せいあん!

西安が大好き、特に大唐西市周辺に異常な愛情を捧げるブログです。

西安博物院:(その1)薦福寺・小雁塔

2019年6月8日(土曜日)、晴れ。

中国は現在、端午節の連休中です。

端午節と言えば、中国では粽子(ちまき)や緑豆糕を食べます。

☟は、中国人の友人が作った緑豆糕。

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この内の一箱と、緑豆糕(緑豆味と抹茶味)の上に並んでいるわらび餅みたいな食感のお菓子(ココナッツ味と抹茶味)をもらって大感激!

抹茶は京都旅行の際に買って来たものだそうで、風味は格別!

 

西北工業大学でも、今年は緑豆糕を自作するイベントがありました。☟

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この緑豆糕には胡桃や棗餡等が入っています。

回民街で売っているのは、このタイプが主流です。☟

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友達手作りの粽子ももらいました。☟

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冷凍したので、ちょっと表面が白くなってます。(^^;

 

これら食べ物以外に、数日前、授業で「香包」というものを身に付ける風習がると習いました。 ☟

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☝は、西北工業大学西門側で、手作りの「香包」を自転車にぶら下げて販売している様子です。

恥ずかしながら、私は今年初めて「香包」を知りました。

それを聞いた先生、生徒みんなに「香包」を買って来てくださいました。☟ 

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縫い目が目立ちますが、こちら側の方が「福」の字が多いので、写真にはこの面を採用。(笑)

中にヨモギの葉を詰めて、縫い合わせてあります。

ヨモギの匂いには、虫よけ効果があるからだそうです。

武漢にいた頃、マンションの管理会社がすごく丈の長いヨモギを準備し住民にくばrち、住民はそれを入り口の扉にぶら下げていました。

その理由も、虫よけでしたっけ。

既に蚊が飛んでいるのを見かけたので、効果があるといいなぁ~。(*^-^*)

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

では、今回の本題に入ります!\(^o^)/ 

2019年5月29日(水曜日)・30日(木曜日)の午後、西北工業大学と同じ友誼西

路にある小雁塔の見学に出かけて来ました。(*^-^*)

29日、出発する頃から雨が降り始め、西安博物院のチケット受領所前に到着した時には雨脚もかなり強くなっていました。

30日は、薄曇り。

この二日の写真をミックスして写真レイアウトを行ったので、雨模様と薄曇りの景色が入り混じっています。(^^;

 

それでは、西安博物院に入りましょう!\(^o^)/

目次

【チケット売り場】

小雁塔は、薦福寺境内に建立された塔です。

西安博物院は、小雁塔・薦福寺境内・博物館で構成されています。

 

【北門のチケット受領窓口】

バスを降りて少し歩くと、西安博物院の入り口の一つ「北門」に到着しました!☟ 

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西安博物院の目玉は、何と言っても小雁塔。

小雁塔は中国・カザフスタンキルギスの三か国が共同で世界遺産に申請。

2014年に「シルクロード長安ー天山回廊の交易路網」の一部として、世界遺産に登録されています。

なので、入り口の扁額も、道路沿いに設置された石碑も、「小雁塔」と大きく書かれています。☝☟

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この友誼西路にある北門と、朱雀路中段にある西門(博物館側)に、身分証明書やパスポートを提示して、チケットを交換する窓口があります。

こちら☟は、北門の窓口。

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【西門チケットセンター】

ここから少し、西門周辺の様子をご紹介しますね。☟

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☝は、6月6日、この記事を書き始めてから、必要を感じたので再度出かけ、撮影して来ました。

近くに住んでいるって、便利です。(笑)

上の写真の一番左に、背の低い建物の白い屋根が見えると思います。

あれが、チケットセンター(票务中心)です。

 

少し開いている伸縮ゲートの間を通って、中に入りました。

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正面に見える像。☟

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二つ目のシャッターの上に手を上げて撮影。

中に入ったみたいでしょう?(笑)

 

写真の女性のように、手前にある入り口を横目に見ながら前を素通りして・・・・・・。☟

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博物院西門前の敷地の北の端まで行き、身分証明書(パスワード)を提示してチケットを入手します。☟

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同じ方を写していたとは、写真を撮った時には気付いていませんでした。(笑)

偶然ではありましたが、この女性のご協力に感謝します!(*^▽^*)

上の写真の女性が写っている辺りから、入り口を振り返ると・・・・・・。☟

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ちょっと距離がありますよね?

