せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_6月29日(金):カシュガル2日目 (1)エイティガールモスク・ユースフ・ハーッス・ハージブ墓・アスラン・ハーン墓※7/24アスラン・ハーン情報追加

2018年6月29日(金曜日)、カシュガル、晴れ時々曇り。

 

前日遅くまで起きていたので、予定通り、起きるのが遅くなりました。(笑)

中国のホテルのテレビは、だいたいネットテレビ。

このホテルでも、普通のケーブルテレビ以外に、動画サイトの動画も見れたりします。

日本ドラマも結構あるサイトだったので、私は『ドクターX』をセレクト!

準備の間、「チャララララ~ラ、ララ~ン」と気合の入るBGMが流れていました。(笑)

ちょうどタイミングよく、加地先生と記念撮影!(^o^)/

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この日以降、西安に戻ってからもしばらく、ドクターX祭りが続きました。(笑)

さて、準備を済ませて、北京時間の12時半にホテルを出発。
現地時間なら10時半です。

行動開始にはちょうどいい時間ではないでしょうか???(#^.^#)

 

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出かける前、別館出入口から、外を撮影!
この日は薄曇り。
気温はまだ、そんなに高くありません。

 

では、この日の観光ルートをご紹介!\(^o^)/

①エイティガールモスク(艾提尕尔清真寺)

②ユースフ・ハーッス・ハージブ(玉素甫・哈斯・哈吉甫)のお墓

アスラン・ハーン(赛依提艾里・艾斯拉罕)のお墓

カシュガル地区博物館(喀什地区博物馆)

⑤香妃墓

香妃墓からの戻りに路線バスに乗った以外、全部徒歩で移動!!

約10時間、カシュガル市内を徘徊していました。(*^▽^*)

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だいたいこんな感じです。

緑のルートでスタート!\(~o~)/

 

まず、カシュガル古城を抜けて、エイティガール寺院へ。

以下、百度百科の出だし部分を訳してみます。

エイティガールモスク(中国語:艾提尕尔清真寺/ウイグル語:قەشقەر ھېيتگاھ مەسچىتى Héytgah Meschit)、中国語では「艾提尕」・「艾提卡尔」とも訳される。新疆ウイグル自治区カシュガル市にあるエイティガール広場の西側に位置する。1442年に建築が始まった。南北140m、東西120m、敷地総面積は1.68万㎡。「正殿」・「外殿」・「教経堂(コーランを教える堂)」・「院落(庭園)」・「拱拜孜(※正門を入ってすぐの空間、チケットを売っていた場所のことのようです)」・「ミナレット」・「正門」等の七つの部分に分けられる。エイティガールモスクは新疆最大のモスクであるだけでなく、中国最大のモスクでもある。中国内外の宗教界において一定の影響力を持つ、新疆ウイグル自治区における重点文物保護単位である。

 

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☝チケットは45元。
1人1枚、3日間有効と書いてあります。

でも、3日以内に再度訪問した時、寺院内に入れてもらえませんでした。

その他、このチケット料金には、古城施設の維持メンテナンス、民族色溢れる街並み・エイティガール寺院の観光を含むとあります。

このチケット購入前から、何度もこの区域に出入りしていますが、チケットの提示は求められたことがありません。

カシュガルに来たらエイティガール寺院はほぼ必ず見学するという前提で、そのチケット料金に街並み観光費も含めてあるんでしょうね。

チケット販売担当の方から、このチケットですぐ側にある「民俗」という文化を紹介している施設を見学できると説明を受けました。

ここには、最終日(7月1日)の朝一で出かけたので、後日、ご紹介したいと思います。

このチケット販売してくれた若者、大学で日本語も学んだそうで、日本語で話しかけてくれました。(*^-^*)

  

エティガール寺院内は写真撮影厳禁と言われ、私は荷物をロッカーに預け、日傘だけ手にして寺院敷地内に入りました。

ところが、次の日に会った人から「みんな写真を撮っていた」と聞き、ちょっとショック。

周囲の様子は18年前と大きく変わっていますが、中の様子はそんなに変わっていないように思います。

当時も写真撮影は禁止だったかな~~~?

