せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月8日(日)_ 敦煌4日目_敦煌博物館2日目(宋代~清代他)・白馬塔他 (2019/2/7追記)

2018年7月8日(日曜日)、敦煌は快晴でした!!

 

出発前、ホテル出口で写した空の青さ!!!\(^o^)/ 

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12時40分。

真昼の気温は30度、湿度24%で爽やか!

行動開始は・・・・・・、いつも通り遅いです。(^^;

これこそ、一人旅の自由さというもの!(笑)

 

この日は、最初のホテル予約時のチェックアウト日。

フロントで継続宿泊の手続きをしました。

この件、前日、フロントに話を通しておきました。

その時、予約内容を確認されて分かったこと・・・・・・。

再予約した部屋のグレード、最初の部屋とは違っていたんだそうです。

ネットで見た時、確かにちょっと安かった。(笑)

どう違うかというと・・・・・・・。

最初に予約した部屋は、通りに面した本物の窓があります。

再予約した部屋には、外が見えない、形だけの窓。

私は単に予約時期の違いで、値段差が発生していると思っていたんです。(^^;

それなら、部屋を移動しなきゃな~と思っていたら、フロントの女の子から、

「お客様が観光から戻って来られるまでに、明日からも同じ部屋を使えるかどうか、上司に相談しておきます」

とのありがたい申し出が!

結果、本日からも同じ部屋を、継続使用させていただけることになりました!\(^o^)/

荷物は毎朝トランクに全部収納しているので、移動するのに不便はありません。

でも、青空の見える部屋と言うのは気持ちいいものデス。

特に今、西安で住んでいる部屋の視界が悪いので、この敦煌のホテルにチェックインして以来、とても気分が良いい~~~!(笑)

更にエアコンを使用せず、網戸にして寝られるのも大きなポイント!!

ホテル側のご配慮に大感謝です!!(*^-^*)

なので、この日はディポジット清算と再支払いの手続きのみで済みました。

※シーズン前の空いている時期だったからこその計らいだと思います。

 

では、出発します!(*^-^*)

再再再(?)登場の地図、ご参照ください。☟

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☟、ホテル出入り口から西(上の地図で左)、歩行者天国(上の地図の紫の通り)方向の景色。

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頭上にある駱駝のイルミネーション、ライトアップされていなくても、青空をバックにとっても綺麗!

 

昼下がり、休息中の歩行者天国

商品は撤収され、旅行客の姿もナシ。☟

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本当に綺麗な青空~~~!!!

 

遅い昼食を取ろうと、歩行者天国を北(地図上)に進んで「陽関中路」までやって来ました。☟

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ホテルフロントの女の子から教えてもらった「陽関中路」にある「益旺国際購物広場」というショッピングセンターが目的地。☝

これまで、私は毎日ホテル近所のフルーツ屋さんで、フルーツ盛り合わせを買って食べていました。

それを見たフロントの女の子からのアドバイス。☟

『フルーツ盛り合わせ15元(1元=16円換算で240円)は高いです。市場ではボラれるかもしれないので、益旺国際購物広場の地下にあるスーパーで買ったらいいですよ。価格は市場と大差ないし。私たちもそこで買います!』

ナイフはホテルが貸してくれると言うので、この日は自力で果物を調達することにしたんです。

 

地下スーパーはこんな感じでした。☟

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☝の右下は出口です。

入り口はこの写真の手前にありました。

とても広いスーパーで、暫く中を歩いてやっと果物コーナーに到着!

「さあ、メロン、メロン!」といざ買おうとすると・・・・・・。

メロンが何種類も~~~!!

どれを買ったらいいのか、私には見当が付きません!!!(^^;

メロン売り場の周りを暫くウロウロして、決断!

ここの果物はグラム売り。

重量を測る係りの人がいます。

その人に訊いてみよう!!!(^_^)/

重さを量るお客さんの列がなくなるのを見計らって、声を掛けました。

係りの女性は「買い物経験豊かなお母さん」と言う雰囲気の方。

まず、私が好きなメロンは柔らかいタイプか、それともサクサクしたタイプかを確認。

そして自らメロンが並んでいる前まで行って手に取り、外観・重さをチェックして、良さそうなのを選んでくださいました。

そのメロンが、これ「黄金瓜」☟。

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1個、1.312kg、10元(1元=16円換算で、160円)。

夜、ホテルに戻ってから食べましたが、柔らかくて甘くて、本当に美味しかったデス。

お腹が少々苦しかったですが、一人で一気に全部食べ切りました。(笑)

美味しいメロンを選んでいただいて、ありがとうございました!(*^-^*)

 

余談ですが、私は3回、フルーツ盛り合わせを食べました。

その3回目。

「うん?メロンがこれまでと違う!硬い(サクサク)!」

私はそれまで2回で食べていた、柔らかい食感のメロンがすごく好きだったんです。

この日、メロンを選んでくださった係り員さんのおかげで、盛り合わせのメロンが何故美味しくなくなったのか(サクサクになったのか)、理由が分かりました。

メロンの種類が変わっていたんですね。(笑)

 

この時、蟠桃(ばんとう)も一緒に買いました。☟

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ちょっと上から押しつぶされたような、へらべったい感じの桃です。

2個で0.414kg、6.5元(1元=16円換算で、約105円)。

これも甘くておいしかったです!(*^▽^*)

 

この後、昼食を取るべくショッピングセンター内のレストラン街へ!

でも、4階にあったレストラン街、時間が遅かったせいか人が少なく、店内に足を踏み入れにくく、ぐる~っと一回りしただけで、撤収!(笑)

結局、向かいにある「敦煌夜市」へ!☟

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当然、ここにもあまり人はいませんでした。(笑)

 

私は西安の「涼皮(リャンピー)」が好きです。

この「敦煌夜市」の中を歩くたびに、それによく似た敦煌の「酿皮(釀皮)ニャンピー」が気になっていました。

そこで、この日の昼は「ニャンピー」に決定!!☟

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☝私が食事したお店です。

このお店、☝右側の写真のように、他の日の夜に撮影した写真にも写っています。

これ以外にも、このお店が入り込んでる写真がブログに載ってます。(笑)

その都度、☟のようなカラフルな「ニャンピー」を目撃していたんです。

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一般的な白色の他に、緑・紫(ナイロンが掛けてあって良く見えません)・茶色があります。

当時の記憶が確かならば、緑はホウレンソウ、紫は紫キャベツ、茶色は蕎麦だったような???

既に用意してあるニャンピーに、具と調味料を合わせるだけ。

13時25分、料理はすぐにやって来ました。☟

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アップです!☟

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この一皿、10元です。(1元=16円換算で、160円)

一番上にのっている調味料が見えるでしょうか?

これを混ぜて食べるのですが、お皿いっぱいにニャンピーが入っているため、こぼさずに混ぜるのは非常に難しい!(笑)

なんとか溢れ返さず混ぜ終え、一口!

美味しい~~~!!!

