西安大唐西市博物館(その41:3階シルクロード硬貨展示ホール_ビザンチン帝国)(2018年4月15日:コイン裏面写真追加)
2018年4月1日(日曜日)、快晴☼!!
とってもいいお天気で、楽しいこともありましたが、まずは大唐西市博物館のご紹介を始めたいと思います!
なぜなら、周回遅れになってしまったからです。(T ^ T)
昨日の土曜日、次の「シルクロードの要衝に位置する中央アジア古代国家」の一番手、バクトリアの硬貨を撮影完了。
遅れを取り戻さなければ!
でも少しだけ、寄り道を。昨日博物館の2階を通り抜けていた時、ふと目に留まったものが。
それは、
西安大唐西市博物館(その31:2階常設展㉓-2異国の飲食) - せいあん!
西安大唐西市博物館(その32:2階常設展㉔-1 胡の音楽と舞踏 / 小学生解説員研修開会式 )1/31補足:2/15再補足 - せいあん!
でご紹介した時に、貸し出し中になっていた2点「彩絵人物戯獅紋釉陶扁壺」と「彩絵陶塤」が戻ってきていました!!\(^^)/
☟「彩絵人物戯獅紋釉陶扁壺」
まだ説明プレートが取り付けられていませんね。
☟が「彩絵陶塤」。
2点とも、お帰り~~~!!(*^^*)
では、本題に入ります!
今回も、☟のレイアウト図の②スペースのご紹介です。(*^-^*)
☟
右側の壁の左端の部分、正面のコーナー、そして中央の二つのガラスケース内に、ビザンチン帝国に関する硬貨が展示されています。
では、右側の壁の左端部分をアップにします。☟(*^-^*)
ビザンチン帝国の説明パネルをご覧ください。☟
以下、参考として日本語訳を載せます。(#^^#)
2.ビザンチン帝国(紀元395年~1453年)
紀元330年、コンスタンティヌス帝が首都をギリシャの旧都市ビザンチウムへ移し、コンスタンチノープルに改名。この時よりかつてのローマ帝国とは異なる新たな帝国が次第に形成されていった。数世紀来、ビザンチン帝国はヨーロッパとイスラムの間にあり、対外交易を行うにあたり重要な地域であった。ビザンチンの造幣は隣国と継承者に独立した貨幣の原型を提供し、中国をはじめとするシルクロード上での商業貿易において、ビザンチンの金貨は必要不可欠な重要な地位を占めていた。建国以来、中国で出土した多くのビザンチン金貨と複製品の年代は紀元5世紀から8世紀と様々であり、それぞれ流通・金器装飾及び祭儀に用いられていた。これら中国で出土した東ローマビザンチン帝国の金貨は、「シルクロード」で異なる宗教・文化・芸術がそれぞれ融合しあったという歴史の目撃者となった。
☟は「ビザンチン帝国領土図」です。
☝の左下も一応訳してみました。👇(^-^)👇
☟が左側の皇帝の説明と硬貨の写真及び実物のコーナーです。
右から順に拡大していきますね!(^0^)/
ちょっと縦長になってしまいました。(^_^;)
【ヘラクレイオス1世】
(紀元610年~711年)※百度百科及びWikipedia(在位期間:紀元610年~641年)
紀元602年、ヘラクレイオス朝成立後、一連の軍事改革を行った。その中で最も重要なのは軍管区制の改革である。この改革はビザンチンの封建化のための道を切り開いた。
このヘラクレイオス1世の金貨は、表面にはヘラクレイオスと子供二人の肖像、裏面には三段の台上のゴルゴタ・クロスと左側にキリストのシンボルが描かれている。この時代の貨幣はキリスト教の文化要素に溶け込んでおり、その後イスラム世界に模倣されるビザンチン貨幣の一つとなった。
ビザンチン・ヘラクレイオス1世
・金
・紀元613年~紀元616年