少なくとも、寺院周辺内の庭の様子などは撮影したような記憶があります。

8月、日本一時帰国時に昔の写真を確認せねば!

もしあったら、当時の様子を追加しますネ。(*^-^*)

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(参考)

艾提尕尔清真寺_百度百科

エイティガールモスク - Wikipedia


次は、ユースフ・ハーッス・ハージブのお墓へ向けて、移動開始!。
エティガール寺院前の解放北路を、左手に人民公園を見ながら一路南下。
体育路まで来たら左折。

体育路の様子☟。当時はネムノキに花が咲いていました。(*^-^*)

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☝の写真、実は、緑の道路名標識の左隣が「ユースフ・ハーッス・ハージブのお墓」の入り口だったんです。

この写真を撮る時、全然気づいていませんでした。

正直に言うと、今、ブログを書いている最中に「あ、ここに写ってる!」と気付いた次第。(^^;

この時も、私は百度地図を起動して、それに沿って歩いていました。

でも、地図が示す目的地は、ここより更に先を右折となっていたので、反対側の歩道を歩いていた私はすぐ側にある目的地に気付かず、通り過ぎてしまいました。

 

右折すると、そこには小学校。

漢民族の学校なのか、周囲は赤いスカーフを首に巻いた漢民族の子供ばかり。

最初に子供に尋ねると、「まっすぐ先!」と教えてくれたので、更に前進。

でも、百度地図の現在地がだんだん目的地からそれ始めています。

なぜ~~~~????

そこで、校門の前で子供の下校を待っているお母さんに声を掛けました。

お母さん、親切に教えてくださいました!(*^^*)

ここでやっと、行き過ぎたことを認識。

引き返して門の前に辿り着くと、ちょうど女性がインターホンで中にいる人に連絡し、鍵を開けてもらっているところ。

なんと、幸運!!

この人に出くわさなかったら、どうやって中に入るのか分からず、見学を諦めていたかも。

中央の扉は厳重に鎖を巻いて、南京錠を掛けてあるんです。☟

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一般個人旅行客、これを見たら「今日はお休み」と思っても不思議ないと思います。

一緒に横の通用門から入って、手荷物検査を受け、☟の写真の左に見える窓口でチケットを購入!(^^)v

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チケットは、1人30元。

ここは写真撮影OKです。\(^o^)/

 

門を入って左手に、このお墓の主、ユースフ・ハーッス・ハージブについての紹介がありました。(チケットの裏にもあります。)

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☝左のお墓の紹介を訳してみます!

【ユースフ・ハーッス・ハージブ(玉素甫・哈斯・哈吉甫)の墓 概要】

ユースフ・ハーッス・ハージブの墓は、ウイグルの詩人・学者・思想家であるユースフ・ハーッス・ハージブの陵墓を主体とした園林である。ユースフ・ハーッス・ハージブが書いた長編大作『クタドゥグ・ビリグ(Qutadğu Bilig/幸福になるための知恵)』は、訓戒性の強い長編詩であり、また詩の形式を用いて書かれた哲学と理論学の著作でもある。ユースフ・ハーッス・ハージブの園林は墓地・イスラム寺院・記念館・展覧室で構成されている。建物全体が釉薬タイルで覆われ、壮大な迫力がある。その装飾文様は精巧で、作りは古風で飾り気がなく、後世ではあまり見かけることがない。特に建築の配置と細部の処理には、ウイグル工匠の卓越した技術と傑出した才能が現れており、非常に濃い民族色と高い鑑賞価値を備えている。

※赤色標記の部分について:

中国語では「整个建筑彩琉飞檐」「其装饰纹样非美」と記載されています。

この部分の訳に悩みました。

悩んで、夢にまで出て来たくらい。(笑)

ちょうど週末。

恒例の大唐西市博物館見学のタイミングを利用して、学芸員さんと英語担当解説員さんに尋ねました。

百度百科でも、日中辞書でも検索できますが、「飛檐」は中国建築の屋根のように、反り返った状態の屋根を指します。

でも、この園林の建築物に反り返った軒先は見当たらなかったんです。(◞‸◟)

