せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月9日(月)_ 敦煌5日目_敦煌古城・沙州故城・陽関中路の敷石他

 2018年7月9日(月曜日)、敦煌はこの日も好天。\(^o^)/

 

前日より約1時間早い11時45分、ホテル出発です!☟ 

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ホテル(緑洲島酒店)から、いつもはこの☟地図の左(西)に向かって薄紫色の歩行者天国方向へ移動していました。

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でも、この日は他に目的があり、地図を右方向(東)へ、「敦煌駅・空港行きバス乗り場」へ向けて出発!

 

こちら☟はホテルを出て東側の通りの北(地図では上)方向。

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上の写真を撮った位置から反対方向(南側・地図では下側)の風景。☟

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宿泊ホテルは写真右側の植え込みの側にあります。

酒甕が並んでいる向こう側に広場があり、夜はその奥に設置されたスクリーンでワールドカップを観戦していました。

真ん中辺りに尖塔が見えますよね?

これ、ホテル入り出入り口からの写真にいつも写っているイスラム寺院の尖塔です。

 

北向きの写真の右手に植え込みがあります。

その向こうにある道に入りました。☟

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ここから東方向に進みます。

この通り、中央の屋台でも、左端のお店でも、西安名物「肉夹馍(ロウジャーモウ)」を売っています!

 

この通りを更に進んで行くと、こんな感じ。☟

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前方に「文昌南路」が見えています。

 

「文昌南路」まで到着しました!(*^-^*)

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振り返って、今歩いて来た方向を撮影。【①】

この場所からだと左手前方に、「敦煌駅・空港行きバス乗り場」へ向かう「三危路」があります。☟

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☝の写真の右側の建物は、☟の写真のホテル(絲路怡苑大酒店)の右端に該当。【②】

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「文昌南路」と「三危路」の三叉路付近の様子です。☟

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【①】緑州島酒店から歩いて「文昌南路」まで出て来た場所。

【②】ひとつ上の写真の「絲路怡苑大酒店」があります。

【③】ここから、「鸡肉焖饼子(ジーロウメンビンズ)(鶏肉燜餅子)」・「酿皮(釀皮)ニャンピー」や冷麺を食べた、食事処が集まっている「敦煌夜市」へ直行できます。

 

「絲路怡苑大酒店」前から見た、「三危路」の「東大橋」側のバス乗り場。☟

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「絲路怡苑大酒店」側から道を渡って、バス乗り場へ。☟

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ここへは「敦煌古城」へ向かうバスの情報を入手するためにやって来ました。

前日、「白馬塔」見学を終えて「党河」沿いに「党河西路」を歩いていた時、「西大橋」付近で「敦煌古城行き」というプレートを掲げた緑色のバスを見かけたんです。

でも、そのバスは駐車場に停車していたのではなく、移動中でした。

その近辺に緑のバスが停車している駐車場らしき場所はあったのですが、そこに、「敦煌古城行き」のものは見当たらず・・・・・・。

自分の目を信じるなら、バスは確かに走っていた!!!

でも、「西大橋」の向こうまで出かけて空振りするのも虚しい。

そこで、路線は違えど同じバスの運転手さんなら、正確な情報をご存じであろう・・・・・・!とやって来たのでした。(*^▽^*)

 

今回の敦煌旅行、「莫高窟」のチケット売り場・「莫高窟デジタル展示センター」・「鳴沙山月牙泉」への行き方は全部、ここの運転手さんに教わりました。(笑)

この日、更に「敦煌古城」と翌日のための「空港」への生き方(出発・所用時間)も追加です。

 

運転手さんは親切です。

ついでに、側にいた地元乗客の女性もフレンドリー!

古城までのバスに着いて、詳しく教えてくださいました。

バスの乗車場所は、前日私がバスを探し回った「西大橋」側の駐車場でOK。

料金片道10元。(1元=16円換算で160円)

このバスは市内バスではなく、市内と県(中国では「市」の下に「県」があります)を結ぶ「県内班車(县内班车)」だそうです。

ついでに翌日の空港行きの情報もGetし、お礼を言ってこの場を去りました。

 

バス乗り場から「文昌南路」方向。☟

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上の写真、周囲の様子はご紹介できますが、道路標識がよく見えません。

同じ場所の写真が2枚続きますが、道路名も見ていただきたいので、アップ写真も貼ります。(*^-^*)

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「文昌南路」まで歩いたら、そこを右へ曲がって「陽関中路」まで進み、「陽関中路」を西へ。

これから、昼食に出掛けます。(=^^=)

まだ「敦煌古城」に出掛けるわけではありません。(笑)

「陽関中路」に入ってすぐの場所に、この旅行、各地でお世話になっている「愛的礼物」があります。

でも、もう1軒気になるパン屋さんがあったので、この日はそちらへ。

場所は、「陽関中路」を西へ西へ。

敦煌夜市」の前を過ぎ、地図で薄紫に塗った歩行者天国まで来たら、「陽関中路」を反対側に渡ると、目的のパン屋さんに到着!

下👇の写真は歩行者天国入口から撮影したものです。

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青色が奇麗なパン屋さん、名前は「安旗」、英語だと「Angelia」。

親しみを感じるのも無理ありません。

近くにないので買ったことはないのですが、西安にも店名に同じ「安旗」のついた「陝西安旗」があります。(ロゴは少し違います)

蘭州には敦煌の☝のお店とまったく同じロゴの「安旗」があるようですし、フランチャイズ方式?

お店の中、おしゃれなディスプレイでしたよ。(*^-^*)

ここで買ったパンがこちら☟。

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手前の細長いパンは、甘く煮た小豆入りのデニッシュ系のパン「紅豆棒(ホンドウバン)」。(袋に書いてある「毛虫」に見える文字は、このパンとは無関係。(笑))

「紅豆」は「小豆」のこと、「棒」は日本語と同じで、パンの棒状の形状からきています。

たいていのお店にある商品だけあって、(私にとっては)安定した美味しさです。

後方の丸いパン、上に刺さっているのはストロー。

中に入っているクリームが液体状(練乳よりもっとサラッとしていました)で、それを飲むために付いているんです。

生地に染み込んでもいますし、ちょっと揺れただけで上の穴からこぼれるほどの量が入っているのではありません。

でも、わざわざストローが付いてくるほどにはドリンク状なので、持ち帰る時、傾いてこぼれ出てしまわないかと、ちょっと緊張しました。(^^;

感想は・・・・・・。

クリームがパンに染み込んでいる部分は美味しかったです。(笑)

 

腹ごしらえも終わりました!

13時半前、やっぱりいつもと大差ない時間帯になってしまいました。(^^;

今度こそ、「敦煌古城」に向け出発です!\(^o^)/

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ホテルから「陽関中路」に出て、「反弾琵琶伎楽天像」の前を通過。☟

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「陽関中路」を更に西(地図では左)に進むと「鳴山路」に差し掛かります。☟

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横断歩道を渡りながら、スキを見て撮影!

 

渡り切ると、道路標識があります。☟

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進行方向を示しているのは左側の標識です。

銀行や公安の表示に下に、「敦煌古城遺跡」の案内があります。

敦煌古城」だったり、「沙州古城」だったり、標記は異なりますが同じ遺跡です。

右側は一番下に「鳴沙山月牙泉」とあるように、「鳴山路」の方向を示しています。

 

「西大橋」までやって来ました。☟(*^-^*)

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この橋を渡れば、バス乗り場は目と鼻の先です!

 

でもその前に、橋からの景色を見納め。

戻りもここを通るのですが、真昼の日差しの下で見る「党河」の景色は、これで最後。

こう書くと、その時の気持ちが蘇って、4ヵ月も前のことなのに、寂しくなってしまいました。(T_T)

正午前後は青空でしたが、14時前になるとちょっと雲が出現。☟

f:id:shanshanduohuizi:20180930234739j:plain☝。橋の中央に設置されている柵、飛天が舞っています。(*^▽^*)

 

鳴沙山、何回見ても見飽きることありません。☟

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ふと、カシュガルの端から見えた白っぽい山を思い出しました。

「橋・河・遠方の白茶けた山や砂漠」

私はこういう構図が好きなのです!(笑)

 

水面にご注目ください。

魚が泳いでます!!☟ f:id:shanshanduohuizi:20180930234811j:plain

かなりの枚数を撮ったにもかかわらず、魚が藻の下に入ったり、日差しの反射もあって、なかなかはっきり見えるものがありません。

上の写真では数匹しか見えませんが、すごくたくさん泳いでいたんですよ!(*^▽^*)

 

「西大橋」を渡って左手前方、道が少しカーブしています。☟

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ちょうどバスが出てきました。☝

 

戻って来たバスが駐車場に入って行きます。☟

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駐車場はこんな感じ。☟

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駐車場へと下りて行ったのですが、どのバスも扉が閉まった状態で、運転手さん不在。

大型バスの側に人が集まっていたのでそこへ行き、「敦煌古城」行きはどのバスかと尋ねると、次の出発は15時と言われ、大ショック!

