せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その53:3階シルクロード硬貨展示ホール_アラブ帝国からイスラム諸王朝まで_①ウマイヤ朝・②アッバース朝)

 2018年12月8日、ものすご~~~く寒い土曜日です。

 今日は午後3時でも、気温はマイナス3度。☟

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一日中氷点下でした。(*_*)

外に出ると、頭髪から一気に温もりが消え失せます。

幸い先週とは異なり、大気汚染は大したことないのですが、とにかく空気が冷たい!!

外に出たくないのは、今週も先週と変わりません。(笑)

 

でも、6日木曜日から大唐西市博物館で「シルクロード インターナショナル ファッションウィーク」が始まっているんです!\(^o^)/

期間は2018年12月6日~10日まで。

6日は様子を見に出かけられなかったので、昨日の夜、様子を見に出かけてきました。

すると、この冬一番の冷え込みが続く中、博物館の前には長蛇の列が!!☟

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下のプログラムを見ると、この人たちは19時40分からのショーを見るために並んでいたようです。☟

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席が余ったら入れてもらえないかな~と思い、入り口に立っていた主催会社の人に聞いてみましたが、当然ながら「チケットがなければだめ!」の一言。(笑)

私は一応今日(8日)の午後14時からのチケットを持っていたので、昨日はさっさと退散しました。

動いていればともかく、じっと立っているのは寒いのです。(^^;

 

気になったのは・・・・・・。

私がチケット引き換え申請をした時に目にした案内は、8日14時からのプログラム専用だったので、

「他のプログラムは一般公開してないんだ」

と勝手に思い込んでいたのです。

ところが、この寒空の中並んでいる人に尋ねてみると、私がフォローしていないWeChatアカウントで、全プログラムのチケット交換申請の案内があったのです!!

ちょっとショック。(T_T)

今のご時勢、WeChatを使いこなせないと、せっかくのチャンスを逃してしまうことに!

これからは、できるだけいろんなアカウントをフォローしておかなくちゃ!!!

 

 

 

 

と、このままファッションショーのご紹介をしようと思っていたのですが、ちょっと長くなりそうなので、前座やオマケではなく、別途単独でブログを書くことにしました。

硬貨のご紹介を先にしたいので少し後になると思いますが、よろしかったらそちらをご覧ください。(*^-^*)

では、本題の硬貨のご紹介、始めます!!!\(^o^)/

今回も引き続き3階の④の位置に当たる展示室です。☟ 

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今回のコーナーは、③の位置の展示室から④へやって来ると、ちょうど展示室真ん中にある中国貨幣のコーナーを通り越した、対角にあります。☟

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ちょうど隠れて見えません。(笑)

 

☟で見ると、左端から四分の一くらいの部分です。(🌟)

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該当コーナーだけアップにすると、こうなります。☟

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☟は、左端のパネル。

こちら側の壁一面(上の🌟マークがついている写真参照)を占めるアラブ帝国からイスラム諸王朝まで】の概要です。

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以下、参考訳です。(*^-^*)

紀元7世紀初め、預言者ムハンマドが聖地メッカにて神の啓示を受け、イスラム教を創始したが、当時メッカを統治していた集団からの迫害を受け、信徒を引き連れメディナへと逃れた。この移住(聖遷)の年がヒジュラ暦イスラム)の元年1月1日(紀元622年7月16日)と定められた。メディナでは、ムハンマド周辺諸国と「メディナ憲法」を締結し、アラブ人共同体を結成、最初のモスクを建設したことにより、さらに多くの信徒がイスラム教を崇拝するようになった。その後、ムハンマドは勝利しメッカに戻った。※ムハンマドが政治においてアラブ帝国を建国したと言うならば、彼の継承者は軍事に置いて電光石火の勢いでビザンチンを打ち破り、ペルシャ第二帝国ーーサーサーン朝を打倒し、その後更にインド・スペインを占領、大西洋からインダス川に及ぶ広大なアラブ帝国を築き上げた。アラブ帝国の後期は、戦争及び教派間の分裂により中央アジア西アジアインド亜大陸北部まで、イスラム教を信仰する多くの独立王朝が入れ替わり出現した。これらの国々が発行した硬貨の形式は多様であり、異彩を放っている。