学芸員さん、解説員さんの回答は☟の通りです。

「中国標準語では上述の意味に間違いないが、新疆ではもしかすると別の意味に使われるのかもしれない。当館の文物ではないので我々では答えようがない」

「非美」については、百度百科でも検索できませんでした。

英語担当解説員さんに、英語の内容を見ていただきましたが、この字に該当する部分が「肥胖(肥満)」の意味に訳されているとのこと。

「非」と「肥」の発音は「fei」で同じなんです。(声調は異なります)

それを踏まえて、学芸員さんからは、

「肥満ではなく、細やかな模様がびっしりと覆っているという意味ではないか?」

「もしくは、「非美」ではなく、「精美(精巧な・精美な)」ではないか?」

とアドバイスをいただきました。

それらを総合して、「飛檐」については訳さず、「非美」については「精巧な」を採用しました。

こんなわけで、今回もいつも通り、あくまで参考としてご覧ください。<(_ _)>

 

懲りずに、チケット裏の紹介も訳してみます。(^o^)/

ユースフ・ハーッス・ハージブはウイグル族の偉大な学者・思想家・詩人である。1019年、ベラサグン(現在のキルギス共和国のトクマク付近)で生まれ、後にカシュガルへ移り住み、そこで創作活動を行った。紀元1070年頃、ユースフ・ハーッス・ハージブは古代ウイグル語で13000行余りにも及ぶ長編叙事詩『クタドゥグ・ビリグ』を書き上げ、当時のカラハン王朝の君主へ献上。君主は「ハーッス・ハージブ」の称号を与えた。ユースフ・ハーッス・ハージブは紀元1085年、カシュガルにてその生涯を終えた。享年67歳。1957年新疆ウイグル自治区人民政府は、ユースフ・ハーッス・ハージブの陵墓を自治区の重点文物保護単位と認定した。

 

ユースフ・ハーッス・ハージブと彼の著書『クタドゥグ・ビリグ』については、Wikipediaもご参照ください。

ユースフ・ハーッス・ハージブ - Wikipedia

クタドゥグ・ビリグ - Wikipedia

百度百科もどうぞ!

玉素甫·哈斯·哈吉甫_百度百科

福乐智慧(古典长诗)_百度百科


敷地内には、とっても綺麗な葡萄棚が!

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熟すにはもう少し時間がかかるようですが、マスカットだと思えば本来この色!(笑)

緑の粒の連なりが下がっている様子は、とても美しかったです。(*^_^*)

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緑に縁取られた道を抜けて・・・・・・、

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お墓のある建物を囲む塀の入口に到着。

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ここに、ユースフ・ハーッス・ハージブさんの像があります。

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この像の前を通って、お墓へと進みます。

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この建物の中に、棺が収められていました。

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☟は、棺の納められた建物の周囲の様子です。

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この場所は、かつてコーランの教えを学ぶ講堂(讲经堂:教経堂)だったそうです。

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見学が終わり、ユースフ・ハーッス・ハージブさんの像の前まで来た時、立派な白いひげを蓄えたご老人が参拝にやって来られました。

ウイグル語で話しかけられ、カメラを覗き込まれたので、「写真を撮るな!」と訴えたいのかな?と心配に・・・・・・。

でも、そうではなかったようです。

私がお辞儀をして立ち去ろうとすると、身振りで、「自分に付いておいで。一緒に見学しよう」と伝えてくださっているように見えました。

それで、撮った写真をもう一度、今度は多めに見てもらい、「もう見学終わりました」と表現したつもり。

納得されたのか、諦められたのか、ご老人は一人で中に入って行かれました。

 

言葉が通じない。

中国に留学したばかりの頃を思い出しました。

身振り手振りの動作が非常に大きく、「小学生から踊ってるみたい」と面白がられましたっけ。(#^.^#)

以上、ユースフ・ハーッス・ハージブのお墓でした。

 

この辺で、ルートを再確認しましょう!(^o^)/

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北京時間12時半、ローカルタイム10時半にホテルを出発した私。

ユースフ・ハーッス・ハージブのお墓を後にしたのが北京時間14時半過ぎ(ローカルタイム12時半過ぎ)。

前日夕食が遅い上に大量だったため、この日は朝食を摂っていませんでした。

さすがに、空腹が限界に!

