せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月4日(水):トルファン3日目_トルファン博物館(古銭)・地下ショッピング街・トルファン駅

本日の実際の日付は、9月5日です。

既に丸々2か月遅れ・・・・・・。(ーー;)

暑かった西安も、ずいぶん涼しくなってきました。

空気も乾燥してきて、夏が終わったのを実感します。

9月10日からは授業が始まるというのに、この夏休み初めの旅行のブログはいつになったら完了するのでしょう???(T_T)

 

涙目になっていても始まらないので、とにかく、スタート!\(^o^)/

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

7月4日(水曜日)。

前日の曇天とは異なり、この日は朝から青空が!

青空をバックに、柔らかい朝の陽ざしを浴びてフレームを縁取る葡萄の葉。

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早朝の気温は30度くらいでしたが、それでも爽やかで気持ちいい~。

ちなみに、本日のトルファン明け方(北京時間6時)の気温は17度でした。

日中は今でも35度くらいまで上がるのに、最低気温はずいぶん低くなりますネ。

 

☟は、「西域葡萄庄園」の片隅で見つけた花と、トマト。(*^-^*)

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トルファンでも朝顔が咲くんですね。

 

この日は早く起きすぎて、管理人さんのお母さんが料理を作るのを待っていました。☟

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その時、広東から来ていた団体さんがやって来たので、料理を運ぶのをお手伝い。

更に、団体さんに頼まれて、集合写真を撮影。

もしかすると、団体さんは私のことをこの民宿の従業員と思っていたのかも。(笑)

 

前日は出発が遅かったため、博物館で時間切れになってしまいました。

なので、この日は北京時間11時(現地時間9時)過ぎに出発!

☟の緑のルートで、ちょうど④の辺りにある「大十字」まではバスを利用。

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そこから地図上では右へ、「老城東路」を博物館まで歩きました。

ここで、少し、2000年夏に利用していた地図と比較してみましょう!☟

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☝では、「トルファン博物館」の位置が、高昌路を少し北に進んだ辺りにあります。

現在の博物館の位置には、「トルファン市青少年宮」がありました。

 

博物館へ向かう途中、「青年路」の入り口から、葡萄棚を撮影!

緑の葡萄の葉の隙間から、青空が見えます!

やっぱり、葡萄棚には青い空がセットでないと!(^_^)/

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そして、二度目の「トルファン博物館」。

こちらも、この日の写真ではバックが青空!

葡萄棚だけでなく、何を写すにしても、青空があった方がキレイ。(*^-^*)

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右手に緑のテントが見えます。

博物館に入るには、まず、その後ろにある白い壁の小さな建物に入り、パスポート提示、人・荷物それぞれ安全検査を受けます。

 

その後、この建物の陰になっている位置にある建物で入館の手続きを行います。

「チケット売り場」と書かなかったのは、パスポートを提示して、それと引き換えに渡されたのが☟のような帳票だったからデス。

これは、前日もらったものです。

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この帳票をもらった後、真向かいに見える出口の側に設置されたロッカーにリュックを預けました。

手荷物は持ち込み禁止のようです。

小さな手提げ付きナイロン袋に水筒を入れていたら、それもダメだと注意を受けました。

こんな乾燥した地域で、水筒持参NG?

と思ったら、水筒を手に持って入るのはOK。

つまり、袋状の物の持ち込みが禁止のようです。

 

この博物館、入り口は2階にあります。

なので、この☟階段を上ります!(*^-^*)f:id:shanshanduohuizi:20180828030734j:plain

 

☟は建物を側面からみたもの。

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ここ☟が階段を上った先にある入り口です。

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ここにもロッカーはあります。

でも、出口は1階なので、1階で預ける方が後がラク

この入り口の扉の内側に、またしても安全検査が待ち受けていました。

しかも、身分証明証の提示も必要!

初日、私はパスポートをリュックに入れたまま、1階のロッカーの預けてしまいました。

幸い、注意は受けたものの、そのまま通してもらえました。

今回は2回目なので、ちゃんと持参。(^_^)/

この日はポケットの多いワークパンツを履いていたので、収納に不便はありませんでした。

前日だったらポケットが少ない上に浅かったので、途中で落としたかも?

ちなみに、西安で毎週通っている「大唐西市博物館」では、チケット交換時にパスポートを提示すれば、入館の際は手荷物検査だけで、パスポート提示の必要ありません。

安全検査のもう一つのポイントは、水筒の水を飲んで見せること?

西安の地下鉄でも、水筒やペットボトルの中身を飲んで見せるので、同じと言えば同じですが・・・・・・。

少なくとも、上述の「大唐西市博物館」なら、液体チェックまでは行いません。

トルファンでの安全検査は本当に厳しいと感じました。

 

安全検査を通過した後の館内。☟ 

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右手に赤い看板が見えます。

あれが、前日のブログでも書いた、トルファンの歴史を紹介する「吐鲁番通史庁」という展示室。

ちょうど、前日とこの日、私が見学できる2日間だけ、設備補修作業のために閉められてしまった展示室です。

非常に残念!!!!(T_T)(T_T)(T_T)

 

では、前日の写真で、かろうじてピンボケを避けられたものから、いくつかご紹介します!(*^-^*)

蘭州の「甘粛省博物館」でも展示されていましたが、トルファンでもありました!

