せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その48:3階シルクロード硬貨展示ホール_ペルシャ第二帝国及び従属国⑭~㉒)

2018年6月15日(金曜日)、曇り。

前回の日付を見て、ビックリ!!!

半月もブログを放置してしまいました!!!(@_@)

こんなこと初めてで、焦りました。(ーー;)

この間、ちょっと忙しくて、睡眠時間も平均4時間以下。(=_=)

毎週末、博物館には通っていたけれど、写真整理や説明を訳す余力なし。

天気もシルクロードの起点らしい暑さになって、ちょっと夏バテ?

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夜8時前でも35度・・・・・・。

などとヨレヨレしていたら、もう、6月中旬。!(゚д゚)!

今学期の授業、今日で終了してしまいました。

週末の端午節の三連休を挟んで、来週火曜・水曜と期末試験。

木曜午後に終業式典があって、それで今学期は終わりです・・・・・・。

昨年7月1日、部屋探しに西安へやって来た時は、「これから2年、西安にいられるんだ~!!!」とワクワクしていました。

でも、その内の1年が終わってしまった・・・・・・。

残り、後1年だけ・・・・・・。(T_T)

決して茫然と過ごしてきたわけではないのですが、もっと時間を大切にすべきだったと後悔の念にさいなまれます。

これからの最後の一年、有意義に過ごさねば!

 

この間、終業に向けて留学生(本科生・院生は除く)の記念撮影がありました。

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全体の集合写真は、プロのカメラマンさんが撮影してくださっていて、まだ私たち生徒は目にしていません。

白い外壁の図書館の上に広がる青空、いかがですか???

朝9時過ぎに、この日差し。

撮影のためにひな壇に上がると日傘はさせず、肌が焼け焦げそうでした。(笑)

集合写真を撮り終えたら、クラスごとに芝生の上で撮影会。

各クラス、思い思いのポーズで写真に納まっていました。

私たち5班は、兵馬俑ポーズ。(笑)

 

昨日、14日夜には、ワールドカップも始まりました!!

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☝は大唐西市城の広場に特設された、ワールドカップ観賞用の巨大スクリーン。

宣伝では、これから1か月間、広場でビール祭りを開催。

ビールを片手に、前方スクリーンでワールドカップを観賞するんだそうです。

私が通りかかった時は開会式前で、舞台の上では場を盛り上げるための余興が催されていました。

西北工業大学はロシアからの留学生が多いので、学校の寮でも多目的ホールに希望者が集まって鑑賞したようです。(*^-^*)

 

さて、では、久々にシルクロード硬貨のご紹介を始めます!!\(^o^)/

これまで通り、場所の確認から!

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今回も、引き続き③の展示室です。

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☝の奥側の壁の右端ガラス1枚分くらいと、右側の壁が今回の対象です。

具体的に見ていく前に、参考に世襲表を再掲しておきます。☟

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今回、最初のコーナー、⑭~⑱です。

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では、⑭から紹介していきます!

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【14.ペーローズ1世(紀元459年~紀元484年)】
5世紀、エフタル人とその他の遊牧民族ペルシャを襲い、紀元438年サーサーン朝を破ってペーローズ1世を捕虜とした。ペーローズ1世は巨額の身請け金を支払うことできず、息子のカワード1世を人質として差し出した。この時の貨幣形式はペーローズ1世が捕虜となる前と、捕虜となった後の二種類に分類され、捕虜以前のものはペーローズA式、捕虜後のものはペーローズB式と称されている。A式の銀貨では、王は頭上に球体装飾(コリュンボス)の王冠を戴き、王冠の前には三日月が装飾されており、ヤズデギルド1世と2世の形式の結合式のようである。硬貨の銘文は「マズダーの崇拝者、幸運なペーローズ」。捕虜後のB式では、国王の頭上の球体装飾には一対の羽が、肩にはリボンが二本増えている。銘文は「幸運なペーローズ国王」と変えられている。

 

※銘文の訳は、☝に限らず全て中国語を直訳しているので、あくまで参考としてごらんください。m(__)m

 

☟はパネル上の写真です。

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上がA式の表面、下がB式の表面。

Wikipediaにはこの王単独での日本語版はありません。
サーサーン朝全体の説明の中に該当箇所があります。

サーサーン朝 - Wikipedia

 

