せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_6月29日(金):カシュガル2日目 (2)カシュガル地区博物館・香妃墓

2018年6月29日(金曜日)、カシュガル、晴れ時々曇り。

 

前回の続き、29日の後編です!\(^o^)/

地図をご覧ください!

現在地は、地図右下の「アスラン・ハーンのお墓」前です。

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 アスラン・ハーンのお墓から移動しようとした時、既に17時前。

次の目的地「カシュガル地区博物館」は、これから行って、まだ開いてるかな?

開いてても、残り時間が少なかったら、入れてもらえるんだろうか?

なんて、心配もチラホラ。

それで、一度は「カシュガル地区博物館」見学は翌日に回し、このまま直接「香妃墓」へ行こうかな~と考えました。

そして、現地の人が「反対車線にあるバス停で待ちなさい」と教えてくれたので行ってみました。

私自身も、緑色の車体で、正面の電光掲示に「香妃墓」と表示したバスを目撃したばかり。

でも、道を渡ってバス停に行っても、標識らしきものがありません。

さっき見たのは、通過しただけ???

本当に停車してくれるのか、かなり不安。

見えて来たら全力で手を振ってバス止めねば!と日陰に立たず、直射日光を浴びて待つことしばし。

暑い・・・・・。

当分来そうになくて、だんだん待つのが面倒に・・・・・・。

もろに日差しを浴びながら、いつ来るか分からないバスを待つのも苦痛なものです。

 

見極めが早いと称賛すべきか、諦めが早い反省すべきか?

悩むのを止めて、日陰になっている、元居た側の歩道に戻り、前進を開始。

取りあえず博物館へ行って、入れなかったら「香妃墓」へ行くことにしました。

 

ここで、もし待っていたら、バスは来たのだろうか?

この疑問を検証すべく、路線の確認を始めて・・・・・・。

百度地図」が成長中であることを発見。

既に、7月28日の記事に補足しましたが、「遊覧観光バス」も「百度地図」で検索できるようになっていました。

そして、「香妃墓行き」の「遊覧観光バス①」の路線は、ま~~~ったく「アスラン・ハーンのお墓」の前の通りをかすめもしていませんでした。

仮に、ホテルから「香妃墓」へ往復しようとすると、こうなります。☟

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左と中央は行き、右は戻りの路線です。

戻りは、停車するバス停の関係で、「遊覧観光バス①」は使えません。

これは現地で写したバス路線案内図でも確かめられました。

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もしかして「遊覧観光バス①」が空港へ戻っている所を見たのかな?

そう思って、☝のバス停を「百度地図」上で探していきましたが、ルートは外れていました。

私が見たのは、いったい何だったんでしょう?(╥_╥)

 

ちなみに、この場所からバスで「香妃墓」へ行こうとするなら、☟のルート。

乗り継ぎで、やっと「遊覧観光バス①」が出てきます。

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☝は、最短の10路線バスと「遊覧観光バス①」の組み合わせです。

青年北路の「アスラン・ハーンのお墓」の前から直接バスに乗って行くことはムリでした。

さっさと次の行動に移って何よりでした。

ただ、今、「百度地図」でこうでも、1か月ほど前は違っていたのかも知れません。

 

いずれにせよ、カシュガル地区博物館の近くまでは歩かないとバスにも乗れないので、前進あるのみです!!!

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☝は、今歩いて来た青年北路と、東湖公園方向から歩いて来た人民東路、更に世紀大道と、これから進む塔吾古孜路が交差するロータリー。

建物に縦に赤い字が書いてあるのは、で店名が書いてあるのは、世紀大道と塔吾古孜路の間に建っている「怡家快捷賓館」です。

 

ここから「カシュガル地区博物館」へは、徒歩200mくらい。

あっという間に到着です!\(^o^)/

時刻はおよそ17時15分。

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ここも、敷地内に入るには、入り口のカギを開けてもらい、パスポートを提示して、手荷物検査を受けなければなりません。

幸い、ここの守衛さんお二人は、門のすぐ内側のよくみ見える場所に座って待機していました。

まだ見学できるようデス!\(^O^)/

 

階段を上がって建物の中に入り、受付でノートに氏名やパスポートナンバー等を記入。

日傘が邪魔だったので、受付けで預かってもらいました。

受付けの女性に確認したところ、開館時間は北京時間10時~19時半ということでした。

これなら、まだ2時間くらいあります!(*^▽^*)

百度百科で紹介されている時間帯と誤差があります。

百度百科記載:オフシーズン:10時から19時 / オンシーズン:9時半から20時

 

二階と三階に展示がありました。

二階は、中央に働くウイグル族の人々、壁際には音楽を奏で、踊る人々の人形。

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二階はこの周囲に、テーマごとの展示コーナーがあります。

 

