せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その56:3階シルクロード硬貨展示ホール_イスラム諸王朝_④ホラズム・シャー朝<2008年ウルゲンチ・サマルカンド・オトラル写真>・⑤デリー・スルターン朝・⑥オスマン帝国・⑦アフガン帝国・⑧イランガージャール朝)+臘八節

2019年1月15日(火曜日)です!

西安は相変わらず、スモッグに覆われています。

この冬はあまり寒くなく、西安市内では雪もせいぜいチラつく程度。

上空に停滞しているスモッグを吹き飛ばすほどの偏西風が吹きません。(T_T)

でも、吹き飛ばしたら、東へ流れ・・・・・・。

近隣国との、PM2.5発生源についての論争原因になるのでしょうか?

生活している人間としては、雨か雪が降って、少しでも空気の状態が改善されることを心待ちするしかありません。(T_T)

でも、当分降りそうにありません。☟

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雨マークはあっても、いつも期待外れ。

先送りされているのが現状です。

さて、雨はいつ降るのか?

そして、西安の大気汚染はいつ改善されるのでしょう???

 

そんな中、この前の日曜日、1月13日、臘八節を迎えました。

この日が来ると、中国では本格的に春節を迎える準備を始めます。

この伝統行事については、昨年の臘八節に記事を書いているので、興味がある方はそちらをご参照くださいね!(#^.^#)☟

大唐西市城:陰暦12月8日_臘八節! - せいあん!

昨年は小雨が降る寒い日でしたが、今年は比較的暖かい中、お粥をいただきました!

私にとっては、お粥をいただくのが楽しみなのです!!!(笑)

ご覧ください!

こんなにどよ~~~~んとした空。☟

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ほぼ毎日、こんな感じです。(T_T)

ダウンコートを着ずに歩いている人もいるので、寒くないのが分かるかと。

 

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今年のスローガンは「一杯の臘八粥が、街を温かくする」。

 

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『寒い中、人々のために奉仕してくださっている交通警察官・都市管理員・公共バス運転手・道路の清掃作業員・ショッピングモールの衛生作業者の皆さんへ、温かいお粥を食べてあったまっていただこう!』というのが目的です。

そのお裾分けを、ショッピングモールに来たお客さんもいただきます。(*^-^*)

ちなみに、お寺で配られるのが、昔の姿でした。

今は、色んなショッピングモールやホテルでも、無料で臘八粥をサービスしています。

 

イベント開会の挨拶。☟

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記念品贈呈と記念撮影。☟

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そして、待ちに待った(私だけ?笑)臘八粥の配布スタート!

このすぐ下の写真は、よく行くインド料理のお店「紅堡 RED FORT」のお二人と、ショッピングモールの挨拶をされていた偉い方。

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☟、少しずつ入れていただいて、4種類も味見しました。(#^.^#)

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『臘粥』なので、穀類・ピーナツ・クコの実等が8種類以上入ってるのが正統な臘八粥なのだそうです。

ご馳走さまでした!\(^o^)/


 

それでは、お待たせいたしました。

大唐西市博物館の硬貨の紹介に入りたいと思います!\(^o^)/

毎度お馴染みの3階レイアウト図。

今回ご紹介するコーナーは、③の展示室から移動してくると真正面にあたります。☟

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☟は、③と④の間の短い通路から④を見た様子。 

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☟、④展示室に入りました!(*^▽^*)

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☟、そのまま直進して、コーナー前に到着です!