この位置関係が逆なら、まっすぐ進むだけなのでさほど面倒には感じないのですが、引き返すというのが、煩わしい~?(笑)

後は、入り口で手荷物検査を受けて敷地内に入るだけです。

 

では、北門へ戻ります!(^_^)/

こちら☟は、入手したチケット。

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注意事項:

通常、中国の博物館は月曜日が休館日です。

でも、西安博物院は火曜日が休館日!ご注意ください。(*^-^*)

 

【北門入場口周辺】

それでは、「小雁塔」と書かれた扁額の下を通って☟、中に入りましょう!(^_^)/ 

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この先をまっすぐ行くと伸縮ゲートに遮られ、中には入れません。

左寄りに進みます。

 

左手にお手洗いがあります。☟

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境内にはお手洗いが見当たりません。

ところどころ見かける案内板の矢印は、この手荷物検査兼チケットチェックゲート側のお手洗いを指していました。

博物館まで行けばあるのですが、そこまでは少し時間がかかります。

入場時にどうしようかな~と思われたなら、迷わずここをご利用ください。(*^-^*)

☝は29日、雨の日の午後。

☟は30日、晴れの午後。
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団体観光客は晴雨に関わらずやって来ましたが、個人観光客の人数は大きく異なりました。

 

遠い遠い昔、2000年7月。

西安から河北省秦皇島へ転校する前にやって来た時は、まだ博物館はなく、晴れた昼間でも境内はし~んと静まり返っていました。

その時は、私以外、誰もいなかったんです。(笑)

後で紹介する展示物や土産物売り場もなし。

静かで心地いいと感じると同時に、私のかすかな足音でさえ静寂を破っているような居心地の悪さも感じたり。

写真だけ撮って、素早く境内を後にしましたっけ。(笑)

現在は博物院として整備され、世界遺産にも登録されて、昔とは注目のされ方が違いますね。

 

【観光案内】

ゲートを通って中に入り右へ少し進むと、西安博物院内の観光案内板がありました。☟

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日本語の案内も右下にあったので、拡大しておきます。☟

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ここで紹介されている博物館に展示されている文物は、(その2)でご紹介する予定です。(*^-^*)

 

【観光ルート】

こちら☟は、観光ルートの案内です。

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私はこの地図の矢印通りに見学したのですが、建物の扁額や、石碑の下にいる亀(?)の向きからすると、逆行感を感じずにはいられませんでした。

案外、西門から入って先に博物館を見学し、南山門から北へ向かって移動するのもいいかも知れません。

でも、小雁塔を早く見ようとすると、こういう見学ルートになるのかも?

 

ちなみに、☟両石碑の下に、亀はいません。☟

 

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向かって左は、清代に建てtられた「重修薦福寺碑記」碑。

右は明代末期に建てられた「重修薦福寺地蔵王殿」碑。

 

【小雁塔】

この石碑の間を通り、「白衣閣」の下を通って、小雁塔へ。☟

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左、小雁塔、北側。

右、北西から。

 

北西側、真下近くから見上げた屋根。☟

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☟左は、真西から。
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☝右は、南側、西斜め下から。

オレンジの花は、西安市の花、ザクロです。

 

南側には、小雁塔の下左右に石碑、更に小雁塔の説明もありました。☟

 

 

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あまり大きさが変わりませんが、一応、石碑のアップを。☟(^^;

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左は「薦福寺起源」碑。

右は「補修薦福寺宝塔記」碑。

 

これから入る「蔵経殿」の階段を上がったところから撮影。☟

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晴れの日と、雨の日の雰囲気の違いをどうぞ。(*^^*)

階段の前に設置されている看板には、「塔内点検修理中につき、一時開放中止」とあります。

  

【蔵経殿】 

蔵経殿の中の様子です。☟ 

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展示順だと、この蔵経殿は北側から入るのが正しいのでしょうか?

 

正面に「薦福寺・小雁塔歴史展」の序文があり、右回りで年代が新しくなっていきます。

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この部分、参考に訳してみます。(*^^*)

唐代は中国史上の黄金期であり、その首都である長安は、当時、世界で最も雄大な規模を誇る都市だった。紀元8世紀に創建された薦福寺は、長安城内の著名な皇室ゆかりの寺院であり、小雁塔はその薦福寺の仏塔である。

千年の変遷を経て、昔日、繁栄をみせていた唐代の薦福寺は戦乱により荒廃してしまったが、小雁塔は破壊を免れ千三百年余りに亘って巍然と聳え立ち、現在まで姿を留める唐長安城の代表的な建築物となり、その名声は天下に伝え広まった。

今日、唐代に建築された小雁塔と明清代に建築された薦福寺の古い建築群は、その両方により完全な歴史文化遺産を構成し、古都西安の千年に亘る発展の証人となっている。

 

では、右側から簡単に見ていきましょう!