この時、14時でした。(笑)

しかも、側に停車している大型バスで行くとかなんとか???

事前調査してきたのと違うバスを示されて、ちょっと困惑。

大型バスの側にいた人たちは、このバスが出るのを待っているそう。

一緒に待つよう言われたのですが、1時間近くも座って待つなんて時間が勿体ないではありませんか!

 

そこで、「西大橋」を引き返し、1997年と2000年には存在していた市場の名残りを探しに行くことにしました。

ちょうど橋を渡った向こうの「敦煌陽光沙州大酒店」の近くだったんです。

ということで、2000年頃の「地球の歩き方」に掲載されていた敦煌の地図をどうぞ。☟

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党河よりの黄色で囲んだホテルが、「敦煌陽光沙州大酒店」の前身「敦煌沙州大酒店」です。

 

その隣に「金山賓館」。

このホテルの名称は変わっていません。

地図上の赤線は、2000年当時に記入した、当時の移動ルート。

 

上の2000年前後の「地球の歩き方」の地図は、8月帰国時にスキャンして来たものです。

今年7月初旬には手元になく、記憶をたどって緑のルートを散策しました。

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この緑のルート、2000年の地図にも追加しています。

 

残念ながら、2000年1月には撮影していません。

冬場の市場は休眠中で、何も売られてなく、誰もおらず、ただ市場があっただけ。

随分探してやっと見つけた1枚がこれ☟です。

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1997年6月、ツアーで来た時のものです。

夏場の市場は活気がありました。

色んな臭い(×匂い)もしていました。(笑)

写真の右手にも市場が広がっていたこと、今でも覚えています。

 

①ホテル「錦江之星」の手前から、「陽関中路」の東(地図では右)方向を撮影。

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☝の写真の右手に、「敦煌陽光沙州大酒店」があります。

信号を渡って、「敦煌陽光沙州大酒店」の横に延びる「党河東路」を南へ進みました。

 

②「党河東路」の様子。☟

f:id:shanshanduohuizi:20181019010057j:plainこの辺りだったかな?と思って進んだのですが、ここは記憶違い。(笑)

「党河東路」、2000年頃は「合水路」と呼ばれていたようです。

 

「党河東路」を進んで行くと、スマホの「百度地図」で「市場巷」という通りがあるのに気付き、左折。

結果的に、この軌道修正は大正解。

2000年の地図で「市場路」と記された通りの西端へたどり着けました!(*^-^*)

ちなみに、2000年頃の「合水路」には、この位置に左折できる路地はありません。

 

2018年の地図で、「金山路」にピンク色のラインを塗った部分があります。

そこの辺り、通りの両サイドに店舗が統一規格の飲食店や雑貨店が立ち並んでいました。

「金山路」を更に進み、途中「宏泰市場」という看板を見かけたので、狭い入り口から通路を中へ。

そこは電化製品を扱うお店が立ち並んでいました。

女性が二人立ち話をされていたので、ちょっと声をかけてみると・・・・・・。

「面影はないけれど、かつてはこの辺り一帯が市場だったのよ。」

と教えてくださいました。

「やっぱりこの辺りであってたんだ~」

取りあえず場所を特定できて満足。

同時に、あまりに様変わりしすぎていて、時の流れを痛感しました。

1997年から数えたら、21年ですもんね。

 

③「陽関中路」に面した「宏泰市場」の出入り口。☟

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ここを通って、市場から出てきました。

 

④「陽関中路」を西向き(党河のある方向)に撮影。

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左側の壁は「金山賓館」のもの。

 

⑤「金山路」。☟

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☝の写真の左側に続くお店間に、「宏泰市場」へと続く通路の入り口がありました。

 

⑥「党河東路」と「金山路」の間にある「金山賓館」です。☟

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こうして、市場探しの散歩は終了しました。

 

14時半過ぎ、「敦煌古城」行きバスが停車している駐車場に戻って来ました。

大型バスの側まで行くと、「あっちへ行け」と状況に変化が。

大型バスは「敦煌古城」には行かないとか?

少し訛りがあってよく聞き取れませんでした。(^^;

内心「なに、そのいいかげんさ!」と腹を立てつつ、言われた方へ行くと、☟のバスが停車していました。

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これを見て、一安心!

この車両こそ、「敦煌駅・空港行きバス乗り場」で運転手さんたちから教えてもらった「県内班車(县内班车)」!!

「市区⇔古城」のプレートもあります!!!\(^o^)/

 

出発は14時50分頃。

早めに戻って来ておいて、良かった~~~!(^^)v

運転手さんに確認、「所要時間30分少々、約14㎞」。

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バスは初め少しだけ「陽関西路」を走り、「沙州故城遺跡」がある場所で左折し「古城路」に入り、一路南へ。

私はこの時初めて、「沙州故城遺跡」の場所を認識。(^^;

直ぐに、市内へ戻る際、ここで降ろしてもらえるか運転手さんに尋ねました。

答えはOK!\(^o^)/

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この運転手さん、とても親切な方でした。

このバス、私を「敦煌古城」で降ろした後、市内に引き返します。

そして再度、「敦煌古城」まで往復するとのこと。

その間、休憩も含め、約1時間半。

敦煌古城」の見学もそれくらいあれば十分だそうです。

時間を気にせず見学できるようにと、バスが「敦煌古城」に到着する少し前に電話してあげようと運転手さんから提案が!

「帰りも乗ります!」と伝えていても、観光バスではないのです。

バスが到着した時、私がバス乗り場にいなければ、運転手さんに私を待つ義務はありません。

運転手さんからの配慮がなかったら、私はリスクを避けるため、早々に見学を切り上げ、城外でぼ~っと待っていたと思います。

さらに!

私がバスを降りる前、携帯に見知らぬナンバーからの着信が!

「誰だ???」と思っていたら、運転手さんからの「私のナンバー確認」&「運転手さんのナンバーお知らせ」電話でした。

運転手さん、段取りに抜かりなし!

このバスを利用して「敦煌古城」に行く個人旅行客が多く、対応に慣れているんでしょうか?

 

バスは「古城路」、「白七路」と進み、「紅格線」に入り、「敦煌古城」へ向け一路南西へと進みます。☟

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この道に入った頃から、日差しが陰り、風は激しくなり、砂塵が舞い上がって空が黄色に!

敦煌に来て5日目。

初日が曇りだった以外、この日の昼下がりまで好天続きでしたが、ついに天気が崩れてしまいました。

 

防砂林として植えられている木々の撓り方、写真で分かるでしょうか?

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15時20分、もうすぐ到着という辺り。

進行方向左手(南東)にある山(砂漠?)の姿がうっすらしか見えません。(T_T)☟

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15時25分、「敦煌古城」駐車場に到着!