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今回のトップバターは、イスラム諸王朝【4.ホラズム・シャー朝】です!\(^o^)/☟

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参考として訳しました。(*^-^*)☟

【1.ホラズム・シャー朝/紀元?年~1220年】  

ホラズム・シャー朝はもともとカスピ海の東にあった小国、中心となった都市はウルゲンチ(現トルクメニスタン・ウルゲンチ)。歴史上、ホラズム・シャー朝の統治と領土は変動を繰り返してきた。初めはペルシャ帝国の一省であったが、独立国家となり、その後またインドクシャン帝国の影響かに入った。3世紀にはペルシャ・サーサーン朝がホラズムを支配。7世紀になると、アラブ帝国に征服された。11世紀から13世紀には、セルジューク朝に統治された。紀元1200年頃、アラーウッディーン・ムハンマドが王位継承後、王国は次第に強大になり、西遼の西部地域を奪取、また度重なる遠征によりペルシャアフガニスタン等の周辺各国を併呑し、全盛期を迎えた。新都をサマルカンド(現ウズベキスタンサマルカンド)に建設、また金朝の中都へ使節を派遣している。1215年、元の太祖チンギス・ハーンはホラズム・シャー朝に使節を派遣し通商貿易協定を締結したが、その後抵抗を受けた。1218年~1220年、チンギス・ハーンは大軍を率い西へ親征し、ホラズム・シャー朝を征服、ホラズム・シャー朝の君主ムハンマドは逃亡した。

 

☝の訳で、懐かしい地名が登場!

2008年9月、中央アジア5ヵ国を周遊した時、観光した都市です。\(^o^)/

その時の写真を少し整理したので、貼っておきたいと思います。(*^-^*)

最初は「ウルゲンチ」。

「トレベクハニム廟」

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☝は、向かって左から撮影。

☟は、向かって右から。 

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14世紀に建設され、特に天井のブルーのモザイクはとても美しく、1年間の日数、月日、時間を表しています。また、クフナ・ウルゲンチで最も大きな建築物でもあります。(トルクメニスタン政府観光局サイトより) 

その「天井のブルーのモザイク」です。☟

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これは、我ながらうまく撮れていたと思います!(#^.^#)

 

☟は、「クトゥルグ・ティムール・ミナレット」と「スルタン・テケシュ廟」

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ミナレットは11世紀から12世紀に建設、高さは60メートルあり、中央アジアで最も高いミナレットです。

スルタン・テケシュ廟は13世紀前半に建立されました。

 

ウルゲンチ、ラストの写真は「イル・アルスラン廟」

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イル・アルスランは1156-1172年、第4代の王としてホラズム王国の当主でした。

以上、説明内容は「トルクメニスタン政府観光局」のサイトを参照させていただきました。

ありがとうございました。(*^^*)

トルクメニスタン政府観光局

 

続いて、サマルカンド

☟は、朝日を浴びる「レギスタン広場」。 

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夕日ではなく、朝日です。

朝の弱い私ですが、旅行中は別人のように早起き。

準備万端で日が昇るのを待っています。

この時も、ホテルの非常階段の窓から、サマルカンドの夜明けを待って、薄闇の中かすかに見えるレギスタン広場の塔を撮影してから、一人外出。

朝陽を浴びて淡いピンク色に染まるマドラサがとても綺麗でした。

昼間の日差しの下の「トルコ石色の青」とはまた違った趣があります。(*^^*)

 

☟は、午後、日差しが少し傾きかけた頃のレギスタン広場。

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☟は「シェルドル・マドラサ」。

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 『1619~1636年にヤラングトシュ県知事の指示で建てられた。シェルドルとは「ライオンが描かれた」という意味で、入口アーチに左右対称にライオンが描かれている。コーランでは、人や動物の姿をモチーフにする事は禁じられていたが、支配者の権力を誇示し、あえてこのようなデザインが描かれたと言われる。また、この複雑な模様はアレキサンダー大王時代から伝えられたとも言われる。』(「UZBEK friends」サイトの説明より)

理由はどうあれ、イスラム建築にライオン(動物)。が

しかも、ライオンの背中に人の顔が!