「吐鲁番自然歴史陳列庁」に展示されている古代生物の化石。

☟は「巨犀化石展示エリア」の「吐鲁番美麗巨犀」。

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この時、この展示室の館員さんから、

トルファン地区で、現在、長さが30メートルある恐竜を発掘中」

と伺いました。

 

 

☟は、ミイラの展示が終了した後に続くエリア。

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☝は「唐調露二年(680年)文書」、トルファン巴達木墓地出土

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☝は眼帯です。

紀元6~7世紀、トルファン巴達木墓地出土

たったこれくらいしか、まともな写真がありませんでした。(T_T)

 

そして、本命登場~~~~!!!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

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「吐鲁番古銭陳列庁」です!!!

 

☟は展示室内の様子。

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☟は入口扉を入ってすぐ左手に掲示されている序言です。

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ウィグル文字も英語も読めないので、中国語の部分のみ拡大しました。(笑)☟

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この展示室についての説明なので、頑張って訳してみます!(^_^)>

トルファンは新疆東部に位置し、古代シルクロードの北道において避けては通れない道であることから、東西貿易の中心及び中継地となった。その独特な地理的要因と悠久の歴史文化により、トルファン地区はシルクロード文化研究の宝庫となっている。貨幣はシルクロードの貿易と交換の媒介として、当然ながらシルクロード文化の重要な内容の一つである。そしてここ数年、トルファン地区での考古発掘により出土及び収集した古銭が、シルクロードの貨幣研究のために、また新たな内容を追加した。

シルクロード上の重鎮として、トルファン地区は古来より多民族の集住地区であり、集散地区でもある。東西を行き交う行商人・車馬・キャラバン・役人たちがここを通過したり、常駐したりした。彼らはトルファンの歴史を発展させるために、それぞれが貢献を果たした。張騫が西域への道を切り開いて以来、西域は次第に中原との関係を深め、西域で最も重要なオアシスとして、東西文化と貿易において大きな影響力を持つ役割を担ってきた。トルファン地区で中原の貨幣と当地の貨幣、及び国外の貨幣が出土したことは、貿易面での突出した成果である。

 

上の序言の側に、☟の新疆とトルファンでの古銭出土分布図があります。

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分布範囲、見にくくて申し訳ありません。

古銭の種類には、「貝」・「金」・「銀」・「銅」・「鉄」・「紙」のものがあります。

 

【先史時代】 

☟は、その内の「貝」について。

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文字の部分を拡大します!☟(*^^*)☟

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【先史時代の貝殻】

太古の時代、人々の商品交換手段は物々交換であった。しかし生産力の向上につれ、物々交換は生活需要に適応できなくなった。そこで人々は一種の固定物品を一般的等価物とする方法を探し求め始め、次第に貝(キイロダカラ(黄色宝))が商品交換の一般的等価物に用いられるようになった。同時に、装飾品としての機能も備えるようになった。

海洋墓地からかなりの数の貝殻が出土したが、これらの貝殻は太平洋とインド洋の沿岸に分布していることから、明らかに交換或いは贈り物といった手段によりもたらされたものである。貨幣と装飾品という二つ機能を備えている。

商品の交換が頻繁に行われるようになると、貝殻はしばしば供給不足となり、各種素材による貝貨幣の模倣が発生した。交河溝北の骨素材による貝貨幣や洋海の青銅貝貨幣はそれらの代表である。銅製の貝の出現は、金属貨幣の鋳造の先駆けとなった。

 

☟、貝殻と銅製貝殻の出土状況。

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次のコーナーへ移動します!(*^-^*)

【漢~高昌回鶻(かいこつ)】

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【漢から高昌回鶻(かいこつ)時代にかけてのトルファンの貨幣】

紀元前60年(漢宣帝・神爵二年)に西域都護府が西域の直接管轄を開始して以降、西域は中国にとって切り離すことのできない領土の一部分となった。漢から唐にかけて、トルファン地区は前後して、西域都護府管轄下で車師・高昌郡・高昌王国・唐西州・高昌回鶻等の歴史を経験してきた。

これらの期間中、トルファンは中央政権が西域のオアシス都市を管轄する前線の陣地として、中原・中央アジア・当地の政治・経済・文化がここで相互にぶつかり合い、交流し、融合しあった。トルファンから出土した各種貨幣がこの特徴を示している。全国共有の貨幣もあれば、中央アジアで流通している金貨・銀貨もあり、また当地の高昌吉利銭や西州回鶻銭、及び物品を貨幣としたという記載もある。

北宋は我が国の貨幣発展史において非常に重要な期間である。貨幣経済も空前の繁栄の様相を見せ、大量の銅銭・鉄銭を鋳造した。また紙幣を印刷、以後「交子[jiāo zǐ]」とも呼び、信用貨幣時代が始まった。金銀もこの時期に流通領域に再び戻って来た。

(☝の英文では、「北宋」以降の内容が記載されていません。アンダーライン部分は中国語と英語を見てもよく理解できず、相談した英語も分かる中国人の友人も悩んでいた部分です。あくまで、あくまで参考としてお読みください)

 

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唐の前期は、一般的に白色の練絹で馬を購入した。

≪唐咸亨四年(紀元673年)西州前庭府杜対正买驼契≫:『❝ ❞』の部分はどこまでが名詞かすらよく分からないので割愛します。m(__)m

ネットで調べると、駱駝の売り主が「康乌破延」、買い主が「杜」。

十歳の健康な駱駝を購入するにあたり、その価格は白い練絹14匹と契約書には記されています。

 