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【序文】

独特の自然風景、素朴な民族風情、輝かしい悠久の歴史文化が、人々に「カシュガルに来なければ、新疆の歴史がこれほどまでに長いことを知らないままだった」との感嘆を上げさせた。

(中国語の)「喀什( kā shí :カシ)」は「喀什噶尔(kā shí gá ěr:カシュガル)」の略称であり、「玉石が集まる地」を意味し、文字により記載されている歴史は2000年余りに及ぶ。この地は古来より多民族が集住する地域であり、漢民族ウイグル族・タジク族等、多数の民族がこの地で祖国の辺境を共同で建設し、現代的民族の発展の過程を共同で完成させ、貴重な文化遺産を留めた。これら文化遺産は、各民族の絢爛多彩な民族文化の物証であり、また中華民族「一体多元」文化の重要な構成の一部である。

展示は衣・食・住・交通等の面からウイグル族とタジク族の風俗習慣を紹介している。各民族間での理解・尊重・寛容・評価・学習・助け合いが促進されることを願い、「社会の安定と長期に亘る治安の維持」という全体目標を成し遂げるために力を集中させ、富強・民主・文明的で調和のとれた社会主義カシュガルを建設するため、新たな一章をつづる。

展示のテーマを書いておこうと訳し始めたら、すごく政治色の濃い序文でした。(^^;

でも、ここで「喀什噶尔(kā shí gá ěr:カシュガル)」のピンインを検索した際、一つ前の記事で情報がないとい残念に思っていた「アスラン・ハーン(赛依提艾里・艾斯拉罕)」について、用いられている漢字は違うけれど、音にすればほぼ同じ、つまり同一人物ではないかと思われる記述に行き当たりました。

これは、ラッキー!!

確認するため、カシュガルで唯一Wechatを交換した、カーペットや玉を売っているお店の店長さんに訊いてみました。

結果は、同一人物~~~!!🎉🎉🎉

ということで、一つ前の記事に情報を追加することができました!!!

店長さん、ご協力ありがとうございました。\(^o^)/

 

序文でも触れてあるように、「衣・食・住・交通」の面に分けて、展示されています。

私は入り口左手から見学し始めたので、最初は「食」です。(*^-^*)

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カシュガルの住民の多くは小麦粉で作ったものを主食とするが、米やとうモロコシの粉も食べる。また羊肉・牛肉を好み、一般的に食事には牛肉・羊肉を用いる。普段食べている物には、ナン・ラグメン・バオズ・ポロ等がある。ナンは特製の窯で焼き上げる。種類は豊富で、保存しやすい。麺類には主にラグメン・焼きうどん・スープ麺等がある。ポロとペテルマンタは特色ある食べ物である。また、羊肉の串焼き・羊の丸焼き・駱駝肉の串焼き等の美食は全国にその名を知られている。

【参考】

ウイグル料理 - Wikipedia

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一般的に、こういう食べ物の見本は、レストランの入り口に置いてあるような食品サンプルだと思います。

でも、ここの展示物、綿製品類やドライフルーツ類はどう見ても実物に思えます。

本当に本物なら、定期的に交換しているんでしょうか?

館員さんに確かめておけばよかった・・・・・・。(◞‸◟)

 

次は農畜産業について。 (^^)/

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【農耕従事 牧畜と園芸業の兼業】

古書では、ここは「農業がきわめて盛んで、花や果物が生い茂っている」と記載されている。現在、カシュガル地区のウイグル人は主に農業に従事し、小麦やトウモロコシ・綿花、更に水稲・大麦・油菜・まくわ瓜・西瓜等を栽培している。家庭では羊・牛・馬・ロバ・駱駝等の家畜を飼育している。また補足的に園芸業や果樹栽培を行っている。カシュガルは(新疆ウイグル自治区で採れる)アーモンド・棗・桃・杏子・林檎ザクロ及びドライフルーツを豊富に産出する。

パミール高原に居住するタジク人は牧畜業を主とし、メンヨウ・ヤギ・ヤク・牛・馬・ロバ・駱駝等を家畜としている。農作物は寒さに強い裸麦・春小麦・豌豆等が最も多く作られている。

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工具の展示と、麦刈り中の模型がありました。

 

☟は「住」です。(*^▽^*)

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【 阿以旺式住居(Aywangs Style Dwellings)】

カシュガルの民居は、阿以旺式が最も代表的である。阿以旺式とは内向きの閉鎖された空間で構成され、その平面と空間は中央にあるホールを中心とし、四辺に全ての部屋が配置される。採光・通風は高い位置にある窓から行い、竈・暖炉・壁龕は全て柱の側に設置され、風と砂埃が激しい自然条件に適している