とてもインパクトの強かった建造物なので、レギスタン広場の代表として、このマドラサのアップ写真を貼っておきます。

 

次は、宿泊ホテルの向かいにあった 「グリ・アミール廟」。

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早朝、レギスタン広場からの戻りに撮影しました。

『1404年にティムールが孫のために建てた。一年後、ティムール自身も葬られることになった。グリとはタジク語で墓という意味。墓にはティムールの遺言、墓を開けてはいけない「世界には悲惨な戦争の危機が及ぶ」。しかし、ソ連の学者達によって1941年6月20日に開けられた。22日、ドイツ軍がソ連に侵入。これがティムールの警告通りだったのか?偶然か?未だに議論の中心である。』(「UZBEK friends」サイトの説明より)

 

☟、「グリ・アミール廟」の夜景。

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☟、「グリ・アミール廟」の北側、よりホテルに近い位置にあった「ルハバッド廟」。

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『グリ・アミール廟の北側に建つ14世紀後半の廟。ルハバッドとは例の住みかという意味。神秘主義者シェイヒ・ブルハヌッディン・サガルジを祀ったもの。預言者ムハンマドの遺髪を納めた箱が一緒に葬られたという言い伝えがあり、信仰を集めたという。他のイスラーム建築物とは違って、土色のレンガがむき出しになったシンプルな建物。』(「UZBEK friends」サイトの説明より)

今なら、これだけ車に前方を遮られていたら間違いなく撮り直すのですが、当時は「旅行に来た紀念に姿が写っていればいい」という発想になっていました。(^^;

最初からそうだったわけではなく、さすがに15泊16日の終わりから二日目。

贅沢な話ですが、歴史を真面目に勉強せず出かけたため遺跡の背景が分からず、似通った建築物のオンパレードに見飽きてしまっていたのです。

細かいことまで気を回す気力、尽き果てておりました。

何と情けない~~~!!!(T_T)

 

この前の通りを右に進むと、☟のアミール・ティムール像がありました。

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他にもたくさん見学しているのですが、硬貨ご紹介中なのを忘れ暴走してはいけないので、とりあえずこの辺で終わりにします。(笑)

参考にさせていただいた説明文は、以下のサイトの掲載されています。

ありがとうございました。(*^-^*)

ウズベキスタン情報サイト ウズベクフレンズ | ホテル 電車 ツアー 予約から観光情報まで

 

それでは、本題に戻って、パネル説明の☟の部分について、少し追加説明しますね。

『1215年元太祖成吉思汗派使节到花剌子模王国缔结通商贸易协定,但遭到抵制。』

百度百科ー「花剌子模」』では以下のように記されています。

『元太祖十年(1215年),成吉思汗派使节到花剌子模王国,缔结通商贸易协定。成吉思汗按协定派出使臣与商队450人,500头骆驼,携带大批金银珠宝与商品前往通商。至讹答剌(一作兀都刺儿,在今哈萨克斯坦奇姆肯特西北),总督亦难出见财起意,诬指商队为间谍,上报皇帝屠杀之,侵吞商品与骆驼。成吉思汗为集全力攻金,避免中断贸易,争取和平解决,派出使臣,致书摩诃末责其背信弃义,要求交出凶手。摩诃末拒绝要求并杀死正使,剃光两位副使胡须,押送出境。』

花剌子模_百度百科

☝の『百度百科』の内容を訳してみると、だいたいこんな感じです。☟

元太祖十年(1215年)、チンギス・ハーンはホラズム・シャー朝に使節を派遣し、通商貿易協定を締結した。チンギス・ハーンは協定に基づき、使臣と450人の隊商を派遣し、500頭の駱駝に大量の金銀宝石を載せて通商に向かわせた。しかし、オトラル(現カザフスタンシムケント北西)に到着した際、総督のイナルチュクが金銭に目がくらみ、隊商を間諜と偽りを述べ、これを殺戮するよう王に進言し、商品と駱駝を横領した。チンギス・ハーンは金への進攻に全力を注ぐため、また貿易中断を回避するため、平和的解決を望み使臣を派遣、ムハンマドに書を送りイナルチュクの背信を責め、引き渡しを要求した。しかし、ムハンマドは要求を拒絶、かつ正使を殺害、副使二人の顎髭を剃り落とし、国境外へ押送した。

 