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【15.バラーシュ1世(紀元484年~紀元488年)】
当時、ペルシャの銀貨は中央アジア西アジア・東ヨーロッパおよび中国西北部においてビザンチンの金貨と同様に、一種の国際貨幣として流通していた。唐代初期、高僧玄奘は西域に取経に赴くにあたり河西地区を経由した際、現地で金貨・銀貨が使用されている様子を目撃している。涼州は河西の中心都市であり、西域の襟帯であった。パミール高原西部の国々から、商人僧侶が途絶えることなく往来し、……交易が終わると、金貨・銀貨や良馬など無数の品々が溢れかえっていた(凉州为河西都会,襟带西藩。葱石诸国,商侣往来,无有停绝……散会之日,珍施丰厚,金钱、银钱、口马无数)。」上述の金貨・銀貨は、ビザンチンの金貨とサーサーン朝の銀貨のことである。紀元875年当時、サーサーン朝ペルシャイスラム帝国に併呑されて既に200余年が過ぎていたが、サーサーン朝ペルシャの銀貨は依然として中国で流通していた。この他、ペルシャの銀貨はペンダントトップに加工されたり、葬儀に用いられたりしていた。例えば、高昌古城アスターナとカラ・ホージャ古墳群出土のサーサーン朝銀貨は、死者の口の中に納められていたり、手に握られていたり、瞼の上に置かれていた。

 

説明文で赤字になっている部分について。

訳すにあたり、学校の先生にアドバイスをいただいたのですが、それでも、今一つ自信がありません。(^^;

日本語の後ろに写真の中国語を抜粋し併記していますので、気になる方は中国語原文をご覧ください。m(__)m

この王様も単独では、Wikipedia日本語版の紹介がありませんでした。

 

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【16.カワード1世(紀元488年~紀元531年)】
カワード1世はペーローズ1世の息子である。宮廷での政変により廃位され、エフタルの下へ逃れ庇護を求めた。二年後、エフタルの支援を受け、サーサーン朝の王位を奪還した。カワード1世の復位はサーサーン朝の歴史においてターニングポイントとなる。カワード1世はマズダク教への支援を放棄、転じてゾロアスター教の保護に力を尽くした。カワード1世の貨幣は父親と同様、即位後と復位後の二種類の様式に分類される。最も主要な特徴として、復位後の貨幣の縁には、丸い粒の二重サークルと「星を抱く三日月」の標識が描かれるようになった。

 ☟はパネル上の硬貨の写真です。

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復位後の銀貨図。左:表面、右:裏面。

この王様も単独では、Wikipedia日本語版の紹介がありません。

 

では、ここまでの王様の博物館に展示されている貨幣を見ていきたいと思います!

まず、展示コーナーの様子をどうぞ!(^^)/☟

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では、アップにしていきます!

ご紹介する硬貨は、全て大唐西市博物館所蔵のものです。

最初はペーローズ1世A式

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銀:紀元457年~紀元483年

次☟はB式です。

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銀:紀元457年~紀元484年

 

☟こちらもペーローズ1世のもの。

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金:紀元459年~紀元484年

 

☟これもペーローズ1世で、早期のもの。

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銀:紀元457年~紀元483年

 

☟、ついに別の王の硬貨、登場!!

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バラーシュ1世:銀:紀元484年~紀元488年

 

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カワード1世:銀:紀元488年~紀元531年

 

ここからは、またパネルの説明に戻ります。(^o^)/

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【17.ホスロー1世(紀元531年~紀元579年)】
ホスロー1世はサーサーン朝において最も偉大な国王で、「ホスロー」とは「公正なる光栄」の意味である。ホスロー1世は父であるカワード1世の在位時にしっかりとした政治的基礎を蓄積し、カワード1世統治の末期にはマズダク教徒への鎮圧行動に参与し、それによってゾロアスター教祭司集団及びカワード1世本人の信頼を得た。
マズダク教鎮圧運動時期に起こった社会の変革は、ホスロー1世の時代には事実上合法的な制度として認められていた。例えば、出自が低い者でも公職に就くことができるようになり、まったく社会的基盤がないことにより完全に国王に忠実な腹心集団が形成された。また、中央政府及び官僚体制によって供給及び配備された兵士集団を整備し、軍隊及び官僚と中央政府間の関係を強化した。これら政策の指導の下、イランは半奴隷制から封建国家への転化を成し遂げた。

やっと、単体でWikipediaに紹介されている王様の登場です!!

ホスロー1世 - Wikipedia

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☝、左はホスロー1世の狩猟図を描いた銀盤。

右は、サーサーン朝の都城遺跡。(どこの遺跡でしょう???)

 

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【18.ホルミズド4世(紀元579年~紀元590年)】

この王には説明がありません。

Wikipediaにも、単独の日本語説明はないのですが、サーサーン朝全体の説明の中で、以下のように紹介がありました。

ホスロー1世の死後、息子のホルミズド4世が即位。590年にクーデターに遭い、両目を潰された後、処刑された。

サーサーン朝 - Wikipedia

両眼を潰され、処刑・・・・・・。

在位期間は短くないのに、現在まで伝わっている記録が即位と処刑の様子だけ?

