せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その58:3階シルクロード硬貨展示ホール_モンゴル帝国及び諸ハン国+ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟写真)/春節写真(大唐西市城迎財神・敦煌)

2019年2月15日(金曜日)です。(*^-^*)

今日も朝からどんより。(^^;

 

春節の七連休も終わって、世間一般では通常の仕事が再開されていますが、元宵節の2月19日までは、まだまだお祭りは続いています。

近所の大唐西市城の縁日も継続中。

そんな中、2月9日夜中から20日未明にかけて、雪が降りました!!!\(^o^)/

この冬、西安市内ではこれまで雪が「積もった!」と言えるほどの積雪はありませんでした。

私としては、やっと降った~~~という感じ。(*^▽^*)

深夜12時半過ぎ、窓から写真を撮った時には、吹雪きで遠方は見えないほど。

でも、明け方3時半過ぎ、寝る前に外の様子を見ると・・・・・・。

もうほとんど止んでしまっていました。(T_T)

ちょっとがっかりしながらベッドにもぐりこむと、「シャッ、シャッ」と言う音が。

普段は夜通しやっている地下鉄工事も春節のため休止しているため、その音はとてもよく響きます。

何だろう?と耳を澄まして思い当たったのは、「雪掻き」!

明け方4時前、こんなに早くから凍結転倒防止のために、雪掻きが始まっていました!

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3時間ほど差がありますが、雪がそれほど増えていない・・・・・・のは置いておいて。(笑)

赤矢印の先の、陸橋階段にご注目!

写っている部分の階段面、明らかに両端以外の部分の雪が無くなっています。

私は呑気に雪降れ~~~!!!と思っていたのですが・・・・・・。

雪が降ると、普段は必要のない仕事が増えてしまう方々がいるということ、失念していました。(^^;<(_ _)>

去年は、何度か雪が積もりました。

事前に凍結防止剤を撒くだけでなく、その都度、早朝には既に雪が掃いてあり、更に滑らないように筵のようなものが敷いてあったんです。

去年も感謝の念を抱きましたが、まさか、こんなに朝早くから作業されていたとは思いもよらず・・・・・・。

私なんて、これから寝るというのに。(^^;

改めて、感謝の思いを強くしました。

 

前置きはこれで終了。

本題に移ります!\(^o^)/

 

私のブログで登場回数が最も多いのは、間違いなくこのレイアウト図だと思います。☟(笑) 

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今回ご紹介するのは、③の展示室から④へ向かって・・・・・・。☟

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☟、入って直ぐの、右手のコーナーになります!\(^o^)/

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☝、この右側の壁、隣のスペースへ続く通路のために壁が切られているため、④展示室内では一番幅が狭くなっています。

 

ここで紹介されているのは、こちら!☟

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モンゴル帝国及び諸ハン国」と「モンゴル帝国の末裔」です。(*^-^*)

狭いコーナーではありますが、一度にご紹介するのは大変なので、2回に分けることにしました。

「冬休み中だから一気に!!!」とならず、お恥ずかしい。(^^;

 

☟、それでは、順を追って見ていきたいと思います!\(^o^)/

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☝コーナー左端部分から、スタート!

 

 

モンゴル帝国及び諸ハン国】

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参考の日本語訳、良かったらお読みください。(*^-^*)

パネルに掲載されている英語訳は、日本語訳の下に貼ってあります。

13世紀、草原の英雄「チンギス・ハーン」は堅忍不抜の気迫と勇気及び広い度量で分裂していたモンゴル部族を統一、最終的には領土拡大戦争により、東は太平洋、北は北極海、西は黒海沿岸、南は南シナ海に至るというユーラシア大陸を横断するモンゴル帝国」※を作り上げた。帝国の安定を守るため、チンギス・ハーンは彼の息子であるジョチ・チャガタイ・オゴデイ・トルイ及び子孫に相次いで分封を行い、それぞれがキプチャク・ハン国チャガタイ・ハン国オゴデイ・ハン国イル・ハン国を作り、共に「黄金の氏族」という無上の栄誉を守った。

14世紀から16世紀にかけて、ティムールとムハンマド・シャイバーニーは「黄金の氏族」の末裔として、相次いで中央アジアの草原にティムール帝国とシャイバーニー朝を興し、モンゴル帝国の栄光を継続させるため、歴史にその存在を色濃く残した。