この部分に該当する『Wikipedia』の記述は以下☟の通りです。

1216年にスィル川河畔のオトラルで、ホラズム・シャー朝のオトラル総督イナルジュク・ガイールが、モンゴルの派遣した商業使節中央アジア侵攻のための密偵であると疑い、一行400人を殺害してその保持する商品を奪う事件が起こった。モンゴルからイナルチュクの引き渡しを要求する使者が到着するが、アラーウッディーンはテルケン・ハトゥンの親族であるイナルチュクの引き渡しを拒み、使者を殺害あるいは侮辱した。

ホラズム・シャー朝 - Wikipedia

 

『副使二人の顎髭を剃り落とし』にご注目!

髭剃り落しの刑?

これについて、少し前、類似したことを授業で習ったのです!

「かつて、漢民族の男性は好き勝手に髪を切ったり、髭を剃ってはならず、ずっと伸ばさなければならなかった。長く伸びた髪は頭上で団子にまとめていました」と先生は語られていました。

一生切ったり剃ったりできないとは、いくら何でも長くなりすぎて不便じゃないかな?

と単純な私は疑問に思ったのですが・・・・・・。(笑)

それは誇張だとしても、めったに切らない・剃らないものだったのだと思います。

とにかく、中国古代の男性にとって、髪と髭はとても大切なもの。

そのため、『中国の歴史ドラマや映画では、処罰の一つとして「鬚や髪を切り落とす」場面がよくあるんですよ』と、先生はおっしゃっていました。

『現代人には髭を剃られたくらい、何がそんなに悔しいのか、命を奪われなかったんだからマシじゃないのかと思うかもしれないけれど、命を取られたのと同じくらい屈辱的なものだったんです』とも。

この「百度百科」の「ホラズム・シャー朝」の説明に登場した副使2名、彼らは漢民族ではなく、モンゴル人のはず。

髭を剃った側は、テュルク系。

そのどちらの民族にとっても、髭を剃り落されるのは大いなる屈辱ということなのでしょうか?

民族・文化を問わず、男性にとって髭とは特別な存在のようです。

Wikipedia」の説明にある「使者を殺害あるいは侮辱した」の「侮辱」は、「髭を剃り落とされた」ことを指しているんだろうな~と思いながら読みました。(*^^*)

 

と一区切りついたところで、硬貨の写真が登場するのか?と思われたかもしれません。

すみません!!!

もう少し、お待ちください。<(_ _)>

百度百科」と「Wikipedia」の説明を引用した部分に「オトラル」という地名が登場しました。

ここにも、2008年9月に訪問しているんです。

その時の写真、「オトラル遺跡」、貼らせてください!

☟、シャハリスタン(貴族居住区)の城壁跡

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☟、右側中央に見えている遺構はモスク跡。

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☟、上の写真で同じツアーの方々が立っている場所から右方向を撮影。

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☟、浴場跡

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当時ここだけ、屋根がありました。

以上、オトラル遺跡でした。(#^.^#)


では、今度こそ、本題に戻ります!

展示されている硬貨をご覧ください!☟(*^^*)

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まず、全体の様子で大きさをご確認くださいね。(*^-^*)

左から、【ホラズム・シャー朝 /銀・金・銅/紀元?~紀元1220年】

ともに、西安大唐西市博物館の所蔵品です。

 

☟は銀貨のアップ。

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もともとくっきり見えない硬貨なので、写真も擦れて滲んだようになってしまいました。(T_T)

 

金貨2枚。☟

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銅貨の集団!☟

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個数が多すぎて、個別撮影は早々に諦めていました。

ここで、年末に買った新しスマホが威力を発揮!!

この広範囲で、ほぼ全面にピントが合っています!!!