 ☟で、古銭の配置や大きさをご確認ください。(*^-^*)

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 次は、「西州回鶻(かいこつ)銭」です。☟

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西州回鶻(かいこつ)は9世紀中葉に西に移動した回鶻の一氏族である。トルファンと北庭(現在の吉木薩爾Jimusaer )を中心として打ち立てた地方政権であり、高昌回鶻、或いは阿薩蘭回鶻とも呼ばれ、唐の開元七年暦法を使用していた。西州回鶻の首領は阿斯蘭汗、或いは亦都護と称した。回鶻銭は回鶻が西に移動後、唐の開元銭の形を模倣して作製し、回鶻文字を用いて鋳造した貨幣である。

 

展示してあった硬貨をごらんください。☟

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左上:大統五銖:西魏文帝大統六年(紀元540年)鋳造開始。(巴達木墓地出土)

右上:常平五銖:北斉

左下:四銖半両:前漢(紀元前175年~紀元前119年)

右下:赤仄五銖:前漢(紀元前116年~紀元前110年)

 

☟は説明のプレートを除いた、硬貨だけのアップです。

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☟は、このコーナー中央に設置されている「西州回鶻(かいこつ)銭」です。

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このコーナーの一番右に設置してあるグループ!☟

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個別のアップはありません。m(__)m

☝の手前二つは、左:開元通宝(唐)、右:大観通宝(北宋:紀元1107年~紀元1110年)。 

 

次のコーナーへ移ります!(*^▽^*)

シルクロード貿易の目撃者】

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☟は文字部分の抜粋です。

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【繁栄するシルクロード貿易の目撃者――金貨・銀貨】

2004年から2006年にかけて、交河西溝・巴達木・木納爾・アスターナ等の墓地で考古的発掘を行い、かなりの数の金貨・銀貨を獲得することができた。このことにより、トルファンの東西貿易と文化交流における役割、及びシルクロードにおける歴史的な地位の高さが十分に証明され、トルファンの古代文化研究のための貴重な資料となっている。同時に、シルクロード貨幣の研究に新たな内容を付け加えた。

2006年、貨幣収集家の杜維善氏は、またしてもトルファン博物館へペルシャサーサーン朝の銀貨とアラビア銀貨35枚を寄贈してくださった。当館は近年また民間から新疆現地と中央アジアの貨幣を約77枚を収集した。これらはみな貨幣所蔵品の数量と種類を大きく豊かにした。

 

☟は金貨が出土した際の現場写真です。

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「口琀[kǒu hán]」とは、中国における一種の古い葬儀習俗であり、先史時代から現在まで踏襲されている。トルファンアスターナの死者の口の中に含ませられていた貨幣は、実際は死者を弔うためのものであり、その目的は、「死者が口を開き、空腹のままあの世へ行って苦労しなくて済むように」である。

 

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次は、このコーナーの「トルファン出土金貨」です。(*^-^*)

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金貨部分、後ろ側の2列だけアップにします。☟

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このコーナーの真ん中にある「トルファン出土銀貨」です。(*^▽^*)

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☟は、上手前の列のアップ!(個別説明なし)

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☟は上、二つ上の後段。

f:id:shanshanduohuizi:20180828034329j:plain左2個:サーサーン朝 ホスロー1世銀貨(紀元531年~579年)

右2個:サーサーン朝 ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

 

そして、このコーナー右手にある金貨です!!

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☟は☝の手前2個。

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左:ガズナ金貨(紀元977年~紀元1186年)

右:サーマーン朝金貨(紀元874年~999年)

 

☟は、2つ上の後ろ4枚。右端がボケまくってます。(^^;

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左から:

東ローマ貨幣:(紀元610年~641年)

サーマーン朝金貨:(紀元874年~999年)

セルジューク金貨:(紀元1040~1157年)

ガズナ金貨(紀元977年~紀元1186年)

 

次のコーナーに参りましょう!(*^-^*)

【元~清】

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【元から清代にかけてのトルファンの貨幣】

トルファンで元代(紀元1271年~1368年)の紙幣が発見された。元朝は建国当初から自由に兌換できない紙幣――宝鈔の使用に力をいれていた。またそれを流通における基本貨幣とし、銅銭の流通領域における主要な地位を失墜させた。同時に、更に金銀の流通を禁止した。トルファンでは元代の中央政府が発行した中統元宝交鈔と至元通行宝鈔が発見されている。またモンゴル・ハン国の金貨・銀貨を収集した。

明代の貨幣は、トルファンではあまり発見されていない。現在は僅か数枚を収集できたにすぎない。

清代(紀元1644年~紀元1911年)の新疆における貨幣制度は、ほぼ銀両(秤量銀貨の通貨単位)と紅銭(赤銅で鋳造したので紅銭と呼ぶ)の平行本位制度を採用、両者が相互補完しあって運用されていた。金額の大きなものには銀を用い、少額のものには銭を用いた。新疆紅銭は南路でのみ流通し、北路では内地製の銭が通用していた。銀銭の価格比較は、紅銭400文を一貫とし、白銀1両に相当する。

 

