せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その52:3階シルクロード硬貨展示ホール_インド亜大陸の四大帝国及び諸王朝_⑧グプタ帝国・⑨ムガル帝国・⑩東インド会社/西安城壁巡り・小さなインタビュアー)

 2018年12月5日(水曜日)です。

この週末は大気汚染が泣きたくなるくらい悲惨な状態でした。

汚染レベル指数が最悪の500目いっぱいまで振り切った中、西安を訪れた知り合いと共に城壁に上がったという・・・・・・。☟

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緑のルートで鐘楼から回民街を経由して、城壁西門へ。

ピンク色が城壁上を歩いた部分。

西門から北へ進み、北門・西安駅前を通過、東門経由で南門へ。

城壁を下りた後もまた、徒歩で南大街を北上、そして東大街を少し移動。

こうして見ると、城壁1周分はしっかり歩いていますよネ。

この日の歩行数は3万歩を超えました。

私はWeChatの万歩計機能を利用しています。

WeChatを交換している知り合いもこの機能を利用していると、その人たちの歩数も見ることができ、かつ、毎日、☟のように順位が発表されるのです!

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「第1名」とは「1番」のこと。

☝は18時半頃の記録ですが、最終的に23時までこの状態をキープ、初の1番となりました!\(^o^)/

これに対して、「こんなに空気が悪いのに、なぜ出歩いてるの?」とか「体に悪いよ」という心配の声が・・・・・・。(^^;

ニュースでも、「できるだけ外出は避けるように」と呼びかけているのです。

それは、そうなのですが・・・・・・。

天候に合わせて行動を決められない時だって、あるではありませんか!

例え、時に小雨が降り、一日中どんよりとした灰色の世界で、記念写真をとっても全く見栄えがしなくても、予定を中止するわけにはいきません。

知り合いは、はるばるカシュガルからやって来ているんです!

知り合いとは、一つ前のブログに掲載した「カシュガルの高台民居」の写真を送ってくれた、玉やシルクカーペットを扱っているお店の店長さん。

こちらは、カシュガルの店長さんのお店の一部。☟

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もちろん、私に会いにではありません。(笑)

私はお店でお茶を買っただけの、一観光客に過ぎません。

西安には、以前カシュガルで働いていた知り合いがいらっしゃって、その人を尋ねて来られたんです。

でも、私にもわざわざカシュガルの特産品を持って来てくださいました。☟

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カシュガル産の棗や胡桃・アーモンド、それに中に色んな餡が入ったナン!!!

このナン、直径は私の手のひら大で、西安の回民街やカシュガルで写真を撮ったものと比べるとかなり小ぶりで可愛いサイズ。

バラジャム、バラ+ウイキョウのジャム、カシスジャム、唐辛子が中に入っていたり、生地に胡桃を混ぜて上にアーモンドをトッピングしたものもありました。

写真のナンは、部屋に戻ってから撮影したものです。

城壁を歩いている時にお腹が空いて食べてしまったので、最初はもう少し数量がありました。

長持ちするとは言われても、餡入りのものは餡が痛みやすそう。

せっかくの頂き物、無駄にしたくはないので、クラスに持って行ったり、知り合いにおすそ分けしたり。

ウルムチ出身の知り合いは、特に喜んでくれました。(*^-^*)

 

このお土産、店長さん、店長さんのお友達と私の三人、交代で持ちながら城壁を歩きました。

ちょっと重かったかも?(笑)

 

上の方で「灰色の世界」と書きました。

基本、灰色なのですが、そこは中国!

