せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その51:3階シルクロード硬貨展示ホール_インド亜大陸の四大帝国及び諸王朝_③インド・サカ王朝・④インド・パルティア王国・⑤大月氏/現在のカシュガル「高台民居」の様子)

2018年11月27日(火曜日)、スモッグ・・・・・・。

 

暖房供給がスタートして暫くはまだ青空が広がっていました。

でも、ついにこの季節らしい黄色く淀んだ空が登場。(*_*)

しかも、もう数日続いています。☟(^^;

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☟の図で、濃い紫色は最悪のレベルを示しています。

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表示されるランク、最悪から「厳重汚染(濃紫)」・「重度汚染(紫)」・「中度汚染(赤)」「軽度汚染(オレンジ)」・「良(黄)」・「優(緑)」。

表示される数値は、「0」~「500」。

「500」は非常に汚染されている状態です。

ぴったり「500」ということなどまずありえないので、26日はその「500以上」ということになります。

天気予報を見ると、明日も「厳重汚染」。

これからはほとんどこんな空になるのかな~、そう思うとちょっと憂鬱。

去年よりマシでありますように!!!

 

では、硬貨の紹介に入ります!\(^o^)/

場所は3階、☟のレイアウト図④の展示室。 f:id:shanshanduohuizi:20181118005352j:plain

 

上の③の展示室から④へ入って左側。☟

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ここの☝「3.インド・サカ王朝と『西郡太守』」と、その隣の壁☟に展示されている「4.インド・パルティア王国」・「5.大月氏」をお届けします!(*^-^*)

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今回の部分だけをアップにしたもの。☟

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では、左側のインド・サカ王朝からスタートします。☟(^_^)/

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【3.インド・サカ王朝と『西郡太守』 (約紀元前1世紀~405年)】

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インド・サカ王朝はアフガニスタン南部及びインド北部にあった、スキタイ人を中心とする諸王朝。中国の史書ではスキタイ人を「塞種人」と呼び、欧州の学者は「塞克」と称した。「塞種人」は元々イリ河谷に居住していた古い民族の一つである。生活地域は広く、部落が非常に多く、移動を繰り返していた。紀元前1世紀、彼らはインド北部のガンダーラ地区で罽賓(けいひん)を破り、独立王朝―通称「インド・サカ王朝」を打ち立てた。また別の塞人は南に向けてインド北部へ進入し南西に向け現インド中部西寄りの地区まで進み、インド・グリーク朝の小都市国家を破って分散的なサカ小王廷を作った。中国史ではそれを「西郡太守(西クシャトラパ?)」と呼ぶ。その後、インド・サカ王朝は大月氏が建てたクシャン王朝に滅ぼされた。

これら「西郡太守」サカ小王廷は財政が苦しかったか、もしくは戦争が頻発したことにより行軍の便を考えたのか、銀貨の中にはとても小さなものもあるが、ギリシャ式貨幣製造の特徴を踏襲しており、外縁にはギリシャ語の銘文を残している。ただ、それに特別な意味は無い。非常に精巧に作られており、小さな中に塞王の威武を見て取ることができる。

 

ここでは中国語の音に近い「インド・サカ王朝」としていますが、インド・スキタイ王国、インド・スキタイ朝、サカ王朝、サカ王国とも言われるそうです。(Wikipediaより:☟をご参照ください)

インド・スキタイ王国 - Wikipedia

 

「西郡太守」については、中国の「百度百科」では該当項目がありませでした。

検索して出て来たのは、古銭販売サイトの商品案内ばかり。(^^;

Wikipediaで偶然見かけた

①「西クシャトラパ」が支配した範囲が、上述の地域と合致しているように思えること

②「クシャトラパと言う単語はサトラップと同じく古代ペルシア語フシャサパーヴァン(xšaçapāvan)に相当し、元来は州の総督、または知事を意味した」 というWikipediaの説明と、中国語の「太守」が「州郡の最高行政長官」であること