国が繁栄している時に王になるならいいですが、争乱状態で国王になると、戦に明け暮れた挙句、惨殺される可能性もあるわけで、王になっても全然いいことがないような気がするのですが・・・・・・。

 

では、ホスロー1世とホルミズド4世の硬貨をご紹介します!

展示の様子をご覧ください。(*^-^*)

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☟はホスロー1世の硬貨を二分割してアップにしたものです。

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☝下側の写真の上二列は、上側の写真と重複しています。

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ホスロー1世:銀:紀元531年~紀元579年

 

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ホルミズド4世:銀:紀元579年~紀元590年

 

ここからは、右側の壁の展示をご紹介します!(*^▽^*)

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☝右側の展示はこんな風になっています。

では、左側から見ていきましょう!☟

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まず、ホスロー2世から。(^o^)/

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【19.ホスロー2世(紀元590年~紀元628年)】
ホスロー2世は「勝利者」と呼ばれていた。サーサーン朝において、初期の政治業績が突出している皇帝である。これまでに中国国内で発見されたペルシャ銀貨の中ではホスロー2世の銀貨が最も多く、600枚近く出土している。その次がペーローズの銀貨で約400枚余りである。

※上の写真の硬貨は、「フフホト市壩口子出土のホスロー2世の銀貨」です。

 

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この時の貨幣の表面は、多くが星と月と一対の羽を持つジグザグ状の王冠を被ったホスロー2世の頭像で、一対の羽はペルシャの戦争と勝利の神Vangelis Dedesを表し、銘文はパフラヴィー文字で「ホスローの繁栄を祝福する」と記されている。一般的なホスロー2世の銀貨と異なり、この銀貨の表面には丸い粒模様の円の外側右下に、二文字からなる銘文がある。銘文の意味は「賛美」で、豊饒の女神アナーヒターを讃えている。ホスロー2世即位後、11年目からこの種の銀貨が現れた。

(外周に銘文がある貨幣とない貨幣の対比図)

 

ホスロー2世も、Wikipediaに単独の紹介はありません。

サーサーン朝 - Wikipedia

Wikipediaの紹介では、ホスロー2世は「アケメネス朝の旧領域を支配地に組み入れた。一時はコンスタンティノープルも包囲」したが、「長年に渡る戦争と内政を顧みない統治で疲弊を招いていた結果、翌628年にクテシフォンで反乱が起こりホスロー2世は息子のカワード2世に裏切られ殺された。」とあります。

活躍しても、末路は悲惨・・・・・・。

 

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【20.アルダシール3世(紀元628年~紀元630年)】
アルダシール3世は、カワード2世の息子である。王位継承時、僅か七歳だった。二年後、アルダシール3世は将校Sahar Balasをリーダーとする貴族たちに殺害された。アルダシール3世は幼かったため、貨幣上の国王の頭像はみな髭のない若者の姿をしている。

 

七歳で即位させられて、九歳で殺害される・・・・・・。

Wikipediaのサーサーン朝の説明では、カワード2世の次は、「王位継承の内戦が発生した。長期に渡る混乱の末」、29代目最後の王となるヤズデギルド3世が即位・・・・・・となっています。

安定期以外、王族に生まれるのは不幸以外の何物でもないような・・・・・・。(T_T)

 

ここから、ホスロー2世とアルダシール3世の硬貨を見ていきます。(*^-^*)

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ホスロー2世:銀:紀元590年~紀元628年

すごくたくさん展示してあります。

左側から三列ごとにアップにしてみました。☟

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硬貨が大きく、文様もはっきりしているので、写真写りが良くて、嬉しい!!(*^▽^*)

 

f:id:shanshanduohuizi:20180616024321j:plainアルダシール3世:銀:紀元628年~紀元630年

左右に分割でアップにしました。☟

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直ぐ上の写真(右側部分)の左側3個は、左側部分の写真のものと重複しています。

確かに、髭がありません。

 

次の王(女王)のご紹介です。(*^-^*)

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【21.ボーラーン女王(紀元630年~紀元631年)】
サーサーン朝の帝王史には女性君主が二人いるが、共にホスロー2世の娘である。どちらも執政期間が非常に短かったため、発行された貨幣は非常に少なく稀有なものである。この一枚は、その内の一人の時代のもの、ボーラーン女王の銀貨である。ボーラーン女王は推挙されて女王となったが、その在位期間は僅か16か月にすぎず、原因不明でこの世を去った。この期間の歴史は殆ど知られていないが、幸いにもこの時期の貨幣が残っていたため、彼女が執政を行ったという有力な根拠となっている。貨幣の表面には球体装飾に三日月と一対の羽のある玉を象嵌した冠を被り、顔の両側に編み込んだ長い髪を肩まで垂らし、装飾品を身に着けた女王の姿がある。女王像の両側には古代ペルシャの祝福の言葉――「繁栄するボーラーン」が刻まれている。