この日、移動所要時間は35分でした。

まず、駐車場入り口にあるチケット売り場でチケット購入!☟

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この写真、陽が射しているのは見学終了後に撮影したからデス。(笑)

写りが悪く、申し訳ありません。m(__)m

 

チケットはこちら。☟

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ここでも、WeChatで支払いOKでした。(^^)v

 

ここで、チケットに記載された「敦煌古城概要」を参考に訳してみたいと思います。(*^-^*)

敦煌古城は唐・宋の時代に西北部の要衝であった敦煌の雄姿を再現しており、中国西部建築芸術の博物館と呼ばれています。城内の完璧な建築、精巧な家具用具、多様な古代衣装が、あなたを古代へと導き、唐・宋時代の辺境要衝の風情を感じさせてくれることでしょう。運がよければ、映画やドラマのロケ現場に出くわせるかも知れません。

昼間は古城内で古代衣装を身に纏って存分に観光・撮影を楽しみ、馬場で馬を駆け、擬古娯楽場で遊んだり、酒楼で茶や酒を味わい、射撃場・射場にて射撃や矢を射て楽しむことができます。

日没時には臨城楼に登り「大漠孤煙直、長河落日圓(たいばくこえんなおく、ちょうからくじつまどかなり)」の奇観を観賞できます。

夜になれば、星空の下、篝火を焚いての集いが、昼間とは異なった風情を味合わせてくれるでしょう。興味があれば、モンゴルのパオや宿場の旅館にご宿泊ください。

中国工芸美術の巨匠・阮文輝による精巧で美しい対聯や所蔵品が、あなたに帰途を忘れさせるに違いありません。

映画「敦煌」以降、既に45本もの映画やドラマが敦煌古城で撮影されています。2005年には、敦煌古城は著名な歴史的大ヒット作「大敦煌」のメインロケ地に選ばれ、大宋敦煌城の雄姿が再び人々の前に出現しました。「大敦煌」に関する多くの写真や衣装、小道具等はよい目の保養となることでしょう。

 

いつもの如く、チケットの紹介を読むのは今が初めて。(笑)

なるほど、ロケ用の建築物を見て回るだけのところではなかったんですね。(^^;

1997年6月に城内に入った時は、建物をただぐるっと見て回っただけだったので、今までずっとそう思っていました。

中国人旅行客にとっては、貸衣装を着て、WeChatモーメンツや「抖音(TikTok)」にアップする写真や動画を撮るのが目的なのかと思っていました。

確かに、酒楼や射撃場のようなところはありました。

でも、旅館やパオはどこ???

 

では、中に入ります!\(^o^)/

城門前まで移動~~~。☟

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空、相変わらずどんより。

 

ここで、1997年の写真をご覧いただきたいと思います。☟

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見事に晴れて、青い空!(*^▽^*)

その下に見えるのは砂漠だったんですね。

ここまでの道中では判別できませんでした。

 

☟の写真は同じく1997年6月、バスに乗り「敦煌古城」から既に少し離れた時に撮影したもの。

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ちなみに、2000年1月来訪時は、この日以上の悪天候。☟

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当時70元で車をチャーター。

その車から降りることなく撮影・・・・・・。

なんともったいない。(T_T)

この写真を見ると、2000年の頃にはまだ駐車場やチケット売り場が整備されていなかったみたいです。

 

城門へ接近!

砂埃がひどく、私はマスク着用のフル装備状態でしたが、中から出てくる人たちは気軽な出で立ち。☟

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城門の下から城外を撮影。☟

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遠方、霞んでいます。

それでも、少し日が射してきました。

城門外のカラフルなミニカーは、城外の砂漠を爆走するサービス???

 

城門の下から城内を撮影。☟

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ここでも1997年の写真、登場!

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一つ上の写真より少し左から写した写真です。

日差しが強烈で色が白く飛んでしまってますね。(^^;

城門正面にある「沙州」の衝立の後方、21年前はスカ~っと奥の方の「汴梁城」まで見渡せます。☝

 

現在は・・・・・・。☟

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衝立は花に囲まれ「游客您好!欢迎到古城游览!(旅行者の皆さん、こんにちは!古城観光へようこそ!!)」と書かれ、通りの周囲にもいろんな小道具が配置されています。☝☟

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右手に置かれている牛車には、砂埃をものともせず遊んでいる親子連れの姿がありました。☟

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城門の内側の様子。☟

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振り仰ぐと、城門の大きさを実感。(*^-^*)

足元には、左右一つずつ案内板がありました。

 

左側の案内板です。☟

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敦煌古城概要】

「敦大也、煌盛也」、古人は「盛大に光り輝く」という言葉で古代の敦煌の繁栄隆盛を形容した。現在敦煌市区の西16キロメートルに位置する敦煌古城は、我々のために昔日の敦煌の輝かしく神秘的な伝説を再現してくれている。

敦煌古城は「中国西北部の古代建築芸術の博物館」と呼ばれる、唐・宋の建築を模倣した城壁に囲まれた都市である。敷地面積は15万平方メートル、建築面積は1.5万平方メートル。城内には唐・宋時期の西北部の要衝である敦煌・高昌・甘州・汴梁・興慶の五つの通りを、異なる地域の建築様式で修築している。高くそびえる城楼、寺やシルクを扱う店、居酒屋、質店、旅館等の異なった様式、比類のない美しさは、古代敦煌及びその他シルクロード要衝の地の大いなる繁栄と失われた時を表現している。敦煌古城はこれまでに「敦煌」・「成吉思汗(チンギスハン)」・「怒剣啸狂沙」・「封神榜」・「情剣山河」等の四十本の国内外の映画・ドラマの撮影ロケ地となり、現在では西北部において最も完成された映画・ドラマの撮影基地となっている。

また、敦煌は観光娯楽を一体化した需要な観光地となっている。(以下、チケット裏面の概要とほぼ同内容なので割愛)

 

こちら☟は、右側の案内板です。

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敦煌古城」で撮影された映画・ドラマの名前が記されています。

ご存じの映画やドラマはありますか?

私は一番最初に記載されている「敦煌」しか知りません。(笑)

 

☟は、城門を潜って左手にある「映画・ドラマの写真館」。

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他に、かつての敦煌の白黒写真もあります。

すぐに写真を見ればいいのですが、少しお待ちください。

1997年にタイムスリップ!(*^-^*)

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これ☝、角度は違いますが、同じ建物です。

21年前の方が、現在より古く見えませんか?(笑)

 

では、この写真館内に飾られていた映画「敦煌」の写真を一挙公開!!!\(^o^)/

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映画「敦煌」のために建設された基地だけに、「敦煌」の写真がたくさんありました。

ただ、建物内が薄暗く、しかも写真が古くなっていて、写りはあまりよくありません。

それでも、お亡くなりになった渡瀬恒彦さんのお姿や、若くてスリムな西田敏行さん、大型新人と謳われていた頃の佐藤浩市さん、中央アジアの雰囲気を纏った中川安奈さん他の皆さんの姿を見ることができて、感動!!!

映画が上映された当時、私は映画館で2回連続で見ました。

その後もビデオをレンタルしたり、最近では中国のネットで中国語版の一部を見たり。

前学期、日本語を学習している中国人学生さんと交流する機会があったので、紹介したり。

今でも大好きな映画なんです。(*^-^*)

当時のインタビュー記事、三田佳子さんからの差し入れに関する件は今でも覚えています。

三田さんが陣中見舞いに届けてくださった素麺。

それが俳優の皆さん・スタッフの皆さん、本当に嬉しかったそうです。

その時の私は、中国西北部どころか西安へすら行ったことがなく、「素麺、そんなに嬉しいのか~」くらいに思っていました。

でも、実際に現地に来てみると、当時の敦煌での長期海外ロケがどれだけ過酷かよく分かります。

日本とは全く違う乾燥した気候、脂っこい料理。

ロケ当時より時代が下った1997年6月の旅行ですら、色々馴染めないことがありました。

1980年代後半の撮影・・・・・・。

この地で生活するだけで、ストレスだったと思います。

 

それに加え、炎天下、砂嵐の中での撮影・・・・・・。

スタッフの皆さんも含め、心身ともに極限状態で撮影に臨んでいた時に差し入れられた、母国の食べ物。

どれほどありがたかったことでしょう。

厳しい環境の中、素晴らしい作品を作り上げてくださった関係者のみなさん、ありがとうございました。

敦煌」、また見たいな~。(*^-^*)

 

敦煌」だけでなく、ここで撮影された多くの映画・ドラマの写真もありました。☟

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ジャッキー・チェンもここで撮影していたんですね。

 

ここからは、敦煌という街の歴史を記録した写真です。

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☝西門から敦煌県城に入る党河橋(柳橋)(1907年スタイン撮影)

 

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敦煌県城東門「迎恩門」内の牌坊(1907年スタイン撮影)

 

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敦煌県城内の牌坊街路(1907年スタイン撮影)

敦煌博物館」の紹介では、「清の1729年に新城が完成、1733年には増築、1760年には敦煌県へ昇格」とありました。

この写真は辛亥革命清朝が倒される1912年以前に撮影されています。

敦煌県に昇格してから150年ほどの間、牌坊は途中で修繕されなかったんでしょうか?

