せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その44:3階シルクロード硬貨展示ホール_安息帝国の従属国:エラム・ペルシス・罽賓・エフタル )

 2018年4月24日(火曜日)、曇り時々小雨。

先週木曜日、4月19日以来、スッキリしない天気が続いている西安です。

19日はこんなにいいお天気だったのに・・・・・・。

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いいお天気でしたが、33度まで気温が上がりました。暑かった~。

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この日は空気が綺麗で、遠く南にある山並みがクッキリ!こんなに見えること、本当にマレなんです。☟

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北の空の雲も見ていて気持ちよかった~~~~!!!\(^o^)/

なのに・・・・・・、この日を最後にスッキリしたお天気には恵まれてません。

でも、咲いた花が長持ちするのはイイことかも。

シャクヤク、咲きました!(*^-^*)

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かつて、5月1日の労働節前後に西安に遊びに来ていた時、シャクヤクはまだ散り切らず、少し残っていました。

今年の3月の勢いだと、4月末までに散ってしまうかと思っていましたが、この分だと例年通り、5月初めまでシャクヤクを眺められそうです。(*^-^*)

 

では、シルクロードの硬貨のご紹介、始めます!!\(^o^)/

2018年4月21日(土曜日)、いつものように大唐西市博物館へ出かけると・・・・・・。

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1階フロアでこれまでの行われた催しとは趣の違う風景が広がっていました。

「何これ???」

どう見ても「動漫(アニメ・マンガ)」関連のイベントではありませんか?

イベントはまだ始まっていなくて、音楽だけが大音量で流れていました。

思わず、前日の授業でアメリカ人のクラスメイトが言っていた、中国とアメリカの違い「中国はライブでも映画館でも、音量が大きすぎる。耳によくない」を思い出しました。

屋外での活動ではないのに、何故この音量???

博物館は静かに見学するものなのに、うるさい~~~~!!!!

と不満に思いながらも、気になる私。(笑)

側の通路から、様子を見てみました。☟

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通りがかったスタッフの男の子に聞くと、ほんの一瞬反応が止まった後、「ゲームのイベント」と答えてくれました。

たぶん、尋ねたのがおばさんだったので、ゲーム名を言っても知らないだろうと判断するための一瞬だたんでしょうね。(笑)

確かに、ゲーム名称を教えられても何のことか分からなかったと思います。(^^;

その後、私が2階へと続く階段を上っていると、これまた大音量の音楽と共に太鼓の連打が始まりました!!

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こうしてイベントが始まり、博物館がショッピングモールのイベント会場のようになってしまいました。(^^;

 

3階へ上がると、臨時展示室で唐墨の紹介が行われていました。

展示してあったのは、こんな風に細かな細工が施された墨でした。☟

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簡単に一回りし、分からない言葉をスマホで検索していると・・・・・・。

展示してある唐墨の収集家ご本人から声を掛けられ、展示品の説明を受けることに!

展示室に入って来た見学者が、くるっと一回りしてあっさり出て行ってしまう様子を見て、自国の文化に興味を持つ人が減ってしまったの嘆かれていました。

そんな中、私が壁に掛かった説明を見ながらスマホで検索しているのが珍しかったんでしょうね。

そこで、私は2時間ほどこの臨時展示室にいることになり、硬貨の展示室に入った頃には、1階のイベントも静かになっていました。(笑)

この唐墨については、文末の「おまけ」で簡単に紹介します!\(^o^)/

 

では、今回ご紹介する場所を確認しましょう!

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今回も③の展示室です。☝

③の展示室の様子。☟

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今回は、左側の写真の奥側の壁の真ん中辺りをご紹介します。

拡大すると・・・・・・。☟

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では、「2安息帝国の従属国」スタート!(*^▽^*)

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スマホをしっかり握って写真を撮る私が、くっきり・・・・・・。(^^;

 

従属国のトップバッターは「エラム」です!