【1.唐代薦福寺小雁塔(紀元618~907年)】

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(参考訳)

唐代、仏教は大いに栄え、薦福寺の仏事も非常に繁栄し、国内外の高僧が雲集していた。薦福寺は国家三大仏典翻訳機関の一つであり、首府の皇帝一族や貴族・風雅な文人・民間の庶民が崇敬するカルチャーセンターであった。

 

以下のようなパネルと文物が展示されています。

最初のコーナー。☟

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【寺額「勅賜薦福寺」】

上の写真、死角になって見えていない右側の壁のパネル。☟

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参考に訳してみます。(^_^)/

武則天が与えた寺の名称が、後世でも代々踏襲された。現存する寺院の南山門上にある「勅賜薦福寺」の寺額は、明の正統年間(紀元1436~1449年)に英宗皇帝の手によるものである。

左の人物像は唐の中宗、右側は武則天です。

武則天の画像の下に書かれた説明も参考に訳してみますネ。(*^^*)

薦福寺は唐の文明元年(684年)に創建。当時、政権を掌握していた皇太后武則天は逝去した夫・唐高宗李治の追善のため、開化坊にある三男李顕の英王府旧宅を寺とした。寺の最初の名は献福寺。天授元年(紀元690年)、女性皇帝となった武則天は献福寺を薦福寺と改名し、自ら飛白体の寺額「勅賜薦福寺」を書いた。

 

☟、右壁下部:唐代薦福寺境内の様子。

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☟、中央のパネルと、その下に置かれた線刻石門枠。

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線刻石門枠:唐代(紀元618年~907年)薦福寺旧蔵

 

左側壁の パネル「漢唐都城図」の唐城部分の模写。☟

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赤枠で囲んである部分が、唐代長安城内の薦福寺と小雁塔の位置です。

 

【義浄】

隣のコーナーに移動します 。(*^^*)/

ここでは「義浄」について説明されています。☟

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☝写真の左上、赤線で示されているのが義浄の渡航ルートです。

『紀元672年に広州を出発、インドへ渡り、25年の歳月を経て30余国を遊歴。694年に帰国。持ち帰った梵語の経・律・論経典はおよそ400部』

と説明があります。

※地図の下には「694年回国」と記載、人物像下の紹介では、「695年回到洛阳」と記載。

 

上の写真右上、義浄の概要部分をアップにしました。☟

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参考として訳してみます。(*^-^*)

【義浄 (紀元635~713年)】

俗姓は張、字は子明、斉州(現在の山東済南)の人。七歳の時、故郷で出家し僧となった。紀元671年、海路にてインドへ取経に赴き、695年に洛陽へ戻った際には、武則天が自ら洛陽の上東門外で出迎えた。706年、唐の中宗が義浄を薦福寺へ迎え入れ、仏典翻訳機関の主催を任せた。寺に滞在した七年間で、経・律・論の仏教経典合計31部、106巻を翻訳した。玄奘に次いで、経典翻訳における功績が最も大きい人物である。713年、義浄は薦福寺にて入寂長安の延興門の東、陳張村に葬られた。

以下☟は、参考にさせてもらったWikipedia百度百科のURLです。

義浄 - Wikipedia

大薦福寺 - Wikipedia

义净_百度百科

 

こちら☟は、上のパネルの右側面にあった「唐代長安著名寺院一覧表」。

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ピンクで囲っているのは、日本に関わり合いがある部分です。

参考に、簡単に訳してみますね。(^^)/

一つ目は「青龍寺」で、空海の名前があります。

二つ目は「西明寺」。奈良にある大安寺は、この寺を模して建設されたとあります。

三つ目は「宝慶寺」。「現在は塔が一基残っているだけだが、元宝慶寺から出土した20余の仏像は日本に収蔵され、東京博物館の重要な収蔵品となっている」と記載。

 

「唐代長安著名寺院一覧表」と向い合せの位置にあったパネル。☟

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このパネルでも、「日本」という文字を発見!

下段の3人の僧侶は、日本神護寺が収蔵している金剛智・不空・善無畏の画像だそうです。

 

上のパネルの向かって左隣には、拓本と線刻画があります。☟\(^o^)/

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拓本の一番上は、「小雁塔南門楣飛天供養線刻」(唐代)。

拓本左側は、「上都薦福寺臨壇大戒徳律師之碑」(唐・大暦六年・紀元771年)。

碑は陝西省涇陽県太壺寺内に現存。

拓本右側は、「大薦福寺重修塔記」碑。(北宋・政和六年・紀元1116年)薦福寺所蔵。

 

足元の線刻画☟は、「小雁塔北門楣」(唐代礼仏伎楽線刻画)

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拓本と線刻画の左隣にあった「唐代薦福寺主要滞在高僧一覧表」。☟

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ここでは、日本の僧・円仁の名を見つけました。(*^^*)

 

 

ここから、時代が変わります。

【2.宋ー清代薦福寺小雁塔】 (紀元960~1911年)

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参考として訳します。(^_^)/

唐末以降、度重なる戦乱により薦福寺は次第に廃墟と化していったが、小雁塔は依然として聳え立っていた。明清の時代、唐代薦福寺の塔院基礎の上に薦福寺を重修した。その規模はかつての様子を再現、文化を伝承して今日に至る。