スモッグにも影響されない鮮烈な色彩が!!!\(^o^)/

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☝は西安城内西北の角にある、チベット仏教の「広仁寺」。

全国で唯一の緑度母(緑多羅菩薩)主道場で、陝西省唯一のチベット仏教寺院でもあります。

清の康熙44年(1705年)に建てられ、200年以上の歴史があるとか。

モノクロの風景の中、金色の屋根と赤い壁がとても目立っています。(*^▽^*)

ちなみに、☟の左は2011年9月に撮影したもの、右は今回のものです。

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2011年も、あまり天気は良くありませんネ。(笑)

でも、当時はまだ天気予報で「雾霾(スモッグ)」という言葉を聞くことはありませんでした。

多少淀んでいるようですが、薄暗いのは、あくまで天気が「曇り」だったからです。

その証拠に、背後の高層ビルはちゃんと見えています。

金色の屋根の隣の建物は、2011年当時はまだ建設中でした。

留学生仲間と自転車で回っていたのですが、「あの金ピカの屋根は何???」とみんなで首をかしげたのを覚えています。

金色の屋根は、スモッグにも負けず、今も7年前と変わらず輝いています!

 

自転車の話が出たので、2018年と2011年を比較してみました。☟

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2011年当時の自転車は、生活感あふれていますネ。(笑)

 

☟左の写真の男の子は、イランからの留学生。

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途中、彼が乗っていた自転車、ペダルがポロっと落ちてしまいました。(笑)

 

その他にも目を引くものが!

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写真(左):

スモッグが怖くて、結婚写真が撮影できる!?(笑)

日差しがなく風もあって結構寒い日だったのですが、女性は肩丸出しの衣装。

寒いかな~と思ったのですが、よけいなお世話ですよね。

アツアツに決まってます。(表現、古臭いですか???)(^^;

撮影の瞬間には、裾を持っている二人が手を放し、布がたなびく感じを演出します。

写真(中央):

西安駅です。

高鉄の駅ではない、昔ながらの西安駅。

今年3月頃、授業で先生から「拡張工事のために取り壊される」と聞き、焦って写真の撮り納めに来たのですが、今のところ昔の姿、健在!

昔懐かしい姿を、目線の高さから撮影できたことが何より嬉しい~~~!!!

城壁に登るにはお金がかかるので、そんなに頻繁には上がって来れません。

それに、私の場合、住んでいる場所から考えて、南門や西門から上がる可能性は高くても、駅前や北門からということは先ずあり得ません。

まして、南や西から登って、北まで歩くなんて!

今回はとてもいい想い出になりました。

写真(右):

銀杏の落ち葉で作った文字。

西安城墙中山门(西安城壁中山門)」と書いてあります。

ここは東門の近くにある門です。

城壁の上からでないと、全体感が分からないですよね。

 

以上、スモッグの中の城壁観光の様子でした。(*^-^*)

 

では、本題の硬貨の紹介に入ります!\(^o^)/

今回も 3階の④の位置に当たる展示室です。☟ 

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③にある展示室から入って行くと、展示コーナーが左手奥に見えます。☟

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左手奥のコーナー全体の様子。☟

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「4.インド・パルティア」・「5.大月氏」・「6.クシャン帝国」・「7.キダーラ王朝」は紹介済み。

 

今回は「8.グプタ帝国」・「9.ムガル帝国」・「10.東インド会社」の硬貨をご紹介します。(*^-^*)☟

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では、「8.グプタ帝国」からスタート!!\(^o^)/

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以下、パネル内容の参考訳です。(*^-^*)

【8.グプタ帝国 紀元320年~540年】

グプタ王朝は中世インドを統一した最初の封建王朝であり、古代インドの黄金期にあたる。紀元4世紀末から5世紀初めにかけて、中国東晋の高僧法顕は求法のために西へ向かった。法顕は当時のインドを「人々は豊かであり、多くの人が善行や正義という宗教の教えを実践している」と述べている。グプタ帝国の領土はインド北部・中部及び西部の一部地区をカバー、首都はパータリプトラである。グプタ王朝の時代、大乗仏教が盛んになり、ヒンドゥー教が興った。グプタ朝の諸王は皆ヒンドゥー教を信奉したが、民族及び教派間の矛盾を緩和するため、宗教の共存政策を採用し、各派宗教は自由に発展するに任せた。大乗仏教の中心であるナーランダ僧院は、中世インド前期の宗教と学術の中心であり、唐代高僧玄奘は西へ取経の旅に出た際ここを訪問、その見聞は『大唐西域記』に記され、貴重な歴史的資料となっている。