③「西郡太守」銀貨の説明にある「時代:紀元35年~405年」がWikipediaの紹介と一致

以上3点から、「西郡太守」は「西クシャトラパ」のことでは?と推察しました。

☟、WikipediaのURLです。

西クシャトラパ - Wikipedia

 

パネルを下に見ていきましょう!\(^o^)/

 

【インド・サカ王朝の銀貨と、「西郡太守」の銀貨】

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左がインド・サカ王朝の銀貨、右が「西郡太守」の銀貨です。(上段が表面・下段が裏面)☝

【インド・サカ王朝の銀貨】

馬の背に乗った騎士という独特な貨幣から、塞種人がその名に恥じない「騎馬民族」であることが分かる。馬の背に乗る騎士の図案は、君主の権力が神から授けられたものでることを意味する。

 

インド・サカ王朝の銀貨をアップにしました。☟ 

 

 

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大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている硬貨の紹介です。☟

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ご参照ください。

「西郡太守」の時代が、「紀元35年~405年」となっています。(*^-^*)

 

続いて、【インド・サカ王朝の銅貨】です。☟(^_^)/

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【銅貨 紀元前1世紀頃~405年 大唐西市博物館所蔵】

合計21個展示されています。

アップをご覧ください。

 

上段を左から2個ずつ撮影しています。☟

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中段を左から3個ずつ、撮影。☟

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下段を左から撮影。

縮尺を揃えたかったので、個数が5:4にならないよう、左右それぞれから5個目を重複させています。☟

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ここからは、【インド・サカ王朝の銀貨】
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【銀貨 紀元前1世紀頃~405年 大唐西市博物館所蔵】

合計36個あります。

数が多いので、上下各3段、それぞれ左右に分けて撮影しました。(*^-^*)

 

上左半分。☟

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上右半分。☟

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下左半分。☟

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下右半分。☟

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それぞれ、中心部分の硬貨には重複しているものがあります。

次は「西郡太守の銀貨」です。☟(*^▽^*)
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【銀貨 紀元35年~紀元405年 大唐西市博物館所蔵】

ここにも、年代の紹介がありますネ。

 

合計10個、個別にご覧ください!☟

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実物がかなり小さいので、少しボケ気味で申し訳ありません。(^^;

 

以上、インド・サカ王朝と「西郡太守」でした。

 

ここからは「4.インド・パルティア王国」と「5.大月氏」です。☟(*^^*)☟

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最初は【4.インド・パルティア王国 紀元前1世紀頃~3世紀】です。

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紀元前1世紀頃、大月氏に駆逐された一部スキタイ人が、現アフガニスタン東南部及びパキスタンとインド西北部に移動し、これら地域の支配権を獲得、タキシラ(現イスラマバード北部)を首都とした。この国は安息帝国(「パルティア」とも称す)と政治的平等条約を結ぶことに成功し同盟関係を結んだことから、「インド・パルティア王国」と呼ばれる。紀元1世紀、「インド・パルティア王国」はクシャン王国との戦いで惨敗し、元の領地まで撤退、紀元3世紀にサーサーン朝に征服された。

現存している貨幣を見ると、この国が鋳造した銅貨は基本的に安息貨幣の特徴を踏襲している。表面には王像、裏面には勝利の女神ニーケー(ニケ)多く用いられている。

 

【インド・パルティア】

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貨幣裏面の羽を備えた勝利の女神は、ギリシャ勝利の女神ニーケー(ニケ)の彫刻と非常に似通っており、ギリシャ文化の影響を強く受けていることが分かる。

 

☝のパネルで紹介されているコインでも図案は見えていますが、書籍には時代・サイズ・重さも記載されていますので、ご案内します。(*^-^*)☟

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ではここで、この女神のモデルと思われている『サモトラケのニケ』を見てみましょう!\(^o^)/

サモトラケのニケ』☟

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ギリシャ共和国サモトラケ島(現在のサモトラキ島)の勝利の女神

