せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その50:3階シルクロード硬貨展示ホール_インド亜大陸の四大帝国及び諸王朝_①マウリヤ帝国・②シュンガ朝)

 2018年11月17日(土曜日)、曇り。

最近、晴れの日が少ない西安です。

 

6月末に大唐西市博物館をご紹介してから、4か月以上間が開いてしまいました。(^^;

その間、ずっと夏の西域旅行記を書いていましたが、ついに通常モードに戻ってまいりました!\(^o^)/

旅行を振り返ってブログを書くのも楽しかったですが、ここまで時間がかかると、最後の方はかなり焦りと言うか、プレッシャーがありました。

あまりにも当初の計画より遅れてしまったので・・・・・・。(^^;(^^;(^^;

なので、やっと硬貨の紹介を始められると思うと、嬉しいです!!!(*^▽^*)

 

この間も毎週、博物館へ通てはいたのですが、今回は気分が違います!

ウキウキ出かけていくと、入り口にパンダマークのアーチが!☟

 

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先日は入り口前の広場全部を使て、宇宙・航空関連の発展を紹介する展示がありました。
ここは国営の博物館と違って私営なだけあり、色んな展示やイベントにスペースを貸し出しています。
今回は「秦嶺ジャイアントパンダ文化展覧会」。☟

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展覧会の期間は11月19日~25日まで。

博物館の中に入ると、視界を遮る大きな衝立が設けられています。☟

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まだ準備中なので、この後ろ側へは入れません。

なので、二階へ上がったところから、様子を伺ってみることにしました。☟

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階段の上にも、大きな看板。☝

 

上の看板の前から、1階を見下ろすと・・・・・・。☟

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写真がメインでしょうか?☝☟

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☟は、2階へあがる通り道の側に展示してあった写真です。☟

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カメラマンはかなり遠くから望遠レンズを使って、このパンダが振り向くのをずっと待ていたんでしょうね。

カメラ目線で微笑んでいるパンダ!

いつもは怖く感じる黒い縁取りの中の小さな目が、可愛い!!

口角がキュっと上がって、口元を見るだけでも愛らしい!!!

一度は通り過ぎたものの、引き返して「写真」の写真を撮りました。

その後、更に、カメラマンの名前が写っていなかったことに気付き、再度引き返して撮影。

撮影者は「何少文」という方です。

 

☟は、2018年11月18日(日曜日)、顔見知りになった博物館のチケット交換処に勤務されている職員さんが、モーメンツにアップされていた写真。

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整然と並んだパンダのぬいぐるみ。

正面から見るのもいいけれど、右側の丸い背中が見える角度が何とも言えず愛らしい~~~!!!

日曜日、大唐西市城をウロウロしていたら、博物館以外の場所でもこの展覧会の案内用飾りつけをしていました。

きっと、月曜の午前中には展覧会の開会式が盛大に催されるんだろうな~。

見に行きたいですが、授業優先です。(T_T)

 

では、硬貨のご紹介を始めます!!\(^o^)/

すごく久しぶりなので、3階のレイアウトから。☟ 

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硬貨を展示してある部屋は全部で3か所。

今回から④の展示室をご紹介!!

では、④展示室まで、ご案内しま~す。(*^-^*)

 

①の、入り口のパネル。

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②の展示室には、ギリシャ・ローマ・ビザンチン帝国の硬貨が展示されていました。☟

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③には、バクトリア・パルティア他・サーサーン朝ペルシャの硬貨が展示されています。☟

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そして、③の展示室を後に、④へ向かいます。☟

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☝、右側は②の展示室へ続く通路です。

④の展示室へ入ります!☟

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☝ここが、レイアウト図の④、インド亜大陸やアラブ諸王朝、モンゴル、中国の貨幣の展示室です。(*^-^*)

 

ご紹介していく順番は、展示室入り口の左手から反時計回り。

上の写真では見えていない左側に壁から。☟

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上の展示室全体写真に写っている、左側の壁。☟

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右側の壁。☟

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全体写真の1枚上の写真、入り口付近の写真右手に写っている壁。☟