味は、西安の「リャンピー」によく似ています。

それもそのはずで、「百度百科」の紹介では「ニャンピー」と「リャンピー」は同種の食べ物で、各地方の方言の関係で異なる呼び名になったとありました。(笑)

 

さてさて、購入した果物を持って回るのは不便なので、一度ホテルへ戻りました。

こんな時、「緑洲島酒店」のロケーションは最高です!\(^o^)/

 

そして、再出発!☟

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地図上で「緑洲島酒店」から西(左)へ、紫色の歩行者天国を通過して更に真っ直ぐ歩き、15時少し過ぎ、「沙州南路」へ到着したところです。

背景がないので、どこで撮影したかなんて、関係ない?(笑)

この日も、完全フル装備。(#^.^#)

 

この後の予定は「敦煌博物館」。

この場所からなら、進行方向にあたるバス停「中医院」に向かうのがベスト。

でも、「中医院」とは逆方向に当たる「沙州南路」ロータリーにある「反弾琵琶伎楽天像」が見たい!☟

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敦煌初日(7月5日)の記事で、曇り空をバックの伎楽天像写真を掲載しました。

その時、「青空バックの写真を再掲する!」と誓ったのです!!(笑)

この日ほど、撮影に適した日はありませんでした。

 

アップもどうぞ!☟

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「反弾琵琶伎楽天像」を撮影していると、散水車がやって来ました。☟

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普段は飛びのいて水飛沫を避けるのですが、この時は吹き出す水を撮りたくてシャッターを押しまくり。(笑)

散水車の白色と吹き出す水の白さが、青と緑を背景に映えるな~。

 

この後、「陽関中路」を東に進み、バス停「沙州市場」へ。

☟は、バス停に到着前、上の地図に赤字で「安旗」と書いてある辺りの手前から、紫色の歩行者天国入り口方向を撮影したものです。

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15時15分、バス停「沙州市場」に到着です。(*^-^*)☟

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この日も③の路線バスに乗って移動します。

「沙州市場」から「博物館」まで1元でした。(1元=16換算、16円)

 

15時半前、「敦煌博物館」に到着!(*^▽^*)

前日の記事で建物正面写真は掲載したので、今回はチケットセンターと入り口の遠景を。☟

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左側がチケットセンター、右側が入り口です。

 

前回の記事で添付し忘れた「敦煌博物館」のチケット。☟(^^;

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チケットの裏に、開放時間の案内があります。

前回も記載しましたが、再掲しておきますネ。(*^-^*)

5月1日~9月30日:午前9時~午後18時半(入館は17時半まで)

10月1日~翌年4月30日:午前9時~午後18時(入館は17時まで)

毎週月曜日は休館。(国家法定祝祭日に当たる場合は除く)

 

この日、博物館に入ると・・・・・・。

1階ホールに大勢の学生さんが!☟

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せっかくなので、前日見学した第一・第二・第三展示室にも立ち寄ったのですが・・・・・・。

どこも学生さんたちでいっぱい!

気になったので、ウォーターサーバーが置いてある場所にいた学生さんに話しかけてみました。

どこから来たのかは聞きそびれましたが、この日見学に来ていたのは高校1年生、合計240人とのことでした。

前日に来ておいて良かった~。(笑)

 

では、見学を始めます!\(^o^)/

【第四展示室:吐蕃と五代及び宋・元・明代】

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☝の第四展示室の写真は、前日撮影したものです。(笑)

  

まずはこの☟パネルから。
【沙州回鶻(かいこつ)、西夏による敦煌の統治】

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おそらく上の写真左側の壁にあったと思います。(^^;

ちょっと見辛いですが、☝の日本語部分をお読みください。m(__)m

そして、このパネルの後に続いていたのが、こちらのコーナーのはず。☟(^^;

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☟、左端のパネルから見ていきましょう!(*^-^*)

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このパネルの日本語は、比較的見やすいですよね?(笑)

しか~~し!!!

なぜか中国語文と日本語・英語の訳が微妙に違っています。

日本語文は英語文を訳してあるようです。

韓国語は読めませんが、年代の数字から判断すると、韓国語も英語からのよう。

全部「よう(です)」表記になるのは、英語力に自信がないから・・・・・・。(^^;

中国語を直訳すると、以下のようになります。

吐蕃と五代帰義軍】

紀元6世紀末から7世紀初めにかけ、吐蕃は首領の松賛干布(ソンツェン・ガンポ)の指導の下、チベット高原を統一、強大な奴隷制国家を樹立した。

玄宗の天宝十四年(755年)、安史の乱が勃発後、吐蕃は機に乗じ大規模な略奪戦争を仕掛け、河西・隴右(甘粛省の隴山以西、黄河以東)地区全体を占領し、60年余りに及ぶ敦煌に対する統治を開始した。

外国語への翻訳に当たっては、「奴隷」や「略奪」と言う表現に配慮したのでしょうか?

 

☟、莫高窟112窟壁画 伎楽図の反弾琵琶図」

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これが、市内のロータリーにある像のモデルです!\(^o^)/

 

「楡林窟25窟 吐蕃婚礼図」

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このコーナー左端の展示品です。☟ 

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「複製品 」と書かれていないということは、本物?

 

このコーナーの壁中央に掲示されているパネルです。☟

【西域のパイオニアーー張議潮】

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日本語がないので、訳してみます。☟

会昌二年(842年)、吐蕃王国で内乱が発生し、その勢力は大幅に衰え、河西における統治にも動揺が走り始めた。

大中二年(848年)、沙州の大族である張議潮はこの機に乗じ各族を率いて立ち上がり、吐蕃の統治者を追いやって沙州と瓜州を占拠、使者を派遣し唐王朝に投降した。

複雑で厳しい形勢に直面し、張議潮及び後継者である張淮深はまず要人を派遣し入朝させ、貢物を贈り続けることにより唐王朝の承認と信用を得ることに全力を挙げた。

同時に、管轄区内に唐制度を全面的に復活させ、部落制を廃止、県郷里制を立て直した。また、人口・土地を新たに登記、唐の制度に基づき新たな戸籍を編成し、新しい賦税制度を制定した。更に、唐朝の服装を復活させ、漢化を推進した。

これらにより、敦煌を「内地と同等の人格と才気」が溢れる都市に変貌させた。

 

龍鳳紋磚】☟ 

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左:龍紋磚 右:鳳紋磚 

三危山老君堂にて収集、五代。

敦煌博物館」WeChatの公式アカウントでは、「龍鳳紋磚」と二つまとめて紹介されています。

「三危山老君堂付近の廟の基礎と慈氏塔の中から出土し、龍鳳磚は装飾として向かい合わせの状態で壁の下部に嵌め込まれ、全体的に青灰色を呈している」とありました。

その後は専門用語に躓いて・・・・・・、ギブアップ。m(__)m

 

 ☟は莫高窟から出土した磚です。

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ここからは、宋と西夏関連です。(*^-^*) ☟以下3枚、2019/2/7追加。

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【宋代の沙州「画行」】

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この☝パネルで、「画行」とは何かが説明されています。

沙州の手工業と商業における「行」の設置については、史料の記載によると盛唐時代まで遡ることができる。そして手工業の一種である沙州「画行」に関しては、五代の帰義軍曹氏の時代に記載がある。

沙州画行は沙州地区の民間における大量の仏画肖像画制作の担い手であり、敦煌絵画業界の組織として、その内部には師匠・職人・弟子等の異なる立場の人員がいた。その内の「画行都料」とは、画行内で高い技巧を有する師匠のことを指す。

敦煌文献「董保徳功徳頌」では、『故得丹青巧妙,粉墨稀奇,手迹及于僧鹞,笔势邻于曹氏。画蝇如活。佛铺妙越于前贤;貌影如生,圣绘雅超于后哲』と述べられている。この記載は、曹氏帰義軍時代、敦煌絵画界の絵画の名手が往々にして「手跡が僧鷂と互角である」と自称したことを示しており、敦煌画派は張家祥の継承者であり、改良者であると思われる。

「『帰義軍』って何?」と思われたら、以下のWikipediaをご参照ください。

「曹氏」についても記載されています。(*^-^*)

帰義軍 - Wikipedia

 

☟。「銅馬飾り」が型抜クッキーみたいに見え、思わず撮影してしまいました。(#^.^#)

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文字が小さすぎて出土場所が読めない気がするので、書いておきますネ!

左 端:「状元及第」銅鏡 北宋 収集物

中央左:銅馬飾り 西夏 1975年姚家溝墓葬から出土

中央右:銅泡 西夏 1975年姚家溝墓葬から出土

右 端:銅片 西夏 1975年姚家溝墓葬から出土

「状元及第」銅鏡の上に置いてある「小さな丸いもの」は何???

