
☝は、その内の一つです。
☟の「百度百科」の紹介によれば、☝の碑亭は「万暦三十四年(1606年)のもので、碑亭の背面には「道法参天地」の5文字が彫られている」ようです。
【④省心楼 】
レイアウト図の④にあたります。
省心楼の側を通り、更に奥(西)へ。☟
三連門と手前の碑亭の屋根がチラッと見えています。
【⑤三連門と手前の碑亭】
【⑤西側から見た三連門】
【⑥一真亭】
奥に、礼拝大殿が見えて来ました!\(~o~)/
【⑦月台(テラス)前の龍の彫り物】
こちら☝は2000年のもの。
☟はネット上でみつけた2017年に撮影されたものです。
凹凸が摩耗している様に、17年の月日を感じてしまいました。
【⑧月台(テラス)から東(⑦方向)】
龍の彫り物は、☝写真の中央に3つ並ぶ石牌坊の、真ん中の牌坊の足下にあります。
【⑨礼拝大殿】
レイアウトのちょうど⑨の位置が写っています。☝
礼拝大殿の柱と扉。☟
アラビア文字が装飾図案みたい!
木製の扉の図案は、イスラム風と中国風の部分が混ざっている感じを受けませんか?
☟は、礼拝大殿から東へ戻っている時、南側に連なる部屋の一つに掛けてあった「カアバ」の絵画。
以上、化覚巷清真大寺のご紹介でした。(*^-^*)
【北院門】
この後、2019年12月29日は「化覚巷旅游記念品街」を北に進んで「西羊市」に出て、右折して「北院門」へ。☟
こちら☟は、「西羊市」と「北院門」のT字路付近から東方向(鼓楼がある方向)を撮影したものです。
冬のお昼の日差しで白っぽく写っている写真の中央奥に、鼓楼の屋根がみえています!
「北院門」の北端にある門。☟
【大皮院】
ここからは地図上で薄い緑に色付けしている通り「大皮院」をご紹介します。
回民街観光のメインルートは、
鼓楼の北側から入って「北院門」を北へ ⇒ 左折して西羊市を西へ ⇒ 左折して北広済街を南へ ⇒西大街へ出る
だと思います。
でも、それだけにいつも人が多く、のんびり散策するのには不向きな面も。
そんなこともあり、西安の友人の一人は、この「大皮院」の方が好きと言っていました。
私もこの通りが大好きです。(*^-^*)
メインルートの煌びやかな店構えと比べると、生活感あふれる街並みです。☟
☝は、「大皮院」を少し進んでから、振り返って東向きに写した風景。
この通りは、観光客より、地元の人の方が多いと思います。
☟、「新疆艾山営養ナン」というお店。
烤包子(カオバオズ)に目を奪われて、立ち止まってしまいました。(*^-^*)
カシュガルで食べたのを思い出し、思わず購入!
1個3元です。(1元=16円換算で、約50円)
中の具は羊ではなく牛でしたが、肉はたっぷり!
焼き立ての熱々に噛り付くと、たっぷりすぎて・・・・・・、勿体ないことに、お肉がポロリと落ちてしまいました。(^^;
みんな、焼き立てを食べようと、窯を取り囲んで待っています。☟
このお店から少し歩くと、今回ご紹介する二つ目のイスラム寺院前に到着です!\(^o^)/
【②大皮院清真寺】
☟の写真の撮影は、2019年ではありますが、12月29日ではなく、1月13日。
2018年9月からスタートした授業も終了し、最後の記念に、先生・クラスメートと一緒に遊びに出かけた日のものです。
懐かしいな~。
ところで、イスラム寺院に入るには注意すべきことがあります。
☝は冬場なので問題ないのですが、夏場、半袖・短パン・スカートなどを着用してると、女性は中に入れません。
夏の見学時にはご注意くださいね。(*^-^*)
ちなみに、最初にご紹介した「化覚巷清真大寺」はチケットの購入が必要でしたが、その他の寺院は無料です。
「入ってもいいですか?」と入り口周辺にいるイスラム教徒の住民さんに尋ねると、いつも「どうぞ、どうぞ」と招き入れてもらえました。
上の写真の「大皮院」に面した入り口内側に掛けてあった、「大皮院清真寺」の紹介です。☟
興味のある方は、頑張って中国語の紹介をお読みください。m(__)m
では、奥へ入って行きましょう!\(^o^)/
☝、左側が照壁、右側から礼拝大殿の方へ向かいます。
☟、照壁正面。
照壁の右に設置されている石碑。☟
2001年、市政府から「西安市重点文物保護単位」に指定されたことを記念したもの。
☟、照壁の正面にある入り口。
奥に礼拝大殿が見えています。
建物内の通路横に設置してあった礼拝時刻表。☟
☝は、2017年12月20日の礼拝時刻です。
☟、照壁の前から見えていた礼拝大殿。
敷地内の西側にある礼拝大殿。
真昼の日差しのおかげで、空と瓦屋根の青がどちらも綺麗に写せました。(^_^)v
かつて私が回民街を訪れる時は、たいてい午後。
しかも、日がかなり傾いてからのことが多かったので、逆光に苦しめられました。☟
☝、2017年12月20日の夕方4時半頃です。
ご覧の通り、何枚写しても、空と屋根の色を同時に写し出すことはできませんでした。(T_T)
2017年の写真に、礼拝大殿の手前両サイドの建物が残っていたのでご覧ください。☟
右側の写真の、冬の夕日の柔らかな日差しは気に入ってます。(*^-^*)
☟、礼拝大殿。
屋根両端にある装飾はなんでしょう?
肉眼ではよく見えなかったので、めいっぱいアップにして確認!☟
全て植物、花でした。
私、確認する前は、何故か馬に乗った人物を想像していました。(^^;
中国風の建築物でも、ここはイスラム寺院。
人物や動物が用いられるはずなんですよね。(笑)
☟、礼拝大殿前の月台から、入ってきた方向を。
12月末ではありましたが、この日はとても暖かく、皆さん薄着ですね。
暖冬だった西安。
花の蕾が大きく膨らんでいます。(*^-^*)☟
これ☟も2017年12月。
照壁の前辺りから撮影。
門の建物の向こうに「大皮院」の様子が見えています。
ここまで、「大皮院清真寺」のご紹介でした。(^^)/
【アラビア文字表記】
こちら☟、「大皮院清真寺」の西隣にある「少数民族用品サービスセンター」。
☝は、2019年12月29日に撮影したものです。
☟は、 2018年11月23日のもの。
何か、違いに気付きませんか?
「昼と夜」とか、「写す角度が違う」とかではありません。(笑)
「看板」にご注目ください。
漢字の「大皮院穆斯林用品服务中心」の下にあった、アラビア文字(ウイグル文字?)がありません!!!
回民街の看板、漢字Onlyに統一するんだそうです。
現地在住の日本人の友人から教えてもらいました。
回民街を散策している時は、あまり意識に上らなかったのですが、帰国して写真を整理しながら見比べてみると・・・・・・!
確かに、な~~~い!!!
ここから、比較できる写真がある場合は、それもご紹介していきます。
比較できなくても、漢字だけの看板を見れば、作り直されているのが分かると思います。
中には消した痕が残っているものも・・・・・・。
この変化には、衝撃を受けました。
この件について検索していたら、以下のページを発見しました。
当局が中国全土のモスクを「中国化」 イスラム教のシンボルを撤去 - 写真
2019年3月に書かれたこの記事では、冒頭で、
「昨年の 新宗教事務条例 の施行以来、「中国化」の政策と「非アラブ化、非サウジ化」キャンペーンが中国全土で広く推進されている。「中国様式の強調」の動きは、モスクの外装を変えた。甘粛省 中北部と寧夏回族 自治区 で、イスラム教のシンボルが多数、強制的に撤去されたのだ。」
と紹介されています。
その波が、ついに西安までやって来ということでしょうか。
回民街のイスラム寺院の建築様式は元々中国式。
だから文字だけ撤去?
2019年3月と言えば、まだ西安で生活していたのに、6月には甘粛省を旅行していたのに、こんな動きが起こっていたことに気付きもしませんでした。(^^;
2019年6月の旅行で真正面からちゃんと写したイスラム寺院と言えば、嘉峪関のもののみ。☟
道路の向かいから写真を写しただけで、意識して眺めることもなかったのですが、アラビア文字がありません。
遡って、2018年7月の敦煌夜市の近くにあったイスラム寺院も見てました。☟
やっぱりイスラム文字がないですね。
蘭州はというと・・・・・・。☟
☝2枚、2000年1月に見かけた建物は中国風でアラビア文字がありました。
ところが2018年6月に訪れた時、バスの中から見かけたものは・・・・・・。☟
☝、正面が見えなかったので、アラビア文字の表記があるかどうかは分かりません。
2018年の夏、蘭州→カシュガル→トルファン→敦煌と移動し、蘭州と敦煌で中東風ドームのあるモスクを見かけたので、昔とは変わったんだな~と思っていたんです。
でも、建築様式はイスラム風になっても、文化を伝える文字が使用禁止になっていたなんて・・・・・・。
そして、今更この変化に気付くなんて・・・・・・・。(◞‸◟)
ついでに、カシュガルのエイティガール寺院もご覧ください。
☟、2000年8月15日
入り口上部の額や左側の壁に、アラビア文字・ウィグル文字があります。
でも、2018年・2019年には、入り口上部の額は撤去され、左側の壁に掛かっている金属プレートの寺院紹介も、メインは漢字になっていました。☟
どうりで2018年に再訪した時、殺風景だなぁと思ったわけです。
カラフルな額が外され、その後が剥き出しです。
殺風景というより、廃れた感じさえ受けました。
こうして改めて見ると、文化の魂が取り除かれたように思えます。
【大皮院 続き】
さて、友達と合流し、歩き続けて既に1時間半、そろそろ喉が渇いてきました。
ちょうどいい場所に、西安に戻ったら絶対飲むぞ!と決めていたザクロジュースを発見!\(^o^)/☟
実が真っ赤で、美味しそう~~~!!!
搾りたてを買って、側のテーブルに座った私達。
☟、お互いを写真撮影中。 (*^^*)
ザクロジュースは1杯15元。(1元=16円換算で、 240円)
2017年秋から、お値段ずっと据え置き!
このおじさんの笑顔、とっても優しくて素敵!☟
なので、OKをもらって記念に残しました。(*^-^*)
今回、看板のアラビア文字(ウィグル文字)の比較をするために、以前の写真を大量に見直しました。
その時、この場所の遠景で、このおじさんが小さく写っているのに気付いて、なんだかとっても嬉しかったんです。
このおじさんだけでなく、みんなここでずっと生活してるんだな~と、しみじみ。
新型コロナウィルスの影響で、ずっと商売ができず、個人経営の回民街のみなさんはどうしてるんでしょう?
バイタリティ溢れる人々だから、今の苦境を乗り越えて、またこれまで通り活気化溢れる回民街をよみがえらせてくださると信じてます!
次回遊びに行く時、(私が一方的に)見知った顔の方々が、元気に商売されいる姿を見ることができますように!!!
ジュースを飲み終えほんの少しだけ歩いて、今度は「包子(バオズ)」屋さんに入りました。
店員さんたち、せっせと包子を包んでいます。☟
食べてばかりですが・・・・・・、この食べ歩きが、この日の昼食なのです。(笑)
ここの包子、2019年1月に、クラスの先生方と一緒にこの通りにやって来た時、先生から教えてもらって以来、ずっと食べてみたかったんです。
ただ、これまでこのお店の前を通る時は、いつも食後でお腹いっぱい。
それに、地元出身の先生が勧めてくださるだけあって、いつも入り口外まで人がはみ出して待っていました。
注文の仕方も分からないのに、そんなところへ問い合わせのために分け入る勇気もなく、諦めていたのですが・・・・・・。
幸い、今回は多少空いていた上に、友人も一緒で心強い!
「千載一遇のチャ~ンス!」とばかりに中へ!!
☟、この日、お店の外の様子を撮り損ねたので、1月3日早朝に通りかかった時の写真で補足します。(^^;
赤矢印の先は、ザクロジュースを飲んだ場所。
「小炒泡馍(シャオチャオパオモー)」のお店を経営しながら、店の軒先でザクロジュースを売っています。
すぐ隣の緑の矢印が指しているお店が、包子屋さん「石家包子(シージャーバオズ)」です。
注文の仕方は、入ってすぐの場所にある小さなレジで、包子の種類・個数を告げてお金を払って券をもらいます。
注文は1個単位です。☟
5分ほど待つと、蒸籠ではなく大きな業務用蒸し器(?)の扉が開き、何段にも並んだトレーの中に整然と並んだ包子が姿を現しました!
券を差し出すと、店員さんが包子をお皿に載せて渡してくれます。
1階席では座れなかったので、2階へ上がってみました。☟
先ずは記念撮影!
普段は単独行動が多いので、自分の写真ってほとんどありません。
今回は友人のおかげで、楽しそうな姿が残っています。(笑)
私達が注文したのは、「孜然肉包(ズーランロウバオ)」という、クミンシード味の牛肉餡の肉まん。☟
そのまま食べても、1階のカウンターでセルフで用意したタレにつけて食べても、どちらでもとっても美味しい!\(^o^)/
やっと、 「大皮院」の西端までやって来ました。☟
左から来る通りが「大皮院」、手前が「北広済街」です。
この後は、「北広済街」を南へ進みます。(^^)/
【北広済街と西羊市・廟後街の十字路】
正面に見えている通りは「西羊市」。
写真の手前左右に延びるのが「北広済街」です。
私達は左側(北)から歩いてきました。
ここは何時も混んでいます。
有名なお肉屋さんがあって、行列ができているからデス。
でも、今回の注目ポイントはそのお店ではなく、看板です。
☝は2019年12月29日撮影。
小さくて見にくいですが、各店舗の看板にある緑の「清真」の二文字の間が空欄になっているんです。
☟は、2018年1月9日。
こちら☟は2019年1月9日。
以前の写真では、「清真」の2文字の間に、アラビア文字(ウィグル文字)があったんです。
【廟後街】
「西羊市」・「廟後街」と「北広済街」の交差点を西へ、「廟後街」の方へ進んでいると、2019年7月にはまだ完成していなかった建物が営業を始めていました。☟
この建物、建築が始まったばかりの頃は、地元の人が住むマンションなのかな?と思っていたんです。
でも、昨年7月時点で、ホテルなんだろうなぁとは察しました。
宿泊するのは旅行客なので、当然トランクなどの荷物を持っているはず。
写真でも、ホテルの周囲にバイクがたくさん停車しているので宿泊客はバイクを利用するんだと思うのですが・・・・・・。
回民街の通りの幅は狭く、観光用の小さな電動バスや後部に屋根付き座席のある三輪バイクタクシー(次の【日本軍空爆跡地】の写真を参照ください)が通るだけで、ちょっとした渋滞が起きます。
観光するには絶好のロケーションでも、到着するまでにはかなり時間がかかりそうです。
このホテル、「廟後街」と「光明巷」のT字路にあります。
ここからちょっと「光明巷」の方へ入ってみたいと思います。(^^)/
【Ⓐ日本軍空爆跡地】
案内がなければ気付かず通り過ぎてしまいそうな、日本軍空爆跡地です。☟
ちなみに、☝の写真のど真ん中に止まっているのが、三輪バイクタクシーです。
この跡地、「百度地図」を拡大していくと、ちゃんと文字表記されています。
真正面からもどうぞ。☟
☟、案内板のアップです。
日本語部分だけ、拡大しておきます。☟
三行目真ん中辺りの「年月日」は「1938年11月23日」です。
この少し手前に、私が好きなお菓子屋さん「全盛齋」の店舗の一つがあります。☟
たぶん、一番古い店舗ではないかと・・・・・・。
ここの看板は、文字とモスクのドームのような図案も消されていました。
「光明巷」を引き返し、「廟後街」を西へ進みましょう!☟
もう少し先に行くと「大学習巷」とのT字路がある辺りです。
T字路には学校もあるので、この辺りまで来ると生活感がぐっと増します。
T字路も過ぎ、更に進むと、またしても新しいホテルがありました。☟
ここも、2019年夏にはまだ建設中でした。
ホテル前から東方向を写してみると、向かいには麺類や包子などが食べられる食堂が並んでいます。☟
この位置まで来ると「大麦市街」も近く、写真にも写っているように車で乗り付けやすくなります。
「光明巷」のホテル前も車で入って行けるのですが、それをすると渋滞は確実。
何度もそんな現場に遭遇しました。
そんな時は徒歩でさえ身動きが取れず、お店の軒先を通らせてもらったりしました。
お店の方は慣れているので、笑顔で「通ってイイよ」と親切です。(*^-^*)
【洒金橋路】
「廟後街」と「洒金橋路」・「大麦市街」の交差点まで来ました。☟
ここに地図③のイスラム寺院があります。
【③清真西寺】
☝は、2017年5月4日撮影。
☟、入り口前に移動しましょう!(^^)/
ここからの写真は、2019年5月11日に撮影したものです。(*^-^*)
☟、正面の扁額。
扉の隙間から、傾きかけた日差しをバックに浮かび上がる緑のドームと三日月。☟
5月半ばの西安の、夕方17時過ぎです。
この日の日没は19時36分、まだまだ明るいのですが・・・・・・、逆光。
☟、中に入り、入り口の内側を撮影。
ここは石牌坊はなく、入り口を入ると中庭があって、すぐに礼拝殿です。☟
ドームの真ん中にあるアラビア文字、現在はどうなっているのでしょう・・・・・・。
☟、礼拝殿の入り口頭上に掛けられた寺院名の額。
【④洒金橋清真古寺】
☟、続いて、「清真西寺」の少し北側にある「洒金橋清真古寺」を覗いてみましょう!(^^)/
立派なドームです!
この寺院の写真は、全て2018年2月7日に撮影したもの。
植木鉢に雪が残っていますね。
この冬は寒くて、何度か雪が積もりました。
ここには古い槐がありました。☟
槐の太い枝に圧迫されて、入り口の屋根が壊れています。
でも、「西安市古樹名木」として、保護の対象になっている古木。☟
枝を切ることはないんでしょうね。☟
簡単ではありますが、以上で「洒金橋路」にある二つの寺院の紹介を終わります。(*^-^*)
【大麦市街】
③の「清真西寺」とは「廟後街」を挟んで向かいにあるナン屋さん。☟
今回の旅行で、結構いろんなお店が売っているのを見かけましたが、以前は私にとって、ここだけがバラジャム入りのナンを買えるお店でした。
右手前がバラジャム入りのナン、1個5元(1元=16円換算で、80円)です。
ここで1個、このナンを買って、友達と分けて食べました。(*^-^*)
では、「大麦市街」を南に向かいましょう!\(^o^)/
2011年秋、久々に西安にやって来た時に目にした「大麦市街」は、まるで全戸立ち退き間近とでも言いたいほど寂れていました。
その時ほどではなくても、2017年に武漢から戻ってきた時も、活気は今一つ。
それがネット上で西安人気が爆発して以降、急激に復活したように感じます。
「大麦市街」は南側の1/3ほどの道幅が広くなっています。☟
2011年、既にこの状態だったので、残りの部分も道幅を拡張するために立ち退きになるのかな~と想像した次第です。
この道幅が広くなった部分にも、「光明巷」でご紹介した私の大好きなお菓子屋さん「全盛齋」があります。☟
回民街だと、「西羊市」にも一店舗ありますよ!(*^-^*)
ここの店舗は新しく、広くて綺麗!☟
☟、ディスプレイも綺麗でしょう?(*^-^*)
この写真は2019年5月4日のものなので、粽子(ゾンズ)が写っています。
粽子は全店舗で取り扱われています。
でも、三段指式の白いお皿に載ったカラフルなお菓子は、ここでしか買えません。
これらの中で、私は山査子餡の物(山楂锅盔)が一番好きです。☟
1個2.5元(1元=16円換算で、40円)で、1個ずつ売ってもらえます。
もちろん、今回も買いました!(^^)v
店員さんには入れ替わりがありますが、顔見知りの人がまだいて、楽しく会話中。☟
この後、12月29日当日は城壁へ上るために「西大街」を西へ移動しました。
でも、今回は「回民街編」なので、城壁は次回にとっておきますね。(*^^*)
【西大街地下工事】
せっかく「西大街」へ出たので、地図のⒷまで移動しましょう!
Ⓑは「北広済街」の南側のスタート地点。
そこで地下鉄工事の様子をご紹介。\(^o^)/
写真は1月2日のものです。
☟は、鼓楼前からⒷへ向かっている所。
少し向こうに、歩道を塞ぐように地下鉄工事現場を囲う防音障壁が見えます。
防音障壁の手前から、「西大街」斜め向かいの工事現場を。☟
ごちゃごちゃして通りの景観を損ねている工事現場。
ブログを読んでくださっている方々には興味ないものだと思うのですが・・・・・・。
でもこの時期に西安で過ごしたという思い出の風景でもあるので、残しておきたかったんです。
前方に見えていた工事現場の西側へ回ると、シャッターが開いてました。☟
囲いの内側は、こんな風になっていたんですね。
Ⓑの交差点の南側の様子。☟
シャッターが開いていた場所から、信号を挟んで西側の現場。☟
手前にチラッと資材が見えます。
☟、西大街と「大麦市街」の交差点から西は、中央部分が全て囲まれています。
突き当りに、城壁西門が見えます。
この工事、後どれくらいかかるんでしょう?
次回遊びに行く時までには完成しているといいな~。
でも工事完了に合わせて、「西大街」の景観が激変していたら悲しいかも。
イヤイヤ、それも楽しみ?
複雑な心境です。(笑)
【北広済街】
では、Ⓑから「北広済街」に入りたいと思います。(^^)/
今回の旅行では、この通りを歩くには歩いたのですが、写真は撮っていませんでした。
☟2枚は、2017年12月20日のものです。
この頃はまだ、「西大街」の地下鉄工事は始まっていませんでした。
現在は、上に写真のあった「シャッターが半分上がっていた工事現場」が、スタバ前を塞いでいます。
この建物の下を通って、回民街へ入ります。
☟、入り口の様子。
今回撮影していたら、看板の様子が異なっていたんでしょうね。
【⑤北広済街清真寺】
☟、上の写真の緑の門を下を通り、少し進むとイスラム寺院の屋根が見えます。
ここからの写真は、2017年11月3日撮影。
「わぁ、イスラム寺院だ~!」とワクワクしながら入り口へ向かいました。☟
☟の場所から、寺院の門前まで入ってみたのですが・・・・・・。
ここでは「イスラム寺院を見学したかったら、化覚巷清真大寺へどうぞ」と紹介され、敷地内に入れませんでした。
それ以降、再チャレンジすることなく、今に至ります。(^^;
その際、記念にと撮影した寺院の概要。☟
言い伝えでは、明代末期(1600年前後)に創建。
「1938年陰暦10月2日、日本軍の爆撃に遭い、数十名が死傷、建物の一部が損壊した」と、見学の許可を求める前にこの説明を読んでいたので、強くお願いしにくかったんです。(◞‸◟)
【大学習巷】
もう一度Ⓑに戻って、今度は「大学習巷」へ!
途中、「西大街」で「都城隍廟」の前を通ります。☟
2020年1月2日、時刻は既に22時を回っています。
時間が遅いため、最小限のライトアップも終了していたようです。
「都城隍廟」については、宜しければ以☟下をご参照ください。(*^-^*)
西安観光:西大街_都城隍廟 (おまけ:春節の雰囲気) - せいあん!
「都城隍廟」のすぐ西側から、「大学習巷」は始まります。
☟は、2015年9月5日に撮影したものです。
この牌楼を潜って北へ向かいます。
☟、牌楼下の屋台。
2015年の写真では、屋台の看板にアラビア文字(ウィグル文字)が見えるのですが、2020年のものにはありません。
22時半前にもなると、歩行者はあまりいません。☟
店じまい直前のようで、シャッターが下りかけている店舗も。
この通りにも、綺麗なホテルができていました。☟
☟、通りは静かです。
こんな時間ですが、危ないと感じることは全くありませんでした。
人を避けて歩く必要がないので、あっという間に⑥のイスラム寺院へ到着。☟
今回ご紹介できる、最後のイスラム寺院です。
【⑥大学習巷清真寺】
☟、街灯に照らされ、門を閉ざした「大学習巷清真寺」です。
昼間の様子もどうぞ。☟
2017年11月3日撮影です。
ここは、陝西省そして全国の重点保護単位に指定されています。☟
左側の石碑に刻まれた概要には、この寺院は紀元705年に建設が始まり、1300年余りの歴史を有するとあります。
「石牌坊」を抜け、すぐ内側にある「三間庁」を通って中に入ると、真正面にこの☟建物「省心閣」があります。
☟、「省心閣」の手前の通路の右手(北側)にある「北廂坊」。
対になる「南廂坊」もあるのですが、撮影していませんでした。(^^;
「省心閣」の中から「碑亭」・「石門」・「礼拝殿」方向。☟
☟、「省心閣」の中に掛かっている「真一」の額。
☟、「碑亭」・「石門」・「礼拝殿」
☟、「月台(テラス)」と「礼拝殿」
☟、「礼拝殿」のアップ。
☟、「礼拝殿」に掛かっている扁額のアップ。
☟、「礼拝殿」に向かって右側の「碑亭」を、「月台」から撮影。
☟、「月台」側から見た石門。
奥に見えているのは「省心閣」です。
☟、「礼拝殿」側から見た「省心閣」。
2017年11月3日、銀木犀が咲いていました。☟
☟は「大学習巷」を南から進んできたところ。
前方右手に、「石牌坊」の向かいにある大照壁が見えています。
以上、「大学習巷清真寺」でした。(*^-^*)
【夜の廟後街】
また、深夜の徘徊に戻ります!(^^)/
「大学習巷」を北に進み、「廟後街」とのT字路までやって来ました。☟
手前が「廟後街」、左から延びて来ているのが「大学習巷」です。
ここ☟は、昼間の写真でも登場しました。
昼間は東から西へ、夜は進行方向の西から東へ撮影しています。
上の写真で通りの右側、明かりが点いている辺りにあるヨーグルト屋さん。☟
回民街には同じブランドのお店が多数あります。
他ブランドのヨーグルト屋さんも、たくさんありますヨ。
「光明巷」の入り口にあるホテルの夜景。☟
回民街とは趣が異なりますが、綺麗だったので思わず撮影。(笑)
「北広済街」との交差点、「西羊市」との境界地点に到着。☟
前方が「西羊市」です。
常に人が多いこの場所も、22時半を回るとさすがに空いてきました。
こちら☟は、「北広済街」を「大皮院」の方へ向かう通り。
【夜の西羊市】
さすが、回民街のメインストリート。
こんな時間でもまだ開いているお店がいっぱい。☟
この日この時刻、当時のスマホ天気予報のスクショのよれば、マイナス1度でした。
でも、ダウンを着ている人もいますが、パーカー姿の若者も!
住んでいた時にも思ったんですが、なぜか西安だとマイナス1度程度だとあまり寒く感じません。
湿度が低いから???
「西羊市」と「化覚巷旅游記念品街」のT字路から、「化覚巷旅游記念品街」を撮影。☟
この通りは全店舗閉店済み。
鼓楼まで行くならここを通るのが近道ですが、この時間、この暗さの中を進むのはちょっと躊躇われます。(^^;
☟、と言うことで、引き続き「西羊市」を東進!(^^)/
突き当りにある「回坊里歩行街」の建物が見えて来ました。
【夜の北院門】
こちら☟が「回坊里歩行街」。
☟、2019年3月9日に通りかかった時、一部オープンに出くわした時の様子。
上の写真の右下と同じように、「回坊里歩行街」の階段を上がった所から、「西羊市」入り口を撮影。☟
「回坊里歩行街」から南へ、「北院門」を鼓楼方向へ移動します。(*^-^*)☟
ここで、ご注目!
左側の建物、青い看板は明らかに消した痕が残っています。
看板の比較ができる写真があったのでご覧ください。☟
この☟写真に写っている看板の「清真」の間も、「面食」の二文字が上から貼り付けてありますよね。
鼓楼の北側まで後もう少し。
23時前の回民街を、警備員さんがパトロール中。☟
だから、少なくともメインルートはこんな時間でも安全です。
この辺りの看板の変化、もう一つご覧ください。☟
撮影している向きは逆ですが、表裏のデザインは同じです。
やっと「北院門」の南端、鼓楼の足元まで戻って来ました。☟
こんな時間でないと見ることがなかった、ゴミ箱の片付けの様子。
大量のごみが入っている、こんなにたくさんのゴミ箱を集めて、寒い中水洗いをしている人たち。
遅くまでご苦労様です!
ゴミ箱が回収された後の「北院門」。☟
これまで写真を撮るたびに、ゴミ箱が邪魔だな~と思ったこと、恥ずかしくなりました。
これで2020年1月2日の活動は終了、後はホテルに戻るだけ。
この日は朝8時前、日の出時刻の7時50分と同時くらいに行動を開始。
ホテルに戻った時の歩行数はなんと!☟
他の日も2万歩以上あるいていましたが、この日はずば抜けていました。(^^)v
【早朝の回民街】
【北院門】
そして翌日、1月3日早朝。
8時前、前夜片付けられていたゴミ箱は、既に定位置に配置されていました。☟
今回、日頃目にすることがなかった作業を垣間見ることができました。
綺麗なのが当たり前のように思って散策していた場所は、深夜・早朝の人目に付きにくい時間に、たくさんの人が働いてくださっているから衛生的に保たれているんですよね。
本当にありがとうございます!
早朝の「化覚巷旅游記念品街」の「北院門」側入り口。☟
ここでは食品を扱っていないので朝食を提供する必要がなく、まだ暗く閉ざされたままです。
このまま、早朝の回民街を少しだけご紹介しますね。(*^^*)
「北院門」を北へ向かってみましょう!(^^)/
まだ営業準備が始まっていないお店も多々あります。
前夜に全て片付けていた商品を、カウンターに並べていました。☟
「西羊市」への曲がり角。☟
この辺りもまだ閉まってます。
鉄板焼きや伝統菓子のようなお店が多いので、朝食時間に営業は不要のようです。
「西羊市」に曲がらず、「北院門」を更に北へ。☟
前夜、商品を引き上げて空になっているショーケースを拭き掃除中。
☟、「北院門」の北端。
人が一人も写っていない写真、初めて撮れました。
上の写真を撮ったすぐ右手、「大皮院」に向かう側にあるアイスクリーム店。☟
「陕拾叁」というお店。
こんなアイスを売ってます。☟
一般的なミルクティやチョコ、抹茶、マンゴー、ドラゴンフルーツなどもありますが、西安地元ならではのラー油味や、ヒマワリの種、胡桃、甘酒などのフレーバーもあります。
お店の中もおしゃれですよ。(*^^*)
【大皮院】
では、早朝の「大皮院」へ!
ここの☝左手にも、アイスクリーム屋さん「陕拾叁」があります!
☟、上の写真で、通りの右手に見えているベージュ色の建物の手前まで来ました。
☝の通りの右側、赤いテントが張りだしている場所が、1月29日に「烤包子(カオバオズ)」を買ったナン屋さん「新疆艾山営養ナン」です。
☟、この時は、プレーンなナンを焼いていました。
焼き立て!おいしそう!!!☟
お店の中でも、たくさんの人が多様なナンを作成中。
朝3時ごろから作ってるんだそうです。☟
以前は、☝の左のような棒状・花型のナン(パン?)を、回民街で見たことがありませんでした。
右から二番目は、バラジャム入りのナンではありませんか!
まだ朝食を食べていなかったので、ここで焼き立てプレーンナンとバラジャム入りのナンを買って、行儀悪く(笑)食べ歩き!(^^)/
プレーンナンも、バラジャムナンも、1枚5元(1元=16円換算で、80円)です。
【西羊市】
この後は「大皮院」から「北広済街」を南に曲がり、更に「西羊市」へ左折。☟
この通りは夜が遅い分、早朝は開いているお店が少ないようです。
通りの突き当りに、「北院門」にある「回坊里歩行街」が見える位置まで戻って来ました。☟
この後は、「北院門」を南へ。
鼓楼方向へ戻ります。
【北院門】
鼓楼の背後の「北院門」の入り口周辺から。☟
ここ☝に写っている「老孫家 老鋪夾肉夹馍」の「ロージャーモー」も美味しいですよ。☟
漢民族の豚肉を挟んだロージャーモーとは異なり、牛肉を挟んでいます。
「コーンビーフみたい」と感想を述べていた知人がいました。
ところで、この☝の写真で「西北特産」の看板を見てください。
やっと、この看板にある「清真」の間の空白部分の以前の様子を写した写真が見つかりました。☟
「光明巷」の「全盛齋」ではモスクのドームのような図案が上から覆い隠されていましたが、ここでは「星と三日月」が消されています。
【臘八粥(ラーバージョウ)】
ところで、2020年1月2日は臘八節でした。
臘八節とは、「中国で陰暦臘月八日(12月8日)に五穀豊穣を祝い、まもなく春節を迎える準備をする日」と、Wikipediaで紹介されています。
この日、中国では8種類の穀類を入れて甘い味を付けた粥を食べる習慣があります。
過去2年、私は近所のショッピングモール「大唐西市城」で無料配布されるお粥を堪能させていただきました。
その時の様子や臘八節については、よかったらこちら☟をご覧ください。(*^-^*)
でも、2020年は食べられないな~と諦めていたのに、ちょうど運よく臘八節に西安へ戻れたではありませんか!
また何種類もの臘八粥を味わえるぞ~と楽しみにしていたのですが・・・・・・。
2020年、大唐西市城では臘八粥が振舞われませんでした。(T_T)
そこで、1月2日夜、「北院門」にある「賈三灌湯包子館」で臘八粥を食べることにしました。☟
☟、店内の様子。
これまで、ここで食べたことがあるのは、とても甘~いお粥。
「臘八粥」が甘く味付けされたものと言う定義があるにしても、あれは私にとって甘すぎ。
食券を買うレジの後ろにあるメニューを見ながら悩んでいた時、「無糖」の二文字が目に飛び込んできました!
西安人の友人と来ると、みんな迷わず甘いのを注文してくれていたので、「無糖」タイプがあるとは知りませんでした。(笑)
迷わずそれを注文。☟
このお粥、「八宝無糖黒米稀飯」といいます。
黒米・クコの実・蓮の実・ピーナツ他、具沢山。
素材本来の甘味でちょうどよい甘さになっていました。
黒々として見た目が悪いと思われるかもしれませんが、とっても美味しいですよ!
1杯8元(1元=16円換算で、128円)。
機会があれば是非、お試しください!!!(^^)/
【追加:北院門と北広済街 2012年3月19日】
この部分だけ、2020年3月10日に追加しました。
ブログをアップしたばかりの翌日に何をやっているんでしょう???(^^;
たまたま、他の写真を探してDドライブを検索した時に発見したんです。
こんな写真・・・・・・、そう言えば撮ったな~。
武漢で就職が決まり、西安を離れる前に回民街を回った時のものでした。
この時のルートは、「北広済街」→「西羊市」→「北院門」です。
8年も前だと雰囲気が全然違うので、貼っておきたいと思います。
☟、「北広済街」の南入り口から、スタート!\(^o^)/
緑の門の背後、まだ建築中。
上の緑の門を潜ってすぐの場所。☟
上の写真の手前のお店の女の子。☟
ここから先、人物のアップは全て許可をもらって撮影しています。
大好きだった鶏肉のドネルケバブ。☟
現在の「北広済街」にお肉屋さんはありませんが、2012年頃にはまだお肉屋さんがたくさんありました。☟
その周辺の食べ物屋さん。☟
ナンを焼いていたお兄さんたち。☟
当時のナンは、一般的にこの2タイプでした。
ここからは「西羊市」です。
交差点を曲がってすぐのところにある「柿子餅」のお店。☟
このお店は、今も同じ場所で柿子餅を売っています。(*^-^*)
☟、お兄さんの右後ろにあるのは「烤包子」、左後ろにチラッと見えているのは「ポロ」です。
この頃の「羊肉串(羊肉の串焼き)」は、太い紅柳の枝ではなく、竹串・金串を使っていました。
これまでご紹介した写真に「太い紅柳の枝」に突き刺したお肉がなかったので、補足!☟
おばさんの手前にあります。
美味しい「灌湯包子」!☟
☟、この写真は、私の愛する駱駝のぬいぐるみが主役です。(笑)
昔懐かしい雰囲気。☟
☟、「北院門」に入りました。
☟、「北院門」の南端、鼓楼の足元に到着!\(^o^)/
お店の前に屋台が並んでいない分歩道が広く、道幅が広く感じますね。
通りの上に張り出すような看板もほとんどなし。
回民街は出かけるのがほんの1・2ヶ月間が開いただけで、新しいお店に代わっていたり、通りの飾り付けが違っていたりしました。
なので、8年も差があると、かなり異なりますね。
以上、補足でした。(*^-^*)
これで回民街のご紹介を終わります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!(*^-^*)
【おまけ: 西五台雲居寺 2015年9月5日】
「西五台雲居寺」はイスラム寺院ではないのですが、今を逃すとご紹介する機会がなくなりそう なので。(^^;
回民街からそれほど離れていません。
「清真西寺」・「洒金橋清真古寺」があった「洒金橋路」を北へ進むだけです。
☟の地図をご参照ください。(*^^*)
まだ武漢にいた頃、西安に遊びに来て、友人が案内してくれたお寺です。
「百度百科」にあった概要です。☟
参考に訳してみましたが、検索しても見つからない単語があって、「???」部分が多くあります。m(__)m
「雲居寺」または「四五台」と呼ばれ、原名を安慶寺という。西安市玉祥門蓮湖路西段南側に位置する。尼僧道場。
雲居寺の基壇は唐、創建(?)は宋、屋根(?)は明。???m(__)m
現存する雲居寺の殿宇は宋代の「硬山式」建築様式を保ち、臥仏殿内の臥佛塑像は明代の塑像の珍品ということができる。
2015年以降は訪れていないので、今現在はどうなっているでしょうか?
当時は無料で見学させてもらえました。
☟、付近の「洒金橋路」。
入り口の様子。☟
境内には、こんな建物がありました。☟
金色の狛犬?が目を引きます。
上の建物を回り込んで背後に行くと、傾斜が非常に急な階段を持つ建物が出現。☟
階段を上って見下ろすと、傾斜の大きさが実感できます。☟
登るのはマシでしたが、降りるのはちょっと怖かった記憶が・・・・・・。
手前にあった建物の後ろ姿。☟
後方にもまだ高い基壇を備えた建物がありましたが、そこまでは行けませんでした。
手前両サイドの低い建物には、僧衣を着た方々の姿が見えました。☟
簡単ですが、以上、オマケでした。(*^-^*)
西安今昔①鐘楼・鼓楼編
2020年2月9日(日曜日)。
前日の2月8日は、2020年の元宵節でした。
元宵節と言えば、中国各地の観光地で、たくさんの趣向を凝らした燈籠が飾られ、それを見に集まる地元客・観光客で大混雑するくらい賑わいます。
こちら☟は、昨年の元宵節の様子です。
2019年春節、曲江(大雁塔北広場・南広場、大唐不夜城歩行者天国)の元宵節! - せいあん!