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そして、中央の展示コーナー手前側。☟

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中央の展示コーナー裏側。☟

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ここに、敦煌の「鳴山路」歩道路面に嵌められていた石板硬貨の実物があります。(^^)/

 

以上、壁4面と、中央に2面。

『これらのご紹介が終わる = 大唐西市博物館の紹介の完了』となります。(*^-^*)

 

では、今回のご紹介範囲をご覧ください!!\(^o^)/☟

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一番左のパネルから、スタート!

インド亜大陸の四大帝国及び諸王朝】

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インド亜大陸、または南アジア亜大陸とも呼ばれ、古代陸上シルクロードにおいて避けては通れない地域である。紀元前4世紀、マウリヤ帝国が成立。第三代の統治者であるアショカ王の時代、その勢力はほぼインド亜大陸全体に及んだ。アショカ王の死後、帝国は分裂を始め、紀元前2世紀にはシュンガ王朝がクシャン帝国に取って代わったが、その統治範囲はインド亜大陸中南部まで縮小した。この時期、インド北西部はバクトリア及びパルティア人・サカ人に侵略・占領された。中国前漢時代、「身毒国」と呼ばれていた国がシュンガ王朝である。この後、北東からやって来た大月氏が打ち立てたクシャン帝国が中央アジア及びインド亜大陸北西部を横断する大帝国となったが、後にキダーラ王朝に取って代わられた。四世紀に入ると、インド亜大陸最初の封建王朝であるグプタ帝国がインドを統一、その領土はインド北部、中部、及び西部の一部地区に及んだ。7世紀になると、北インドはラージプートに統治されるようになった。12世紀末、突厥人が建国したムスリム政権がデリーに都を置き、デリー・スルタン王国がインドの統治を開始し、5つの王朝が起こった。その後、1857年にイギリスの植民者がインドを統治するまで、モンゴルの血統を持つと自称する突厥バーブルが打ち立てたムガル帝国が、インドを統治する時代となる。1947年、インド人が植民統治から脱却した際、インド亜大陸には既にインド・パキスタンアフガニスタン・イラン等の国々が存在していた。

 

※キダーラ王朝(寄多羅王朝)について。

私のブログで、この名前の国が登場するのは、「大唐西市博物館 その29」です。

その他、「その39・46・49」にも「その29」を引用した箇所があります。

「その29」を書いた時には、英語表記しか探し切れず、便宜上中国語の漢字のまま記文章を書き終えました。

ところが今回はなぜかスムーズに「寄多羅」に該当する日本語を発見。(笑)

上述の箇所に、ちょこっと追記しておきます。(#^.^#)

 

では、「1」のマウリヤ帝国をご紹介します。\(^o^)/ 

【1.マウリヤ帝国 (紀元前324年~紀元前187年】

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紀元前324年、インドに統一王朝ができた。言い伝えでは、新国王チャンドラグプタ(紀元前324年~紀元前300年在位)は孔雀を飼育する農民の一族の出であるため、人々はこの王朝をマウリヤ(孔雀)王朝(Wikipediaより:孔雀を意味する語(マユーラ〈梵: Mayūra〉、モーラ〈巴: Mora〉)から。)と呼んだと言う。統治した地域が広大であったことから、マウリヤ帝国とも呼ばれ、統治期間は140年に及んだ。

紀元前327年5月、マケドニアアレクサンドロスペルシャを滅亡後、ヒンドゥークシュ山脈を越え、インド亜大陸の北西部に侵入、瞬く間にインダス川流域を征服した。しかし、その統治は常に現地住民からの抵抗に遭っていた。およそ紀元前324年、率いていた蜂起軍が侵略者の駆逐に成功すると、チャンドラグプタは独立し王となった。チャンドラグプタは引き続き東進し、マガタ国の首都パータリプトラ(現パトナ)を陥落、ついにナンダ王朝を転覆させた。これよりインド亜大陸北部は統一された。マウリヤ王朝はアショカ王の時代に全盛期を迎え、その領土は、北はヒマヤラ山脈南麓、南はマイソール、東はアッサムの西の境、西はヒンドゥークシュ山脈までと、南アジアの大部分をマウリヤ王朝の版図に併合し、これまでにない広大な統一帝国を形成した。