グプタ王朝の硬貨は、多くが文字・王像・天地の神・雄牛・動物等多様な形式のクシャン式硬貨の風格を継承、内包している文化は幅広い。

 

☟で各硬貨の大きさ等をご覧ください。

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【グプタ帝国/金貨/紀元320年~紀元540年/西安大唐西市博物館所蔵】

☝の写真だと、まだ少し小さい気がするので、☟のアップをどうぞ!(^^)/

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展示コーナーには、どの王の硬貨なのか、説明がありません。

博物館で購入した書籍には以下の写真が紹介されていました。☟

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多分、これは印刷ミスだと思います。

まず、漢字では「金币(金貨)」となっているのに、英語では「Silver」。

・中国語の漢字で検索すると、【グプタ朝の第2代君主サムドラグプタ】。

【根拠】

Wikipediaグプタ朝の第2代君主(在位:335年頃/350年頃 - 375年頃)

百度百科:海护王(沙摩陀罗·笈多)为印度笈多王朝第二任君主(335—380年在位)

・時代「紀元380年~414年」で確認すると、チャンドラグプタ2世。

【根拠】

Wikipediaでは【チャンドラグプタ2世(Chandragupta II、在位:376年 - 415年)、グプタ朝第3代の王東晋の僧である法顕の記した『仏国記』では超日王と呼ばれている】。

百度百科でも、【旃陀罗·笈多二世(Chandragupta Vikramāditya;380年到413年在位),笈多王朝第三代君主、即超日王。】

在位期間に多少のずれはありますが、「第3代目」と「超日王」が一致しています。

ということで、この硬貨の紹介からは、第2代・第3代の王について少し理解できたことで満足しましょう!(笑)

以下、参考です。

サムドラグプタ - Wikipedia

海护王_百度百科 (沙摩陀罗·笈多一般指海护王 )

 

チャンドラグプタ2世 - Wikipedia

旃陀罗笈多二世_百度百科

 

 

次は「9.ムガル帝国です。\(^o^)/

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拡大した紹介文をご覧ください。(*^-^*)☟

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以下、パネル内容を訳しました。参考にそうぞ!

【9.ムガル帝国 紀元1526年~1858年】

ムガル帝国は1526年にインド半島北部に興ったイスラム教国家。創建者はバーブル。その祖先はモンゴルティムールの末裔である。帝国の辺境は、西はアフガニスタンのバルフ、東はベンガル湾、北はヒマラヤ山脈から南のゴーダーヴァリ川まで、アフガニスタンカシミールを含む。最後の統治者であるバハードゥル・シャー2世は、1858年の民族大蜂起後、イギリス植民当局によって追放され、ムガル帝国は終焉を迎えた。

 

【ムガル期のインド硬貨鋳造工場の硬貨製造風景】

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一人が金型を押さえ、もう一人がハンマーを打ち下ろそうとしている。貨幣の半製品は皿に入れられて鋳造されるのを待ち、鋳造が終わった硬貨は床の上に積み上げられている。役人達は貨幣の品質チェックを行っており、使用人は硬貨が詰め込まれた袋を持っている。

ギリシャ式硬貨打刻工程手順:

① 硬貨の表・裏の型を彫る

② 金属の裁断

③ 重量の測定

④ 表の型を固定

⑤ 金属をセット

⑥ 裏の型を上にのせて合わせる

⑦ 力を込めてハンマーで叩く

専門用語は分かりませんが、だいたいこんな☝感じデス。(^^)/ 

 

☟は失敗作の例のようです。

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「製造過程において表・裏の型が正しくセットされなかったため失敗した硬貨を、貨幣界では『陰陽打???』※と称される」 