説明は見当たりませんでした。

2019/2/7追記:

2018年12月訪問時に撮影した写真では、中央の「銅馬飾り」が姿を消していたこと、本日気付きました。(^^;

 

こちら☟は写真をご覧くださいネ。(*^▽^*)

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第四展示室の紹介の冒頭で乗せた展示室内の様子とは全然違うでしょう?

 

この☟写真は、7月8日当日に撮影したものです。 

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見学者、おおいですよね。

上述の北宋西夏の出土品は、この上のパネルの向かいにある柱の一面に展示してあったんじゃないかと思います。

もう、記憶があやふやです。(T_T)

 

 

引き続きまして、元と明のコーナーをご紹介します。\(^o^)/

【元・明時代の敦煌

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☝の日本語をご覧ください。m(__)m

 

☟は元のコーナーです。

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左上の方に見える人物像は「マルコポーロ」。

中国語で書くと「馬可・波羅」となります。

昔、むか~し、NHKの「アニメーション紀行 マルコポーロの冒険」が大好きでした。

それで、今回、Wikipediaで「マルコ・ポーロ」を検索して流し読みしていると、以下のような説明が!

17年間中国に滞在したマルコら一行は元の政治腐敗を危惧し、中国を去りたいという申し出をしたがクビライは認めなかった。 しかし彼らは、もしクビライが亡くなれば重用された自分たちは政敵に狙われ無事にヨーロッパに戻れなくなるのでは、と危惧していた。1292年、イル・ハン国のアルグン・ハンの妃に内定したコカチンを迎えに来た使節団が、ハイドゥの乱のために陸路を取れず南海航路で帰国することになった際、航路に詳しいマルコらに同行を求めた。この許可を得た一行は同年に泉州市から14隻のジャンク船団を組んで南へ出航した。(Wikipediaより)

こんなところで、「ハイドゥの乱」を見かけるなんて!

この夏の旅行紀をブログにする際、トルファン3日目の記事を書くにあたって調べた歴史の事件、中央アジアでの出来事が、マルコ・ポーロの帰国に間接的に関わっていたなんて、驚きです!

今でも政情不安で「渡航中止勧告」や「退避勧告」の出ている国・地域がありますが、元代のユーラシア大陸(=陸路)は相当危険だったんでしょうね。

余談ですが、マルコ・ポーロはイタリア語の他に、フランス語、トルコ語モンゴル語、中国語の4言語を話せたそうで、羨ましい~~~。

 

以下、参照したWikipediaのURLです。

マルコ・ポーロ - Wikipedia

☟は、関連記事のある私のブログです。

目次がないので該当箇所を探しにくいと思いますが、よろしければご覧ください。(^^)/

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月4日(水):トルファン3日目_トルファン博物館(古銭)・地下ショッピング街・トルファン駅 - せいあん!

 

では、元代の展示を見ていきます!(*^-^*) ☟

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展示物をご覧ください。☟ f:id:shanshanduohuizi:20180930164249j:plain

敦煌博物館」WeChat公式アカウントによれば、「善業泥」は「擦擦(cā cā/ツァツァ)」とも呼ばれ、よく捏ねた粘土を、事前に彫刻しておいた木型、或いは銅型の上に押しつけ刻印、型から外して作製するそうです。

ものによっては丈夫にするために陶器にしたり、見た目をよくするために色を施したり金メッキするものもありました。

チベット仏教では、「擦擦」を作ることにより五戒十善等の善行及び功徳を積むことができるとみなしたそうです。(一部抜粋)

 

『古代チベット語「六字真言」石経板』☟ 

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敦煌博物館」WeChat公式アカウントの説明(一部抜粋):

六字真言、即ち六字陀羅尼、または六字大明呪とも呼ばれ、「唵(ōng)嘛(ma)呢(nī)叭(bēi)咪(mēi)吽( hōng)(オーン・マニ・パドメー・フーン )」を指す。仏教秘密蓮華部の根本となる真言である。

敦煌領内で石経板が発見されたことは、チベット仏教がかつて敦煌地区に伝来し、敦煌を通じて西域天山一帯に伝播、或いは新疆天山一帯を経由し敦煌へ広まり、相互に浸透したことを説明している。一方で、元政府はかつて敦煌の馬迷兎一帯に重要な宿場を設置しており、往来する僧侶や俗人は六字真言石経板をひれ伏して拝むべき神聖なものとし、巡礼したことを物語っている。

(参考:Wikipedia

六字大明呪 - Wikipedia

こちら☟は、収集された『「六字真言」石経板』。

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こちら☟は、梵字の文物です。

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以下、元代の仏像です。

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☟、明代の展示コーナーです!(*^-^*)

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まずはパネルから!☟\(^o^)/

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嘉靖18年は1539年です。

日本で言うなら『1541年、武田晴信(後の武田信玄)が信濃侵攻を開始』。

そこから200年というと、『八代将軍(1716年~1745年)徳川吉宗』の時代まで。

この間、敦煌は明・清の管理を受けなかったということ。

なら、「敦煌に住んでいた人々はどうしていたんだろう?」と疑問が・・・・・・。

百度百科」では以下のように記されていました。

『嘉靖三年(1524年),明王朝下令闭锁嘉峪关,将关西平民迁徙关内,废弃了瓜、沙二州』

【参考日本語訳】

『嘉靖三年(1524年)、明王朝は嘉峪関の閉鎖を命じ、嘉峪関以西の平民を嘉峪関以東へ移転させ、瓜・沙二州を廃止した。』

※パネルでは「再び封鎖」となっているので、「百度百科」と年代が異なっているのだと思います。

海上シルクロード」に主役の座を奪われてしまった「オアシスのシルクロード」。

重要性が失われていく「オアシスのシルクロード」の中でさ、ルートから外れてしまった敦煌

ついに放棄される時、住民は強制的に嘉峪関以東の内地に移住!

管理しない辺境の地に住民を放置しなかったということで、「明政府、Good job!」と言うべき???

見捨てられた敦煌は、全くの無人だったかどうかは分かりませんが、廃墟と化したんでしょうね。

(参考)

敦煌市 - Wikipedia

敦煌(甘肃省酒泉市代管县级市)_百度百科

 

200年後、統治再開の様子については、この後ご紹介する「第五展示室:清代における敦煌の開発」をご覧ください!(*^-^*)

 

 

では、明代のコーナーの展示物をご紹介します!(*^-^*)

この「磁器の雄鶏」、覚えておいてくださいネ。☟ f:id:shanshanduohuizi:20180930165403j:plain

なぜなら、清代の展示物にも似たような鶏がいるんです。(*^▽^*)

 

次は、展示室中央に設置されているガラスケース内の銅製品展示物をいくつかご紹介します。☟

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明代の展示コーナは・・・・・・、なんと、たったこれだけです。m(__)m

そして、第四展示室も終了。

 

 

次は「第五展示室:清代における敦煌の開発」へ移動します!\(^o^)/☟

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さて、明代に見捨てられた敦煌、どう復活するのでしょうか???