※の名称について

Wikipediaでは『中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス 、すなわち「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した』との記述があります。

これは中国語の「大蒙古国(ダー モン グー グオ)」と同じ。

なので、「大モンゴル・ウルス」とするのがいいのかな?とも考えたのですが、「モンゴル帝国」の方が馴染みがあるので、「モンゴル帝国」を採用しました。(*^▽^*)

WikipediaのURLはこちら☟です。(*^^*)

モンゴル帝国 - Wikipedia

 

英語訳です。☟ 

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モンゴル帝国/紀元1206年~1259年】

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12世紀のモンゴル草原には数多くの種族がおり、そのため部族が林立して年中戦争が絶えず、軍事同盟が次から次へと結ばれた。ボルジギン氏の首長テムジンは18年の歳月をかけてモンゴルナイマン・ケレイト・メルキト・タタル・オイラート等の部族を統一し、1206年オノン川上流の河源地においてクリルタイを開き、大ハーンに即位、「チンギス・ハーン」(生没年:1162年~1227年)と称し、国号を「モンゴル帝国」と定めた。これにより、モンゴル草原では長期に亘る混戦状態が終結した。その後50年余りの間、モンゴル帝国は3回に亘って対外拡張戦争を起こし、40余りの国を征服した。その勢力は遠くイタリア半島ベネチア北東部にまで及び、モンゴルの蹄鉄はユーラシア世界全体を震撼させた。

 

チンギス・ハーンの帝国の地図とチンギス・ハーンの肖像】 

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☝右は、教科書でもおなじみのチンギス・ハーン。(*^-^*)

 

上の左の地図、大好きな中央アジアがメインなので、特別扱いで拡大しました。(笑)☟

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しかも、地名を調べて日本語表記を追加!\(^o^)/

中国語で検索し、そこで英語表記がなければ別称や、「~付近」という地名を頼って更に検索。

でも、照合できなかったものもあります。(T_T)

合っているとは思うのですが、あくまで参考としてご覧くださいネ。(*^-^*)

☟は、上の地図右下にある凡例です。

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冬の敦煌のブログで、「莫高窟デジタル展示センター」内の壁に掛けられた巨大な地図をご紹介しました。

それを見た時にも思いましたが、カシュガルって本当にユーラシア大陸の真ん中辺に位置していますよね。

上の地図に名前は記載されていませんが、敦煌西夏の領土内。

最終的には、カシュガル敦煌も・・・・・・、と言いますか、中央アジアが・・・・・・、モンゴルの支配下

圧倒的過ぎる・・・・・・。

 

2008年に中央アジア5ヵ国を旅行した時、確かカザフスタンの「ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟」の側にあるホテルに宿泊した際、テレビをつけました。

NHK WORLD-JAPAN」、入ってないかな~?と思って。(笑)

すると、2004年、中国で放送していた「成吉思汗(チンギス・ハーン)」を放映していたんです。☟

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中国で制作されたこのドラマ、海外の反応はどうだったんでしょう?

私はこれまで存在は知っていても、このドラマを見ていませんでした。(^^;

今回、このブログを書きながら、1話から流し見しているところ。(笑)

Wikipediaで読んだ出来事も登場するので、何も知らずに見るより面白いです。(*^-^*)

 

「ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟」の名前が出たので、当時の写真を貼っておきます!☟\(^o^)/

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ここからは、展示されている硬貨をご覧ください! (*^_^*)☟

モンゴル帝国/金/紀元1206年~紀元1259年】

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これ以降、全ての硬貨は 西安大唐西市博物館の所蔵品です。

ついでですが、デリー・スルタン朝のスタートも「1206年」でした!