左側:伊尔汗布赛因汗(「布」を「不」に変更すると、イルハン国のフセイン・ハンで該当があるのですが、確証ないので保留)

右側:バクトリア貨幣

※色々検索してみましたが、分かりませんでした。m(__)m

 

とても有名な【タージ・マハル】。\(^o^)/

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タージ・マハルはインドにおいて知名度が最も高い旧跡の一つである。ニューデリーから200㎞余りのアーグラ城塞内、ヤムナー川の右岸に位置する。ムガル王朝第5代皇帝シャー・ジャハーンが、死去した皇后ムムターズ・マハルのために建設した墓廟である。タージ・マハルは殿堂・鐘楼・尖塔・池等で構成され、全て純白の大理石を用いて建設、ガラス・瑪瑙で象嵌され、その絢爛さに目を奪われる。イスラム建築において著名な代表的建築であり、非常に高い芸術的価値を持つ。2007年7月7日、新・世界七不思議に選出された。

参考としてご覧ください。(*^-^*)

 

ここからは硬貨を見ていきましょう!\(^o^)/

ムガル帝国のコーナーでは、これだけの展示があります。☟

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小さくて全く見えないので、左から一種類ずつ拡大していきます!

全て、西安大唐西市博物館所蔵です。

 

【一番左】

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【ムガル・アクバル(アクバル大帝・第3代君主)/銀貨/紀元1556年~紀元1605年】

 

【左から2番目】

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【ムガル・ジャハーンギール(第4代君主)/銀貨/紀元1605年~1627年】

 

【左から3番目】

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【ムガル・シャー・ジャハーン(第5代君主)/銀貨/紀元1627年~紀元1658年】

 

【左から4番目】

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【ムガル・アウラングゼーブ(第6代君主)/金貨・銀貨/紀元1658年~1707年】

 

☟は、博物館で購入した書籍に掲載された、アウラングゼーブの銀貨」です。

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【左から5番目】

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左【ムガル・ジャハーンダール・シャー(第8代君主)/銀貨/紀元1712年~1713年】

右【ムガル・ファッルフシヤル(第9代君主)/金貨/紀元1713年~紀元1719年】

展示されている硬貨の主の中では、この二人はズバ抜けて在位期間が短いのです。

特に左側のジャハーンダール・シャーは、父の死後、3人の弟を討って帝位を継承したにもかかわらず、その実権は帝位獲得に活躍した功労者に握られていたという。

しかも、帝位継承の翌年、ファッルフシヤルに敗れて殺害されてしまうのです。

たった、1年・・・・・・。

ここだけ読んだら気の毒に思ったのですが、見出しの続きの詳細を読むと、兄弟の中で一番できの悪かったジャハーンダール・シャーが即位できたのは、有力貴族の支援のおかげ。

こんな身も蓋もない表現もありました。

「支援した有力貴族が精力的に活動する反面、馬鹿で無能な皇帝ジャハーンダール・シャーは怠惰な生活を送っていた」

ここまで読むと、8代目が1年しか玉座を守れなかったのも致し方ない・・・・・・と思えます。

ジャハーンダール・シャーを倒し、玉座を継承したファッルフシヤルも、政治的判断を兄弟に左右され、皇帝としての力量を十分に発揮できなかった・・・・・・。

結果、皇帝は有名無実と化し、1719年2月、ファッルフシヤルは陰謀で廃位・目つぶしのうえで幽閉!!!(゚д゚)!

更に、逃亡しようとしたために絞殺されてしまいました。(T_T)(T_T)

これらはWikipediaに記載されていた内容です。

これまでも硬貨に描かれている権力者の歴史を見てきて思ったことですが、相当の覚悟を持って臨まないと、あっという間に玉座と共に、この世ともお別れになってしまうのに、それでも国王・皇帝になりたいとは・・・・・・。

自ら望んでと言う場合ばかりではないと思いますが、それにしても一般庶民の私には理解不能デス。(^^;

(参考)

ジャハーンダール・シャー - Wikipedia

ファッルフシヤル - Wikipedia

 