 

☟は、展示室入り口にあった、敦煌に設置された「沙州衛城」の模型です。

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こんなに立派な城に復活できたんだ・・・・・・、おめでとう!\(~o~)/

この後のパネルで説明がありますが、正方形の城郭の周囲に増築された様子が伺えます。

 

では、最初のコーナーをご覧ください。☟

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以下の部分、よろしければ参考にしてください。(*^-^*)

1行目から2行目にかけて:

原文『移民とともに、党水に襲われ、沙州の古城は数ケ所取り壊され、』

修正『移民による屯田を開始したが、同時期に党河の洪水によりかつての沙州古城はその多くが破壊されたため、』

3行目後半:

原文『商業的な収益』

修正『商業の繁栄発展』

どうも・・・・・・、気になりまして。(^^;

 

一つ前の記事で、漢代の炭化した「キビ・アワ・大麦」の種子をご紹介しました。

その際、敦煌博物館」WeChat公式アカウントに内容から、『出土品と漢簡の記載から、漢代、敦煌は重要な穀物の産地、しかも多種の穀物を産出する産地であったことが分かる』ともご紹介しています。

これは漢代のことですが、明代に放棄されてから200年、かつての緑豊かなオアシスは消滅したに違いありません。

それを一からやり直すのはどれだけ大変か・・・・・・。

そんなことを気にしていたら、「百度百科」にこのような記載があったんです。

『雍正末,沙州已有耕地10万余亩,引党河水分10渠灌溉,农业得到很快的恢复和发展形成河西走廊西部的戈壁绿洲』

【参考日本語訳】

『雍正末、沙州には既に10万ムー余りの耕地があった。党河の水を十本の水路で引き込み灌漑することで、農業は素早く回復・発展し、河西回廊西部・ゴビ砂漠のオアシスを形成した』

農地、復活できたんですね~~~、良かった~~~!!!

ネット上の自動換換算システムによれば、10万ムーは、

6666.6666667ヘクタール/66.6666667平方キロメートル

だそうです。

 

 それでは、展示物を見ていきましょう!\(^o^)/

 【玉製関羽像】

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☝、日本語の説明が中国語のまま記載されているので、便宜上「玉製関羽像」としました。(^^;

敦煌博物館」WeChat公式アカウントには、以下のような説明がありました。

この関羽像は、寿山石を一つ丸ごと用いて彫刻されている。関羽は腰掛け、片手で長い髭をなで、もう一方の手には≪春秋≫を持っている。彫刻を行った工匠は寿山石の赤色部分を巧みに利用して関羽の赤い顔を彫り出すことにより、彫像に明るく正しい気風と男らしい威厳を持たせている。(一部抜粋)

 

このコーナー、中央部分の展示品。☟

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その中で、上段右端をアップ。☟

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公式アカウントに紹介があるわけではありません。

昔、こういうものを見るのが好きだったんです。(笑)

 

コーナー右側はこんな感じ。☟

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壁を直角に曲がりました。☟

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上の写真の右隣り。☟

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ここに、鶏がいます!!!☝

 

鶏をアップ!☟

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明代の鶏さんに、再登場願いましょう!☟

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色が違うし、尾の形も違います。

でも、二羽の鶏が同じよう位置に並んで、同じように首をかしげているんです。

写真を撮ってからかなり時間が経過しているので、今回写真を整理するに当たり、単独で見ると、初めの内は見間って混乱することしばしば。(^^;

この二羽の鶏の構図、長期に亘って流行って いたんでしょうか?

 

さらに、壁を直角に曲がります。☟

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上の写真の右端の像を撮影していたので、ご覧ください。☟

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「鎏金」とは「金メッキ」のことです。

 

こちら☟のコーナー、公式アカウントで紹介されているものが二つあります。(*^-^*)

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どれと、どれでしょう???(笑)

 

その前に、パネルをご覧くださいね。☟

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日本語がないので、参考に訳してみます!

【富んで義侠心溢れる庶民の徳ーー清代敦煌商人の敦煌への貢献】

清代の敦煌は明代の廃墟の上に構築された移民都市である。政府は移民の駐屯による開拓・水利施設等の建設を通じ、敦煌地区の封建社会最後となる復活と発展を促進した。

一方、社会的な生産の回復と発展は、商業経済の発展を促した。

同時に、商業経済が相当な発展を遂げた後、商人たちもまた意識的・無意識的に様々な形で社会の恩に報い、敦煌地区の公共事業の発展に多大な貢献を行った。

《重修敦煌県志》碑には、当時の敦煌商人の富んでなお義侠心に溢れる気前のよい行いが記載されている。

※「重修」とは「再建」を意味します。

 

では、このコーナーで公式アカウントに紹介されているものをご紹介します!(*^-^*)

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☝の①②です。

実は、どちらも写真を撮っていませんでした・・・・・・。(^^;

①木製花窓(木花窗):清代 敦煌市西雲観出土(年代記載なし)

②魁星磚(魁星砖):清代 1995年、敦煌市飛機場墓群出土(民間より収集)

 

敦煌博物館」WeChat公式アカウントの説明を、それぞれ一部分ですがご紹介します。

①木製花窓

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「魯班窓」とも呼ばれる。長さ66.5㎝、幅56㎝。

この花窓は、釘もリベットも使われておらず、窓全体が一本一本の木で編んで作られたように見えるのが不思議である。(制作の詳細は割愛)

この窓の設計は巧妙で、技術は非常に高く、風雨にさらされても変形せず、激しい世の移り変わりを経ても朽ちたり破損することがない。

世の人々は魯班が現世に下って作ったものだと尊称したので、魯班窓と呼ばれた。

この窓には中国語で「榫卯(sǔn mǎo):継手・仕口といった、ほぞ・ほぞ穴による接合方法で木材を連結する手法」が使用されています。

「榫卯」構造の歴史は長く、河姆渡(かぼと)新石器時代、中国時の祖先は既に「榫卯」を使用し始めていた。「榫卯」構造は中華民族特有の工法として、悠久の歴史があるだけでなく、中国の古い文化と知恵を体現している。

 

②魁星磚

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磚のサイズ:44㎝×26㎝×3㎝。全体的に青灰色で長方形。

磚の上には刃物で、悪鬼のように牙をむき出し、凶悪な顔付きをした鐘馗(しょうき)が彫刻されている。

鐘馗は左手に一斗升を持ち、筆を持つ右手を頭上に高く掲げ、背後の北斗七星の方へ向けている。(北斗七星の第一星は魁星と呼ばれ、魁星は科挙の文事を司ると昔の人は考えていたため、「中状元(状元に合格する)」を「中魁首」と呼んだ。文人科挙試験を受け官吏となる前、信心深く魁星を祭り、科挙において一度で首位となれるよう祈った。)

鐘馗の片方の足は後方へ跳ね上がり、もう一方の足は大ウミガメの頭上に載せられている。これは「魁星点斗、独占鳌头(魁星が北斗七星に触れ、大ウミガメの頭を独占する)」を意味しており、科挙中試参加者の名を筆で指し示すことは、その試験参加者が合格することの証とみなされた。

清代の敦煌でこのようなテーマの磚が出土したのには理由がある。清雍正の時代、200年近く放置されていた辺境の要地を復活させるため、甘粛の五十六州県の一部民衆を敦煌へ移住させた。このような社会の変遷は思想文化の変革をもたらし、宗教や芸術も世俗の現実的な芸術にそのポストを譲り、敦煌の仏教はかつての魅力を失い、人々は儒家科挙試験による官位の追求により重きを置いた。この魁星磚はまさに当時のこのような社会変革の産物である。

 

☟は、「あ~、魁星磚の写真、写してるっ!」 と勘違いした、左隣の磚。(笑)

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そして、こちら☟はこのコーナーのど真ん中に展示されていた「木製の獅子」

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私は「マーブル模様の人面犬」かと思い、撮影したのでした。(^^;

 

☟、次のコーナーへ移動します。\(^o^)/

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上の写真の左側に写っている釣り鐘をご覧ください。☟

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展示品の中国語の名称には「雍正八年」とあるので、この年に鋳造されたもの?