でも、今年は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、ほぼ全てのイベントが自粛されています。
去年まで私がいた西安の大唐西市城でも、1月23日は春節イベントの案内を出していました。
陰暦大晦日にあたる24日から準備万端だった縁日を中止、27日から正式にショッピングモールも食料品を扱うスーパーを除いて営業停止。
2月9日現在も、営業がいつから再開か未定の状態です。
こちらは☟、WeChat公式アカウントで紹介されていた様子。
食料品購入などの最低限の外出以外、自粛中。
当然、広場には誰もいません・・・・・・。
昨年☟の賑わい、です。
誰もが春節を心待ちにしていたのを知っているだけに、みんなの気持ちを思うとちょっと泣けてきました。
感染の拡大が比較的少ない西安でさえこんな様子。
震源地である武漢は、日本でも毎日報道されているので、私がここで取り上げるまでもありません。
武漢には、かつての上司や同僚がたくさんいます。
中には、家族に医療関係者がいて、一時はマスクも防護服品切れになり、翌日から一切防護するものなしで治療に当たらなくてはならなくなったと、涙ながらに訴えている友人もいました。
その後どうなったのか尋ねるのも憚られ、翌日までに物資が間に合ったのか、私には知る由もありません。
みんな、今も自宅に閉じ籠って不自由な生活と感染の不安に耐えています。
どうか、少しでも早く、事態が収束に向かいますように!
こうして、本当は春節と同時にこのブログをアップするぞ!と頑張っていたんですが、新型コロナウィルスの状況ばかり気になって、今日までズルズル遅れてしまいました。
年末年始の旅行で浮かれた内容が現状にそぐわないのですが、そこのところはお許しください。m(__)m
目次
【西安へ!】
2019年12月28日(土曜日)。
年末年始の9連休初日の早朝5時、真っ暗な中、家を出発。
手袋を忘れて、トランクを押す手が凍傷になりそうでした。(^^;
乗り合いバスのバス停には15分くらい前に到着。
ところが、バスが来ない!
これまでも利用していて、いつも予定より早く到着していたんです。
時間確認のためにスマホを見ると、トランク2個をゴロゴロ押して歩いている時に見知らぬナンバーから着信アリ。
音を小さくしていた上に、トランクを押す音で着信音が聞こえなかった模様。
たぶん乗り合いバスの運転手さんからだと思い掛けなおしてみましたが、先方出ず。
何があったのかと不安になりつつ待っていると、バスようやく到着。
前日予約確認したにもかかわらず、一つ前の乗り場で乗車するように手配されていたんだそうです。
そんなこともあるんだ・・・・・・、と驚きました。
幸い、ロスした時間は空港までの道中に取り戻せました。
私の場合、いつもチェックインカウンター前で相当待つので、少々遅れても平気です。
でも、もう一人、早い便の国内線に乗るお客さんもいたので、間に合って良かった!
【岡山空港】
チェックインが済み、暇なのでターミナルの送迎デッキへ出てみると・・・・・・。
ちょうど日の出時刻!!!\(^o^)/☟
朝日をバックに、国内線旅客機が飛び立つところを撮影できました!(^_^)v
朝日に染まる、岡山桃太郎空港のターミナル。☟
絶好のフライト日和です!!!(*^-^*)
予定通り、搭乗開始。☟
連休初日、満員ではありませんでしたが、かなりの乗客数。
職場が休みに入り、子供さんを連れて、若しくは一人で、里帰りをする中国人女性がとても多く見受けられました。
私は通路側の席で、真ん中ワンシートを空けて窓際席の女性も里帰りする中国人女性。
その方は上海出身。
以前、私が上海で住んでいた辺りにご実家があるということで、ローカルな話で盛り上がりました。
もちろん日本語で。(笑)
20年以上岡山に住んでいるそうで、岡山弁がお上手でした。
岡山~上海便の機内食、私にとっては久々のサンドイッチバージョン。☟
私はこのサンドイッチが好きだったので、嬉しい~~~!\(^o^)/
【上海浦東空港】
順調に上海浦東空港に到着。
入国手続きは長蛇の列。
でも、まだピークではありません。
春節前後になると、こんなものでは済まないのです。(^^;
ここまで順調にやって来たのですが・・・・・・。
私がうっかり者だったため、国内線乗り継ぎで危うく乗り損ねそうになりました。(◞‸◟)
西安空港到着時刻を上海出発時刻と勘違いし、出発ロビーにある東方航空の会員サービスカウンターでのんびり列に並んでいたんです。(^^;
自分の番になり、スマホで情報を見せようと操作していた時、たまたまCtripのアプリを確認したから助かりました。
乗手続きはとっくに始まっていたんです!!(゚Д゚;)
挙句、やっと番が回って来て尋ねた問い合わせ内容は外国人には関係ないらしく、ただ時間を無駄にしただけ・・・・・・。(T_T)
そこから安全検査まで全力ダッシュ!
慌てぶりを見た安全検査の列を割り振る係りの女性により、時間が無い人専用の窓口の方へ誘導された私。
走った勢いで、パスポート提示も忘れて検査員の前を走り抜けようとしてしまい、呼び止められる始末。(^^;(^^;
幸い、苦笑されるだけで済み、靴も脱いで検査を終えて、そこから搭乗口まで、また全力疾走!
走っているさなか、搭乗手続きの最終案内のアナウンスが流れました。
搭乗口では、係り員のお一人が通路の方まで出てきて周囲を見渡していて、私を見ると「西安便ですか?」と確認。
思わず、「私が最後ですか?」と尋ねたら、頷かれてショック!
乗客がみんな静かに座って待っている中、一人遅れて駆け込むなんて・・・・・・。
これ以上お待たせしてはいけないっ!
と機内まで突っ走りました。
すると・・・・・・、まだ立って荷物を頭上の棚に入れている人もチラホラ。
私が着席してから出発までも、かなり時間がありました。
本当にギリギリなら名前をアナウンスで呼ばれるんだった・・・・・・と、席に着いてから思い出すことになりました。(笑)
でも、私の後に乗って来る人はいなかったので、これ以上遅れずに済んで何よりということで。(笑)(笑)(笑)
さて、国内線の機内食は・・・・・・。☟
国際線に続きパン食でしたが、想像以上に口に合い、結構大きかったのですが完食!
もう一つ食べたいくらい、気に入りました。
ご飯や麺の横に、何だかよく分からない炒め物が入っている食事より、私は断然この方が好き!
配る客室乗務員さんにとっても、渡しやすくて便利だと思います。
お水のボトルのピンクのマークは、東方航空を示す燕と飛行機、それに加えてなぜかどんぶりに入った拉麺と、モクレンらしき花、「賞味東航」の文字がデザインされています。
パンが入っていた紙袋にも「賞味東航」の文字があり、更に中央に「賞味東航」の文字が入ったQRコードもついていました。
このQRコードを読み込むと、「賞味東航」というWechatの公式アカウントが開きます。
東方航空の機内食に関する情報を読むことができますよ!(^_^)v
【西安空港】
あっという間に西安空港に到着!!!☟
ターミナルまではバスで移動でした。
これまでにもご紹介していたかもしれませんが、旅行で西安に到着するのは久しぶりなので、写真、貼らせていただきます!!!☟
西安~~~、戻って来たよ~~~!!!💛💛💛
左へ行くと、 第二ターミナルの方へ行ってしまいます。ご注意ください。☟
エスカレーターの正面には、搭乗便とターンテーブルの案内板があります。☟
東方航空を利用すると、ターンテーブルはいつもエスカレーターからかなり離れたフロアの真ん中辺りになります。☟
上海からの夕方着の便でも、武漢からの早朝便でも、敦煌やカシュガルからでも、だいたいこの辺り。☟
今回、ターンテーブルの番号と搭乗便名を記念に撮っておこうと☝の場所まで来たら、この案内板を動画で撮っている若者がいました。
何を撮ってるんだろう???とスマホのカメラが向けられている先を見てびっくり!☟
階下で、作業員さんがターンテーブルにトランクを載せている様子が見えるようになっていたんです!!!
これまで、中国で飛行に乗ると、到着後ターンテーブルの側で待つ人々の前に、かなり無残な姿になったトランクが流れて来くることもありました。
SNSでは、日本の空港でのトランクの取り扱い動画が注目を集め、「トランクを投げていない!」と騒ぎになっていたほどです。
現在、トランクの取り扱い状況が逐一人目に触れるようになったためか、作業員さんの動作はとても丁寧。
この画面を写真撮影し、更に動画も撮っていたら、ちょうど自分のトランクがコンベアに載せられるところを目撃。(笑)
トランクがなかなか出てこない時にも、この画像があると「まだ作業中だから待っていれば大丈夫」と安心感もありますよね。
常に監視されながら働くことになる作業員さんは気の毒ですが、利用する立場からすると画期的なサービスではないでしょうか?(*^^*)
けっこう早くトランク2個を回収し、到着ロビーへ。☟
この左手少し先には、スタバがあります。
到着待ちで、早く到着し過ぎた時なんかには便利。
私は迎えのタクシーを予約していました。
運転手さんからの電話指示で、到着ロビーを出て、空港リムジンバス・長距離バスやタクシー乗り場等がある建物に向かいます。
上の写真の「314」出口を出ると向かいに、☟の入り口が見えます。
入り口を入ってすぐの左手には、西安名物の麺類を食べることができるお店があります。
そこから漂ってくる西安の麺ならではの調味料の香りが、「西安に戻った~~~!!!」と言う気持ちにさせてくれます。💛
これ、私だけでなく、長く西安を離れていた西安人の知り合いも同じように言っていました。
とても嬉しい香りのお出迎えなのですが、機内食を食べているので、ここを通る時はいつもお腹が空いていません。
匂いだけ吸い込んで素通りします。(笑)
すると、前方に空港リムジンバスのチケット販売機が見えてきます。☟
「机场巴士售票」と言う文字の下にある端末が販売機です。
最近はWechatの公式アカウントからでも購入できるので、私が利用する場合は、列に並んで順番をキープしながら購入します。(笑)
今回はタクシーを予約しているので、右に逸れず、更に前進。
中央奥に見える出口へと向かいます。
上の写真の出口を、道路を渡った広場から撮影。☟
建物外では、メーター使用の通常のタクシーが並んで待っています。
実は、私が予約した料金前払いの送迎タクシーの運転手さんが指定したのは、この写真の右すぐ横にある三本のポールの側でした。(^^;
でも、以前予約した時、この広場を突っ切った向こう側にある駐車場手前で待ち合わせをしたことがあったので、私はそこの事だと勘違い。
勘違いした場所で運転手さんを待ちながら、逆行の空港ターミナルの撮影にいそしんでいました。☟
青空と太陽と「西安」の二文字をクリアに写そうと頑張ったのですが、成功せず。(^^;
この写真だと、正しい待ち合わせ場所の「三本のポール」がよく見えます。
3本それぞれ、旗が翻っています。
この日はとても暖かく、機内から脱ぎっぱなしだったダウンコートを着直す必要はありませんでした。
たぶん、広場の真ん中に工事現場の囲みがあったせいで姿が見えず、運転手さんは電話をしながら私がいる場所まで探しに来てくれました。
数年前の待ち合わせ場所は、「出発フロアの〇〇号入り口前」でした。
その後、出発フロア前が利用できなくなり、広場向こうの駐車場手前に変更。
頻繁に待ち合わせ場所が変わるので、西安空港到着後の電話連絡時は要注意です。
ちなみに、Ctripで飛行機チケット購入と合わせての割引価格で前払い送迎タクシーを予約すると、今回は87元。(1元=16円換算で、約1,400円)
メーターで料金を計算する通常のタクシーだと、100元ちょっと(1元=16円換算で、約1,600円)かかるようです。
日本円での差額200円なら、大差なく感じるかもしれません。
でも、人民元での差額15元くらいあれば、美味しい麺をどんぶり一杯、満腹になるほど食べられるんです。
小銭を侮ってはいけないのデス。(笑)
それに、固定料金なので遠回りされるような心配はありません。
システムが指示する最短距離、もしくは最短時間で到着できるルートで走行してくれます。
だから安心。(^_^)v
半年近く中国語を話す機会がなかったので、西安市内までの道中は、運転手さんとの会話力リハビリタイム!となりました。(*^-^*)
さて、ここから、どんなふうに紹介を進めていこうか、かなり悩みました。
なぜなら、今回の出来事だけでなく、私の手元にある昔の写真と合わせて、西安(私が見知ってる場所だけ)の変化をまとめようと思ったからです。
そうなると、写真の量も膨大になります。
12月からコツコツ過去写真を先行してアップはして来たものの、1ヶ月無料で利用できるファイル容量では全然足りません。
しかも、1回に全部詰め込むと、またしても超長い文章になりそうです。
そうなると、いつアップすることができるやら・・・・・・。(^^;
平日仕事があると、以前のようなペースでは書き進められません。(T_T)
そこで、今回特に変化を感じた場所から優先し、数回に分けてアップすることに決めました。(*^-^*)
予定では、①鐘楼・鼓楼、②回民街、③西門・南門・大雁塔周辺に分けるつもりです。
分類しきれない内容のものは、それぞれのどこかに追加します。
そんなわけで、今回は第一回目、「鐘楼・鼓楼」です!\(^o^)/
【鐘楼・鼓楼】
【ライトアップ】
【鐘楼・鼓楼ライトアップ写真地図】
まずは、こちらからご覧ください。☟
撮影日は2020年1月2日(木曜日)の昼過ぎ。
この日は朝から一日中、こんな曇り空でした。
撮影場所は、鐘楼飯店の4階。
自分の部屋からではなく、4階エレベーターホール前に事務所を構える「西安中国国際旅行社」の窓から撮影。☟
1月3日午前の咸陽空港までの移動を、たまたま同じフロアにあったこの旅行社で手配した時に写しました。(^_^)v
この景色が見えるだけで、部屋代が高くなります。(^^;
この旅行社、お一人が留守番役(?)として、申し込み受け付けと電話応対をしているようでした。
その方が所用で部屋を空ける際には扉が閉ざされ、ドアノブにその旨を記したカードが掛けられていました。
そんな様子を、鐘楼のすぐ側という絶好のロケーションを活かし、回民街で買ったものを置きに戻るとか、トイレ休憩に戻るとか、頻繁にホテルへ出入りする際に目にしていたのですが・・・・・・。
ちょうど夕闇が下り始め、鐘楼のライトアップが始まった頃、運よく旅行社のドアが開け放たれていました!\(^o^)/
このチャンス、逃すわけにはいきません。(笑)
「你好~!」と中を覗き込み、撮影許可をゲット!☟
これが、昨年12月初めから始まった、鐘楼のライトアップです。
別の角度からもご覧ください。
私のお気に入りの撮影ポイントから。☟(地図①)
ここからの写真なら、過去、何回も撮影しています。
多少角度が違いますが、以前と比較すると・・・・・・。☟
☝は、2019年2月4日、2019年の春節前夜のものです。
春節前後だから、特別にライトアップしてるんじゃないかと思われないように、2019年7月初めの写真も載せておきます。☟
違いが分かるでしょうか?
以前は基礎の部分だけでなく、上部の木造建築にも照明が直接取付けられ、鐘楼全身が発光しているように輝いていました。
それが2020年の元旦前後になると、基礎から上向きに照らされるだけになり、ぼんやり浮かび上がるような雰囲気に!
下の広場から撮ると、鐘楼足下の灯りが半分ほど隠れるため、いっそう幽玄な雰囲気になります。☟(地図②)
なぜ、以前のようなライトアップを止めたかと言うと、中央政府からの通達を受け、古い木造建築の木造部分に直接照明を取り付けることを止めたから。
この状態は、夜間照明を改善するまでの暫定的なもののようです。
なぜ、中央政府からこんな通達が出たかと言うと、ノートルダム大聖堂の火災が関係してると、旅行社受付け係りの女性は言っていました。
いろんな角度(?)から撮影した夜の鐘楼、ご覧ください!☟
☝は、西大街のバス停「鐘楼西」のあたりから。(地図③)
☟、鐘楼飯店前に設置された花時計の後ろ側から。(地図④)
ちなみに、こちら☟は1999年9月~2000年7月、西安に初めて留学した時に撮影した写真。(地図⑤から北大街方向)
正確な日時は不明です。(^^;
これ☟は、2019年7月13日、タクシーの中から撮影しました。
後から追加したので、地図にナンバーがありません。m(__)m
鐘楼を中心としたロータリーを回っている時、鐘楼の真北に来た時に写しました。
左上に小さく月も写ってます。
日本帰国の前日の、思い出深い写真です。
撮影時は、「西安~、鐘楼~、さようなら~」とちょっと涙目でした。(笑)
このライトアップの変化、鼓楼も同じです。☟(地図⑤)
鐘楼よりも遠くにあるだけに、一層暗く見えます。
こちら☟、2019年2月4日撮影。
遠くにあっても、この存在感!
鼓楼の方へ行ってみましょう!
☝、地図⑥の橋の上から撮影。
⑥の橋を渡って、世紀金花上の広場から。☟(地図⑦)
上と同じ場所から、2019年2月4日撮影。☟
右側の店舗も、ライトアップの照度が落ちてますね。
こちら☟は、2019年2月4日、⑦地点から望遠レンズで撮影。
☟世紀金花上の広場、西の端までやって来ました。(地図⑧)
☟、⑧付近、少し角度を変えて。
鼓楼を南側下から見上げて。☟(地図⑨)
地図⑩から。☟
上とほぼ同じ場所、2019年2月4日撮影。☟
2020年の春節、広場の木々はどんなふうにライトアップされる予定だったのでしょう?
このすぐ側に噴水があります。(地図⑪)
今回、ちょうど音楽に合わせて噴水が吹き上がる時間に出くわしました。☟
噴水が上がる時間に通りかかれることは少ないですし、まして、ライトアップしている時間帯になんて、かつての私の行動パターンだとめったにありませんでした。
あっても、カメラを構えたら終ってしまったとか・・・・・・。(笑)
今回は曲が数曲変わるくらいの時間、ゆっくり堪能することができました。
なんて、時刻は21時過ぎ。
スマホを持つ手が冷たくて、途中で一度立ち去りかけたのですが、次いつ見れるか分からないと思い直し、引き返して来たのです。(笑)
残念なのは・・・・・・、地図⑪から西に向けての撮影だったので、背景に鼓楼が入っていないこと。(T_T)
噴水の西側に回って写していれば、こんな感じだったんです。☟
☝、2019年2月4日撮影です。
夜景写真のラストに・・・・・・。
2020年1月15日にWechatで通知された、新しいライトアップの調整中の写真です。
周囲の建物や電柱に照明を設置し、そこから鐘楼を照射しています。
この時、鼓楼はまだ暗いままですが、春節前には明るくなったのでしょうか?
明るくなっていても、今の西安だと、見に行く人もほとんどいないんだろうなぁ。
夜景の変化はここまでです。(^_^)v
【鐘楼からの東西南北】
ここからは、鐘楼の上から見た風景を、東西南北ごと、色んな年代別にご紹介します!
まずは、鐘楼へ上るべく、チケットを買いに行きましょう!
鐘楼へ上がるには、鐘楼の地下にある通路の地下鉄乗り場へ方向へ向かいます。☟
☝写真の真ん中辺りに、赤い看板があります。
そこが地下鉄への入り口です。
余談ですが、左の壁際に、分別ごみに対応したゴミ箱が並んでいます。
西安は9月からごみの分別が正式に始まったので、私はこのゴミ箱を見るのは今回の旅行が初めてでした。
現地の友人の話では、ゴミ箱は用意されていても、それを回収する車は以前のまま。
その結果、捨てる時は分別していても、回収時にまたごっちゃになるんだそうです。
「初めはまじめに分別しようとしていたけれど、結局混ざってしまうと知ってからはヤル気がなくなった」
と言っていました。(^^;
中国の分別ごみ、まだまだ改善すべきところがたくさんあるようです。
横道にそれてしまいました。m(__)m
この地下鉄へ下りる入り口の反対側に、鐘楼へ上がるためのチケット売り場があります。☟
☝、左端にチラッと見えているのが、鐘楼へ向かう通路です。
通路右側の壁に掲示されている価格表。☟
鐘楼と鼓楼、共にここでチケットを購入できます。
別々に購入すると、それぞれ一人1回30元ですが、まとめて買うと10元安い50元になります。
見学時間は、左側の掲示板に書いてあります。
緑の光が映り込んで、見えにくいですね。(^^;
オフシーズン:
10月11日~翌年3月31日までは、8:30~18:00(チケット販売は17:30まで)
オンシーズン:
4月1日~10月10日までは、8:30~20:30(チケット販売は20:00まで)
このように書いてあります。
今回、私は現金ではなく、二つ上の写真にチラっと写っている端末機☟での購入にチャレンジ!
旅行ではいつも利用するCtrip(日本のサイトだとTrip.com)が設置。
支払いは、WechatPayで。
今回の旅行、中国に入ってから出るまで、一度も現金を使うことナシ。
電子マネーだと購入相手や日時が記録されているので、帰国してから家計簿をつけるのがラクで助かりました。
日本だと、電子マネーの種類が多過ぎ、対応しているお店が分散していてちょっと不便。
それに、田舎に住んでいるので、まだまだ現金しか取り扱わない所も多いのです。
チケットを買ったら、通路の途中で手荷物検査を受け、鐘楼に上がります。☟
☟は、下りる時に写したもの。
上る時は、鐘楼に向かって左側(この位置からだと、向かい側)の階段を使用します。
階段を上がり切ると、☟が見えます。
黒い石碑には、鐘楼の紹介があります。
参考に訳す必要もないほど有名な建築物ですが、一応訳してみたいと思います。
【鐘楼】
西安鐘楼は明洪武十七年(1384年)に建築された。昔は楼上に大きな鐘があり、毎日これを撞いて時を知らせたことから、鐘楼と名付けられた。鐘楼はレンガと木造でできており、高さは36メートル、面積は1370平方メートル。典型的な明代建築である。1949年以降、何度も整備と保護を行い、1996年、国務院により全国重点文物保護単位に加えられた。
この場から西を向くと、☟の鐘が吊り下げられています。
鐘の側にあった説明文を参考として訳してみました。
【景雲鐘】
唐睿宗の景雲二年(711年)に鋳造されたことからこの名がつけられた。鐘の高さ247センチ、胴回り486センチ、口径165センチ、重量は約6トン。鐘は青銅で鋳造、鋳造時には五つに分けられ(?)、合計26の鋳型を使用した。鐘の形状は上のすぼんだ円筒形、口部分は六角で弧を描いている。鐘には乳(乳の間内に各区規則正しく配列された突起物)が32個あり、周囲には装飾模様が鋳造されている。上から下へ3層に分けられ、各層は蔓草模様で6ブロックに分けられている。ブロック内にはそれぞれ飛天・鶴・獅子・龍・朱雀唐の図案が鋳造されており、四隅にはそれぞれ四つの瑞雲がある。鐘正面にある駢文体の銘文は、唐睿宗李旦の直筆である。
専門用語もあり、自信のないところが多々あり。
あくまで、参考としてごらんください。m(__)m
で、この鐘が本物かどうか・・・・・・?
ネットで調べていたら、中国のWikipediaと呼ばれる「百度百科」で、西安碑林博物館に収蔵されていると紹介されていました。
中国の国家一級文物で、「天下第一名鐘」と呼ばれる、世界の名鐘の一つだそうです。
碑林博物館を見学される時は、この鐘のオリジナルを探してみてください。(*^-^*)
では、ここから西→南→東→北→西へと、鐘楼を回りながら周辺の様子の変遷を比較したいと思います。(^_^)v
【2020年1月2日】
この日は一日こんな空模様。
☟は、西大街です。
右真ん中辺りには鼓楼が、中央奥に西門が見えています。
そこにあると分かっていると気付けるのですが、普通は気付きませんよね?(^^;
なので、アップも撮りました。☟
やっぱり・・・・・・、ぼんやりした姿です。
晴れていたら、また違った景色だったのに、残念!
気を取り直して、南側へ向かいます!
その途中にある、宿泊していた鐘楼飯店の全容をどうぞ。(*^^*)☟
上の写真の左手にある、南大街。☟
西安の城壁は東西が長く、南北が短い長方形なので、南門はよく見えています。
上の写真の左側にある、『開元商城』。☟
東大街。☟
現在、地下鉄工事真っ最中。
普段は塀に囲まれていて、工事現場がどうなっているのか分からないのですが、鐘楼に上がるとよく見えます。
この写真の中央奥には、東門が見えています。
でも、やっぱり分からないですよね?(^^;
アップをご覧ください。☟
これでも見分けにくいのですが、高層ビルの手前に、ぼんやり写っています。
上の写真の左手にある、「中国郵政」の建物。☟
ここの前も工事中。
工事現場の塀と中国郵政の建物の間にあった石碑です。☟
この建物、陝西省の重点文物保護単位だったんですね。
そして、北大街。☟
北門は・・・・・・、アップを撮り忘れました。<(_ _)>
上の写真の右手に、スマホのフィルム交換に行ったサービス店があります。
鐘楼飯店に宿泊したおかげで、スマホのメンテナンスに便利でした。
上の写真の左手は、スタート地点の西大街です。☟
1999年に初めて留学した時からあった、『世紀金花』百貨店がよく見えます。
次は、2018年、武漢から遊びに来られたかつての上司をご案内する際に上った時の景色です。
この日は、土砂降りでした。(T_T)
【2018年5月5日】
西大街。☟
2020年1月初めとは1年半しか差がないので、あまり変わり映えしません。(笑)
☟、南大街。
雨のおかげで空気が澄んでいます!
南門もクッキリ!!!
☟、東大街。
中国郵政の建物前は、地下鉄工事の準備に入っています。
でも、東大街そのものは、まだ工事開始前。
☟、その中国郵政の建物。
2020年の写真では、鐘楼飯店前にある花時計。
中国郵政前が工事に入る前は、ここに花時計がありました。
その名残が、工事現場の囲いの中にあります。
☟、北大街。
西大街まで戻りました。☟
2020年のご紹介でも、『世紀金花』と鼓楼+西大街は2回登場しています。
なぜかと言えば、この場所が、回民街と共に、私が一番よく足を運んだ場所だから。
西大街中心の写真だと、広場北側の建物が途切れてしまうのです。
全体が写った写真をブログに留めておきたいな~と。(*^-^*)
続きまして、2015年、まだ武漢で働いていた頃、上司や通訳同僚と一緒に西安を訪れた時の様子をどうぞ。
【2015年5月24日】
☟、南大街
ここまで天気の悪い日ばかりでしたが、やっと晴れの日の写真を掲載できました!
とは言え、ちょっとスモッグ発生中・・・・・・。
日曜日の10時半頃、通りはまだ混雑していません。
右手前に、鐘楼飯店の一部が写っています。
☟、北大街と南大街。
この時は上司と一緒だったので、☝の北大街右手の真ん中辺りにあるラマダホテルに宿泊。
ハードスケジュールだっため、せっかくの高級ホテルでしたが、夜寝るだけとなり残念でした。(笑)
ホテルは回民街の北側の入り口のような存在である「北院門」に近く、鐘楼にも歩いて行ける便利なロケーションです。
☟、西大街と東大街。
南門は辛うじて見えますが、西・東・北と、どこもスモッグで霞んでますネ。(^^;
今度は今から時を一気に16年分遡ります!
【2004年5月5日】
とは言うものの、この時は鐘楼には登っていません。
『開元商城』から鐘楼飯店と中国郵政の建物方向を撮影したのみ。☟
この時、既に鐘楼地下の通路は出来上がっていました。
鐘楼飯店の両サイドに、地下に下りる階段の透明な屋根が見えています。
でも、まだ地下通路を通ることが徹底されていなかったのか、路上を横切っている人の姿も見受けられます。
この年は、4月から広東省で働き始めたばかり。
当時は清明節や端午節の3連休がまだなく、その代りに5月と10月に7連休がありました。
私が入社した会社は、7連休+会社独自の休みが追加され、確か11連休だったんです。
広州駅から列車で車中泊して、はるばる西安までやって来ました。
前日まで大雨だったそうで、そのおかげで空気はとても澄んでいました。(*^-^*)
それにしても、周囲の建物は写しているのに、どうして鐘楼を写していなかったのでしょう???
謎です。(笑)
次は、初めての留学の終了を間近に控えた、2001年6月末。
【2001年6月29日】
☟、西大街。
『世紀金花』の屋上にあたる広場が、ただっ広い!
何も植えられていないですね。
まだ鐘楼の地下通路はありません。
みんな好きな場所で通りを横切っています。
この頃は、まだ小型のタクシー健在。
西大街、途中から中央にも街路樹が植えてありますが、あの場所から急に道幅が狭くなっていました。
まだ古い建物が取り壊されておらず、歩道はすごく狭くて歩きづらかったのを覚えています。
でも、懐かしい、古い西安最後の姿だったかも知れません。
☟、南大街。
車の大半がタクシーとバス。
それ以外も、おそらく職場の公用車。
この時はまだWTO加盟直前。
自家用車が普及し始める直前でした。
☟、東大街。
南大街と、この後出て来る北大街の整備は進んでいましたが、西大街・東大街、特に東はまだ古さを留めた趣きある風情です。
北大街は、建設ラッシュ。☟
止まっている車に近づき、何かを売ろうと話しかけている人の姿が写っています。
最後は、初めて西安を訪れた1997年。
【1997年6月19日】
バスの中から、鐘楼側を通り過ぎる際に写したもの。☟
鐘楼の背後に見えるのは、建物の形状から、おそらく鐘楼飯店。
バスは東大街から北大街方向へ、ロータリーを移動中?
チラッとしか写っていませんが、手前に写っている皆さんは全員自転車に乗っています。
懐かしい風景です。
以上、鐘楼・鼓楼編でした。(*^-^*)
書院門にある「関中書院」と西安駅近くにあるユースホステル「西安七賢国際青年旅舎」2020/1/11関中書院追記
020 2019年12月9日(月曜日)。
前回の記事アップから、2ヶ月以上間が空いてしまいました。
この間、引越し、就職活動、仕事開始・・・・・・と落ち着いてパソコンの前に座ることができず、気付けば季節は冬です。(゚Д゚;)
11月12日には、敦煌から早々と初雪の便りが届きました。
西安にもみぞれが降ったりして、最低気温はマイナスに。
そこまで寒くなくない我が家の周辺でも、綺麗だった紅葉は茶色の枯れ葉になってしまいました。
朝は霜が降りて、車の窓ガラスが凍り付き始めた季節。
西安から戻って来てそろそろ5か月が経とうとしています。
季節もすっかり変わってしまったというのに、今さら何を書こうとしているのかといいますと・・・・・・。
やっぱり、帰国前の、真夏の西安なのです。(笑)
季節外れの青空と緑豊かな写真ばかり登場しますが、お付き合いください。(*^-^*)
目次
時は、2019年7月4日(木曜日)まで遡ります。
この日、西安は快晴!!!(*^▽^*)
友人に誘われ、書院門にある友人の実家側にある「関中書院」と、お姑さんが経営するユースホステルに遊びに出かけました。
西安滞在最後の半月ほどの写真には、撮影日時が入っています。
毎日何かしら予定があって、いつどこへ行ったか混乱しないよう記録しておきたかったんです。
ブログの紹介では、話の流れの都合で、撮影時間が前後して並ぶこともあると思いますが、気にしないでくださいね。
では、スタート!\(^o^)/
【城壁南門周辺】
マンションを出て陸橋を渡り、友人の車が待っている西北工業大学西門側の歩道へ向かう途中に写した南方向。
☟の写真では見えにくいかも知れませんが、ビルの向こうに南山が見えていました。
南山が見えると言うことは、空気がとても澄んでいる証!(^_^)v
☟、北側も青空が広がっています。
青空がとても気持ちよい日でしたが、非常~~~に暑い日でもありました。
これから行こうとしている書院門は、☟の図の④辺りにも駐車場があるのですが、満車なことも多いようで、友人は①近くの地下駐車場に車を停めました。
☝の①~④を通って、徒歩で書院門に行く道中で撮影した、懐かしい西安の写真をご覧ください。(*^-^*)
☟、①緑地帯十字路から、北向き。
上の写真、左端に写っている果樹のアップ。☟
この実は・・・・・・、スモモ???
①十字路から撮った写真の奥に見えるカラフルなアーチの方へ進むと、何だか楽しそうな赤い提灯が連なっていました。☟
☝の左手は、夜になるとこんな感じ。☟
カラフルなアーチは、いろんな色に光り輝きます。☟
①から②へ移動。手前に植えられているのは、柘榴です。☟
この柘榴の花は、西安の市花。
☝、南門前の広場が目前です。
②、南門を眺めながら、城内へ向かいます。☟
②にある橋のたもとから堀を覗くと、アヒルやガチョウが気持ちよさそうに泳いでいました。☟
ガチョウたちから視線を上に向けると、南門から東へ走る城壁が見えます。☟
③辺りを通過時に撮影した、緑。ここにも柘榴の花が咲いています。☟
☟、真夏の青々とした槐の葉と、それを透かして降り注ぐ真夏の太陽!綺麗~~~!
【関中書院】
少し歩けば、すぐ城壁に辿り着きます。
城壁の下をくぐれば、④書院門は目と鼻の先。☟
書院門とは、ここから東にある碑林までの通りの名称です。
通りの名前は、これから行く「関中書院」に由来します。
牌楼から⑤の「関中書院」へ向かう途中の路地。☟
この路地の入り口辺りは、額縁を作っているお店が軒を連ねていました。
そのお店が途切れた辺りに、友人の実家はあります。
1階は書画を販売するお店。
古い家が連なっている地区の特徴とでも言えばいいのでしょうか。
2階、3階へ上がろうと思うと、一度路地に出て、お隣のアパートの入り口から中に入り、アパートの通路を通って彼女の実家の2階へ・・・・・・と、ちょっとルートが複雑です。(^^;
友人の実家は、ちょうど内装工事中でした。
古い建物の上、周囲を隣の建築物に取り囲まれていてちょっと不便な間取りではありますが、南門城内、書院門という立地条件は抜群デス!
ここで少し休憩してから、「関中書院」へ向かいました。
何と言うことでしょう!(゚Д゚;)
私は「関中書院」の正面写真を撮り忘れていました。(T_T)
そこで、百度百科から写真を拝借。(^^;
なぜ撮り忘れたかと言うと・・・・・・。
中にある食堂が開いている時間内に食事をしようと、私達はちょと慌てていました。
向かって右の通用門を通り抜け、食堂へGo!\(^o^)/
私が食べたのは「砂鍋」。☟
湯葉や細く切った豆製品、同じく細く切ったコンブやチンゲン菜、キクラゲなどが入っています。
写真を写した時刻を見ると、12時を少し過ぎたばかり。
慌てる必要はなさそうですが、現在、ここは『西安文理学院書院校区』となっていて、食堂は決められた時間しか開いていないようでした。
開いていても、行くのが遅いと残りものしかありません。
私達が行った時も、友人おススメのメニューは既に売り切れ。
ここでは食堂専用のカードにお金をチャージして、料理を購入します。
フードコートとは異なるので、学校関係者か、近所の人くらいしかこのカードは持っていないんじゃないでしょうか?
昼食を終えて、見学スタート!\(^o^)/
見学ルートは、正面からではなく、裏手から。
赤い柱が連なる廊下を通って、講堂前まで前進。☟
☝、この廊下の途中に、壁が切れている所が見えます。
壁の左手(東側)は、多分、『西安文理学院書院校区』エリア。☟
朱塗りの扉の内側に、黒板がありました。
黒板には、「『関中書院』は明清時代、陝西の最高・・・・・・」とチョークで書かれています。
写真に写っている文字をオリジナル写真を拡大して確認すると、百度百科の紹介文とほぼ同じでした。☟
黒板に書かれていたのは、黄色で色付けした部分です。
参考として、一部を簡単に訳してみますね。(*^-^*)
「関中書院」は明・清二つの時代における陝西の最高学府であり、また全国四大著名書院の一つ、西北四大書院の最高峰である。現在の陝西省西安市に位置する。書院の建築物は広大で、中央の講堂6部屋は「允執堂」と言い、左右の南に四部屋、東西の号房6部屋(旧時の「伝達室」らしいです)・・・・・・。
辞書によると、「書院」とは、「地方に設けられた学問所」とあります。
この扉の前をもう少し進み、紹介文に登場した「允執堂」の前へ出たいと思います。
実は、赤い柱の右側に見えている壁は、「允執堂」の壁なんです。(*^-^*)
「允執堂」の壁が途切れ、右へ向かおうとすると・・・・・・。
軒下に、鉢植えの蓮が並んでいました。☟
☝の鉢を、向かって左からアップで。☟
こちら☟、「允執堂」の正面横から。
☟、「允執堂」正面を、孔子像越しに。
空の青、槐の緑、看板(?)と毛氈の赤のコントラスト、そして日差しを遮って揺らぐ槐の陰。とってもキレイ!!!(*^▽^*)
孔子像の横へ回り込んで、「允執堂」のアップ。☟
孔子像の前から、入り口の方を眺めると・・・・・・。☟
入り口へとまっすぐ伸びる道の上に、槐の枝がアーチのように張り出して、気持ちいい木陰を作ってくれていました。
☝☟、中央の道の両サイドに設置された、切絵風の顔がついた赤い筒はなんでしょう?
夜になると、明かりが灯ったのかな~?
今となっては、知る術ナシ。(T_T)
この顔のデザイン、なんだか不思議。
左右3つの白い〇が、涙みたいに見えるのですが・・・・・・。
涙では縁起悪そうだし、別の意味があるんでしょうね。
こちら☟は、「允執堂」を背にして左側の様子。
感
「进贤(進賢)」と書かれた額のある門をアップ。☟
簡体字で書かれているので、この額は古いものではなようです。(笑)
「進賢」門の横から、南側、二階建ての東屋方向。☟
この☝写真左手に、建物の紹介らしきプレートが写っています。
どうしてこれのアップを撮っておかなかったんでしょう・・・・・・。(◞‸◟)
東屋の二階軒下には「醒鐘亭」と書かれた額があります。☟
この「鐘」の字も簡体字のように見えます。
ここからは、反対側(西側)の建物を見てみましょう!
「進賢」と書かれた門の向かいにある、「归厚(帰厚)」と書かれた門。
「帰厚」門から南へ続く壁と東屋。☟
☟、「醒鐘亭」と向かい合う「暮鼓亭」です。
「醒鐘亭」には鐘がありませんでしたが、こちらには太鼓がありました。
朝は「醒鐘亭」の鐘、夕刻は「暮鼓亭」の太鼓で、時を知らせていたんでしょうね。
「暮鼓亭」の南側には、池がありました。☟
水路のような池の中には、鯉がたくさん!!!