どの硬貨の図案もかなり鮮明に見てとれます。✌(*^^*)✌
 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真です。

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 余談ですが、この王朝名の中国語表記「花剌子模(huā là zǐ mú )」を見る度に、私は日本のアニメ「花の子ルンルン」の中国語名「花仙子」を思い出します。(笑)☟

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花の子ルンルン」は70年末、80年代生まれ、90年代生まれの中国人にとって、幼少期の想い出に残る有名な日本アニメの一つです。

かつての同僚も「見ていたよ!」と教えてくれたことがあって、私の脳内にこの三文字が定着していました。

そこで、「ホラズム・シャー朝の」二文字目の「剌(là)」を何と読むのか分からなかった当初、無意識に「仙」の字に変換されていたんだと・・・・・・。(#^.^#)

 

 

では、次へ参ります!!(^o^)/

【5.デリー・スルターン朝/紀元1206年~1526年】

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☝の写真の建造物は、【デリー・スルタン朝創始者クトゥブッディーン王宮】

以下、参考の訳文です。☟

デリー・スルターン朝はテュルク人がアフガニスタンインド半島北部に打ち立てたイスラムゴール朝※で、都を置いたデリーに因んで名づけられた。1206年、ゴール朝のスルタンであるシハーブッディーン・ムハンマドが刺殺されると、その国は分裂。インド統治の総督クトゥブッディーン・アイバクがデリーを中心にスルタンとして独立し、北インドでは、これよりデリー・スルタン朝の時代が始まった。ハルジー朝時代(1290~1320年)になると、統治する版図は最大となり、南部及びラージプート地域を除き、インド半島全体に及び、デリー・スルタン朝の全盛期となった。デリー・スルタン朝は全体を通じ320年間存続した。1526年、デリー・スルタン朝ムガール帝国に取って代わられた。

※の部分、説明通りに訳すと「イスラムゴール朝」になってしまうのですが、後続の文章を見ても、「Wikipedia」や「百度百科」の紹介を読んでも、この赤字の部分はイスラム王朝とするのがふさわしいと思うのですが・・・・・・。

因みに、デリー・スルタン朝とは、以下の5王朝を指します。

奴隷王朝(1206年~1290年)/中国語名:奴隶王朝

ハルジー朝ヒルジー朝、1290年~1320年)/中国語名:卡尔吉王朝

トゥグルク朝(1320年~1414年)/中国語名:图格鲁克王朝

サイイド朝(1414年~1451年)/中国語名:赛义德王朝

ローディー朝(1451年~1526年)/中国語名:洛迪王朝

ゴール朝(古爾王朝)は含まれていません。

(参考)

デリー・スルターン朝 - Wikipedia

德里苏丹国_百度百科

 

☟の写真は、ハルジー朝金・銀・銅貨です。

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金・銀・銅貨・・・・・・、銅は分かり易いのですが、写真ではどっちが金・銀なのか、分かりません。(T_T)

 

ということで、博物館で購入した書籍に掲載されている写真をご覧ください。

書籍には材質が表記されています。(*^^*)☟

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☝から判断すると、パネルの写真は、左が金貨、右が銀貨になるようです。(*^^*)

No.92のヒジュラ暦714年は、紀元1314年~1315年にあたります。

ハルジー朝の頃ですね。(^o^)/
 

 そして、ここからは実物です!\(^o^)/

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左から、デリー・スルタン朝金・銀・銅/紀元1206年~紀元1526年】
ともに、西安大唐西市博物館の所蔵品です。

それぞれ、アップをご覧ください。

☟:金

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☟:銀

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☟:銅

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次は、【6.オスマン帝国/紀元1299年~1922年】です!\(^o^)/

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参考としてご覧ください。☟(*^▽^*)

オスマン帝国トルコ人が建国した軍事封建帝国である。始祖オスマン1世は初め中央アジアイスラム教を国教として崇めていたが、その後小アジアに移動してきた※。帝国の最盛期には、その勢力はヨーロッパ・アジア・アフリカの三大陸に達した。南ヨーロッパ・中東及び北アフリカの大部分を支配、西はモロッコ、東はカスピ海及びペルシャ湾に至り、北はオーストリアルーマニア、南はスーダンにまで及んだ。東ローマ帝国を滅亡後、都をコンスタンティノープルイスタンブールと改名)に定め、オスマン帝国の皇帝はローマ帝国の後継者であると自任し、自身を世界の支配者と見なした。オスマン帝国古代ローマ及びイスラム文明を継承、東西の文化が集約されている。その事は、オスマン帝国の貨幣の図案から推測することができる。