 

それでは、上の硬貨を左から二つずつアップにします。☟

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全部で9枚なので、☝右と☟左がダブっています。

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アップにしてもぼんやり見にくく、申し訳ありません。<(_ _)>

 

その補足の意味も込めて、博物館で購入した書籍に掲載されている写真を貼ります。☟

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続いて、【モンゴル諸ハン国】のご紹介!\(^o^)/ ☟

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パネルを一つずつ見ていきたいと思います。(*^^*)

まずは、全体の紹介から。☟ 

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参考の日本語訳です。(*^-^*)☟

【モンゴル諸ハン国】

モンゴル帝国チンギス・ハーンが西へと拡張、土地開拓し始めてから、征服した土地に「四大ハン国」、即ちキプチャク・ハン国チャガタイ・ハン国オゴデイ・ハン国イル・ハン国を作り、東アジアの元朝と並立した。これら地域の統治者は全てチンギス・ハーンの「黄金の氏族」から選ばれ、彼らは互いに血縁によってつながり、ユーラシア大陸を横断するモンゴル帝国を作り上げた。この帝国は、東は太平洋、北は北極海、西は黒海沿岸(全盛期にはハンガーにまで到達)、南は南シナ海に至るという、世界史上稀有な大帝国である。

 

 

各ハン国のご紹介に入ります!\(^o^)/

【1.金帳汗国(キプチャク・ハン国)/紀元1219年~1502年】

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☟、参考訳です。(#^.^#)

四大ハン国の中のキプチャク・ハン国は、チンギス・ハーンの長男ジョチとその次男バトゥが建てた国である。領土は最も広く、その版図は西はドナウ川下流、東は現エルティシ川、南はコーカサス、北は現在のロシアブルガール地域にまで及んでいる。1242年、サライ(現ロシアのアストラハンの北)に都を定め、正式に金帳汗国を作った。国内で欽察(キプチャク)人が多数活躍していたことから「キプチャク・ハン国(欽察汗国)とも呼ばれ、当時の東西文化交流において重要な要であり、商業貿易の中心であった。

14世紀後期、モンゴル貴族によるキプチャク・ハン国のハン位を奪い合う争いが絶えず、ハン国は零落・瓦解へと向かった。15世紀20年代初め、ハン国は分裂し互いに独立した九つの国家となった。1502年、クリミア・ハン国のメングリ1世ギレイがサライに攻め込み、都城を完全に破壊、キプチャク・ハン国は滅亡した。

WikipediaのURLです。☟

ジョチ・ウルス - Wikipediaキプチャク・ハン国

メングリ1世ギレイ - Wikipedia

 

 

 次は、【2.チャガタイ・ハン国/紀元1227年~1370年】☟ 

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参考訳をどうぞ。(^^)v

チャガタイ・ハン国、その国名は「チンギス・ハーンの次男チャガタイの領地」から来ている。主な管轄区域は天山の南北。初期、アルマリク付近のクヤス(※「虎牙思」音から判断。現新疆霍城県水定鎮北西)に都を置いた。チャガタイ・ハン国の最盛期の領土は、東はトルファン・ロプノール、西はアムダリヤ、北はタルバガタイ山に至り、南はヒンドゥークシュ山脈を越え、更にアルタイからマー・ワラー・アンナフル(トランスオクシアナ)を含んだ。トランスオクシアナとはアムダリアとシルダリアの間の広大な地域を指し、その大地は肥沃で、ハン国の統治の中心であった。後に、民族信仰等の問題により統治者間で分裂が発生、14世紀中葉には東西に分裂、1369年ティムール帝国により滅ぼされた。

WikipediaのURLです。☟

チャガタイ・ハン国 - Wikipedia

 

 

内モンゴル博物館所蔵のチャガタイ・ハン国銀貨】

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チャガタイ・ハン国の統治時代、アルマリク・カシュガル等で大量の貨幣を製造していた。金・銀・銅の三種類があり、その内銀貨が主要貨幣であり、主に流通していた。その銀貨は円形をしており、最大直径は3.5㎝、最小直径は1.7㎝、厚さは0.15㎝。銀貨は打製法により製造され、貨幣の表面には「アッラーフ(神)の他に神はなし」を意味するクーフィー体或いは通常の字体のアラビア文字刻印されている。☟

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参考にした百度百科のURLです。☟

蒙古汗国银币_百度百科

 

 

【3.オゴデイ・ハン国/紀元1225年~1309年】

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参考にどうぞ。(*^_^*)☟

チンギス・ハーンはエルティシ川上流及びバルハシ湖以東の地域を、第三子のオゴデイに与えた。1225年、都をエミル(現新疆額敏県)に定めた。

紀元1259年、アリクブケが「大ハーン」を称した後、フビライが簒奪、双方による戦争は5年に亘って繰り返し行われた。1264年、アリクブケの降伏によりフビライが皇帝を称した。カイドゥはナヤン・ドゥアと相次いで手を組み帝位を争ったが、1301年、戦いに敗れ、ハン国の力は衰えた。1309年、カイドゥの子・チャパルはチャガタイ系の王ケベクに敗れ、封地チャガタイ・ハン国に合併された※