気持ちよさそうにい泳いでいました。
池の南端に置かれた奇岩。
夏の昼下がり、岩肌を流れ落ちる水の音が、耳に心地よく響いていました。
ところでこの岩☝、モアイとかマーライオンに見えませんか???(笑)
「允執堂」の真向かいにある門に到着。
そこから「允執堂」と孔子像を見納め。☟
この門を出ても、まだ「関中書院」の敷地内です。☟
左右には蔦植物の棚があり、その両脇に事務室が並んでいます。
☝、友達です。
ちょくちょく、これまでのブログにも登場してるんですよ。(*^-^*)
棚から延びる植物の緑の葉と、オレンジの花がとってもキレイでした!☟
こんなに強い日差しでも、緑の木陰に入っていると、風が心地よくて爽やか。☟
木々の枝の向こうに、色んな機関の事務室が並んでいます。☝☟
この辺りにも蓮の鉢植えが並んでいました。☟
ここの鉢には、まだ花が残っていたので、撮影。(*^^*)
日差しを浴びて、透明感のある綺麗な蓮の葉が印象的。
普段は、西工大校内の噴水や、近所の公園の池に咲いている蓮しか見る機会がありません。
こんな見上げるアングルから、蕾を写せて大喜び!!!
武漢にいた時は、食べるためにしょっちゅう買っていた「莲子米(蓮の実)」。☟
この大きな緑の部分を割って、コロンとした小さな実を取り出し、その緑の皮を剥いて、中の白い実を食べます。
新鮮なものは、ほのかに甘味があって美味しいんですヨ。(^_^)v
白い実を乾燥させたものも売られていて、武漢では土産物売り場に並ぶ特産品でした。
白キクラゲやクコの実・干しナツメなどと一緒に煮込んで、デザート風にして食べたりします。
買うことはありませんでしたが、西安でも時々道べりで売っている姿を見かけました。
☟、次の門を潜って外へ出ます。
この門の外側、右手(西側)には、「張載」と言う人物の胸像がありました。☟
百度百科に、
「張載が伝統文化に与えた影響で、最も大きなものは関学創立である。張載が後世の儒家学者に与えた影響はとても大きく、北宋から清代まで、常に伝承者が存在した。その内、明末の馮従吾は張載の思想を受け継ぎ、500年余りに及ぶ関学発展の歴史を総括、関中書院・首善書院を前後して創建した。馮従吾の努力の下、関学は再び繁栄をみせた。」
のような紹介がありました。
こちら☟、原文です。
『张载对传统文化最大的影响莫过于创立关学,对后世儒家学者影响很大,从北宋时到清代,历代都有学习传承者。其中,宋代的吕大钧、吕大临、苏昞、范育、李复等人对关学的形成与发展起了重要作用。明末冯从吾,全面继承张载思想的为学传统,并总结了500余年的关学发展历史,先后创建关中书院、首善书院,在他的努力下,关学复呈现繁荣景象。』
参考に訳してみたのは、「関中書院」に関係ある赤色部分です。
参考のさせていただいた「百度百科」のURLはこちら☟です。
Wikipediaの「張載」の紹介も、参考にURLを添付しておきます。
Wikipediaでは「関中書院」を創建した馮従吾の名は出てきませんでしたが、「大塩平八郎」の名前が出てきました。
儒学繋がりとは言え、北宋時代に生きた「張載」の紹介で、日本の江戸時代後期の人物の名が出てきて驚きです。(笑)
ゆっくり写真を撮り、見学を終えて外の門へ出る時には、通用門は閉じられていました。
でも、鍵は掛かっていなかったので、勝手に開けて外へ。(笑)
こう書くと、「関中書院」はお昼休みしか見学できないのでは?と思われるかも。
実際、私は、お昼しか見学できないんだろうな~と思っていたんです。
ただ、ブログに紹介したのに、公開時間が不明確では無責任。
そこで、ネットで調べると・・・・・・。
「現在は一般公開されていない」というものや、具体的な時間が紹介されているものもあり、情報はマチマチ。
そこで、写真にも登場していた友人に頼んで、確認してもらいました。
近所に住んでいるお母さんが、尋ねに行ってくださった結果は・・・・・・。
2019年12月5日(木曜日)の時点では、毎日14:00~17:00、一般公開されているとのこと。
チケットは入り口東側で引き換えるそうです。
東側というのは、☟の写真の左手前あたり。(訂正:右手前)
具体的な場所は、記されていませんでした。(^^;
身分証明書を提示して、無料でチケットを交換できるようです。
午後、書院門を散策する時、時間に余裕があれば立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
【2020年1月11日追記 】
年末年始の9連休を利用して、西安に行って来ました!\(^o^)/
半年前まで2年間も滞在していたのに、また行くのか?
他に行きたいところはないのか?
なんて思われるかも知れません。(^^;
確かに、他にも行きたいところはたくさんあるのですが、一番行きたいのは西安!なのです。(笑)
そして、書院街に立ち寄った時、すぐ上でご紹介していた「関中書院のチケット交換場所」の方角を間違えていたことに気付きました。
「門の東側」は、写真では右手にあたります。
西側(写真右手)にはかつて中を見学したことのある民芸品店があったので、そこで引き換えるんだと早とちりしたんです。(◞‸◟)
すみません。
今回、現地に行って、「あれ、西と東が・・・・・・、間違ってるっ!(゚Д゚;)」と真っ青です。
改めて、今回撮って来た写真と合わせて、ご紹介し直しますね。<(_ _)>
こちら、書院街入り口にある宝慶寺塔の前に、たぶん新しく設置された「書院門歴史文化街区」の案内板がありました。☟
案内をアップにします。☟
パソコンで見られているなら、画像をクリックしていただくともう少し大きくなると思います。
この地図に南側の城壁が描かれていたので、その外側にある環城公園にある「吉備真備記念庭園」の位置も追加してみました。
岡山出身の大先輩縁の記念庭園です。(*^-^*)
「吉備真備記念庭園」と環城公園については、こちらをどうぞ!☟(*^-^*)
角度は違いますが、牌楼周辺の夏・冬の雰囲気の違いをどうぞ。☟
牌楼の下を通って東へ進み、後少しで友人実家のある路地に到着する付近。☟
この写真の右端には、「関中書院」の門前で書画の実演を取り囲んで眺めている人々の姿がチラッと見えています。
そのくらいの距離間の場所、書院街の南側に「于右任旧居博物館」があります。
これまで何度か書院街にやって来て、一度も扉が開いているのを見かけたことがなかったのですが・・・・・・。☟
扉が開いていました!!!\(^o^)/
于右任は清末から中華民国にかけての政治家・軍人・書家・文化人・教育家・ジャーナリストで、来日してい時期もある、日本と関わりのある人物です。
詳細は、☟Wikipediaの紹介をご覧ください。
この旧居は、「百度百科」によれば、于右任が1494年に台湾へ移る前に西安で住んでいた場所です。
第一夫人高仲林と娘の于芝秀は、于右任が台湾へ移った後もこの屋敷に住んでいたんだそうです。
住所は書院門52号。
2019年5月から正式に公開されたと、「百度百科」では紹介されています。
なるほど、だから扉が開いているのを見かける機会がなかったんですね。
入り口左には「西安于右任故居記念館」と書かれたプレートが取り付けられています。
ネット上でも年代が古いと「記念館」と表記されています。
ところが、公開されている時間やチケット代を検索してみると、最近の日付のものは「博物館」となっていました。
正式公開に合わせて、変わったのかな?
で、なぜネットで検索などしているかと言えば、今回の書院門訪問は予定外。
時間が押していて急いでいたところ、偶然、扉が開いていたので写真を撮って満足。
12月初めにアップしたばかりの「関中書院」で入り口正面写真がなかったことが気になっていたったので、それを撮りに行くぞ!とすぐその場を離れました。
結果、「関中書院」の写真は撮れたけれど、「于右任旧居博物館」に漏れが・・・・・・。(^^;
ネット検索の結果は・・・・・・。☟
【見学時間】
火曜日~日曜日:10:00~20:00。19:30入館停止(「9:30~18:00」の表記もあり)
チケット代:大人1人30元(チケット取り扱いサイトなどでは25元で取り扱っている所もアリ)
情報にはバラツキがあります。
一定期間すると変わることもあると思いますし、あくまで参考として見ていただいて、見学の際は現地で事前にご確認ください。m(__)m
そして、追加記事の本題!☟
「関中書院」のチケットを交換できる場所をご覧ください。(*^-^*)
☝、漢中書院の門が見えています。
路面に置いた紙に、その場で文字を書くパフォーマンスを眺めている人だかりが見えます。
「関中書院」の門前両側に、建物の様式が統一されたお店があります。☟
左側が、私が勘違いした西側のお店。(◞‸◟)
右側が、受付けがある東側のお店です。
では、「関中書院」の門側にある入り口から、中に入ってみましょう!☟
この扉から中に入ると、左手に受け付けがありました。
☟、店内にある受付けの様子。
「访客登记处(訪問者受付け所)」です。
ここで、中国人なら身分証明証を、外国人ならパスポートを提示します。
この時は既に17時を回っていたので、お店の人に「今日はもうダメよ~」と言われてしまいました。(笑)
以上、補足でした。(*^^*)
【城内の道路風景1】
「関中書院」の見学後、少し友人の実家で休憩し、駐車場まで移動開始!\(^o^)/
来た時と同様、城壁南門の東側を通って、城外へ。
上の地図の⑥。☟
城壁の真下から見た、城外の様子。
正午ごろと比べると、少し雲が出てきました。☟
雲に遮られた太陽。
雲間から漏れる日差しが、なんとなく荘厳な感じ。(*^^*)☟
ここからの写真は、友人の車の中から撮影したもの。☟
南大街を、彼女の義理のお母さんが経営するユースホステル「西安七賢国際青年旅舎」へ向かっています。
正面に鐘楼が迫って来ました。
こんな間近に鐘楼を見ることができるのもあと数日・・・・・・。(T_T)(T_T)(T_T)
当時の私の心境です。(笑)
なので、大きさが多少違うだけの鐘楼を何枚も撮りました。
その中の1枚。☟
徒歩でこの位置まで来て撮影することはできないので、貴重!(私にとって、デス)(笑)
鐘楼の東側を通過中、右手に見える「中国郵政」の建物と、地下鉄工事の現場。☟
今度西安に行く時には、この地下鉄工事、終わっているでしょうか?
北大街へ入りました。☟
「西安七賢国際青年旅舎」までの移動ルートは、☟地図の緑のラインをご参照ください。(^_^)v
【西安七賢国際青年旅舎】
北大街を北上し、地下鉄1号線が走る四五路で東へ右折。
四五路の途中で左折して北新街に入り、「八路軍西安辧事処記念館」入り口前を通って、四七路を右折。☟
☝、四七路です。
二つ下の写真に写っている、「西安七賢国際青年旅舎」側のバス停から撮影。
四七路に入るとすぐ、入り口の扉があります。☟
住所は、北新街七賢庄北院2号。
日本語版のCtrip(Trip.com)での表記は、「シーアン 7 セージズ ベル タワー ユースホステル(7 Sages International Youth Hostel)」となっています。
ホテル情報は、☟をご参照ください。(*^-^*)
シーアン 7 セージズ ベル タワー ユースホステルの口コミ情報・宿泊予約|Trip.com
北新街と四七路の交差点からは、だいたいこれくらい☟の位置です。
これ☝、上述のバス停です。
ここで、「七賢庄」について少しだけご紹介しますネ。
「七賢庄」は北新街中ほどの東側に位置する、四合院式の平屋建ての建築群の名称です。
「百度百科」によれば、1936年に完成。
全部で10院建設されました。
その名称は、「魏晋時代の竹林の七賢の故事」に由来すると紹介されています。
七賢庄の1号院・3号院・4号院・7号院は、かつての「八路軍西安辧事処」。
1988年、「八路軍西安辧事処記念館」として、「全国重点文物保護単位(中国の国家級文化遺産)」に指定されています。
西安の人々にとっては、「七賢庄」より「八辧(バーバン)」の方が耳に馴染みがあるようです。
無料で公開されてるそうなので、興味のある方は立ち寄られてはいかがでしょうか?
ちなみに、私は時間が無く、見学していません。(^^;
それでは、話を「西安七賢国際青年旅舎」に戻しますね。(*^-^*)
扉を開いて中に入ると、すぐに受付けがありました。☟
☟は、受付けの奥、道路に面した扉を開いた正面にある「目隠し壁」。
☝の目隠し壁の向かって左手には、宿泊施設が連なっています。☟
「目隠し壁」の裏手に回り込むと・・・・・・。☟
そこは、四合院の中庭。
私たちは、女の子が座っているブランコの辺りから、中庭に入りました。
中庭は、宿泊客が食事をしたり、寛ぐ空間です。☟
上下黒い服を着た男性の後方の建物は、バーやビリヤードが出きるようになっているのですが、それは敷地内を一回りした最後にご紹介。(^_^)v
ここでは、建物入り口左右で、私の目を引いた物をご覧ください。(*^-^*)☟
入り口左手の食虫植物と、花の陰からチラっと覗く、敦煌の反弾琵琶伎楽天像を思い出させてくれた石像です。
この中庭で、友達の義理のお母さんから、食事をご馳走になりました。☟
外国人利用者も多いようで、洋食も豊富。(*^^*)
では、「目隠し壁」の前まで戻って、「七賢庄」の中を散策しながら、ユースホステルのお部屋を拝見!☟
☟、鍵穴が連なっているみたい。(*^▽^*)
この日はほぼ満室で、この鍵穴(笑)の左に連なるお部屋は拝見できませんでした。
【ファミリーロフト】
鍵穴を潜りながら奥へ進み、途中、右に曲がった場所にありました。
1階と2階にダブルベットがあります。
1階奥にある洗面台・トイレ&シャワー。☟
シャワースペースには、冬場の寒さ対策用の「浴覇(浴室暖房機)」もあります。
大きな丸いランプのことです。
部屋全体を温める集中スチームがついているので、シャワースペースもさして寒くないと思うのですが、これがあるととっても温かいのです。
2階はこんな感じです。☟
こちらも、ダブルベット。
2階から見下ろすと、こんな感じ。☟
照明のデザインがお洒落だな~。
右側の壁には、熱湯が循環する大きな集中スチーム設備があります。
この部屋のお値段、オフシーズンの12月だと、Trip.comでは税込6,057円。
なぜ中国のホステルなのに税込み?
日本円だから消費税がかかるんでしょうか?
この辺、勉強不足で分かっていません。(^^;<(_ _)>
ちなみに、Ctripの人民元だと、276元。
これまで1元=16円で換算してきましたが、同じ部屋の価格を比較するので、現在のレート1元=約15円を採用してみます。
276元は、4,140円相当です。
海外からの予約は、やっぱり高くなるんですね。
お値段は、日々変動しているので、参考としてご覧くださいね。(^^)/
四合院はこの先も続きますが、「西安七賢国際青年旅舎」の敷地はここまで。☟
ここから、右手の藤棚の奥へ向かいます。
藤棚の奥から、上の写真の位置を撮影。☟
【ファミリー四人部屋】
これから見させていただく部屋は、2019年12月8日現在、いくつかの日程で検索しましたが、既に予約いっぱいのようです。
なのでTrip.comには掲載されていません。
中国語版のCtripでは、キャンセル待ちの申請をしている人がいました。
人気があるんですね~。
中国語版では、「家庭四人间(ファミリー四人部屋)」と紹介されています。☟
ロフトの時は写していなかったのですが、「西安七賢国際青年旅舎」の扉はカードキーで開け閉めするようになっています。
さっき見たロフトも四人部屋なのですが、何が違うかと言いますと・・・・・・。 ☟
面積も広いし、設備も高級!
扉を入ってすぐ右手に、シングルベットが二つ。☟
部屋の中央に、ソファーセット。☟
上の写真の右手には、更にダブルベットが。☟
トイレ・シャワー・洗面台も、高級感あり!☟
家族みんなでゆったり過ごせるから、人気が高いのでしょうか?
このお部屋、人民元で346元。
1元=15円換算だと、 5,190円です。
西安の旅行シーズンの夏場だと、もっと高いんでしょうね。
似たようなお部屋が、いくつかあるようです。☟
ここからこの建物に沿って、最初の中庭へと引き返します。
通る道は、建物を挟んで、さっきまで歩いていた道の南側。
またまた、鍵穴をくぐって進みます!☟
次の鍵穴に到着する前の左手に、こんな癒し風景がありました。(*^^*)☟
人が近寄っても、猫ちゃん、まったく動きません。
気持ちよさそうに横たわっています。
猫ちゃんの上に追いかぶさっている枝は、胡桃の木です。
丸い緑の実を割ると、見慣れた胡桃の殻が出てきますヨ。
【ランドリー】
もう少し進むと、ランドリースペースがありました。☟
利用時間は6:00~24:00。
コインランドリーのように、お金を入れると動くようになっているそうです。
コインランドリーの向かいの建物。☟
宿泊客が壁にメッセージを残せるようになっていました。
部屋の向こうに見えているのが、往路に歩いた道です。
【ゲストルーム(シェア)】
次はドミトリー。
Trip.comでは、「ゲストルーム(シェア)」と紹介されています。☟
下段ベッドの頭の部分に、上段ベットの板が被らないように設計してあるのが、このドミトリーの特徴だとか。
下段で上体を起こした時に、頭上が窮屈に感じないようにと、配慮されたんだそうです。
友人の義理のお母さんは仕事を辞めた後、5年に亘り旅行したそうです。
5年間放浪し続けたのではなく、都度、西安に戻り、その時に都合が合う友人と各地を回り、「こうだったらもっといいのに」と感じたことを「西安七賢国際青年旅舎」経営に活かしているんだと言われていました。
写真の角度が悪いので、ちょっと分かりにくいですね。<(_ _)>
ドミトリーでは、ロッカーがとても重要。☟
カードキー式ロッカーです。
このシェアルーム、当然、男女別々に分かれています。
この部屋、冬場のワンベッド料金は、Trip.comだと税込み569円。
Ctripの人民元だと36元、1元=15円で換算すると、540円。
ワンベッドだと、料金差はあまり発生しませんね。
やっと、中庭奥の建物まで戻って来ました!\(^o^)/☟
ここは娯楽スペース。
ビリヤード台の左手に、隣の部屋へ続く階段があります。
ここ☟は、上の写真の左奥辺り。
この後、隣の部屋から回って、窓の向こう側の部屋へ案内されました。
個室へ向かう途中の、前室のような場所の棚。☟
円卓がある個室です。☟
ここ☟、3枚上の写真で写っていた窓の内側です。
こんな個室と前室が、南北に分かれて二つありました。
ビリヤード台を挟んで反対側。☟
こちら側の壁の向こうは、円卓のある個室ではなく、図書室となっています。☟
友人は中に入っていましたが、私は従業員さんに案内されて円卓個室へ行っていたので、中を見るチャンスを逃しました。(笑)
円卓室に行く時に通った隣の部屋は、バー。☟
コカ・コーラの自動販売機の横の扉から、ビリヤード台の方へ下ります。
反対側の扉は、中庭へ。
バーの中から見た、中庭。☟
友人が写してくれた、私の後ろ姿~。(笑)
☟、中庭の全景。
奥中央、壁の向こうが入り口受付けです。
「西安七賢国際青年旅舎」を一回りして来ました。
部屋の中もそれぞれ特徴があって、ステキなユースホステルだと感じたのですが、何より四合院を利用した敷地内の雰囲気に魅了されました。
城内の中心である鐘楼や鼓楼、回民街からは少し離れていますが、その分静かで落ち着いています。
西安駅(新幹線発着駅ではありません)も近め。
「百度地図」を検索すると、徒歩20分、入り口側にバス停がある703バスで18分。
タクシーなら6分となっています。
西安駅発の兵馬俑行きバスに乗るとか、新幹線以外の列車利用の時など、便利かも。
【城内の道路風景2】
この後は、来た道を引き返し、昼に立ち寄った友人の実家へ戻りました。
夏の西安、19時前。
太陽がようやく傾き始める頃。
暑さを避けて外出を控えていた人々の行動が、活発になる時刻です。
結果・・・・・・、路上はこんな状態に。☟
☝は北大街ですが、大渋滞。(^^;
☟、左前方に、時計台が見えて来ました。
あの時計台がある前方の東西に走る道を、時計台と反対の西へ向かうと、「北院門回坊文化風情街」の入り口に到着します。
「北院門回坊文化風情街」は、鼓楼の裏から北に延びる回民街の一部です。
☟は、「北院門回坊文化風情街」入り口側のアイスクリーム屋さんの3階ベランダから写した時計台方向、入り口の門、門の奥の様子です。
門は、1枚目の写真の右手にあります。
この柘榴が咲いた憩いの場を抜け、両脇に連なる回民経営のお店を見ながらまっすぐ南へ行くと、鼓楼に到着します。
ちなみに、北大街から時計台方向の道は、西新街。
北大街から「北院門回坊文化風情街」方向の道は、「西華門大街」と言う名称です。
やっと、鐘楼手前までやって来ました。☟
そして、南門の城内側。☟
南門の西側の道から城外へ出て、南門の南側を回って・・・・・・。☟
碑林博物館の前を通過し、書院門通りに入りました。☟
南門側からは入れないのですが、碑林博物館側からだと入り込めるのです。(笑)☟
この後は、友人実家近くに車を停めて、友人実家で長話をして1日が終了。
ちなみに、違法駐車ではなく、路肩に駐車スペースがあり、駐車料金を払うようになっています。
以上、季節外れの夏の西安でした。(*^-^*)
【おまけ】
ここまで、5か月前の西安をご紹介したので、最後に、最近の写真を貼っておきたいと思います。
知り合いが撮影して送って来てくれたものです。
☟、懐かしい西北工業大学~~~!!!\(^o^)/
これは、11月30日に送られたものです。
この日はあいにくの曇り空。
でも、西北工業大学の景色なら、なんだって嬉しい!!!
次は、12月3日撮影の環城公園の写真です。
☟、城壁の南西角から、含光門方向。
☟は、城壁西門方向。
ラストは、11月9日に敦煌のMさんからもらった珍しい莫高窟の写真をどうぞ!
第96窟・九層楼の手前に水を張って、水面に映った姿と共に!
去年の12月15日には、留学中二度目の敦煌旅行へ出かけていました。
もう・・・・・・、あれから1年。
時間が経つのって、早いですね。
以上で、今回の記事は終了です。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。(*^-^*)
せいあん!特別編_2019年初夏 嘉峪関旅行記2日目:懸壁長城・長城第一墩・嘉峪関・嘉峪関空港(今回も過去写真あり💛)
2019年9月22日(日曜日)の深夜です。
またしても、前回アップから1ヶ月近く経過してしまいました。
この書き出し、前回とほぼ同じです。(^^;
ご紹介する嘉峪関は6月中旬、初夏なのに・・・・・・。
実際には中秋節も過ぎ、すっかり秋めいてまいりました。
9月13日の中秋節、岡山県北の我が家では綺麗な満月を見ることができました。
暫くすると雲がかかって来たのですが、雲から覗く月も風情があってイイ感じ。(*^-^*)
この頃の西安は雨が続いていて、残念ながら中秋の名月は見ることができなかったそうです。
でも、大唐西市城では前回ご紹介した「隠市」が開催され賑やかでした。
大唐西市博物館も、「隠市」に「手作り月餅」のコーナーを出して参加していました。
彼女は、以前私が拓本体験に参加した時に講師をしていた友人です。(*^^*)
私も参加したかったな~。
以上、ちょこっとだけ西安の様子のご紹介でした。
それでは、嘉峪関市の観光の目玉、万里の長城ー懸壁長城・第一墩・嘉峪関をご紹介します!\(^o^)/
目次
【車チャーター】
最初に、☟の地図をご覧ください。
【嘉峪関市地図】
前回登場した地図を少し修正しました。
ホテルの場所を追記したのですが、文字がちょっと小さ過ぎます。m(__)m
オレンジの文字がある場所が、ホテル所在地です。
嘉峪関2日目は、
ホテル → 懸壁長城 → 第一墩 → 嘉峪関 → 空港
と車をチャーターして移動しました。
この車について少々。
当初、私はできるだけ公共のバスを利用したいと思っていました。
前日夜、ホテルに戻ってから公共バスの路線を調べると・・・・・・。
ホテルから嘉峪関までは6路バス+徒歩部分合わせて約40分。(☟左)
お?いい感じ!!!
でも、嘉峪関から懸壁長城へのルートを検索すると、バス路線を乗り継いで、降りた後さらに7キロメートル徒歩移動!(☝中央)
所要時間約2時間半。(゚Д゚;)
それじゃ・・・・・・、それじゃあ、嘉峪関から第一墩なら、どうだ!!?
検索結果は、こっちも2時間~~~!!!(T_T)(☝右)
今回、嘉峪関市の観光時間は丸1日もありません。
とりあえず、Ctripで3か所を回るツアーを検索してみました。
結果は・・・・・・。
朝8:00から各ホテルを回って旅行客乗車。
9:00嘉峪関 → 11:20懸壁長城 → 12:50第一墩 → 13:50第一墩出発 → 14:20市内着。
昼食は各自準備。
ちなみに、価格は2019年9月11日検索で、159元(チケット代込み)。(1元=16円換算で、約2,500円)
このプランなら、夕方のフライトに間に合ったのに・・・・・・。
時すでに遅く、予約が間に合いませんでした。(^^;
前日の夜22時頃、翌日の予定を考えているんだから仕方ありません。(笑)
この時、思い出したのが嘉峪関駅からホテルへの移動でお世話になった運転手さん。
私が下車する前、運転手さんは「車が必要だったら連絡してね」と、予約システム経由の番号ではない、個人契約の番号を教えてくれました。
これだ~~~!!!
もう、これしかない!!!
遅い時間に電話するのは失礼なので、当日の朝、連絡することにしました。
依頼する内容は、ホテルから『懸壁長城・長城第一墩・嘉峪関』の3か所に加えて、一度ホテルに戻って荷物を回収してから嘉峪関空港へ。
もし、運転手さんに他の予定が既に入っていたら・・・・・・。
それは・・・・・・、その時考えよう!(笑)
当日朝8時、運転手さんに電話をすると、時間はあるとのこと。\(^o^)/
運転手さん言い値の250元から180元に交渉成功。(1元=16円換算で、約2,900円)
Ctripの半日旅行だと、3か所への移動とチケット代込みで約160元なのに・・・・・・。
チケット代が110元とすると、すごく無駄な感じ。
でも、他の人と一緒のツアーと、個人でチャーターするのでは費用が違っても仕方ありません。
それに、こんなものも見つけました。☟
(訳)懸壁長城は市内から約11キロ、嘉峪関まで約8キロ。嘉峪関・懸壁長城・長城第一墩で1日車をチャーターする場合の価格は150~180元。市内からタクシーの場合、約40元。
私のオファーは観光地とは反対方向の空港への移動も含まれていたので、180元は妥当なのかも。(^_^)v
ちなみに、2000年1月に訪れた時は、三輪バイクタクシーで移動しました。
三か所回って65元。(当時のレート、1元=13円換算で、845円)
荷物を朝から車のトランク積み込んで観光終了後直接空港へ向かうようにしなかったのは、一応、危機管理のため?
観光のために長時間車から離れるので、ちょっと不安だったんです。
結果としては、そんな心配は不要でした。(笑)
前置きが長くなってしまいました。<(_ _)>
いざ!嘉峪関観光へ!!!\(^o^)/
【懸壁長城】
2019年6月13日(木曜日)10時、ホテルをチェックアウトし、荷物を預けて、既に待機していた車に乗車。
運転手さん提案の「一番遠くから先に 」に基づき、最初に向かったのは懸壁長城です。
☟
10時半前、入り口前に到着。
車を降りて、チケット売り場に向かう道の右手に、案内がありました。☝
アップを撮っていなかったので、☝の写真を引き伸ばした結果、ちょっとボケ気味に。(^^;☟
日本語の説明、何とか読めると思います。(^^;
翻訳文の独特な言い回しは、ご愛敬。(笑)
【懸壁長城地図】
☟この地図、写りがクリア!
それは、ネット上から拾ってきたからデス。(笑)
地図で、「★」のある場所が、この看板のある懸壁長城入り口前。
ピンクの数字は、写真を撮った場所です。
チケット購入後、城壁に上がって水門方向へ少し移動。
その後、方向転換して、懸壁長城の頂上へ。
戻りは横の山腹に切り開かれた下山道を下り、途中から駱駝隊の横を歩いてスタート地点へ。
このルートに沿って、移動開始します!(*^-^*)
【懸壁長城・長城第一墩・嘉峪関通しチケット】
☟、ゲートの右手に、チケット売り場があります。
ここで☝、私は懸壁長城・長城第一墩・嘉峪関の3ヵ所の通しチケットを購入しました。☟
価格は一人110元でした。(1元=16円換算で、約1,800円)
Ctripだと、9月12日現在、108元で販売されています。(☟右)
ちなみに☝左側を見ると、通しチケット、一人・110元はオンシーズン価格、オフシーズンは55元。
個別購入の価格を見てみると、オンシーズン、嘉峪関は110元、第一墩は22元、懸壁長城は31元。
第一墩と懸壁長城は嘉峪関のオマケみたいな扱いなような?
でも、安くなるのだから、一観光客として異議はありません。(笑)
因みに、オフシーズンは、それぞれ90元・11元・11元。
6月のオンシーズンに出かけたのに、何故オフシーズン価格を気にするかと言いますと~。
2000年1月の価格と比較したかったから!
当時、嘉峪関では学割が効いて半額の12元(全額だと25元)、第一墩は無料、懸壁長城は8元でした。
こうして見ると・・・・・・、懸壁長城はあまり値上がりしてませんね。
では、懸壁長城に上がります!☟
背後に見える階段を上ります。
階段を上った場所の風景。☟
まずは前述したとおり、手前(地図だと下側)にある水門の方へ行ってみました。 ☟
☟は、チケット売り場手前から撮影した、水門全体の様子。
水門中央辺りから、これから登る懸壁長城を眺めると・・・・・・。☟
なんという・・・・・・、急こう配っ!
「懸壁」というだけのことはあります。
19年前は余裕で登ったのですが、今回は見ただけで息苦しい~~~。(笑)
気を取り直して、改札口から上がって来た場所へ戻って来ました。☟
それでは、行きま~~~す!!!!(アムロ風に。(笑))
地図の①ポイントに向け、前~進~!☟
前方に見える階段のあたりが、①ポイントです。
階段手前から見上げた懸壁長城。☟
先は長いな~。(笑)
階段の上から見ても、当然距離は変わらず、先は長い・・・・・・。☟(^^;
☟、2000年1月21日の風景。
たぶん、一つ上の写真で人が集まっている場所の少し手前から写したんだと思います。
現在、右手は駐車場として整備されていますが、2000年1月当時は駐車スペースはあっても、足元は土が剥き出し状態のよう。
☟こちらは、現在の階段を上がった場所にあった紹介文。
日本語がないので、参考として簡単に訳してみます。
【懸壁長城】
明嘉靖十八年(1539年)、嘉峪関の防御を強化するため、粛州兵備道の李涵は嘉峪関の南・北両翼の長城を修築した。材料を現地調達し、黒山石山峡両側の尾根に版築された石と土できた長城である。工事は嘉靖十九年(1540年)に竣工。かつての懸壁長城は下部幅が4メートル、上部幅が2メートル、高さが0.5~6メートルあった。石層の厚みは10~15センチ、版築層は10~12センチ。現存の750メートルの長城は1987年に修復されたものである。
では、あの☟てっぺん目指して先へ進みましょう!\(^o^)/
地図の②ポイント辺り。☟
そこから右手を撮影。☟
☟は、2000年1月21日の、ほぼ同じ方角。
この角度だど、うっすら積もった雪と、木々に緑の葉がない以外、そんなに変化はないような???
こちら☟は、②ポイントの左手。
地図には「丝路驼队(シルクロードキャラバン隊)」の文字と、駱駝の絵が描かれています。
⑥ポイントで山から下りた後は、☝に写っている道を戻って来ました。
③ポイントの急こう配少し手前。☟
ここから、階段が始まります。
私の膝・腰は耐えられるでしょうか???(^^;
階段を上がり始める前に、左右の景色を鑑賞。
こちら、右側。☟
さっきはまだ見えていなかった建物が見えてきました。
☟、左側。
③ポイントの階段を上っている最中。☟
スピードは一定に保ちながら登りましたが、そのせいで心臓がバクバク。
④ポイント手前で、背後を振り返ってちょっと休憩。☟
遠くに発電所が見えています。
右手の山の尾根では、現在、長城が修築中。
建設現場のアップは、頂上から下りて水門手前まで戻った場所でご紹介します!(^_^)v
④ポイント手前から、下を向いて左手の景色2枚。☟
「百度地図」を見ると、側にスキー場があるので、☟の白いモノ、スキー場の設備なのかも。
☟は、右手の山並み。
山腹に切り拓かれた下山道が見えます。
こちら☟、またまた2000年1月21日。
発電所の辺りは、ちょうど長城の敵台の壁に遮られて見えないのが残念。
④ポイントの敵台から、⑤ポイントの敵台へ。
2019年の写真がなかったので、2000年の物で代用。(^^;☟
⑤ポイントの敵台手前に到着。中に入る前に、登って来た道を振り返ってみました。☟
この日、全日に言えることですが・・・・・・、バックに青空が欲しかった!(T_T)
狭く傾斜がきつい階段を上って来る、後続の観光客。
⇩
階段に手を添えて、安全に注意しながらでないと危険。
体の大きな方にとっては、頭や背中をぶつける可能性大なのデス。
敵台の上から、周囲を鑑賞!☟
④ポイントの敵台が見えています。☝
視線を更に左に写すと・・・・・・。☟
隣に続く尾根の上に、石を用いて💛や文字が描かれています。
更に左へ。☟
道なき尾根を登っている人もいますね。
そして、こちらが、この後下って行く下山道です。☟
これで、360度見終わりました。☟
☟は、上の写真に写っている長城通路の途中から写したと思われる2000年1月の写真。
これを見ると、19年前、発電所はまだなかったんですね。
⑤ポイントの敵台から少し下ると、下山を始める前に記念の鍵を山道横の鎖に取り付けたり、記念メダルを買ったり、望遠鏡を覗いたりする場所があります。☟
敵台から上の写真の場所まで下る時、左手に見えていた下山道。☟
横から見ても☝、上から見下ろしても☟、急な下り道です。(^^;
⑥ポイント少し手前。☟
ここは、それまで両脇に山肌が迫っていただけに、急に視界が開ける感じがしてとても新鮮!
☟、⑥ポイントで撮影したパノラマ写真。
発電所上辺りの高さ、左から右へ点・点・点と旗のような影があるのは、レンズに付着した埃の痕跡です。(^^;
⑤ポイントの敵台からの見晴らしが、何と言っても最高だと思います。
でも、ここも悪くないですよ!(^_^)v
ここから下りた後は、☟に写っているキャラバン隊の人形に囲まれた道を進みます。
キャラバン隊の先頭位置まで戻って来ました。☟
キャラバン隊の人形を眺めながら、水門の方へ。
懸壁長城の石碑があったので、ここで写真を撮っていた三人連れの女性に声をかけて、撮っていただきました。☟
☟は、2000年1月21日に、三輪バイクタクシーの運転手の女性に撮っていただいたもの。
この石碑、私は今回こちら側に回らなかったので、今も残っているのか確認できなかったのですが・・・・・・。
ネット上の写真で、存在が確認できました!\(^o^)/
嬉しい~~~!!!
自分の写真で探してみると、停車していたバスの後ろに、上部がすこしだけ写っていました。☟
石碑のすぐ側にあった用水路。☟
青空だったら、この水の流れがもっと映えるのに~。
この後は木陰を通って、水門へと続く川沿いの通路まで戻って来ました。
右手の尾根に、新たに長城を修築しているのが見えます。☟
アップにすると、2019年6月半ばは、敵台周辺を工事していたようです。☟
左手、平地へと続く部分は既に完成?☟
こんな足場の悪い場所にどうやって資材を運んでいるんでしょうね?
こちら☟は、2000年1月の同じ尾根。
水門まで戻って来ました~。☟
懸壁長城はここまで、約1時間の観光でした。(*^-^*)
【長城第一墩】
11時半過ぎ、懸壁長城を出発、向かう先は第一墩です!\(^o^)/
位置関係を把握するため、既出の地図☟をどうぞ!
懸壁長城から出発してすぐ、発電所側を通過。☟
長城の上から見えていた発電所です。
地図をご覧になると分かる通り、懸壁長城から移動するなら、第一墩より嘉峪関の方が手前にあります。
でも、嘉峪関を横目に見ながら、先に第一墩へ!☟
遠ざかっていく嘉峪関を眺めていたら、長く連なった貨物列車がやって来ました。☟
これだって、砂が舞い上がって空が灰色になっていなければ、青空さえ見えていれば、もっとシルクロードっぽい風景になったのに・・・・・・!(T_T)
朝の内は多少日差しを感じられていたのに、昼前になると、こんなにどんより。
昼12時前、見覚えのある第一墩が見えて来たのですが、でも柵に囲まれていて、側には近寄れそうにありません。
車もここは素通りして、更に前進。
停車したのは、こんな立派な門の前。☟
ここが、長城第一墩観光地の入り口のようです。
百度地図の航空写真で確認すると、観光エリアはこんなに広~~~い!!!
緑の三角形のてっぺんが、上の写真の北門。☟
他に、三角形底辺に東門がありました。
北門周辺をアップにしたものが、こちら。☟
この☟写真は、上の航空写真で北門駐車場から、赤い点の横の緑で囲んだ場所にある城壁の断片を写したものです。
こちら☟は、☝の長城断片を、赤丸の位置から撮影したもの。
フェンスの編み目の隙間にレンズを合わせて撮影。(*^^*)
そして、これ☟が2000年1月に撮影したもの。
当時はフェンスなどなく、チケット購入も不要、近寄り放題!!!\(^o^)/
ここ☝を見学後、三輪バイクタクシーの運転手さんが連れて行ってくれた、少し離れた場所の長城跡。☟
おそらく、このような場所が航空写真の三角形内にあるんだと思います。
2000年当時、私は方角を見失っていて、ここ☝がどの位置なのか理解できていませんでした。(笑)
通しチケットを買っているので、中に入って見学することもできたのですが・・・・・・。
でも、この日はあまり時間がありませんでした。
この広大な場所に観光用電動カートで乗り入れたら、当分出てくるのはムリそう。
それに、天気も悪いし・・・・・・。
と言うわけで、滞在時間、5分未満。
2019年6月の長城第一墩は・・・・・・、これだけです。<(_ _)>
この後、嘉峪関への移動中、後部座席で前日買ったナンを食べるていると・・・・・・。
水とナンしかないのを見かねてか、運転手さんがキュウリを1本分けてくれました。☟
水分補給のため、トランクにクーラーボックスを載せ、その中に洗ったキュウリや果物を用意しておくんだそうです。
キュウリと言っても、普段よく食べる細長いものではなく、ちょっと太め・短めの、コロンとした形状。
種部分が少なく、その分「果肉」が多いと書きたくなるくらい、果物っぽいキュウリ。
水分豊かで、自然な甘味もありました。
留学中、色んな国の留学生が「キュウリは果物」と主張していたのですが、このタイプのキュウリなら、私も果物に分類したくなりました。(笑)
【嘉峪関】
【嘉峪関遠景】
いよいよ嘉峪関へ向かいます!\(^o^)/
どうしても、2000年1月、三輪バイクタクシーから下車し、嘉峪関の遠景を撮影したポイントを確認したい!