屋根が崩れ落ちて来そうです。(T_T)

 

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敦煌県城門(1926年)

 

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敦煌県城門(1943年ジョゼフ撮影)

城門の壁に掛かれた文字、右側は「服従蒋委員長」、左側は「復興中華民族」。

1949年に中華人民共和国が成立する以前なので、「蒋委員長に従う」と書かれています。

さらに、簡体字が制定される1950年以前なので、字体が現在と違っています。

簡体字で書くと、「服从蒋委员长」、「复兴中华民族」となります。

私たちにとっては、この壁の文字の方が読みやすいですね。

 

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敦煌県城東大街(1943年ジョゼフ撮影)

 

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莫高窟外景(1958年撮影)

大牌坊の周辺、まだ整備されていません。

 

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西安美術学院師弟による莫高窟壁画模写(1959年)

  

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☝1979年、敦煌洪水ーー浸水したバスターミナル

降水量が著しく少ない敦煌でも、時に洪水の被害に見舞われます。

ネットで検索すると、近年では2011年6月16日に、記録的な大洪水が発生しています。

 

写真館内の写真を見終えたので、他の部屋をくるっと見て回って外へ。(^^)/☟

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外に出ると、先ほどよりは空が明るくなっていました。

まだ結構強い風が吹いていましたが、それでも日焼け防止のため傘をさし、城内散策へ、Go!

 

ここ☟は貸衣装店。

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場所は、写真館のすぐ側。

城門の下から撮った写真☟、左側に三角の黄色い旗が上がっている場所です。

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私がこの店の前を通り過ぎる時、ちょうど古代衣装を身に付けた4人組が出てきました。

この方々が、行く先々で写真画面に彩を添えてくれます。(*^-^*)

 

城内概要で紹介されていた五つの通りの一つ、「高昌街」。☟

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【高昌街】

高昌はシルクロード北路上の要衝の地であり、唐代に出現した時には相当に繁華な都市であった。しかも高昌故城・交河故城・沙州故城はシルクロード上で最も著名な古い城である。

この通りはトルファンの農村をモデルに設計され、唐・宋時期、高昌故城は西回鶻が盤踞する地であったため、この通りはウイグル族の建築様式を主としている。

《神探狄仁傑》第四部の主なロケ地である。

 

案内板を読んで、「高昌街」に足を向けたのに、一番に目についたのは昭和レトロ風のたばこの看板。(笑)☟

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でも、写す角度を変えると、それっぽい雰囲気があるかも知れません。☟

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断言できないところが悲しい・・・・・・。(ーー;)

 

そんな時、コスプレ(?)の4人組、登場!!☟

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唐・宋代の雰囲気が出て来たでしょうか???

ムリかな~~~。(苦笑)

映画やドラマのカメラ越しの風景だと、建物以外に小道具や大勢のエキストラがいるので、古代の生活感を表現できるんだと思うんです。

「思うんです」と言うのは、製作費の少ないドラマなどでは、安っぽいセットにしか見えない時もあるから。(笑)

 

☟のように、アーチで奥の景色を切り取ってみるとどうでしょうか?

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微妙・・・・・・。

 

上の位置の向かい側、二つ上の写真で黒いタイヤが置いてある場所を左に曲がると、こんな風景が広がっていました。☟

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ここが、馬場や射撃場・射場のハズ。

現地で確認まではしていません。<(_ _)>

 

酒楼のセット?☟

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ここ☟は、部屋の設えが充実していました。(*^-^*)

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両側の部屋の中は、こんな☟感じ。

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私が中から出てくるのと入れ替えに、古代の衣装を纏った四人がやって来ました!☟

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ゆるくカーブしている通りに沿って歩いていると、「敦煌古城」の城門が見える通りに到着。☟

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上述しましたが、1997年6月には、ロケのセットの建物しかなかったのに、今は通りの両サイドにいろんなものが設置されて賑やかです。

 

天候回復!

日差しがますます強くなって、暑い~~~!!

観光客も増えてきました。(*^_^*)

 

同じ場所で、城門に背を向けるとこんな風景。☟

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 奥に見えているのが「汴梁城」。

 

城門の方に向いて左手には、こんな☟場所が!

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ちょうどベビーカーを押した親子三代のご一家が、ここで記念撮影をされていました。

申し訳ないな~と思いながら声をかけ、撮影を依頼。☟

 

 

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門に掲げてある額の文字を見ると、ここは「帰義軍節度府」。

「帰義軍」は、一つ前のブログ「敦煌5日目」の「敦煌博物館」【宋代の沙州「画行」】にその名が出てきました。

よろしければ、Wikipediaとともにご参照ください。(^^)v

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月8日(日)_ 敦煌4日目_敦煌博物館2日目(宋代~清代他)・白馬塔他 - せいあん!

帰義軍 - Wikipedia

 

「帰義軍節度府」の門から中へ入ります!☟

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ここ☟は先ほど写真を撮ってもらった「帰義軍節度府」の門前。

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 左奥に見える通りを、歩いてここへやって来ました。

左手は城門方向。

右手は「汴梁城」方向です。

 

次は、「帰義軍節度府」を出て「汴梁城」方向へ右折します。☟

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この道を進み、突き当りの通りが「汴梁街」。

 

「汴梁街」へ出る前の右手に、こんな場所がありました。☟

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中へ入ると中庭があって、その向こうに休憩所のような場所が。☟

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この建物の向こう側は、今歩いて来た通りとは異なる都市の通りになります。

そこに、「西瓜ジュース」などと書かれた看板があったので、おそらく現代の喫茶店です。

喉が渇いたら、ここで一休み。

ただ、この日のこの時刻、お客さんの姿も、店員さんの姿も見当たりませんでした。

 

 これまでに何度も登場した「汴梁城」についに到着!!\(^o^)/☟

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【汴梁城】

大古都(開封・洛陽・西安・北京・南京)

六大古都の一つ。通り全体が張択端作の「清明上河図」を参考に造られており、全体に勢いがある。建物の特徴には敦煌と明らかな対比性があり、建物は高く大きく、青黒い瓦屋根は「人」字形に傾斜するという、典型的な中原様式である。これも歴史の変遷である。陸路のシルクロードが寂れるに従い、海上シルクロードが栄え、中原の経済・文化は全面的に向上、「日に日に発展したことは、その建築から証明することができる」と言って差し支えない。

 

☟は 「汴梁城」に向かって「汴梁街」の右手。 

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酒の甕が並んでいます。

 

そこをアップにすると、こんな感じ。☟

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左側には「西夏」世界へと続きますが、今は視線を右に戻しましょう!(*^-^*)

 

酒樽の向こうに「汴梁城」が見えます。☟

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ちなみに、「汴梁城」の前を左へ突き当りまで進むと、お手洗いがありました。

21年前の記憶を引くずっているので、不安を抱きながら中へ。

足元には、開け放たれた上部の窓から入り込んだ落ち葉が散らばっていました。

そのくらいは何ともありません!

問題は、個室内の清潔さ&水が流れるかどうか。

結果は・・・・・・、合格です!!!(笑)

 

そのお手洗いに対し、「汴梁街」の反対側にあるお寺。☟

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上の写真左側の通用門から中に入るとこんな風景です。☟

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次は、酒樽の側に見えた階段へ!(*^-^*)

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【興慶城】

寧夏銀川を代表し、「敦煌」撮影当時、西夏太子である李元昊都城として登場。西夏にはタングート・漢民族・回鶻が雑居していたため、建築物にはそれぞれの特徴がある。1997年、通りの中心に粥屋を設置。2004年には《海神》を撮影、1997年に撮影した《左宗棠》は災害救済の場面で登場した。「木板村」は2007年に韓国映画《グッド・バッド・ウィアード》を撮影した時のセットである。2011年には《双城記》の主なシーンをここで撮影した。

 

よ~し、それじゃ、これからこの階段を上がってみよう!と思ったら・・・・・・。

17時少し前、運転手さんから電話が入りました。(^^;

 

なので、階段を上がるのは諦めて、☟の右側の通りを速足で城門方向へ!