・西安大唐西市博物館所蔵
(※博物館で購入した冊子より:サイズ1.95cm / 重量4.35g)
【ウァレンティニアヌス1世】
(紀元321年~375年)
東ローマ早期の貨幣形式は依然としてローマ時代の特徴を踏襲していた。貨幣の表面はウァレンティニアヌス1世の横顔、髪は束ねられ、胸当てをつけており、神聖で厳粛な様子である。胸像の周囲には「我が主ウァレンティニアヌス 敬虔で幸福なアウグストゥス」と記されている。金貨の裏面には、ウァレンティニアヌス1世が右手に軍旗を持ち、左手に聖なるものを載せ、頭は僅かに左に回して手に載せている聖なるものを見つめ、衣服が風に揺れるという、風に吹かれながら立つ国王の颯爽として勇ましい姿が描かれている。
ビザンチン・ウァレンティニアヌス1世
・金
・紀元364年~紀元375年
・西安大唐西市博物館所蔵
(※博物館で購入した冊子より:サイズ2.05cm / 重量4.16g)
【ビザンチン・マウリキウス】
(紀元582年~602年)
ビザンチン貨幣は古代ギリシャ・古代ローマを源とするが、古代ギリシャ貨幣のような豊かな内容と精巧な技巧に欠け、また古代ローマ貨幣のような統一された様式もなかった。貨幣の表面の図案には各王朝国王の頭像が多く、裏面には神話の人物或いは騎士が描かれることが多かった。貨幣の文字にはギリシャ文字とラテン文字の二種類の文字が用いられ、正に「征服されたギリシア人は猛きローマを征服した(Graecia capta ferum victorem cepit)。(詩人ホラティウス)※Wikipediaより」と言う名言を実証している。この種の貨幣鋳造の伝統はシルクロード沿線の中央アジア・西アジア・南アジアの古代国家に採用され続け、各国の古代史を証言する貴重な資料となっている。
赤字の部分は、以下のWikipediaを参照しました。
ビザンチン・ マウリキウス
・金
・紀元582年~紀元602年
・西安大唐西市博物館所蔵
(※博物館で購入した冊子には説明なし)
【ア5ナスタシウス1世】
(紀元491年~518年在位)
アナスタシウス1世は東ローマ帝国レオ王朝の最後皇帝である。在位期間中、貨幣の改革を行い、税を減免し、帝国経済を全力を挙げて復興させ、東ローマ帝国の国力を全盛に導いた。アナスタシウス1世の積極的推進により、独自の特色を持つビザンチン貨幣を作り上げられた。これらの金貨と銅貨は共に東ローマ帝国社会の主要な貨幣構造を構成した。
ビザンチン・アナスタシウス1世
・金
・紀元491年~紀元518年
・西安大唐西市博物館所蔵
(※博物館で購入した冊子より:サイズ1.6cm / 重量2.5g)
以上が右側に展示されている硬貨のご紹介です。
続いて、②の展示室の正面部分をご案内します!(*^_^*)
☟が全体の様子です。
見ていただくとわかると思うのですが、説明がありません。
唯一、真ん中の映像画面が設置されている3個の硬貨だけ、説明プレートが付いています。
まずは、右側の硬貨10個の大きさをご確認下さい。☟
1つずつアップにするとこんな感じです。
次は真ん中部分です。(^0^)/
映像部分は「ローマ銅貨(裏面)」です。
時 代:紀元前27年~紀元395年
サイズ:1.67cm~1.75cm
重 量:2.2g
その下に展示されている硬貨です。☟
・銅
・紀元395年~紀元1453年
・西安大唐西市博物館所蔵
続いて、左側です!(*^-^*)
ここには全部で硬貨が12個あります。
それらを、右側8個と左側4個でまとめました。
左側の4個の方が大きい分、写りがいいですね!