この釣り鐘について、公式アカウントに説明はありません。

展示ケースに入ってないところを見ると、「複製品?」と気になります。(笑)

2019/2/7追記:

2018年12月訪問時、この「釣鐘」がオリジナルであることを確認しました。(*^-^*)

 

更に、この「釣鐘」の後ろに置いてあった「石羊」も、オリジナルとのこと。☟

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無造作に置かれているので、以前ブログを書く際に省略していたんです。(^^;

☟、羊ちゃん、申し訳ない!!!<(_ _)>

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続いてのコーナーは、敦煌の考古学的発見」です。☟

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☟、パネルをご覧ください。(*^-^*)

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日本語訳・・・・・、省略されている所があるので、最初から全部訳すことにしますネ。(^^)v

 

1900年、道士「王円籙」は偶然「蔵経洞」を発見。その中には各種文字の古い写本、及び少量の印刷本、合計約五万点以上があり、学術的価値が非常に高い。

しかし、清末の当局の腐敗により情報が流出すると、略奪者が次々とやって来た。

イギリス・フランス・アメリカ・日本・ロシア等の探検家であるスタイン・ペリオ・ウォーナー・橘瑞超・オルデンブルクが相次いで敦煌へ訪れ文物を探した。

さらに、スタインは比較的系統立てて敦煌の漢代長城及び烽火台に考古学的発掘を行い、大量の簡牘(木簡・竹簡)・絹織物・木製器具・ソグド文書等の貴重な文物を手に入れた。

これより、敦煌の文物は世界各地に散逸した。

 

☟は「唐書地理志」

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☟については、上下二つの文物のどちらが「大乗無量寿宗要経」で、どちらが「十万頌第一巻十二品」なのか、私の記録不備のため不明です。m(__)m

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上段の展示物にはページ段組みが見えるので、「89~97頁」の表記がある「十万頌第一巻十二品」かも?

とは言え、これはあくまで推測。

「こんなものが展示されてるんだ~」というイメージとしてご覧ください。<(_ _)>

 

他にもたくさん展示してありました。(☟2枚)

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 次のコーナーに移ります。☟(*^-^*)☟

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このコーナーでは、壁の右側に掛けてある「青羅綉花龍袍」が公式アカウントで紹介されています。

※「龍袍」は「皇帝の礼服」、「綉花」は「刺繍」のこと。

この「青羅綉花龍袍」は清代のもので、民間から収集されたものです。

 

この龍袍は清代皇帝の吉服(祭祀の際に着用する衣服)。布地が青い羅であり、その上に龍・雲・柘榴・「寿」の文字等様々な縁起の良い図案が刺繍され、装飾が非常に華やかであるゆえに「青羅綉花龍袍」と呼ばれる。

清代、皇帝の衣服には朝服・常服・行服(外出時に着用)・吉服等があり、種類が非常に多い。

この「青羅綉花龍袍」は作りが精巧な上、保存状態も非常に良い。当時、衣服の所有者はこの服を着ることなく、栄誉として適切に保管していたようである。

(「敦煌博物館」WeChat公式アカウントより一部抜粋)

 

「勅命書」

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「文化と教育」に関するコーナーです。☟

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☟、パネルをご覧ください。(*^-^*)

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こちら☟は敦煌県志木版」

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以下、敦煌博物館」WeChat公式アカウントより:

敦煌県誌》

道光辛卯(1831年)春、木版印刷本。

この県誌は道光年間に敦煌県知事であった蘇履吉が編纂を提唱、鳴沙書院主席講師である曾誠が執筆し完成させた。

蘇履吉は拔貢(朝廷が特に優秀な生員を国子監に選抜する制度)の出身、福建省徳化県人、敦煌県知事を前後七年担当した。在任中、蘇履吉は敦煌の人々のために二大事業を行った。一つは鳴沙書院の建設、もう一つは《敦煌県誌》の著作。さらに私財を寄付し木版を作り、この県誌を出版、現代に伝えた。

蘇履吉は敦煌県知事初任の際、敦煌の悠久の歴史、延々と続く人文の蓄積、素朴で実直な気風に鑑み、敦煌県誌を著作するという考えを持った。その後、安西から戻り敦煌県知事に再任すると、曾誠を編纂の長として招き、清乾隆二年(1737年)に黄文煒が著作した《粛州誌・沙州衛誌》を基本骨子として、敦煌の学生20数名に史料を収集・現地調査を行わせ、一年余りの内に《敦煌県誌》を査定し終え、脱稿させた。県誌は全七巻4冊、約4.9万字。

 

蘇履吉は30代後半から西域各地の職を20年余りにわたって歴任したと「百度百科」にありました。

福建出身の蘇履吉にとって、着任したばかりの頃の西域はにたえら気候風土が何もかも違い、なかなかなじめなかったのではないでしょうか?

広東で働いていた頃、地元出身の同僚が中国東北地区の支部に転勤になると、現地の気候風土に耐えられず、会社を辞めると言うようなことが実際にありました。

しかし、蘇履吉は行く先々で民衆のための政治を行い、冤罪事件の対応に長け、人材育成を楽しみ、「新神君」・「生き仏」と呼ばれたそうです。

 

☟は「七弦琴」

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そして、ついに「敦煌博物館」最後のコーナー、シルクロードの古代貨幣」まで辿り着きました!!☟\(^o^)/

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この中国語文章、ちょっと難解です。

そして日本語訳は・・・・・・、またしても途中の一文がスルーされています。(T_T)

私もスルーしたいのですが・・・・・・、やっぱり、チャレンジしてみます!

シルクロードの古代貨幣】

「銭(Qian)」本来の意味は、現代のシャベルに似た古代の農具のことである。古代の貨幣は本来「泉(Quan)」と呼ばれ、その語義より「泉の水のように流動する」という意味を持つ。

記録によれば、貨幣は燧人氏の時代に出現し(堯の時代に使われ始めたとの記載もある)、黄帝の時代になると使用方法が完備していたとされる。

貨幣は商品の生産と交換の発展過程で自ずと商品から分離し、一般的等価物(貨幣)という特殊な商品として認識されるようになった。貨幣とは人類社会が一定レベルまで発展した際の必然的結果である。

このコーナーで展示しているシルクロードに散在していた古代の貨幣は、歴史において敦煌が商業上の要衝として繁栄していたことを物語っている。

 

ふう~~~、こんな感じでいかがでしょう?(^^;

「一般的等価物」って何?

ネットで調べると、マルクスの「資本論」に関係する言葉らしいと判明。

一応訳してみたものの、ちょっと不安。

そこで、ちょうど国慶節の七連休が終わり授業が始まったので、先生に訊いてみました。

先生の話では、「中国では高校で文系を選択した学生は、基本的な内容を授業で学ぶ」んだそうです。

「日本では習ったっけ?」

あまりに遠い記憶で覚えていないのか(笑)、それとも習わなかったのか?

私の高校時代の記憶に、マルクスの「資本論」はあっても、「一般的等価物」は存在していません。

「さすが中国!」という感じ?

 

 ☟は、このコーナーの様子です。 

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実は、右端のパネルと貨幣を撮影していません。

理由はおいおい分かると思います。(^^;

 

では、左側のパネルです。☟

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このパネルの下に展示されていた貨幣です。

☟「前漢/後漢・晋・隋唐・宋の貨幣」と表示されていますが、小さいですね。(^^;

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「どの貨幣」が「どの時代」のものなのか?

個別の説明がな~~~い!!!

なので、1枚にまとめて写して終わり・・・・・・。

2019/2/7追加:

2018年12月訪問時に、一列目、右から2つ目の少し大きな硬貨が気になったので、写してきました。(*^-^*)☟

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真ん中のパネルです。☟

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日本語訳の中の「穿廓」とは、英語を見ると、「穴と円周の縁」のようです。

 

めったに見られない貴重な貨幣があるように記載されているのに、これまたたくさん並んでいる硬貨が「西域貨幣」で一括りにされています。☟(T_T)

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下段の左端に変わった貨幣があったので拡大してみました。

でも、どの国・民族のものか分かりません。

2019/2/7追加:

☟、2018年12月訪問時に撮影した硬貨を追加しておきます。(^^)v

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ここで気力が尽き、「右側はもういいや、全体写真あるし!」とヤル気をなくしてしまったのでした。(苦笑)

実際、右側に展示されている貨幣は小ぶりのものが多く、写真を撮りたい!という魅力がイマイチ。

でも、そんなことで撮影を放棄したこと、今となっては大後悔です。(╥_╥)

敦煌博物館」の記事のラストが、こんな中途半端なことに・・・・・・。

以後、途中で投げ出すようなことはしません!!