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この☟写真の右手に、提灯がぶら下がっている場所があります。

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そこが先ほど別の通りから覗き見た、「西瓜ジュース」などを飲みながら休憩できるお店の玄関です。

 

この道を進んで行くと、左手にこんなセットがありました。☟

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右側の壁には、☟のような紹介が!

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ここが、「興慶城」の紹介にも出て来た韓国映画《グッド・バッド・ウィアード》の撮影現場です。

2007年、韓国映画《グッド・バッド・ウィアード》は敦煌で撮影され、韓国のスターLee Byung-hun・Song Gang-ho・Jung Woo-sungが撮影に参加した。

敦煌市政府各界の協力により、撮影は円満に成功した。

最後の一文、中国らしい紹介の仕方だな~。(笑)

 

☟のセット、《グッド・バッド・ウィアード》のセットの側にありましたが、関係あるのかどうか、確認する余裕がありませんでした。(^^;

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やっと城門前まで戻って来ました!\(^o^)/

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ここで、1997年に同じようなアングルで撮影した写真と比較したいと思います。☟

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空の青さは置いていおいて・・・・・・。

1997年当時は、城門の扉は古ぼけて威厳なく、城内に植えられた木は枯れていたり、お手洗いは目も当てられない状況で、手入れをしているようには感じられませんでした。

さらに自分達以外、他の観光客は誰も見かけない寂しさ。

まるでゴーストタウンのようでした。

敦煌」を撮影した『聖地』として、敦煌にやって来た日本人にとっては見ておきたい場所であっても、現地の人にとってはただの使い終わったロケセットでしかない。

私はそんな風に理解していました。

だから2000年1月に来た時、1997年より一層寂れているに違いないロケセットを、砂嵐の中、わざわざ車を降りて、中まで入って見なくてもイイや!と思ったんです。

でも、普通に考えて、これだけ立派な城門・城壁を備えたセットを、使い捨てにするわけないですよね。(^^;

その後もセットを増やし、「敦煌古城」は映画村として、観光地として、活躍しています。(*^-^*)

 

城門を出てみると、駐車場がすごく賑やかになっていました。☟

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私が到着した時はこんなに車が停まっていなかったのに。☝☟

 

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この時は、真夏。

日が傾いて涼しくなる夕方まで待って、皆さん遊びに来たんでしょうね。

チケットの紹介にあったように、「臨城楼」に登って砂漠の夕暮れを観賞するのもいいかも。

 

日本のネットで敦煌旅行のブログを読んでいると、この「敦煌古城」、あまり人気がないようです。

確かに、長い歴史がある建築物でもありません。(笑)

私にとっては、「1997年当時とどう変わっているか」が目的でしたし。

なので、今回たくさん貼っている写真を見ていただいて、

「これなら行かなくてもいいか~」

「話題作りに出かけてみるか」

など、旅行計画を練る際の一材料にしていただければ、嬉しいです。(*^-^*)

 

少し待つと、幹線道路から逸れて、緑色のバスがこちらにやって来ました。

これに乗り込み、次は「沙州故城遺跡」へ!\(^o^)/

 

「沙州故城遺跡」は「陽関西路」が南西に向けてカーブする少し手前、「古城路」との交差点少し南側にあります。☟

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今回、私は南にある「敦煌古城」から「古城路」を北上し、この遺跡の側でバスを降りました。

  

☟は、「沙州故城」の北端から、北向きに撮影したもの。

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手前から写真奥に向かって伸びる「古城路」が、少し先で「陽関西路」と交差しています。

 

上の写真を撮った場所から南(後ろ)へ振り返ると、遺跡があります。☟

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石碑によれば、石碑の後ろにちょこんと見えている、頭上に避雷針(?)を載せた土の塊は、沙州城の北西角の望楼(中国語:角墩)。(「望楼」は「Watchtower」を直訳しました)

 

石碑の後ろへ回り込むと、望楼の全容を見ることができます。☟

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右側に見えている道が、「敦煌古城」から戻って来た「古城路」。

左側の道は、この遺跡を取り囲んで、右側の「古城路」に合流します。

 

上の写真で、足元にある遺跡の案内を可能な限りアップにしてみました。☟

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☝、左側の文字部分。「沙州故城概要」

☟、右側の図の部分。「平面レイアウト図」

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今いる場所は敦煌城の「北西角」。

上のレイアウト図の右下で、黄色に囲われている場所。

屋根マークと「角墩」と書かれている位置です。

レイアウト図の真ん中辺り、黄色い横線を引いている場所は、前日訪問した「白馬塔」。

城の東側には「党河」が描かれています。

現存する「望楼」や「白馬塔」、更に「党河」のおかげで、当時の沙州城の規模が分かり易くなりますネ。(*^-^*)

 

それでは、頑張って「概要」を訳してみたいと思います。

映画セットの説明を訳して、歴史ある遺跡の説明をスルーするわけにはいきません!✊

【沙州故城概要】

沙州故城は敦煌市の西、七里鎮白馬塔村、党河に西岸に位置する。東西718メートル、南北1,132メートル、面積812,776平方メートル。漢武帝が西域を切り開き、この地に敦煌郡城とした。西涼国はかつてこの地に都を置き、唐の神龍年(705年)、この城に豆卢軍を設置した(唐代における「豆卢」は「帰義」を指す)。唐中期、吐蕃を陥落し、宋の景祐初年、西夏を陥落、元世祖の至元十四年(1278年)沙州を再度設置、明の永楽二年沙州衛を置いた。その後、党河は南西から流れて来るため、旧城の東城壁の外を迂回することになり、東城壁のいたる所が水により突き崩され崩壊した。雍正三年(1725年)、故城の東、即ち現在の敦煌市沙州鎮の所在地に衛城を建築した。

故城遺跡は現在、南・北・西三面の城壁が断続的に残っている。また白の北西角には望楼(角墩)が残っている。

漢・唐時期の沙州故城はシルクロード上の名城であり、需要な都市であり、中国と西域の政治・経済。文化交流の枢軸に位置していた。清代の《敦煌県誌》は「古城夕暮れ」を敦煌八景の一つとして挙げている

Wikipedia百度百科を検索しながら訳してます。

それで気付いたのは、Wikipedia百度百科・石板の年代が数年ずつずれていたり、石板に年号と西暦が記載されているものの、その年号と西暦の組み合わせがWikipedia百度百科と一年ずれていたり。

その辺は深く追求せず、石板のままにしています。

参考としてお読みください。

 

それでは、望楼の後方に続く城壁を見て回りましょう!\(^o^)/

望楼に向かって、反時計回り、「古城路」の側からスタート!☟

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故城遺跡の周囲は、木の柵で囲まれています。

 

「古城路」側、城壁南北の真ん中辺りに来ました。☟

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望楼の後ろ姿がよく見えます。(*^-^*)

ここから少し、遺跡の東西幅が狭まります。

木の柵に沿って、随所に沙州城の関するエピソードの紹介があります。

それらは後でまとめてご紹介します!(^^)/

 

遺跡の南端まで来ました。☟

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南端の柵に沿って東に進むと、「甘粛省級文物保護単位 沙州城遺跡」と記載された案内板がありました。☟

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南端を更に東に進み、東端まで到達。☟

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ここから北上します!