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ここで展示されていたのは、四辺の内の一辺にある部屋2か所の様子です。

☟は、7月1日に見学した「民俗」という民俗文化の紹介と特産品の販売を行っている展示館で撮影した写真です。

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ちょっと(かなり?)質素ですが、形式は同じ。

左手に竈が見えます。

 

ここからは、手工業の紹介です!(*^-^*)

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【陶器と銅製品の製造 秀でた手工芸】

カシュガル地区のウイグル人は自分達の生活における必要性と審美眼により、地元カシュガルで材料を調達し、例えば銅製品・陶器・押し染め・刺繍・楽器・木製器具の製作等、自分達民族の文化伝統を伝える手工芸品を発展させてきた。それぞれに非常に精巧で図案は美しく、色鮮やかであり、これらは中華民族の芸術宝庫における絢爛たる花である。

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☟は銅製品。全て清朝のものです。

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☟は陶器。左側が清、右側が中華民国のものです。

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☟は英吉沙と言う場所の特産であるナイフ。

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☟は押し染めや刺繍の展示。

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☟は、中華民国時代の、押し染めの木型。

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昔、イランでペルシャ更紗をプリントしている所を見たことがあります。

あれも、木型を使っていました。

印刷する時、ちょっと位置がずれたりしないのかな~?

不器用な私の、素朴な感想んでした。(笑)

 

次は、服飾。\(^o^)/

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【豊富で多彩な服飾】

カシュガル地区の人々の服飾は多用で優美である。ウイグル族の伝統的な服飾について、男性が着用する袷袢(qiā pàn:チアパン)は前身ごろが真ん中で割れ膝まで届く長い上着で、腰には長いベルトを巻く。縁飾りのついたプルオーバーを上着の下に着る。女性は色とりどりのシルクで作られた艾徳莱斯(ài dé lái sī:アイデェライス)、或いは多色の織物で作ったワンピースを着用することが多い。その上にベスト或いは上着を纏う。眉を描き、イヤリング・指輪・ネックレス等の装飾品を身に着ける。男女ともに刺繍が施された小さな帽子を被り、革靴を履くが、様式・装飾図案は異なる。民族的特色が非常に豊かである。

タジク人の服飾には毛皮が多用され、また装飾を重んじる。男性は頭上に子羊の皮で作った帽子を被り、冬場は羊の皮で作った外套を着用する。女性の刺繍が施された帽子の後部にはベールが垂れ、ワンピースを着用し、その上に袷袢(qiā pàn:チアパン)を羽織る。衣服・ベルト・帽子・靴の全てに縁飾りが刺繍され、民族と地域の特色が鮮明である。

☟の左に掛けてある布が「艾徳莱斯(ài dé lái sī:アイデェライス)」。

右側に両袖を広げて展示されているのが「袷袢(qiā pàn:チアパン)」です。

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私は森薫先生の「乙嫁語り」が好きです。

細かい刺繍が描かれた衣装を、一コマ一コマ、繰り返し描き続ける。

衣装だけでなく、建物や食品の質感もとってもリアル。

どれほど根気のいる作業なんでしょう!!

この博物館1階の展示物は清や民国時代のものが中心で、「乙嫁語り」の時代はこうだったのかな~と思いながら展示物を見ていました。(*^-^*)

 

更に、楽各種楽器の展示もありました。

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☝の下は「卡伦琴(Ka lun)」という楽器だそうです。

上の写真の上段に並んでいる楽器とはタイプが違っていて、これだけアップを撮りました。

これは・・・・・・、複製品?

この後、三階を見学しました。

この三階の最後の方に、清代の楽器が展示されていて、その中に「卡伦琴(Ka lun)」も展示されていました。

それをここで紹ご紹介しておきますネ。(*^▽^*)

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年季が入ると、こんな感じです。☝

 

ここから、三階へ移動します!(^o^)/

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【序文】

カシュガルの古称は「疏勒(呉音:しょろく、漢音:そろく、拼音:Shūlè)」。中国の西端・ 葱嶺(そうれい:パミール高原)の東麓に位置し、東西の陸路交通をつなぐために避けては通れない場所である。石器時代には人類は既にここで活動を始め、青銅及び前期鉄器時代の先史時代、既に中原とその周囲及び草原地帯と密接な経済文化関係を保ち、紀元前60年になると漢朝が西域都護府を設置、正式に中国の版図に組み込まれた。

漢唐以来、シルクロードの発達に伴い、使者・商人の往来が絶えず、商業貿易が繁栄し、各種宗教が伝播した。シルクロードの南・中央の大動脈を押さえていた疏勒は、中央アジア西アジア・ヨーロッパをつなぐ要路の接点であり、シルクロードの珠玉である。この地に集まり生活する各種族の人々は、自らの勤労と知恵により、絢爛たる歴史文化を生み出した。