 

2019/2/7追加:

2018年12月訪問時に、夏の後悔を補足すべく、撮影してきました!!!\(^o^)/ ☟

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「昔のまねをするだけで、特色がなかった」と、辛口な説明です。

でも、確かにそうかも・・・・・・。
 

この日の見学時間は約1時間半。

以上、「敦煌博物館」でした。(*^-^*)

 

 

では、気を取り直して、青空の広がる外へ出たいと思います!

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17時頃、「敦煌博物館」を出発。

上の地図の青い路線に沿って、「白馬塔」へ向かいます!\(^o^)/

 

博物館から北(地図上方向)に直進し、途中で左折。

暫くはごく普通の住宅地や商店が立ち並んでいました。

そんな中、博物館を出て20分ちょっと過ぎ、「敦煌小鎮」と書かれた額が掛かった「敦煌市非物質文化遺産伝習基地」と言う場所の前を通りかかりました。☟

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左側に見えている建物の看板は、どちらもビール関連。

黒い大きな衝立の向こう、ここにも「夜市」が立つのでしょうか?

 

敦煌市非物質文化遺産伝習基地」から更に2分、ついに党河手前(「党河東路」)までやって来ました!☟(*^▽^*)

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ご覧ください、この青い空!!!\(^o^)/

道路表面も激しい日差しを反射して、白っぽく見えます。

下からの紫外線反射、どれほど強烈なのでしょう???

日傘・サングラス・マスク・スカーフ・長袖長ズボンのフル装備でないと、絶対出歩けない~~~!(笑)

橋の手前にある塔のような建造物、敦煌らしいデザイン!(*^▽^*)

ここまで、博物館から徒歩25分です。

 

もう少し近づくと、右手に「白馬塔大橋」と書かれた石碑がありました。☟

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石碑の側から見た党河(北側)。

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党河の水面、空の色を写してキレイな青色!

 

 

ところで、敦煌についてからの記事で、既に何度も書いてきた「党河」。

この「党河」の「党」、私は「共産党」の「党」だと思っていました。(爆笑)

たまたま「百度百科」の「党河」説明を読んでいたら、

モンゴル語の訳名ーー「党金果勒河」の略称』

とありました。

漢代には「氏置水」、唐代には「甘泉」、宋代には「都郷河」と呼ばれ、元代に「党金果勒河」と改名。

「党金果勒」とは、「肥沃な草原」という意味だそうです。

ついでに、中国で唯一、南から北へ流れる河だそうです。(*^-^*)

 

 

さあ、まったく日差しを遮るもののない、橋の上に向かいます!(決死の覚悟!笑)☟

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橋のたもとから、石碑の側から見た方角を撮影。☟

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時刻は既に17時半ですが、この時季の日没は21時前。

太陽はまだまだ上空高い位置にあり、長閑な夏の昼下がり~~~のような日差し。☟

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今度は左手、南側を見てみましょう!☟

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白く光る鳴沙山が見えます!

敦煌初日の夜、曇り空が闇に黒く染まる少し前に写した鳴沙山とは、趣きが全然違います!(*^▽^*)

 

車が来ていないので、反対側の歩道まで横断しました。

そこから障害物なしで、党河と鳴沙山を撮影。☟

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この景色、何度見ても飽きません、大好き!

なので、更にアップ!(笑)☟

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鳴沙山の稜線がくっきり!

「青空+白っぽい鳴沙山+街路樹と党河に生えている草の緑+光る河面」

大好きな要素が凝縮された景色です! 

 

「白馬塔大橋 」をほぼ渡り切り、もうすぐ「党河西路」に到着する手前。☟

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河と用水路、「水の色」と「流れの速さ」が対照的ですネ。

 

「白馬塔大橋」を渡り、更に「党河西路」を横切ってから、歩いて来た方向を撮影。☟

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西側たもとにも、浮彫りのある塔があります。

 

ここまでは、街の整備が行き届いていました。

でも昔懐かしい、土埃が舞い上がる道の両脇にそびえる胡楊の緑を見たかったなら、ここまでの景色は間違いなく開発しすぎ、手を加えすぎと思うはず。

でも、ご安心(?)ください!(笑)

2018年7月初旬当時、ここから先は期待を裏切らないでしょう!

 

ご覧ください!\(^o^)/☟

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全く別の街に来たみたいでしょう?

一つ上の写真を撮った場所で体の向きを180度回転させたら、この景色になったんです。

車の後方・・・・・・、埃が舞い上がってます。

このままこの道を直進していいのか???

幸い、「白馬塔まで、ここから西へ200メートル」、塔の写真付き看板が設置されていました。

この看板がなかったら、たとえスマホで地図を確認していても、ちょっと不安を覚えたかも?(笑)

 

 埃が落ち着くと、真っ青な空が復活しました。☟

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この道を直進します!(*^-^*)

紫外線対策でマスク着用済みなので、車がやって来て埃が立っても平気なのです!(^^)v

 

前進、前進ッ!!!☟

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ついに、「白馬塔」に到着です。\(^o^)/☟

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赤い塀の向こうに、ちらっと塔の先端が見えています。

手前の樹木にご注目ください。

現地では気にならなかったんです。

でも、今、改めてこの写真をみると、すっごい違和感が!

もしかして、この位置から塔が見えるように、右側の木は左上部を斜めに刈り込まれているんでしょうか?

 

この場に到着した時、入り口は真ん中の大きな扉も、両サイドの通用門も、ぴっちり閉まっていました。

この時、時刻は17時50分。

もしかして、見学時間は終わったの~~~~???

この写真の右側、写っていないところには木陰がありました。

そこに地元の年配男性が集まって、井戸端会議中のようです。

そこまで行って尋ねると、まだ見学可能ということで一安心。

チケット販売の窓口も、そこにありました。

入場料、一人15元(1元=16円換算で、240円)。☟

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チケットの裏面には、日本語の説明もあってびっくり。

でも、中国語の説明がない?

これは外国人観光客用のチケット???

 

「白馬塔」周囲の様子から、現金しか受け付けてもらえないかもと思っていたら、WeChatでの支払いが可能でした。

管理人さんがWeChatで「お金を受け取る」画面から金額を設定、その画面にある二次元コードを私がスキャンして、支払い完了!

ネットに接続でき、受領側が対応してくれさえすれば、どこでも電子マネー支払いが可能です。

 

それでは、中に入りましょう!☟ (*^▽^*)

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通用門から入ると、内側にはこんな☝通路が。

手前には、テーブルの上に民芸品などを並べた土産物売り場がありました。

その場所で、暫く管理人さんとお話。

日本人の見学者、特に団体のお客さんが多いんだそうです。

 

通路の突き当りに描かれた仏画。☟

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この壁の向こうに、「白馬塔」があります。

 

白馬塔遠景。☟

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手前の石碑(左側)。☟

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【白馬塔 概要】

言い伝えでは、後秦(紀元384年~紀元417年)、著名な訳経僧、亀茲国出身の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が仏教を伝えるため敦煌を訪れた際、乗っていた白馬が病死したため、この場に埋葬し記念するため塔を建立したと言われている。