運転手さんにお願いして、防砂林の合間から嘉峪関が見える位置で停車してもらいました。☟
道を横切り、もう少し接近して撮影。☟
かすかに記憶に残っている角度は、こんな感じだったような・・・・・・。
帰国したおかげで、昔の写真を探すのは容易になりました。(^_^)v
これ☟が、2000年1月21日、移動中に目にした嘉峪関遠景。
ほぼ同じ!\(^o^)/
19年前の写真では、背後にうっすら山並みが見えます。
2019年6月13日も、晴れていたなら見えただろうに・・・・・。
今回の背景は全て灰色です。(T_T)
【嘉峪関:観光地入り口周辺】
【嘉峪関ガイドマップ】
こちら☟チケット改札を通過した場所にあったガイドマップです。
12時半前、上のガイドマップの駐車場入り口で車を降り、チケット売り場・改札口の方へ向かいました。☟
☝、前方に見えるのが「ツーリストサービスセンター(游客服务中心)」。
センターの右横、水色の屋根の左手にチケット売り場とお手洗いがあります。
左右をキョロキョロ見ながら、ツーリストサービスセンター方向へ移動。(*^-^*)
☟、向かって右側。
☟、左側。
☟、チケット売り場前の広場。
チケット改札口に向かいます!
☟、顔認証を行うため、帽子も、マスクも、スカーフも外さないといけません。
顔認証ではなく、チケットのコードを読み取ればいいのに・・・・・・。
ちょっと面倒です。(^^;
改札を通過すると、すぐ右手に音声ガイドのレンタルがありました。
でも、言語は、中国語と英語だけ。
その反対側には、移動用電動カートのチケット売り場があります。☟
料金・ルートは以下のとおりです。
ルート①往復:観光地南門(改札口)→ 東閘門 → 長城博物館 →観光地中門(出口)
10元/一人
ルート②片道:観光地南門(改札口)→ 東閘門 →観光地中門(出口)
5元/一人
すぐ側に、電動カートが待機。☟
最初にご紹介したガイドマップは、上の写真、右側の電動カートの向こう側にあったものです。(*^-^*)☟
この道をまっすぐ歩くと、湖の前に出ます。
突き当りに立っているのは、「馮勝」の銅像。☟
この方については、Wikipediaをご参照ください。☟(*^-^*)☟
馮勝の銅像の背後にある湖に沿って、右へゆるくカーブしながら進みます。☟
この☝写真で道が見えなくなった辺りで、左折すると・・・・・・。
☟、東閘門が見えます。
ここ☟でも、顔認証。
またしても帽子・スカーフ・マスクと、着脱が煩わしいのです。(^^;
過去2回、1997年と2000年に訪れたことがありますが、以前はここまで辿り着くのに、これほど歩くことはありませんでした。
当時、嘉峪関観光のスタート地点は、ここ東閘門。☟
かつてはこの近辺に駐車場がありました。
嘉峪関を訪れる日本人観光客、多いんでしょうね。
音声ガイドにはありませんでしたが、文字での紹介では、日本語も用意されていました!☟(*^-^*)
ここで、過去2回の東閘門を見てみましょう!
こちら☟は、1997年6月16日(月曜日)。
☟は、2000年1月21日(金曜日)。
東閘門は、変わっていませんね。(*^-^*)
東閘門を抜けて、中へ入りました。☟
ここにも観光マップがあったので、ご紹介します!☟
この後の見学写真の撮影場所が分かりやすくなるように、撮影場所を数字で示しました。ご参照ください。(*^-^*) ☟
ちなみに、これ☟は2000年1月の案内板です。
観光マップの左背後に、屋根がにチラッと見えていました。☟
このすぐ右手に、碑廊があります。
観光マップに紹介されていない上の建物は写して、紹介されている碑廊を1枚を撮っていない・・・・・・
ヌケています。(^^;
ここから、①の方へ歩きます。☟
右手に見えている壁は、嘉峪関楼から北箭楼を経て東閘門まで続く外側の城壁。
内側の城壁の上、㉜手前から見えているのはこの辺りです。
薄暗い2019年と比べ、1997年の明るいこと!☟
1997年は城壁沿いの地面が整備されていなかったので、城壁に近づくことなく道路を歩行。
駱駝を見かけてご機嫌な私。
これは角度がズレていますが、「駱駝を見て~~~!!!」のポーズです。(笑)
①、文昌閣前に到着しました!\(^o^)/
別の角度から、2000年1月の写真を!☟(①’)
建物紹介の日本語訳もありますし、ここからは文字は少なめに進めます。
②文昌閣から順にスタート!\(^o^)/
文昌閣を通って、③関帝廟の前に出ました。
斜め左に、舞台が見えています。
香炉の前から写した関帝廟。
④、舞台。
いよいよ、嘉峪関の中に入ります!\(^o^)/
⑤、東甕城の朝宗門。
⑥、下から見上げた光化楼。
2000年1月の光化楼。
光化門。
光化門の通路の高さ、かなりあります。
でも、その上に聳える光化楼と一つの画面に収めると、通路がちっぽけな穴に見えてしまいませんか?
1997年6月、初めて嘉峪関を訪れた時には、これを見ただけで大興奮!!!(笑)
さあ、光化門をくぐって中へ!\(^o^)/
正面に、柔遠楼が見えています。
⑦、光化門を抜けて、すぐ右手にある撃石燕鳴。
日本語部分、文字が小さくてすみません。<(_ _)>
⑧、撃石燕鳴のすぐ側にある、傾斜の急な馬道を上ります。
馬道の上に見えているのが、光化楼です。
⑨、馬道を上り切った場所から見た柔遠門方向。
手前に、遊撃将軍府が見えています。
真下から見た光化楼。
扁額が半分しか写っていなかったのが・・・・・・、ショック。(T_T)
これから、光化楼を起点に城壁上を時計回りで見学します!(^_^)v(⑪)
⑯の南敵楼下に再現された、演舞場が見えます。
⑫から、朝宗門の側にあった舞台方向を撮影。
こちら☟、2000年1月の同じ方向。
舞台の屋根や背後の壁など、修復の跡がありますね。
背後の風景、2019年のものは霞んで遠くが見えませんが、それでも送電線の鉄塔のようなものが立っているのは見えます。
⑬、柔遠楼とその背後の嘉峪関楼が並んで見えます!(*^-^*)
⑭、角楼。
角楼の銃眼から撮影した、城外の景色。
カメラをもう少し前に出して撮ると、周囲はこんな風になっていました。
嘉峪関のレイアウト図で見ると、舞台の位置より少し左下方向になります。
⑭角楼側、城壁南東の角から対角線上を撮影。
1997年6月、同じ位置から撮影。
ガイドさんの話では、前日の雨で気温が下がったとか。
当日も雲が多く日差しが頻繁に遮られ、この日の嘉峪関は気温28度くらいであまり暑くなったと記憶しています。
少し前に貼っている1997年の写真(駱駝をバックに、私が写っているもの)は日差しが射していましたが、この写真は太陽がちょうど雲に隠れた時に写したんでしょうね、薄暗い~。
2000年1月、⑭から少し進んだ場所から、柔遠楼方向を写したもの。
このころはまだ、演武場は再現されていなかったんですね。
左端に、南敵楼がチラッと写っています。
⑮辺りから見た城外。
手前に、東閘門から嘉峪関門と周囲を取り囲む外側の城壁が見えます。
ちょっと角度を変えてみました。
第一墩へと延びる城壁が、南へ向けて砂塵の中に消えていきます。
⑯、南敵楼。
手前まで来ると、南敵楼の全景は写せないので、⑪他の写真でご確認ください。(*^-^*)
⑯から見た演武場。
正面の城壁上に、左から北箭楼・角楼(北西)・北敵楼・角楼(北東)が見えています。
⑰辺りから見える、柔遠楼・嘉峪関楼。
⑰近辺から城外を見ると、第一墩へ続く城壁のラインがさっきよりはっきり見えるように!\(^o^)/
嘉峪関到着時に見たガイドマップに、情報を少し追加しました。☟
左下、黄色に塗っている部分が、第一墩へ続く城壁です。
⑱の角楼にかなり近づいた場所から、もう一度。
万里の長城が、自分の足元からスタートしているような感じ!\(^o^)/
3回目は、外側の城壁も一緒に!
ついでに、2000年1月の同じ場所を。
嘉峪関の東側はかなり観光地化されましたが、南側の風景はほとんど変わりないですね。(*^-^*)
⑱、南西の角楼に到着!
紹介内容は、前述の⑭南東の角楼と同じなので、アップは省略します。
嘉峪関門から南箭楼へ向かう城壁を、⑱から撮影。
⑱から北東角楼方向を。
⑲から見た、嘉峪関楼と馬道。
同じく⑲から撮った西甕城の会極門。
残念ながら時間と体力がなく、こちら側には下りていません。(^^;
⑲から見た光化楼。
光化楼に上がる馬道の一部が見えています。
⑳、会極門楼。
西甕城の南側城壁上にあります。
⑳から南方向を撮影。
⑰や⑱手前から見た第一墩へ向かう長城の背骨(?)のうねりが見えますね!
㉑から見た柔遠楼と会極門楼、プラス背後の光化楼。
ちょっとやって来た方へ戻って、㉒からの柔遠楼。
㉓からの柔遠楼と柔遠門。
㉔から、光化楼、柔遠楼・柔遠門及び会極門楼。
こちら☟は、2000年1月、㉔から撮影した光化楼、柔遠楼と遠く背後の南敵楼。
㉕からの、柔遠楼西側正面のアップ!
上の写真の右側にあった、レンガの説明。
柔遠楼、㉖から南方向を撮影。
㉖から光化楼を望む。
㉖から見た嘉峪関楼。
㉗から、西側外にある城壁を。
㉘、北西角までやって来ました。
ここにも角楼があるのですが、ここからの城外の景色は撮り忘れていました。(^^;
㉙辺りから見た、遊撃将軍府の屋根と光化楼。
㉚、北敵楼から正面を撮影。
向かいの城壁上には南東・南西の角楼と南箭楼、中央に南敵楼が見えます。
㉛から北側の城外を見てみました。
殺風景に見えますが、私はこんな風景が大好きです。
何度も言いますが、背景の空が青ければ・・・・・・、もっと素敵なのに。(T_T)
城内側は、遊撃将軍府がちょうど真下に見えます。
㉚と㉛の間辺りから撮ったと思われる、19997年6月の写真。
㉜手前から見えた外側の城壁。
すごく小さくしか写っていませんが、城壁の側で観光客が記念撮影中。(*^-^*)
上の写真で見えている範囲、ガイドマップに色を付けました。
「嘉峪関」の三文字の横の、黄色い部分です。
ご覧になると分かるように、この外側の城壁の先には東閘門があります。
前述しましたが、この部分は東閘門から文昌閣まで移動する時に通った場所です。
㉜、4つめの角楼、北東の角楼です。
㉜から光化楼へ向けて、移動開始!
⑨と⑧の間、遊撃将軍府や柔遠楼等を見ながら進みます。
こちらは、2000年1月のほぼ同じ場所。
㉝、東甕城の北東角から。
2000年1月、㉝少し横から。
2000年1月の旅行で嘉峪関に上がった時は、私以外には緑色の解放軍コートを着た男性しか見かけませんでした。
すごく寒いので、冬場の観光客は少なかったんです。
そのため人目がないからか、貴重な文化遺産の建物の陰や、ひどい場合は寒風をさけるためなのか建物内に、排せつ物が白い紙と一緒に凍り付いていました。(^^;
白い紙があるので、野生動物?と疑う必要はありません。
ここだけでなく、懸壁長城の上側の敵台でも見かけました。
「やった~、一番上まで登った~~~!!!・・・・・・何これ???」状態。(笑)
当時、それを目にした時は非常~に複雑な思いでした。(^^;
今回、19年振りにやって来たのですが、幸い、周囲あちこちにトイレが整備されたからか、今はいつでも観光客の目があって排せつ行為に及べなかったのか・・・・・・。
嘉峪関も懸壁長城も、清潔な状態でした。(笑)
㉞少し手前、光化楼と門を正面から。
㉞から、南閘門が見えました。
南閘門、☟のガイドマップで、赤枠で囲んでいます。
城壁を下りてから、見に行ってみましょう! \(^o^)/
㉟、東甕城の南東角から見た光化楼。
光化楼の南側、㊱までやって来ました。
㊲柔遠楼を眺めながら、光化楼の周囲を回って、馬道の下り口⑨へ。
嘉峪関見学も終わり、⑨から、馬道を下ります。
1997年、⑨で撮影。
この写真、背後の山に雲の影が映っているのが好きです。(*^-^*)
雲の隙間からの降り注ぐ日差しが眩しい~~~!!!
若かりし日は、日傘もマスクもナシに、この紫外線の下に立ってたんですね~。(笑)
それにしても、1997年の写真はどうしてこんなに少ないんでしょう?
当時を振り返ってみると・・・・・・、原因は、ビデオカメラ!
当時は映像の方が旅行の思い出を残せると思っていて、実際、帰国して暫くはそうだったのですが・・・・・・。
今となっては編集したビデオテープをかけるデッキも処分してしまい、見ることができない!
マスターテープは保存しているけれど、他の旅行のテープをビデオカメラにセットし、テレビにつないで鑑賞しようとしたら、テープが中で絡まって動かなくなってしまいました。(゚д゚)!
それを引っ張り出し、手動で巻き戻して再チャレンジしても、テープに傷が入って一層絡まり易くなってしまった上、映像はいたる所でモザイク発生。(T_T)
今ならすぐにパソコンに取り込んで保管するので問題はなく、動画から写真を切り出すこともできますが・・・・・。
長時間の動画を延々見て、お気に入り箇所を加工するのもけっこう不便。
デジカメで、写真とたまに短い動画を撮るくらいがちょうどいいのかも?
やってまいりました!㉞から見かけた門です!
ここには、日本語がない!
嘉峪関では日本語説明があって随分ラクさせてもらったので、ここくらいは、自力で訳してみようと思います。(笑)
参考に、どうぞ。
【南閘門】
外城壁南部分の瞭望墩西側に位置する、貫通壁式潜り抜け通路構造の門である。オリジナルの門は1936年から1959年の間に破壊された。現在門は元の場所に2014年に再建されたものである。
東閘門と比べると、かなりこじんまりしていますね。
オリジナルもこの規模だったのかな~?
これで嘉峪関の見学は終了です。
引き続き、観光地内にある「嘉峪関長城博物館」へ行ってみたいと思います!\(^o^)/
【嘉峪関長城博物館】
東閘門を出て、来た時とは逆の北へと道を下ると、カーブの途中に博物館があります。
地図☝にあるように、嘉峪関の外側の城壁が東閘門から更に北へ、博物館横まで延びているのですが・・・・・・。
この☟写真の一番左、緑の矢印の下にあるのが、その長城。
黄色で囲んでいる部分も、手前に置かれた案内によると「明長城遺跡」と紹介されています。
さすが嘉峪関!こんなすぐ側に長城があるんですね!
☟、左手に長城遺跡を見ながら、博物館の正面玄関に向かいましょう!(^^)/
時間が押してきていたので、博物館内は駆け足で見て回るしかありませんでした。
今思うと、ここになら南閘門の昔の写真があったかも?
非常に残念。(T_T)
☟、正面玄関を入った所。
入り口にあった見学ルートの紹介。☟
紹介にありますが、この博物館は地上1階と、地下1階に文物が展示されています。
☟、ルートに沿って1階にある第一展示室・第二展示室から見て行きます。(*^-^*)
時間が無く、パネルを読むどころか、個別に写真に撮る心のゆとりもナシ。(^^;
全体感だけご覧ください。☟
第二展示室に到着。☟
まだ夏休み前の平日で、見学客はかなり少なめ。
そんな中、博物館の入り口で出くわしたのが、ツアー参加らしいこの☟方々。
一番右で、隣の人の陰になっている方は・・・・・・。
なんと、前日、敦煌から嘉峪関へ移動した列車内で、硬座の同じブロックにいた韓国人
男性!
男性の話では、列車だけでなく、敦煌の東大橋から駅までの移動で乗車したバスも一緒だったんだそうです。
3回も出くわすなんて、縁があるな~。
この方、嘉峪関の次は銀川へ行く予定と言われていました。
ここまで足早やにやって来たのですが、ちょっと足を止めて注目したのが、この☟巨大な刀!!!
展示室が薄暗く、手前に置かれた説明プレートが見えませんね。(^^;
二次元キャラクターのように、実際にこのサイズの刀を振り回して戦うのかと興味津々で立ち止ったのですが、これは故宮博物館から寄贈された清代の儀仗刀でした。(笑)
第二展示室には、他にも多くの武器が紹介されています。☟
第二展示室を見終わったら、階段を下りて地下へ移動。☟(^^)/
☝の突き当りを左に曲がった所。☟
この突き当りを右折して下りると・・・・・・。
左手に☟の展示が見えます。
右側の壁に展示されているもの。☟
この壁の奥の方の展示物。☟
☝左上は「莫高窟第323窟 張騫出使西域図」、その下は三蔵法師?
右上は武威雷台出土の銅奔馬の写真、下に陳列されている絵の描かれたレンガはレプリカです。
このコーナーは甘粛省から出土したものや、関連するもの人物・物を紹介しているのかも?
2019年9月19日現在、インターネット上の公式サイトでも、Wechatの公式アカウントでも、当てにしていた各展示室や文物の個別紹介等がなく残念。(T_T)
こちらが第三展示室。☟
右上の風景は、正面玄関を入った場所の写真の背景として写っています。
入って左手の壁。☟
こちら側の目玉は、ライトアップされているこの二つでしょう!
故宮博物館からやって来た明代の「銅令牌」。☟
「令牌」とは、古代の軍隊で命令を伝えるための証明バッジのことです。
展示されている「銅令牌」についての説明をご覧ください!☟
【令牌】
銅製。表面には「令」の一文字が刻まれている。裏面には「永昌衛指揮使司夜訓牌」と鋳造されている。両側に鋳造された通し番号は「粛字捌佰肆拾五號」。令牌は明代の厳格な守衛制度を反映している。
もう一つは、同じく故宮博物館からやって来た明代の「銅守衛牌」。☟
☝は、「腰牌」と言うもの。
腰牌とは、清末から中華人民共和国成立以前、腰に下げて用いた、兵営・宮廷などの出入許可証です。
説明をご覧ください。(*^-^*)☟
【腰牌】
銅製。表面の篆書は「守衛」の二文字である。左側に通し番号「勇字貳千參佰貳拾號」が刻まれている。裏面には「凡守衛官軍懸帯此牌、無牌者以律論罪、借着及借与者罪同」と刻まれ、腰牌も明代長城の厳格な守衛制度を反映している。
赤文字部分は、だいたいこんな意味合いです。☟(参考)
『守衛官軍は皆この牌を腰に下げること。牌を所持していない者は規律により断罪する。借りた者及び貸した者の罪は同じである』
次は、入り口から見て正面の展示物。☟
ここ☝では「屯田」に関する文物が紹介されているようです。
ここのレンガもレプリカ。
左側の壁手前は、シルクロードの貿易に関する文物が展示されていました。☟
左側の壁の中央辺りに展示されている、文字が刻まれたレンガ。☟
全て明代のもので、上二つは嘉峪関の城楼から、下の列は全て嘉峪関文殊鎮善家廟から採集されたものです。
最後に残った一面。☟
右端の方に展示されている、嘉峪関出土の文物をいくつかご紹介します。
☟、銅灯、漢代、嘉峪関文殊鎮石橋村漢墓出土
☟、陶亀、魏晋、嘉峪関新城魏晋墓出土
☟、蓮花紋模印方磚、魏晋、嘉峪関新城魏晋墓出土
☟、蝴蝶紋模印方磚、魏晋、嘉峪関新城魏晋墓出土
こちらは、第三展示室中央に設置された「銅車馬儀仗俑」。☟
一番手前の馬は、国宝「銅奔馬」のレプリカです。
【銅車馬儀仗俑】(参考訳)
1960年甘粛省武威雷台漢墓から出土。儀仗俑は合計99体あり、陣容は非常に大きく、壮大な気迫を放ち、銅馬の造型は優美である。形式は多様、表情は生き生きとし、まるで生きているように真に迫っている。これらは古代の労働者が高度な芸術創造能力を持っていたことを反映している。
気になったのが、出土年です。
ここでは1960年出土となっていますが、百度百科でも、これらを収蔵している甘粛省博物館のサイトでも、出土は1969年9月と紹介されています。☟
☟は、甘粛省博物館で8月末に催された「銅奔馬発券50周年記念学術セミナー」の記事の一部です。
今年は銅奔馬発見50周年なのです!
オリジナルについては、よろしければこちらをご参照ください。☟(*^-^*)
この日の記事の、およそ半分辺りです。
【甘粛省博物館バーチャル展示室】
今回、久々に甘粛省博物館の公式サイトを閲覧して、こんなページがあることに気付きました。☟
URLはこちらです。☟
このページには、基本陳列の展示室が紹介されています。
該当する展示室をクリックすると、バーチャルで展示室内を見ることができます。
この時、「9.0.28以上のflashプレーヤーのインストールが必要」という表示が出るかもしれません。
その時はインストールをお願いします。(*^-^*)
☟は、ピンクの楕円で囲った「甘粛シルクロード文明展」の、バーチャル展示室内のスクリーンショットです。
画面は自動で回転し、音声解説が流れる画面もあります。
展示物によっては、展示物の上でクリックすると、説明画面が飛び出しますよ。
話を嘉峪関長城博物館へ戻しますね。(笑)
☟、第四展示室へ入りました。
☟ちょっと記憶があやふやになっていますが、第四展示室に展示品です。(^^;
☟、「嘉峪関碣記」石碑、明代、嘉峪関城所蔵
☟、「登嘉峪関并序」石碑、清代、嘉峪関城所蔵
☟、左:筒瓦、明代、嘉峪関城楼採集
☝、右:滴水瓦(軒先の瓦)、明代、嘉峪関城楼採集
☟、第五展示室・・・・・・、のはず。(^^;
最後に、臨時展示室をご覧ください。☟
展示されていたのは、長城博物館が所蔵している銅製品です。☟
いくつかをご紹介します。\(^o^)/
☟、漢代、銅扁鈴
☟、魏晋、四葉形銅飾
☟、魏晋、銅釵
☟、魏晋、銅鐲
銅釵や銅鐲はこんなに華奢な作りなのに、折れたりせずに残っているんですね。
以上、駆け足でしたが、嘉峪関長城博物館の見学を終了します。
時刻は14時50分。
運転手さんからは、15時にはホテルへ向けて移動開始したいと言われていたのでギリギリです。
合流するため、大急ぎで博物館を出て東方向へ移動。
☝、薄い緑の〇がついている合流地点に向かうと途中、下の写真の場所を通りかかりました。
急いでいたから失敗して、路面が写ったんじゃありません。(笑)
☟、コロコロ路面を転がっていく、多分プラタナスから落下した綿毛が可愛かったので、思わず立ち止って撮ってしまいました。(*^-^*)
もっと大きな玉になっているものも転がっていたのですが、カメラを構えてる間に通り過ぎて行ってしまいました。(T_T)
昔、寮の近くで撮影した時は、落ち葉や草などが背景にあって、まるでごみを撮影したような結果に。(^^;
それに比べると、ここは路面が綺麗だったので、期待通り白い綿の玉が目立っています。(^_^)v
【紫軒ワイナリー】
一度ホテルに戻り、トランクを回収して空港へ!
途中、ちょうど道中にあるということなので、朝から運転手さんが何度もお勧めしてくれた「紫軒ワイナリー」に立ち寄ってみました。☟
上の地図で、紫で囲った場所にあります。
ゴージャスな門構えですね~。
青空バックだったらかなり格好良かっただろうに・・・・・・と思うと、この砂嵐が憎い!(笑)
運転手さん、「色んなワインを試飲できるよ」と熱心に話してくださいましたが、私はお酒が飲めないので・・・・・・。(^^;
試飲は無料ではありません。
今、Ctripで検索すると、解説付きで45元でした。(1元=16円換算で、720円)
国家AAAA級観光スポット。☟
ここは、中国西北部最大の鉄鋼基地ーー酒泉鋼鉄(集団)有限責任公司傘下の嘉峪関宏豊実業有限責任公司が投資建設したワイナリーです。
百度百科によると、ワイナリーが祁連山北鹿にあって、まったく汚染されていないゴビ砂漠にある上、非常に乾燥した気候のため病気や虫の害を受けないという強みがあるそうです。
ネット上で検索した内部の様子。☟
右の部屋、机の上にグラスが置かれています。
ここで試飲するんでしょうか?
広いな~。
【嘉峪関空港】
時間の関係で、ワイナリーはホントに写真を撮るためにだけ立ち寄りました。
ワイナリーから空港まで、右手の景色はずっとこんな感じ。☟
枝の撓り方から、かなり強風が吹いているのが分かると思います。
前日、敦煌を出る時もひどかった~。
今度は嘉峪関の番???(T_T)
ワイナリーから10分ほど、15時50分、空港へ到着。
車を降りる前、Wechatで車のチャーター費用を支払いました。
支払ったのは200元。
交渉価格と違っていたので、金額を見た運転手さんは戸惑っていました。
運転手さんは当たり前な顔をして受けとることはせず、金額が違うと私に確認。
20元多いだけなのですが、親切に案内してもらったので、お礼の気持ちと伝えると、運転手さんは急いで車を降り、トランクのクーラーボックスの中から桃を手渡してくれました。
20元にしても、桃にしても、ほんの些細なことなのです。
でも、お互い感謝の気持ちが伝わって、ちょっと嬉しくなりました。
ところで、この時もらった桃、後でとても役立ちます。(^_^)v
「国内到着」となっていますが、気にせずここから中に入ります。☟
入って正解!
ここでターミナルに入る時の爆発物検査をやっていました。☟
でも、この検査場所の向かいは「国内到着」の出口。(笑)☟
入った場所から、チェックインカウンター・安全検査入り口方向を撮影。☟
中央の花環の手前から、入って来た方を撮影。☟
敦煌空港と同じくらいの規模でしょうか?
搭乗券を受け取って、安全検査へ向かいます。☟
安全検査の前まで来ました。☟
安全検査を終えて検査室から出ると、足元に蛍光ブルーの案内表示発見。☟
私が乗る飛行機の登場口は「05」。
良かった~、2階です!(^_^)v
もし「01~03」の1階にある搭乗口だったら、バスに乗って機体まで移動することになるではありませんか!!!☟
助かった~。
さあ、2階へ上がりましょう!\(^o^)/☟
エスカレーターで2階に到着。☟
左手の売店を見ながら、5番搭乗口を探します。☟
嘉峪関なのに・・・・・・。☟
嘉峪関にもたくさん観光資源があるけれど、敦煌莫高窟・鳴沙山のネームバリューにはかなわないってことなのかなぁ。
敦煌大好きなので、ここで「敦煌」の二文字にお目にかかれて嬉しいのですが、ちょっと嘉峪関がかわいそうな気が・・・・・・。
なんて思いながら歩いていると、すぐに5番搭乗口を発見。☟
この時、16時18分。
搭乗開始時刻の17時20分まで1時間もある!
1997年6月、西安との往復で利用した嘉峪関空港は、飛行機から降りるとそのまま歩いてターミナルへ移動するくらいこじんまりとしたものでした。
でも、あれから20年以上経過。
当時の物とは異なる初めて利用するターミナルなのだから、内部での移動や待ち時間にどれくらい要するから分かりません。
それで早めの到着の方がいいと思ったのですが・・・・・・、まだ1時間もあるではないですか!!!(^^;
そこで、とりあえず空き席を見つけて座っていたら・・・・・・。
アナウンスが流れ、周囲が急にざわつき始めました。
私が乗るのと同じ航空会社の、一つ前の便が欠航になったんです!(゚Д゚;)
原因は、砂嵐。☟
☝は、窓ガラス本体もかなり汚れているのですが、それを差し引いても、どんよりとした外の様子は楽観できないものでした。
係り員の指示に従い、預けた荷物を回収するため1階に下りていく人たち。
次は我が身?
アナウンスが流れる度に、同じ便の人たちと一緒に、私も緊張!!!
17時40分、定刻出発なら、既に搭乗が終わり、機内で飛ぶのを待っている時間。☟
でも、この時、空気汚染指数は砂嵐のため最高値の500を振り切っていました。
航空会社も欠航にするかどうか、迷っている様子。
私は翌日1日西安に滞在し、翌々日には上海へ移動でした。
この日の便がキャンセルになっても、翌日、確実に西安に到着できるなら、まだ何とかなります。
でも、同じ便に乗る若者は、この日23時頃、西安で乗り継ぎなのだと気をもんでいました。
悶悶として待つ間に、喉が渇き、お腹も空いてきました。
水筒を持参しているので、お湯を補給すれば乾きは解消できます。
でも空腹は・・・・・・。
「桃!運転手さんからもらった桃!!!」
機内食があるからと、何も食べ物を用意していなかった私にとって、その時持っていた唯一の口にすることができる固形物。
日本のすごく柔らかくて水分たっぷりな白桃とは種類が違うので、そこまで柔らかくはありません。
持ち運びの衝撃にも耐え易い、少し固めの桃。
でも、甘味は十分!!
大き目な桃を一つ食べて、空腹感、和らぎました!
運転手さん、ありがとうございました!(*^-^*)
ついに、搭乗開始のアナウンスが流れました!\(^o^)/☟
この時既に19時10分。
搭乗開始予定時刻を2時間近くオーバー。
そして搭乗後も滑走路使用のための待機が続き、実際に飛んだのは20時4分。☟
やっと動き始めた飛行機。
滑走路周辺は、まだこんな視界。☟
飛び立つと、地上は殆ど見えません。☟
やっと灰色の世界から抜け出せました。☟
嘉峪関から遠ざかるにつれ、雲は少なくなり、地上の様子も見えるように!
21時45分、西安到着。☟
トランク、早く出てこないかな~。☟
Ctripで迎えの車を手配していたので、運転手さんから指定されたT3ターミナルの駐車場まで移動。☟
ターミナル出口から、結構距離があります。
以前のようにターミナルまで迎えに来てもらえるとありがたいのですが、取り締まり街びしくなったので仕方ありません。
今度行く時までに、使いやすく変わっていること、祈ります!
以上、2019年6月の嘉峪関旅行記でした。
ここまでお付き合い、ありがとうございました!\(^o^)/
【敦煌中秋節】
ここからは、オマケです。(*^-^*)
敦煌博物館で働いているMさんが、Wechatのモーメンツにアップしていた中央電台が放送した中秋節の敦煌の様子をご紹介します!☟
鳴沙山から昇って来たばかりの中秋の名月、幻想的です。☟
☟、月牙泉に映り込む満月と月泉閣。
これからの季節、敦煌は胡楊が金色に染まってさぞかし綺麗だろうなぁ~。
いつか、直接見ることができますように!
最後は、9月21日、敦煌で宿泊した「緑洲島酒店」のフロントにいた女の子が送ってくれた反弾琵琶伎楽天像と背後の夕焼けをご覧ください。☟
これで、今回は終了です。(*^-^*)
せいあん!特別編_2019年初夏 嘉峪関初日と酒泉旅行記:嘉峪関駅・ホテル・嘉峪関市内と酒泉鼓楼他(過去写真あり💛)
2019年8月25日(日曜日)。
またしても、1ヶ月近く間が空いてしまいました。(^^;
この間、サボっていたわけではないのです。
色々諸事情がありまして、その合間を縫って少しずつ書き進め、やっと何とかアップできそう!!!\(^o^)/
でも、この1回で、嘉峪関と酒泉を完了しようと思っていたのですが、何故だかボリュームが増して、2回に分けることに・・・・・・。
嘉峪関観光のメイン、懸壁長城・長城第一墩・嘉峪関の3セットは次回へ繰り越し。
スミマセン!m(__)m
それにしても・・・・・・、帰国してからもう1か月以上経ってしまいました。
2年間、毎週末の恒例行事だった大唐西市博物館詣でもできなくなって、週末が寂しい・・・・・・。(T_T)
なんて、まだ仕事が見つかっていないので、私には平日も週末も関係ないんですけど。(笑)
この1ヶ月ちょっとの間、正に、私が帰国した直後の週末から、大唐西市城は毎週、毎週、大掛かりなイベントを開催!!!
その様子を友人のWechatモーメンツで目にするたびに、ショック、ショック、大ショック~~~!!!
せめて、1回でも見てみたかった!!!
嘉峪関と酒泉をご紹介する前に、私が悔し涙を流しそうになった、楽しそうな催しを是非、ご覧ください!\(^o^)/
懐かしい「シルクロード風情街」に、こんなに人が集まっています!\(^o^)/☟
この場所は、今年春節、獅子舞いが催された広場です。
その時の様子は、よろしければ☟の記事のラストをご覧ください。☟(*^-^*)
西安大唐西市博物館(その58:3階シルクロード硬貨展示ホール_モンゴル帝国及び諸ハン国+ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟写真)/春節写真(大唐西市城迎財神・敦煌) - せいあん!
写し方かもしれませんが、この人数、春節中期間中より多いかも?
このイベントの名称は「隠市」と言います。
太鼓を敲いて、「隠市」開始のセレモニー。☟
民間の達人やネットで有名なタレントが、色々な演芸などを唐代の衣装を着用し、唐代の風習を取り込みながら披露したり、民芸品を販売したり、演奏会があったり。☟
琵琶の音を聞きながら、お茶を楽しんだり。☟
本格的な演奏会も!☟
唐代の衣装は、中国歴代王朝のどの衣装よりも華やか!!!(←個人的感想デス)(笑)
写真のビジュアル効果は最高!
春節でも、色んな役柄に扮した役者さんが一日中シルクロード風情街にいましたが、今回は人数の規模が春節の比ではないような気がします。
大唐西市城ショッピングモールの「長安西市の賑わいに挑戦!」と言う気概を感じます。
中国ではちょうど「長安十二時辰(ちょうあんじゅうにじしん)」という時代劇サスペンスがすごい人気。
その舞台の一つに「西市」もあって、シルクロード風情街の管理部門や大唐西市博物館で働いている友人たちは、ドラマ放送開始と同時に大興奮。
連日、「長安十二時辰」関連の情報をアップしていました。
このドラマの市場ロケ風景に負けていないと、公式アカウントも豪語!
この週末は休止らしいのですが、今後、夏休みが終わっても続けるんでしょうか???
最後に、プロが撮影した日暮れ時の、透明感ある綺麗な大唐西市城の上空を眺めて、今回の本題に移りたいと思います。(*^-^*)☟
では、 2019年初夏 嘉峪関・酒泉旅行記1日目、スタート!\(^o^)/
目次
- 【敦煌からの列車移動】
- 【嘉峪関駅】
- 【嘉峪関嘉朵酒店(イロイネン ホテル:Iloinen Hotel)】
- 【嘉峪関バスターミナルと、その周辺の2000年1月の思い出】
- 【酒泉行きバス】
- 【嘉峪関市内の現在と過去】
- 【雄関賓館】
- 【鏡鉄市場】
- 【ロータリーと嘉峪関賓館】
- 【富強市場(灰豆粥)】
- 【酒泉】
- 【嘉峪関嘉朵酒店(イロイネン ホテル)側の市場:鏡鉄西路】
- 【嘉峪関イスラム寺院 】
- 【ナン屋さん】
【敦煌からの列車移動】
2019年6月12日(水曜日)、9時12分、敦煌駅を出発した列車は、砂嵐の中、嘉峪関へ向かい出発しました。☟
暫くは白く霞んだ景色が続いていたのですが・・・・・・。
☟、敦煌を離れ、1時間もすると青空が!\(^o^)/
西北部らしい風車が並ぶ景色も、青空が背景だと一段とキレイ!(*^▽^*)☟
この後は、風は強かったのですが、嘉峪関まで青空が続きました。☟
長閑な西北部の風景~~~。\(~o~)/
ふと、窓側の小さなテーブルの下に、コンセントがあるのに気付きました!☟
高鉄や動車の新幹線なら、スマホの充電等のために電源が用意されているのは知っていました。
でも、まさか、外観が20年前と変わりない「緑皮車:リューピーチャー(緑色の車体の列車)」に、電源???
調べてみると、2014年末から、高鉄や動車の新幹線や貨物列車・国際列車を除き、列車の塗装はオリーブグリーンに統一され始めたそうです。(^^;
なんだ、そうだったんだ~。
従来の「緑皮車」に扇風機はあっても空調はありませんでした。
でも、今回乗った車輛にも、昨年夏に乗ったものにも、どれも空調アリ!
これが、「百度百科」で紹介されていた「新緑皮車」だったんですね。
街中になら、シェアモバイルバッテリーがどこにでもあるし、車内もこうして時代にマッチ。
これなら、列車移動中のスマホバッテリーを気にして、重い「充電包(モバイルバッテリー)」を持参しなくてもいいかも?(*^^*)
こちら☟、新緑皮車内部の様子です。
進行方向に向かって右手の窓外に、雪を頂いた山々が見えて来ました。\(^o^)/☟
冬以外、特に暑い季節に白い雪帽子をかぶった山並みを見ると、非常にテンションが上がります!!!(笑)
ここからは暫く似たり寄ったりの風景ですので、マウスで一気にスクロールしながら流し見していってください。☟(^^)/
私の生活圏内では夏場に雪山を目にする機会などないので、この窓外の景色に大満足!\(^o^)/
そうこうしてるうちに、景色に変化が現れ・・・・・・。☟
嘉峪関まで、後わずか!(^^)/
【嘉峪関駅】
嘉峪関駅に到着~~~!!!☟
降りようとして、大ショックです。
敦煌駅では、ホームと車体の高さが同じだったので楽だったのですが、ここでは、ものすごい段差が!!!☟
しかも、すごく急な傾斜・・・・・。(T_T)
幸い、私の前を降りた男性が、下からトランクを受け取ってくださいました。
バスで敦煌駅に着いた時も、傾斜が急で狭い昇降口で努力中、同じく先に下りた男性が助けてくださいました。
本当にありがたいことです。ありがとうございました!!!(*^-^*)
さて、下りる前からショックを受けた嘉峪関駅。
更なる驚きが・・・・・・、いくつか。
頭上に設置された列車情報を示す電光掲示板。
文字がスクロールしていて、たまたま写っていないのではありません。
電気がついている部分が少なすぎて、どこ行きの列車なのか、さっぱりわかりません。(^^;☟
更に、足元にご注目ください。☟
すっごくガタガタ・・・・・・!