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左:新疆紅銭「乾隆通宝」

紫銅(赤銅)を原料とし、赤みを帯びていることから名付けられた。裏面には満州文字とウィグル文字が用いられている。

右上:干支記念紅銭

光緒末年、クチャ局はテッカ宝新局からの委託を受け「新十」銭を鋳造した。

右下:咸豊大銭

清政府が軍費を調達工面し太平天国の乱を鎮圧するために採用した通貨政策の一つ。

 

【海都(カイドゥ)貨幣・海都と都哇(ドゥア)貨幣】

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☝1269年に発生した元代のカイドゥ・ドゥアの反乱の歴史を示している。この反乱により高昌城と交河城は壊滅した。

左 :カイドゥがカシュガルで製造。表面(上)と裏面(下)。

中央:カイドゥとドゥアが連盟時に鋳造。表面(上)と裏面(下)。

右 :ドゥア銀貨。表面(上)と裏面(下)。

トルファン観光の目玉といっていい二つの故城が壊滅することになった反乱。

2000年夏に見学したけれど、実はたいして勉強しておらず、何故壊滅したかも知らないまま現在に至っています。(^^;

で、百度百科で検索してみました。

解説の、冒頭部のみ訳してみようと思います!!\(^o^)/

【カイドゥの乱】

元世祖至元五年(1268年) から元成宗大徳十年(1306年)、元朝西北の宗王カイドゥが他の藩主と連合して起こした反乱。至元六年(1269年)、カイドゥ・バラクキプチャク・ハン国君主がタラス河畔にて会盟し、フビライイル・ハン国に対し公然と反対、また協議しカイドゥを盟主とすることとした。盟約を結んだ各王はフビライ・ハンは既に漢族化してしまっていると指摘、フビライに対し出兵しモンゴル人としての遊牧の本質を取り戻さねばならないと言明した。

翌年、フビライはノムガンを将軍とし、「別失八里」でカイドゥを打ち破った。至元十二年(1275年)、フビライは「安童」を派遣しノムガンの西征を補佐させた。至元二十四年(1287年)カイドゥ等は東部のナヤンと連絡を取り、フビライが率いる元軍主力が東部へ反乱の平定に向かった隙をつき兵を出し、一時的にカラコルムを占領したが、まもなくして兵を引いた。至元二十六年(1289年)、元世祖は74歳の高齢ながら五年ほど親征を行い、最終的にカイドゥは戦死した。元の成宗大德十年(1306年)、カイドゥの子チャパルが投降して、西北諸王の反乱はようやく平定された。

 (人物紹介)

カイドゥ:

13世紀の後半に中央アジアに独立王国を建設したモンゴル皇族。チンギス・ハーンの三男オゴデイの五男カシンの子。

ドゥア:

モンゴル帝国の皇族、チャガタイ家の第10代当主。チャガタイ・ハン国の実質的な建国者。

ラク

モンゴル帝国の皇族で、チャガタイ家の第7代当主。

(参考)

海都之乱_百度百科

カイドゥ - Wikipedia

ドゥア - Wikipedia

バラク (チャガタイ家) - Wikipedia

 

百度百科の「海都」の項目の最後、「評価」を読むと、カイドゥは41回の戦役に参加しているんだそうです。

「1241年のポーランドハンガリー遠征にも参加していることから、戦争における真の指揮者であることが分かる。アジア全域で、彼だけがフビライの運命を変えることが可能だった。(一部略)彼は巡り合わせが悪かった・・・・・・」

と書かれています。

 

☟「至元通行宝鈔」

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ここからは、このコーナーのコインの写真です。

でも、薄暗く写りが悪いので、気に入ったものだけ個別に取り上げます。(*^^*)

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☟は、上の写真の両サイドの金貨です。

左がチンギスハンの金貨、右がチャガタイハン国の金貨。ともに13世紀。

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ウマイヤ朝ヤズィード1世(左)と、ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリク?(右)

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右の人名は、ネット上で同じ文字が見つからず、音が近いものを選び、日本語のWikipediaのコインの写真に似ていたので、「ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリク?」と疑問符付きで記載しています。

 

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左 :アッバース朝銀貨(紀元749年~754年)

中央:サーマーン朝銀貨(おそらくヌーフ2世?)(紀元976年~997年)

右 :ガズナ銀貨(紀元977年~紀元1186年)

 

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右:エフタル銀貨

左は説明がありません。それとも右と同じ?

 

 

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左:突騎施銅銭(唐代)

右:ウマイヤ朝ワリード1世(紀元705年~715年)

 

☟この後の2枚は、明代・清代の硬貨。

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私の興味のあるなし、あからさまですね。(ーー;)

 

☟はチンギスハンを筆頭に、その息子たちの国の銀貨。

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手前に四個並んでいるのは「銀錠」です。

チンギスハン関連の硬貨、大唐西市博物館にも少しは展示されていますが、こんなに多くなかったような。

もっとしっかり写しておけばよかった、・・・・・・と後悔。

予定では、今学期中にご紹介できるはず。(笑)

 

 【中華民国

ここからは、民国時代です。

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右側に、民国時代の「新疆紅銭」があります!

 

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☟は犬が印刷されています。

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そして、ここからが、本命中の本命!

このコインたちを写したいがために、二日連続でやって来たのです!\(^o^)/

サーサーン朝の硬貨がたくさん並んでいま~~~す!!!

私は、イランが大好き!!!

中央のガラスケースの中に展示されているので☟、ガラスの上にスマホを置くという安定した撮影方法ができる!