そして、最後が中央に展示された硬貨2個。
これについては、私の大ボケぶりを反省しなければなりません。
何を反省するかは、写真を見ていただいたらわかると思います。(^_^;)
☝は左側に展示されている硬貨です。
・金
・紀元527年~ 紀元565年
・西安大唐西市博物館所蔵
ピントがボケているのはお許しください。m(_ _)m
透明パネルにはめ込まれた小さな硬貨。
倍率を上げるとわずかな揺れでも大きなブレに。
何度やってもこのレベルにしか撮影できませんでした。
カメラを買うのは・・・・・・、今はムリ・・・・・。(T_T)
大ボケなのは、せっかく両面を見ることができる展示の仕方なのに、裏を、裏面を見てなかった~~~~!!!
それを昨日出かける前に気づけばまだマシですが、昨夜写真の加工を始めてからやっと気づいたという・・・・・・。
その内、補足したいと思います。m(_ _)m
4/15補足:写りは相変わらずですが、参考として表面・裏面を貼っておきます。
次は右側の硬貨。
ビザンチン・コンスタンス2世
・金
・紀元641年~紀元 668年
・西安大唐西市博物館所蔵
こちらの写りもひどいですね。m(_)m
4/15 、同じく参考として表面・裏面を貼っておきます。
とりあえず、こういったものが展示してあることをお伝えして、今回のご紹介を終了します。(*^_^*)
おまけ!
今日は午後いっぱい、日本から遊びに来ている友人と一緒に西安を散歩しました!
西北工業大学の学食で昼食を取って、それから歩いて西北大学の前を通過し城壁の西南角へ。
学食で食べたのは「蘸水面 Zhàn shuǐ miàn (ジャンシュイミエン) 」です。
茹でた麺をたれ(スープ?)につけて食べます。
「蘸」の字が「(液体や粉末、糊状のものを)つける」という動詞です。
美味しかったのですが、1本目の麺箸で挟み、横にあるタレにつけようとした瞬間、幅広い麺がツルンッと箸から滑り落ち、タレの中へ落下。
上着の胸元に見事な赤い点々が飛び散りました。(T_T)
そこから環城公園に入り城壁西門へ。
☝は環城公園(西側)で見かけた、点滴を受ける樹木と、「西安城壁」と入った椅子。
木はかわいそうに、葉が枯れてしまっていました。
本格的に暑くなる前に、もちなおすといいな~。
さらに回民街へ入り鼓楼まで移動し、鐘楼の地下を通って南大街へ。
最近回民街に行って気になっていたことがありました。
手に大きな透明の容器を持って歩いている人がたくさんいたんです。
中にはいろんなフルーツが入っていました。
でも、私が行動していた範囲には果物を売っているお店は見かけなかったんです。
しかし、本日ついに、発見しました!
旅行客が一番多いと思われる辺りまで歩いていくと、「あ、あんなところに果物屋さんが!」「あ、ここにも!」「またここにもある!!」という具合です。
上の四店舗以外にもまだまだありました。
中国らしいというか、一つ人気のあるお店ができると一気に増殖していくんですよね。
あんまり増えすぎると、回民街らしさが減っていくんじゃないかと・・・・・・、ちょっと気になりました。
南門まで歩いたらさらに左折して書院街を散策し、碑林博物館をかすめて前回ご紹介した環城公園の吉備真備記念庭園がある区間へ。
☝の右下、「吉備真備記念園」の巨石は、工事の囲いで見えなくなっている巨石とは別の、その反対側の庭園の終わり部分にあったものです。
2回も見に行っていたのに、見過ごしていたものです。
今回気づけて良かった。(^_^)
今回、碑林博物館のチケット売り場の傍で、☟左上の黒い郵便ポストを発見しました。
普通、中国の郵便ポストは緑色なので、珍しく思い撮影!
下段のピンク色のポストは、3月24日に青龍寺境内前の広場で見かけたものです。
境内前の広場にたどり着くだけで人ごみに揉まれて一苦労。
境内に入るには更に500m位ならばなければ入ることは不可能と知り、桜を見るのは諦めて帰ろうとした時に見かけたんです。
桜の季節にちなんでの特設「樱花郵局(桜郵便局)」なんでしょうね。
以上、今日はかなり歩きましたが、普段一人でウロウロしているので、友達と話しながら歩くのはとても楽しかったです。
Kさん、ありがとうございました!!\(^o^)/