バスに乗って次の目的地に直行すると食べ損ねてしまいそうなので、目的地に向かって歩きつつ、食堂を探すことにしました。

体育路を東へ。

天南路とぶつかるので、そこを左折して北上。

道中、いくつも食堂はありました。

でも、現地のお店には戸口にシャッターのような扉が併設されていて、店内が薄暗いと、明るい外からは営業しているのかどうかよく見えないんです。

中が見えても人が少なくて、美味しいんだろうか???なんて気にしてしまい、立ち止まることなく前進していました。

外でシシカバブを焼いているお店も同様、中が見えない、或いは人が少ない。

「抓饭(ポロ)」を売っているお店の店頭の鉄鍋の中は、ほぼ空っぽ。

僅かなご飯が油の中に浸かっているような状態。(T_T)

結果、20分ほど歩いて、やっとめぼしいお店を見つけ、着席しました。

座るとすぐに出してもらえる、お茶がありがたい~~~!!!

そのお店のメニューです。☟

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私は左上から2番目の「薄皮包子」を注文。

ウェイトレスさんの回答、「ありません」

次は右の一番上「抓饭(ポロ)」。

これもなし。

何があるんですか?と尋ねると、右上から2番目の「拉麺(ラグメン)」と、もう一つの料理名を答えてくれました。

あと、シシケバブとヨーグルト。

結局、前日夜と同じメニューを注文することになりました。(ーー;)

 

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これは10元のもの。

大きさと金額から判断。

前日夜のラグメンは12元でした。

だからあんなに多かったんだ~~~。(^^;

このお店、観光地からは遠く離れた、一般住宅街にありました。

でも、価格はエイティガール広場のお店と同じ。

私はてっきり、観光地であるエイティガール広場側にあるあのお店は割高なんだと思っていました。(^^;)

そして味は・・・・・・。

味と言うか、このお店は羊肉が筋っぽい硬いところを使っていて、しかもお肉がちょっと少なめ。

これは、翌日夜、またエイティガール広場のお店に行って、10元バージョンを食べての比較です。

スパイシーなお茶は、2店舗とも同じ味でした。

これがカシュガルの定番???

 

取りあえず空腹を満たして、再スタート!

引き続き天南路を北上すると、人民東路に到着。

そこを右に曲がって東湖公園方向へ進んでいると、公園手前の交差点で、左手に観覧車を見つけました。

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ここが、人民東路と吐曼路・帕依納普路の交差点。

観覧車は、吐曼路側にあります。

 

ここから、東湖公園の東湖の上に架かる橋「吐曼橋」に差し掛かります。

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直射日光を遮るものが全くない区間

地図で調べると600mくらいあります。

曇っているように見えますが、太陽は顔を出したり、引っ込めたり。

日差しはかなりキツイ!!

日傘を持つ手を握り直し、意を決して出発!

 

と思ったら、

「そこの人っ、地下道を通りなさいっっ!!」

交通整理を行っている女性警察官に注意を受けてしまいました。(^^;

通り向かいの観覧車ばかり見ていたせいで、少し手前にあった地下道入り口を見落としました。

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☝、ちょっと晴れてきました。

散水車が水を撒いて行ったんですが、数分とかからず、あっという間に蒸発。

橋の向こう(進行方向左手)に見えているのが、翌日見学予定の「高台民居風景区」。

ホテル近くの観光用に整備されている「古城景区」とは違う、本当に古い民居が集まっている場所です。

☟は進行方向右手にある東湖公園の中心に建築された「カシュガル市都市計画展示館(喀什市城市规划展示馆)」。

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カシュガル最終日、カシュガル駅へ向う路線バスの中。

後ろの席にいた女性が、かなり手前から「写真を撮れ」という風な身振りで外を指示していました。

どこのことか分からないのでとりあえず撮影していたら、この場所を通過。

後ろの女性、満面の笑みで「そう、これよ!」と思われるウイグル語を伝えてきました。

カシュガルに住む人たちにとっては、この建物は発展の象徴、誇りなのかな。(*^-^*)

 

「吐曼橋」、渡り切りました!

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 この道を更に前進します!

