せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安大唐西市博物館(その62:3階シルクロード硬貨展示ホール_シルクロード東方 長安の貨幣_3.古銭五十名珍_三孔布幣・刀幣他)・武漢東湖桜園

2010年3月20日(水曜日)、晴れ。(*^-^*)

 

西安は今、春真っ盛りです!!!

冬場、スモッグ続きで拝むことができなかった青空も、蘇りました!!!\(^o^)/

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☝の上側は、朝、授業に行く途中に撮ったもの。

下側は夕方、校内を散策中に撮影したもの。

毎日、少しずつ色濃くなっていく木々の葉を見ているとワクワクします!!!

 

☟は昨日、西北工業大学校内で撮影した梅です。

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☟左のハクモクレンは、先週金曜日の状態。

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今はもう、花弁が散って終わりを迎えています。

右の花は、これからが見頃デス。

 

青空に映える桃と、夕闇の柳のシルエットと月。

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右の花壇の中では、真っ赤なボケが満開!

直近の目標は、今年こそ青龍寺に行き、日本から寄贈された桜を見ること!

昨年も行くには行ったのですが、人があまりにも多く、境内に入るのを断念しました。

だって、列になって中に入り、列になってゾロゾロ出てきていたんです。(^^;

今年は平日の午後にチャレンジしたいと思います!(^^)/

その他、西安城壁を囲む環城公園や、有名な交通大学の八重桜、その向かいの興慶宮公園にも行きたい!

西安の春は、とても綺麗なのです!!!(*^-^*)

 

 

では、随分間が開いてしまった・・・・・・、本題の「長安の貨幣」の紹介に入りたいと思います!

その前に、最初にまとめてお断りを!

素人なので、業界専門用語を正しく扱う自信がありません。

そのため、回りくどい表現になっている部分が多々あります。

さらに、日本語訳については、分からないところを博物館の解説員さんや学校の先生に尋ねて作成していますが、あくまで参考としてご覧ください。<(_ _)>

 

では、スタート!\(^o^)/

☟④の展示室へ向かいます!

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☟は、前回も登場した③の展示室から④の展示室へ続く短い通路の壁に掛けてある表です。

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前回、参考として訳したものですが、わざわざ見返していただくのはお手数なので、再掲しておきます。☟(*^-^*)

「古銭五十名珍」 とは、貨幣コレクターの間での、中国古代に歴史上発行され、かつ現存量が非常に少ない50種類の貴重な金属貨幣に対する総称である。それらは一貫して古銭界コレクターから高い評価を受けており、その収集価値・観賞価値及び研究価値は計り知れない。

☝の表の中で、数字の左横に「★」マークが打ってある26枚は、大唐西市博物館が所蔵しているものをしめしています。

その内、今回は☟ガラスケースの左半分に展示されている硬貨13種類(14枚)をご紹介いたします!\(^o^)/

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☝の写真左側に展示されている硬貨をアップにしました。☟

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ちょっと見辛いですが、それぞれの貨幣の名称が見えると思います。

照明が反射してまったく見えない上側の二つは、左が「壮泉四十 」、右が「大蜀通宝」です。

 

その13種類(14枚)、☟の「古銭五十名珍」 表の参考日本語訳の4枚に分散しています。(黄色マスキング箇所)

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ここでは、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載してある順にご紹介します。(*^-^*)

【三孔布】(表:②)

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円足布の一種。戦国後期の貨幣。貨幣界には趙幣・秦幣・中山国幣の三説がある。裏面の文字により、「大・小」に分けられる。丸みを帯びた首・肩・股・足、更に首と両脚にはそれぞれ丸い穴が開いていることから命名された。表面の文面は二十数種類あり、大部分が地名である。裏面には重量或いは額面を示す文字が記されている。「大」の裏面の文字は「一両」、「小」の裏面の文字は「十二銖」。釿布が重量と額面を記載するようになって以降、三孔布は「銖両」で重量と額面を表記するようになり、秦・漢及びその後の「銖両」貨幣の先駆けとなった。この種の布貨は発見されているものが非常に少なく、大部分が唯一無二であり、しかも多くは国外に流出しているため、非常に希少である。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(上)と、展示品です。