 

※部分、「百度百科」では「奥斯曼帝国为土耳其人建立的帝国,创立者为奥斯曼一世。土耳其人初居中亚,后迁至小亚细亚,……」とあります。

訳すとこうなります。☟

オスマン帝国トルコ人が打ち立てた帝国である。始祖はオスマン一世。トルコ人初め中央アジアにいたが、後に小アジアに移動してきた。

これなら、Wikipediaの「トルコ人」の内容とも合致しています。

(参考)

トルコ人 - Wikipedia

オスマン帝国 - Wikipedia

奥斯曼帝国(1299-1922年土耳其人建立的帝国)_百度百科

 

☟は、オスマン帝国君主系図です。

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英語表記があるので、そちらをご参照ください。<(_ _)>

 

☟、オスマン帝国最盛期版図】

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上の図、左下の凡例の訳です。

参考にご覧ください。☟(*^-^*)

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トルコ人留学生と一緒にタクシーに乗っていた時、運転手さんが「トルコはヨーロッパ?それともアジア?」と質問。

尋ねられた留学生、返答に悩んでいました。

今の国土を見ても、イスタンブールはヨーロッパ側。

歴史を見れば、もっと複雑。

この地図を見て、その時のことを思い出しました。

 

 展示されている硬貨です。☟

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【 上:オスマン帝国/銀/紀元1299年~紀元1922年】

【下:オスマン帝国/金/紀元1299年~紀元1922年】

ともに、西安大唐西市博物館の所蔵品です。

 

先ずは銀貨のアップから。(^^)/☟

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☝は、左側5枚です。

☟は、右側5枚。

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金貨です!(*^-^*)☟

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☟は、 大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真です。

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No.94の金貨のヒジュラ暦714年は、紀元1603年~1604年にあたります。
第13代皇帝メフメト3世(1595年 - 1603年 在位)、第14代皇帝アフメト1世(1603年 - 1617年在位)の時代に該当します。

 

このオスマン帝国、私にとっては思い入れの強い国なんです。

高校2年の時、塩野七生先生の作品を読み漁っていた時、『コンスタンティノープルの陥落』・『ロードス島攻防記』・『レパントの海戦』に出会い、オスマン帝国が君臨した時代の歴史にハマりました。

コンスタンティノープルの陥落』の「オスマン艦隊の山越え」に驚愕させられました。この3部作に限らず、その他の作品も2011年前半に再度読み返したのですが、高校生の時の興奮再来でした。

さらに、篠原千絵先生の漫画作品『夢の雫、黄金の鳥籠』も好き。

オスマン帝国皇帝、スレイマン1世の皇妃ヒュッレムの生涯を描く歴史漫画です。

その影響で、宮廷歴史ドラマ「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」を見て、びっくり。

ヒュッレムの性格があまりにかけ離れている~~~!!!

本国のドラマ仕立ての時代劇と、日本作家が描く漫画。

多分、どちらも歴史上の人物通りではないんだと思います。

トルコ人留学生から聞いた話では、「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」は大人気だけれど、各人物の描き方などに批判もあるそうです。(Wikipediaにも同様の記載があります。)

 

 

では、次へ参りま~す!