【左から6番目】

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【ムガル・ムハンマド・シャー(第12代君主)/金貨・銀貨/紀元1719年~紀元1748年】

 

【右端】

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ムガル帝国後期/金貨・銀貨/19世紀】

 

☟は、博物館で購入した書籍に掲載された、ムガル帝国後期銀貨3枚」です。

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この3枚の年代はイスラム歴で記されているので、ネットで西暦を検索してみました。だいたい、この年代のはず。

左:1841年

残り二つ:1856年

この年代だと、バハードゥル・シャー2世(第17代君主・在位:1837年~1858年)に該当します。

この方が、最後の君主となります。

 

 

今回のラスト、「10.東インド会社です。\(^o^)/

コーナー全体の様子をどうぞ!!☟

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【10.イギリス東インド会社 紀元1600年~1947年

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東インド会社はイギリスの株式会社である。1600年12月31日に創立。この日、イングランド女王エリザベス1世が王室特許状を下付し、インドにおける貿易の特権を与えた。この特許状によって東インド会社はインド貿易を2世紀あまりに亘って独占し、商業貿易企業からイギリスのインドにおける実質的な支配者となった。1857年、ギリスがインドの植民統治機構を設立したことにより、行政権力を解除された。

インドで現在流通している貨幣――ルピーは16世紀に始まるが、それは基準単位ではない。1835年、インド領内における貨幣流通の便を図るため、東インド会社は新基準のルピー銀貨を導入、当時インドで約300種類余りものルピーが市場で流通しているという局面を改革した。

Wikipediaから補足:

セポイの乱インド大反乱)の後、インドの統治権をイギリス王室に譲渡し、1858年に解散した。 だが、東インド会社はその後、1874年まで、小さいながらも会社組織は継続した。理由は、イギリス政府が株主に対して、1874年までの配当の支払いを約束していたからであり、残務整理が終了した1874年1月1日、正式に会社の歴史の幕を下ろした。

 

冒頭の会社名の下にある年代や、その他の「期間」は全て「紀元1600年~1947年」と記載されています。

でもWikipediaの記載を見ると、「東インド会社」の終焉は「1947年」ではありません。

では、なぜ「1947年」なのかと考えて、思い至ったのがインドの独立。

「1947年7月インド独立法によってイギリス領インド帝国は消滅(コトバンク:インド独立運動より)」が根拠なのかな?と想像しています。

 

(参考)☟

イギリス東インド会社 - Wikipedia

 

 ☟は東インド会社が発行した新基準の銀貨です。 

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1835年、東インド会社が発行した新基準の銀貨。インドのカルカッタ市で鋳造。表面はイギリス国王ウィリアム4世の肖像、裏面はウルドゥー語※1と英語で標記された額面。この硬貨の設計者はインドで知名度の高いイギリス系インド人※2の歴史・建築学者ジェームズ・プリンセプ。ここからインド・ルピーの統一が始まった。

 

※1

裏面の英語でない方の言語を、「インドなのに、何故アラビア語???」と不思議に思っていました。

中国語表記では、これまで見たことの無い「 乌尔语(ウーアールユー)」。

百度百科」で「 乌尔语」で検索しても該当がなく、その時に表示されたのが「乌尔都语(ウーアールドゥーユー)」。

「都」の文字が一つ多くなっています。

これだと「ウルドゥー語」!

Wikipediaで「ウルドゥー語」は「インドでは、憲法の第8附則において定められた22の指定言語のひとつ」と紹介されていたので、これでOKかと。

(参考)☟

ウルドゥー語 - Wikipedia

乌尔都语_百度百科

 

※2

中国語では「英裔印度人(イギリス系インド人)」と記載されているのですが、Wikipediaでは「イギリスの東洋学者」と紹介されています。

(参考)☟

ジェームズ・プリンセプ - Wikipedia

 