 

【マウリヤ帝国アショカ王時代の版図】

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左下枠内

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右下表☟

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【インド国章(左)とサールナートアショカ王石柱柱頭とフリーズ】

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Wikipediaによると、

「現サールナートは、釈迦が悟りを開いた後、鹿が多く住む林(旧訳「施鹿林」、新訳鹿野苑)の中で初めて教えを説いた初転法輪の故地とされる」

とあります。

中国語は、サールナートを表す言葉として、音から連想される漢字を用いるのではなく、「鹿が多く住む林」の名称を用いているんですね。(*^-^*)

サールナート - Wikipedia

 

「飾帯(饰带)」をどう訳したものかと悩みながらWikipediaを読んでいると、都合よく適切な表現を発見!

それが「フリーズ」です。

でも、ただ「フリーズ」と書いたのでは何のことか分かりにくいかも?

そこで、またしてもWikipediaから関連部分をお借りしてきました。

赤地の部分をご参照ください。(*^-^*)

この柱頭は一塊の砂岩から削りだされたもので、柱そのものとは別のピースとなっている。背中合わせの4頭のインドライオンがモチーフになり、それが頂板に乗っている。フリーズ には象、馬、牡牛のレリーフが刻まれ、それぞれの動物の間は車輪のようなもので区切られている。さらにその下は蓮の台座となっている。

アショーカの獅子柱頭 - Wikipedia

 

博物館でこの「インド国章」を見ていたので、大唐西市城にあるインド料理店「紅堡REDFORT」の店長さんがWeChatでこの意匠☟をアップされていた時、すぐに気づくことができました。(^_^)/

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このイラスト中央のライオン、満面の笑顔に見えませんか?(笑)

 

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紀元前273年、アショカ王は政変によりマウリヤ王朝の第三代国王となった。アショカ王は「法(ダルマ)の政治」を提唱し、仏教を広く宣伝、大量のストゥーパを建てた。また仏教を国教に定め、仏教僧団を各地に派遣し仏教を大いに発展させた。紀元前253年、アショカ王は首都パータリプトラで仏教史上における第3回結集を開催した。仏教の高僧がこの地に雲集、仏教経典を編纂整理し、仏教の教義を統一した。

紀元前251年、釈迦牟尼涅槃の200年余り後、アショカ王は尊者であるウパグプタ(優婆崛多:Upagupta)と釈迦生誕の地――ルンビニへ赴き仏跡を参拝し、記念するために石柱群を建立した。最も著名なヴァーラーナシー城外のは、これら石柱の代表である。柱頭には威風堂々とした背中合わせに座った四匹の雄ライオンがいる。中間にはフリーズがあり、象や奔馬・瘤牛・レリーフが刻まれ、それらの間は仏法の象徴である法輪で区切られている。下段は垂れ下がった蓮。この石柱はマウリヤ王朝で最も代表的な建築彫刻であり、現在のインド国章の意匠のオリジナルである。三匹の黄金の獅子は、自信・勇気・力を象徴している。

 

ここからは 、撮影してきた硬貨をご覧ください!\(^o^)/

まず、全体から。☟ 

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【マウリヤ王朝 銀 紀元前324年~紀元前187年 西安大唐西市博物館所蔵】

 

夏休み前まで、毎月のファイル利用量(写真貼付容量)がどれくらいで、いくら残量があるか、ブラウザの種類の関係で把握できていませんでした。

そのため、容量オーバーしないよう、できるだけ小さめに設定していました。

しかし!

今は残量がばっちりパーセントで見えています。

まだまだ、かなり余裕あり!!!