うれしい~~~!!!(*^▽^*)

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もう、どのガラスケースだったかは覚えていません。(ーー;)

しかし、全部撮影しているので、一ケースずつご紹介していきます!(*^-^*)

まずは、ケース全体の様子。

便宜上、☟をガラスケース【A】とします。

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☝のケースは全てサーサーン朝の硬貨です。

 

☟は、【A】の上段(反対向きになっている列)です。

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左 :シャープル1世銀貨(紀元241年~272年)

中央:シャープル3世銀貨(紀元309年~379年)

右 :バハラーム5世銀貨(紀元420年~438年)

小さく見えますが、アップにできると思うのでお試しください。(*^^*)

 

☟は、【A】の下段です。

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左 :アルダシール1世銀貨(紀元224年~241年)

中央:シャープル3世銀貨(紀元383年~388年)

右 :バハラーム4世銀貨(紀元388年~399年)

 

☟はガラスケース【B】。

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☝は、上段右が「アラブ-サーサーン」である以外、全てサーサーン朝のものです。

 

☟は【B】の上段(反対向きになっている列)です。

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 左 :ペローズ銀貨(紀元457年~454年:←この年代、後の年代の方が、年数が古くなっています)

※年代について。

以前、大唐西市博物館3階の硬貨展示ホールの紹介時に、サーサーン朝の世襲表を訳しました。

その時、博物館のパネル上の情報とWikipediaに多少の齟齬はあったものの、ペローズ1世に関しては「459年~484年」で一致していました。

ちなみに、「457年~459年」はホルミズド3世の時代。

また、今回、夏に日本帰国した際に見つけ出して持って来た「シルクロードのコイン -エーゲ海からガンダーラまでー」(発行 財団法人 古代オリエント美術館、岡山市オリエント美術館)では、王名表には「457/59年~484年」、硬貨の写真と共に記載された年代は「457年~483年」とありました。

上述資料の王名表に「457年~459年」でホルミズド3世の名はありません。

古代のことなので、色んな説があるのだと思います。

「454年」は、印刷ミスだと思いますが・・・・・・。(笑)

それと、元写真を拡大などしていたら、この硬貨、さかさまに配置されているのに気付きました。

コリュンボスという球体の装飾が下に来てますネ。(笑)

☟は上述の資料の抜粋ですが、球体の位置を比べて見てください。(#^.^#)

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中央左:カワード1世銀貨(紀元488年~531年)

中央右:ホスロー1世銀貨(紀元531年~579年)

 右 :アラブ-サーサーンホスロー式銀貨(紀元653年~670年)

 

☟は、【B】の下段です。

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 左 :ヤズデギルド2世銀貨(紀元438年~457年)

中央左:ヤズデギルド3世銀貨(紀元632年~651年)

中央右:カワード1世銀貨(紀元488年~531年)

 右 :ホスロー1世銀貨(紀元531年~579年)

 

☟は、この展示室の奥正面に展示されている「高昌吉利銭」。

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6~8世紀、巴達木墓地出土。

 

☟は、ガラスケース【C】です。

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☝は全てサーサーン朝のものです。

 

☟は、【C】の上段(反対向きになっている列)です。

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 左 :ホスロー1世銀貨(紀元531年~579年)

中央左:ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

中央右:ホルミズド4世銀貨(紀元579年~590年)

 右 :ホルミズド4世銀貨(紀元579年~590年)

 

☟は、【C】の下段です。

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 左 :ホルミズド4世銀貨(紀元579年~590年)

中央左:ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

中央右:ホルミズド4世銀貨(紀元579年~590年)

 右 :ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

ガラスケース【C】はホスロー2世とホルミズド4世がほとんどでしたね。

 

☟はガラスケース【D】です。

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☝は、バラエティに富んでます。

でも、謎もたくさん。

 

☟は、【D】の上段(反対向きになっている列)です。

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 左 :アラブ-サーサーン載徳銀貨(ヒジュラ歴50年・紀元670年)

中央左:サーサーン朝ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

中央右:アッバース朝拉希徳銀貨/白衣大食銀貨(ヒジュラ歴306年・紀元918年)

 右 :銀貨 無名1 黒衣大食銀貨(ヒジュラ歴117年・紀元735年)

※「白衣大食」はウマイヤ朝(661年~750年)、「黒衣大食」はアッバース朝(750年~ 1258年/1517年)を指すと日中双方のネット検索で一致しています。

この年代から見ると、中央右はアッバース朝(黒衣大食)、右はウマイヤ朝(白衣大食)ではないのかな???と思います。

「拉希德」と言う漢字は「ラシード」と読めるのですが、アッバース朝でラシードと言えば「第5代カリフ・ハールーン・アッ=ラシード」が思い当たるのですが、在位は紀元786年~809年で、紀元918年とは一致しません。

左の「载德」に至っては「サイード」と推測できるのですが、「サイード」ってすごく普遍的。

特定するのは諦めました。

 

☟は、【D】の下段です。

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 左 :サーサーン朝ホスロー2世銀貨(紀元590年~628年)

中央左:サーサーン朝ヤズデギルド3世銀貨(紀元632年~651年)

中央右:銀貨 無名2 黒衣大食銀貨(ヒジュラ歴93年・紀元712年)

 右 :アッバース朝ムクタディル銀貨/白衣大食銀貨(ヒジュラ歴306年・紀元918年)

※右の「ムクタディル」はアッバース朝で該当人物を発見できました!\(^o^)/

でも、「白衣」か「黒衣」かは・・・・・・、悩ましいです。(ーー゛)

 

よろしければ、ご覧ください。☟(*^-^*)☟

(参考)

西安大唐西市博物館(その46:3階シルクロード硬貨展示ホール_ペルシャ第二帝国及び従属国①アルダシール1世/②シャープール1世) - せいあん!