 

遺跡北端まで戻って来ました。☟

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こちら☟は、2000年1月に撮影したものです。

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18年の月日に、「望楼」が風化しているように見えます。

当時は柵で囲われていなかったんでしょうね。

かなり接近して撮影しています。

それに、ゴミが遺跡の足下にもたくさん落ちています。(^^;

 

では、沙州城遺跡の周囲にあったエピソードを一挙にご紹介!\(^o^)/

参考にしてくださいね。

 

【帰義軍節度使の駐屯地】

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唐大中二年(848)、敦煌人である張議潮は沙州の漢人を率い、ソグド人・吐谷渾(とよくこん)人と連合し、強大な反吐蕃同盟軍を結成し、吐蕃の警備軍の将を一挙に駆逐し、沙州を収復した。西暦851年11月、唐は沙州に帰義軍を設置、張議潮は帰義軍節度使、兼十一州営田観察処置使に任ぜられた。敦煌故城は帰義軍節度使の駐屯地である。

 

【マル・コポーロ、沙州体験】

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至元十一年(1274)、マル・コポーロはシルクロードに沿って敦煌に至り、城内全てを遊歴、また当時の敦煌の葬儀等習俗を特に書き残した。『東方見聞録』にその記述がある。

 

【沙州城内呼び売りの詩】

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敦煌文献P.3644には、二編の中国文学史上で最も古い商業宣伝的な「呼び売り文学」、即ち店舗商売の機運に乗じて世に現れた作品が保存されている。

 

西涼儒学の中心】

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西涼の李暠には傑出した才知と計略があり、人物をよく知り、その才能に応じて任用し、優れた才能を持つ者を広く募ったため、李暠の統治期間、西涼国内の文人や名士、例えば天文学者の趙〇(名前の部分、中国のネット上でも空白です)、教育者の劉昞、歴史地理学者の闞駰、経学者の宋繇はみな李暠のもとに身を寄せた。当時、敦煌には群雄が一堂に集い、西涼儒学を伝播する中心となっていた。

 

【沙州という名の由来】 

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前漢武帝の元鼎六年(紀元前111)に敦煌郡を設置。三国・曹魏西晋はそれを踏襲した。東晋前涼時代、敦煌・晋昌・高昌の三郡と西域都護・戌己校尉・玉門大護軍の三営をまとめて沙州が立てられた。東晋隆安四年(400)、李暠が西涼を建国、最初の都を敦煌とした。北魏の初め(439)敦煌鎮が置かれ、紀元526年瓜州を設置、敦煌は地方政府の所在地となった。北周初に沙州を設置、県南部の鳴沙山から名を取り、紀元564年敦煌県を改め鳴沙県とし、敦煌郡に属すこととなった。隋初、郡を廃止し瓜州を設置、大業三年(607)敦煌郡を復活させ、同時に鳴沙県の名称を敦煌県に戻した。

 

【故城の惨禍】 

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西涼建初十三年(417)、李暠が病死、享年67。李暠の次男・李歆が後を継いだが、李歆は功名心にはやる人物で、内部に対しては刑を重くし、大規模な土木工事を行ったため、人々の恨みは膨れ上がった。庶民はやせ衰え、沮渠蒙遜により死に追いやられた。酒泉を失って以降、李歆の弟・李恂が敦煌へ逃れ、城を防守した。そこで「蒙遜は自ら軍を率いて敦煌を攻撃、土手道を造り、水攻めを行った。わずか10日で李恂の武衛である宋承、広武である張弘等が開城し投降したが、李恂は殺され、住民も全て殺戮された」。敦煌は一時、廃墟と化した。

 

【張芝墨池】

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張芝墨池、かつては北水池と呼ばれていた、後漢から北宋時代の敦煌の貯水池である。沙州子城から東北へ一里の位置にある羅城内にあった。後漢献帝の時代、書家がこの池で書を練習したため、池は墨で真っ黒になった。 その書は非常に優れ、天下にその名が広く伝わった。これにより王羲之は『鄱書論』で、「池に臨んで書を学んだため、池水が真っ黒に変色した。その書の素晴らしさは比類なく、私の書はそれに及ばない」と述べている。また、草書は張芝から始まっていることから、当時の人は張芝を「草聖」と称した。

この紹介文、英語訳には「王羲之」が登場していません。

 

以上、沙州故城遺跡周囲に立ててある案内板の内容でした。(*^-^*)

 

次は、下の写真の赤い矢印の場所、足元に嵌め込まれた石板の案内をご紹介します。☟

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前漢:沙州城の創建】

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元鼎六年(前111)、漢武帝は‟武威・酒泉の地に張掖郡・敦煌郡を設置し、民を移住させ、郡の設置を実行した。”《沙州城土境》には、‟沙州城:将軍趙破奴が命令を受け、甘・粛・瓜三州の人民及び兵士を率いて築いたと記載されている。

 

後漢:西域経営の前哨】

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延光元年(122)、張璫は死の危険を冒して上申し、西域を手放してはならない、玉門関・陽関を閉じてはならないと懸命に忠告を行った。漢は西域副校尉を設置し敦煌に常駐させたことにより、敦煌郡城は漢の西域経営において軍政の中心となった。

 

【魏晋:華戎が交わる一大都会①】

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中平元年(184)、黄巾の乱が勃発、「黄河以西は乱れ、隔絶され道が通じなくなった」が、敦煌だけは比較的安定していた。敦煌太守が吾彦・倉慈の期間、自ら農耕を実践し、民衆を説得し生産を行い、胡人の子孫を保護することで、異なる民族が仲睦まじく暮らし、中国と西域の貿易は繁栄し、敦煌地区に「どの家も暮らしが豊かであり、快適で人口が多く物産が豊か」な繁栄をもたらした。歴史上「華戎が交わる一大都会」と称された。

※「華戎」とは「中華」と「中国古代の西方の民族」

 

【魏晋:華戎が交わる一大都会②】

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東晋隆安四年(400)、晋昌太守の唐瑶は文書を発布し、李暠を沙州刺史・涼公に推挙すると六郡に通達した。これが十六国時期の「西涼」である。西涼初期は敦煌城を都城とした。当時の敦煌は「他の郡の規模より大きく、西域を制御し、万里を管轄する」都市であり、「一時期、于闐は玉を贈り、鄯善前部王は使者を派遣し自国の特産品を献上した西涼時代、敦煌城に対し大規模な修理が行われた。靖恭堂・謙得堂・恭徳堂・嘉納堂等の建築を新たに建設、また城内に泮宮(pàn gōng)を設置。泮宮とは「官吏や裕福な家庭の学生」が学習する場所をである。

 

北魏:宗室の統治】 

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太平真君三年(442)、沮渠無諱は北涼の残存勢力を率いて敦煌を離れ、西方にある鄯善の吐谷渾へと逃走、それに伴い敦煌北魏拓跋氏が占有することとなる。北魏は李宝を鎮西大将軍、開府儀同三司、領護西域校尉、沙州牧、敦煌公に封じた。また、李宝の弟・李懐を敦煌太守に封じ、共に敦煌の抑えに当たらせた。北魏孝昌(525~527)期間、敦煌は鎮を廃止し瓜州を置いた。初代刺史は北魏宗室東陽王の元栄。元栄は職位にあった20年間、莫高窟の造営を推進し、敦煌の仏教を迅速に発展させた。

 

【隋唐:繁栄の時代の都市】 

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隋代の敦煌郡は、敦煌・常楽・玉門の三県を統括していた。郡が敦煌故城を治めていた。シルクロードの要衝である敦煌は、この間、その地理的位置の重要性を一層明らかにしていた。裴矩は『西域図記』に「故知伊吾・高昌・鄯善并西域之門戸也、総凑敦煌、是其咽喉之地」と記載している。

唐の開元天宝以前の百年余りの間、敦煌は「村落が連なり、人家が密集し、いたる所に仏塔があり、市場は広く、どの家も暮らしが豊かで、人口が多く物産が豊富」であった。唐代の敦煌城は子城と羅城の二つに分けられる。子城は小城とも呼ばれ、羅城の西南に位置した。官府・衙門・官吏と名門大族の居住地である。羅城は大城とも呼ばれ、商業と主な住民区であり、城内には豆卢軍が駐屯していた。当時、沙州城は長安に次ぐ国際的な大都市となった。

 

西夏元明:日増しに凋落】

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西夏敦煌を統治していた間、地方行政組織は宋と同様に州・県の2ランクに分けられ、敦煌は依然として沙州と称していた。

元太祖二十二年(1227)、敦煌はモンゴルの統治を受けることとなった。至元十七年(1280)、沙州は路に昇格。至元二十九年「沙州・瓜州の民を甘州へ移住させ、詔于甘・粛両界、划地使耕、無力者則給以牛具農田」。この移住により、敦煌は軍の駐屯地区でしかなくなった。

洪武五年(1372)、朱元璋は将軍徐達・馮勝・李文忠を派遣し西へ出兵、沙州は明朝の所有となった。明朝は前後して関外「七衛」を設置した。敦煌領内には罕東と沙州の二衛を設置、その内、永楽二年(1404)に設置された沙州衛の遺構は、敦煌故城にある。正統十一年(1448)沙州衛は住民を塞内(甘州一帯)に移住させたことにより、これにともない廃止された。嘉靖十八年(1539)、明王朝は嘉峪関を封鎖。この時から康熙五十五年(1716)まで、敦煌地区には200年近くに亘り、中原王朝の行政機関は設置されなかった。