※部分について:

Wikipediaでは、

1306年にチャパルはドゥアに降伏した。ドゥアによってチャパルの領地は没収され、中央アジア全体がチャガタイ家の支配下に入った。(一部略)チャガタイ家で内争が起きるとチャパルは復権を試み、1309年にナリクが暗殺された後、弟のオロスやヤンギチャルらを率いて挙兵する。ドゥアの子ケベクを支持するチャガタイ・オゴデイ両家の軍にチャパルは敗れ、1309年に元に亡命した。(一部略)1315年、チャパルはカイシャンの弟で次のモンゴル皇帝となったアユルバルワダによって汝寧王の爵位を与えられた。 」

と記載。

百度百科では

「元武宗至大二年(1309年),察八儿乘内乱力图恢复窝阔台汗国,失败,东归元朝,1310年,察八儿被继位为元武宗的海山封为汝宁王。窝阔台汗国的领地被察合台汗国也先不花可汗吞并。」

「元武宗至大二年(1309年)、チャパルは内乱に乗じオゴデイ・ハン国復権を試みたが失敗し、元朝に亡命。1310年、チャパルは即位し元武宗となっていたカイシャンにより汝寧王に封じられた。オゴデイ・ハン国の領地はチャガタイ・ハン国のエセン・ブカに併呑された。

と記載されています。

少しずつ、年代や人物がずれているのを読み比べるのも面白いものです。(^^)v 

「カイドゥ」については、☟のURLの一番下にあるトルファンのページで「カイドゥの乱」とモンゴルの硬貨を数枚ご紹介しています。

良かったら、一緒にご覧くださいね。(#^.^#)

Wikipedia等の参考用URLです。☟

オゴデイ・ウルス - Wikipediaオゴデイ・ハン国

アリクブケ - Wikipedia

カイドゥ - Wikipedia

察八儿_百度百科 / チャパル - Wikipedia

せいあん!特別編_2018年夏 蘭州・カシュガル・トルファン・敦煌旅行記_7月4日(水):トルファン3日目_トルファン博物館(古銭)・地下ショッピング街・トルファン駅 - せいあん!

 

 

【4.イル・ハン国/紀元1258年~1335年】

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☟参考として訳します。(*^-^*)

チンギス・ハーンの第四子トルイの子・フレグが、1258年にバグダードに攻め入って後に建国。フレグ及びその継承者は自らを「伊利汗(イルハン)」と称した。テュルク語の「伊利(イル)」は即ち「従属する」という意味である。イル・ハン国の領土はペルシャ小アジアを中心に、東はアムダリアから、西は地中海に迫り、北はカスピ海黒海コーカサスを境界とし、南はペルシャ湾に至るという大国である。ヨーロッパ・アジア両大陸の文化が集まる地であり、交通の要衝でもあった。首都はタブリーズ(現イラン東アゼルバイジャン州)。

ガザン・ハン(在位期間:1295年~1304年)の時代は、宿弊の一掃、税率制定、駅伝制の整備、耕作と養蚕の奨励、貨幣及び度量衡の統一、法制強化、文治の提唱という一連の改革が行われ、ハン国の最盛期となった。さらにガザン・ハンは現地領主やムスリムの支持を得るため、シーア派に改宗、イスラム教を国教とし、「大ハーン」の称号を廃止しスルタンに改称、現地のモンゴル人のイスラム化を加速した。1335年、アブー・サイードには死後嗣子がおらず、ハン国は分裂瓦解へと向かった。1388年、ティムール帝国に併呑された。

Wikipediaの参考用URLです。☟

イルハン朝 - Wikipedia

フレグ - Wikipedia

ガザン・ハン - Wikipedia

 

 

ここまで四つもハン国を紹介したのに、一度も硬貨の写真が出てきませんでした。

その理由は・・・・・・。

見ていただくと分かるのですが、展示されているのが「イル・ハン国」のものだけなんです。(^^; 