西安大唐西市博物館(その47:3階シルクロード硬貨展示ホール_ペルシャ第二帝国及び従属国③~⑬) - せいあん!

西安大唐西市博物館(その48:3階シルクロード硬貨展示ホール_ペルシャ第二帝国及び従属国⑭~㉒) - せいあん!

西安大唐西市博物館(その49:3階シルクロード硬貨展示ホール_ペルシャ第二帝国及び従属国:タバリスタン・Turan・Sakastan・アラブ-サーサーン)・「ユーラシア大草原の早期遊牧民族文化 カザフスタン国立中央博物館文物傑作展」 - せいあん!

 

ラストの「結び」です。☟

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トルファンに出現した古代各国の貨幣は、シルクロード上で流動する文明の因子である。貨幣一枚ごとに、生産国の政治・経済・文化が凝縮している。また、トルファンがかつて中国の歴史において、西部辺境の安定と経済繁栄のために卓越した貢献を行ったことを実証している。今も、我々はこの素晴らしい歴史的伝統を継承し発揚している。

 

これで、博物館の見学は終了です。

 

この後は、「老城東路」を緑のルートに沿って西(左)へ歩き、「大十字」で北(上)へ曲がりました。☟

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この日は前日より天気も良く、ちょっと暑さに耐えがたくなっていたので、地下へ降りて見ることにしました。

直射日光があたらないなら、それだけでありがたい!!(^^; ☟

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☝の写真には「高昌路商業街」の入り口が写っています。

階段を降りるとすぐ、地下のショッピング街に入る手前で安全検査を受けます。

☟の写真に2か所写っていますが、地上からの入り口には全て設備が配置され、保安要員が待機。 

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ここで、荷物をX線に通し、パスポートを提示します。
パスポートの出し入れも、リュックを下ろすのも面倒。
なので、いったん地下に入ると、気軽に地上に出るのがためらわれます。
だって、度地下に入るために、もう一度安全検査が必要なんですもん。(ーー;)

 

地下街はかなり長く、横にも広がっています。☟

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☝の写真の中央は、前回のブログに少し紹介した「旅游文化广场(観光文化広場)」の地下にある、家電量販店(国美電器)へ続く通路の様子です。

途中、写真を撮っていると、保安要員さんに「何を撮っているの?」と職務質問を受けてしまいました。(^^;

その時写していたのは、通路の頭上にある横断幕でした。

中国(漢民族文化)らしいスローガンが書かれ、その下に地下街の名称が入っているものです。☟

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「誠実な経営、親切なサービス  新絲路(シルクロード)地下街 宣言」

確かに、地元の人にとっては、写真を撮るような対象ではないし、怪しく見えたんでしょうね。(^^;

私、地下をかなり徘徊していました。

地下街名も入った場所の「高昌路商業街」から「新絲路地下街」に変わっていたので、

「自分がどの辺りまで歩いて来たのか、記念に残しておきたいから」

そう説明すると、ありがたいことに、簡単に放免してもらえました。

良かった、良かった。(*^-^*)

 

時刻はそろそろ北京時間15時、現地時間13時になろうとしていました。

朝食を食べたのは、北京時間の9時過ぎ、現地時間7時過ぎ。

超空腹デス!!

地下街内にはレストラン街もあるだろう思い、通路を奥へ、奥へ。

歩く方角は、「西域葡萄庄園」のある北。

左右に逸れるとか、逆戻りとかはしたくなかったんです。(笑)

やっと、フライドポテトのような匂いを嗅ぎつけ、そこまで辿り着いたのですが・・・・・・。

規模の小さいファーストフード店が1軒あるのみ。

更に進むべき?

念のため、近くに待機していた保安要員の女性に尋ねると、食事は地上に出ないと無理とのこと。(T_T)

「食事処が集中しているのは〇番の出口」と教えてもらい、結局少し、逆戻りするハメになりました。

先刻注意を受けた保安要員さんの前を笑顔で会釈して通り抜け、地上に出ると、暑い~~~!!!

食べたい物を売っているお店を見て回る気力なんて、ゼロ!

脂っこいものも食べたくはありませんでした。

そんな私の目に飛び込んできたのは、パン屋さん!!

迷わず、店内に飛び込みました!!

食べたのはこちら!☟

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ピザとプリン。

脂っこくないのか???と問われると答えに詰まるのですが、でも、美味しかったんです。(*^-^*)

このお店の店内、なぜか親近感?がありました。

売っているものの包装、見たことあるような・・・・・・?