カシュガル地区はめったに雨が降らず乾燥しているため、地上や地下に点在する古代の文物が比較的良い状態で保存されてきた。これら文物は我々に、「ここが祖国にとって切り離すことのできない重要な場所、多様な民族・宗教・文化が併存する場所である」と伝えている。我々は中華民族の素晴らしい伝統・団結と寛容・民族団結の擁護及び祖国の統一を継承・発揚し、中華民族の偉大なる復興の道を大きく前進していく。

【参考】

疏勒 - Wikipedia

 

 終盤1/3は、またしても中国的な文面でしたね。(笑)

でも、それ以前の部分で、カシュガルの歴史は非常に古いということが分かります。

 

最初は、先史時代。(*^-^*)

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【先史文化と東西交流の始まり】

カシュガル地区は石器・青銅器・前期鉄器時代の先史時代を経て来た。ここで出土したものには打製石器・細石器・磨製石器があり、狩猟経済から農業経済へ発展する全過程を反映している。

カシュガル地域には、疏附県の康玄・タシュクルガン・タジク自治県の上庫英地爾遺跡のような青銅及び前期鉄器時代の遺構が点在しており、下坂地・香宝宝・曲曼墓地は科学的な発掘が行われている。これらの遺跡や墓からは、動物の骨格・麦わら・陶器・木器・銅器・鉄器・毛織品・皮革製品等が出土しており、この時代の人々が農業と牧畜業の兼業生活を送っていたこと、陶器・木器の加工及び毛織物業等の手工業がある程度発展していたこと、また商品のやり取りが既に行われていたこと、自然と神への崇拝が行われていたことを説明している。

 

☟は「石器工具の使用」に関する展示。

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小さい上にピンボケです。(ーー;)

☟は、「下坂地墓地」。紀元前1500年~紀元前600年。

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☟は、「香宝宝墓地と曲曼墓地」の紹介。

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ピンボケの説明パネルの文字を根性で読むと、香宝宝墓地と曲曼墓地は共にタシュクルガン・タジク自治県内にあるお墓のようです。

紀元前500年~紀元前400年の間のお墓だと説明されています。

☟は、☝の写真のパネルの、左から2枚分。

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現地の様子ですが、香宝宝墓地と曲曼墓地のどちらなのか、オリジナルの写真でも読めませんでした。(T_T)

  

次は、漢唐と疏勒に関するコーナー!(*^-^*)

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【漢唐シルクロードの開通及び疏勒の勃興】

漢代に西域都護府が設置されて以降、疏勒は文字による記載が残された歴史時代に入った。魏晋南北朝を経て、唐代、疏勒は軍事の要衝となり、唐朝はここに佉沙(qū shā:カーシャ=疏勒)都督府を置き、また疏勒鎮を設置、安西都護府が統括した。

漢代にシルクロードが開通して以来、東西を行き来する官吏や使者・商人が押し寄せ、社会経済を促進させた。特に商業貿易は急速に発展し、これに伴って農牧業や手工業、特に交通輸送業の発展がオアシス都市を出現させ、人々の生活は改善された。同時に、文字が登場、文化が発展し、仏教が盛んになり、仏教芸術が繁栄した。

 

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たくさんある展示物の中で、☟の三つは乾燥した気候だからこその保存状態に感動!

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☝の英語説明では、羊毛の紐となっていますが、中国語では綿紐で編んだ靴です。

唐代の紐、撚った状態がこんなにクッキリ!\(^o^)/

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唐代の木製の鋤と、漢唐代と時代の判別がちょっとアバウトな胡桃。(笑)

私は幼少の頃、祖父母の家に行って納屋で遊んでいた時、こんな風に白っぽく古くなった木製の工具を見たことがあります。

あれは、せいぜい十数年ほったらかしだったくらいじゃないでしょうか?