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エラム(紀元前180年~紀元227年)

エラムはアジア西南部の古い君主制都市国家で、カルーン川の河谷に位置する。イランの早期文明であり、イラン高原以外のエラム地区が起源である。かつてはペルシャ湾・バビロン及びその付近を領土としていた。紀元前3000年に建国、紀元前12世紀に衰微し、紀元前6世紀以降アケメネス朝が統治、ペルシャ帝国の行政区画の一つとなった。セレウコス朝の時代、一度独立した。紀元前2世紀、パルティアの従属国となる。紀元227年、サーサーン朝アルダシール一世に征服された。

 展示されている硬貨はこちら。👇(*^-^*)👇

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エラム王朝:銅貨

紀元前180年~紀元227年 / 西安大唐西市博物館所蔵

硬貨を拡大します。☟

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右側の写真の左上は、真ん中の写真の右上と同一硬貨です。

いつもの如く、Wikipediaのお世話になっています。m(__)m 

エラム - Wikipedia

最後に、博物館で購入した書籍に掲載されていた写真を貼っておきます。☟ 

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次は「ペルシス」。(^o^)/

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ペルシス(紀元前180年~紀元226年)

ペルシャ高原(イラン高原)の西南、ペルシャ湾に臨むペルシスはアケメネス朝の発祥の地である。首都はペルセポリスアレクサンダー大王ペルシャ帝国を滅亡後も、ペルシスは依然として独特の位置づけにあった。紀元前180年から長期に亘り独自に硬貨の鋳造を行った。その後、ペルシスはサーサーン朝の発祥地となった。

展示されている硬貨です。☟(*^-^*)

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ペルシス:銀貨

紀元前180年~紀元226年 / 西安大唐西市博物館所蔵

硬貨を拡大!☟

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 「ペルシス」、Wikipediaに記事はありませんでした。

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三番目は「罽賓国(けいひんこく)」。

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罽賓国(けいひんこく)(紀元前114年~紀元50年)

西漢前漢)時期の罽賓国は現在のヒンドゥークシュ山脈以南アフガニスタン領内のカブール川流域に位置し、一貫して軍事的な要地であった。紀元前141年、安息国王ミトラダテス2世(1世?)※は東征により罽賓及びガンダーラを奪取し、罽賓国を建てた。紀元前115年、張騫は西域に派遣され烏孫に至り副使を罽賓へ派遣、漢と罽賓との通行が始まった。≪漢書・西域伝≫罽賓国条目における塞王「烏頭労」とは、即ち塞王「斯巴莱尼斯(スパリリセスかスパラホレス)」の称号「国王の弟」のギリシャ語の音訳である。紀元45年~50年の間、クシャン翕侯クジュラ・カドフィセスが安息を打ち破り罽賓を奪い、罽賓はクシャン帝国の領土となった。

漢書・西域伝≫の記述によれば、罽賓では「金銀銅錫により器物を造り、市場には店舗が並んでいた。金銀は貨幣に用いられ、表面には騎乗の人物、裏面には頭像が絵が刻まれている」とある。罽賓は百年余りしか存在せず、現存する貨幣は少ないため大変貴重である。

ミトラダテス2世(在位:紀元前124年/123年頃~ 紀元前88年/87年)

 ミトラダテス1世(在位:紀元前171年~紀元前138年)

 他の中国ネット上の資料や在位期間からみると、ミトラダテス1世ではないかと思います。

下の資料では、「紀元前141年、安息王ミトラダテス1世大夏へ第二次東征を行い、罽賓とガンダーラを奪ったが、エウクラティデスの後裔であるAntialtidasが紀元前138年すぐさま罽賓とガンダーラを奪回、現在のインド・パキスタン国境にギリシャ人の王朝を建てた。紀元前124~紀元前114年、イラン東部に侵入していたサカ族は、安息王ミトラダテス2世の部下である「蘇林」の東征の圧力を受け、ヘルマンド川に沿って罽賓に侵入、ギリシャ人を追い払い、サカ王朝を建てた」とあります。

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文明开放的天朝大国(上)(掌阅)