 

【清代: 新たな衛城を建設】

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康煕帝の時代、西域経営を開始、嘉峪関外の領土を次第に回復し、雍正元年(1723)、「沙州所を再び設置」、その後三年、「所から衛に昇格」、同年、沙州衛城が党河の氾濫により東の城壁が崩壊したため、「故城の東に衛城を建設、周囲は三分三里、東・西・南の三つの門を設けた」。雍正三年(1725)、現在の党河東岸、即ち現在の敦煌市沙州鎮の所在地に衛城を建築した。乾隆二十五年、沙州衛を敦煌県に改め、安西直隷州に隷属した。

 

当初、土の塊のような遺跡だから、写真を貼るだけで簡単に紹介が終わりそう・・・・・・と安易に考えていました。(^^;

そうしてもよかったのですが、せっかく一枚一枚アップで撮ってきたし、歴史の勉強にもなるからと訳し始めたら・・・・・・、自分で自分の首を絞めてしまったようです。

すごく手間取りました。(T_T)

現代中国語だけでなく、古文が引用されている部分もあって、念のために学校の先に確認していただいたりもしました。

でも、授業の合間の短い休憩時間に教えていただくには限界があったので、中国人の友人にも協力してもらったんです。

でも、先生も友人も歴史の専門家ではないので、すぐには分からない部分もあり、これ以上ご迷惑をかけてはいけないので、そうした部分は原文のまま残しました。

更に、中国語で教えていただいているので、私が理解できていない可能性もあります。

毎度同じ言葉を繰り返しますが、あくまで参考としてご覧くださいネ。<(_ _)>

以上、「沙州故城」のご紹介でした。(*^▽^*)

 

 

18時15分前、ここから歩いて「党河」の方へ向かいました。

18時半、「党河」に架かる「西大橋」を渡るのもこれが最後。

☟「西大橋」から眺める「鳴沙山」もこれが最後・・・・・・。(T_T)

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最後の「鳴沙山」はちょっとぼんやりした姿でした。

 

この後は、「陽関中路」を足元を見ながら東へ移動!(^^)/

なぜかと言いますと、この通り、色んな石板がはめ込まれているんです。

「党河」寄り交差点付近には古代の楽器を描いた石板。

とても可愛らしいタッチで描かれています!

東へ進んで行くと、途中から劇画タッチの風景の石板に変わります。

面白いので、「陽関中路」の片側だけですが、一種類ずつ写してきました。(*^-^*)

 

まずは、楽器から!☟

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☝左:西魏・阮  /  右:唐代・箜篌

 

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☝左:唐代・葫芦琴   /  右:唐代・花辺阮

 

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☝左:唐代・風笛 異型笛  /  右:盛唐・答腊鼓 腰鼓

 

交差点を過ぎると、玉門関より更に西にある「ヤルダン地質公園(雅丹地貌公园)」の風景や、詩とそれに関する風景が刻まれた石板に変わります。

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下を向いて、石板を探しながら進むこと暫し。

「鳴山路」に差し掛かった時、「鳴山路」には古銭の図柄の石板が貼られていたことを思い出し、右折。

延々と写して歩いたのですが、これは最終日、「敦煌博物館」から徒歩で戻って来た時に撮影したものと合わせて、次のブログでご紹介します。(*^-^*)

キョロキョロ周囲を見渡してもよし。

疲れたら、うつむいて歩いていてもOK!

足元にも、楽しめるものがあるのデス!(^^)v

 

こうして色んな通りを下ばかり見て徘徊していたので、夕食がすっかり遅くなってしまいました。

20時前、「敦煌夜市」着。

前日夕食と同じ韓国料理屋で、「キムチチャーハン」を注文。

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前日、他のお客さんが食べているのを見て、無性に食べたくなったんです。(#^.^#)

1食12元。(1元=16円換算で、約200円)。

少なそうに見えますが、お皿が深めで、結構なボリュームでした。

満腹です!(*^-^*)

 

ところで、敦煌の物価が少し気になりました。

この韓国料理屋さんに行く途中に見かけた、西安名物の「肉夹馍(ロウジャーモウ)」と「涼皮」の値段。☟

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「肉夹馍(ロウジャーモウ)」は10元(1元=16円換算で、160円)、「涼皮」が7元(1元=16円換算で、約120円)。

最近、西安旅行が流行りになった影響を受け、値上がりした西安地元の一般的な価格がこちら。☟

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この看板にある『米皮(米粉使用)・面皮(小麦粉使用)』は涼皮の一種です。

上の看板の真中、地元西安の人が「値上がりした~~~!!!」と嘆いている価格が7元。(1元=16円換算で、約120円)、

左はタレが特製だったり、胡麻ダレだったりと、少し高級感があって11元。(1元=16円換算で、約180円)。

看板左の「肉夹馍(ロウジャーモウ)」は脂身が多いもの(普通)で9元(1元=16円換算で、約150元)、赤身のもの(优质)でも12元(1元=16円換算で、約190円)。

 

普通、他所の都市の名物は高値に設定される気がするのですが、敦煌では「涼皮」は西安と同額、「肉夹馍(ロウジャーモウ)」もほぼ同じ。

この日と前日に食べた韓国料(もしくは少数民族朝鮮族料理)も、敦煌地元のものや、西北部他都市の麵料理より安いものが結構ありました。

敦煌の地元名物は軒並み15元以上なんです。

スーパーで売られていた果物やミネラルウォーター等、私の記憶にあるものは西安よりはるかに安いので、物価そのものはそんなに高くないと思うんですが・・・・・・。

名物料理も旅行客の目的の一つだから、高く設定されているんでしょうね。

そう考えると、中国国内で急激に人気がUPして来た西安でも、名物料理は値上がりしてきています。

とはいえ、15元以下で選択できる麺類がまだまだ豊富。

中国西北部一の都市なのに、今のところ、この価格レベルをキープしていることに感謝です!(#^.^#)

 

この後、前日「黄金瓜」と「蟠桃(ばんとう)」を購入した「陽関中路」にある「益旺国際購物広場」へ出かけました。

食事をした「敦煌夜市」とは目と鼻の先なのです。(*^-^*)

この日、購入したのは「西瓜」。🍉

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1キログラム、1.36元!(1元=16円換算で、約22円)

このスイカは2.558キログラム、なので四捨五入して3.5元。(1元=16円換算で、56円)

日本円にしてワンコイン(500円ではなく、100円!)でおつりが来ます!\(^o^)/

これをホテルで借りたナイフで半分に分け、片方はナイフの返還時にフロントにプレゼントしました。

さすがに、食事でお腹いっぱいの所に、西瓜を2キログラム近く食べるなんて不可能です。(笑)

半分でもかなり強烈。(苦笑)

でも、とても甘くて、水分もたっぷりで、止めることができませんでした。(笑)

この日以降、西瓜に憑りつかれてしまい、西安に戻っても、毎日、毎日、西瓜🍉を食べていました。(笑)

西安では、敦煌で購入したものと同等クラスだと、1キログラム10元~12元くらいしました。(☟価格表示は500g単位)

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そこで、私は割安な、巨大な楕円形の西瓜を1/4にカットしたものを購入。

7月は1.58元/500g=3.16元/1キログラム(1元=16円換算で、約51円)で、8月に入ると1.38元/500g=2.76元/1キログラム(1元=16円換算で、約44円)で売っていました。

この夏お世話になった1/4カットの西瓜。

文句なくとても美味しかったのですが、敦煌で食べた西瓜🍉の味は・・・・・・、忘れられません。(笑)

 

ところで、この2.5キログラムする西瓜が3.5元。

前日かった「黄金瓜」が1個、1.312kgで10元。

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とても全部は食べられませんが、食べ切ったとしても13.5元。

ホテル側の果物屋さんで買っていた「フルーツの盛り合わせ」は、この他にオレンジとドラゴンフルーツが少し入っていました。

でも、メインは西瓜とメロン。

それで15元。

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フロントの女の子が「高い」と言っていたのも頷けます。(^^;

 

 

西瓜を食べ終わった頃、既に21時なっていました。

しかし、時は真夏。

日は沈んだばかり!