胡桃も、中身がどうなっているのか分かりませんが、外観からはまだ割って食べられそうな感じ。

 

☟の上は、唐代の陶製の壺です。☟は漢代の陶製の鉢。

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☟は唐代の上段は伎楽菩薩のレリーフ

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下側は説明を写し忘れていました。(◞‸◟)

 

前学期、ず~~~っと貨幣の紹介をしてきたので、どこの博物館でも貨幣が気になります。

ここでうまく撮影できたのは、左「開元通宝」(唐代)と、右「五銖銭」(漢代)です。

共にカシュガルで収集されています。

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この博物館でも、サーサーン朝の銀貨を見かけました。烏恰県出土。☟

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合計四枚並んでいたのですが、1枚に的を絞りました。(^^)v

どの王の硬貨なのか、説明はありません。

 

この後、次の宋・元・明・清の展示室へ移動する途中、左手に小さな部屋がありました。

中から他の見学者が出て来たので入って見ると、そこにはミイラが一体、ガラスケースの中に横たわっていました。

何の説明もありません。

衣類も靴も頭髪も残っています。

衣類の様子から、裕福な家柄だったんじゃないかと想像しました。

 

この地域のミイラは、エジプトのミイラのように処理されたものではありません。

乾燥しているため、そのまま埋葬したら水分が蒸発し、干からびた状態になったものを指します。

なので、日本語だとどちらも「ミイラ」なのですが、中国語では異なります。

新疆のミイラは「干尸:gān shī/ガンシー」。

エジプトのミイラは「木乃伊:mù nǎi yī/ムーナイイー」。

博物館の受付の女性にこのミイラについて尋ねた際、無意識に「ムーナイイ―」と言ってしまい、「違う!ガンシー」と訂正され、違いの説明を受けました。(^^;

館員さんの話によると、このミイラは男性、生前の身長は188㎝、検査により2500年前の遺体と確認されているそうです。

でも、どこのお墓に葬られていたのかは分からないとのこと。

お墓以外の場所で発見されたということ?

盗掘されて、金目のものだけ奪われて、体は放り出されてしまった?

だとしたら、とても気の毒・・・・・・。

お墓に眠っている所を発掘されて、博物館にやって来たとしても、最終的な状況は同じなんです。

いずれにせよ、安眠を妨げられて、人目に触れざるを得ない。

でも、その前の過程で、どこに葬られていたのか分からないと聞くと、特別、気の毒なになってしまいました。

 

次は、元・宋代のパネルだけ。(^^;

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【宋元のシルクロードと社会文化の変遷】

9世紀末、疏勒はカラハン朝の東の都となり、歴史上「カシュガル」と呼ばれるようになった。カラハン朝は中国の西部、回鶻人(ウイグル人)が主役となった汗国で、彼らは宋朝と密接な関係を保っていた。12世紀中葉及び13世紀初頭、この地は中国の歴史上の西遼とモンゴルの政権によって統括された。この期間のカシュガルは一貫して穀物・鉱物資源・手工業等の豊富な物産資源により、これらの政権にとって重要な収入源となった。シルクロードは依然として滞りなく通じ、商業貿易は繁栄した。『クタドゥグ・ビリグ』と『突厥語大詞典』の相次ぐ発表は、当時の思想文化の発展を具現化している。

 

さ~て、展示品を見るかな~とパネルの前から動こうとした時。 

同じくらいに入って来た団体さんがビデオも見終わって出ていく気配を感じ、ちょっと不安に。

薄暗~い三階の展示室に、私一人だけ。

同じ階には「ガンシー」もいて、さっき室内にいる時、どこからともなく「パシ!パシ!」と音が聞こえてきたのも怖さを煽ります。

それで写真を撮るのを割愛し、スピードアップ!

それに、やっぱり時代が宋代くらいまで下がってくると、あまり興味が湧かないのかも知れません。(^^;

我・愛・唐・朝!!(#^.^#)

 

でも、カシュガルの歴史を漠然とでもいいので、理解したい!

ということで、明・清代の説明パネルも撮影しました。

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清朝による西域統一 新疆省の設置】

1406年、明朝は哈密衛を設置し中国と西方の商業貿易ルートの安全を維持、また西域他地区に対し羈縻政策(きびせいさく)による統治を行い、16世紀には現在の莎車(ヤルカンド)を都として成立したヤルカンド・ハン国が明朝と密接な関係を保っていた。

1762年、清朝によりイリ将軍が設置され、天山南北各地の軍政管轄を一括して行った。1884年清朝は新疆省を設置、新疆と中国国内各省の行政制度の統一を実現した。

清朝は新疆の経済回復と発展に注力し、水利施設を修復し、農業発展を促進させ、オアシスを増やし、人口を増加させた。これに伴い、商業活動は活発になり、手工芸は発達し、貨幣が流通した。カシュガル地区の社会経済及び文化は比較的大きな発展を遂げた。

【参考】

新疆省 - Wikipedia

ヤルカンド・ハン国 - Wikipedia

羈縻政策 - Wikipedia

 

☟は、☝の紹介でも取り上げられていた「貨幣」です。

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一番左がカシュガルで収集された、カシュガル造幣の清代の銀貨。☟アップ。