 こちら☟のブログも参考にさせていただきました。ありがとうございました。(*^-^*)

大河の向こう側 : 2016年03月08日

展示されている硬貨です。説明プレートはありません。☟

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 ケイ賓 - Wikipedia

 

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四番目は、「エフタル」です。(*^▽^*)

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エフタル(嚈噠:ようたつ/Yàndā)(紀元5世紀中葉~567年)

嚈噠(Yàndā)は挹怛(ゆうたつ/Yìdá)・挹闐(ゆうてん/Yìtián)とも呼ばれる。
嚈噠人は古代、ユーラシア大陸で生活していた遊牧民族である。起源は塞北、かつては長城以北に居住、「滑国」と称した。ユーラシアサカ族の遊牧民族と漢代大月氏人の後裔で、「白匈奴」と称した。紀元567年、突厥とサーサーン朝ペルシャの連合に攻撃され滅亡した。領土については、東はパミール高原・ホータンから、西はカスピ海まで、北東は天山山脈北鹿、南はアフガニスタン中部からインド西北部にまで及んだ。≪魏書・明帝紀≫には、神亀二年(519年)四月乙丑、「エフタルは使者を派遣し朝貢にやって来た」とある。この後、西魏北周とも交流があった。

エフタル貨幣の王像は、華麗な装飾が施された冠を被り、非常に威風堂々としている。エフタルの貨幣鋳造は、かなりの程度でサーサーン朝貨幣の様式を模倣し、また一部はクシャンの貨幣を模造している。銀・銅を主原料とし、表面には王像、裏面には祭火壇と侍従が刻まれている。貨幣にはバクトリアギリシャ語・パフラヴィー語・サンスクリット語の三種類の文字がよく用いられている。このことはエフタルが占領するごとにその地の文字を貨幣の銘文に使用したことを示していると思われる。

 

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1.エフタル早期

表面には面長・大きな目・鉤鼻・イヤリングを付け、肩に火炎が描かれた王像が刻まれれている。肖像の前には装飾が施されている。草書体のギリシャ語。王像は右向き、頭が大きい。裏面には祭火壇と祭司が描かれている。貨幣の直径は大き目で薄い。金貨の表面には全身像が描かれている。

 

2.エフタル中期

表面には頭上にヘアーキャップとリボンを付け、大きな目と高い鼻、イヤリングを付け、肩の後ろに二つのリボンを飾った王像が描かれ、肖像の前には装飾が施されている。王像は右を向いている。貨幣の縁には連珠紋がある。裏面には祭火壇と司祭が描かれている。

展示されている硬貨はこちら。(^o^)/

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エフタル:金貨

紀元5世紀中葉~紀元567年 / 西安大唐西市博物館所蔵

拡大したものです。☟

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エフタル:銅貨

紀元5世紀中葉~紀元567年 / 西安大唐西市博物館所蔵

拡大版。☟

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3.エフタル中後期

表面の王像は牛頭二枚の翼をもった冠を戴いている。右を向き、大きな目に高い鼻、イヤリングを付け、肩の後ろに二つのリボンを飾った王像が描かれ、肖像の前には装飾が施されている。貨幣の縁には連珠紋があり、草書体のギリシャ語がある。裏面には祭火壇と司祭二人が描かれている。

 

4.エフタル後刻印硬貨

多くはサーサーン朝ホスロー2世の硬貨で、表面に一ヶ所、或いは複数個所に後刻印が付加されている。裏面には祭火壇と司祭二人が描かれている。縁には星を抱いた四つの新月が描かれている。神の鳥である「シムルグ」が後刻印されているものある。シムルグとは祆教において未来を予見する神の鳥である。そのイメージはペルシャの器物によく見られる。

展示されている貨幣です。(*^▽^*)☟

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エフタル:銀貨

紀元5世紀中葉~紀元567年 / 西安大唐西市博物館所蔵

アップをご覧ください。(*^^*)