ということで、敦煌最後の夜、散歩に出かけました!\(^o^)/

以下の写真の位置は、☟の地図の番号に該当します。

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①文昌南路にある、「敦煌風情城」の門。

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②鳴沙山初日、タクシーで戻って来た時に下車した場所。

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「文昌南路」と「西域西路」の交差点。

 

③「西域西路」にあるイスラム寺院の尖塔。(左側)

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ホテル玄関から見えている尖塔です。

 

④ ③の位置から通りの向かいを西向きに撮影。

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イスラム寺院の尖塔の一つをアップ。

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イスラム寺院の正面玄関が見えて来ました。

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イスラム寺院を過ぎると、「敦煌夜市」の入り口に差し掛かります。

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ここは大きな門がある⑨の手前にある路地です。

 

⑧ ⑦の路地の様子。

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⑨頻繁に登場している歩行者天国の南端の門。

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この日も賑わっていました。

 

⑩ ⑨の前から、「7天ホテル」方向。

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ボケて見難いですが、中央右寄りの黄色い看板が「7天ホテル」。

 

 ⑪この旅最後の「反弾琵琶伎楽天像」。

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⑫ 地図で薄紫色に塗った歩行者天国の、「陽関中路」寄りにある果物やドライフルーツを売り場まで続く市場の「沙州南路」側。

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ここをまっすぐ進むと、歩行者天国に出ます。

 

⑬ ⑫を通り抜けて、歩行者天国に出てすぐの辺り。

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⑭この日は唐代の衣装を身に付けた女性が歩いていました。

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歩行者天国を南に進んで、民芸品売り場から、食事エリアまでやって来ました。

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この先、写真の中央奥に、ちらっと⑨の門が見えています。

ここからUターンして、「陽関中路」側にある「敦煌夜市」へ!

 

⑯ 22時半、「敦煌夜市」へ到着。

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この日はやはり天気が不安定で、この時間、小雨が降り出しました。

市場の従業員さんが、露天部分に手慣れた様子でテントを設営中。

 

ここへ来たのは、駱駝のぬいぐるみ☟を買うかどうか悩んでいたからデス。

☟駱駝のぬいぐるみ、この「敦煌夜市」の入り口建物の中で売られています。

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7月7日の夜も、悩んだあげく、結局買わずじまいでした。

そしてこの夜も、雨にせかされ決断しきれず、買わずにホテルへ戻ってしまい・・・・・・。

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翌日の最終日、バタバタすることになるのです。(苦笑) 

 

以上、7月9日でした。(*^-^*)

 

今回も長くなってしまいました。

 

ここまで読み続けて下さって、本当にありがとうございます。

 

この後は、西安での近況です。

宜しければ、引き続きご覧ください。(*^^*)

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

ここからはオマケの、2018年10月の様子です。\(^o^)/

 

 

10月13日(土曜日)は、 西北工業大学の創立80周年記念日でした。

校内のいたる所に飾り付けが!

「I💛NPU」の前で、キルギスからのクラスメイト2人と一緒に記念撮影。(*^-^*)☟

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☟は、13日~15日まで学食で使用できる食券と食券と引き換えの食事、記念品のキーホルダー。

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食券、留学生は全員、最終期限の15日当日にもらったため、食堂は大混雑!

並ぶのが遅く、10元(1元=16円換算で、160円)分なら鶏のドラムとか、豚カツとかのお肉がつくはずなのに、すでに売り切れ。(T_T)

7元~8元程度のおかず内容になってしまいました。

キーホルダーは数字の「80」をもとにデザインされています。

旗にも、看板にも、食券にも、いたる所に使用されています。

このデザイン、私はけっこう好きなんです。(*^▽^*)

 

10月、延安大学の「対外中国語学科」の学生さんが実習にやって来ました。

彼女たちが、10月半ばから半月、火曜~木曜の18時半~20時半、文化クラスを担当するこになりました。

授業の内容は、「切絵」・「中国絵画」・「中国結び」・「歌唱」の四種類。

私はその内の「切絵」・「中国絵画」・「中国結び」に出席しました。

 

「切絵」の授業の様子。☟

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切っている間は特に何も感じなかったのですが、切り終えて広げた瞬間!

「面白い!!」と思ってしまいまいした。(笑)

今は、クラスの掲示板に貼ってあります。\(^o^)/

 

☟は、墨で竹を描く練習をした後、絵の具も使っ簡単な絵を描きました。f:id:shanshanduohuizi:20181031180721j:plain

梅の花、簡単に見えたのに、まったく見本のようには描けません。(T_T)

 

「中国結び」、眼は疲れましたが、楽しかったです。(*^-^*)☟

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10月21日(日曜日)、インタビューを受ける様子を撮影したいと言われ、協力!

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「喜马拉雅FM」(ヒマラヤFM)FMという、スマホのアプリがあります。

西安に本社があって、観光地に貼ってあるポスターのQRコードを読み込むと、無料で観光地の案内を聞くことができたり、アプリの中にある色んな物語やレッスン(有料・無料両方あり)を聞くアプリです。

かつて大唐西市博物館でボランティア解説員をしていた女の子が、大学卒業後、この会社に入社。

「外国人も使用しているという様子を、社内に伝えるための動画を撮りたい!」

それが、大唐西市博物館の正規解説員さん経由で、私に回って来たんです。

本当に短い会話だけだったのでOKし、クラスメイトと一緒に出掛けました。

待ち時間、回民街で「灌湯包子(牛肉・羊肉・鶏肉)」と「八宝粥」をご馳走に!

更に、漢民族のものとは違う、回民の「涼皮」や「肉夹馍」も!!(*^-^*)

天気はイマイチでしたが、とても楽しかったです。

 

10月26日(金曜日)は、学校の「秋のバス旅行」でした。

行き先は、西安市内から南へ高速利用で3時間ほど行った場所にある「塔雲山」。

紅葉、ちょうど見ごろでした。☟

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一人旅ではないので、景色以外に、人物写真もたくさん!!☟

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先生やクラスメイトと一緒だったおかげで、私も珍しく「直立不動」やら「ピース」以外のポーズがあります。(笑)

 

大唐西市博物館では、暫くの間、宇宙開発に関する展覧会を行っていました。☟

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上の写真は10月27日(土曜日)のもの。

ターゲットは子供たち!

博物館前の設置されたテント(赤い看板の後ろ)には、宇宙に関する何かを体験できるコーナーがありました。

「何か」と言うしかないのは、私は入らなかったから。

子供たちに遠慮したのではなく、博物館に隣接している芸術品センターを見学していたら時間切れになったんです。

 

同時期、芸術品センターでは、「タンカ・貝葉経(ばいようきょう)・舎利展」が開催されていました。☟

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センター内で、「タンカ」を描かれている絵師がいらっしゃいました。

f:id:shanshanduohuizi:20181031180944j:plain側で見ていると、細い筆の先で「細かな点」を重ねるように、画布に色を載せていらっしゃいました。

そのスピードで、このサイズのものを仕上げるのに、どれだけかかるんだろう?と眩暈がしました。

右の写真の奥に掛かっているようなビッグサイズもあるわけで、よほど根気強い人物でなければ完成させることなんてできませんね。(^^;

 

舎利の中には、日本からのものもありました。

☟は「道元和尚、(1200~1253年)、日本仏教曹洞宗創始者」と紹介されています。

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紹介文に、写真のように見える人物画があります。

他の方のものはイラストだったので、これはすごく写実的な肖像画か、現代の僧侶の写真を拝借?してあるのかも?

 

☟は、現在の西北工業大学内の紅葉です。

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最近、毎日天気が良くて、ついつい校内を徘徊し、あちこちで写真を撮っています。(#^.^#)

 

そして、ラスト!

☟は、「敦煌博物館」のチケット交付を担当されている方が、10月14日、モーメンツにアップされていた「敦煌西湖胡楊」の紅葉です。

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快く「どれでも自由に使って!」と許可をいただきました。

この季節にも・・・・・・、敦煌に行きたかった!!!

 

今回は、これで終わりです!(*^-^*)