列車は旧緑皮車ではないけれど、この車体とホーム、更に台車式売店をセットで目にすると、思わず、19年前の初めての一人旅を思い出してしまいます。
おそらく、ここで致命傷を負ったのだと思います。
今回持参した年代物の大型トランク、帰宅後、汚れを拭いていたら、コマが割れてその部分がちぎれ落ちているのを発見。
このトランク、購入してから20年以上経過していて、もう使用はしていませんでした。
退役後は、部屋の中で衣装ケース代わり。
代替の軽量トランクも購入していたので、帰国時に持ち帰るにも預け入れ荷物としては数量オーバーになります。
そのため、帰国時には廃棄する予定でした。
今回は、長年付き合ってくれたトランクとのお別れ旅行だったんです。
それでも、捨てることに抵抗があったのですが・・・・・・。
この破損、ためらっている私に、トランクが「置いて行っていいよ」と言ってくれているような気がしました。
列車のプレート、敦煌駅でも写しましたが、もう一度。☟
写真を撮りつつ、ガタガタのホームをトランクを引っ張たり、持ち上げたりしながら進み、階段を下りて出口手前に辿り着いた時には、既に他の乗客の姿はナシ。☟
しかも、出口の扉は閉じられていました。(^^;
出口の側に立っていた係り員さん。
私の姿を見ると、「大変だったね、お疲れ様」というような表情で私に軽く会釈して、扉を開けてくださいました。
私、よっぽど疲れ果てた顔をしていたんでしょうね。(笑)
【過去の駅ホーム写真】
ここで、少しオマケです!(^^)/
過去、中国の鉄道を利用した時に撮影した「駅ホーム」の写真を数枚ごらんください!
☟は、1991年11月10日、「上海駅」のはず。
私の初めての海外旅行、初めての中国旅行です。(*^-^*)
「はず」と言うのは、上海なのか、蘇州・無錫なのか、識別できるものが写っていないから。
ネガがあれば撮影順が分かるので、簡単に解決するのですが、30年近く時が経ち、ネガはいったいいずこ~~~???
当時の蘇州・無錫の駅はこんなに大きくなかったように思うので、「上海」としておきます。
☟、1998年7月18日、これも「上海駅」のはず。
高校の同級生と一緒に、ツアーに参加。 (*^^*)
☟、2000年8月12日、「カシュガル駅」。
現像を失敗されてしまい、2000年当初からこんな色褪せた状態なのです。(T_T)
最後は、2001年7月4日、西寧駅。
30年近く前でも、18年前でも、今の嘉峪関のホームほどガタガタではありませんよね。(笑)
それだけ月日が過ぎたからこそ、ガタがきたということでしょうか?
でも、でも・・・・・・っ、メンテナンスを希望します!
ところで、この駅に高鉄や動車の新幹線は停車しません。
こちらの地図をご覧ください。☟
【嘉峪関市地図(広域)】
ちょっと小さいですが、パソコンでご覧の方は、図をクリックしていただくと少し大きくなると思います。
スマホでご覧の方は、文字がボケない程度に引っ張り伸ばしてみてください。(^_^)v
新幹線専用の駅は・・・・・・、「嘉峪関南駅」。
上の地図の一番下、ピンクで囲った場所です。
因みに、少し左上にあるピンクの囲みが、今回列車で到着した「嘉峪関駅」です。(*^-^*)
☟は、嘉峪関駅の到着出口。
次の列車の到着を待っている様子の女性が一人、スマホを見ながら立っていらっしゃいました。
【ホテルへの移動:アプリ「滴滴出行」】
上の写真の位置から撮影した、進行方向の風景。☟
真っ直ぐ行くと、タクシー乗り場があります。
でも、私はここで「滴滴出行」と言うアプリを使って、車を呼びました。
遥か昔の1999年、中国で初めてタクシーに乗った際にすっごい大回りをされて以来、タクシーにはいまだ不信感あり。(笑)
アプリを使っての車予約はあっという間。
私が上の写真の場所で写真を撮っている間に、すぐ運転手さんから電話が入りました。
待ち合わせの場所は、☟の写真の手前の道を渡った所。
☝、嘉峪関駅の外観です。
タクシー乗り場の側を、大きなトランクを引っ張って歩くので、タクシー運転手さんから何度も声を掛けられました。(笑)
こちら☟が、予約した車の走行ルートと料金です。
予約時点で行き先を入力すると、そこまでの最短経路をシステムが選択。
そこを外れて遠回りしたりすると、運転手さんの業績評価に大影響!
乗客もシステム上の「評価」でクレームできるので、運転手さんも慎重です。
私が予約していたホテル「嘉朵酒店」まで、嘉峪関駅からは4.6キロメートル、13分でした。
距離と時間から計算された料金は9.42元。(1元=16円換算で、約150円)
最近のレートは1元=15円くらいになっていますが、これまでご案内していた1元=16円とはわずか1円差。
なのでここでは、1元=16円のまま計算させていただきます。m(__)m
【嘉峪関嘉朵酒店(イロイネン ホテル:Iloinen Hotel)】
アプリを使って予約した車で到着した「嘉朵酒店」。☝
Ctripを日本語表示に切り替えると、このホテルの名称は「イロイネン ホテル(Iloinen Hotel)」となっていました。
ついでに、「Ctrip」も「Trip.com」に切り替わり、見慣れたイルカのロゴがなくてびっくり。(笑)
高級感溢れる!と言った感じではないのですが、お洒落なフロントです。
そのフロントから、漢服を着用した女性が笑顔でお出迎え。
そして、お茶でおもてなし。
漢服、以前から流行していましたが、最近は本当に街中でも頻繁に見かけるようになりました。
彼女達には、日本のブログに顔出しの許可をいただいてます。(*^-^*)
女性だけでなく、男性も漢服を着てお仕事をされていました。
フロントのすぐ側には読書コーナー。☟
フロントと読書コーナーの間を通って、エレベーターホールへ。☟
4階到着後、扉が空いた瞬間に目に入ったレトロな電話。
4階エレベーターホールから左側。☟
私は右側のこちらへ。☟
部屋の中をご覧ください!☟
ここ☝に写っているのが、コマが破損したトランクです。
入って右手にロッカーと洗面台。☟
洗面台とトイレ・シャワーが別空間に設置されているのは、私が泊まるレベルのホテルでは珍しいんです。(笑)
一人で宿泊する私には、トイレと洗面台が同じ空間にあっても差しさわりがありませんが、二人で宿泊するなら、分かれていると便利ではないでしょうか?
この洗面台、大きな鏡の周囲も光りますが、アームミラーの周囲も光りました!
視力が悪いので、拡大されるだけでなく視界が明るくなって便利!\(^o^)/
洗面台の向かい側にある、トイレとシャワースペース。☟
扉で隠れている右手には、着替えの服を置くのに便利な棚がありました。
こちら☟が、部屋全体の様子。
テーブルの上を拡大。☟
ティーパックを入れるための急須もありました。
急須もコップも、小振りで可愛い感じの物。
この椅子のクッション、低反発でかなりの座り心地です!(^_^)v
アメニティグッズも大満足!☟
ハンドソープやシャンプーなどは白檀系の香り。
一番嬉しかったのは、トイレットペーパーの予備が、よく見かける巻きの小さなホテル専用のようなものではなかったこと!!!
安心感絶大です。(笑)
この部屋、前述の「Trip.com」では「スーペリアルーム(ベッド2台)」と紹介されてます。
私が宿泊した6月中旬は204元/1泊でした。(1元=16円換算で、約3,300円)
今の時期(8月中旬)だと、293元になっています。(1元=16円換算で、約4,700円)
詳しくは、こちら☟をどうぞ。(*^^*)
イロイネン ホテルの口コミ情報・格安価格で宿泊予約|トリップドットコム
この価格で、この綺麗さ!
とても気に入りました!\(^o^)/
【嘉峪関バスターミナルと、その周辺の2000年1月の思い出】
チェックイン後、荷物を置いてのんびり室内の写真を撮っていたら、15時を回ってしまいました。
懸壁長城や万里の長城第一墩・嘉峪関に出かけるには、この日は元々時間不足。
そこで、私の記憶が確かなら、片道30分程で到着できる酒泉に行ってみることにしました。
ここで、ホテルとバスターミナルの位置を、☟の地図で確認しましょう!
【嘉峪関バスターミナル・富強市場他地図】
※右側が北になります。
この地図も、クリックしていただくと、多少大きくなります。(*^-^*)
赤線で囲ってある場所が、バスターミナル。
その上の黄色い〇がホテルです。
☟の写真、時間はあっていませんが、時計台がある建物が嘉峪関バスターミナルです。
時計台の後方に、「勝利中路」を挟んで、嘉峪関嘉朵酒店(イロイネン ホテル)が見えています。
このホテルを選んだのは、バスターミナルの側だったからなのです。
記憶に残っているだけで、残念ながら2000年1月のバスターミナルの写真はありません。
当時は周囲に高い建物もなく、この時計台が高々と聳え立っているように見えました。
今は年月を経て古くなり、周囲も高い建物に囲まれ、あまり目立ちませんね。
勝利中路と蘭新西路の交差点からみた時計台。☟
☟3枚は、時計台の下、蘭新西路沿いに並ぶスマホショップとバスターミナルの入り口。☟
【酒泉行きバス】
上の地図にも星印☆で記載していますが、このバスターミナルの前に、酒泉行きのバス乗り場がありました。☟
嘉峪関と酒泉を結ぶバス。☟
料金は3元。(1元=16円換算で、約50円)
Wechatでの支払い、可能でした!(^_^)v
バスの中の様子。☟
グレーのシートカバーが掛かっていて、見たところクッションがふわふわ?
実は、ただのプラスチックの椅子に、薄いカバーがかかっていただけ。(^^;
お尻、かなり痛い!!!(笑)
【嘉峪関市内の現在と過去】
ここで、少し2000年1月の思い出を。(*^-^*)
お付き合いくださいね。
こちら☟、2000年1月の旅行で使用した「地球の歩き方」に掲載されていた地図です。
【2000年頃の嘉峪関地図】
これを見ると、2000年当時はバスターミナルから北側が栄えていたのが分かります。
現地の方の話では、今は南寄りの方が賑わっているとのこと。
☟、当時の中心エリアを拡大しますね。(*^▽^*)
【2000年頃の嘉峪関地図(中心部拡大)】
【雄関賓館】
ご覧のように、酒泉行きのミニバス乗り場は、現在よりもう少し東にありました。
敦煌からの長距離バスでターミナルに到着した私は、次の目的地・酒泉に行きやすいよう、ミニバスが停車する場所の側にある「雄関賓館」に宿泊。
今回、地図でどんなに探してもこのホテルが見つからず、仕方ないので昔の位置に現存しているバスターミナルを目安にホテルを選択しました。
ここからなら、2000年1月、ミニバスに乗った場所にも近いと判断したんです。
ところが、今回はありがたい誤算でした。
そこまで歩く必要なく、バスターミナルの側でバス停を発見!
たぶん、以前、ミニバスが停車していた辺りが開発中のため、発着地が移転したと思われます。
当時の写真はないのですが、「百度地図」のストリートビューから、2014年と2016年の様子をご紹介します。☟
2014年、ここにあった「雄関賓館」撤去済み。
「雄関賓館」がここにあったことは、嘉峪関2日目にチャーターした車の運転手さんのおかげで確認済できました。
19年振りに記憶が繋がって、嬉しい!!!
☟は、2016年。
建物が随分出来上がって来ました。
そして、今年6月。☟
これは砂嵐状態の2日目に撮影したので、空が灰色です。
信号待ちを利用して、車内から撮影。(*^^*)
ビルはほぼ完成。
でも、関係者以外立入禁止のために巡らされた壁は、まだそのままでした。
この写真☟は、2000年1月20日に撮影した、「雄関賓館」の部屋。
部屋の床、ベッド、ブラウン管テレビ、カーテンのシミ、魔法瓶・・・・・・。
写ってるもの全てに、19年の時間の流れを感じます。(笑)
宿泊費は、3人部屋の1ベットで、1泊16元でした。
一つ前のブログでも書きましたが、ネットで検索すると、2000年当時の「人民元/円の為替レート」は13円/元。
よって、1泊の料金は、約210円。
シャワー・トイレは共用です。
他のベットを使用する人はいなかったので、3人部屋、貸切りでした。(^_^)v
この日は、11時40分頃、敦煌を出発 → 14時半頃、安西でトイレ休憩 → 18時20分頃、嘉峪関バスターミナルへ到着。
バス代は28.9元。
なぜこんな端数があるのか、今となっては記憶にありませんが、ノートにはこの数字が残っていました。(笑)
日本円に換算すると、約380円。
真冬の18時半。
中国の西北部に位置する嘉峪関はまだ薄明るく、積もった雪の白さもあって幻想的でした。
【鏡鉄市場】
この後、側の市場で夕食をとりました。
その場所が、上の【2000年頃の嘉峪関地図(中心部拡大)】で緑色に塗った通り「鏡鉄市場」。
今回、偶然、この市場の入り口前を通過しました。
写真を撮ろうとした記憶はあるのですが、残っていない所を見ると、気に入らず削除したのかも。(^^;
きちんと屋根があって整備されていましたが、ここはまだ何となく市場の雰囲気が残っていました。
こちらは、2016年。☟
2019年も、こんな感じのまま。
ここで食べた夕食は、羊肉の串焼き5本(1元)、京醤肉絲(6元)、玉子チャーハン(3元)。
羊肉の串焼きは「味はまあまあだけど、肉が小さすぎる」と感想を残しているので、鉄串にお肉がこびりつている程度の量だと思います。
でも、それ以外の2品・・・・・・。
玉子チャーハンは普通の白ご飯でよかったんじゃない・・・・・・?
と思う、2019年の私でした。(笑)
【ロータリーと嘉峪関賓館】
更に、【2000年頃の嘉峪関地図(中心部拡大)】を北(上)へ見て行くと、ロータリーがあります。
2000年当時、ここの写真は撮っていました。☟
ロータリー中央に石造があって、背後に「嘉峪関賓館」が見えています。
今回は車で通りすぎただけで、どんな様子か記憶に残っていません。
前述の【嘉峪関バスターミナル・富強市場他地図】にある通り、「嘉峪関賓館」は現在も健在です。
参考に、ここでも「百度地図」のストリートビューから2014年と、☟
2016年の写真☟を拝借しました。
モニュメント、変わっていました。
【富強市場(灰豆粥)】
そして、想い出のラスト、この☝ロータリーの少し北にある「富強市場」。
ここで、2000年1月21日、朝食をとりました。
☟は、当時の市場入り口です。
屋根はなく、通りの両側にあるお店や屋台がやって来て、食事を提供していました。☟
ここで、私が食べたもの、これ☟、なんだと思いますか?(*^-^*)
黒っぽくて、ドロドロしたもの。
これは「灰豆粥」と言います。
百度百科で検索すると、「灰豆」と「紅棗」で作られているそうです。
上の写真では分かりにくいので、百度百科から写真を借りて来ました。☟
☝、お皿に載った、黒い豆が「灰豆」です。
当時、ただ「灰豆」と名称を聞かされた私の感想は、「黒い。甘い。お米が入っていない小豆だけのお粥みたい」でした。
「粥」まで付けて正式名称を教えてもらっていたら、お粥なのに「お粥みたい」なんてボケた感想抱かずに済んだのに。(笑)
テーブルに載っている白いナイロン袋の中身が、砂糖だった気がします。
もっと甘くしたければ、自分で追加するようになっていました。
今、ネットで調べると、「甘粛灰豆粥」で紹介があり、レシピもたくさん掲載され、甘粛省ではポピュラーな食品のようです。(^o^)
ところで、2000年の写真、今見ると、お椀にナイロン袋が掛かってないではありませんか!(゚Д゚;)
中国の屋台などでは、今でも時々、お椀やお皿にナイロン袋をかけた上に、料理を載せて提供されることがあります。
ナイロン袋が衛生的かと言われると謎ですが、溜めた水で洗っただけのようなお椀に、直に食べ物をいれるよりはいいかもと、当時は思っていました。
でも、時々、箸でナイロンを突き破ってしまうことも。(ーー゛)
さらに言えば、お粥のように熱いモノを入れた場合、当時のナイロン袋の品質で熱に耐えられたのか・・・・・・。
色んな不安が、今更ながら胸を過ぎります。(笑)
でも、これまで健康診断で引っかかることもなかったので、大丈夫でしょう。(^_^)v
この市場、「百度地図」のストリートビューによると、2014年にはこんな様子。☟
2016年はこんな感じ。☟
今回、車で通り過ぎる時に見かけた入り口も、こんな雰囲気でした。
回想は、ここまでです。(*^▽^*)
それでは、酒泉へGo~~~!!!\(^o^)/
【酒泉】
【西バスターミナル】
バスの席が窓際ではなかったので、残念ながら道中の風景写真はありません。(^^;
その分、ここでもまた、昔の写真が活躍します。\(^o^)/
その前に、地図で私が移動したルートをご紹介しますね。☟
【2019年酒泉地図①】
私は☝地図の一番下、ピンクの🔴がある場所「富康家世界」の向かいでバスを降りました。
運転手さんに、「ここが終点だから降りて」と言われたからデス。
確かに、バス停の目の前に、ホテルフロントで聞いた奇岩を展示している建物もありました。
でも、2000年にやって来た時は、バスを降りて緩やかな下り道をちょっと進むだけで、鼓楼に到着できたんです。
でも・・・・・・、なんだか地勢が違います。
こちらが、2000年頃の「地球の歩き方」掲載の地図です。☟
【2000年頃酒泉地図①】
※この地図は、右が北になっているのでご注意くださいね。(^^)/
百度地図で距離を測ると、西バスターミナルから鼓楼まで、約1.2キロメートル。
確かに、そうです。
2000年1月に歩いた距離は、だいたいこんなものでした。
「どうして終点が西バスターミナルじゃないんだ???」と、嘉峪関出発の際に写したバス停留箇所の案内を見ると・・・・・・。
嘉峪関発だと、「西关车站(西バスターミナル)」の四文字が一番最後以外に、最後から遡って5番目にもある~~~!!!(゚Д゚;)
途中、何となく懐かしいような下り坂を見かけました。
乗客の大半は、その前後のバス停で下車。
でも、私、「みんなは地元の人だから、この辺りに用があるんだな~」くらいにしか思っていなかったんです。
だって・・・・・・、一番最後の「西关车站」しか見ていなかったから。(T_T)
相変わらず、下調べが適当で迷走してしまいました。(笑)
せめて、バスの運転手さんに終点だと言われた時、、自分は「バスターミナルに行きたかったんだ」と主張していれば、回送扱いのバスに乗ったまま連れて行ってもらえたかも知れません。
本当にボケボケです。
嘉峪関を出て暫くは集客しながら進んでいたことと、酒泉市内を無駄に移動したので、私のバス乗車時間は予測より少し長い40分ほどでした。(^^;
2000年1月は、メモによるとだいたい30分。
ミニバスの料金は2.5元でした。(2000年当時、1元=13円換算で、約33円)
2019年6月の料金は3元で、大差ありません。
ただ、レートが少し違うので、日本円にすると差が少し大きいかも。(1元=16円換算で、約50円)
道路には街灯などほとんどなく、外は真っ暗。
フロントガラスは白く凍っていて、ワイパーをムリヤリ動かした部分を通して辛うじて前方を視認できるような状態。
道がバリバリに凍っているのは、タイヤから伝わって来る音で分かりました。
車は時々、軽くスリップ!
「スピンするくらい構わないから、どうか無事に酒泉に到着してくれ~~~!!!」と祈った30分でした。(笑)
酒泉には、朝8時過ぎに到着。
周囲は真っ暗。
ターミナルの建物も見えず、ただの十字路に降ろされたような感じ。
暗い空には、まだ月が掛かっていました。
さて、【2019年酒泉地図①】の一番下ピンクの🔴の場所から軌道修正するにあたり、酒泉の公共バスを利用しました。
ピンクの文字の「蘭山公司」まで約1キロメートルを歩き、そこから9路バスに乗車、西バスターミナルの前を通過し、区政府で下車。
バス料金は1元でした。
しかし!ここ酒泉では、Wechatのバス乗車コード払いが不可~~~!!!(@_@;)
「支払宝(Alipay)」のコードなら支払えると言われたのですが・・・・・・。
使えるようにするためスマホを操作中、身分証明書の番号入力画面で、パスポートのアルファベットを入力することができないことに気付いて、アウト。
仕方なく、5元札を投入しました。(T_T)
あれから数か月経ったので、もしかしたらもう状況が変わっているかもしれません。
でも、どこに行くにしても、「小銭少々は用意すべき」と学んだ酒泉の公共バスでした。(^^;
【酒泉鼓楼】
紆余曲折を経て、やっと酒泉鼓楼に到着~~~!!!\(^o^)/
これから、☟の地図のように、鼓楼を西側からぐるっと見て回りましょう!
【酒泉鼓楼周辺地図】
西大街で9路バスを降り、鼓楼まで歩いて来ました。☟
地図上、黄緑の矢印の方向を撮影。
新華書店の赤い看板がチラッと見えています。
ここで、2000年1月22日の写真をご覧ください。☟
これ☝は、上の地図の赤い矢印のように撮ったものです。
1月なので、掃いて一ヶ所に集められた雪が凍り付いたまま残っています。
この建物、2019年6月に訪問した際には、既に撤去済みでした。
当時、いかにも中華風なこの建物を見て嬉しかったので、ちょっと残念。
それが・・・・・・、百度地図のストリートビューを見ていたら、写っていました!\(^o^)/☟
百度地図によると、この建物は「酒泉市老年書画家協会」の入り口のようです。
これ☝は、地図の黄緑色の矢印に近い角度から。
☟は、2014年6月。
2016年7月。☟
数年前までは、まだ存在していたんですね!!!(*^-^*)
それでは、時々2000年1月の写真を挟みながら、鼓楼をご紹介します!
☟西向き、 2019年6月。
☟、西向き、2000年1月。
建物は変わっていますが、右背後の「百貨大楼」は健在みたいです。(*^-^*)
左側は、「邮政局(郵政局)」から「東方広場」と言うショッピングモールに変わっていました。
ピンボケなのですが、2000年1月22日、朝8時半頃の写真です。☟
やっと明るくなってきたところ。
でもまだ、街灯の灯りは消えていません。
この時間帯、水を飲むためにマスクを外すと、鼻息があっという間に凍ってしまいました。(゚Д゚;)
そして、水を飲もうとしたら、ペットボトルの中の水も凍り付いていて飲めなかったのを覚えています。
手に持っていたので、水は私の歩調に合わせ揺れ続けていたのですが、それでも凍っていました。
こんな経験は、この時が初めて。
自分が普段生活している環境とは全く違う地域に来ていることを実感できて、ちょっとワクワク。
そのペットボトルに妙な愛着がわいていたのですが・・・・・・。
ハガキを投函するためこの鼓楼の後方に見える郵政局に立ち寄った時、うっかり置き忘れてしまいました。(^^;
私にとって、この郵政局も思い出深い場所だったのですが、ここは、2014年のストリートビューでも、既にショッピングモールに建替えられていました。
2000年1月、西側を下から見上げたもの。☟
では、北へ向けて移動します。☟
☟、北向き、2019年6月。
☟、北向き、2000年1月。
☟、東へ回ります!(*^-^*)
☟、東向き、2019年6月。
東側の足元に、「酒泉鼓楼」の石碑がありました。☟
上の写真の該当箇所を拡大したので、ピンボケですみません。<(_ _)>
☟、東向き、2000年1月。
8時半~9時頃、朝の光を真正面から浴びた、酒泉鼓楼です!\(^o^)/
引き続き、南へ向かいます。(*^-^*)☟
☟、南向き、2019年6月。
☟、南向き、2000年1月。
以上、酒泉鼓楼でした。
この後は・・・・・・、酒泉出だしで迷走して時間を無駄にしたので、帰りのバスの時間を考えると、他の場所を回るのはムリそう。
と言うことで、西大街を西バスターミナルに向かいました。(^^;
「え・・・・・・、これだけ???何しに酒泉までやって来たの???」
と思われるかも。(笑)
この時の旅行は、6月13日夜に西安に戻った後、1日間を置いてまだすぐ上海へ行かなければならなかったんです。
そのため、体力温存、体力温存~~~。
懐かしい鼓楼周辺を見ることができただけで、大満足!
なんて、もう・・・・・・、昔みたいなムリはきかないのでした。(T_T)
【酒泉公園】
でも、これだけでは、あまりに酒泉の出番が少なすぎる!(笑)
そこで、もう少しストックがある2000年1月の写真をご紹介しますね。(^_^)v
【2000年頃酒泉地図②】
紫で囲んだ、☝の地図の一番下(南)にある「酒泉公園」をご紹介します。(*^-^*)
酒泉公園は「西漢酒泉勝跡」とも呼ばれています。
所在地は、百度百科によれば、鼓楼の東、約1.9キロメートル。
敷地面積は27万平方メートル、その内、天然の湖沼が5万平方メートルを占める、河西回廊で唯一保存状態が完璧な漢風庭園。
その歴史は2000年余りに及ぶという、AAAA級の観光地です。
バスで行くなら、1路か9路を利用し、「西漢勝跡」で下車して下さいね。(^^)/
2019年8月現在、料金はどこから乗っても1元です。
因みに、2000年1月は、0.5元でした。(*^^*)
【2019年酒泉地図②】
※この地図は上が北、2000年の地図は右が北になっています。
この地図の青いラインは9路バスのルート。
1路でも、西バスターミナルまでは同じルートを通ります。
現在の正門の様子は、百度地図のストリートビューから、こちら。☟
2000年1月当時は、このような立派な門はありませんでした。
今回、ここまで出かけていないので入場料が必要かどうか、ネットで調べてみると・・・・・・。
旅行者のコメントによると、無料のようです。
でも、2000年1月当時は入園料、5元。(1元=13円換算で、65円)
併設の動物園の入園料も含まれていました。
でも、真冬の動物園、しかも早朝に起きて動いている動物なんて、ほぼ皆無。
今、こうして日本円換算した金額を見るとけっして高くはないのですが、当時の現地物価からすると、ちょっと高め。
「私、動物園に用はないのに、ぼったくりだ~!」とプリプリしながら中に入ったので、門らしきものを見過ごしたのかも知れません。(^^;
でも、それくらい存在感がなかったということかも。
なので、写真がありません。(笑)
こちら☟はの酒泉公園内で撮影した牌楼。
この写真も、露出が低くシャッタースピードが遅かったため、手振れによりピンボケです。(^^;
扁額の文字は「浩氣英風」。
中国人旅行者のブログを拝見すると、この牌楼、現在もこの場所にたっているようです。
こちら☟は、「西漢酒泉勝蹟」の石碑。
こちら☟が、酒泉の地名の由来となった泉です。
真冬だったので、この囲みの中を覗いたら、泉の水は凍り付いていました。
ファインダー越しに見ると、あまり絵にならなかったのでフィルムを惜しんで撮影せず。
今みたいにデジタルだったら、絶対撮っていたと思うんですけど・・・・・・。(^^;
先に動物園を回り、駆け足で名所を巡っていると、白っぽかった空が、急に赤く染まり始めました。☟
真っ暗な内に到着した酒泉に、遂に朝日が昇りました。\(^o^)/
気温は変わらず氷点下でしたが、暖かな色合いの陽光を目にすると、不思議と寒さが和らぎました。
【イスラム寺院】
2000年1月22日は土曜日。
当時、鼓楼からまっすぐ東に延びる東大街・公園路上にある酒泉夜光杯廠は、冬場は土・日がお休み。
酒泉市博物館、平日は8時から開くのですが、土・日は10時から。
10時の開館を待って見学していると、予定通りお昼に酒泉を出発出来ません。
この二つは諦め、鼓楼の方へ歩いて戻っていると、イスラム寺院を発見。☟
冬場で木々の葉が落ち切っていたので、全景が見えていました。
今のようにスマホで簡単に検索できない時代の上、「地球の歩き方」の地図にも紹介がありません。
側まで近寄ればよかったのですが、幹線道路からは路地を少し入らなくてはならず、それは面倒。(笑)
なので、当時は変わった形の塔(ミナレット?)の先端に三日月があるのを見て、イスラム寺院なんだろうな~と、漠然と思っていました。☟
今回、百度地図に「酒泉清真寺」と表示があったので、ストリートビューで見てみると、懐かしい塔が健在ではありませんか!☟
これら☝☟は、2016年7月に撮影されたもの。
このイスラム寺院、健在していたんですね!\(^o^)/
ネットで調べると、「明代に建設が始まり、民国6年(1917年)に建て直された」とある、歴史ある寺院のようです。
【2000年1月の南市街】
後少し、思い出話におつきあいください。(*^-^*)
もう一度、【2000年頃酒泉地図①】をご覧ください。
この地図☝は、右が北です。
こちら☟は、☝の地図に対応させた【2019年8月酒泉地図】。
☝は、上が北になります。
2000年頃の「地球の歩き方」では「鐘鼓楼」と記載されていた鼓楼から、西へ少し移動した場所の左手に、「南市街」と言う場所があります。
ここは、夏場になると深夜まで夜市が立っていたという場所。
でも、私が訪れたのは、真冬の午前中。☟
夜市ならぬ朝市が、そろそろ終ろうとしていました。(笑)
ここで、朝昼兼用の揚げパン(0.6元)を買って腹ごしらえ。
【酒泉古城門】
その後西大街に戻り、更に西へ移動し、「小西街」で左折。
2000年頃の地図上の、ピンクの太枠で囲った「晋城門」に向かいました。
2019年版では黄色で囲っていますが、今は「酒泉古城門」と呼ばれているようです。
こちら☟は、2000年1月の様子。
この時は午前11時くらいではなかったかと思いますが、足元はバリバリに凍り付いたまま。
こちら☟は百度地図のストリートビューから、2016年7月の様子。
左背後のアパート群は、2000年1月の時から変わっていないみたいです!
百度百科にあったこの城門の情報を、参考として簡単に訳してみます。(*^-^*)☟
粛州城中心区の西南隅、小西街と南環西路の交差点に、古い城門が聳え立っている。それは東晋時期の酒泉郡治所在地である福禄県城の南門であり、「福禄門」とも「晋城門」とも呼ばれている。
☝右写真の城門のてっぺんの形状が異なるのは、私が写したものは北側から、☝は南側から写したものだからです。
私、最初、「ナニこれ???」と驚きました。(笑)
百度百科のURLです。☟
以上、酒泉の過去と現在のご紹介でした。(*^^*)
【嘉峪関嘉朵酒店(イロイネン ホテル)側の市場:鏡鉄西路】
2019年6月12日、19時過ぎに嘉峪関へ戻って来ました。
夕飯にはちょうどいい時間帯デス。(*^-^*)
何を食べようかなぁ~と、バスターミナル斜め向かいが終点なので、そこからホテル方向へ移動しながら食堂を物色。
ところが、バスターミナルの通り向かいには特に食べたいものがなく、あっという間に交差点まで来てしまいました。
☟の地図をご参照ください。
【イロイネン ホテル周辺地図】
この交差点付近で、ナンを売っている屋台を見つけたのですが・・・・・・。
「ナンは新疆が本場、今日は嘉峪関名物を食べよう!」と思い、眺めただけでそこを離れ、交差点をホテル方向へ渡りました。
すると、ちょっとワクワクするような、昔っぽい市場を発見!\(^o^)/
ホテル横の広場の端から南西に延びた狭い通りが全部市場でした。
交差点手前からだと、このあたり。☟
ホテルの私が宿泊していた部屋の窓から見ると、☟のピンクの矢印の先に入り口があります。
入り口は、こんな感じ。☟
とても昔懐かしい雰囲気です!\(^o^)/
百度地図で調べると、市場となっている通りの距離は400メートル弱。
けっこう長いですね。(*^-^*)
それでは、市場見学、スタート!(*^▽^*)
右手前のお店は「清真(ハラール)」の「花巻」や「馒头(マントウ)」を売っていました。
雨風日差しを遮るためのちょっと破けた黒いシートが、市場感を盛り上げています。☟
☟は、上の写真の右手にあったナン屋さん。
種類が豊富!
「この丸いナンは何味?何が入っているんですか?」とお店の方に尋ねたのですが、少数民族の女性には通じなかったのか、返答なく中へ入ってしまわれました。
残念。
☟2枚も、このお店の商品です。
ナンが好きなので、他より写真が多めデス。(笑)
野菜を扱うお店も見えて来ました。☟
右側には、各種春雨が積み上げられ、左手足下には魚が入った水槽、お肉屋さんが見えます。☟
こんなに狭くても、双方向からバイクや自転車がやって来ます。
お店の商品が通路をかなり占有しているような場所で対向となると、ちょっとした渋滞が発生。
野菜や果物、ドライフルーツに、上の写真にも顔を見せてるピータン等が売られています。☟
鶏やアヒル。☟
果物屋さん。☟
このトマト、おいしそう!!☟
500グラムが1元(16円)です!
【嘉峪関イスラム寺院 】
通路のような市場を通り抜けると、大通りの交差点向こうに、緑色が鮮やかな「嘉峪関イスラム寺院」が見えました。☟
2000年1月の旅行の際、イスラム寺院を見て感じたのは・・・・・・。
新疆のイスラム寺院は、丸いドームとミナレットが備わった、表面がモザイクタイルではないけれど、中央アジアや中近東で見かけるのと同じタイプ。
甘粛省に入ると、建物の上に三日月はついているけれど、建物は中華様式。
でも、2018年6・7月に久々に中国西北部を旅行して、変化を感じました。
【敦煌・蘭州・西安のイスラム寺院】
敦煌でも、ここ嘉峪関でも、蘭州でも、私が見かけた新しく建造されたイスラム寺院は上の写真のようなもの。☟
これも時代の変化でしょうか?
私が目にすることが多かったイスラム寺院は、西安の回民街にあるもの。
そこは昔からのイスラム寺院なので、中華式なのです。☟
などと考えながら市場を逆に戻り、夕食に何を食べるか、まだ決まっていないことに唖然!
【ナン屋さん】
お腹が空いた~!!!
結局、バスターミナルからの移動中に見かけたナンの屋台に行くことに。(笑)☟
黄色の矢印の下のパラソルが目的地です。
ちなみに、緑の矢印の先にあるお店はパン屋さん。
夕食用のナンを買った後、翌日の朝昼用のパンをここで購入。
炭水化物ばかりです。(^^;
こちら☟、ナン屋さんの様子。
私が側に立っている僅かな間に、焼き立てのこの種☝のナンはまとめ買いをする人により、ほぼ売り切れになりました。
ここのお店の人たちは、カシュガルからやって来ていました。
カシュガル~~~!!!
私、行ったんですよ~と、暫く雑談。
その内に、さっきの市場でも見かけた丸い小さなナンが焼きあがりました。☟
中にレーズンが入った、甘めのナンだそうです。
これと、通常のナンを買うこと、決定!(*^▽^*)
雑談が功を奏したのか、「窯の中を写していいよ」とありがたい言葉が!
窯の中の炎で赤く染まったレーズン入りナン。
少し塩味が効いた外側はカリっとしていて、とっても美味しかったです!\(^o^)/
ここまでお付き合いいただい、ありがとうございました。
以上、嘉峪関初日と酒泉のご紹介でした。(*^-^*)
せいあん!特別編_2019年初夏 敦煌旅行記(その2):敦煌風味餐庁と小吃街・西大橋~党河西路周辺・鳴沙山・沙州故城・反弾琵琶伎楽天像・敦煌牌楼・敦煌駅
2019年8月4日(日曜日)。岡山県北、暑いです~~~!!!(^^;
今日の日中は35度、湿度も高めで汗ダラダラ。
もう8月4日・・・・・・、帰国してから半月以上経ってしまいました!
そして、前回のブログアップからは・・・・・・、なんと、1ヶ月以上も間が空いているではありませんか~~~。(゚д゚)!
この間、けっしてダラダラしていた訳ではありません。
帰国前、西安にいた時は、国際郵便小包の発送・部屋の片付け、その合間を縫って大雁塔に上ったり、城壁に上ったり。
(大雁塔北広場)
(西安城壁西門)
こんなふうに☝、ブログ「せいあん!」のラストを締めくくる記事を書くため、写真撮影に行って来ました。
これらについては、また別の記事でご紹介します!
気長に(^^;・・・・・・、お待ちくださいネ!!(^_^)v
西安最後の数日は、室内で片付けの日には雨が、外に出なくてはいけない日は基本快晴!と天候に恵まれ、幸せでした。(*^-^*)
でも、心の中は涙の雨~~~!!!(T_T)(T_T)(T_T)(笑)
帰国後は、パソコンの外付けディスプレイを新たに購入しました。
やっぱり、画面が一つでは作業効率が悪くて・・・・・・。(^^;
西安で使っていたものは電圧が異なるため、持ち帰ったとしても使えません。
あれは、これからも西安で頑張ってね~と、知り合いにプレゼント。
こうして環境が整い、ブログの続きを書き始めて2週間ほど・・・・・・。
船便で西安から発送した小包が、3週間で到着しました。
6箱送って、1箱だけちょっと変形。☟
少し破れていましたが、内容物に影響はナシ。
参考に、一番重い箱は18.82キロ。
この箱の送料は357.2元でした。(1元=16円で換算すると、約5,700円)
内訳は、通関費用8元と、小包本体349.2元です。(*^-^*)
日本に戻っても、「せいあん!」はもう暫く続きます。
お付き合い、よろしくお願いいたします!\(^o^)/
それでは皆様、敦煌へ、Go~~~!!!🏁🏁🏁
目次
- 【敦煌風味餐庁と小吃街】
- 【敦煌風味餐庁】
- 【小吃街】
- 【杏皮水(シンピーシュイ) 】
- 【敦煌特産品「李広杏」】
- 【西大橋~党河西路周辺】
- 【鳴沙山】
- 【沙州故城】
- 【反弾琵琶伎楽天像】
- 【敦煌牌楼】
- 【敦煌駅】
【敦煌風味餐庁と小吃街】
(敦煌風味餐庁と小吃街・西大橋~党河西路周辺用地図)
歩いた道順は異なりますが、数日分をまとめて、このルートに沿ってご紹介いたします!(*^-^*)
【敦煌風味餐庁】
出だしは、6月9日(日曜日)、敦煌博物館から歩いて街中に戻っている時に気付いたレストラン。(*^-^*)
☝の地図にも記載していますが、名前は「敦煌風味餐庁」と言います。☟
このレストラン、昨年12月に私が敦煌を訪問して以降に、新しくできたものではありません。
ハッキリ言えば、昨年12月どころか、昨年7月初めに遊びに来た時にもありました。(^^;
ただ、その時の私は、鳴山路の歩道に敷かれた中国古銭の敷石に気をとられ、周囲をよく見ていなかったんです。
証拠物件2018年夏バージョン。☟
メインは青空に映える街路樹の葉と、鳴山路頭上のアーチ型看板。
レストランは途中で途切れています。(^^;
証拠物件2018年冬 バージョン。☟
冬バージョンに至っては、路面が写真面積の9割くらいを占めていて、偶然写り込んだレストランは豆粒のよう・・・・・・。(ーー;)
そんなレストランを、今になってどうしてそんなに気に掛けているかと言いますと・・・・・・。
私、19年前、このレストランで食事をしたことがあったんです!