【7.アフガン帝国/紀元1747年~1826年】

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ここも、参考に訳してみます!(*^-^*)

アフガン帝国、またはドゥッラーニー帝国と呼ばれ、1747年に建国、開国の君主はアフマド・シャー・ドゥッラーニー。アフガンは「アジアの十字路」に位置しているため、歴史上、アフガンはペルシャギリシャ・スキタイ・大月氏・エフタル・突厥・タジク・アラブ・モンゴル等に統治、或いは部分的に統治されてきた。

独自に発行した早期のアフガン貨幣は折畳み式※銅貨、貨幣の図案にはサーベル・sunflowers・鳥・獅子・双魚及び孔雀等があり、大部分の銅貨の一面には特徴的なサーベル図案がある。

※折畳み式:正式な表現が分からないので、便宜上直訳しました。<(_ _)>

ドゥッラーニー帝国 - Wikipedia

 

【アフガン折畳み式太陽硬貨】

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参考にどうそ。(*^-^*)☟

銅不足により、アフガン王朝には折畳み式の銅貨が出現した。折畳み式銅貨は収集してきた古い銅器をばらし、銅箔を裁断し、それを折り曲げて一定の厚みを持った貨幣を作ったものである。

 

☟、展示されてい硬貨をご覧くだい。(*^▽^*)

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左から、

【アフガン帝国折畳み式太陽図案硬貨/銅/紀元1747年~紀元1826年】

【アフガン帝国/金/紀元1747年~紀元1826年】

【アフガン帝国/銀/紀元1747年~紀元1826年】

ともに、西安大唐西市博物館の所蔵品です。

 

左から、アップにしていきます!(*^-^*)

☟:折畳み式太陽図案硬貨

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ちょっとピンボケですみません。

それでも、上の一つ、折り畳まれているのがよく分かると思います。(*^-^*)

 

☟:金

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☟:銀

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☟は、 大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真です。

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No.96 の金貨のヒジュラ暦1373年は、紀元1953年~1954年にあたります。

19〇〇年という年代を見て「最近のもの」と思うのは、年齢のせいでしょうか?(笑)

年代が新しいからか、円形や図案に安定感があるな~。

 

 

次は、イスラム諸王朝のラストバッターです。\(^o^)/

【イランガージャール朝/紀元1796年~1925年】

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では、訳してみます!(*^-^*)

ガージャール朝はイラン北部のガージャール族(現在のトゥルクマーン)の首領アーガー・モハンマド・シャーが建てた王朝。ガージャール族はサファヴィー朝の建国者であるイスマーイール1世の軍隊に付き従いペルシャにやって来たテュルク7部族の一つ。アーガー・モハンマド・シャーは若かりし頃ザンド朝の宮廷で人質となっていたが、ザンド朝国王の死後、北へ逃亡、ザンド朝の後裔が王位を争っている間いに勢力を拡張した。1794年、ケルマーンを破り、イラン各地の主要な省を統治した。1796年に戴冠、イラン国王となり、テヘランに都を置いた。その後、対外戦争において度々失敗し、多くの領土を失い、国力は衰え、国家は次第に崩壊していった。

 

訳すにあたり、「Wikipedia」の「アーガー・モハンマド・シャー」を参照していたところ、一番最後に「人物・逸話」の項目がありました。

そこには、

『アーガーは残虐な一面があったと伝わる。自らを去勢したアフシャール朝と父を殺したザンド朝の最後の君主をいずれも捕らえて拷問にかけた後に処刑している。また、チフリスやケルマーンで市民を虐殺したり大量に奴隷にしたりしている。』

とあります。

他の人物紹介で見落としているだけかもしれないのですが、わざわざ特記されているということは、並外れた残虐ぶりだったのかな・・・・・・と思っていたところ、「百度百科」の『恺加王朝(「卡扎尔王朝」は一般的に「恺加王朝」を指すとあります)』の紹介の中で、具体的な表現を発見しました。☟

『1794年,阿加穆罕默德率军围攻克尔曼,遭到顽强的抵抗。破城后,阿加穆罕默德下令大肆烧杀抢掠,将妇女发给军人为奴,又下令挖去两万居民的眼珠。阿加穆罕默德对不肯归顺的诸汗王采取极其残酷的惩罚,屠杀其家族,没收一切财产和土地。在攻占格鲁吉亚的首府第比利斯时,就屠杀了数千人,俘虏1万多居民,并焚烧全城。』