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あんまり鮮明ではありません。<(_ _)>

左から二番目については、写真を残していないので、下に説明がなかったと思われます。

右から二番目は、カシュガルで収集された、カシュガル造幣の清代の銅貨。

右はカシュガルで収集された、明代のヤルカンド・ハン国の銅貨。

小さな粒のような大きさだったので、拡大写真は諦めました。(ーー;)

 

☟は清代の印章です。

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図案が美しいな~と思ったので、珍しくい鮮明に写せた上の段だけアップにしました。

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全く読めないアラビア文字

私の中では文字と言うより、図案をより美しく見せる紋様に見えます。

 

この後、団体さんがカシュガルの紹介映像を見ていたスクリーンのある部屋の前を通って、受付けまで下りました。

 

現在、唐の都だった西安に住んでいて、毎週のように長安の西市での出土品や、各地から収集された文物を見学できる恵まれた環境にあるので、どうしても唐代の展示物を見る時は、評価が厳しくなってしまいます。

質素だな~、と。

でも、私、最初は二階にしか展示はないと思ってたんです。

ところが、三階にもこんなにたくさん。

木製品や乾物の保存状態はさすが!!

更に、ここでしか見られない現地所縁のものもたくさん!!!

どの博物館にも、それぞれの見どころがあります!\(^o^)/

 

薄暗~い館内から外に出ると・・・・・・。

眩しい~~~~!!!!

日中は薄曇りでしたが、この時刻にはかなり青空が!

19時前の、まだまだ高い位置にある太陽が、ギラギラ照り付けて来ます。

 

この後、どうしよう?

どこかで香妃墓は21時まで見学できると見かけていました。

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百度地図の検索結果は、カシュガル地区博物館から香妃墓まで2.4㎞、徒歩でも27分!

お腹もすいてきたし、途中で夕飯を食べて行こう!!

 

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塔吾古孜路を一路北上!

この通りでも、ネムノキがピンクの花を咲かせていました。

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色んなお店が並んでいます。

シャッター(格子戸)を閉めて閉店のように見えますが、まだ営業中。

周囲の様子を眺めながら、前進、前進!!!

艾孜熱特路との交差点に到着。

☟は交差点を右手に曲がって少し進んだ通りの様子。

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ここに写っている建物どこかに、☟の 烤包子(kǎobāozi:サムサ)を売っている場所がありました。

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 この女性に許可をいただいて写しています。

しかも、最初に撮ったものは、ご本人のお気に召さず、撮り直し。(笑)

撮り直してこれなのですが、OKをくださったので、この一枚を採用。

日差しが眩しかったのかな?

ここで、私は手前にあるサムサ(烤包子)と、後ろに見えている烤包子2個分くらいある丸いパンのようなものを購入。

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女性はこれを「ナン」と表現していました。

「サムサは1個2元、大きいのは「ナン」だから5元ね!」

ウイグル訛の中国語で説明してもらい、確かに大きいからそれくらいの値段かな~と思った私。

価格に不満はありません。

写真では分かりにくいですが、サムサ1個で十分な大きさなんです。

じゃあ、なぜ「ナン」と紹介されたものまで買ったかというと・・・・・・。

「ナン」とやらの生地から透けて見えていた黒っぽい物が、私には「干し葡萄」に見えたんです。

『サムサには羊肉が入っているから、少し脂っこい。

口直しに、ドライフルーツが練り込まれたナンを食べてみよう!

さすがカシュガル、珍しいナンがあるんだな~。

せっかくここまで来たんだから、試さなきゃ!』

こんな思考パターン。

普段は悩んだ挙句に買うのを止めるのに、この時はヤケにポジティブシンキング!!

 

サムサ、美味しいんですよ!

絶妙な塩加減と玉ねぎの風味の、香ばしく焼けた外側の皮。

羊肉も香辛料が効いていておいしいんですが、私はカリっと硬めな皮の部分が特に気に入りました。

座る所がなかったので、その場で立ったまま、サムサはあっという間に食べ終わりました。(*^-^*)

 

その後、隣のコンビニのようなお店にミネラルウォーターを買いに立ち寄りました。

鉄格子のようなシャッターをどう開けたらいいのか分からず、しばらく悩んでいると中から人が出て来たので、そのチャンスを逃さずに中へ!

そうそう、サムサを買ったところでは現金支払いでしたが、このお店ではWechat支払いが可能でした!

事前に聞かされていたより、現地の電子マネー化は急速に進んでいるようです。

 

喉も潤ったので、

「さ~あ、次はレーズンの入ったナン!ほんのり甘めなんだろうなぁ~」

と大いに期待してかぶりついたら・・・・・・。

「おんなじ味~~~!!!」

というオチだったんです。(笑)

 

これも、美味しいんです。

特によく焦げてカリっとした表面が、たまらなくおいしい!!