しかも・・・・・・、2回も。(笑)
19年前の2000年1月、「地球の歩き方」を片手に敦煌へやって来た私は、「オムライス」・「親子丼」と言う文字に惹かれ、このレストランを訪れました。☟
☝の説明に、「看板に日本語でにこにこ食堂と書いてある」と記載されているように、留学半年しか経っていなかった私は、旅行日記に中国語の店名ではなく、「にこにこ食堂」と記していました。
私の頭では「オムライスを食べたにこにこ食堂」と記憶されていて、「風味餐庁」と言う名前は印象に残っていなかったんです。(^^;
こちら☟が、これまでも私のブログに登場したことがある、当時の「地球の歩き方」に掲載されていた地図です。
赤い矢印で指しているのが、「風味餐庁」。
今回、このレストランに気付けたのは、旅行前にお店紹介と地図を読む機会があったから。
昨年夏、トルファンで、以前食事をしたことがある「John's Cafe」がなくなっているのを目撃していました。
なので、19年も経てば「にこにこ食堂」も他のお店に変わってるに違いないと思いながら、かつての地図で確認した場所に差し掛かった頃、周囲を見渡したら・・・・・・。
「あった~~~!!!(゚д゚)!」
「にこにこ食堂」の表記はありません。
でも、写真☟で分かるように「敦煌風味餐庁」と、デカデカと看板が上がっていました。
ただ、当時のお店はこんなに大きくありませんでした。
お店を左・中央(出入口のある部分)・右と分けると、当時は中央部分くらいのスペースしかなかったんです。
そこで、確認すべく、中へ!(^_^)/☟
☝の写真、左手が出入口です。
かつてはこの部分しかありませんでした。
お店の方のお話によると、間違いなく、2000年頃もここでお店をしていたそうです。
その後、左右に拡張し、個室とテーブル席を増やしたとのこと。
2000年1月、私が入り口側の席に座って食事をしていた時、ブラウン管テレビから懐かしい音楽が!
振り仰いで見ると、それは「キャプテン翼」でした。\(^o^)/
子供の頃、アニメで最初に見て、それからすぐに漫画を集めた「キャプテン翼」。
走りながらボールを踵で蹴り上げ、頭上を超えて足元に落すという技、何度も練習しました。(#^.^#)
懐かしいな~と見ていたのですが、何かすごい違和感が・・・・・・!
原因は、日向小次郎の声が、他のチームメイト同様可愛い子供の声だったから!!
私が見ていた頃の「キャプテン翼」では、日向小次郎の声は鈴置洋孝さんが担当されていました。
どう聞いても、小学生とは思えない低い声。
でも、だからこそ翼君がロベルトに「まだやってはダメだよ」と言われていた棒を蹴り折るようなことも、日向小次郎なら可能だ!と思わせてくれたんです。
あの声のトーン、重要だと思いました。
話が脱線・・・・・・、本題に戻します。<(_ _)>
こちら☟が、右側スペース。
このお店、最近は日本人観光客が減少したので、中華料理をメインに提供しているとのこと。
でも、オムライスはまだメニューとして残っていると聞き・・・・・・。
この時、時刻は18時半過ぎ。
実は、夕食に「酿皮(ニャンピー)」を食べようと「小吃街」に向かっていたのですが、急遽予定を変更!
オムライスを、注文っ!!!。(^_^)/
オムライスが出来上がるまでの間、私は右側に拡張されたテーブル席で、テーブル横に置かれている、これまでの来店者が記入したノートを読んでいました。☟
一番上の方のコメントは2013年8月のもの。
今とは異なる、当時の大らかな様子が詳しく分かりますよ。(^_^)/
ノートは何冊もあったので、待ち時間に見ることができたのはその一部のみ。
私が見た範囲内では、一番古くて2011年のものがありました。
20年以上お店を開けていると、ノート数もかなり多くなったそうで、初期のものはお店に置いていないんだそうです。
日本人旅行者が書き残していったものをメインに、イラストが綺麗なものをピックアップしてみました。(*^^*)☝
私の席から見えた、窓外の景色。☟
☝、鳴山路です。
さて、私は当時の旅行日記にこう記していました。
「2000年1月19日(水曜日)、13時半頃、『オムライス』を食べる。1食、8元。」
ネットで検索すると、2000年当時の「人民元/円の為替レート」は13円/元。
当時のオムライスは104円でした。
「夜、羊肉の串焼きを2本注文したら、数量が少なすぎて拒否された。そこで、敦煌風味餐庁に行き、「肉絲麺」を食べた。一杯4元。」
上述のレートで計算すると、この日の夕食は52円。
昨年と今年、敦煌で食事をしましたが、麺類はたいてい1杯15元。(1元=16円換算で、240円)
約四倍値上がりしています。
で、2019年のオムライスはと言いますと・・・・・・。☟
結構なボリュームがありました。
玉子の上に載ってる赤いペースト状のものはトマトケチャップ。
見た感じ、唐辛子ペーストのよう。(笑)
あまり日本人が来ないと聞かされていたので、
「もしかして、瓶タイプのトマトケチャップ、開栓後、時間が経ちすぎて乾燥した???」
と、想像してみたり。(笑)
お味は・・・・・・、想い出込みで、普通かな~?
19年前は、留学してから半年、和・洋問わず、家からの仕送り品以外は全て中華だったので、久々のオムライスに感激していた記憶が。
ただ、中華料理に比べ、「8元、高い!」と思いながら食べたのは間違いありません。(笑)
ここで、2019年オムライスのお値段を発表~~~!!!
私、注文時に値段確認するのを忘れました。(^^;
麺類の価格が約四倍になっているのを踏まえると、オムライスは32元くらい???
いったいどれくらいの値段何だろう???とドキドキしながらお会計へ。
じゃ~~~ん、確認結果は、25元。(1元=16円換算で、400円)
想定内に収まりました。(^_^)v
そうして19時頃、懐かしかった 「敦煌風味餐庁」を後にしました。
お味について、最近のノートのコメントから補足しておきますね。
2018年11月:ヨーロッパ在住の日本人の方:コーヒーとヨーグルトは最高です。
【小吃街】
日にち変わって、6月10日(月曜日)と6月11日(火曜日)の「敦煌特色小吃街(市場巷)」です。
鳴山路側の案内看板、北に向けて撮影。☟
このまま真っ直ぐ進むと、反弾琵琶伎楽天像が立つロータリーがあります。(*^^*)
☟は南東向きに撮影。
鳴山路をこの方向にまっすぐ進むと、敦煌博物館・雷音寺・鳴沙山に辿り着けます。
昨年12月、閑散期のため敦煌夜市内の「名物料理広場」はほとんど営業しておらず、「星光夜市」に至っては閉鎖状態。
そこでウロウロしていた時に見つけたこの路地の、「鐘家酿皮(ジョンジャーニャンピー)」というニャンピー屋さんで、念願のニャンピーを食べました。
そしてここで、昨年7月にも探していた、かつて散策したことがある市場について教えていただきました。
あれこれ喋っていたので、結構長居したと思います。
それだけに思い入れがあって、今回もここで食べたいな~と10日夜、20時過ぎに「敦煌特色小吃街(市場巷)」にやって来ました。
(その1)でご紹介した「雷音寺」と鳴沙山の「ツーリストセンター」からの帰り道です。
この日は天気が悪かったので既に薄暗いですが、この時期の敦煌の日の入り時刻は21時10分。
晴れて入れば夕日が眩しい時刻。
敦煌夜市なら、これから賑わい始めると言ってもいいのですが・・・・・・。
冬場のブログでも書きましたが、ここは近辺の宿泊施設を利用している観光客も利用するとは言え、基本は敦煌市民のみなさんが日常的に利用する場所。
人の姿、あまり多くありません。☟
何だか嫌な予感・・・・・・。
とりあえず、前進。☟
壁に「敦煌特色小吃街」と書かれた場所まで来ても、ご覧の通り。
画一的な店舗の看板を一つ一つ見ながら、更に前進!
右手に「文廟巷」の道路標識。☟
右手の「文廟巷」の様子。☟
昨年12月、この路地の入り口で果物を売っていた女性に話しかけられたのを思い出しました。(*^^*)
通り右側一番手前のお店「敦煌特色拌面(敦煌特色拌麺)」、昨年と違います。
昨年12月は「新疆特色干拌面(新疆特色乾拌麺)」でした。
中国はどこでも変化が速いな~。
【馬家酿皮(マージャーニャンピー)】
結局、この日(6月10日)は「鐘家酿皮」だけでなく、もう一軒あると期待してたお店も閉まっていました。
なぜ~~~???
そこで、翌日(6月11日)14時過ぎ、鳴沙山からの戻りがけに、もう一度トライ!!!(^_^)/
この時も、「鐘家酿皮」の扉は閉ざされたまま。(T_T)
幸い、もう一軒は開いていたので、そこまで少しだけ引き返して、ちょっと遅い昼食となりました。☟
こちらは「馬家酿皮(マージャーニャンピー)」です。
このお店のニャンピーは、こちら!☟
1食、6元。(1元=16円換算で、約100円)
昨年12月、「鐘家酿皮」で食べた時と同額です。
唐辛子がしっかり載っていますが、それほど辛いタイプではないんですヨ。
このお店の ニャンピーも美味しかった~~~!!!(*^-^*)
【鐘家酿皮(ジョンジャーニャンピー)】
この後、沙州故城へ向かうため、「敦煌特色小吃街」を西へ。
すぐ側の「鐘家酿皮」前を通りかかると・・・・・・。☟
「あ、開いてる~~~!!!」\(^o^)/
もうお腹はいっぱいで何も食べられないけれど、やっぱり「また来ました!」と話したいので、お店の中へGo~~~!!!
お店の中にいたのは奥さん。
奥さん、私のことを覚えていてくださいました。
奥さんに訊くと、前日は用意していた量が早く売り切れたので、早々に店じまいしたんだそうです。
この日、少し前にお店にいなかったのは、小用で自宅まで戻って来たんだとか。
そんな偶然が重なって「鐘家酿皮」では食事できませんでしたが、でも、最後にはちゃんと会えました!!!\(^o^)/
ここで暫く世間話。
息子さんの大学生活の話なども聞いている間に、テイクアウトのお客さんが何人もやって来ました。
こちら☟。カウンター奥に入って、テイクアウトの準備をしている奥さん。
ニャンピーのタレ、手前に見えている3つの内、左は「水溶きからし」。
右は、黒酢に唐辛子や香辛料が入っているみたいです。
真ん中は、大蒜の汁なんですが・・・・・・。
この色は・・・・・・、秘伝だから、大蒜以外にも何か入っているんでしょうね。
他に、カウンターの内側にも何種類かありました。
ニャンピーはそのものの喉越しも大切だけど、タレの奥深さも重要!
全て用意できてるものだから、注文してからほとんど待つことなく提供されるニャンピー。
気軽に食べられるので、手間のかからない食べ物と思いがちですが、お店ごとのこだわりがあるんですね。(*^-^*)
【杏皮水(シンピーシュイ) 】
ところで、上の写真の左下に「杏皮水(シンピーシュイ)」と言う飲み物が並んでいます。
レンジ色の輪っかがたくさん並んでいるように見えるかも?
メーカーは違いますが、こんな感じのパッケージです。☟
「杏皮水」、過去2回、色んな所で見かけることはあっても、買ったことはありませんでした。
でも、オムレツを食べた「敦煌風味餐庁」のノートで、「杏皮水」が美味しいというコメントを見かけたんです。
「ここの『杏皮水』は美味しい!」と言う書き方だったので、レストランの「杏皮水」は、こんな市販品ではなく、自家製のものだと思われます。
イメージ図。(笑)☟
それで少し、興味が湧いていたんです。
「鐘家酿皮」では何も食べられそうになかったので、それならせめて「杏皮水」を~と、買ってみました。
飲むと、思いっきりアプリコットジュース!!!
これは市販品なので、砂糖も入っていて少し甘め。
でも、美味しい!!!(*^▽^*)
名称が「杏皮水」というように、この飲み物は乾燥させた杏子の皮を水に浸し、弱火で煮続けて作るそうです。
敦煌夜市内の「秦州戸街」北門近くには、「杏皮水」を専門に扱うお店がありました。☟
ピンク色で囲んだお店です。
砂糖入り・砂糖なしの2種類から選ぶことができます。
残念ながら、私はここでは買わずじまい・・・・・・。(T_T)
「杏皮水」は敦煌を代表する飲み物なので、レストランのメニューにもあるはず。
機会があれば、ぜひ、お試しください。(^_^)/
【敦煌特産品「李広杏」】
ここで少し、敦煌特産品「李広杏」についてご紹介します!(*^-^*)
前述の「杏皮水」が敦煌を代表する飲み物と言うことは、その原材料である杏子も有名!
敦煌の果物は何でも美味しいので、前2回、小振りの杏子には目が留まりませんでした。
それを最初に食べたのは、敦煌から嘉峪関へ移動する列車内で、同じブロックの硬座にいた中国人旅行者がお裾分けしてくださった時。
その時、「せっかく敦煌に行って、なぜ買わないんだ?」と驚かれました。(^^;
そんなにもったいないことをしてしまったの???(笑)
とショックを受けたものの、その時はもう敦煌にいないわけでして・・・・・・。
おすそ分けの1個しか、私とは縁の無いものだったんだと思っていたら~。
「李広杏」、西安の我が部屋にやって来ました!!!☟
「順豊」という中国国内ではとても信頼されている宅配会社には、「杏子」専用サービスがあるようです。
それを使って、敦煌で知り合った方が「今、ちょうど収穫時期で、次回、いつ敦煌に来れるか分からないし、来たとしてもシーズンじゃなければ食べられないから」と送ってくださったんです。
ありがとうございま~~~す!!!\(^o^)/
段ボール箱の中には、発泡スチロールの箱。☟
その中に、保冷剤とともに、一つ一つ丁寧にネットでくるまれた「李広杏」がぎっしり入っていました。
夕方19時過ぎに敦煌で発送手続きを終えた「李広杏」。
「順豊」のアプリで確認していると、一晩中、西安へ向かって移動。
そして翌朝9時には、私の住んでいるマンション下までやって来たんです!
移動距離、およそ1720キロメートルです!!
スゴイ~~~!!!
ネットから出すと、こんな感じ。☟
少し小振りだそうですが、とっても甘い!!!
一人では食べ切れないので、知り合い数人にお裾分け。
「西安で売っているものとは種類が違って、すごく甘い!」と感想を送って来てくれました。
こんなに美味しい「李広杏」を送ってくださって、本当にありがとうございました。
必ずまた敦煌に行って、その時にお礼させていただきます!!!
専用運送サービスがあるほど、人気の高い「李広杏」。
味は保証します!
「李広杏」のシーズンに敦煌へ行く機会があれば、「杏皮水」やドライフルーツだけでなく、ぜひ、新鮮なままのものも味わってみてくださいネ。(^_^)/
この点、今回のブログが8月アップになってしまったこと、お詫び申し上げます。
「李広杏」のシーズンは「7月」なのです。m(__)m
因みに、「李広杏」の「李広」は、中国前漢時代の将軍「李広」に由来するそうです。
これで「小吃街」は終わりです。(*^-^*)
☝は、「小吃街」と「金山路」の交差点。
この次は、ここを西に直進して、党河へ向かいましょう!\(^o^)/
【西大橋~党河西路周辺】
党河の河縁までやって来ました!
この後、☟の赤線のように党河を横断します!(*^-^*)
【党河横断】
昨年12月、河底が見えていた時に、河を横断する足場の途中まで行ってみました。
仮に足を踏み外しても、凍った河底を歩くだけ~という安心感アリ。(笑)
その時の様子は、☟をご参照ください。(*^-^*)
せいあん!特別編_2018年冬 敦煌旅行記2日目(12月16日 日曜日)真冬の鳴沙山・月牙泉(正午)、白馬塔(夕刻)他 - せいあん!
せいあん!特別編_2018年冬 敦煌旅行記3日目(12月17日 月曜日)真冬の莫高窟・沙州故城(夕刻)他+4日目 - せいあん!
しかし、6月初旬、河の水が復活すると・・・・・・。☟
この足場を歩いていいの???
どこかに「水量復活、横断禁止!」の看板があるんじゃないかと思ったり。(^^;
確認しては見たものの、禁止する看板は見当たりません。
それじゃあ、渡るぞ~~~!!!(^_^)/
ちなみに、☝の写真は6月9日の19時半。
日の入り時刻は21時過ぎでも、この日は雲が多く、ちょっと薄暗いですね。
足場の真横まで来ました。☟
バランスを崩しても、右側に足を踏み出せばとりあえず大丈夫かな?(笑)
スタート前に、西大橋方向を目視。
冬場は、うっすら積もった雪の上に、足跡がついていたんです。
足場を渡って、少し前進。☟
西大橋側は、北方向になります。
南側に目を向けると・・・・・・。☟
鳴沙山が見えます!
水色の配管のようなものに遮られて、白馬塔大橋はよく見えません。
黄色いテントの辺りから、歩いて来る二人。☟
自分の足元を見ると・・・・・・。☟
澄んだ水の中に、藻の様子がはっきり見えます。
おおよそ、党河の中央辺りまで来ました。(西大橋側)
西大橋に設置されている龍の口から、水が流れ出てる!!!☟
冬場は河に水が流れていなかったので、当然、この龍の口もぽかんと開いたままでした。
南に目を向けると・・・・・・。☟
散策を楽しむ人々。
散策している人々は前方だけでなく、当然私が渡っている足場にもやって来ます。
私はのんびり写真を撮りながら進んでいるので、市民の皆さんの通行の妨げになることしばしば。
足場の石の端ギリギリに立って、道を譲りました。(^^;
そうやって、撮影した小魚たち。☟
かわいいな~。(#^.^#)
やっと、対岸まで到着。☟
今、私が渡って来た足場は、狭くても何とか対向できる幅がありました。
でも、右横に並んでいる丸い足場では、対向なんてとても無理。☟
前方をよく見て、状況把握してからでないとスタートできません。
因みに、写真に写っている看板は、「足元ご注意!」ではなく、ここで魚釣りをしようとする人への警告です。(笑)
【党河西路周辺】
対岸へ上がると、そこは卓球台が並んだレクリエーション広場。☟
ここから暫く河沿いを進みます。
対岸の様子。☟
南に目を向けると・・・・・・、6月初旬、水路に水は流れていませんでした。☟
【白馬塔路】
ここから右手の党河西路へ向かい、歩道に沿って南へ。☟
ここで気になったのが、この先右に曲がって延びる、白馬塔へ向かう道の名称。
昨年冬、白馬塔大橋のたもとの工事概況看板には「白馬路」、道路標識では「白馬塔路」とあるのに、百度地図で「祥雲路」となっているのを見て、敦煌在住のMさんに尋ねると、Mさんわざわざ問い合わせてくださいました。
その時の結果は「祥雲路」。
よろしければ、☟をご参照ください。(*^-^*)
せいあん!特別編_2018年冬 敦煌旅行記2日目(12月16日 日曜日)真冬の鳴沙山・月牙泉(正午)、白馬塔(夕刻)他 - せいあん!
ちなみに、こちら☟は2018年7月のものです。
せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月8日(日)_ 敦煌4日目_敦煌博物館2日目(宋代~清代他)・白馬塔他 (2019/2/7追記) - せいあん!
どちらも目次がないので、当日のブログのおよそ2/3辺りから見ていただくと、早く見つけられると思います。m(__)m
そして、月日は流れ、半年過ぎましたが・・・・・・。
道路標識では「白馬塔路」、2019年7月末の百度地図では、相変わらず「祥雲路」。☟
これは・・・・・・、もともと「祥雲路」だったものが、道路工事に伴って「白馬塔悪路」に変更される過渡期なのかな???
などと思いながら、白馬塔大橋の方へ向かいました。☟
この右手が、白馬塔の方向。
さて、昨年夏以前からの道路工事はどうなっているでしょう???☟
☝、正面から。
☟、少し角度を変えて。
木々の枝に緑の葉が生い茂っている以外、変化なし!(笑)
ふと、車が駐車している手前の空き地に目を向けると、青い看板が!
こんなもの、以前、あったっけ???
と近寄ってみると・・・・・・。☟
「白馬塔東路」と書いてあります!
これなら、道路工事の案内の横にあった地図と同じ!☟
今回、反対側の地図があるところまで移動する気力がなかったので(^^;、昨年夏に撮影したものを流用!☟
よく見ると、「白馬東路」と記載されていて、「塔」の字がない・・・・・・。(笑)
この地図☝、後ほどご紹介する沙州故城のコーナーでも再登場します。
今回は白馬塔には寄らず、このまま党河西路を引き返しました。☟
バイバイ、白馬塔大橋~!
党河西路を北へ!
西大橋へ到着する手前、昨年夏、映画撮影基地である「敦煌古城」へ行く際に利用したバスの停留地に差し掛かりました。☟
この看板☟、傷の入り方から、昨年12月から張り替えられてないみたい。
郊外の村への路線、今のところ変化ないようです。(*^-^*)
【西大橋】
西大橋のたもとに到着。
時刻は20時15分頃。
通りの向こうには、中国ならではの風景、広場舞を踊る人々の姿!
食後、こんな風に仲間と一緒に体を動かす風習があって、羨ましいなぁ~。
この右手には、西大橋の龍たちが、口から水を噴出中!☟
では、西大橋を渡りながら、右手(南側)に見える鳴沙山を堪能しましょう!(^_^)/☟
鳴沙山をバックに、私が歩いて渡った足場がよく見えます。(*^▽^*)
西大橋をほぼ渡り切る辺り、私の中では、ここがこの橋から鳴沙山を撮影するベストポイント!☟
ここから☟は、6月11日(火曜日)、15時45分頃撮影したものです。
この時間帯、龍の噴水はまだ稼働していませんネ。
この日、午後は風がきつくなり、鳴沙山が砂塵で霞んでいます。☟
でも、水の中は砂塵の影響はありません。
河底まで見える澄んだ水の中、魚がゆったり泳いでいました。☟
この日は西大橋を東から西へ移動し、沙州故城へ向かいました。☟
☝は、西大橋の西の端あたりからの景色。
沙州故城の様子は、もう少し後からご紹介します!(^_^)/
【西大橋夜景】
この後は、西大橋の夜景です!(*^-^*)
これから、☟の地図の黄色い線で囲った西大橋を、最初に南側(下)を東(右)から西(左)へ、その後方向転換して北側(上)に渡って、西(左)から東(右)へと移動します。☟
☟は、ちょうど4枚上の写真と同じ日に、同じ位置から撮影。
「西大橋東端の南側」から、西方向を撮影。
この日は、22時になっても龍の口からの噴水はありませんでした。
ちょっと残念。(笑)
それでは、西大橋を西へ渡ります!(*^▽^*) ☟
☟は、南側。
昼間なら、鳴沙山が見える方角です。
党河の中央でライトアップされている場所が、昼間河を横断した足場付近。
昼間の写真にもある「西大橋西端」から見た南の景色。
陽関西路を左手に見ながら、西大橋西端を北へ渡ります。☟
ここ☟からは、北側の景色です。
☝、「西大橋西端」から見た北の景色。
私はこれまで西大橋は南側の歩道を歩くことが多く、北側の歩道からの写真は珍しいんです。(笑)☟
☟の写真、既に西大橋東端まで戻ってきています。
「西大橋東端の北側」から、西方向を撮影。
ここで写真をとる時、すぐ側にあった幟がレンズに被って来ました。
幟を避けて立ち位置を決めればいいのですが、橋を写す角度から、どうしてもそこに立ちたかった私。
左手で幟の端を持ち上げ、右手でカメラを構えていたら、側にいた男性が幟を持ってくださり、ポツリと一言。
「この角度、なかなかいいね」
二重に嬉しい出来事でした。(#^.^#)
この場所から、最後にもう一枚、北側を!☟
党河の夜景、綺麗ですね~。(*^-^*)
以上、「西大橋~党河西路周辺」でした。
【鳴沙山】
お待たせいたしました~~~!!!
ここから、ついに鳴沙山のご紹介です!!!\(^o^)/
でも、今回・・・・・・、莫高窟には行っていません。
よって、鳴沙山のご紹介に全力で臨みます!!!
6月11日(火曜日)、私は2回鳴沙山へ出かけました。
ブログ用に用意した写真は、鳴沙山パートだけで120枚ほどあります。
7月、記事を一つもアップできなかった分、ファイル利用量に余裕があったんですね~。(笑)
たくさんあるので、文字部分を読むのが面倒だったら、写真だけスイスイスイ~~~とスクロールしながら見ていってくださいませ!(*^-^*)
【午前~昼過ぎ】
③路線バスの「中医院」からバスに乗り込み、鳴沙山へGo!!!\(^o^)/
運転席の横にある、料金支払い設備。
☝の写真の下真ん中にある透明なケースがかぶさっているものが、昔ながらの現金を投入するところ。
その左隣の設備には、二つの機能があります。
赤い文字が書かれている場所は、交通カードを読み取る部分。
その上、細い黒線で囲われている部分が、スマホのQRコードを読み取る場所。
そして、一番左には、これまた機能が二つあるみたいです。
私は利用したことがないので詳しくないのですが、上側には銀聯カード払い(?)、下側には「雲閃付」というAPPを用いて支払うもの。
支払い方、たくさんありますね。(*^^*)
この前を過ぎる道路は「祥雲路」、右に曲がれば白馬塔大橋へと続きます。☟
こんな写真が撮れるのは、一番前の席に座ったからデス!
鳴沙山が見えてます!☟
③路線バスを降り、一般車両侵入禁止が始まる場所から北側を撮影。☟
6月11日(火曜日)の9時50分です。
☟、同じ場所から南側。
ここから「ツーリストセンター」へ向かう途中、今回は少し寄り道してみました。☟
☝は、天気の悪かった前日6月10日(月曜日)の19時15分、雷音寺の見学終了後に撮影したものです。
観光客が駐車場からツーリストセンターへ行く時に、痛いほどの太陽を遮るための巨大スカーフや帽子などを買ってもらおうと、待ち構えているお店の数々。☟
☝は6月11日、朝の写真です。(*^-^*)
確かに、砂丘を登ったり、駱駝に乗ってる人たち、ここで見かけるようなスカーフを体に巻き付けていました。
勿論、楽しい気分で駐車場に戻る時、記念品を買ってもらおうと待っているお店もありますよ!
土産物通りの入り口側にあった、観光案内図。☟
こちら☟、 6月10日、白い空を背景に、記念撮影!(^_^)/
【現金引き出し可能ATM】
ここで、上の写真の一部を拡大してお届けします!
決して、私の顔のアップを載せるのが目的ではございません。(笑)
赤矢印の指す場所に、ご注目ください!
この扉の奥に、ATMが2台あります。
1台は私も利用した中国銀行、もう1台は確か、農業銀行だったと思います。
なぜ、ATMをご紹介したかといいますと・・・・・・。
今年6月時点でも、昨年同様、「靴カバーと駱駝に乗るための料金」は、依然として現金だったからです。
すっかりスマホ決済に慣れ親しんでいた私。
これまで「靴カバーと駱駝に乗るための料金」だけは現金だったことを忘れ、現金を持参していませんでした。(^^;
幸い、念のためにとキャッシュカードは持参していたので、ATMへ駆け込みました。
現金を持っていなかったら、そしてその時キャッシュカードを持っていたなら、ここのATMで現金を引き出せますヨ。(^o^)
【チケット購入方法:Wechat・Alipay】
上述したのは、ゲートを入ってから必要となる料金について。
ここからはゲートを通過するために必須の入場チケットの購入について、昨年12月とはまた違った方法があったので、お知らせします。\(^o^)/
では、チケットセンターに入りましょう!☟
こちら☟は、昨年末、2018年12月に入場する際に使用した端末機。
今回はこれ☝ではなく、チケット売り場窓口の足元にも紹介されている「扫码购票 直接入园(スキャンしてチケット購入・直接入場)」というやり方に挑戦してみました!☟(^_^)/
窓口に用はないのに、窓口前まで行くのも気が引けたので、柱に貼ってあったものを利用。☟
☝だと、キャッチフレーズが「快速入园(素早く入園)」バージョン。
このQRコードは「支払宝(Alipay)」と「微信(WeChat)」に対応しています。
この写真のQRコードをスキャすると、以下ご紹介する画面が出てくるので、興味があったら途中まで試してみるのもおもしろいかも?
上のQRコードをスキャンすると、☟左画面が現れます。
☝左は、シーズン成人チケット「¥110元」・シーズン子供チケット「¥55」の下にも、いくつかチケットの種類があります。
その中から必要なものを選び、必要なチケット金額の下にあるオレンジ色の「预订(注文)」をタップ。
すると、☝右の画面に切り変わるので、赤丸で囲んでいる「允许(許可)」をタップ。
☟左画面が出現します。
ここで、枚数を選択し、氏名・電話番号を入力後、オレンジ色の「确认提交(確認送信)」をタップ。
すると、☝右画面になり、「待使用(使用待ち)」状態の情報が表示されます。
この画面で、「入园凭证(入場証明書)」をタップすると、入場ゲートで読み込むQRコードが表示できます。
その他、ショートメッセージでも案内が届きます。☟左
☝左の「二维码地址(QRコードアドレス)」をタップしても、☝右の入場用QRコードを開くことができます。
以上、チケットの準備完了!\(^o^)/
ゲートへ向かいましょう!☟
通過する入り口は、紙版チケットの時と同様です。
設備にQRコードを読み取る箇所がありました。
私が入場した日は、ボランティアの係り員さんが私のスマホの位置を誘導してくださり、スムーズに読み込んで入場完了!(*^-^*)
中に入ると、ゲートから靴カバーをレンタルするまでの区間の右手が、大きく変貌していました。☟
以前はただ柱が並んでいただけだったのに、この夏は手前から「ボランティアサービス」・「インフォメーション」・「解説サービス」と並び・・・・・・。
そして一番端に、今はやりの「古装体验(古代衣装体験)」コーナーが!☟
この時も、中で衣装を選んでいる人、いますよ!(^o^)
過去何度もご紹介しているので、靴カバーレンタルは省略して、奥へ進みます!(^_^)/
☝、10時半、既にたくさんの人が来てますネ。
この石碑の前で写真を撮るの、順番待ちが大変。☟
「鳴沙山月牙泉」の額が掛かっている門をくぐって、中へ入ります!\(^o^)/☟
門の下から、左・正面・右と撮影。☟
最初に駱駝に乗りたいので、右方向へ移動。
ついでに、案内板を撮影。☟
☝右の2つについては、☟の記事で説明を簡単に訳しています。
関心を持たれましたら、ごらんください。(*^-^*)
せいあん!特別編_2018年冬 敦煌旅行記1日目(12月15日 土曜日)真冬の鳴沙山・月牙泉(夕刻)他 - せいあん!
これにも目次がありません。m(__)m
だいたい、この記事の半分少し過ぎたあたりです。(*^^*)
駱駝乗り場が見えて来ました。☟ワクワク~~~!!!
【駱駝に乗る】
駱駝乗り場前の広場に並んだ、ラクダの人形たち。☟
何だか踊ってるみたい。(#^.^#)
ラクダの広場舞?(笑)
それでは、用意した現金を手に、駱駝乗り場へ向かいます!(^_^)v
駱駝乗り場のチケット売り場。☟
チケット売り場の側から入って行った、駱駝乗り場。☟
撮影時は駱駝しか見ていなかったので、西安に戻って写真を整理するまで、燕がこんなに大きく写っていたなんて思いもしませんでした。(*^-^*)
この写真の主役は、燕に持っていかれた感じ。(笑)
これから駱駝に乗って出発です!☟
夏場は疲れるのか、ぐったり横たわっている駱駝も。
抜け毛の季節なので、見た感じ、いっそう弱っている印象を受けます。
駱駝引きのおじさんに、私がスマホのロック画面に使っている、昨年冬に撮った駱駝の写真を見てもらうと、「冬場の駱駝は毛が多くてかわいいなあ!」と言われていました。
本当にそうなんです!!!\(^o^)/
私の一番お気に入りの写真、スマホロック画面用にちょっとだけ加工したものをはっちゃいます!(^^)/☟
こちら☟、同じグループになったお二人。
今回、私が乗った駱駝のチームは、人数少なめの3人でした。
男性はロンドン留学の休みを利用して帰国中。
女性はなんと、西安にある陝西師範大学の学生さん。
彼女も中国古代の衣装をレンタルしています。(*^^*)
最近、第三者のWechatモーメンツに「いいね」をしたら、そこへこの彼女が登場!
自分の知らない所で、友達の輪が繋がりました。(*^-^*)
今回、私は駱駝を引いているおじさんに写真を撮ってもらいませんでした。
おじさんも、「あの人は何回も来ていっぱい撮ってるから撮る必要ないけど、あんたらはどうする?」と二人に確認していました。(笑)
当然、二人は撮影をご所望。
この二人が写真を撮ってもらっている時間を利用して、私は周囲や二人を撮影。☝
鳴沙山の砂の色に、スカーフと上着の柄の赤色がよく映えます!
手前に、私が乗った駱駝の頭も写っています。(#^.^#)
この場で撮った写真です。☟
写真を撮らず、先に進む隊列。
上の駱駝の隊列とは反対側の景色。☟
この少し先で、プロのカメラマンが駱駝に乗った旅行客一人一人を撮影。
その写真は、ゲート手前の展示場所にずら~~~っと並べてあります。
シーズンになると、買わない人の物はそのまま一日中置いてあるようだったので、その枚数は膨大なもの。
欲しい人は、「砂の数ほど」と比喩したくなるほどの枚数の写真の中から自分が写っているものを探し出し、買って帰るんです。
私、当然、買うつもりでいました。
ところが、「マスクを外し、帽子をとらないと写さない!」とカメラマンに叫ばれ、間に合わず素通りすることに。(T_T)
カメラマンも、そんな写真を撮って万が一にも売れ残っていたら、「顔の写っていない写真、誰が買うんだ?」と、上司(雇い主?)から批判を受けることになりかねません。
それは分かるので、仕方ないのですが・・・・・・。
私は自分が乗った駱駝の写真が欲しいのであって、自分を見たいわけじゃないんですケド。
結果、今回は駱駝に乗った写真がありません。(T_T)
もう一つ残念なこと。
それは、同じグループの二人、駱駝引きのおじさんに「東峰の下まで行くか?」と問われ、「以前、別の場所で砂丘には登ったから、ここ☟から先には行かなくていい」と、回答したこと。
2対1なので、大人げなく「東峰まで行く!」と主張するのも憚られ・・・・・・。
ここから右へカーブして帰途に就くことに。
東峰からの景色を見ることができず、残念。(T_T)
アッと言う間に、終点に到着。☟
せめて、駱駝から降りた後、自分が乗った駱駝と記念撮影。☝
この駱駝、マスクみたいなものを付けています。
何のためにつけてるんだろう???狂暴で噛みつくとか???
気になって駱駝引きのおじさんに尋ねると、この駱駝はブルブルと息を吐いて唾を飛ばす癖があるんだそうです。
それがすっごく臭くて、おじさんたち達駱駝引きにも耐えがたいとか。
それで、ブルブルさせないために、口元を覆っているんだそうです。
3頭の駱駝と、駱駝引きのおじさんが去っていきます。☟
バイバ~~~イ!!!
ありがとう~~~!!!(ToT)/~~~
【月牙泉と月泉閣】
駱駝を降りてすぐの場所にある、飲み物を提供する場所。
冬場は閉まっていました。
月牙泉の方へ歩いていきます。☟
☝、道路の西側。
☝、道路の東側。
月牙泉を撮影するベストポジションと看板があった場所から。☟
そのすぐ側にあった、風と砂埃を観測する設備。
この設備、去年夏と冬の写真を見て確認すると、ず~っとここにありました。(笑)
私が気付いていなかっただけ。(笑)
この日は学校行事で来ているグループもいました。☟
中国の制服は基本、ジャージです。
赤白のジャージに、帽子やリュックはオレンジ。
鳴沙山でレンタルする靴カバーもオレンジ色。
まるでコーディネートしたみたいに、ピッタリな色合いではありませんか?(*^▽^*)
それでは、月泉閣の方へ行ってみたいと思います。(*^-^*)☟
☝夏と☟冬の対比。
月牙泉に沿って、月泉閣へ。☟
月泉閣の下辺りまでやって来ました。☟
階段を上った途中から、月牙泉を撮影。☟
☝夏と☟冬の対比、その2。
階段の踊り場部分のすぐ横に生えていた草花。☟
ここには、月泉閣他、墨池雲・聴雷軒があります。
☟、右側の高い建物が月泉閣。
墨池雲はこの1枚☟しか映っていませんでした。(^^;
ただの売店だと思って、スルーしていました。(ーー゛)
中央の建物が聴雷軒。☟
聴雷軒と月泉閣は回廊でつながっています。☟
聴雷軒の2階へ続く回廊。☟
【月泉閣の大鐘】☝☟
参考として、簡単に訳してみたいと思います。(*^-^*)
【月泉閣の大鐘】
月泉閣の大鐘は、敦煌人の劉積賢・劉積禎兄弟が家族を伴い、1994年の端午節、月泉閣の古代建築群一期工事落成に際し、自身の一族が故郷をこよなく愛しているという思いを示すため、鳴沙山月牙泉観光地区に寄贈したものである。この鐘は、高さ1.65メートル・直径1.4メートル、鋳鉄により造られた。鐘の銘文は既に他界された敦煌の書家・姜家誠が書いたものである。
と言うことは、この鐘だけでなく、ここにある建築物も1994年に再建されたものなんですね。
でも、敦煌旅行記(その1)の「雷音寺」の部分でも書いたのですが、砂埃を大量に被った屋根瓦は随分古びて見えて、すごく歴史があるように見えませんか?(*^^*)
☟は、聴雷軒の向かって右側。
☟、大鐘の後方に、敷地から外へ出る出入口があります。
この古代建築群をもう少し見学した後、ここを出て砂丘登りへ向かいました。
聴雷軒の向かって右側の階段を上った場所から。☟
聴雷軒2階から見た、回廊と月泉閣。☟
月泉閣、回廊の向こうの部屋では、願掛けの札を吊るしたり、お土産物を販売していました。☟
月泉閣から見た聴雷軒。☟
月泉閣から西側。☟
これまで、下から見上げるか、もしくは敷地内を素通りしていた月泉閣他の建物。
日陰を提供してくれるこの場所は、体力回復を待つのにぴったりでした。(*^-^*)
【砂丘登り】
続いて、鳴沙山での最後のイベント、砂丘登りに向かいます!☟
ここを登るのですが、1997年に初めて来た時以外、あのてっぺんまで登ったことはありません。(^^;☟
暑くない冬でさえ、途中、適当な場所で引き返して来ていたので、今回もそうであることは言うまでもありません。
ここは、東峰よりはるかに距離があるんです。
どこまで頑張れるかな~~~?