※について

Wikipediaでは、ムハンマドが率いるムスリム軍がメッカを戦わずして降伏させた後、ムハンマドは、マッカをイスラム教の聖地と定め、異教徒を追放した。ムハンマド自身は、その後もマディーナに住み・・・・・・。マディーナの自宅で没し、この地に葬られた」とあります。

パネルの説明文は、ムハンマドが軍を率いてメッカに戻り、メッカを降伏させたことを指しているのかな?と理解してみました。(*^-^*)

(参考)

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ - Wikipedia

イスラム帝国 - Wikipedia

 

 

アラブ帝国】 

まず、全体の様子をご覧ください。\(^o^)/☟

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パネルの内容を小分けして見ていきましょう!!(*^-^*)☟

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以下、参考訳です。(*^^*)

アラブ帝国

7世紀30年代、統一されたアラブ帝国が出現し、瞬く間に中央・西アジアの大部分の地域を統治した。この時期、シルクロードが支障なく通行できるかどうかは、アラブ帝国の経営によるところとなった。アラブ人はイスラム教を深く信じることから、イスラム教により禁じられた偶像崇拝の教義に従うため、金属貨幣に徹底的な改革を行った。そのため、過去の貨幣に描かれていた王像や天地神全てが、優美なクーフィー体で書かれたシャハーダ・貨幣を製造させた王名・場所・期日等の文字情報に取って代わられ、アラブ世界における硬貨の宗教的意義と書道芸術を際立たせた。紀元9世紀初め、アラブ帝国は分裂を始め、13世紀中葉に消滅。これに伴って興ったのがイスラム諸王朝である。

※中国語及び博物館発行書籍の英語表記ではそれぞれ「清真言」・「Shahada」と記載されています。

百度百科より、音訳は「萨哈达(sahada・サハダ)」、アラビア語は「الشهادة」。

Wikipediaでは「シャハーダ信仰告白アラビア語: شهادة Shahāda)」。

以上より「シャハーダ」としました。

検索していると、「クルアーンなどの言葉を刻み」という表現をよく見かけました。

信仰告白」の言葉だけじゃないのかな???と疑問に感じたので、念のため。(^^;

 

地図をご覧ください!(*^-^*) 

【7~9世紀のアラブ帝国領土図】

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☝の凡例を訳すにあたり、

「この時代になれば、歴史資料もたくさんあって、簡単に中国語と日本語を照合できるるはず。楽勝!」

と思っていました。(^^;

確かに、左から2/3までは簡単だったんです。

ところが、右の3つの反乱は全く見たこと・聞いたこともありませんでした。(T_T)

中国語での検索も、漢字表記が複数あって一苦労。

やっと見つけても、英語表記がなかったり、あってもそれを日本のサイトで検索してもヒットしない・・・・・・。

「ムカンナアの乱」は、あれこれ検索した結果、【ホッラム教 Khurram】がカギとなり、何とか壁を打破!!!\(^o^)/

「ホッラム教」 とは「マズダク教と過激シーア派思想との混交によって生じたイランの反アラブ・反政府的性格の強い異端の宗教」と、「コトバンク」にありました。

 

「バーバクの乱」アッバース朝で該当年代のカリフ(マアムーン)を探して、その記事の中からアタリ!と思えそうな反乱名を発見。

でも、「Wikipedia」には紹介がなかったので、他で検索し、「コトバンク」で確証ゲット!!(*^▽^*)

この乱、パネル上の年代は「817年~837年」です。

ただ、「コトバンク」・「百度百科」両方とも始まりが「816年」だったので、こちらを採用しました。

 

「ザンジュの乱」は、「百度百科」の英語名と、「Wikipediaアッバース朝の該当年代に類似発音の反乱を見つけ、ありがたいことに「Wikipedia」に詳細の紹介があったので比較的スムーズ。(*^-^*)

 

かなり時間を費やしたんですが、全部日本語の名称が見つかってとってもスッキリ!!