 

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ボーラーン女王:銀:紀元630年~紀元631年

 

そして、サーサーン朝最後の君主の登場です。

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【22.ヤズデギルド3世(紀元632年~紀元651年)】
ヤズデギルド3世はサーサーン朝最後の君主である。636年11月、ペルシャの軍隊はカーディシーヤでの会戦に惨敗。翌年、ムスリム軍は首都クテシフォンを陥落させ、ヤズデギルド3世は東方への逃亡を余儀なくされた。651年、中央アジアのメルヴにて暗殺され、サーサーン朝は滅亡した。ヤズデギルド3世の子ペーローズ3世は中国唐王朝のもとへ逃れ庇護を受け、その末裔はみな唐王朝との交流が深かった。「冊府元亀」の記載によれば、唐玄宗の開元・天宝年間、依然として「ペルシャ王」からの使者が訪れていたという。ここで言う「ペルシャ王」とは、その嗣子と思われ、中央アジアでは依然としてペルシャ帝国の支脈との交流が途絶えることがなかったことが分かる。

(拝火教祭壇と祭司鳥神~太原隋代虞弘墓出土石製外棺前壁)

ヤズデギルド3世 - Wikipedia

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ヤズデギルド3世:銀:紀元632年~紀元651年

 

ちょうど左右等分でアップにしました。(*^-^*)

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最後に、大唐西市博物館で購入した書籍の資料をまとめて載せておきます。

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以上で、サーサーン朝の硬貨のご紹介は完了です。

後は、クシャンを除いた従属国の硬貨のご紹介を残すのみ。

それが完了したら、ついにレイアウト図の④展示室に移動します!\(^o^)/

 

 

今回、前回から半月も間が開いてしまったので、ここで少し、西北工業大学の様子を書きたいと思います。

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前学期・今学期だけでなく、私にとっては過去2回の留学時も授業を受けた「東館」。

今はもう、私たちが授業を受けていた6階以外、ほぼ全階不要な内装が撤去されてしまいました。

工事の騒音と振動の影響を避けるため、来週の試験は別の建物で実施されます。

なので、実質、今日が東館に入る最後の日でした。

そう思うと、すご~~~~く胸が苦しくなります。

1999年の9月から、留学中はもちろん、旅行で遊びに来た時も様子を見に立ち寄っていた懐かしい場所。

建物そのものがなくなるわけではありませんが、見た目がまったく変わってしまい、中に入ることもなくなると思うと、ちょっと大げさですが、一つの時代が終わってしまった・・・・・・、そんな気持ちになります。

私はもう一年西安にいます。

西安が好き」なのは何も悪くなく、いつまでも大切にしたい想いです。

でも、過去の記憶に捉われて、同じ場所から動き出せなくなっているなら、それは変えなくちゃいけない、変わらなければいけない。

今、創立80周年記念に向けて、至る所で改装を行っている西北工業大学を見ていると、そんな気持ちになってきました。

大学だけでなく、西安そのものが、「大西安」に向けて大きく変わろうとしています。

これから1年その様子を見続けて、その後日本に戻る。

次、いつ西安に来られるか全く予想が付きませんが、その時には、昔の面影を探すのは今みたいに容易ではなくなっているだろうと思います。

それを寂しいと捉えず、新しい発見を楽しみにできるよう、私も先に進まなくてはいけないなあと思う今日この頃です。

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いままでありがとう、東館!

 

建物だけでなく、自然の風景も刻々と移ろっています!

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真っ青な真夏の空!

この春に整備された庭園の池には蓮が咲きました!

コスモスがもう咲いているし、新芽の写真を撮るのに忙しかった柿は、いつの間にか実がこんなに大きくなってます!

もう、秋の準備まで始まってますね!\(^o^)/

 

最後は、12日火曜日夕方・・・・・・と言っても20時前ですが、1ヵ月ぶりに鼓楼・鐘楼の辺りまで行って来た時の写真です。

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ここでも、秋の味覚、ザクロがこんなに大きくなっていました。

これは白い花を咲かせていた樹。

赤い花が咲く樹と同じように実が赤くなるのかな?

秋まで、観察したいと思います!(*^-^*)

冒頭に天気予報が貼ってあったと思いますが、ちょうどこの時の物です。

到着したばかりの時は、35度。

日が落ちて涼しい風が吹き始めるのを、大勢の人が待っていました。

 

それでは、今回はこの辺で!(*^▽^*)