パリルーブル美術館所蔵

羽があることを除けば・・・・・・。

彫刻と直接比較してはいけませんね。(^^;

 

では、硬貨を見てください!(*^-^*)☟

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【インド・パルティア王国 銅貨 紀元前1世紀~3世紀 西安大唐西市博物館所蔵】

合計6枚。

これらも、とても小さな硬貨です。

写真のピントを合わせるのに苦労しました。(^^;

左から2個ずつ並べています。☟

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余談ですが・・・・・・。

最後の2枚を遠目で見た時、双葉が生えているのかと思ってしまいました。(笑)

 

今回のラスト、【5.大月氏 紀元2世紀頃~1世紀】です。(^o^)/
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月氏は元々甘粛省の南西、敦煌祁連山脈の間に居住していた。しかし紀元前2世紀初め、匈奴冒頓単于が領土拡大に精力を傾けた、紀元前177年~紀元前176年に月氏を征服、その継承者である老上単于月氏王を殺害した。これにより月氏は故郷を追われ、その内の少人数の集団がチベット北東の山中へと逃れ、小月氏と呼ばれた。大集団は西へと遠く去って行き、天山・イリ河上流のチュイ川とナリン川の間にまで至り、塞人を破り、塞の地を占領、大月氏と呼ばれた。しかしまもなく、烏孫が大月氏を攻撃したため、大月氏は西へと移動し、最終的に隣国の大夏バクトリア)へ辿り着き、大夏を支配した。紀元前138年、張騫は大月氏と共同で匈奴に抵抗せよとの漢武帝の命を受け、紀元前129年にようやく大月氏のもとへ到着したが、この時の大月氏は既に大夏、即ち現在のインド西北部を支配していた。

月氏の貨幣には、王像は縁の広いヘルメットを被り、裏面には威風堂々とした獅子という明確な特徴がある。

 

参考:

月氏 - Wikipedia

 

【紀元前2世紀~5世紀 アジア・ヨーロッパ民族大移動図】

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上の大移動図左下のアップです。☟

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そして、小さかった「インド・パルティア王国」の硬貨より更に小さい「大月氏」の銀貨。☟

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少し離れた所から望遠レンズで撮る方が、広角レンズで拡大するより大きく写せるんですが、この☝の2個は、その最高倍率でも一緒の枠内にハマってしまう大きさ。(^^;

左側はヘルメットがなんとなく見て取れます。

そして左が表面なら、右には裏面の威風堂々とした獅子が刻まれているハズなのですが・・・・・・。

全く何がなんだか分かりません。(T_T)

ということで、博物館で購入した書籍に掲載されている写真をご覧ください。☟

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縁が広いヘルメットを被った王様と獅子の姿、見えました!!!\(^o^)/

 

ところで、上の書籍抜粋にある「大月氏」の英語表記にご注目ください。

「Greater Rouzhi Silver Coins」とあります。

どこが気になるかと言うと、「Rouzhi 」です。

「大月氏」を中国語標準語のピンインで示すと、[dà yuè zhī ]。 

でも、「百度百科」では[dà ròu zhī] となっています。

大唐西市博物館で見学中、偶然、解説員さんを頼んでいる団体さんがやって来ました。

その時、解説員さんがわざわざ「この民族の場合だけ、読み方は『dà ròu zhī』」となります」と紹介されていたんです。

1回だけでなく、何回もその場に居合わせました。

では、どちらが正しいのか???

百度百科」の冒頭部分では[dà ròu zhī] 、その少し下の表では[
dà yuè zhī ]と表記されています。☟

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更に下へと読み続けていくと、☟のような記述もあります。

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ピンク色で塗っている所を読むと、

月氏」の発音については、50年代以来、中・小学校の歴史教科書では、読み方の表記は一貫して「ròuzhī(肉支)」とされている。しかし考証によれば、この読み方表記は間違いであり、「月氏」の「月」の「国家語言文字工作委員会が読み方を統一規範する以前の読み方」では「肉(ròu)」であったが、これは間違いをそのまま伝えてしまった結果であり、誤読である。

と書かれ、その下には誤読とする考証についての説明があります。

半世紀以上「ròu」と学び続けているので、世間一般では「ròu」が浸透しているため、音声で読み上げる部分は「ròu」のまま、他の部分で説明を行っているという理解でOK???