途中止まらず一気に登り、もう限界と立ち止まったのが、この辺り。☟
上を見ると、まだまだ先は長いなぁ・・・・・・。☟
ちょっと休んで、再チャレンジすれば頂上まで行けたかもしれませんが、暑さにヤラれ、気力体力ともにナシ。(^^;
頂上制覇は断念して、この場で記念撮影。☟
同じ位置から、月牙泉方向☝と、小泉湾広場☟方向。
後は、階段の横を靴カバーに物を言わせ、滑り降りるだけ!
どんなに疲れていても、この楽しみは味合わねば!
と言いますか、階段を歩いて下りる方がよほど時間がかかり、疲れるのデス。(笑)
【湧き水】
砂丘の上から見えていた道路を出口へと向かいます。☟
☝は、出口に向かって左手の様子。
下の写真で、道路左に数本背の高い木が植えてある、その少し手前ぐらいです。
☝の写真、なぜピンクの囲みと⇩があるかといいますと・・・・・・。
ここ☟で水が湧いていたのに気付いたので、ご紹介したなぁ~と。(*^-^*)
「鳴沙山月牙泉」というWechat公式アカウントの「全景导览(パノラマガイド)」によると、この木は「夫妻柳」と呼ばれているそうです。
これまで、戻る時にも途中から道を左に逸れ、砂の上を歩いて駱駝を見に行っていたので、この木の下を通ることがなかったように思います。
写真では水が湧き出る際に起こる、小さなかわいい波紋が見えないのが残念。☟
ここに湧水があるから、他の緑地とは少し離れた場所ではあるけれど、夫妻柳が生きていられて、係り員さんに木陰を提供できるんですね。(*^-^*)
【午前の部、終了!】
上述の大木の位置からまっすぐ門の方へ歩いても良かったのですが、そこはやっぱり駱駝大好き人間なので、駱駝乗り場の方へ自然と足が向きます。(笑)☟
夕方、また来るよ~と、心の中でご挨拶。(^^)/
駱駝乗り場手前の広場の、ラクダの人形たちにもご挨拶。(*^-^*)☟
背後を振り返りながら、ゲートへ。☟
ゲート到着!☟
緊張の一瞬!!!
帽子・スカーフ・マスクにサングラスと眼鏡まで外して、顔認証システム前に直立。
再入場するために、「これでもか!」というくらい、顔認証登録を繰り返したのは言うまでもありません。(笑)
だって・・・・・・、初めて登録した時に失敗して以来、登録できたという自信が持てないんです。(^^;
ゲートを出て、土産物売り場の側を通って・・・・・・。☟
13時50分、③路線バスの始発停留所に到着!☟
以上、「午前~昼過ぎ」の部でした。\(^o^)/
【夕方の部】
6月11日(火曜日)は、昼過ぎに街中まで戻り、「敦煌特色小吃街(市場巷)」経由で「沙州故城」へ行った後、夕方もう一度、鳴沙山へ向かいました。☟
この路上のアーチ型の看板の少し向こう、右手に、敦煌博物館があります。
乗っているのは、③路線バス。
今回もまた、一番前の席です。(笑)
博物館前を通過し、敦煌中学校の南側にある、鳴山路と文博路の大きな交差点に差し掛かりました。☟
ここは、前方の鳴沙山がよく見えます。
19時少し前、傾きかけた日差しを受けた土産物屋さん。☟
午前中とは雰囲気が異なります。(*^^*)
この2枚☟は、午前中も撮影した、一般車両立入禁止開始地点から。
ツーリストセンター前の様子。☟
旅行客、多いですね!
午前の部の写真は、前日6月10日(月曜日)の19時半前。
なので閑散としてましたが、11日は午前中も人でいっぱいでした。
私は再入場なので、ツーリストセンターには立ち寄らず、道路をまっすぐ歩いてゲート前に行き、再入場専用入り口へ。☟
今回は問題なく通過。\(^o^)/
夕日を浴びて、クッキリ見える鳴沙山の稜線をご堪能ください。(*^-^*)☟
☟は、入り口の門の少し右側です。☟
この時刻、かなり風が強くなっていました。
右下に写っている女性二人の赤い衣装とスカーフ、後方へなびいています。
午前中に駱駝にも乗り、砂丘にも登ったので、夕方は靴カバーのレンタルなし。
整地されたところだけを歩きました。☟
黄色い線の部分が、夕方歩いた場所です。
こちら☟は、門を入ってすぐの場所から光学ズームで撮影した、東峰方向。
陽が陰り初め、昼頃より涼しくなってきたので、登っている人もたくさん。(^^)/
駱駝の隊列が連なっています!
☟は、黄色い線を追加した写真の、破線の辺り。
砂丘の上からだと、ちょうど☝の駱駝隊後方にある低い砂丘に遮られ、道路が見えないので破線にしています。
幾重にも重なる砂丘を背景に、ゆっくり進む駱駝隊。☟
一番手前の砂丘の、尾根にご注目ください!☟
強風に飛ばされ、表面の砂が舞っているの、見えるでしょうか???
肉眼で見ると、飛ばされる砂粒が金色に輝いて、とってもキレイ!!!\(^o^)/
でも、これを撮るために、カメラにもスマホにも砂がかなり付着してしまいました。(^^;
来た道を戻ります。
門の方へ曲がる辺りに、観光用カート乗り場や、ジープ・バイクをレンタルする場所があります。☟
☟道路を門近くまで戻って、もう一度東峰方向。
この写真で見ていただきたいのは、右下に写っている方の傘が、風に煽られひっくり返ってしまっているトコロ。
これで見納めだなぁ・・・・・・。☟
なので、パノラマ写真も撮りました。☟
もう、当分来ることはかなわないんだと思うと、寂しい・・・・・・。(T_T)
駱駝たちに最後のお別れをするため、駱駝乗り場へ向かう途中、これから東峰に向かう駱駝隊を見送りました。☟
この時の時刻、19時45分。
日没は21時過ぎなので、これから駱駝に乗り東峰に向かう人はもっと増えてくるはず。
駱駝乗り場には、たくさんの駱駝が待機中。☟
右下に集まっているのは、日陰で休んでいる駱駝引きのおばさんたちです。
暑い中、毎日お疲れ様です。
駱駝たち、元気でね~~~!!\(T_T)/
何度も登場したラクダ人形をもう一度写して・・・・・・。☟
背後を振り返りつつ、ゲートへ向かいました。☟
鳴沙山・・・・・・、これで見納め。(ToT)/~~~
夕日を浴びた駱駝のぬいぐるみと「杏皮水」を眺めながらバス乗り場へ。☟
その途中、退勤中の駱駝たちに遭遇!!!\(^o^)/
そして、バスに乗ってからも、道路を横断する退勤中の駱駝たちに出くわしました!!
帰りも、一番前の席です。(笑)
最後の最後まで、駱駝の姿を見ることができて幸運でした。(*^-^*)
こうして、20時半、街中へ戻ってまいりました。
【沙州故城】
6月11日(火曜日)の昼間と夕方、鳴沙山へ出かけた合間に、沙州故城へ出かけてみました。
昨年の7月と12月で、説明ボードの写真は全て撮り、参考訳も完了しています。
それなのに、また出かけるのはなぜか?
それは、ここもすっかり思い出の場所になっているから。(笑)
「敦煌特色小吃街(市場巷)」に立ち寄った後、西大橋を渡って歩いてやって来ると・・・・・・。☟
☝、古城南路の入り口に、なにやら立て看板が設置されているのが見えます。
看板が置かれているのは車道なので、私は少し手前の歩道を左折。☟
歩道からでも、前方で道路工事が行われているがよく見えました。
状況を詳しく見るために、近寄ってみましょう!☟
遺跡を囲む片側の道路(古城南路)のアスファルトが掘り返されています。
因みに、昨年夏と冬はこう☟でした。
向かって右側は、工事中で立入禁止。
回るのは諦め、正面と左側を見に行きましょう!(*^-^*)☟
遺跡の手前に咲いていた花。☟
名前は分かりませんが、ピンク色の小さな花が可愛らしい!(#^.^#)
正面。☟
正面西端(右)。☟
正面東端(左)。☟
こちら側を、南の端まで歩きました。
東側(左)の南端。☟
南端、この角から先は、通行止め。
遺跡の真後ろまで回ることができません。
東側から、南端の歩道だけ撮影。☟
南端西側には、道路工事用重機が見えていました。☟
これ以上進めないので、退却!☟
故城遺跡の隙間からも、西側道路に停車している重機がよく見えます。☟
党河の東へ戻る際、古城南路に入ったばかりの場所に工事に携わっている方々がいらっしゃったので、工期について尋ねてみました。
でも、敦煌には敦煌の方言があって、聞き取るのがとっても難しい!!!(^^;
想像を交えながら理解できたのは、この古城南路の道路工事は白馬塔路の工事と連動しているということ。
位置関係は、☟の道路工事平面図をご参照ください。
道路工事そのものがどれくらいかかるかは聞き取れなかったのですが、近いうちに、もしかしたらもう既に、白馬塔へ続く道も舗装が完了しているのかも???
もし完了していたなら、車が通るたびに砂埃が舞い上がるため、息するのが苦しい!なんてこともなくなるんですけど・・・・・・。
でも、シルクロードの風情は半減するかもしれませんね。
沙州故城全体の様子をご覧になりたい方がいらっしゃったら、よろしければこちら☟をご参照ください。(*^-^*)
せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月9日(月)_ 敦煌5日目_敦煌古城・沙州故城・陽関中路の敷石他 - せいあん!
せいあん!特別編_2018年冬 敦煌旅行記3日目(12月17日 月曜日)真冬の莫高窟・沙州故城(夕刻)他+4日目 - せいあん!
どちらも、それぞれのブログの2/3くらいの位置に、関連部分があります。 <(_ _)>
【反弾琵琶伎楽天像】
今回のブログでは、まだほとんど登場していません。
お気づきでしたか???(*^^*)
これから当分の間、敦煌を再訪する機会はないと思うので、彼女についてもコーナーを一つ設けて、まとめて紹介しようと思っていたんです!
そして、やっと彼女の番になりました。\(^o^)/
場所は沙州路(南北)と陽関中路の交差点。
先ずは、日が暮れる前の様子をごらんください。(*^-^*)
☟は、沙州南路を北上中、バス一番前の席から。
☟は、沙州北路横断歩道の東側から。
☟、陽関中路西側と沙州北路の中間、中国電信の塔がある側から。
☟、陽関中路東側横断歩道の北側から。
6月9日(日曜日)、20時45分頃の半月。☟
ライトアップされた反弾琵琶伎楽天像。
☟、陽関中路東側と沙州南路の中間、中国電信の塔を正面に見ながら。
⇩アップ!!!
昨年7月も12月も、伎楽天像の足下に、ライトアップはありませんでした。
このデザインは蓮の花なんでしょうか?
夜、明かりが灯るととってもキレイ!(*^▽^*)
☟、沙州南路横断歩道の東側から。
☟、沙州南路と陽関中路西側の中間から。
斜め右に、敦煌夜市の道向かいにある益旺国際購物広場の屋根が見えています。
ここから少しだけ、陽関中路を西へ散策。(*^-^*)
敦煌市政府前広場の東端、陽関中路沿いのイルミネーション「シルクロード」。☟
☟、夜の鳴山路北端。
敦煌市政府前広場の西端、陽関中路沿いのイルミネーション「飛天」。☟
6月初旬から既に2ヶ月経過しているので、今も同じデザインのものがディスプレイされているかは分かりませんが、綺麗だったのでご紹介。(*^-^*)
陽関中路を東に戻って、陽関中路西側と沙州北路の中間(中国電信の塔の側)から、伎楽天像、夜の後ろ姿を!
上の撮影箇所から北回りで沙州北路を横断すると、そこには昨年冬宿泊した「天河精品酒店」があります。☟
「天河精品酒店」玄関前から見える、反弾琵琶伎楽天像。☟
昨年12月はホテルから出かける度、この角度の反弾琵琶伎楽天像を目にしました。
思い出深い角度です。(笑)
【敦煌牌楼】
こちらも、見納めのためにやって来ました。
6月10日(月曜日)、21時20分頃。
陽が沈んだばかりの時刻にやって来ると、牌楼側の街灯が既に点灯されていました。☟
光源がただの街灯なので、ライトアップと呼ぶには貧相なのですが、これまでこんな姿は見たことがなかったので、嬉しい~~~!!!\(^o^)/
上の2枚は市内側から。
下の3枚は、敦煌駅や空港から市内に入る東側。
最後の一枚は、半月と一緒に。
これまた想い出深い1枚となりました。(*^-^*)
【敦煌駅】
【敦煌夜市とお別れ】
2019年6月12日(水曜日)、7時20分チェックアウト。
この日は、この後列車に乗り嘉峪関へ向かいます。
2016年6月の旅行は期間短め。
敦煌滞在は9日午後から~12日朝までの、正味二日半。
慌ただしかったけれど、最後にもう一度敦煌に来られて、本当に良かった~。
そんな思いで見ると、緑洲島酒店の玄関から見る景色がとても愛しく感じます。☟
余談ですが、7月になると、ここの広場がビアガーデンのようになったそうです。
緑洲島酒店のフロントにいた女の子のモーメンツを読むと、夜遅くまで非常に賑やかで、睡眠に影響するほどだったとか。
去年はそんなモーメンツは見かけなかったので、イベント内容によるんでしょうね。
夜市エリアの真ん中にあるだけにどこに行くにも便利ですが、最盛期に賑やかなイベントが催されると、落ち着いて休めないこともあるかも知れません。
緑洲島酒店の玄関を出て、自分が宿泊していた部屋の窓を見上げて、お別れ。☟
夜市内を文昌南路の方へ移動し、三危路の東大橋にある駅行きのバス乗り場に向かいました。☟
この☝路地で朝食を売っているお店を見つけ、そこで列車内で食べる朝ごはんを購入。☟
クレープのような餅(ビーン)と、それで包んで食べるおかず三種類。
その他、バスに乗ったら飲もうと、棗とクコの実入りの豆乳も購入。
野菜を入れるケース代1元を含め、合計7元。(1元=16円換算で、約110円)
【バス乗り場から、敦煌駅までの景色】
バス乗り場には7時半前に到着。
バス停少し手前では、タクシー運転手が「バスは当分出発しないから間に合わない」と、適当なことを言っていましたが、それは無視(笑)。
バス乗り場で出発時間を尋ねると、8時だと言われ、ちょっと心配。
私が乗る列車はこちら。☟
9時12分発です。
私は普段、列車で移動する場合、出発の1時間前には駅に到着するようスケジュールを組みます。
出来れば、8時には到着しておきたい気分。
でも、料金を回収する係りの女性は、「9時台に発車する列車に合わせて、8時出発にしているんだから大丈夫。19分で到着するから」と自信満々。
以前乗車した時の記憶でも、移動時間はそれくらい。
心配なのは、駅に着いてからの安全検査や、構内の移動時間なんですが・・・・・・。
毎日同じ路線を通っている専門家が言うんです。
たぶん大丈夫!(笑)
豆乳を飲みながら待つこと暫し。
まだ少し席は空いていましたが、8時まで待つことなく、バスは7時55分に出発しました。
その後、長距離バスターミナル前で数名が乗車。☟
途中乗車の乗客を考慮して、定員いっぱいになる前に出発したんですね。
この後も、数人乗車しました。
バスターミナルを過ぎると、すぐに牌楼が見えてきます。☟
昨年12月は、ここを通る時にスマホで飛行機の座席指定を行っていて、気付いたら牌楼ははるか後方。
今回はしっかり目視して、心の中でお別れのご挨拶。
いつかきっとまた来るから、その時も健在で、一番に出迎えてね!(*^-^*)
バスは左折し、三危路から飛天大道に入りました。☟
鳴沙山を背後に、バスは陽関大道へ。
道沿いに見える飛天のモニュメント。☟
蔦が絡まり始めた葡萄棚。☟
☟「敦煌旅遊集散中心」
☟大型野外劇、「又見敦煌」の上演場所。
☟、「莫高窟デジタル展示センター」へ行く人は、ここでバスを降ります。
☟、木々の向こうにチラッと見えた「莫高窟デジタル展示センター」。
ここを過ぎたら、敦煌駅はもうすぐです。
8時12分、敦煌駅に到着。☟
敦煌駅まで、17分。
列車出発の、ほぼ1時間前には到着できました。(*^-^*)
☟この時、敦煌駅の玄関前は工事中。
【敦煌駅】
足元が悪く、大型トランクを引っ張ったり、持ち上げたりするのがちょっと大変でした。(^^;
入り口の安全検査、並ぶ必要なくあっという間に通過。☟
安全検査が済むと、そこはもう待合室。☟
☝、安全検査の方へ向かって、左手。☟
右手には、マッサージチェアが並んでいました。☟
安全検査場所の真向かいが、ホームへ出る改札口。☟
「K369」と表示されていますネ。
もう一度、切符に登場してもらいました。☟
通常、いくつか改札口があれば、右上に「检票(改札):〇〇」と改札口が表示されています。
でも、敦煌駅発の切符にはありません。
つまり、改札口はこの1箇所だけ。
安全検査を済ませてちょっと直進すれば、すぐ到着できます。
これなら、駅到着がもっと遅くても、余裕で間に合いそう。(笑)
待合室の窓から、ホームを撮影。☟
停車している列車が、「K369」です。
改札口を出れば、すぐ列車に辿り着けます。
上の写真を見ると、今見えているホームの向こう側にももう一つホームがあります。
去年、トルファンからやって来た時は、そちらのホームに到着しました。☟
☝は、去年のブログに使用した写真です。(*^-^*)
8時50分、改札スタート。☟
この日の「K369」、敦煌からの乗客はそれほど多くありませんでした。
☟、向こうに見えているのは「硬座」車両。
私は「硬臥」の4号車なので、写真手前に向けてちょっと歩かないといけません。
移動途中に写した列車のプレート。☟
「K369」は西安が終点です。(^_^)v
やっと、4号車に到着。☟
9時12分、列車はゆっくりと動き始め、見送っている駅員さんが後方へ消えて行きます。☟
【砂嵐】
この日は、今回敦煌滞在中で一番激しい風が吹き荒れていました。☟
車窓から見える防砂林が、斜めに傾いています。
敦煌空港も見えました。☟
どの写真を見ても、空は白く濁っています。
線路沿線に広がる葡萄畑。☟
緑の多い場所は、砂の舞い上がり方が多少マシ?
こちら☟の写真になると、視界がかなり悪いですよね。
地表の植物が少なくなるにつれ、舞い上がる砂が多くなり、どんよりとした空になってきました。☟
まるで日暮れ前のよう・・・・・・。
これ☟なんて、もしも外にいたら、目を開けられないレベルではないでしょうか?
こんな砂嵐の中、敦煌を後にしました。
この後は、嘉峪関篇に続きます!\(^o^)/
以上、 2019年初夏 敦煌旅行記(その2)でした。(*^-^*)
せいあん!特別編_2019年初夏 敦煌旅行記(その1):敦煌空港・敦煌夜市・雷音寺他
2019年6月30日 (日曜日)、明け方。
一時雨が続きましたが、また青空が戻って来た西安。
28日(金曜日)の夕方は、昼過ぎまでの雨模様が嘘のよう。
☟、左が朝登校途中、右が下校時の様子です。
ところが、夕方は・・・・・・。☟
自分の部屋の窓から身を乗り出し、西北工業大学の方向(東)を撮影。
何とか、左右に写りこむ隣のマンションの壁や、自分のベランダの柵などを排除。
ど真ん中の西北工業大学が管理するテナントビルがなかったら、もっと見晴らしいいのにな~。(笑)
最近、校内の柿の木から、青い硬い実がたくさん落ちてきます。☟
一度は、登校中、直撃を食らいそうになりました。
当たったら、かなり痛そう。(^^;
そんな青い柿の実を見ながら、「これが熟す頃、私はもうここにいないんだな~」と思い、ちょっとせつない今日この頃。(T_T)
💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛
6月9日(日曜日)から13日(木曜日)まで、敦煌と嘉峪関へ出かけて来ました。
またしても、敦煌!
だって、好きなんです。(笑)
嘉峪関は、昨年夏の旅行で行く予定だったのを中止したので、今回はリベンジ。
その時の様子を、敦煌2回、嘉峪関1回の、計3回でご紹介したいと思います。(*^-^*)
それでは、スタート!\(^o^)/
目次
【敦煌空港】
2019年6月9日(日曜日)、もうすぐ敦煌へ到着です!!!(*^▽^*)
今回、珍しく窓際席をとりました。
普段、私は通路側しか選びません。
降りる時素早く動けるし(中国化してます。(笑))、途中、お手洗いに立つ際、同列の人に気を使わなくてすむからです。
そんな私が、冬場ならいざ知らず、離着陸時にシェードを開けるとめちゃくちゃ暑い夏場に窓際席をとったのは、上空から莫高窟デジタル展示センターと敦煌駅を撮影するため。
前回、昨年12月に来た時は莫高窟デジタル展示センターを撮り損ねたので、「今度こそは!」と待ち構えていたんです。
ところが、「あれ・・・・・・?え???」と戸惑っている僅かの間に、敦煌空港に着陸してしまいました。(T_T)
敦煌郊外に入るまで、眼下に見えていた景色は前回と同じだったのに、何故~~~?
フライトが違う時間帯だから???
敦煌に自分の足で着地する前、既に目標の一つが失敗に終わってしまいました。(^^;
ボーディングブリッジを渡ってターミナルに移り、到着ロビーへと移動中、出発ロビーとはガラスで隔てられた通路から、乗って来た飛行機を撮影。
低い山以外、視界を遮るものがなくて、気持ちい~~~い景色!!!\(^o^)/
敦煌空港はこじんまりしているので、あっという間に到着ロビーへ下りるエスカレーターまで到着。
この後、下りてすぐお手洗いへ行って・・・・・・。
出て来てみたら、もうターンテーブルが回り始めていました!!!
乗客が飛行機からボーディングブリッジに移動を始めてから5分ほどで、荷物が出てきました。
いつもながら、速いです。(*^-^*)
【市内地図】
地図を必要とする箇所には再掲していますが、念のため、最初にも貼っておきます。(^_^)/
【東大橋(駅・空港行きバス)】
到着ロビーの出口に、今回も、市内行きリムジンバスへ勧誘する女性が立っていました。
市内まで、10元。
私は市内に入る前、敦煌駅に寄って、嘉峪関までの列車チケットを発券するつもりでした。
発券前にネット予約した便を変更したかったので、当日ではなく、事前に処理しておきたかったんです。
係り員の女性に尋ねると、駅で降りても10元とのこと。
たった数分で10元は、高すぎるでしょう???(笑)
空港前を走る陽関大道まで出さえすれば、市内と駅・空港を結ぶ路線バスが走っています。
それは冬場に確認済み。
この路線バスも、駅までだろうが、市内までだろうが、一律3元。
でも、10元より無駄遣い感が少ないではありませんか!(笑)
陽関大道までトランクを引っ張って移動しないといけませんが、目の前に見えている道までです。
この日は朝方雨が降ったとかで涼しく、陽関大道までの移動も、道べりでの待ち時間も苦にはなりませんでした。(*^-^*)
この後、敦煌駅に寄ったのですが、この時は写真を撮っていません。
敦煌駅については、次回ご紹介します。(^_^)/
10元で「高い」とか言っていたくせに、列車チケット入手後は、駅からタクシーで移動しました。(笑)
運悪く、駅前に路線バスが停まっていなかったのと、たまたま客を下ろしたばかりのタクシーが一台、その場に居合わせたからです。
これは運命~。(笑)
敦煌駅から陽関大道を西へ→飛天大道との交差点を南へ→三危路で西へ曲がり、牌楼を潜って、「敦煌汽车站(敦煌長距離バスターミナル)」前、駅・空港行きバスが停車している東大橋を通って、文昌南路の「敦煌夜市」入口までで、25元でした。(笑)
これ☟は、2日目の6月10日(月曜日)に写した「東大橋」。
この日は砂塵が舞い上がって、イマイチな天候でした。
橋の下の水路。☟
冬場は水が流れていませんでしたが、水量、すっかり復活。(^^)/
【敦煌夜市】
【ガイドマップ】
まずは、こちら☟をご覧ください!\(^o^)/
今回、こんなガイドマップがあることに気付きました。
(※このガイドマップは「南」が上、ブログ冒頭の百度地図は「北」が上です。)
どこにあったかと言いますと・・・・・・。☟
☝☟「秦州戸街」の北門両サイドです。
前回の冬場ブログでは「『秦州戸街』北側入り口」と表記していました。
今回見つけたガイドマップには「北門」とあるので、これからは「北門」と書くことにします。(*^-^*)
それにしても、前回、こんなかわいい地図を見た記憶はありません。
そこで、自分で書いたブログを検索。(笑)
撮った写真は全てパソコン管理しているので、現地で調べることはできません。
でも、ブログなら見ることが可能。
運よく写っていれば、私が見落としていたのか、それとも以前はなかったのか、疑問を解消できるというものです!
結果は・・・・・・。☟
ガイドマップはありました。
ただ、手書き風の可愛いタイプではありません。
そう言えば、去年夏のブログでこの地図を利用しようと思ったものの、なんだか味気なくて止めたのを思い出しました。 (^^;
去年夏バージョンでは、ブログには掲載していませんが、こんな地図がありました。☟
紫外線対策のための重装備で、自撮りしたもの。(笑)
これだと地図がはっきり見えますネ。
ここは、今回も宿泊した「緑洲島酒店」から西へ真っ直ぐ進んだ場所。(百度地図④)
「秦州戸街」を横切ると始まる「蘭州巷」が「沙州南路」に出た所です。
この場所の案内も、今年はこんな風☟に。
「敦煌夜市」エリアの全ての案内が、かわいい手描きガイドマップに張り替えられていました。(*^-^*)
【緑洲島酒店とその周辺】
もう一度、ガイドマップに登場してもらうと分かるのですが、宿泊先は黄色枠で囲んだ場所にあります。☟
「敦煌夜市」のほぼ中心。
シーズン中の宿泊には最適!
オフシーズンだとどうなるか?
それについては、よろしければこちら☟をご参照ください。(*^-^*)
せいあん!特別編_2018年冬 敦煌旅行記1日目(12月15日 土曜日)真冬の鳴沙山・月牙泉(夕刻)他 - せいあん!
では、ホテルとその周辺に視線を向けてみたいと思います。
この一帯、冬場は殺風景でしたが、6月中旬には既にライトアップが始まっていました。
ホテル前の通りのテントは、6月3日から6月25日まで開催されていた「2019丝路记忆・西北五省区非遗展演(2019シルクロードの記憶・西北五省区無形文化遺産公演)」の一環として、各地の特産が夕方になると展示されていました。
すぐ側の「新月広場」の」ステージでは、無形文化遺産の上演もありました。☟
舞台袖で出番を待っている人たち。
私が到着した9日は端午節三連休の最終日。
そのためか、広場前の人出も多く、22時過ぎくらいまでにぎわっていました。
ちなみに、この時期の敦煌の日没は21時10分頃。
22時過ぎと言えば、やっと空が真っ暗になったばかりです。
緑洲島酒店の部屋の中は・・・・・・。☟
まだオンシーズンが始まったばかりで空いていたおかげで、去年と同じ部屋に宿泊することができました。(*^-^*)
チェックインも終わり、敦煌博物館へ出かけるため、ホテルから「秦州戸街」の方へ移動しました。
百度地図だと、ホテルから左に向かいます。
チェックインでホテルに入る時、既に目にしていましたが、この分だと楽しみにしていたフルーツ盛り合わせは買えそうにありません。☟
ここからの写真は、6月11日(火曜日)の写真です。
緑洲島酒店とテントの間を西へ進むと・・・・・・。
青色の工事現場を囲む仕切りの内側では、せっせと作業が進められていました。☟
工事現場三枚目は、「秦州戸街」側から撮影。(百度地図③)
青い仕切り板の向こうに見えている黄色い看板が、緑洲島酒店です。
去年7月初め、フルーツ盛り合わせを買ったお店は、ちょうど青い仕切りの板がある辺りにありました。☟
去年の夏、緑色の看板「果然好甜」は横向きでよく見えませんね。
今年6月初めの時点では、何故か右側に移動させられています。
これ☟は、工事現場仕切り板に貼られた完成予想図。☟
今頃は完成して、旅行客でにぎわってるんだろうな~。
【秦州戸街】
去年7月のブログでは、通りの名前が分からず「歩行者天国」とご紹介していた「秦州戸街」。
シーズン中の敦煌で、夕方から夜中まで、一番賑わうのはこの通りではないでしょうか?
6月初めはシーズンの始まりくらいなので、去年7月初めに見たほどの人出ではありませんでした。
でも、昨年12月の閑散とした様子も知っているので、活気、十分戻ってます!\(^o^)/
このブログがアップする頃には、最繁忙期に突入していると思います。
ここからは少し、「秦州戸街」の様子をご紹介したいと思います。\(^o^)/
では、北門からスタートします!!!(*^▽^*)☟
北門を潜ると・・・・・・。☟
22時半頃の様子です。(*^-^*)
ほぼ同じ場所の、20時半頃。
まだまだ、明るい!
左右に並ぶドライフルーツの屋台。☟
ここ☟は、左手に揚げ物売り場、右手に「無公害市場」があります。
左手の揚げ物売り場。☟
この奥に、名物料理が食べられる広場があります。
それは後ほど、ご紹介!(^_^)/
右手の「無公害市場」の入り口にある、果物屋さんの冷蔵庫。☟
カットされた果物、色んな所で売られていました。
でも、この季節、冷蔵庫に入っていないものを買う勇気はなくて、ずっと眺めているだけ。
それが、宿泊先からこんな近くにありました!\(^o^)/
一ケース、10元。
その場でメロン1ケース食べ切り、更に買って、それも一気に完食!
この日は敦煌3日目で、鳴沙山から戻って来たばかりでした。
本来、通常以上に水分補給しないといけない所、途中のお手洗いなど考慮し、水分をあまり摂取していなかったので、喉がカラカラ。
喉だけでなく、全身水分不足だったようです。
メロン2ケース食べ終わって、ようやく満足しました。
その後しばらくして、ホテルへ戻る前にスイカ1ケースを購入。
これも食べ切りました。
敦煌の果物、美味しいデス!!!(*^▽^*)
では、「秦州戸街」の散策を続けましょう!
異なる日の、異なる時間帯の写真を、ほぼお店の並び順に並べているので、空の色合いがマチマチです。
この☝写真は6月9日(日曜日)の21時頃のもの。
夕日に照らされた雲が綺麗でした。(*^^*)
このまま、緑洲島酒店が見える工事中の広場辺りまで、数枚まとめてご覧ください。☟
緑洲島酒店側の工事現場まで到着!(^^)/
更に南へ、南門方面へ向かいますよ~~~!(*^-^*)
この夏はぬいぐるみではなく、☝の写真で上段にいる駱駝の足下から吊り下げられている、小さな鈴付きラクダを購入しました。☟
鈴の音を聞くと、鳴沙山を歩く駱駝たちを思い出して懐かしく、そしてちょっと寂しい気分になります。
いろんなお土産が売られていますが、どうしても駱駝に関するものに目を奪われてしまいます。(笑)
食事エリアに到着しました。☟
シーズン最繁忙期には程遠いですが、それでもお客さんが食事をしていて、賑わいは復活していました。☝☟
この☝写真は、南門側から北へ向けて写したものです。
「秦州戸街」南門に到着!(*^-^*)
門の足元にあるインフォメーションにも、新しいガイドマップが掲示されています。☟
「西域路」(百度地図では「西域西路」)から撮影した、「秦州戸街」の南門。☟
この賑やかな景色を見ることができて、幸せ~。(#^.^#)
ここで、昼間、「秦州戸街」北門の上から撮影した「秦州戸街」をご覧ください。☟
6月10日(月曜日)の11時過ぎ。☝☟
この日は砂塵が舞い上がっていて、背後の鳴沙山は見えませんでした。
この時間帯の「秦州戸街」は、人気がありません。
☝☟、昼間、観光客は莫高窟や鳴沙山に出かけているか、暑さを避け屋内で休憩しているので、大半のお店は夕方から営業を開始します。
以上、「秦州戸街」のご紹介でした。(*^-^*)
【名物料理広場・星光夜市】
下の門は、「秦州戸街」北門のすぐ側にある、食事エリアへの入り口です。(*^-^*)/
入り口の上には「敦煌夜市」の額。☝☟
それで、過去2回のブログではずっとこの奥の広場を「敦煌夜市」と呼んでいたのですが・・・・・・。
今回、ガイドマップを見ていると、今更ながら「文昌南路」・「陽関中路」・「沙州南路」・「西域路」で囲まれたエリア全体が「敦煌夜市」とされていることに気付きました。(^^;
ガイドマップでは、この広場は「名吃广场」と「星光夜市」と記載されています。
「名吃广场」は「名物料理広場」と訳してみました。
「星光夜市」は、広場の屋根がない位置を指しているので、星空が見える夜市と言うことで、そのままの表記にしたいと思います。(笑)
こちら☟、門から入ってすぐの「星光夜市」。☟
上の写真の奥側から、入り口側を撮影。☟
昨年見かけたのですが、突然小雨が降ったりすると、店員さんたちが素早くパラソルを立ててくれます。
屋根がなくても安心です。(*^-^*)
こちらは「秦州戸街」から揚げ物売り場前の通路を入ってきたところ。☟
昨年夏は、この並びの内の一軒で、「酿皮(ニャンピー)」を食べました。
今年は、昨年冬に見つけた飲食街へ出かけたので、この「名物料理広場」で「ニャンピー」は食べていません。
「名物料理広場」で食べたのは、過去2回も漏れなく通った「韓国快餐」の冷麺。
今年はトッピングの牛肉を追加してみました。(^_^)/
昨年夏・冬とも食べたキムチチャーハンは、食べる機会がなくて残念。
ところで、このお店は「名物料理広場」南東の角にあります。
☟の「百度地図」だと、②の位置です。
お店の裏手は「沙州市場」。
☟、中央奥に見えている灰色の屋根が「名物料理広場」。
その下に見える建物の左半分が「韓国快餐」。
この写真の「游客服务中心(ツーリストサービスセンター)」の看板が掛かっている建物の後方を左に進むと、あっという間に緑洲島酒店に到着します。
いつも、「秦州戸街」に出てウロウロしてから「名物料理広場」に向かっていたので、ちょっと距離を感じていたのですが、実はご近所だったんですネ。(笑)
ここから視線を「文昌南路」へ向けると・・・・・・。☟
「文昌南路」側から見ると、こんな感じです。☟
緑洲島酒店から、この「沙州市場」を経由すると、「百度地図」の①にあるお気に入りの「煎餅果子店」も、とても近く感じます。(笑)
今回も二日目の朝、ここで「煎餅」を買いました。(*^-^*)
【③路線バス停留所:中医院】
ここでは、緑洲島酒店から鳴沙山へ行く場合の、バス停までの最短経路をご紹介します!\(^o^)/
上の写真の場所は、☟百度地図の③です。
緑洲島酒店から③までは、一直線。
そこから西(地図だと左)に延びているのは、緑色に塗った「蘭州巷」。☟
この「蘭州巷」を「沙州南路」まで出た所④に、ガイドマップがあります。
今回の旅行では、この路地を頻繁に通り、「沙州南路」を渡って、百度地図⑤にあるバス停に向かいました。☟
赤矢印の先、黄色で囲んでいる場所に、バス停があります。
緑洲島酒店から鳴沙山に行くには、③路線バスの停留所「中医院」から乗車するのが一番近いんです。(*^-^*)☟
このバス停の路線案内も、昨年7月・12月から変わっていました。☟
デザインが違うだけでなく、下半分には、車のレンタルと、路線バス内でも広告があったり、運転手さんが車内で待ち時間に乗客におススメしている「陽関・玉門関・雅丹地貌」への往復バスの案内がありました。
あくまでバス往復費用で「78元」。(別途、見学用チケット購入が必要)
集合場所は「敦煌賓館(北院)」。
「早朝8時半集合、20時頃市内へ帰着」と、「13時集合、23時市内帰着」の2コースがあるそうです。
【敦煌博物館】
到着した日の6月9日(日曜日)、チェックインを済ませた後、閉館時間に間に合うよう急いで敦煌博物館へ出かけました。☟
今回の目的の一つは、昨年夏に知り合ったMさん・Yさんに会うこと。
もう一つは、1階の土産物売り場手前にある「範燕燕敦煌芸術中心」のコーナーでした。
範燕燕先生の研究室が「大唐西市博物館」内にあって、そこでご本にに出くわし、敦煌博物館内のコーナーが改装されたと伺いました。
今年5月18日に開幕式も盛大に行われたと、Wechatの公式アカウントでも見ていたので、どんな様子なのか、見てみたかったんです。☟
館内の展示物を一通り見て回って、螺旋階段を下りてくると、階下の様子を見下ろすことができます。
昨年12月に見学した時は、せっかく高さのある空間が活かし切れていない感じでした。
今の内装デザイン、とてもステキです!(*^-^*)
「芸術中心(芸術センター)」なので、敦煌壁画をデザイン化した高級シルク芸術を見学するのが展示の趣旨。
購入することもできますが、見学だけでもOK!
これは、大唐西市博物館内にある展示室と同じです。
範燕燕先生の作品以外に、周囲にはタンカの展示もありました。☟
公式アカウントの情報によると、「範燕燕敦煌芸術中心」では今後様々な展示を行うらしく、タンカはその第一弾だそうです。
博物館の見学の際には、時間があれば、こちらもぜひご覧ください。
高級なシルクの手触り、格別です!(^_^)/
最初に見て回った博物館の展示品で、一つ、気付いたことがありました。
昨年12月に、オリジナルだと確認した「清雍正八年鉄鐘」。
でも、何の囲いもなく、側に近寄って触ることも可能な状態で展示されていたのが気にかかっていたんです。
今回、その「鉄鐘」に囲いが施されていました!!!
簡易なものですが、これでレプリカと同等の扱いではなくなりました!
良かったね~と、知り合いの待遇改善が実現したのを喜ぶ気分です。(笑)
小雁塔のブログを書いた時、展示されている石碑や拓本と、説明に記載されている年代に食い違いがあることに気付いて以来、妙に気になって・・・・・・。(笑)
「鉄鐘」に年代を探してみました。
鐘の胴体にしっかり、「雍正八年?一日」とありました!!!
「?」とした部分は、「物」のようにも見えるし、左が「けものへん」にも見え、素人にはよく分かりません。(^^;
この背後に展示されたオリジナルの「石羊」は、相変わらず囲いナシでした。☟
もしかすると屋外に設置されていたもので、風雨にさらされていた時よりも断然良い待遇にあるということ???(笑)
展示物については、よろしければこちら☟をご参照ください。(*^-^*)
せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月8日(日)_ 敦煌4日目_敦煌博物館2日目(宋代~清代他)・白馬塔他 (2019/2/7追記) - せいあん!