新調した一眼レフで撮影していますし、硬貨の図案が少しでもくっきり見えるよう、写真の貼り方を変えてみました。(^_^)/

マウリヤ王朝の硬貨は少ないので、一枚ずつ全部撮影!

全体写真の上段左から順に並べています。☟

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いかがでしょう?(#^.^#)

 

 

次は「2」のシュンガ朝です。

【2.シュンガ王朝 紀元前185年~紀元前73年】

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紀元前185年前後、マウリヤ帝国最後の国王が部将のプシャミトラ・シュンガに打ち倒され、マガタ国にシュンガ王朝が打ち立てられた。この王朝は仏教を弾圧し、バラモン教の復興に注力した。シュンガ王朝の統治範囲はマウリヤ王朝よりも遥かに狭く、ガンジス川下流域に限られた。紀元前73年、カーンヴァ朝に取って代わられた。

シュンガ王朝の銅貨の製造は比較的粗末であり、銘文は符号化の傾向を示している

 

【インド サーンチーの塔】

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仏塔は仏教建築における主要な特徴である。生前、仏教の祖である釈迦牟尼は弟子たちに対し、自身の遺骨の上に仏塔を建立するように明示していた。年代の最も古い仏塔群は、マウリヤ王朝のアショカ王時代に建造されたと確定することができる。言い伝えによれば、アショカ王釈迦牟尼の遺骨を八つに分け、八つの仏塔の中に安置した。そのため仏塔はその後仏教徒が到達できる最高の境地――涅槃の象徴となった。中国では高僧大徳の死後、弟子たちはみな大徳を記念するために仏塔を建立した。

上の赤地の部分、アショカ王が遺骨を八つに分けたようになっていますが、Wikipediaにはこのように記載されています。☟

釈迦入滅後に仏舎利は8つに分けて配られ、容器と灰土を合わせて10基のストゥーパが造られた。アショーカ王はそれらのストゥーパを壊して8万4000に細分化し、各地に新たなストゥーパを建設したといわれる。

仏塔 - Wikipedia

 

【シュンガの銅貨】

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【シュンガ銅貨】

シュンガ王朝の貨幣にある「三つのアーチの丘」は、抽象的な仏塔を象徴している。インドの宗教の習俗では、死者を埋葬後、平地を丘のように盛り上げる。中国語の音訳では「窣堵坡(卒塔婆)」、これが仏塔の起源である。

 

上の写真に右側に展示されている銅貨のアップです。☟ 

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☝の下に並べてある、7つの銅貨。☟

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☝、全体の様子をそうぞ!(*^-^*)

【シュンガ王朝 銅 紀元前185年~紀元前73年 西安大唐西市博物館所蔵】

 

個別のアップ。☟

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☝、私には、馬が描かれているように見えます。

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これ☝は、パネルで説明のあった硬貨と同じような図案ですね。

 

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これ☝も、馬のような?

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☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に紹介されている硬貨の写真です。

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No.58・59:マウリヤ朝銀貨 時代:紀元前324年~紀元前187年

No.60:シュンガ王朝銅貨 時代:紀元前185年~紀元前73年

規格・重量については、それぞれ上の数字をご覧くださいね。(*^-^*)

 

以上、大唐西市博物館シルクロード硬貨の紹介再開、第一回目でした。\(^o^)/

 

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

 

ここからは、おまけコーナーです。(*^▽^*)

おまけと言うか、今回は言い訳コーナー???

 

当初計画では数日前にアップできていたハズなんです。

でも、今週、西安の一部地域で大規模な停電が発生。

その範囲にちょうど入ってしまっていた私の住むマンション・・・・・・。(T_T)

ブログを書く時間が、かなり影響を受けました。(T_T)

公式発表ではこうなっています。

11月19日(月曜日)22時停電発生、11月22日(木曜日)13時30復旧。

この間、本当に一度も電気が来なかった地区も!

60時間以上です!!!