でも、さすがに・・・・・・、羊肉や味が染み込んでいる部分は胃にもたれ始めました。(T_T)

それでも、そこを避けて、食べ続ける私。

だって、美味しいんです。(T_T)

 

座れる場所も見つからなかったし、時間も気になっていたので、歩きながら、思い出したようにこの「ナン」を取り出しては、一口。

これを繰り返して、かなり歩きました。

☟こんな建設現場の側を通り、

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そのすぐ前にある交差点の向かいに、こんな☟建物を発見し、

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「やった~~~!!!もうすぐ到着!!!」

と思ったら・・・・・・。

ここから更に15分くらい歩くはめに。

ちなみに、ここまでで既に30分以上経過してます。(ーー;)

 

しかも、せっかく「香妃路」に到着したのに、どこから入ればいいのか分からない!

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香妃墓の入り口は、緑のルートで進んだ、香妃路の奥まった位置にある小道を入ったところ。

それは、歩いて来た艾孜熱特路からでは全然見えません。

しかも、香妃路の入り口辺りから艾孜熱特路に沿って、青色の青い衝立で周囲が覆われていました。

隙間からチラリと見えているのはたくさんのお墓。

なら、この近辺に入り口はあるはずと思い込み、艾孜熱特路をさらに前進。

ついに民生路との交差点まで来てしまいました。(赤いルート)

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☝は艾孜熱特路に立って、交差点方向を撮影。

艾孜熱特路はまだ先に続いていますが、周囲の様子は一変!

道路の両脇にはほとんど何もありません。

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☝は、交差点を左折した、民生路の歩道の様子。

この昔ながらの風景を見ることができて、何だか妙な満足感!(*^-^*)

ここで数人の方に香妃墓入り口の場所を尋ね、通り過ぎてしまったことを確認。

歩道まで青い囲いで覆われ、車道を歩くしかない道を引き返しました。

 

そして、香妃路まで戻り、念のため入り口にあった駐車場の女性係り員さんに確認すると、

「まっすぐ行って、右へ曲がるのよ」

とのこと。

最初に来た時、せめてここまで歩いて尋ねればよかった・・・・・・。(╥_╥)

 

駐車場がこんな手前にあるし、香妃路を挟んで反対側には衝立の陰からお墓も見えていたので、この周辺に入り口があるのかと勘違い。

でも、それは自分のせいなんです。

確認不足。(T_T)

 

香妃路を歩いていると、先が長いからと、ミニサイズの観光車輛の客引きがありました。

やっと、香妃路を右に曲がる位置まで辿り着きました。

振り返って見ると、艾孜熱特路からかなり奥まっています。☟

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そして、右に曲がると・・・・・・。☟

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この写真の一番奥左、上に中国国旗が翻っている建物が入り口かと思ったら、そこではなくてさらに前進。

ただ、私が訪れた時間が遅かったせいか、この場所にいたガードマンさん(?)2人からチケットを購入しました。

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【アパク・ホージャ墓】

アパクホージャ墓は国家重点文物保護単位の一つで、紀元1640年に建設が始まった。

墓には大礼拜寺・教経堂・主墓室・貯水池等の建築物がある。墓には17世紀の宣教師アバク・ホージャ、その父アジムハマドユスフ(阿吉穆罕黙徳玉素甫)等5世代にわたる72人の一族が葬られている。この墓には清朝乾隆帝の妃であった「香妃」の墓もあると伝えられているため、「香妃墓」とも呼ばれている。この墓は非常に美しく壮観に構築されており、ウイグル民族の建築工芸の特色を十分に表現している。1988年、国務院により全国重点文物保護単位に指定された。

 

そこを先に進んだ場所が、こちら。☟

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☝の上段の青い衝立で一面が覆われている場所に着きます。

その場所の向かい側が☝の下段、入り口です。

この入り口前の広場に、チケットや解説員の料金についての案内板がありました。☟

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通常はここでチケットを購入するんだと思います。

この時、19時54分。

まだまだ明るい!

 

そして、ここまで来て、やっと2000年夏に来た時の記憶と景色が重なりました!(^^)/

入り口に安全検査の装置がありましたが、動いていなかったので素通り。(笑)

上の写真の入り口前に人が立っていますが、あの方は係り員さんではなく、旅行者です。

入り口の建物を通り抜けると、☟の景色が待っています。

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そして、やっと18年振りにご対面!