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 【「斉返邦長法化」刀貨】(表:⑤)

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斉刀とは、戦国時代に斉で鋳造発行された「斉返邦長法化」のことであり、俗に「六字刀」と言う。「斉返邦」は斉襄王が莒城から都城の臨淄に戻ったことを指し、これを記念して鋳造された刀貨である。表面の文字には「之」の字がなく、裏面輪郭には縁取りがある。その他の部分は早期の斉刀と同じである。この刀貨の文字は非常に美しく、精巧に作られている。鋳造数は少なく、後世での出土数は非常に少ない。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(左)と、展示品です。

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☟は、2018年7月、敦煌の鳴山路東側路面を撮影した写真です。

敦煌では路面を利用して、色んな文化や歴史を紹介しています。

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【圜銭(かんせん)】(表:⑥)

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圜銭は「環銭」とも称され、戦国末期、周王の畿内(王、皇帝などが住む都の周辺の地域を指す呼称)において、秦貨幣の影響を受け、或いは秦の占領下で出現した秦式の貨幣である。形状は円形円孔、表面には内側と外側に縁取りがあり、裏面はフラット。玉璧或いは紡輪(新石器時代に使用された生活器具。最初は石片制、後に陶製となった)に由来し、主に魏・東周・秦で流通していた。

紀元前441年、周考王が弟の掲を河南城に封じ、これを西周と称した。「西周」の圜銭は、西周の君主のために鋳造された。

紀元前367年、西周惠公がその末子の班を鞏に封じ、これを東周と称した。「東周」の圜銭は、東周の君主のために鋳造された。

 

 ☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(上)と、展示品です。

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 左側の「東」と言う文字は、ハッキリわかりますネ。(*^^*)

「西」は・・・・・・、少し分かりにくいような。

 

 

【「壮泉四十 」銭】(表:⑧)

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 新莽銭は始建国二年(紀元10年)に鋳造された。流通分野で比較的重要な地位を占めているものには、泉貨六品と布貨十品がある。「泉貨六品」とは小泉直一、幺泉一十、幼泉二十、中泉三十、壮泉四十、大泉五十を指し、「布貨十品」は小布一百、幺布二百、幼布三百、序布四百、差布五百、中布六百、壮布七百、弟布八百、次布九百、大布黄千を指す。その内、小泉直一は始建国元年(紀元9年)鋳造され、大泉五十は前漢の居摂二年(紀元七年)に鋳造され、始建国元年(紀元9年)に再度鋳造された。壮泉四十鋳造時の重量は九銖。貨幣の字体は懸針篆。「四」は「亖」と刻まれ、「泉」は下の写真(★)の部分が途切れている。筆の運びはなめらかで険しく、配置は均整がとれ、その作りは傑作と言うことができる。現存数が非常に少ないため、歴代のコレクターはみな非常に珍重し、このような貨幣1枚を収集するため、有り金をはたいた者もいる。

 

 ☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(上)と、展示品です。

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★部分の、参考写真です。☟

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大唐西市博物館の解説員が、数名の方に確認をとってくださって、やっとわかりました。

写真では、切れている部分が分かりにくいんです。(^^;

 

 

 

【「国宝金匱直万」銭】(表:⑨)

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新莽時代に鋳造された貨幣。上部の形状は円形方孔、上下右左の順に読む篆書の「国宝金匱」の四文字がある。下部は方形をしており、二つの縦向き紋様の間に、篆書縦書きで「直万」の二文字がある。「直万」は貨幣価値を示し、この貨幣1枚で五銖銭一万枚に値する。この種の古銭は非常に珍しく、現存しているものは僅か数枚であり、たいへん貴重である。

研究により、この貨幣は王莽の新朝で実行された黄金国有政策の産物であることが分かった。当時、朝廷は民衆に黄金を政府に引き渡させ、この貨幣を証書として渡していた。このため「国宝」は貨幣としての機能を持つだけでなく、政府の財務証書としての意味をも有していた。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(左)と、展示品です。