次☟は、インド共和国のルピー。

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インド共和国ルピーニッケル硬貨。1950年製造。表面はインドの国章と紀元前3世紀アショカ王が建立した獅子石柱柱頭。裏面はヒンディー語と英語で表記された額面。インド会社が19世紀に発行したのは銀貨だったが、1870年、銀価格の低落に直面し、「ルピーの下落」期が始まった。1940年発行のルピーの銀含有量が50%減少となり、1947年銀貨の発行を停止した。

 

☟は【東インド会社/銀貨/紀元1600年~紀元1947年】

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☟No.75・76は、博物館で購入した書籍に掲載された、「東インド会社の銀貨」です。

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以上、今回の硬貨の紹介でした。(*^-^*)

 

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引き続きまして、おまけコーナーです。(*^▽^*)

2018年12月1日(土曜日)、私は毎週恒例の大唐西市博物館巡りをしていました。

その時、小さな男の子から声をかけられたんです。

「おばちゃん、インタビューしていいですか?」

全身で「一生懸命!」をアピール。

そして、こんな感じにマイクが差し出されました。☟

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インタビューの内容は「中国の四大発明は何ですか?」でした。

答えは「紙・印刷・火薬・羅針盤」」。

大唐西市博物館に「火薬」に関する文物が展示されていたかはちょっと記憶が曖昧なのですが、残りの3つは展示場所もはっきり分かります!

問題は、それを中国語で答えないといけないこと。

中国語だとこうなります。

「造纸术(紙)・活字印刷(印刷)・火药(火薬)・指南针(羅針盤)」

端的に伝えられないので、長々と説明してしまいました。(^^;

 

その後、こんな風に既定のノートに署名を頼まれ記入。☟

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その時、5文字ある氏名をフルで書いたのですが、何の反応もナシ。

そう言えば、答える時にちゃんと「外国人だからうまく説明できなくてごめんね」とも言ったのに、リアクションありませんでした。

側ではお母さんがスマホで動画撮影をしていました。

きっとカメラの前で緊張してしまって、私の言葉や名前を気にする余裕なんてなかったんでしょうね。

「おばちゃん、ありがとう!」の言葉を残して、男の子は嬉しそうにお母さんのもとへ。

何となく、「いいことしたな~」みたいな気分になって、展示物の見学を再開しようとした時、

「おばちゃん、何人???」と男の子が駆け寄って来ました。(笑)

ノートの名前を見たお母さんが、気付いたんでしょうか?

日本人だと答えると、さあ大変!

「あのおばちゃん、日本人っ!!!」と興奮。

周囲にいた友達に言って回るので、それを聞いた数人がインタビューに推しかけて来るではありませんか!(笑)

インタビュー2人目:シルクロードはいつ作られた?

インタビュー3人目:西市はなぜ造られた?

インタビュー4人目:西商精神とは何か?(2階フロア最後にパネルがあります)

正確ではないと思いますが、とりあえず全て答えてOKをもらいました。(笑)

 

子供たちは、みんな同じ青色の帽子と上着を着ています。☟

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私の所へやって来た4人は、この写真の奥に写っている男の子くらいの年齢でした。

 

みんなが来ている上着の背中には、「新華小記者」の文字が入っています。

『マスメディアや教育の観点から、教室外の特色のある実践活動に参与することを通じ、学生(全国の中小学生)たちの実践能力とイノベーション精神を向上させ、勉学への興味と学習成績を向上させること』

それが「新華小記者活動委員会」の趣旨だそうです。

この活動に参加申し込みをし、活動している子供たちが「新華小記者」です。

インタビューをしてくれた子供たちにはそれぞれ個性があって、やっぱり最初に声をかけて来た男の子は度胸がある感じ。

中には緊張して声が震え、出題問題を間違えて言い直したりする子も。

それでも、その子はちゃんと最後の署名のお願いまで済ませ、礼儀正しくお礼を言って去って行きました。

みんな、小さなころから課外活動に参加して、自分自身を鍛えているのがすごいなあ~と関心した週末の午後でした。(*^-^*)