上記3つの乱の内容については、☟をご参照ください。(#^.^#)

「ムカンナアの乱」

ムカンナア - Wikipedia

穆盖奈尔起义_百度百科(パネル上の漢字表記は「馬堪那起義」)

「バーバクの乱」

マアムーン - Wikipedia

バーバクの乱(バーバクのらん)とは - コトバンク

巴贝克起义_百度百科

「ザンジュの乱」

アッバース朝 - Wikipedia

ザンジュの乱 - Wikipedia

黑奴起义_百度百科

 

【貨幣における宗教】

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参考訳です。

ウマイヤ朝・ワリード1世金貨】

貨幣上に刻まれている銘文はイスラム教のシャハーダである。

表面の中央の三行:「アッラーの他に神はいない。彼にパートナーはいない。」

外周:「ムハンマドアッラー使徒である。アッラーは公正な道理と真理の教えにいり彼を遣わした。間違いなく他宗教より勝っている。」

裏面の中央の三行:アッラーは唯一である。アッラーは永遠である。彼は生産せず、創造されない。?」

外周:アッラーの御名において、このディナールヒジュラ暦125年(換算:紀元742~743年)に製造された。

金貨重量:4.25グラム。新しいディナールの基準重量である。

(参考)※部分は以下参照。

イスラームのコイン

イスラームのディルハム銀貨

※部分と「ムハンマドアッラー使徒である。」以外は検索しても見つけられず、自分で訳しました。

特に赤字の部分は不安がいっぱい・・・・・・。(^^;

あくまで参考としてお読みください。<(_ _)>


展示されているワリード1世の金貨です。☟

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☟は、博物館で購入した書籍からの抜粋です。

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年代(ヒジュラ暦125年)と銘文の見た目(読めないので。(^^; )から、「ワリード1世の金貨」の紹介だと思います。

 

【貨幣おける書法】

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以下、参考訳です。(^o^)/

クーフィー体は古いアラビア文字の書体の一種である。その前身はアラビア半島地域で流行したナバテア文字。クーフィー体は豪快で力強く、角がはっきりとしていて、優雅で尖った角を持つ字母であり、『クルアーン』・イスラムモスク建築の装飾・宮廷文献・彫刻碑文の表記に、貨幣の製造及び隣国への手紙、締約等に広く用いられたことにより、アラブ世界の推賞を受け、瞬く間に各地へと伝わって行った。イラクの歴史文化で著名な城クーファの名を用いて命名された。イスラム教伝播のための重要なツールであることからイスラム体とも呼ばれる。(?)※

※「イスラム体」で検索したり、「クーフィー体」の説明を読んでみましたが、「別名」のようなものが見当たらず、とりあえず「イスラム体」と訳しています。

 

☝☟の写真の並びは同じです。

左:アッバース朝銀貨 表面

中央:イルハン国・アブー・サイード銀貨 表面

右:オスマン帝国銀貨 表面

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左:アッバース朝銀貨

アッバース朝の銀貨には曲線的なアラブ文字の草書が多用されている。草書は平行かつ優雅で、曲線の字母は装飾形式がきわめて多い。字母の末端は伸びて細く尖った木の葉状になっている。

中央:イルハン国・アブー・サイード銀貨

モンゴルのイルハン国、アブー・サイード銀貨に書かれたシャハーダは方形である。おそらく、当時の中国の回文印章の書き方の影響を受けたと思われる。

(参考)アブー・サイード - Wikipedia(名前の中国語表記について触れています)

右:オスマン帝国銀貨

 オスマン帝国時代の曲線字体の手本は、皇帝家が使用したトゥグラである。トゥグラはスルタンが法令に署名しなかったことの証明である。トゥグラは硬貨の製造にも頻繁に用いられた。

(参考)トゥグラ - Wikipedia

 

展示されている硬貨の写真です。☟(*^-^*)

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以上、アラブ帝国の貨幣についてでした。

ここで紹介された内容、物によっては今後、該当王朝の紹介の際にもう一度登場しますよ! (^o^)/

 

 

では、各王朝の貨幣の紹介に入ります。(*^-^*)

最初は「1.ウマイヤ朝の展示、全体の様子です。☟ 

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パネルを拡大しながら見ていきます。(*^-^*)

【1.ウマイヤ朝/紀元661年~750年】

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☟、参考としてどうぞ!(^^)/

ウマイヤ朝は都をダマスカスに定めた。白色を崇敬していたため、中国の史書ではウマイヤ朝を「白衣大食」と呼んだ。ウマイヤ朝アラブ帝国のシリア総督であるウマイヤ家のムアーウィヤが成立させた。また世襲君主制を実行し、アラブ帝国で最初の世襲王朝となった。