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この貨幣、 キーホルダーみたいな形状ですネ。(*^^*)

 

 

 【景和銭】(表:⑬)

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南朝宋の前廃帝(劉子業)が景和元年(紀元465年)に鋳造した貨幣で、年号銭である。表面の文字は「景和」と横に読み、書体は小篆、重量は二銖、貨幣の形状は薄くて小さい。前廃帝はこの年の8月1日に景和と改元し、9月戌午(28日)からこの貨幣の鋳造を開始したが、宋明帝(劉彧)が12月1日に即位し泰始と改元するまでのわずか2ヶ月しか製造されていないため、あまり鋳造されていない。そのため現存数が極めて少なく、めったに目にすることができない。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(左)と、展示品です。

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実物が小さく、もともと文字がはっきり見えていないため、写真だといっそうボケボケになってしまいました。<(_ _)> 

 

 

【永安一千】(表:㉗)

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永安銭は五代十国時代に幽州に盤踞していた盧龍節度使の劉守光親子が鋳造したもの。素材は鉄・銅の二種類に分けられ、表面の文字は、「永安一十」・「永安一百」・「永安五百」・「永安一千」の四種類。「一十」・「一百」・「五百」・「一千」は貨幣価値を示している。「永安」の二文字は右から左へと横に読み、額面を示す二文字は上下に読む。銅銭は精巧な作りで、サイズは大きく重厚である。表面・裏面とも輪郭に縁取りがあり、文字は真書体、多少隷書体の影響を受けている。永安一千には銅・鉄の二種類があるが、銅銭の現存量は非常に少なく、非常に高価であり、古銭の貴重品である。鉄銭の現存量も少なくなってきており、高値がつく。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(上)と、展示品です。

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 この貨幣は実物が大きいので、ハッキリ写せました。(*^^*)

 

 

 【天策府宝銭】(表:⑳)

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五代十国時代の楚銭。馬殷が後梁太祖朱全温に天策上将軍に封じられ、天策府を建築したことを記念し、後梁乾化元年(紀元 911年 )、天策府宝を鋳造した。銅・鉄二種類の楚銭がある。この貨幣は作りが精巧で美しく、大きく厚みがある。裏面には文字や図案はない。表面には「天策府宝」の文字があり、時計回りに読む。真書体。明快な筆跡で、字体は古風で雅である。「十国紀年」の記載によれば、城内では鉄銭を発行使用していたが、城外では銅銭を使用していた。「十国紀年」で言う「城内・城外」とは、「国内・国外」を指すと考えられる。銅銭には裏面の龍が刻まれたもの、及び金メッキされたもの等もある。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(上)と、展示品です。

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【永平元宝】(表:⑰)

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五代十国時代前蜀銭。前蜀の皇帝である王建が永平 年間(911年~915年)に鋳造。貨幣の裏面に文字や図案はなく、表面には「永平元宝」の文字があり、時計回りに読む。隷書体。硬貨は小さめで、小平銭(小銭)に属す。文字の作りはおおざっぱである。現存するものは非常に少ない。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(左)と、展示品です。

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 【大蜀通宝】(表:⑲)

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五代十国時代後蜀銭。この硬貨の史誌は不完全のため、鋳造時期は不明であるが、硬貨の文字・形状は広政通宝に近いことから、孟昶(もう ちょう)広政(938年~965年)年間に鋳造されたと考えられる。表面の文字の「大蜀通宝」は隷書体で上下右左の順に読む。現存するものは非常に少ない。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(左)と、展示品です。

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【天徳重宝(裏面「殷」)銭】(表:㉒)