が、ここで、私は念のためルートを確認!と、百度地図を再検索してしまいました。

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☝、東湖公園の右手、黄色い線をご覧ください。

この場所で再検索した百度地図の結果は、前もって検索した時の幹線道路ルートではなく、交差点を過ぎてすぐに右折するよう指示。

確かに、地図上にはちゃんと道があります。

大通りを行けば、かなりの遠回り。

私は親切に近道を示してくれた百度地図に感謝しつつ、指示に従って右折し、順調に目的地に接近!!

地図では小学校の敷地の端に沿って細い道がありました。

遠目に、お母さんたちが子供を迎えに来ている様子も見えます。

よしよし、間違えずに進んでるぞ!!!

ところが!

喜んだのもつかの間。

目前に、フェンス出現!!!

私はまだ、そこを通れると思っていました。

ユースフ・ハーッス・ハージブのお墓への行き方を尋ねた時のように、お母さんたちが立っているのは公共の道路、だからフェンスに扉があると思っていたんです。

そうでないと、このフェンスの外側に住んでいる子供たちが学校に通うのに、どれだけ遠回りしないといけないことか!

ちょっと都合よく解釈。(^^;

でも、やっぱり、甘かった・・・・・・。(╥_╥) 

地図では道と示されている部分、現実には小学校の敷地扱い。

フェンスの内側にいるお母さんに声をかけて聞いてみましたが、ここは行き止まり。

フェンスに通りぬけできるような場所はないとのこと。

アスラン・ハーンのお墓についても尋ねましたが、この近辺に著名人のお墓があるのはご存じないようでした。

地図では目的地まで半分近く歩いたのに、引き返さなくてはならないなんて!!!(T^T) 

 

仕方ありません。

大道に戻って、先々で地元の人に尋ねながら、緑ルートで門の前まで行きました。

 

ところが、またしても、が~~~ん!!!( ゚Д゚)

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ユースフ・ハーッス・ハージブのお墓の時同様、がっちり鍵がかかっています。

通りすがりの漢民族の女性曰く、「今日は金曜日だから、礼拝があるはずなのに、なぜ閉まっているのかしら?」

門の前をウロウロしていると、道を尋ねた漢民族の若者がスクーターで通りかかり、「ここだよ!」と指さして過ぎ去っていきました。

・・・・・・。

暫くそこに佇んで・・・・・・、ここは諦め、次へ向かうことにしました。

「青年北路」をローターリーまで戻り、更に少し直進すれば、「カシュガル地区博物館」に辿り着けます。

ちなみに、この「青年北路」、かつては「艾爾斯蘭汗路」と呼ばれていたようです。

現地の道路案内看板では「青年北路」となっていても、現地の人は「艾爾斯蘭汗路」と言っていましたし、ネット上の情報でも「艾爾斯蘭汗路」と記載されています。

記憶が間違っていなけれな、6月29日当時の百度地図でも「艾爾斯蘭汗路」となっていた気がします。

辺境の地だけに、百度地図への情報反映の微妙な誤差が存在するんでしょうか?

ところで、地元民に馴染んだ、地元の著名人の名前を冠した通り名を、なぜ、どこの都市にでもあるような無味乾燥の名称に変えてしまうのか?

迂闊なことを書くとアク禁になってしまうので、自重します。

 

さて、来た道を戻りかけ、たまたま振り返った先に、お墓のような丸いものが見えました。☟

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さっき門の外から見えた建物の後ろにあります!

たぶん、これがアスラン・ハーンのお墓。

目視することができて、ここまで迷走してきた疲れも忘れることができました。

 

ところが!

今、このブログを書くにあたり百度百科を再々検索してびっくり!

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左が、カシュガルのホテルで検索したルート。

右が今、東湖公園を過ぎた位置から検索し直したルート。

この地図を見て初めて知りました。

私がお墓の写真を撮った道を、そこから根性で前進し、更に左折を行えば、おそらく正面入り口に辿り着けた!!!(T_T)

上で紹介したルートを記入している地図で、紫色で補足したル部分です。

そして、左側、ホテルで検索した地図をよ~~~く見ると、目的地を示す「終」マークの後ろに、それらしき表示が隠れていました!!