塔は現在九層建てで、高さは約12メートル、直径7メートル。日干し煉瓦を積み上げ、中に柱を立て、表面は藁などの植物繊維を混ぜた土や石灰が塗られている。

基礎の部分は八角形、長方形のレンガで覆われ、八角形の各面の横幅は3メートル。第二層~第四層は襞を重ね合わせた様式。第五層の下側には丸い突起があり、周囲をぐるりと取り巻いている。第五層の上側は、上むきの蓮の花びらの装飾がある。第六層はラマ塔形式の塔身。第七層は相輪形をなし、最上層は角形の「坡刹盘(?)」で、各角に風鈴が吊るされている。

 

第二層には文字が刻まれた石板が2つ、木板が1つある。石には「道光乙巳桐月白文采等重修(1845年旧暦3月、白文菜等が再建)」の文字が、木には「民国二十三年八月拨贡朱永镇、吕钟等再修(1934年8月、拔貢(朝廷が特に優秀な生員を国子監に選抜する制度)出身の朱永鎮・呂鐘等により改修)」の文字が刻まれている。これらにより、この塔が何度も修繕を経ていることが十分に証明される。しかし、その建築形式は依然として明代の風格を保っている。

1981年、甘粛省人民政府により、省級文物保護単位として公布。

 

※石碑に記載がないのですが、「百度百科」には以下の記述があります。

第八層が六角形の「坡刹盘(?)」で、各角に風鈴が吊るされている。第九層の塔の尖頭は「辺珠式(?)」である。

「坡刹盘(?)」と「辺珠式(?)」については、日本語で何と言うのか検索しきれなかったので、中国語のまま表記しました。m(__)m

 

手前の石碑(右側)。☟

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この☝石碑に刻まれているのは、以下の文字です。

甘粛省省級文物保護単位

白馬塔古建築

甘粛省人民政府

一九八一年九月二日公布

敦煌市人民政府

二〇一四年十月二十日建立

 

ちょっと接近してみましょう。(*^-^*)☟

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目いっぱい近づきます!(笑)

正面。☟

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正面向かって右側。☟

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真後ろ。☟

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第二層目に石板があります。

原版をアップにしてみましたが、ボケてしまい文字の判別はできませんでした。(T_T)

※ 2018年12月16日再訪。

撮影結果、ここには「民国二十三年八月拨贡朱永镇、吕钟等再修」と記されていました。

【白馬塔 概要】によると、この文面は「石」ではなく、「木」に書かれているものです。

写真は、以下☟をご参照ください。(*^-^*)

せいあん!特別編_2018年冬 敦煌旅行記2日目(12月16日 日曜日)真冬の鳴沙山・月牙泉(正午)、白馬塔(夕刻)他 - せいあん!

 

正面向かって左側。☟

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ここに、二枚目の石板が!

これは原版をアップにすると、かろうじて「道光乙已桐月白文采等重修」の文字を見て取ることができました!\(^o^)/

 

四方向から撮影した写真。

石板2枚はありましたが、木板はどこなのでしょう???

見落としたのかな???

旅行当時は案内の石碑を読まずに見学しているので、石板や木板をターゲットに写真を撮っていません。(^^;

なので、後から必要なものが見当たらな~いという悲劇が発生します。

もしまたどこかに旅行する機会があれば、時間の許す限り、現地の紹介くらいはその場で目を通すようにしたいと思います。

それ以前に、出発前に余裕をもって下調べをすべきですね。(笑) 

 

 

18時半頃、「白馬塔」を出発、来た道を戻ります。

日が傾いて来て、往路とは空の色も変わって来ました。

ただの農村風景ですが、きっと近いうちに消失してしまうはずなので、記録として残したいと思います。☟

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移動に利用している車両さえ、党河の東側では見かけないもの。

でも、この風景にはすごく溶け込んでいると思うのデス。☟

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「党河西路」手前まで戻って来ました。☟

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「白馬塔」への往路は、☝の写真で言うと左手後方にあった「白馬塔まで、ここから西へ200メートル」の看板をそそくさと撮影し、すぐに移動を開始しました。

無事見学を終え、心にゆとりができた今は、その時に後回しにしていた右手に注目!

 

じゃ~~~ん!!!

敦煌市白馬路道路建設工事」の概況説明看板です。☟

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この工事の範囲:

東は「党河西路」と「白馬塔大橋」の十字路から、西は「陽関西路」まで。

 

 

☟の地図のアップをご参照ください。\(^o^)/

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「白馬東路」全長:870メートル、道幅:24メートル

(歩道2メートル+車道20メートル+歩道2メートル)

「白馬西路」全長:940メートル、道幅:30メートル

(歩道5メートル+車道20メートル+歩道5メートル)

「白馬路」の東西で歩道の幅に多少違いはありますが、いずれにしても広々とした道が整備されます。

だから、「白馬塔」までの往復で見た景色は、もうすぐ失われてしまうのです。

では、いつ消えてしまうのかというと・・・・・・。

工事期間:2017年4月15日着工、2017年11月15日竣工。

「???」

2018年、今年の11月15日竣工の間違い???

いいえ!(笑)

間違いなく、昨年の11月15日竣工と記載されています。

工期目標には、「困難を克服し、努力により施工条件を整え、契約に定められた工期を保証する」とありますが・・・・・・、遅れてしまったんですね。

でも、おかげで懐かしい風景を見ることができました。(*^-^*)

あれから3ヵ月・・・・・・、今はどうなっているのでしょう?

 

 

「懐かしい」繋がりで、ここで2000年1月の写真をご紹介したいと思います。

こちら☟は、記憶が確かならば、「白馬塔」へ向かっている所。

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どの道を通ったのかは、当時でも分かっていませんでした。

運転手さんにお任せです。

道幅が広いので、今回歩いた道とは異なるのではないかと。(^^;

 

そして、「白馬塔」です。☟

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この日は強風が吹いていて一層寒い上に、埃が舞い上がって空気も悪く、車内から写真を撮りました。

それは間違いないんです。

でも、今回、「白馬塔」入口の前で歓談中だった地元の方々から得た情報だと、この写真をどう説明したらいいのか分からなくなるんです。

地元の方々は、上の方で見ていただいた「白馬塔」を囲む「赤い塀」は二十何年も前から存在し、外から塔全体が見えるような場所はないと言われました。

18年前を思い返すと、最初は駐車場のような場所に連れて行かれ、私が「降りない」と言ったので、運転手さんが車内から見える場所へ回ってくれたような・・・・・・?

今回ちょっと探検した「白馬塔」の裏手は、塀の隙間に出入口の柵があって(鎖で開かないよう固定されていました)、その向こうは葡萄などの畑。

このあたりの塀が壊れていたとか?

もし、もう一度敦煌を訪れる機会があるなら、これを地元の方に見ていただいて、このモヤモヤした記憶をスッキリさせたいものです。(^^;

 

この後は、党河に沿って「党河西路」を北(地図の上)へ向かって移動しました。☟

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河川敷は美しくに整備されています。

芝生に水を撒いている辺り、小さな虹がかかっていました。

私はどこに虹がかかっていたか知っているので、この上の写真でもうっすらと見える虹を見つけられるのですが・・・・・・。

どこにあるか、分かるでしょうか?(*^^*)

 

芝生の中の舗道を伝いながら進むと、東屋がありました。☟

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円形の東屋が合体していて、屋根の部分がハート形に見えます。(#^.^#)

 

ここには党河に張り出す形のスペースがあります。

そこから南北の様子を撮影。☟

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これまでも似たような党河の景色を貼っているので、「しつこい!」と思われるかも知れません。

でも、党河に沿って歩いたのはこの日だけ。

記念ということで、貼らせていただきます!(笑)

 

鳴沙山の手前に、「白馬塔大橋」が見えています。☟

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敦煌陽光沙州大酒店」が見えます。☟

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19時5分、ぶらぶら歩き「党河西路」と「陽関西路」の交差点までやって来ました。☟

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「西大橋」の向こうに見えるのは、先ほど東屋の側から眺めた「敦煌陽光沙州大酒店」。

改修されていますが、1979年に宿泊したホテルということで、友情出演。(笑)☝☟

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ここから「陽関中路」を東進し、19時20分過ぎ、「反弾琵琶伎楽天像」がある「沙州南路」との交差点まで戻って来ました。☟

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☝、まずは、後ろ姿をご堪能ください!\(^o^)/

 

午後、「敦煌博物館」へ出かける前は、正面しか貼付していませんでした。

しかし、なんと言っても今回は「反弾琵琶伎楽天像」のリベンジ回!!

