せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その35:2階常設展㉔-3 彩絵描金白石寝台(部分)/ 安備・石解・趙惠満・李希敡墓誌)

2018年2月10日(土曜日)、晴れ!

ここ暫く空気が悪くなっていましたが、やっとまた、青い空を見ることができました~~~!!( *´︶`*)

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陽気につられ、近所の公園まで散歩に行ってきました。

西北工業大学の先生がWechatのモーメンツで梅の花をアップされていたんです。

以前、武漢の会社では12月末に紅梅がチラホラ咲いていたので、西安でも2月になれば咲き始めるのかな?

期待して出かけた私が見たものは……。

蕾も見当たらない枝に括りつけられた造花!(笑)

それが☝︎の写真の左上です。

中には黄緑色の花もあって、これがアップされていたら、さすがに気づいたはず。(^^;;

青空の下、周囲の高層マンションが映り込んだ、穏やかに揺れる広い湖面を見ていると、とっても気持ちいい~~~!!

とはいえ、日陰の湖面は凍ったまま。

梅が咲くのはまだもう少し先のようです。

 

さて、春節まで後数日。

大唐西市の迎春準備、着々と進んでいます。

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ショッピングモールの入口でも行われていた対聯のサービス。

天気がいいから?

広場で行われていました。

書いている先生も増えてますね。(*^-^*)

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☝︎の青と黄色の屋根は、縁日でゲームを行うコーナー。

赤提灯、引き続き増殖中!

☟遣隋(唐)使船のライトアップも完了しました!\(^O^)/

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縁日は春節初日から15日間も続きます!

どんな賑わいなのか、今からすごく楽しみです。(*^^*)

その間、同じ敷地内にある博物館も休み無しで色々催し物があるようで、これも期待!

西安、他にも沢山見に行きたいところがあるのに、私の足は大唐西市に釘付けにされそうです。(笑)

 

さて、そろそろその博物館のご紹介を始めねば。(^^;;

本日も引き続きグリーンエリア㉔-3 「彩絵描金白石寝台(部分)」です。

☟のレイアウトだと、㉕に接した壁際にあります。

今回はついでに、グリーンエリア一番上の箱の右下コーナーと、㉖の左下コーナーにある墓誌銘も一緒にご紹介します!\(^o^)/

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☝︎が本日のメインの全体像です。

 

彩絵描金白石寝台(部分)(彩绘描金白石榻)

隋開皇九年(紀元589年)

大唐西市博物館蔵

 

☟石製寝台前面パネル:長さ147㎝・高さ52㎝・厚さ19㎝

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☟石製寝台後面パネル:長さ250㎝・高さ52㎝・厚さ20㎝

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まずは、博物館の解説を訳したものを参考にご覧下さい。

【彩絵描金白石寝台(描金=金泥で装飾を施す)】

葬具。石製寝台は本来漢代の座具であった。これを葬具に用いるのは北朝期、中国に移り住んだソグド人特有の葬儀埋葬の風習である。

石製寝台パネル正面の浮彫は「拝火壇、祭祀及びソグドの神祇と伎楽」と言う、ソグド墳墓の遺体安置用石製寝台の中では最も普遍的なものである。

中央アジアで生活していたソグド人は商売に長けていることで世に知られていた。ソグド地域は東西交通の要衝であり、中国と西方の交流の多くはソグド人を介して行われた。そのため中国文化はソグド人の葬儀埋蔵観念により多く融合した。

ソグド貴族が信仰していた宗教は祆教(ゾロアスター教)である。祆教は紀元6世紀にペルシャ人が興した宗教で、善悪二元論を主張する。その祭祀の主な特徴は露天の祭壇に聖火を燃やすことで、石製寝台の中央部には祭祀の画面が描かれている。

拝火壇があり、台座は絡み合った二匹の龍で構成されている。その左右にはそれぞれマスクをつけた司祭がおり、その上半身は裸、鳥の尾、鷲の爪をつけ、手には火かき棒を持っている。拝火壇の上部左右描かれた飛天は、髪を高く梳き上げ、二枚の翼を備え、手には果物を載せた器を捧げ持ち、帔帛を掛け、衣裙を軽やかになびかせるという、典型的な隋唐の特徴を備えている。

ソグド人は聖火を崇拝することで神との交流が可能であると考えていたため、彼らの宗教は拝火教とも呼ばれる。長安西市にはペルシャ人が多く、祆教には多くの信徒がいた。祆教徒を管理する機構を「蔵宝府」と言い、その長官は「蔵宝」と呼ばれた。これはソグド語の「キャラバン隊長(サルトパウ※)」と言う言葉の音訳である。

この石製寝台は我々が中国と西方の文化交流を研究するにあたり、特に中国に移住して来たソグド貴族の服飾・文化・生活習慣・宗教信仰・葬儀習慣等において非常に貴重な資料となっている。

 

キャラバン隊長のソグド語発音「サルトパウ」については、以下資料を拝見中に発見したものです。

以前、博物館内の「四大宗教の説明」を訳した時に発見できていれば、どんなに良かったことでしょう!