電気が来なければWi-Fiも切れるし、水道水も出なくなります!!!

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幸い、私が住んでいるマンションの状況はこんな状態でした☟。

11月19日(月)22時~11月20日(火)5時頃復旧。(故障)

11月20日(火)17時15分~11月21日(水)2時半復旧。(修理)

11月22日(木)15時半~11月22日(木)17時完全復旧。(発電機からの切り替え)

月曜日はブログを書きかけたら停電。(T_T)

火曜日、朝復旧したので一安心。\(^o^)/

授業の後買い物に行って戻って来ると、夕方から修理対応のため停電の貼り紙発見!(T_T)(T_T)

慌てて夕食準備と、シャワーを済ませる頃には停電時間に。

久々に蝋燭のお世話になりました。

以前、友人からもらった綺麗な蝋燭なので、部屋のディスプレイにしていたのですがやむを得ません。

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暫くスマホで文章を作成していましたが、目が疲れてダウン。

なので、水曜日、頑張りました!(*^-^*)

22日木曜も、遅れを取り戻すべくパソコンに向かっていたら、不意打ちで停電。(涙)

まだ明るい時間だったので、パソコンのバッテリーが切れるまでは~とやっていましたが、色んな検索がとても不便・・・・・・。

 

1999年11月、西北工業大学の寮にいた時にも、大きな停電がありました。

その時は3日停電が続くと通知がありましたが、結果は1日繰り上がって2日で復旧。

 

当時はスマホどころか、個人用パソコンも持っていなかったので、不便だったのはテレビが見えないことくらいでした。

そのテレビも、中国語がまだよく聞き取れない頃だったので、BGM代わりにニュースをい流していただけ。

別に見なくても困らなかったのです。

学校の寮は7階建てくらいで、エレベーターなし。

部屋と外部との行き来に、そもそも支障なし。

寮周辺の食堂も、机の上には蝋燭を、調理には常日頃から練炭使用で動じることナシ。

ゆらゆら揺れる蝋燭の明かりで取る食事は、一足早いクリスマス気分を味合わせてくれました。

困ったのは、シャワーを浴びられないことくらい。

これ以上は気持ち悪くてイヤ~~~と思いながら、あと一日の覚悟を決めていた時、部屋が急に明るくなったのです。

喜びはひとしお!!

2日もの停電で不愉快なはずなのに、予定より短くなることで、「素晴らしい!!」と称賛。(笑)

 

今回は、いつ復旧するかの案内が全然なかったので、ネットの反応を見ていると、そのことへの不満が相当大きかったようです。

電気の有難味が身に染みた数日でした。(^^;

 

 

冒頭でご紹介した「秦嶺ジャイアントパンダ文化展覧会」。

開催後に見学へ行ってきました。

行く途中、ボケて咲いていた季節外れの金木犀。☟

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この日はとてもいい天気でした。☟

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実は、大唐西市城・博物館も60時間以上停電していました。

でも、この「秦嶺ジャイアントパンダ文化展覧会」は25日(日曜日)まで。

ショッピングモールは休業になってしまいましたが、博物館は休むわけにはいきません。

そこで、発電機を使って電力供給!

来客を受け入れています。☟

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入ってすぐの場所。☟

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お気に入りのパネル、その2。☟

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お気に入りのパネルその1は、このブログの冒頭のものです。(*^-^*)

 

中の様子。☟

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これ☝は絶滅が危惧されている朱鷺。

 

☟こんなものもありました。\(^o^)/

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最後に、西北工業大学の校庭から。

青空をバックに、見上げたプラタナスの美しさ!!!☟

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赤く色づいた木の葉はほとんど落ちてしまい、今は銀杏の独壇場。☟

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図書館前。☝☟

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庭園も、銀杏の黄色が鮮やか!!!☟

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これも庭園の銀杏ですが、光が透けて黄金色!!!☟

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停電さえなければ、清々しい秋の一日でした。(笑)

 

以上です。(*^-^*)