この時間帯は、別の角度から「伎楽天」をご紹介します。(*^-^*)

夕日を受けて、向かって右斜め前から。☟

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左斜め後方から、夕日を浴びる後ろ姿。☟

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この空の色の写り方もすごく好きです。(*^-^*)

 

ここまで戻ったので、「沙州夜市」へ夕食に向かいました。☟

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もう19時半ですが、食事をしている人はまだ多くはありません。

 

何を食べようかな~と、上の写真の左手に並ぶお店を見て回り、韓国料理屋へフラフラ~っと入ってしまいました。(笑)☟

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せっかく敦煌に来ているのだから、敦煌名物を食べなくちゃ!とは思ったんです。

敦煌名物の「驢肉黄面」(驢馬のお肉を使用)も食べていません。

でも、ロバ・・・・・・、私にはちょっと勇気が必要です。

それに、あっさりしたものが食べたかったんです。

この韓国料理店、写真ではお客さんがいませんが人気がありますよ。

これまでも通りかかった時、たくさん人が入っていました。(*^-^*)

 

メニューを見て~~~。☟

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選んだのは、すっぱくさっぱり「朝鮮蕎麦冷麺」です!☟

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1杯12元(1元=16円換算で、約200円)。

期待通り、さっぱりといただけました。(^^)v

 

この時、スマホで調べた気温と湿度。☟

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35度もあるのに湿度が9%だからか、すごく爽やかです!

 

食べ終わって外へ出ると、空はまだ暗くなっていません。

20時前ではありましたが、このままホテルに戻るなんてもったいない!

そこで、敦煌市内と敦煌駅・空港を結ぶバスのルート「三危路」にある、1997年にも存在していた牌楼を見に行くことにしました。☟

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到着したのは20時15分頃です。

太陽がようやく夕方らしくなり、オレンジ色を帯びた光に変わって来ました。

 

当時、嘉峪関からバスで8時間くらいかけて敦煌に辿り着き、この牌楼に迎えられた時は本当に嬉しかったんです。

ゴビ砂漠の旅は見たことのない景色ばかりで、居眠りすらせず外を見ていました。

途中の安西県でのトイレ休憩、ガイドさんが現地の市場で買ってくれた西瓜を食べたのも懐かしい想い出!

ただ、窓から差し込む日差しに体力を奪われたんだと思うのですが、敦煌に着いた頃には相当ぐったり。

そんな状態で、この牌楼の下をくぐったんです。

「やっと着いた~~~」との解放感と、「ここが敦煌なんだ!!!」との興奮が一度に押し寄せて来ました。

莫高窟のような歴史あるものではなく、鳴沙山・月牙泉のような自然美とも無縁な牌楼ですが、私にとっては一番最初に敦煌を身近に感じさせてくれた、思い入れの強い建造物です。

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この牌楼のすぐ側、敦煌市内に向かって左手に、長距離バスターミナルがあります。(上の写真の左側にチラっと写っています。)☟

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ホテルも併設された大きなターミナル。

 

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まだ使用が始まってないのかと思ったくらい、閑散とした正面の様子。

敦煌到着の最終便を待っている旅館の客引きの方から、この時間は既に敦煌始発便は全て出発し終え、営業は終了したと教えてもらいました。☟

 

なんと!ここには日本語の標記もあります。☟

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まだ日が沈まない!!(笑)

もう一度、党河に架かる「西大橋」まで戻って、夕日に染まる鳴沙山を見るぞ~~~!!!

と、「陽関中路」の「西大橋」のたもとに建つ「敦煌陽光沙州大酒店」まで戻って来ました。☟

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この時、20時50分過ぎ。もうすぐ日の入りです。

ホテルの壁の色、沈みかけた日差しを浴びて、19時過ぎに通過した時とは違いますネ。

 

「西大橋」の上です。

暖色に染まった鳴沙山。☟

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ただ、ただ、綺麗だな~と、涼しくなった風に吹かれながら見とれていました。

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この日は21時過ぎにはホテルへ到着。

これまでよりはかなり早い帰宅です。

昼間かったメロンを食べて、7月8日は終了です。(*^-^*)

 

 

💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛

長文をここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。m(__)m

 

ここからは、少しだけ、最近の「せいあん!」です。(笑)

このブログは「せいあん!」なのに、もう3ヵ月くらい、西安単独の記事がありません。(^^;

夏の旅行の記事にここまで時間をとられるなんて、当初は思いもしませんでした。

でも、これをアップしたら、あと二日分だけ。

一番手間暇かかる博物館の紹介は終わったし、旅行ブログの完了も目前です!\(^o^)/

今回は、数日前に終わったばかりの国慶節休み中の様子、少しご紹介しますネ!

(旅行客が多いため、観光地には出かけていません (^^; )

 

9月30日(日曜日)振替授業が終了した後、西北工業大学の正門に回ってみました。☟

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国旗が掲揚されて、「国慶節」を迎えるムード満点。

下の写真は、校内プラタナス並木。

 

10月1日(月曜日)、国慶節1日目。

私が大好きな大唐西市城でも、多彩なイベントが行われていました。☟f:id:shanshanduohuizi:20181010004039j:plain

去年と同じく、青海省の物産展が開催されていました。☝

去年はずっと雨でしたが、今年は物産展開催中は快晴続き!☟

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大唐西市博物館では、アンケートと展示品に関するクイズに挑戦して、記念品をいただきました。☟

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私と一緒に写っている人も、どこかの大学の留学生。

彼に渡されたアンケート用紙が最後の一枚でした。

私、アンケートが始まる直前に博物館にやって来ていて、館内で時間を潰してもう一度行ったら、アンケート用紙配布終了~~~。(T_T)

でも、館員さんのご厚意で、二人一緒にアンケートとクイズに答え、二人に記念品を進呈しましょうということになりました。

展示品の名称を記入する問題では、館内いたるところで該当の展示品を探す人たち(だいたい親子連れ)にすれ違い、お互い情報交換!

めでたく全問回答し終え、博物館で販売されている「コースター」と「大唐西市博物館宣伝映像」をいただきました。(*^-^*)

この映像、1階の大スクリーン(写真上段の中央参照)で上映されているのを見て、前々から欲しかったんです。

すっごくラッキーでした。\(^o^)/

 

☟の絵画は、博物館隣の「芸術品センター」で展示されていたもの。

サイズは76㎝×156㎝。

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かなり大きな虎の絵です。

写真だと分かりづらいですが、すごく細やかなタッチで、本当に虎の毛一本一本の質感を感じられるようなものでした。

この絵画、960,000元です。(1元=16円換算で15,360,000円!!!)

 

シルクロード風情街でも、こんな☟催しがありましたよ!(*^-^*)

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この他、西北工業大学のロシア人とバングラデシュからの留学生の手料理をご馳走になりました!☟

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オレンジのお皿(チキンカレー)と、圧力鍋(淡水魚のカレー風味スパイシー煮込み)、そして二枚の写真両方い写っている丸い白いお皿(ミルクとごはんにスパイスをきかせたデザート)がバングラデシュ料理。

男子留学生の手作りです!

パンケーキと、透明のボール・ポテトチップスが周囲に飾ってあるお皿(サラダ2種類)はロシア料理。

国慶節最終日の夜は、ご馳走でした!(*^▽^*)

 

以上、最近の西安局地と私の様子でした。(^^)v