今回、巡り合えてとても感謝しています!(*^_^*)

P158の下段中ほどにあります。

タイトル:<書評> 森安孝夫編『ソグドからウィグルへ -シルクロード東部の民族と文化の交流-』

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/215867

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ここからは説明パネルの内容に従って、石製寝台に描かれた画面を見ていきましょう!(*^-^*)

☟は石製寝台の説明パネルのアップです。

頑張って訳しましたが、訳が変だな~と思われた方は、ぜひ原文をご覧ください。

アップにしていただくと読めると思います。

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なお、上の説明内容は博物館開解説内容と重複している部分があります。

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【石製寝台前面】

※お手数をお掛け致しますが、この部分は上の方の写真で石製寝台前面全体を見ながら読んでくださいね。

パネル上部縁の裏側に凹みがあり床板と噛み合わす。正面の浅浮彫りはソグド風装飾の画面が描かれている。上部縁には二本の縁飾りがある。一つは宝珠紋で、楕円と円が互い違いに配列されている。もう一方は蓮弁紋で、蓮弁の外縁に陰線を刻み、中心に金泥で装飾を施している。縁飾り以下の画面は「拝火壇、祭祀及びソグドの神祇と伎楽」の三部分に分けられるが、ソグド墳墓の遺体安置用石製寝台の中では最も普遍的なものである。

 

右(すぐ上の写真)はソグド人が崇拝する神祇。風神と思われ、長髪が肩にかかり、豊かな鬢まで連なるひげが胸まで届き、唇の上の髭は丁寧に八の字に切り揃えられ、頭上に宝冠をいただき、上半身は裸に瓔珞を掛け、腰にはベルトを締め、「羊腸大裙」を履き、その襞は流れるように自然で、舞い用のペルシャ絨毯を裸足で踏み、腕に帔帛を掛けている。体を左に傾け、左手は肘を張るようにして腰に当て、右手を上げて三又の戟を持ち、満ち足りた表情をしている。風神の右側には宝樹が描かれ、果実には金泥で装飾を施し、花は赤く塗られている。

金色の実の下側が少し赤くなっています。それが花です。(*^-^*)

 

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中間部分(☝の写真)の下段は、二匹の獅子が座って相対している。獅子は僅かに頭を擡げ、双眸は金泥で装飾され炯炯とした視線を放っている。上段にはアーチが四つあり、アーチの下には楽を奏でる男がおり、裸の上半身に帔帛を掛け、「羊腸大裙」を履き、長靴を履いた足を組んで舞い用のペルシャ絨毯に座っている。四人はそれぞれ異なる楽器を持っている。左から横笛、琵琶、曲頸琵琶、箜篌(くご)である。

最初の風神が履いているのも、この上の楽師が履いているのも「羊腸大裙」です。

「裙」と言うからには、スカートもしくはスカート状のもの。

『古代の「裙」の名称で、中国西北部少数民族がすむ区域で流行したひだスカート。漢末三国時代に内地に伝わった。』と百度百科にありました。

 

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左(☝の写真)は、実のところ石製寝台の中央にあたり、この画面全体の中で最も重要な部分でもある。拝火壇があり、台座は絡み合った二匹の龍で構成されている。その左右にはそれぞれマスクをし、腕輪と首輪をつけた司祭がいる。その上半身は裸、「束裙」を履き、鳥の尾、鷲の爪をつけ、手には火かき棒を持ち、傍らには鳳凰の頸を持つ壺と酒杯が置かれている。拝火壇の上部左右に描かれた飛天は、髪を高く梳き上げ、二枚の翼を備え、手には果物を載せた器を捧げ持ち、帔帛を掛け、衣裙を軽やかになびかせるという、まるで曹仲達の「曹衣出水(着衣が体に密着し水中から出て来たように見える)」式であり、典型的な隋唐の特徴を表している。

この部分を訳すにあたって、「曹衣出水」で悩みました。

文字通りに意味は分かるのですが、その前の部分で「軽やかになびかせる」と表現しているのに、「水でべったり体にへばりつく」では軽やかさがないような???

これは南北朝北斉の「曹仲達」という画人の様式です。

ちなみに、この方は中央アジアの曹国(ウズベキスタンサマルカンド周辺)の出身です。

この「曹衣出水」に対し、「呉帯当風」という様式があり、こちらの方が軽やかなイメージ。

「呉帯当風」とは「立体感のある衣装に長い裾帯が風に舞う状態を表し、体型はほとんど分からず、躍動感がある様式」なんです。

こちらは唐代の著名な画人「呉道子」の作風です。

この方は漢民族で、現在の河南省禹州出身。

ネットであれこれ検索し、以下2つのサイトを読んで、自分の訳で大丈夫だろうと判断しました。

お世話になりました。(#^.^#)

www.ritsumei.ac.jp

blogs.yahoo.co.jp

 

ここからは、石製寝台後面パネルの説明です!