アブドゥルマリクがカリフであった時代(685年~705年)に貨幣制度の改革を実施し、アラブ帝国初となる文字の銘文のみのディナール貨幣を発行、また全国に流通させた。現在でも多くのアラブの国々の貨幣名称が依然として「ディナール」と呼ばれていることから、影響が非常に大きいことが分かる。

  

【ウマイヤド・モスク】

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参考訳です。👇(*^^*)👇

ウマイヤド・モスクは世界第四の大モスクとみなされている(その他は、サウジアラビアメッカの「マスジド・ハラーム」、メディナの「預言者のモスク」、イスラエルの「アル=アクサー・モスク」)。ウマイヤド・モスクはイスラム建築史における宝の一つである。この地には元々キリスト教の聖ヨハネ聖堂が建っていた。紀元705年、カリフのワリード1世がこの聖堂をモスクに建て替えた。工事完成には15年を要し、ペルシャビザンチン・インド・エジプトの著名な建築家や工匠が設計を行った。ワリード1世はこのモスク建設のため、100箱の金貨を国庫から放出したと多くの歴史資料で述べられている。それぞれの箱には22.8万ディナールが入っており、合計すると約2,280万ディナール。このことから、ウマイヤ朝の国庫には多くの金貨があり、莫大な財力を有していたことが分かる。

 

ここからは展示されている硬貨をご覧ください。☟

ウマイヤ朝/銀貨/紀元661年~紀元750年/西安大唐西市博物館所蔵】

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☝は上段。

☟は中段と下段を、中段左から2個ずつ並べています。

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☝中段、☟下段。

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全部で11個あります。

上段だけ3個しかないので、3個まとめたため小さくなってしまいました。(^^;

☟は、博物館で購入した書籍から。(*^-^*)

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時代はヒジュラ暦107年(西暦に換算:725年~726年)。

この年代から、第10代カリフ(在位:724年 - 743年)ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリクの硬貨ではないかと思います。

文字を読めないので断言できませんが、Wikipediaに掲載されていた硬貨の写真とも酷似しています。

(参考)☟

ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリク - Wikipedia

 

 

ここからは、アッバース朝です!\(^o^)/

全体の様子は、背後の中国貨幣の照明が写りこんで見辛いですね。(^^;☟

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見辛くても大丈夫デス!

個別に見ていきましょう!\(^o^)/

【2.アッバース朝/紀元750年~1258年】

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☟、参考にどうぞ!(^o^)/

アッバース朝その旗が黒色であったことから、歴史上「黒衣大食」と称される。王朝はイラクを中心に、ティグリス河畔に新都バグダードを造営した。この城は雄大で壮観、人口が多く、商業貿易が盛んであった。当時の長安コンスタンチノープルと同じく高名な世界的な大都市である。バクダードからペルシャ湾を経由し、インド洋とマラッカ海峡を通ると、広州へ到達することができる。また、ペルシャ中央アジアを経由し、「シルクロード」を進めば、長安へ辿り着くこともできる。当時、両国の商業貿易や文化交流は非常に密接だった。アッバース朝の最初の100年間、政治は安定し、社会は平穏で、農商業も発展、文化も繁栄し、名声と威信が遠くにまで鳴り響き、軍事の拡張も著しく、国力絶頂の「黄金時代」であったが、その後、次第に分裂へと進んで行った。

黒色大食が製造した金貨・銀貨上の文字はとても華やかで、字母の字画・構造は変幻自在、さながらイスラム書道芸術のすぐれた作品を鑑賞するようである。

 

アッバース朝(黒衣大食)初期の金貨】

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☝右側は、アッバース朝時代の手書き原稿」です。

 

ここからは展示されている硬貨をご覧ください!(*^-^*)

上段の8個、左から2個ずつ並べています。☟

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☟は中段・下段の合計11個を、中段左から2個ずつ並べています。(*^^*)

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ここから下段です。☟ 

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下段は合計5個しかありません。

右端の銀貨だけ1個で貼ると、他の硬貨とサイズが合わなくなるので、右から2個目の金貨に2度登場してもらっています。(^^;

 

☟は書籍からの抜粋です。

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以上、今回の内容でした。(*^-^*)

 

最後に、12月10日(月曜日)、お昼の西北工業大学校内噴水の様子をどうぞ!

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☝☟、水を掛けていても、融けずに凍り付いたまま。

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こちら☟も、見事に凍ったままです。寒い~~~!!!

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終わり。(*^-^*)