西安大唐西市博物館(その12:3階臨時展示ホール_台湾李天禄布袋劇傑作展)
2017年10月15日(日曜日)、大唐西市博物館に行った際に見学した「台湾李天禄布袋劇傑作展」について、ご説明したいと思います。(*^-^*)
以前少しご紹介した通り、10月14日から展示は始まっています。
上の中国語文章は、大唐西市のWechatでの案内の抜粋です。
左は、「布袋劇」についての説明です。
布袋劇(木製指人形劇)は台湾において最も代表的な文化の一つであり、国家レベルの無形文化遺産です。木製人形劇はおよそ明末清初期に福建省閩南地区で始まり、清朝中葉(嘉慶・道光・咸豊)に台湾に伝わり、二百年近い変化発展を経て、生まれ故郷である福建とは大きく異なった風貌を形成しました。
中央は歴史淵源について。
唐玄宗李隆基が西暦714年に「梨園」が演習する歌舞演劇を選定、梨園は中国の歴史上初の音楽・舞踏・演劇を合わせた総合的な「芸術学院」となり、後世、梨園の子弟と言えば広く役者を指すようになりました。そして、台湾の人形劇界が祭っている創始者「西秦王爺」は唐玄宗李隆基であると伝えられています。
また、台湾布袋劇で最も頻繁に演じられる代表的な名著「最遊記」の物語も、その起源は西安です。
その下です。
観衆の皆さんに台湾布袋劇の独特な風貌を感じていただくため、西安大唐西市博物館と台湾の李天禄布袋劇文教基金会・亦宛然掌中劇団・李天禄布袋劇文物館が共同で「人形劇最遊記ー台湾李天禄布袋劇傑作展」を開催します。
右は、江加走という方についての説明です。
江加走は木製人形彫刻の父と言う名声を博し、創作した人形彫刻は緻密で芸術性を兼ね備え、伝統的な木製人形の頭の形を基本として更に創作を行いました。江加走が先人の伝統を受け継いで創作した人形の頭、及び自身で創作した人形の頭はおよそ280種類余りあると言われています。
1972年、周恩来総理は江加走の木製人形の頭を中国からの贈り物として、日本首相の田中角栄に贈呈しました。また、2008年、中国国務院が公布した第一回「国家レベル無形文化遺産」追加名簿には、江加走の人形もその名を連ねています。その作品の影響は深遠であり、現在も依然として中国本土と台湾の木製人形界において最高の木製人形作品とみなされています。
以下は、展示ホールで撮影した江加走に関する説明です。
訳していませんので、中国語がわかる方は読んで見てくださいね。
今回は68体(組)の台湾李天禄人形劇文物館が収蔵する人形劇文物が展示されているそうです。
この貴重な文物の中に、江加走の木製人形作品が28体もあります。
上のWechat記事の説明です。
劇団は少なくとも80体の異なる役柄を備えて一般の公演に臨みますが、役柄の分類に決まりはないため、各劇団での役柄分類は必ずしも同じとは限りません。
「亦宛然」を例に挙げると、李伝燦先生は人形を「生」「旦」「浄」「丑」「定角」及び「雑」等大きく六つに分類しました。
注:展示ホールで撮影したものを参考としてアップします。
「亦宛然」は台湾の著名な木製人形劇の大家である李天禄が1931年に設立し、指人形がまるで本物の人間のようであることから(訳に自身ありません(^^;)命名されました。「亦宛然」は台湾に現存する非常に数少ない長い歴史を持ち、なおかつ生演奏による公演を行える伝統ある劇団です。
上の記事のお猿さん(に見えます)の下の訳です。
伝統的な布袋劇の劇団は、前場・後場・戲籠等の三要素から成り立っています。前場とは人形を操る師匠を指します。後場は音楽を演奏する方々のことです。戲籠は一般に全ての道具・舞台衣装や小物を指します。
今回、訳すのにとても苦労しました。
何が原因か?
私の中国語能力が最大の原因なのは重々承知しています。
でもそれを補うためのネットが動いてくれないんです!!!(T ^ T)(T ^ T)(T ^ T)
日本のニュースはYahoo !でも開いて見ることができます。
でも、Yahoo !で検索しようとすると停止してしまいます。
VPNも無料のもは動かず、なのでそれを有料に変更したくても変更出来ないという……。( ; _ ; )( ; _ ; )( ; _ ; )
どこかで前にも愚痴ってたと思いますが、本当に、本当に不便です。
中国の五年に一度の大会、早く終わらないかな……。
以下、展示ホールの様子を載せて、終わりにします。(*^^*)