参考に訳してみます。☟

『1794年、アーガー・モハンマドは軍を率いケルマーンに包囲攻撃を行ったが、激しい抵抗を受けた。都市攻落後、アーガー・モハンマドは欲しいままに家を焼き人を殺し財産を略奪するよう命じ、女性は奴隷として軍人に与え、また住民二万人の眼球を抉り出すよう命令を下した。アーガー・モハンマドは帰順を拒む諸王に対し極めて残酷な処罰を適用、その家族を虐殺、一切の財産と土地を没収した。グルジアの首府トビリシ攻略時には、数千人を虐殺、住民1万人余りを捕虜とし、城を焼き払った。』

確かに残酷なのです。

ただ、当時の戦争では、よほど英明な君主が指揮していない限り、敗北側はほぼこのような運命を辿るのではないでしょうか・・・・・・?

それでも、特筆されているからには、特に残虐さが際立つ伝承が残っているのかもしれません。

 

 

 

(参考)

ガージャール朝 - Wikipedia

アーガー・モハンマド・シャー - Wikipedia

恺加王朝_百度百科

 

ちょっと暗くなってしまいました。(^^;

気分を入れ替えて、展示されている硬貨をご覧ください!!\(^o^)/

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説明のプレート、かなりボケています。申し訳あり余せん。<(_ _)>

左から、

【イランガージャール朝/金/紀元1796年~紀元1925年】
【イランガージャール朝/銀/紀元1796年~紀元1925年】
ともに、西安大唐西市博物館の所蔵品です。

 

アップをご覧ください。

☟:金

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☟:銀

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☟は、 大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真です。

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No.98の金貨のヒジュラ暦1258年は、紀元1842年~1843年にあたります。

第3代シャー:モハンマド・シャー(1834年 - 1848年在位)の時代に該当します。

 

以上で、今回のご紹介、終了です。\(^o^)/

 

💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛

 

最後に、おまけ。(#^.^#)

臘八節のお粥を食べた後、午後から回民街へ出かけました。

この日は、いつものように私一人ではありません。

授業を担当してくださった先生お二人と、クラスメイトと一緒!(*^-^*)

先生方が、私が入ったことのないお店へも連れて行ってくださいました!!

 

それが、このアイスクリーム屋さん!

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アイスの他にも、ジュースとか売っています。

これまで、側を通った時、ジュースを扱ているのは見えていたのですが、アイスクリームを売っているとは、全く気付きませんでした。(^^;

上の写真のアイスは、カップ一つで『4フレーバー(合計200g)45元+ワッフルコーン

4元』の49元(1元=約16元換算で、800円弱)です。

 

フレーバーはこんなにたくさん!!\(^o^)/

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今回注文したなかで西安独特の物は、西安市の市花でもあるザクロ、バラ、麹発酵のちょっと酸っぱめの甘酒、伝統のお餅菓子。

その他は、ミルクティ、チョコレート、かぼちゃ、黒ゴマ。

注文しなかったものの中には、日本のラー油のような唐辛子味、干し柿のようなものもあります。

店内もとてもおしゃれ!☟

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☝は、私たちが食べたお店のすぐ側に出来ていた新店舗。

一人では、一度にこんなにたくさんのフレーバーを試すことはできません。

みんなと来れて良かった~~~!!!(#^.^#)

 

このお店の位置は、だいたいこの辺りです。☟

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回民街は小さなお店が密集しているので、よほどの老舗でないと名前を表示しきれないんでしょうね。

 

クラスメイトの中には、1月中に帰国していまう人もいます。

他の学校に転校したり、働き始める人も。

残るのは、私と先生方だけ。

先週月曜・火曜で試験も終わり、成績表も受け取りました。

冬休みに入ってもう学校へ行く必要はなく、彼女たちに会えるのは、この日が最後かもしれません。

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夜遅くまで、食べて、喋って、ゲームして、とても楽しく、ステキな思い出が作れました。

みんな、それぞれの道で頑張ってね!

先生方、来学期、あと一学期間、お世話になります!!(*^-^*)