四ハン国を代表して、イル・ハン国の硬貨をご覧ください!\(^o^)/☟

イル・ハン国/金貨/紀元1256年~紀元1335年】

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①、上の写真、上2列の左側です。☟

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②、上の写真、上2列の右側です。☟

f:id:shanshanduohuizi:20190211000552j:plain☝、下側左の硬貨は、①の写真の下側右とダブっています。

①②ともに、上段の硬貨がピンボケですみません。<(_ _)>

 

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☝上の写真の3段目左二つと、☟上の写真3段目右二つです。

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博物館で購入した書籍に掲載されている写真を貼ります。☟

イル・ハン国/金貨/紀元1256年~紀元1335年】

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イル・ハン国/ガイハトゥ/金貨/紀元1291年~紀元1295年】

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ガイハトゥはイル・ハン国の第5代君主です。

 

イル・ハン国/アルグン・ハン/銀貨/紀元1284年~紀元1291年】
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第4代君主です。

 

イル・ハン国/銀貨/紀元1256年~紀元1335年】

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全体写真の左上。☟

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全体写真の右上。☟

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全体写真の左下。☟

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☝の中の硬貨、まるでクッキーの型抜きで付けたような花型図案のものがあります!

可愛い~~~!!!(*^-^*)

 

全体写真の右下。☟

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博物館で購入した書籍に掲載されている写真です。

イル・ハン国/アブー・サイード・ハン/銀貨/紀元1316年~紀元1335年】

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イル・ハン国のパネル説明の最後に登場した第9代君主です。


以上で「モンゴル帝国及び諸ハン国」のご紹介を終わります。(*^-^*)

 

 

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最後に、ちょこっとだけ、春節の様子を!

最初はご近所、大唐西市城!\(^o^)/

2月9日は農歴の1月5日。

中国では「初五(チュー ウー)」と呼び、財産の神の誕生日を祝います。

このお祝いは「接財神」とか「迎財神」と言います。

そのお祝いのお祭りが、大唐西市城のシルクロード風情街でも行われました!\(^o^)/

企画を行ったのが友人だったので、ロシア人・キルギス人のクラスメイトと一緒に遊びに出かけました。☟

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始まる少し前、財神と一緒に記念撮影。(*^-^*)

 

☟、太鼓の演舞でスタート!\(^o^)/

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太鼓演舞が終了すると、財神が手に持っていた金色のお金型の入れ物から、金紙に包まれたチョコレートを見物客に振舞います。☟左

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☝の右側は、見損ねてしまった午後からの「変臉(へんれん)」。

「変面」とも紹介されています。

中国四川省伝統芸能の「川劇 (せんげき)」で、役者が顔に手を当てるとか、着ている民族衣装の大きくて長い袖や小道具として使っている大型の扇子で顔を隠す瞬間に、瞼譜が変わるというものです。

この役者さんのポーズが、衣装と相まって可愛い!💛!

午後、他を徘徊している間に終わっていて、とても残念でした。

 

次は、獅子舞が始まりました!!!☟

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スタンバイ中のこのお尻、プリティ!!!(*^▽^*)

 

ここから☟、獅子舞の動画からカットした写真を連ねます。

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☟は、左横にあった台上での演技です。

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右から左へご覧ください。(*^_^*)

前半の愛らしい動きと、後半のスリリングな技。

見どころ満載です!!! (^o^)/

 

下の広場の催しが終了した後は、シルクロード風情街2階を回りました。☟

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☟、しょっちゅう遊びに寄る「天堂眼」の前も!

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この後、お昼を食べに行った「紅堡 REDFORT」の前も!

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☟は、企画者の友人からもらった、古銭の陰からちょこんと顔を出す、可愛い獅子。

この写真を見た瞬間に、私の目は💛になってしまいました。(笑)


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☝の下側は、昔の遊びに挑戦する財神と、財神以上に金ピカな兵士。(笑)

 

これに私たちも挑戦!

写真は友人の様子です。☟

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かなり身を乗り出して真上から落とし込まないと、入りません。(^^;

私は1本も入りませんでした。(T_T)

以上、大唐西市城「初五」の様子でした。

 

最後に、昨年の2度に亘る敦煌旅行で知り合いになったMさんが、WeChatモーメンツにアップされていた写真です。☟

春節敦煌、ご覧ください!!!\(^o^)/

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懐かしい街並み!!!

敦煌の空は、春節期間も真っ青のようです。(*^-^*)


終わり。(*^_^*)