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☟は4.エフタル後刻印硬貨の追加説明です。(^o^)/

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後刻印には二つの意図がある。

一つは王朝の交代後、新王朝の新貨幣鋳造が間に合わない場合、前王朝の貨幣をそのまま利用、かつその上に特有の図案、或いは文字を後刻印することで区別を行った。

もう一つは戦争により強国が該当地域を統治後、該当地域で流通している貨幣を引き続き使用する際、後刻印を付加し区別した。

☟は後刻印された硬貨ですが、肉眼で見てもどこに後刻印があるのか気付きませんでした。

まして、この画質・・・・・・。m(__)m

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エフタル後刻印硬貨:銀貨

紀元5世紀中葉~紀元567年 / 西安大唐西市博物館所蔵

一応、アップも撮影しましたが、アップの段階で既に画質が荒くなるので・・・・・・、結果は改善されていません。☟(^^;

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 最後に資料の写真を貼っています。(No.31)

資料の写真も暗めだったので大差ないかも知れませんが、よろしければ比較して見てください。(^^)v

 

 5.ペーローズ、エフタルへ支払うための身代金を鋳造

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エフタルは5世紀中後期、連続して三回ペルシャ国王ペーローズを破った。ペーローズ1世はかつて王位争いのため、エフタルに身を寄せ援助を求め、王位を奪回した。しかしその後後悔し、再度戦いを挑んだが捕虜となり、巨額の身代金を納めねばならなくなり、また息子のカワード1世を人質として差し出さねばならなくなった。先の2回、エフタルはペーローズ1世を生け捕りにし、大量の身代金を脅し取った。二回目の身代金は、≪柱行者Josua年代記≫の記載によれば、三十頭のラバに積めるほどの銀貨であったという。紀元531年にホスロー1世が即位し、突厥中央アジアに西進するまで、ペルシャは大量の金と銀の貢納をエフタルに納め続けた。このため、通常、硬貨の表面の円の外側に四つの点があるように、この種の貨幣の特徴は顕著である。 

 展示されている硬貨をご覧ください。☟\(^o^)/

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ペーローズ、エフタルへ支払うための身代金を鋳造:銀貨

紀元5世紀中葉~紀元567年 / 西安大唐西市博物館所蔵

アップもご覧ください!☟

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☟はエフタルの従属国の銀貨

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紀元5世紀中葉~紀元567年 / 西安大唐西市博物館所蔵

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エフタルにより模倣されたペーローズ1世の銀貨☟

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紀元5世紀中葉~紀元567年 / 西安大唐西市博物館所蔵

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エフタル - Wikipedia

サーサーン朝 - Wikipedia

 

資料上の写真を貼付しておきます。

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 以上、硬貨のご紹介でした。

 

おまけは冒頭でお話した墨です。(*^▽^*)

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十六羅漢が彫刻されています。

 

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全部で16工程、綿花栽培の過程が表に絵で、裏に文字で刻まれています。

注目すべき点は、文字の小ささ、線の細さ。

一文字でも失敗すると、墨一つまるまま廃棄処分になってしまうそうです。

確かに・・・・・・、削ってやり直しなんてムリですよね。

 

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☝ 形が珍しい墨。

 

☟の墨のタイトルは「百龍硯墨」。

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上の中心に大きな「龍」の字。

側面四面に字体を少しづつ変化させた「龍」が、百個書いてあるんだそうです。

展示されていた位置の関係で、正面と向かって左側面しか撮影できませんでした。

 

☟は「慈禧(西太后)御筆印章墨」。

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「雲潤星輝」の四文字は、西太后の直筆を型にとり印刷(?)したものとのこと。

直筆そのものではありませんが、西太后の筆跡がどんなものだったのかは分かります。

 

まだまだたくさんありました。

安徽省の個人収集家が、わざわざ陝西省西安まで展示に来られてると知り、驚きました。

ちょうど展示が始まって数日目だったので、まだ西安に留まっていらっしゃったそうです。

収集家ご本人から直々にお話を聴くことができ、とても有意義な時間でした。(*^▽^*)