そう、これらを売ってたんです!☟

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蘭州2日目の夜に入ったパン屋さん「愛的礼物」と同じチェーン店でした。

縁があるな~。

店内で食事を済ませ、寝台車で食べる分のためにもう一つ「胡桃パン」を買って、お店を後にしました。

 

バスに乗って「西域葡萄庄園」へ戻り、柵で囲まれた敷地のすぐ側を流れる溝を覗き込むと、水がとっても澄んでキレイ!☟

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この「庄園」の敷地以外にも、周囲には葡萄棚が広がっています。☟

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写真の並びの通り、道の左手に葡萄棚、右手に「庄園」があります。

そこへ、こんなにキレイな水が供給されてるんですね。

葡萄、美味しくないわけがありません!(*^▽^*)

 

街中ですることがなく、出発時間より2時間ほど早く戻って来た私。

管理人の女の子は出かけていましたが、彼女のお母さんのご厚意で、管理人室で仮眠をとらせていただくことができました。

 

仮眠する前、Wechatで管理人さんへ連絡。

私が「庄園」に戻ったのを確認して、彼女が乗り合いタクシーに連絡してくれる手はずになっていたんです。

もし、個人でタクシーに乗りトルファン駅へ向かうと、160元くらいかかってしまいます。

旅行に来ていて、乗車が1回だけなら諦めもつきますが、地元の方々のように頻繁にトルファン駅、もしくはその近辺へ移動しないといけない場合は、相当な出費になります。

なので、みなさん、タクシーをシェアしているんです。

シェアだから、自分の都合だけで出発時間は決められないし、自分が乗った後も、他のお客さんを迎えに回ったりしますが、そこはお互い様。

その結果、費用はなんと、20元!!

1時間かかる距離を、高速利用で、20元!!!

ありがたいシステムです。

普通のホテルでこうした対応をしてくれるかどうか、それは分かりません。

でも、フロントで尋ねてみてはいかがでしょう?

もしくは、日帰りツアーに参加するなら、その時の運転手さんから情報収集するとか?

知り合った地元の方に尋ねるのもいいかもしれません。

運転手さんは、よく利用する人たちが参加している、WeChatのタクシーシェアグループがあるような口ぶりでしたよ。

支払いは降りる時、現金でもWechatでもOKでした。

 

以下、乗り合いタクシーの中と外の様子です。

車内から、前方を望みます。☟

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車左手の景色。☟

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車右手の景色。☟

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ちょっと雲が出て来てます。

新疆らしい、荒涼とした風景が続きます。

これを、「何もない」と言ってしまえばそれまでですが、私はこの景色がたまらなく好きです。(*^^*)

 

 

途中、高速を降りて省道に入った後、検問がありました。

専門の小さなな建物まであり、その側の路肩に車を停止させられ、運転手も含め、乗員全員が身分証明書の提示を求められました。

私は当然パスポートを用意。

すると、運転手さん、驚いた様子。

そして、私は車を降りるよう命じられました!!!

何事???(; ・`д・´)

外国人はここから先、通らせてもらえないとか???

焦る私!

車の側で、警備員から立ったままいくつか質問を受けました。

「どこから入国したか?いつトルファンに来たか?中国に来た目的は?」

西安に語学留学していて、夏休みを利用し旅行中。7月2日にトルファンに到着」と答えると、

「OK、それじゃ、建物に入ってチェック受けて」

と言われ、建物内に入ると・・・・・・。

パスポートの提示、入国スタンプ押印ページを確認、パスポートと一緒に撮影、荷物のX線チェックが待っていました。

荷物がコンベアから出てくると、大慌てで掴んで外へ。

もしかして、置いていかれたかも???

運転手さんは私が外国人と知らなかったようなので、もしかしたらここで時間ロスすることは想定せず、出発時間を決めてるかも知れません。

だとしたら、時間が間に合わなくなるじゃないですか!?

省道に出た私は、位置関係がよく分からなくなり、周囲をキョロキョロ。

降りた場所に、車・・・・・・いな~~~い!!!

と焦っていたら、その方角にいた(多分、最初に質問をした)警備員が「そっち!」と手で反対側を示してくれました。

広い路肩に停まっていた乗り合いタクシーを見つけて、本当に一安心。

警備員に、お礼のお辞儀を一つ。

それから走って車に戻り、運転手さん、乗客みんなにお詫びの言葉を連呼。

幸い、誰もそんなに急いでいなかったみたい。(笑)

待たされたことも、気にしている様子ナシ。

おおらかな土地柄がありがたかったです。

 

検問を過ぎると、トルファン駅まで後ほんの少し。

一人、二人と目的地に着き、車を降りて行きます。

そして、私が最後の一人でした。

車は駅の手前で停止。☟

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写真の真ん中辺りに見える黄色と黒のバーは、踏切りではなく車両通行止めを示しています。

「これ以上進めないから、悪いけどここで降りてね」と運転手さん。

出発時、後部トランクへ載せる私の荷物を転落させてしまったことも、わざわざ誤ってくれました。

親切で優しい、いい運転手さんでした。(*^-^*)

 

車が来ないのをいいことに、トランクを引っ張って、車道のど真ん中をバーの手前まで移動。

その後、歩道に入りました。☟

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進んで行くと、前方に安全検査の入り口はこちらですよ~と矢印が見えます。☟

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この建物内で、駅敷地内に入るために、荷物も人もX線チエックを受けます。

ここで、トランク内に「ハサミがあるから確認します」と言われ、トランクを開けました。
めぼしは付いていました。

眉毛を切るための、小さなハサミ。

ここまででも、結構出番があったんですよ。

カシュガルにいる時は、これで前髪を切って、プラスチックの結束バンドの切断にもお世話になりました。(*^^*)

役目以上に頑張ってくれているミニハサミの危機!