ただ、やたらと長く、目次がないので、該当箇所を探すのが大変かも。
7月8日のブログの、およそ真ん中くらいの位置を目安にしてください。<(_ _)>
【雷音寺】
昨年、敦煌へは2回やって来ました。
その都度、鳴沙山へ行く途中で見かけていた「雷音寺」。
でも、入り口正面の写真は撮ったものの、中へは足を踏み入れたことがありませんでした。
今回は、ここを見学してみることにしました!(*^-^*)
「雷音寺」へ行くにも、③路線バスを利用します。
記憶が確かなら、市内からだと、「雷音寺」の一つ手前の停留所で下車する場合から料金が2元になります。
「月牙泉」方向の路線バスを降りた周辺の様子。☟
この日は6月10日(月曜日)。
何度も書いていますが、砂塵が舞い上がり、視界も空気もかなり悪い状態でした。
青空があれば、景色もきれいなのに・・・・・・。(T_T)
道を渡った後、鳴沙山の方を向くと・・・・・・。
砂塵が舞う中、鳴沙山がうっすら見えました。
歩道では、清掃員の方が街路樹の水やり兼埃落しを実施中。☟
見慣れている、「雷音寺」正面の「山門」。☟
では、中に入ってみましょう!\(^o^)/
門を振り返ると・・・・・・。☟
少し進むと、「雷音寺」の概要がありました。☟
真ん中の概要を拡大しますネ。☟
参考に訳してみます。(^_^)/
【雷音寺概要】
敦煌雷音寺は、西晋時代に建造、「仙岩寺」と呼ばれ、西晋の偉大な書道家である索靖が扁額を記した。十六国前秦時代の正式名称は「莫高窟」だった。その後、隋末唐初には「崇教寺」と呼ばれ、元代には「皇慶寺」となり、清初に「雷音寺」と改名した。1700年余りにわたる歴史を有している。1986年、敦煌仏教界は僅かに残った遺跡を基にかつての雷音寺を再建。再建された山門・天王殿・大雄寶殿は堂々として質朴である。2007年、雷音寺の僧たちは莫高窟172窟「西方極楽世界」の壁画に基づき、雷音寺の拡張工事を始めた。寺院の敷地は180ムー(12万平方メートル)。参詣エリア・僧侶生活エリア・修行体験エリア等に分けられ、大光明殿・鐘鼓楼・接続回廊・南北配殿等の主要な殿堂はみな唐風建築で、質朴堂々・雄渾豪健とした風格の建築である。雷音寺は信仰・説法・修行・教育・仏教交流を一体化した多目的仏教文化サイトである。
こちら☟は、概要の左隣にあったガイドマップ。
文字が小さく読めないと思いますが、山門後方の天王殿左右にある塔や、「敦煌雷音寺导览图」の文字がある辺りの建造物等はまだ建設されていません。
まだまだ拡張中です。
古い建築物は少ないのですが、規模がとても大きく、再建された建物も立派です。
とりあえず、見て行きましょう!
概要説明にも登場した「天王殿」です。☟
☝の扁額「天王殿」は、前中国仏教協会副会長「茗山長老」の手によるものだそうです。
中には弥勒菩薩像が安置されています。☟
左右には四天王像もありました。
「天王殿」の裏側。☟
凛々しく立っている像は、韋駄天です。
☝の扁額「三洲感應」は、元中国書道家協会首席啓功氏の手によるものです。
「天王殿」後方の空間。☟
正面に見えているのは「大雄寶殿」です。
向かって右には「南羅漢堂」、左には「北羅漢堂」があります。
「南羅漢堂」☟
「北羅漢堂」☟
「大雄寶殿」☟
この階段を上って、「大雄寶殿」内を少し覗いた後、右側に回って「大光明殿」へと向かいました。
ちょうど「大雄寶殿」の右横から右手を見ると、「財神堂」を発見!
御利益がありますように!!!と、高いところから拝みながら通過。(笑)
ここで、正面に見えた広々とした境内と立派な建物に、少なからずビックリしました!
正面に見えているのが、「大光明殿」。
この「大雄寶殿」の裏手は「瞻礼台」と言うそうです。
境内の建築物を瞻仰したり、礼拝するのに最適な場所と紹介されていました。
「瞻礼(せんらい) 」とは、仏語で、仏祖 を仰ぎみて礼拝することだそうです。
右手の「瑠璃殿」。☟
左手の「極楽殿」。☟
青空バックに見たかった~~~!!!
でも、晴れていたら暑くて、この広い境内を歩き回る気力はなかったかも。(^^;
【関煞洞】
階段を下りると、こんなトンネルを発見しました。☟
「関煞洞」と言うんだそうです。
日本語読みだと、「かんせつどう」?
説明があるので、参考に訳してみますね。(*^-^*)
「関煞洞」は敦煌地区独自の民間伝統建築。「関」は「開閉」、「煞」は「煞星」、即ち身近にいる悪神。話によれば「関煞洞」を三回潜り抜けると、災厄や病を払うことができ、神仏により平安が加護されると言われ、「鑽関」(この場合だと、「トンネルをくぐる?)」は次第に伝統的な民俗文化活動へと変化していった。「鑽関」の歴史は長く、莫高窟96窟には古代から残っている「関煞洞」が存在する。
階段に向かって左手。ここの横に、説明がありました。☟
階段に向かって右手。☟
実は、最初こちら側を見て、何の穴だろうと興味本位で入ってみました。
背の低い私でも腰をかがめないと進めません。
途中でもっと天井が低くなったらどうしようと不安になりながら進んで、無事外へ出ると、このトンネルの由来の説明があったというわけです。
そして、三回潜り抜ける必要があると知り、一度トンネルを引き返し、更にもう一度説明がある側へ戻って来ました。
その間、男女二人連れも中に入って行きましたが、1回で終わり。
厄払いで来てないよ~と教えてあげるべきか悩んでいる間に、二人は先へ行ってしまいました。(^^;
でも、私自身、ちょっと不安が・・・・・・。
同じ方向に進まないといけなかったんじゃないでしょうか???
反対に進むと、プラマイゼロで、カウントされない気が・・・・・・。
説明に、もう少し書いておいてほしかったデス。(笑)
では、境内にあった絵馬を見ながら先に進みます。\(^o^)/☟
少し前「関煞洞」に入って行った二人です。☝
中国では「祈願牌」と言うんですね。(*^-^*)
では、「大光明殿」に向かって右手の「瑠璃殿」へ向かいます!
☟は、向かいの「極楽殿」から見た、「瑠璃殿」の全景。
上の全景写真でいうと、「瑠璃殿」基壇左側から見た「大光明殿」・「回廊」・「鐘楼」・「大智殿」。☟
「瑠璃殿」の正面まで戻って階段を下りて、対面の「極楽殿」に向かいます。
その途中で「大光明殿」を撮影。☟
「極楽殿」に到着。☟
向かいの「瑠璃殿」から見た、「極楽殿」の全景。☟
全景写真の「極楽殿」基壇右側から見た「大行殿」・「鼓楼」・「回廊」・「大光明殿」。☟
この後は、「大行殿」・「鼓楼」前を通って「回廊」へ向かいました。☟
ごく最近建てられたものだと分かっていても、唐代風建築の連なりに心躍ります!!!
それに、建物全体に降り積もった砂のおかげで、見た目、色が新し過ぎず、いい感じに古めかしさが演出されています。(*^-^*)
階段を上がると、柱の連なりを見て、またうっとり。(笑)
柱の下を「大光明殿」の中心あたりまで歩いたところで、「大雄寶殿」方向を撮影。☟
少し外に出て、「大光明殿」を正面から。☟
鐘楼方向へ移動。☟
鐘楼の方へは行かず、「大光明殿」の壁に沿ってさらに奥へ。☟
案内板では建設待ちとされていた「祖師堂」・「学戒堂」・「禅堂」などが並んでいました。
でも、奥の方はまだ工事中。☟
この辺りの建物はかなり新しいハズなのに、砂塵が表面を覆っているおかげで、すごく歴史ある古い建物に見えます。(笑)
歴史あるものが見たい方には不向きかもしれませんが、鳴沙山へ出かける前、日が陰るのを待つ間、ちょこっと足を延ばすのにはいいかも知れません。(*^-^*)
以上、「雷音寺」でした。(*^▽^*)
【駱駝】
この日、この後は徒歩にて鳴沙山の「ツーリストセンター」まで行き、新しいチケット購入&入場方法があることを知りました。
詳細については、「2019年初夏 敦煌旅行記(その2)」でご紹介します!
じゃあなぜここで、わざわざ「ツーリストセンター」へ行ったと書いたのか?
それは・・・・・・。☟
「ツーリストセンター」からバス乗り場へ向かう途中、偶然、退勤中の駱駝隊に出くわしたからデス!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
「今日も一日お疲れ様~~~!!!」
ラクダを目撃して、テンションが一気にあがりました。(笑)
実は、この日に限らず、年齢のせいかかなり長期に亘って疲れ気味。
とにかく敦煌まではやって来たので、鳴沙山には入らなくてもいいかな・・・・・・くらい、弱気だったんです。
この日「ツーリストセンター」まで来たのも、「何か変わっていることがあるか、確認だけはしておこう」という感じ。
でも、ここで駱駝に出くわせたおかげで、考えが一変!!!
「明日、午前と夕方、2回来るぞ~~~!!!」
そう、今回は4日目午前中には嘉峪関へ移動。
そして、この日は2日目。
鳴沙山で、二度入場したければ、3日目に2回来るしかないのです。
と言うことで、次回は鳴沙山がメインになります。
またしばらく時間が空くと思いますが、アップできた際にはよろしくお願いいたします!\(^o^)/
追伸:
来週月・火と、留学生活最後の期末試験です。
今学期、旅行に出かけることも多く、あまり授業に出れていません。
明日(もう今日だ~~~)は、一夜漬けだ!!!(笑)
西安博物院:(その2)博物館_1階【臨時展】粗玉から玉器への道・【常設展】長安仏教彫像芸術陳列室、地下1階、2階
2019年6月24日(月曜日)、曇り。
最近の西安は雨がちで、今朝も小雨がぱらつき、昼間でも太陽は顔を見せず、最高気温24度と涼しいお天気です。
暑くないのは嬉しいのですが、青空がないのはちょっぴり寂し気がします。(笑)
☟は、昨日夕方撮影した、近所の公園の蓮の花。
昨日は午後から薄曇り。
少し暑かったので、気温が下がり始めた夜7時前、たくさんの人が公園を訪れていました。
蓮の花を背景に、プロのカメラマンを引き連れて記念写真を撮っている女性のグループも見かけました。
正に☝の景色をバックに撮影していたのは気付いたので、邪魔にならないよう木の陰から撮影していたら・・・・・・。
背後から、もう一人、同じグループの女性から「写真、撮っているので」と遠慮がちに声を掛けられ、慌てて退散。(笑)
いつの間にか夏至も過ぎ、池には蓮の花も咲いて・・・・・・。
帰国する日が間近に迫って来ました。(T_T)
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
前回、西安博物院の「薦福寺・小雁塔」部分をご紹介してから、随分日が経ってしまいました。(^^;
その間、何をしていたかと言うと・・・・・・。
月初めには来客があったり、その後、甘粛省旅行に出かけたり、上海まで手続きに行ってきたりと、私にしてはかなりハードなスケジュールに挑戦していたんです。
かなり疲れた半月でしたが、でも、とっても楽しい思い出になりました!!!(*^^*)
そして現在は・・・・・・。
期末試験対応&帰国準備のため、なかなか落ち着いてブログに取り掛かれず、結構焦ってマス。
帰国したら、ゆっくり落ち着いてブログを書く時間、無くなると思うんです。
今の予定で既に時間が足りず、帰国後に回す運命のものもあるのですが、出来るだけ今の内にがんばるぞ~!!(*^-^*)
それでは、西安博物院、博物館のご案内、スタート!\(^o^)/
目次
【外観・ホール】
前回、南山門までやって来ました。
ここから、☟地図の赤矢印に従って、博物館へ向かいます。
南山門から少し西に歩くと、博物館の建物が見えてきました。☟
☟、右へ曲がって進むと、博物館正面に到着。
中に入る前に、博物館の平面図をご覧下さい。☟(*^-^*)
博物館は地下1階、地上1階、2階の構成です。
先ずは、1階から見学しましょう!!!\(^o^)/
☟は、1階の平面図。
先ほどご覧いただいた博物館の正面は、東側から見たものです。
入り口から入って左手には、東門ホールの「Visitor Center」。☟
このカウンター右奥に、お手洗いや、給湯設備がありますヨ。(*^^*)
お手洗いの向かいには、常設展への入り口の一つがあります。
☟は、東門ホール右手にある土産物売り場。
☝の写真で青い上着を着た方が立っている側に机があります。
ファントム画像を鑑賞するなら、ここでチケットを購入。
ファントム画像鑑賞に関する情報はこちら。☟
鑑賞時間は14分30秒、鑑賞料金は15元。
「唐代の職人はどうやって塔を建てたのか?なぜ『雁塔』と名付けられたのか?古い塔は何度も地震を経験しながら倒れない『神合』の謎とは?」
大型歴史舞台劇をHolographic phantom imaging等の技術を用いて表現するそうです。
上映効果を保証するため、一度の上映で入場できるのは30人まで。
上映時間は午前9時から午後16時40分までです。
残念ながら、時間が無かったので私は見ていません。
見ていたら、中国語から英語に自動変換した技術「Holographic phantom imaging」がどんな技術か体験できたんですけど・・・・・・。(^^;
【臨時展覧室:粗玉から玉器への道】
それでは、中央のホールを突っ切って、先に正面にある臨時展覧室へ向かいましょう!\(^o^)/☟
⇩
展覧期間は「2019年5月18日から」。
展覧終了日について、パンフレットには記載されていません。
この展覧は、「国際博物館の日」を祝うため、西安博物院と宝鶏青銅器博物館が共同で開催しているものです。
西安博物院と宝鶏青銅器博物館が秘蔵している玉器の中から157組を選び、「璞玉渾金(粗金と琢いていない玉)」・「琢玉成器(玉琢かざれば器を成さず)」・「美玉如斯(美玉とはかくのごとし)」の三コーナーにより、玉器の製作工程、琢かれていない玉から美しい玉への変化が説明されています。
では、入り口から左回りで見学、スタート!(^^)/
【第一コーナー:璞玉渾金(粗金と琢いていない玉)】
今回から、序文等の参考訳は省略します。m(__)m
でも、関心を持った部分については、これまで通り翻訳に挑戦しています。
参考としてご覧くださいネ。(*^^*)
序文パネルの前に、「世界主要玉鉱分布図」がありました。☟
その中で、日本の上にも青数字④があります。
青色の数字が示しているのは、輝石の主要埋蔵地点。
④は「新潟県」です。
このコーナーの展示品をご覧ください。(^_^)/
このコーナーは原石がテーマだと思うのですが、いきなりとても綺麗な展示品が並んでいました。
そのいくつかをアップにしますね。☟(*^-^*)
左:瑪瑙耳填/漢代/駅から出土代/宝鶏青銅器博物院収蔵
右:瑠璃墜(pendant)/清代/刑事警察隊から移譲/宝鶏青銅器博物院収蔵
「耳填」をGoogleで翻訳すると「耳の詰め物」。
「耳栓」と言うことでしょうか?
説明カード上の該当部分の英語は「ear」です。
撮影した画面を見て、綺麗に写っているように見えたのですが、薄暗い上に私の目がかなりピンボケなため、実際にはピントが合っていないものがしばしばアリ。
申し訳ありません。<(_ _)>
トルコ石string ornament:
春秋/トルコ石/1992年5月、宝鶏益門堡出土/宝鶏市考古研究所収蔵
左:八棱瑪瑙勒/清代/収集/宝鶏青銅器博物院収蔵
右:瑪瑙人物飾帽花/明代/張宝琴からの寄付/宝鶏青銅器博物院収蔵
左:玉鐲/清代/刑事警察隊から移譲/宝鶏青銅器博物院収蔵
右:瑠璃鐲/清代/収集/宝鶏青銅器博物院収蔵
この玉と瑠璃の腕輪の実物、とても綺麗でした!(*^-^*)
次の壁には、材料の紹介がありました。☟
それ以外は、またまた完成品。☟
蚕形玉璜:
西周/1980年宝鶏宝鶏(弓魚)国墓地竹園溝十三号墓出土/宝鶏青銅器博物院収蔵
「(弓魚)」 は、「弓偏」の右に「魚」で構成される1文字です。
百度百科で検索すると、中国語の発音は「yu」、声調の表記は見つけられませんでした。
「西周早期の国で、史書に記載がないだけでなく、字典でもこの文字を見つけることができない」との記述もあり。
【第二コーナー:琢玉成器(玉琢かざれば器を成さず)】
ここからは、製造工程の説明を交えながら、加工された可愛い展示物が並んでいました。
☟の左壁に掛けてある、薄い水色の布に、製造工程が印刷されています。☟
「玉材は、その性質・色・形状等の特徴を全面的に考慮し、その玉材にふさわしい形状を選んで加工を施すことにより初めて、玉材を最大限に生かすことができ、最大の効果を得ることができる」と、ガラスケース内のパネルに説明がありました。
☟は、上の写真手前のガラスケースに展示されていた「玉魚」の一つです。
玉魚:
西周/1974年宝鶏(弓魚) 国墓地茹家庄一号墓出土/宝鶏青銅器博物院収蔵
この「玉魚」、大きさが魚と似通った材料から作られているそうです。
こんなかわいい小魚たちが、他にもたくさん展示されていました。☟
ここ☟では、 余材利用について触れられています。
「古代の職人は玉材の節約利用を非常に重視しており、大型玉器の加工後に発生する端材や欠陥品も、形の異なる小さな玉器に加工された」とあります。
ここで、水色の布に印刷された、色んな形状の玉の製作工程をご紹介します!\(^o^)/☟
【玉の製作工程:玉鳥】
1.形を作り、選擇した玉材に基づき、鳥の基本的な形を決め、アウトラインを決める。
2.打稿(?):Googleで翻訳すると「製図」となりました。
3.鳥の各部位の特徴をより詳細にし、「細陰線」を磨いて「寛陰線」にし、磨いて艶出しをする。
※「細陰線」を磨いて「寛陰線」にし:「細い下書きラインを太くし(?)」のような意味でしょうか???
このような加工が行われた玉器がこちらです。☟
真ん中の玉器の資料しか写していなかったようです。(^^;
玉鳥:西周/1974年宝鶏(弓魚) 国墓地茹家庄一号墓出土/宝鶏青銅器博物院収蔵
【玉の製作工程:玉牛】
1.形を作り、選擇した玉材に基づき、牛の基本的な形を決め、アウトラインを決める。
2.牛の四肢及び角・口元を作る。
3.その他の部位の特徴を具体化し、また「細陰線」で筋肉・目等の細部の輪郭をとり、磨いて艶出しをする。
☝左は、元写真でもピンボケではっきり読みとれません。m(__)m
それでも、3つとも「西周/1974年、宝鶏(弓魚) 国墓地茹家庄一号墓出土/宝鶏青銅器博物院収蔵」なのは、何とか確認できました。
【玉の製作工程:柄形器】
1.選擇した玉材に基づき、柄形器の基本形状を決める。
2.加工し扉棱(周囲に突出した線状の装飾)を作る。
3.図案を加工し、磨いて艶出しをする。
小さくて見辛いですが、この3点も上と同じ、「西周/1974年、宝鶏(弓魚) 国墓地茹家庄一号墓出土/宝鶏青銅器博物院収蔵」です。
次に、加工の際に使用された道具をご紹介します!(^^)/
【砣具(玉を琢く工具)】
砣具は機能が最も多く、最も普遍的に使用されていた玉を琢く工具。玉材の切削・図案の彫刻・玉器表面の研磨及び透かし彫りに用いられた。砣具は円盤状の工具。縁が薄い刃或いは平な状態で、器物の表面に中間部分が幅広く、両端が尖って浅い凹状の痕を残す。
上の左側の図は、砣具での切削イメージ図。
右側は、材料切断時にできた弧状の切削痕。
その下に「『ぼんやり』玉職人!」というタイトルがあります。
ある玉職人が砣具を用い外から内側に向けて玉の切れ目を切断する際、ぼんやりしていて手が震え、切れ目の対面に中間部分が幅広く、両端が尖って浅い切り傷痕を残してしまった。この結果、玉の見た目の価値は大きく値下がりしてしまったが、我々はこのぼんやり玉職人のミスのおかげで、玉の制作工程を見ることができる。
この職人さん、当時は親方にひどく叱られたことでしょう。
給料カットも、あったかも?
でも、遥か未来では、感謝されてますよ~~~!(^^)/
☟もおなじく、 砣具作業工程での典型的な痕跡が残っているものです。
この玉魚の片面には、中間部分が幅広く深く、両端が尖って浅い「陰線」があります。
「西周/1974年、宝鶏(弓魚) 国墓地茹家庄一号墓出土/宝鶏青銅器博物院収蔵」です。
【片具】
☟は、「片具」という工具を使用した際についてしまった切り傷。
☟はパネル写真の実物です。
幅が均一な切込みが入っています。
「片具」の切断痕跡「真っ直ぐ平らで、薄く鋭利」という特徴に完全に一致する。
とパネルに書かれています。
玉锛(手斧):
西周/ 1974年、宝鶏(弓魚) 国墓地茹家庄一号墓出土/宝鶏青銅器博物院収蔵
【「成形対開」と「対開成形」】
☟、古い玉が破損したり、気に入らない形の場合、玉をこよなく愛した古代人は、それらを再加工したそうです。
その方法が「成形対開」と「対開成形」という加工方法。
「成形対開」は、玉材に器物の輪郭を加工後、それを二つに割って、大きさ・形状が同じ二つ玉器にする方法。
「対開成形」は、先に玉材をいくつかに割り分けた後、それぞれに造型加工する方法です。
「成形対開」で加工された玉器は、重ねると造型が完全に一致しますが、「対開成形」で加工された玉器は、重ねると造型に多少の差異があることが分かります。
どちらの工法でも、玉器に「釘線打稿(?)」の痕が残っている。
と説明があります。
「釘線打稿」・・・・・・、加工する時につく線とか傷のことでしょうか???
パネルの下に並んでいるのが、これらの工法で加工された玉器です。
個別に撮影していなかったので、アップでお見せできません。<(_ _)>
【管具】
次は可愛い鹿が登場!\(^o^)/☟
右端の鹿を拡大します。☟
片雕回首玉鹿:
西周/1974年、宝鶏(弓魚) 国墓地茹家庄一号墓出土/宝鶏青銅器博物院収蔵
この見返り鹿、まるで型抜きクッキーみたい、美味しそう。(笑)
展示用の台が、鹿の形に成形されているのも可愛いデス!
この可愛い鹿がどのように加工されたか、説明があったので簡単にご紹介します!(*^-^*)
使用された道具は「管具」と言うそうです。☟
金属や竹・木等の材質で作られ、主に穴あけや「去料(不要な部分を取り除く?)」に用いられる。穴あけ方法には、「単向」と「対鑽」の二種類がある。「単向」での穴あけの場合、内径には一端が大きく、一端が小さいという特徴がある。また、「単向」での穴あけでは穴の芯の部分の材料は敲き落されるので、一端が小さい方の縁はあまり滑らかに整わず、穴の内側には明らかなバリができる。「対鑽」での穴あけの場合、両端の縁は比較的滑らかだが、突合せ接続の位置が正確でないため、穴壁がズレるという階段現象が起きる。その他、「管具」での穴あけ過程ではズレ現象が起こり、円状の加工痕が残る。
訳してみたものの、非常~に自信がありません。(T_T)
説明の下に描かれたイメージ図を見て、脳内補正しながら読んでくださいね。(^^;
美しい鹿の角、管具で穴あけ!
注意深いあなたは、きっと鹿の二本の角に螺旋状の回転痕があることに気付いたに違いありません。 この痕跡は玉職人が管具を用いて鹿の角に穴をあけ磨いた時にできたもので、穴あけ・研磨の際、管具に位置ずれが起こり、一筋一筋の回転痕が残ったのです。
せっかく鹿のアップを写していたのに、角度が悪い上、ピントも合っておらず、角を拡大しても回転痕は見えませんでした。(T_T)
鹿に関連する最後のトピックは、「興味深い漢字ーー麗!」。
一頭の鹿の頭上に、一対の綺麗な角が生えているのを見た我々の祖先は、非常に美しい(「美麗」)と感じ、そこから「麗」という漢字ができました。 「麗」は形声文字。
(※最後の「从鹿,丽声」は、「鹿偏、読みは丽『lì』 」でよいのか悩んでいます。)
【第三コーナー:美玉如斯(美玉とはかくのごとし)】
このコーナーでは、職人によって精緻に琢かれ、美しく変身した玉器が紹介されています。
【礼玉】
中国は礼儀の国であり、玉は礼を表すために必要不可欠な物だが、その役どころは時代によって異なる。太古の時代、玉の役目は主に天地の神・宗教に仕えることであり、特殊な意義を持っていた。そのため、玉礼器はみなひたすら大きく美しかった。商周時代になると、玉は祭壇を下り、統治階級の人間に仕えるようになり、その社会的属性はより多くが身分地位の象徴となった。秦漢以降、玉は貴族専属ではなくなり、次第に平民化・世俗化へ向かっていった。
玉は「霊能力を有する」物と美しさの象徴として、祭祀活動において非常に重要な地位を占めていた。主に璧・琮・圭・璋・璜・琥の六種類の玉器があり、古人は「六器」または「六瑞」と呼んでいた。≪周礼・春官・大宗伯≫には、「玉にて六器を作り、天地四方に礼をなす。蒼璧にて天に礼をなし、黄琮にて地に礼をなし、青圭にて東方に礼をなし、赤璋にて南方に礼をなし、白琥にて西方に礼をなし、玄璜にて北方に礼をなす。」と記載されている。古人は玉器の色と造型をそれぞれ結び付け、かつ陰陽五行説を組み合わせることで、天地四方を祭る六種の礼器を生み出した。
昔、四神が出てくるような漫画をよく読んでいたので、このパネルに目が釘付けになりました。(笑)
その他、このコーナーに展示されていた玉をご紹介します。☟
左:透雕荷花白鵝玉飾/明代/収集/宝鶏青銅器博物院収蔵
右:玉帯釦/清代/収集/宝鶏青銅器博物院収蔵
左:透雕石榴玉飾/明代/収集/宝鶏青銅器博物院収蔵
右:玉如意/清代/収集/宝鶏青銅器博物院収蔵
他にも、以下のような展示がありました。☟
これら以外にもたくさんありましたヨ。(*^-^*)
以上、「臨時展、粗玉から玉器への道」でした。
【常設展】長安仏教彫像芸術陳列室
ここからは、仏像が展示されている常設展を簡単に見て行きたいと思います。(^_^)/
かなり広いスペースに、さまざまな時代の仏像が並んでいます。
私は臨時展覧室の南側(レイアウト図下側)の扉から常設展に入りました。☟
【常設展:西側半分】
☟は、臨時展から側から入って来た周辺の様子です。
反時計回りに、壁伝いに見て歩きました。☟
真ん中の仏像は、「鉄仏像/唐代/1994年、西安市太白北路省水文局出土」と紹介してありました。
太白北路は徒歩で到着できる範囲。
比較的近い場所で出土している文物を見かけ、ちょっと興奮!(#^.^#)
進行方向を望むと、壁際に一列、ホール中央に二列、見えていない左壁際にも一列、それぞれ展示されています。☟
☝は、善業泥像/唐代/1985年、西安市雁塔区唐大慈恩寺遺跡大雁塔付近から出土。
☟は、説明を写していませんでした。(^^;
薄暗い中、ライトで浮かび上がる様子が幽玄。
こういう展示の仕方、趣きがあってステキです。
☟、中央に陳列された二体の「天王像」。
上の写真で、天王像の後方に見えていた「四神石棺」。☟
☝は、「四神石棺」の名称と、「唐代」としか情報が記載されていません。
上の二体の像の左に、ガラス越しに見えていた仏頭。☟
こちら☟も、情報ナシですみません。<(_ _)>
この二体☟は、なんとか説明が読み取れました。
左:菩薩像/隋代(情報、これだけです)
右:菩薩残躯/唐代/1984年、西安市碑林区の工場から出土(工場名、読み取れませんでした。(^^;)
左:観音像/隋代/1987年、西安市蓮湖区唐冷泉寺遺跡出土
右:菩薩像/隋代/1974年、西安市未央区崗家寨出土
見学してきた方を振り返ると・・・・・・。☟
ホールの大きさ、感じられるでしょうか?
ここからは、今見て来た側の反対側の、壁際と中央の展示です。☟
壁際には、主に宋・元・明・清時代のものが展示されていました。
☟は、どちらも「羅漢像」。
左:宋代/1983年、西安市城内西大街中段出土
右:宋代/1987年、西安市城内第八中学校内西側出土
中央陳列棚の手前部分には、北魏や隋唐の文物が並んでいます。☟
右:太和七年仏板/北魏太和七年(紀元483年)/1980年、西安市蓮湖区出土
☝の右から2番目をアップにします。☟
とても細かい!
小さな仏像一体一体の顔に、ちゃんと目鼻口が描かれています。
「仏板」の左隣☟は、「大業元年魏天得造仏像」。
隋代大業元年(紀元605年)/1978年、西安市灞橋区出土
台座の脚に刻まれている文字、見えるでしょうか?
更に左に展示されているものの、いくつかをご紹介。☟
左:鎏金仏像/唐代/1980年、西安市碑林区西北一印出土
中央:鎏金菩薩像/唐代/1985年、西安市未央区隋唐感業寺遺跡出土
右:鎏金観音像/唐代/1974年、西安市新城区出土
これら小さな像の左に、大きな像が並んでいました。☟
記録に残っていたのは、「左端が清代、その他は明代」ということだけです。(^^;
【常設展:東側半分】
ここで、一階フロアのレイアウト図を再確認しましょう!☟
臨時展覧室と接する入り口から入って来て、今やっと、真ん中辺りで幅が狭くなっている場所付近に到着しました。
記憶が確かなら、この通路状の展示スペースの壁際に展示されていた一体。☟
菩薩像/隋代/1987年、西安市蓮湖区唐冷泉寺遺跡出土
この通路のようになっている辺りから、進行方向を撮影したもの。☟
足元の矢印を見ると、見学ルートは「お手洗い前の入り口」から入って、右端からスタートするのが正解???(笑)
個人的には、左側から見始めても、特に不便は感じませんでした。
こちら☟、上の写真で左壁際に見えている展示物です。
詳細を撮影していないので、姿だけご堪能ください。(^^;
上の写真の向かい側、柱の壁面に沿って展示されている仏像。☟
この仏像は、「北魏/小雁塔所蔵」とありました。
☟、中央、ガラスケース内に展示されている「貼金彩絵観音像(Gilded Color-pained Statue of Goddess Guanyin)/北周」。
スマホを持って立っている男性の側に陳列されているのが、☝左の観音像です。
照明の色合いの関係で、全体に黄色っぽく、装身具の金が目立ちませんね。(^^;
壁際に展示されてる文物を代表して、☟の2点を。(^^)/
左:一仏二弟子龕式塑像/北周/1975年4月、西安市未央区草灘出土
右:一仏二菩薩龕式塑像/北周/1975年4月、西安市未央区草灘出土
レイアウト図で、お手洗い側の入り口から入って左手の展示物。☟
右:亭閣式塑像塔/北魏/1987年、西安市蓮湖区唐冷泉寺遺跡出土
ここから☟は、常設展のレイアウト図右端のスペースに入ります。(*^-^*)
右側の壁際に並んでいた龕式塑像。☟
上の写真の左側のアップが、☟左です。
左:一仏二菩薩龕式塑像/北周/1975年4月、西安市未央区草灘出土
左:菩薩像/西魏/1984年5月、西安市未央区六村堡公社(郷)中官亭出土
右:一仏二弟子塑像碑/西魏/1978年、西安市建国路二十六中学校内西南部出土
このスペースの一番奥にあった「楼閣式塑像塔/北魏/1987年、西安市蓮湖区唐冷泉寺遺跡出土」。☟
右側の写真、てっぺんがほんの少し切れてしまいました。(^^;
左側壁際の展示物。☟
左端の展示物を、☟左で拡大します。
左:景明四年杜供仁造釈迦仏像碑/北魏/1972年、西安市未央区出土
右:仏像/北周/西安市未央区漢長安城故城(北周都城)遺跡出土
左:始光五年背屏式弥勒菩薩塑像/北魏始光五年(紀元428年)/1974年、西安市雁塔区三爻村出土
右:正始元年清信女母子造一仏二菩薩像/北魏/1976年、西安市雁塔区冉家庄出土
この他、まだまだたくさん展示されていました。
仏像に興味がある方には、楽しい博物館かも?(*^-^*)
以上、「長安仏教彫像芸術陳列室」のご案内でした。
【地下1階】
この後は、ちょっと地下の様子を見に行ってみましょう!\(^o^)/
☝、矢印の先が東門ホールです。
地下に下りるには、上の写真のほぼ正面に見えている階段を下ります。☟
ちなみに、上の写真で写っていない手前にも、階段、ありますヨ。(*^-^*)
階段を下りていくと、地下ホールの中央には唐代長安城の巨大な模型があります。
階段を下り切って、模型南側から撮影。☟
模型の後ろにあった模型。☟
何と言うことでしょう!(゚Д゚;)
この模型の建物の説明を写していませんでした!m(__)m
足元にはこんなものも。☟
以上、地下の様子でした。(*^-^*)
【2階:書画・玉器】
続いて、急ぎ足で2階へ向かいます!(^^)/☟
【書画】
初めに、書画コーナーをチラッとのぞきましょう!
こんな感じで、書画が展示されていました。☟
時間も押してきていたことと、今のところあまり関心がなく、ここは素通りしてしまいました。(^^;
【玉器】
書画コーナーの反対側には、2つの区画に分かれていました。
一つはセミナー等を行う部屋。
もう一つが「玉器展示室」です。(*^-^*)☟
入り口には、中国古代玉器の吉祥紋様と寓意についての紹介パネルがありました。☟
入り口横、展示フロアが始まる位置の中央に配置されてい「高足杯」。☟
この杯、始皇帝所縁の宮殿遺跡から出土したんですね。
そう知ると、特別な目で見てしまいます。
何だか分からないけど、すごい~~~!!!(笑)
左右壁際の展示風景。☟
仏像に時間をかけたので、閉館時間が迫っていいて、大雑把な写真が多くなっていました。(^^;
【「玉握」の一種:玉豚】
そんな中、数少ないアップ写真。☟
左:玉豚/漢/1987年、西安市雁塔区???墓地出土
中央:玉豚/漢/1987年、西安市蓮湖区紅廟坡漢墓出土
玉豚は「玉握」の一種で、死者の手に載せる玉器である。豚は農業経済発展の象徴であり、生活の安定と豊かさを代表する動物である。玉豚を「玉握」とすることは、一に財産を象徴し、二に死者に対し食品を提供することを示している。
右:玉蝉/漢/1995年、西安市が収集
左:玉魚/西周/1978年、西安市長安区豊鎬遺跡西周墓地出土
右:玉眼帯/漢/西安市が収集
先ほど、秦代の高足杯に興奮していましたが、1階の展示を含めここでご紹介しただけでも、「西周」という秦よりかなり古い時代の玉が結構あります。
西周は、紀元前11世紀から、紀元前771まで。
今、上の写真の魚を見て、遅ればせながら猛烈に感動しています。(笑)
他の見学者も、こぞって写真を撮っていた「玉豚」。☟
玉豚:漢/1987年、西安市雁塔区山門口街道辦漢墓出土
かなり大きく、コロンとしていて愛らしい外見の玉豚ちゃんです。
思わず「ちゃん」付けしたくなる、親しみやすい存在でした。(*^-^*)
上の写真の左手の方に展示されていた可愛らしい鳥たち。☟
玉鴻雁/宋/1971年、西安市雁塔区何家村出土
☟、鷲と龍の凛々しい顔!!!
左:玉鷹首/唐/1979年、西安市未央区唐大明宮遺跡出土
右:玉龍首/唐/1980年、西安市雁塔区曲江池唐芙蓉園遺跡出土
☟に展示されているのは、主に帯飾り。
☟パネルでは、玉帯の構造や性質が紹介されています。
このコーナーでラストです。☟
警備員さんに、もうすぐ「閉館時間だから急ぐように」と急かされながら撮影。(笑)
☟は、上の写真の左端部分。
玉製の昆虫や鹿・龍などが、虫眼鏡で拡大されています。
☟、装飾品。
ここで、時間切れ~~~。
閉館のアナウンスを聞きながら、急いで外へ出ました。
東門ホールから外へ出て、ふと周囲を見渡すと、小雁塔の姿が!☟
手前の木々に大半が遮られ、身長は背後のマンションと同じくらい。
すっかり都会の景色に埋もれてしまっていますが、その姿を目にするとなんだかとっても嬉しい!(*^-^*)
見学1日目は、来た道を逆に、小雁塔の側を通って博物院北門から外に出ました。
2日目は違うルートで帰ろうと思い、博物館の北側に回り込んで、博物院西門へ。
その時撮影した、博物館の北側正面。☟
西門外から見た、博物館の様子。☟
以上、西安博物院内にある博物館のご紹介でした。
ラストまでお付き合いいただき、ありがとうございました。(*^▽^*)
西安博物院:(その1)薦福寺・小雁塔
2019年6月8日(土曜日)、晴れ。
中国は現在、端午節の連休中です。
☟は、中国人の友人が作った緑豆糕。
この内の一箱と、緑豆糕(緑豆味と抹茶味)の上に並んでいるわらび餅みたいな食感のお菓子(ココナッツ味と抹茶味)をもらって大感激!
抹茶は京都旅行の際に買って来たものだそうで、風味は格別!
西北工業大学でも、今年は緑豆糕を自作するイベントがありました。☟
この緑豆糕には胡桃や棗餡等が入っています。
回民街で売っているのは、このタイプが主流です。☟
友達手作りの粽子ももらいました。☟
冷凍したので、ちょっと表面が白くなってます。(^^;
これら食べ物以外に、数日前、授業で「香包」というものを身に付ける風習がると習いました。 ☟
☝は、西北工業大学西門側で、手作りの「香包」を自転車にぶら下げて販売している様子です。
恥ずかしながら、私は今年初めて「香包」を知りました。
それを聞いた先生、生徒みんなに「香包」を買って来てくださいました。☟
縫い目が目立ちますが、こちら側の方が「福」の字が多いので、写真にはこの面を採用。(笑)
中にヨモギの葉を詰めて、縫い合わせてあります。
ヨモギの匂いには、虫よけ効果があるからだそうです。
武漢にいた頃、マンションの管理会社がすごく丈の長いヨモギを準備し住民にくばrち、住民はそれを入り口の扉にぶら下げていました。
その理由も、虫よけでしたっけ。
既に蚊が飛んでいるのを見かけたので、効果があるといいなぁ~。(*^-^*)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