ホテルからのルートだと、縮尺が小さくなるので細かいところまで見えてなかったんです。

しかも、ホテルの照明は薄暗いし・・・・・・。

いくつもの不運(自分のおっちょこちょい)が重なって、アスラン・ハーンのお墓の全容を知ることなく、立ち去ってしまいました。

カシュガルを去ってから、もう20日以上過ぎました。

なのに今頃、正しいルートが分かるなんて。 o(╥﹏╥)o︎

突然思い立って準備した旅行だけに、なんて詰めの甘い事・・・・・・。

 

余談ですが、☝のスクショの左側の左上をご覧ください。

「3G」とあります。

新疆に入ると、中国移動の電波が「4G」から「3G」へダウンしました。

更に、列車移動中、駅から離れるとただの「G」へ!

トルファンのタクシー運転手さんの話では、トルファン現地の携帯番号は、今、順次「4G」対応に変わっているそうです。

 

せめて、アスラン・ハーンについて、情報があれば訳してみよう!と思い、百度で検索したのですが、所在地くらいしか紹介がありません。

知名度がそんなに低いハズないと思うんですけど・・・・・・。

赛依提艾里艾斯拉罕墓---喀什三日(四十九)_五彩鸟_新浪博客

 ☝の、中国人写真愛好家の方が2009年10月22日、正面扉が少し開いていたので中を覗いて(最終的には中まで入っているようなアングルもあります)撮影した写真を載せた中国語ブログが一番詳しそうでした。

でも、建物についての描写・感想が主体で、墓の主についての情報はありません。

10年ほど前の様子をご覧になりたかったら、このブログを訪問してみてください。

 

これで、29日の前半を終了します。

後半は、「カシュガル地区博物館」と「香妃墓」をお送りします!(=^▽^=)

 

※2018年7月24日 アスラン・ハーン情報追加

ここ暫く、カシュガルでの訪問先をブログで紹介しています。

その途中、カシュガル地区博物館の序文を訳していて、中国語の「喀什」標記は「喀什噶尔」の略称という表現に出会いました。

それは別に以前から知っていたのですが、声調付きピンインをブログに載せたくて、百度百科で「喀什噶尔」を検索。

すると、「喀什噶尔」の目次の第一「歴史沿革」に「阿尔斯兰汗墓」・「阿里·阿尔斯兰汗」という名称があったんです。

更に、説明の中で「現地の人々には“赛依德·阿里·阿尔斯兰汗麻扎”と呼ばれている」ともありました。(※「麻扎」は「墓」の意味です)

百度地図上では「赛依提艾里・艾斯拉罕墓」と表記されていた「アスラン・ハーンのお墓」。

「赛依提艾里・艾斯拉罕(sai yi ti ai li・ai si la han)」と「赛依德·阿里·阿尔斯兰汗(sai yi de ・a li ・a er si lan han)」。

音が似ている!

同一人物だと、どうやって確認したらいいんだろう?

この二つの名称、これまで私が検索した範囲内では、「別名」等と称して一緒に出現したことはありませんでした。

う~~~ん。

そうだ!カシュガルでたった一人、Wechatを交換した人がいました。

カシュガル在住漢民族の土産物売り場の店長さんです。

ご迷惑とは思いつつ、この店長さんに尋ねてみました。

店長さん、ウイグル族の人に聞いてくださいました。

同一人物だそうです!!

ありがとうございました~~~!!!\(^o^)/

 

「赛依德·阿里·阿尔斯兰汗(sai yi de ・a li ・a er si lan han)」なら、「サイード・アリ・アスラン・ハーン」とカタカナ表記にしてもいいかな?

私、「赛依提(sai yi ti)」をどう日本語表記にしていいか、分からなかったんです。(^^;

似たような名前の君主も多いですし、間違っちゃヤバいと・・・・・・。

これならほぼ安心!

Yahoo!で「サイード・アリ・アスラン・ハーン」と入力して検索すると・・・・・・。

あった!!

カシュガルに旅行された方のブログに、この名称とたくさんの写真が!