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「ここが撮影のベストポジション」と案内がある場所で、撮影。

18年前も同じ案内があって、ここで撮影した記憶があります。

当時は一人ではなく、トルファンの日帰りツアーで知り合った中国人旅行者と一緒にここまで来ました。

その人はカシュガル現地に知り合いがいて、その人の車に乗せてもらってここまで来たので、どう移動したか、全然記憶にありません。(笑)

今回は一人なので、写真は自撮り棒頼りです。

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かなり重装備です。(#^.^#)

 

正面から撮影。

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向かって右手から。

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入り口。

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中は撮影禁止なので、写真はここでストップ。

 

最初見た時は、18年の歳月が流れたんだな~と感じました。

何となく、古くなった感じを受けたからです。

でも、もしかしたら、日暮れ間近の日差しの弱さのせいかも知れません。

 

ここの庭園の端から、側のお墓が見えました。

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色々検索していると、このお墓は地元の人の集団墓地との記載がありました。

 

少し、裏手に回って見ました。☟

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なんとなく秋めいて見える青空の下、カラータイルが鮮やか!

 

この建物を囲った柵の外側に、「講経堂」と書かれた案内がありました。

チケット裏の説明にあった「教経堂」のことだと思います。

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【教経堂】

この観光ポイントで最も古い建築物。当時、ユスフ・ホージャとアバク・ホージャが布教活動を行っていた場所である。教経堂は内・外の二つの部分から構成され、冬場は内殿で、夏場は外殿で教えを説いた。室内の中央には楕円形の長さ30㎝程度の青白い点模様が目立つ「聖なる石」が安置されていた。この「聖なる石」は病や災いを退ける力を持ち、厳粛で恭順な信徒は「聖なる石」に触れると、平安と幸福を得ることができたと言われた。

 

教経堂を正面に、案内板の位置から左手を見ると、少し先にモスクへと続く入り口がありました。☟

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【加満イスラム寺院】※英語部分を見ると、Friday mosqueと記されています。

加満イスラム寺院は紀元1873年に建設された、一階建て三合院式建築である。百メートル近い広々とした回廊と後殿からなる。62本の木柱は62名の名匠が丹念に彫刻し作り上げたものである。木彫りの図案と彩色模様は一つとして同じものはない。ウイグル族の木彫り芸術の神髄ということができる。金曜日(ジュマァ)・イスラムの需要な祭日である「ラマダーン明けの祭日」・「グルバン節」の間、多くのイスラム教徒がここで礼拝を行う。

 

2000年夏、こちらには足を運ばなかったと思います。

中央に庭があって、その三方に建物があります。

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これで、見学終了!(*^-^*)

既に21時直前です。

でも、まだこれから見学に入って行く人もいました。

何時までOKなんでしょう?

 

ちなみに、今のスマホアプリの百度地図では、このチケット売り場の広場辺りから、20路線バスの最終便(21時発)が出発するはず。

でも、6月29日、私が香妃路を行き来する間、一度もバスは見かけませんでした。

 

香妃路を艾孜熱特路まで戻って、近くのバス停からバスに乗りました。

何番だったか、記憶にありません。

あるバスがやって来たと思ったら、乗ってきた人が全員降りて、別のバスに乗り換えて去ってしまいました。

ぎゅぎゅうずめになったバスに乗るつもりだった私は、ダッシュし損ねて置いてけぼり。

次があるのかどうかも分からず途方に暮れて佇んでいると、そのバスがまた発車するというんです。

でも、営業時間を過ぎているから、既定のルートは通らないとかとか。

回送車輛だったんでしょうか?

なんにせよ、少しでも街中に近づかないと!

グズグズしていると、夏至直後でとっても長いカシュガルの日中も、さすがに暮れてしまいます。

バスに乗り込み、現在位置を把握しながら周囲をチェック!

ここで、一日ひたすら歩いていたのが役立ちました。\(^o^)/

バスはカシュガル地区博物館の前を通り、東湖公園の方に曲がって人民東路を西へ!

開放路が南北に、人民路が東西に分かれる交差点を少し過ぎた「中国郵政」というバス停で下車しました。

そこはちょうどエイティガール寺院の方へ続く道「庫木代爾瓦扎路」の側でした。☟

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初めて通る道です。楽しみ!!(*^▽^*)

ちょうど夕暮れ。

建物壁が夕日に染まってとっても綺麗!

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☟この辺りは、既にお馴染みの道。(*^-^*)

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☝の道をまっすぐ下るとエイティガール寺院の裏手右に出ます。

ここを右に曲がって、前日も行ったスーパーへ!

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☝の道を途中で左に折れると、☟の道。

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この道を解放北路まで出たら右側がスーパーです!

旅行用のミニボトルの衣類用液体洗剤の購入が目的。

液体洗剤なら、濯ぎが多少楽ではないでしょうか?

 

この日、ホテルに戻ったのは22時半。

約10時間の観光。(笑)

長い一日でした!(*^-^*)

ここまでお付き合い、ありがとうございました!!m(__)m