学者でもない限り、どちらでもいいのかも。(笑)

ちなみに、「百度百科」での英語表記は「people in Central Asia 」。

これよりは、例え考証結果が誤読でも、「dà ròu zhī」の方がどの民族かはっきり分かってよいと思うのですが・・・・・・。

 

以上、日本語読みでは何の問題も存在しない「5.大月氏」でした。(笑)

 

 

この後に続くのは「6.クシャン帝国」と「7.キダーラ王朝」。☟ f:id:shanshanduohuizi:20181126235246j:plain

⑥と⑦については、約1年前に前倒しでご紹介しているので、そちらをご参照ください。\(^o^)/

西安大唐西市博物館(その29:3階シルクロード硬貨展示ホール_クシャン王朝/寄多羅(キダーラ)王朝) - せいあん!

 

 

ここからは、おまけです。

先日夜、久々に鼓楼の辺りまで出かけました。

夏場から、鼓楼側の噴水が改造工事中だったんですが、いつの間にかそれが完成していたんです!!!

以前の噴水はこうでした。☟

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水が溜まるタイプではなく、定時に噴水が上がった後は、あっという間に乾燥して普通の広場に戻ります。

しかし、下に電気が通っているので、通行禁止。

気にせず通る人もいましたが、大半の人は避けて通るので、この空間だけちょっと無駄に空いているような感じを受けなくもありませんでした。

 

それが、改造を経て、こんな風に!!!\(^o^)/

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常に水が溜まっているので、鼓楼の影が映りこみます!

水面に映る鼓楼と、その上にそびえる本物の鼓楼。

昼間でも、夜景でも、様になりますよね!(*^-^*)

ここ、鐘楼側から(西大街以外から)やって来ると、気付かないまま回民街へ向かってしまう可能性があります。

鼓楼の西側まで、ちょっと足を延ばしてみてくださいね。(^_^)/

 

おまけ、その2。

今年の夏、カシュガルに行った時、「高台民居」に行ってみると、立ち入り禁止。

その理由は言われなくても分かると言いますか、かなり老朽化していました。

「今後、どうなるのかな~?」と思いながら、その時はその場を離れたのですが・・・・・・。

数日前、カシュガルで玉や民芸品を販売しているお店の店長さんから、WeChatで写真が届いたんです。☟

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店長さんの話では、危険なので城壁を作り補強するんだそうです。

城壁で側から補強するだけで大丈夫かな???

住んでいる人も、怖くないかな?

いっそのこと「古城観光スポット」みたいに、新しく建替え直した方がよくない???

と思ったのですが、実際はどうなのでしょう???

機会があれば、もう一度カシュガルに行きたいな~。

そして、エイティガール寺院前の広場横にあったアイスクリーム屋さんでミルクの味が濃厚なアイスを食べたい!!

3元のアイスを食べに、片道1000元以上かけて飛行機で出かけてみようかな?(笑)

もちろん、アイスだけが目的じゃないですよ!

あと2枚、一緒に送ってくれたものもご紹介します。(*^-^*)

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エイティガール寺院前の冬景色。☝☟

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☝の左端に、宿泊していたホテルが見えてる~~~!!!\(^o^)/

ソフトクリーム屋さんも、ラグメン屋さんもちょうど左手のドームのあたりです。

 

季節が違うと、雰囲気が変わりますネ。

ますますまた行きたくなってしまいました。(笑)

 

今回はここまでです。

お付き合いいただき、ありがとうございました!(#^.^#)