大きいので五つに分けていますが、説明は全面パネルほど長くありません。

なので、先に写真を五枚貼り付けて、その後に訳を載せます。(^^)/

向かって左側から貼ります!

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石製寝台後面:パネルの主体図案は、振り返り鋭い爪を振り回しながら彩雲の中を飛んでいる一匹の青龍である。その全身は鱗で覆われ、背中には躍動的なたてがみがあり、緻密に描かれている。画面の中央には胡人が玄武に乗る場面があり、胡人の体には大蛇が巻付き、大蛇の体にはまだら模様がある。石製寝台後面パネルの画面には金泥装飾は見られないが、しかし色彩は鮮やかで美しく、線の描写は流れるようである。青龍玄武は漢唐の墳墓文化によく見られる題材である。

青色部分は、一枚目と二枚目、赤色の部分は、ちょうど真ん中の写真の説明です。

説明がない部分にも色々描かれてますが、どんな存在なんでしょうね。

 

最後のまとめです。

この石製寝台は西安出土の史君墓・安伽墓の石製外棺・石製寝台に描かれた画面の内容と近似しているが、時代は少し後となり、より多くの中国文化がソグド人の葬儀埋蔵観念に融合している。

 

更に、今回、以下PDF資料で勉強させていただきました。

タイトル:「ソグド人虞弘墓の浮き彫りにみる座像と饗宴の光景」

作者:服部等作 氏

http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hiroshima-cu/file/5055/20091211024332/k15401021hattori.pdf

図がたくさん使用されていて分かり易く、とても参考になりました!

そもそも私には展示されている石製寝台が全体のどの部分かが分かりませんでした。

この場を通り過ぎる子連れ参観者が「墓の一部だろう」と説明しているのを何度か聞きましたが、誰もどこに用いられていたのか、踏み込んで説明している人はいなかったんです。

私が尋ねた博物館の職員さんも同様の回答・・・・・・。

でも、それだと「パネル上部縁の裏側に凹みがあり床板と噛み合わす」が理解できず、出だしから作業がストップ。

私の頭の中では最初、ベッドのヘッドボードとフットボードのイメージだったので、なぜ上部縁の裏側に溝があるのか、構造が分からないと不安だったんです。

ネットで検索に検索を重ねてこの資料を拝見し、同じものではありませんがおそらくこの場所に用いられたんだろうと納得できました。\(^o^)/

 

さて、ここからは墓誌銘の写真を貼っていきます。

先に貼る説明パネルに墓誌の内容が記されています。

【安備墓誌

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http://www.kansai-u.ac.jp/Tozaiken/publication/asset/bulletin/44/09sakae.pdf

タイトル:新出石刻史料から見たソグド人研究の動向

作者:栄新江氏

訳・解説:森部 豊氏

☝のサイトは石製寝台調べている時に読んだ資料です。

なんと!!!!!

この☝の「安備墓誌」について触れられ、「大唐西市博物館」の名前が登場しました!!!\(^o^)/

ブログを書くにあたり色々検索してきましたが、半年経ってついに、日本の資料の中に「大唐西市博物館」の名前発見!!!

嬉しいです!!(*^-^*)

 

【石解墓誌

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【趙惠満墓誌

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【李希敡墓誌

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今回は以上です!(^^)/

 

ここからはオマケ!(^o^)

今回、博物館の職員さんではなく、旅行社の主催か何かで解説者付きの団体が見学をしていました。

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その後ろについて、私も最後の部分をほんの少し聞かせていただきました!

印象に残ったのが楊貴妃の話。

「没年齢38歳。

今ならまだ若いと言われるかもしれないが、当時は15歳で子供を産む。

30歳にもなればもう孫がいる年齢。

38歳はもう完璧に年老いた姿なんですよ。

にもかかわらず楊貴妃玄宗皇帝に愛されたのは、15歳そこらの若い娘ではいくら美しくとも皇帝との共通言語がなく、また気の利いた話術で皇帝を楽しませることもできないからなんですね。

ところが年配の楊貴妃は人生経験があり、皇帝との時間も楽しいものになり、そうなれば益々皇帝の寵愛が深くなる。

楊貴妃は見た目ではなく、その才能・人柄で皇帝を魅了したんですよ!」

と、だいたいこんな内容でした。

38歳、若くて大人の色香漂う年頃と思ってはいけないんですね。

38歳はおばあちゃんそれに驚き!(笑)

そんな時代に624年に生まれた武則天は690年に皇帝となった・・・・・・。

その気力と健康に脱帽です。