写真、私が遠目から見たものと同じです。

この方は、敷地内にも入られたようです。

ついでに、この方が見学された2014年は、エイティガール寺院内の撮影が可能だったようです。

『ユーラシア大陸横断【陸路】19-20日目 中国・ウイグル カシュガル』喀什(中国)の旅行記・ブログ by worker antさん【フォートラベル】

 

さて、アスラン・ハーンについて、百度百科の記述を訳してみたいと思います!

アリ・、スラン・ハーン(阿里·阿尔斯兰汗)】

フルネームは(中国語表記で)阿里·阿尔斯兰汗·舍希德·艾布·哈桑·本·巴伊塔什·阿尔斯兰汗。回鶻族(かいこつ族:百度百科では、ウイグル族の祖先と紹介)、カシュガル(現在の新疆カシュガル市)人。

アリ・アスラン・ハーン(?~998年)は、カラハン朝の可汗(カガン)。カラハン朝の王族出身。祖父のサトゥク・ボグラ・ハン はイスラム教に帰依した初めての可汗であり、父のムーサー・アスラン・ハーンはカラハン朝の大可汗である。幼いころから宮廷とイスラム教の教育と薫陶を受けた。およそ10世紀70年代に即位した。当時、カラハン朝は仏教国である于闐(ホータン)との宗教戦争において劣勢に置かれ、国内の仏教とも頻繁にイスラム教への強制改宗に反対して暴動を起こし、西部はカラハン朝の宿敵であるサーマーン朝の脅威にさらされていた。政権を握って以降、仏教徒の反抗を鎮圧、国内の情勢を安定させると同時に、引き続きホータンの仏教徒と戦い続けた。992年、アリ・アスラン・ハーンはサーマーン朝の動乱を利用し、従兄弟である副可汗・ハサン・ボグラ・ハンを河中地域へ出兵させ、サーマーン朝へ進攻、一たびは首都であるブハラを占領し、サーマーン朝に大きな打撃を与えた。また自ら軍を率いてホータンに進攻した。998年初め(イスラム歴388年1月)、現在の新疆英吉莎県都北部で発生した戦闘において、ホータンの仏教徒に殺害され、カラハン朝可汗の中で最初の殉教者となった。12世紀のアラビアの歴史家イブン・アスィールの著書「完史」の記載によれば、アスラン・ハーン死後、カシュガルのカラハン朝王室墓地に葬られた。その陵墓の名は「奥当麻札」という。アスラン・ハーンの死後、その末裔は家系「アリ一族」を形成し、分裂後の西カラハン朝を統治した。

 

さらに、「カシュガル」についての記述の項目の中で、気になったところだけ訳してみますね。(^o^)/

アスラン・ハーンは英吉莎で戦死後、遺体はホータンの仏教軍に「奥達木麻札」に放り捨てられたが、首はカシュガルに持ち帰られ、「艾斯克萨城」の壁に曝された。その後、アスラン・ハーンの首はカラハン朝により「艾斯克萨」古城から遠くない吐曼河の畔に丁重に埋葬された。これが、我々が今日見ることができる「阿尔斯兰汗麻扎」である。

この墓は、作られた当初は簡素なものであったが、以降、代々補修拡大が行われた。今日見ることができる大きな墓となったのは、紀元1860年1861年のことである。このことは、墓の南頭上にあるアラビア文字の紀年碑文により証明される。

この墓を現地の人々は「サイード・アリ・アスラン・ハーン墓」とと呼んでいる。「サイード」とは、イスラム教における「預言者ムハンマドの子孫」のことである。この墓の東側、さほど離れていない場所に、もう一つ、アスラン・ハーンに所縁の遺跡がある。これが「艾拉丁海尼姆麻扎」である。これはアスラン・ハーンの母親、カラハン朝の皇太后「奴尔艾拉丁」の陵墓と言われている。息子の首だけが故郷に戻ったと知り、年老いた皇太后は悲しみのあまり生きる意欲を失い、死後はここへ葬られた。この墓の主が女性であるため、この墓はイスラム教徒の女性にのみ開放されている。

 

【参考】

カラハン朝 - Wikipedia

喀什葛尔_百度百科

阿里·阿尔斯兰汗_百度百科

 

以上、追加情報でした。(*^-^*)