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五代十国時代の閩銭。閩の皇帝王延政の天徳年間(紀元943年~945年)に鋳造された大銭。銅・鉄の二種類があり、当百として使用された。貨幣上の文字は「天徳重宝」、上下右左の順に読む。隷書体、筆跡は勇壮で、独特の風格がある。史書の記載では、942年、王政延は建州に国を建て、皇帝を自称し、国号を大殷とした。そのため、この貨幣の裏面上部に「殷」の文字が鋳造されている。王政延は在位期間が短かく(2年半のみ)、政権はあまり安定せず、鋳造された貨幣も少なかったため、現存するものは非常に少ない。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(上)と、展示品です。

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 【応暦通宝】(表:㊱)

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遼の穆宗皇帝(耶律璟)の応歴年間(951~969年)に鋳造された。銭文は粗く、裏面にはなにもない。様式は小平銭、銅は暗紅色を呈している。現存しているものは僅か数枚しかなく、非常に貴重であり、古銭五十名珍の一つとなっている。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(上)と、展示品です。

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 【靖康通宝】(表:㉚)

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北宋欽宗(趙桓)の靖康年間(紀元1126~紀元1127年)に鋳造された。現在見ることができる「靖康」銭には、「靖康通宝」と「靖康元宝」の二種類があり、銅製と鉄製の二種類がある。貨幣の額面には、小平・折二・折三の三種類があり、書体はそれぞれ篆書・隷書・真書の三種である。
北宋欽宗は僅か16ヶ月の在位で捕虜として北方に連れ去られたため、「靖康」銭の鋳造量は少なく、特に「靖康通宝」はレアであり、貴重である。

 

☟は、大唐西市博物館で購入した書籍に掲載されている写真(上)と、展示品です。

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以上で、「長安の貨幣」展示ケースの左側の紹介は終了です。(*^^*)

 

💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛


最後に、おまけの武漢東湖「桜園」の様子を!\(^o^)/

 

3月16日と17日の週末、武漢へ遊びに行ってきました。

目的はもちろん、友達に会うこと。

更に、東湖にある桜園!(*^^*)

 

では、さっそく園内に入ってみましょう!

ここ☟は、入り口のすぐ側。

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ソメイヨシノではない種類の桜が満開でした。

この冬、例年に比べ武漢は雪が多く、3月に入ってからも雨続き。

そのため気温が低く、開花時期が当初見込みより随分遅れているようです。

桜まつりの期間も延長の案内が出ていました。

 

園内を回ってみると、一部の桜やレンギョウなどは綺麗に咲いているのですが、目当てのソメイヨシノはまだまだ。(T_T)☟

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☝☟で、枝状態の木々は、全てソメイヨシノです。

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これらが全部咲いたら、壮観だろうな~。

ここの桜は、毎年、日本人の専門家がいらっしゃって手入れをされています。

だから咲いたら絶対きれいなはず!

 

だったら、5年も武漢にいた間に見に来ればよかったンじゃないの?と思われるかもしれません。

来たかったのは山々なのですが、あまりに人が多く、恐ろしくて近寄れなかったんです。

この日、まだメインのソメイヨシノが咲いていないので、園内はまだ空いていました。

チケット売り場に到着したのも、午前10時前と早め。

なので来る時はさほど渋滞していなかったのですが、11時半、バスに乗って市内に戻る頃には、渋滞に巻き込まれてしまいました。

これが桜最盛期になると、渋滞で車は前に進まず、自家用車で来たなら、やっと目的地に着いても、駐車する場所ナシ。

しかも、やっとスペースを見つけて車を駐車し門前まで来たら、入場制限中・・・・・・。

私には、とてもとても近寄れませんでした。(T_T)

 

この木はとっても綺麗に咲いていました。(*^-^*)☟f:id:shanshanduohuizi:20190320205154j:plain

他にもほぼ真っ白な花びらのものや、桜の下の立入禁止エリアには紫の花が満開。
それだけでも、かなり幸せ。♡

それに、武漢時代の同僚が付き合ってくれて、とても楽しかったのです!!(*^_^*) 

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いつもなら風景がほとんどの写真が、今回だけは圧倒的にポートレートが多くなりました。(笑)

因みに、入場料は一人60元です。(1元=16元で換算すると、960円)。

これで、今回は終了です。(*^^*)