取り出して見せ、「没収しますか?」と聞くと、その必要はないと言われました。

良かった。(*^_^*)v

その場で荷物を元に戻し、マスクをかけ直していると・・・・・・。

「まだ安全検査があるよ」と言われ、ちょと脱力。

 

次の安全検査を受けるため、坂を下って左折。☟

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こちらが☟が、二つ目の安全検査場所。

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ここでは、パスポート提示(見るだけでなく、コンピューターで確認していたような?)とX線によるボディチエックが行われました。

荷物は入り口付近に置いたままボディチェックを受け、その後、ボディチェック用機器の横を通って取りに戻って、建物を出ます。

この2回に分けた安全検査、ボディチェックは2回受けることになるし、一つに統合してもらえるとありがたいのに。

正直な感想です。(^^;

 

この後、駅舎正面を通過して、正面横に開いている入り口へ。

列ができているので並びます。☟

 

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並んだ場所から、駅正面前の様子を撮影。☟

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たぶん、今みたいに管理が厳しくなかった時代は、私がやって来た駅舎真正面の道路はこの階段のすぐ側まで車で乗り付けることができたんじゃないでしょうか?

そして、この階段を下りて、そのまま入り口の荷物検査を受ければ、簡単に駅構内にはいれたんだろうな~と想像。

 

ところで、この日の私の切符はこちら。☟

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7月2日にトルファン北駅で発行してもらったものです。

そう、専用のVIP待合室の利用が可能な「軟臥(コンパートメント式寝台席)」!!

構内に入るための荷物検査を終えた私は、このVIP待合室を探しました。

 

狭い一般待合室は、大きな荷物を持った乗客でごった返しています。☟

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軟臥に変更しておいて、良かった~~~と思ったのですが・・・・・・。

VIP待合室、どこ???

あるには、ありました。

でも、鍵がかかり、使用不能

駅員に問い合わせると、「使えないから愛心座椅(シルバーシート)エリアを使って」と返事が。☟ (T_T)

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お年寄りや体の不自由な人のための席です。

年齢はかなり上がって来たけれど、まだシルバーシートに大きな顔をして座るほどでもなく、どうしようか悩みましたが、それがここのルールと思い、着席。

私の前でシートを3つ占領して寝転がっている女の子は、おじいさん・おばあさんと一緒に列車に乗るようです。

ご老人二人は、私の隣に座っていました。

例え席が空いていても、この態勢はないだろうと思っていたら・・・・・・。

心臓の治療を受けに河北省まで移動するという男性が奥さんに付き添われて登場し、女の子に注意。

女の子、不機嫌そうに私の正面に腰掛け、リュックはおばあさんへ渡しました。

そのリュックで、私の席が圧迫されることに。(^^;

心臓の治療に赴かれる男性ご夫婦には、トイレに席を立つ際に荷物を見ていただき、それから少し話をしました。

西洋医学では治せず、中国医学でも河北省の都市にある医療機関でしか治せないので、長距離だけれど、飛行機離着陸時の圧力を避け、列車で移動するしかないんだと言われました。

私が乗る列車は1時間半遅れでやって来ましたが、このお二人が乗る列車も遅延があり、私はこのお二人に見送っていただく形で「愛心座椅」エリアを後にしました。

 

私が乗るのはK992。掲示板の一番下に表示されています。☟

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今回の切符、カシュガルからトルファン北までの時と同様、改札口の情報が印刷されていませんでした。

それもそのはずで、改札口は一つ。(笑)

改札を通過すると、駅員の誘導で車両ごとに列を作り、列車の到着を待ちます。

そして、列車到着近くになると、一列ずつ、ホームの乗車位置へ移動。

こんな乗車の仕方は初体験。

いつもは乗車口に誰も彼も猛ダッシュしていますもんネ。(笑)

側にいた乗客も、これはいいね!と言っていました。☟

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ついに、列車到着!☟

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ちなみに、トルファン駅から寝台車に乗り込んだのは、私一人でした。

 

寝台車の通路。☟

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寝台車内部。☟

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自分のコンパートメントまで移動する間、扉を開けて談笑しているコンパートメントは3つくらいしかありませんでした。

このコンパートメントにも先客はナシ。

もしかして、貸し切り???(笑)

高さも幅も十分あって、小さな荷物を置くラックやハンガーまである!

VIP待合室は利用できなかったけれど、この空間で寝られるなら大満足!\(^o^)/

 

洗面台も清潔。☟

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時刻は既に北京時間の23時前、現地時間の21時前。

目的地・敦煌甘粛省にあります。

明日からは北京時間での行動になるので、23時はそろそろ寝るべき時間なのです。

さっそく、この洗面台で顔を洗い、ゆったりとしたコンパートメントのテーブルを使ってスキンケア!

カシュガルから移動して来た時みたいに、硬座の中段で、背中を丸めて下を向いてスキンケアをする必要ナシ!!

ああ、幸せ!!!(*^▽^*)

これを喜ぶのは、体力の低下が原因?

2000年頃の私なら、節約することが幸せだったのに。(笑)

 

四人用のコンパートメントに一人。

この場合、中から鍵をかけていいものかどうか?

希望は最後まで貸し切り状態ですが、途中の駅で誰か乗ってこないとも限りません。

取りあえず、鍵は掛けずに、おやすみなさ~い!!