 

上述の「宋ー清代」説明パネルの側面には、☟のようなパネルがありました。

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☝のパネルと向かいあったパネル☟。

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上二つのパネル間に展示された、明代(紀元1368~1644年)の「太少双獅石刻」。

1998年、薦福寺塔院から出土。

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この左手が、蔵経殿南側出入口です。

 

南側出入口の正面には、☟の拓本がありました。

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「重修薦福寺碑記・薦福殿堂図・薦福地糧記」碑(拓本)

清・康熙三十一年(紀元1692年) 薦福寺旧蔵

  

【鐘楼・武挙題名碑拓本】

南側出入口に向かって左手に展示されているパネルの数々です。☟

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上段で紹介されているのは、境内にある鐘楼です。

都合よく紹介文があるので、ここで参考に訳してみます。

鐘楼の写真は、境内の見学ルートの順番が回って来た時にご紹介します。(^_^)/

鐘楼内には、金代明昌三年(紀元1192年)鋳造の鉄鍾が現存している。この鐘はかつて陝西の武功崇教禅院にあったが、清の康熙年間(紀元1662~1722年)に薦福寺に移管された。寺僧は毎日朝夕規則正しく鐘を打つが、その鐘の音が遠くまで鳴り響き、人々を夢から目覚めさせたことから、次第に明清時代の著名な「漢中八景」の一つ、「雁塔晨鐘」の名勝古跡となった。

左側の鐘が、現在は鐘楼内に保管されている「金代明昌三年(紀元1192年)鋳造の鉄鍾」の写真だそうです。

 

上のパネルの下段、縦長の写真は、清乾隆四十五年(紀元1780年)「庚子陝甘武闈雁塔題名碑記」の拓本です。

明清の時代、西安府で武科郷試に合格した挙人が、小雁塔の下で石に名を刻んだという唐代の人の習俗を真似ることが、当時の流行となっていた。現在でも当時の武挙題名碑が15基保存されている。(注:参考訳)

 

☟は、説明を見ると、1986年薦福寺出土の、清・乾隆四十六年(紀元1781年)「庚子陝甘武闈雁塔題名」碑となっています。

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でも、パネルの写真も「庚子陝甘武闈雁塔題名碑記」なら、紀元1780年も紀元1781年も「庚子」になってしまいます。

 

そこで、じっくりパネルの写真と出土した碑を眺めていたら・・・・・・。

パネルの拓本には、「皇清」の下に、「癸酉科題名記」の六文字が!

更に、左端には、「乾隆拾捌年拾壹月吉日立(紀元1753年11月吉日建立)」の文字もアリ。☟

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Wikipedia及び百度百科によれば、「乾隆拾捌年(紀元1753年)」の干支は、「癸酉」で間違いありません。

と言うことは、このパネルの拓本の説明は、間違い?(^^;

 

更に、出土品の説明にある「乾隆四十六年(紀元1781年)」の干支は、Wikipedia及び百度百科では「辛丑」となっています。

石碑の左端にも、「乾隆辛丑三月」という文字が見て取れます。☟

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この石碑が作られたのが「辛丑」なら、説明にある「庚子」とは一年のズレあり。(^^;

ここまで見てきて、ブログをどうまとめればいいんだろう???と混乱です。(T_T)

『もしかすると、「実物及び写真」と「説明内容」が一致していないかもしれません。』

と問題提起して、ここは通り過ぎたいと思います。m(__)m

 

☟の一番上文字部分:(参考訳)

明代後期以来、西安地区はしばしば地震に見舞われた。地震は小雁塔の頂部を崩し、塔身には亀裂が入ったが、その隙間は「開いたり閉じたりした」。このことから、小雁塔の亀裂は地震により奇跡的にふさがった(神合)との伝説が生まれた。写真は、明の嘉靖三十年(紀元1551年)、官職を辞し帰省していた王鶴が、途中薦福寺に滞在した際、小雁塔北門楣に残した「雁塔神合」地震題記。

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☝のパネル、下2枚の写真は、清末に、日本人「足立喜六」氏が陝西高等学堂で教鞭をとっていた際、撮影したものです。

2枚目には、小雁塔と大雁塔が写っています。

当時は、この二つの塔が一望できるほど、視界を遮る建造物が何も存在していなかたんですね~。

 

次のパネルです。☟

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ここで注目したのが、小雁塔に残る砲弾の痕です。(☝右、真ん中)

1926年4月~11月にかけて、劉鎮華は十万の「鎮崇軍」を率い、直系軍閥の呉佩孚の支持の下、陝西国民軍に攻勢をかけ、8ヵ月に及び西安を包囲攻撃した。楊虎城・李虎臣は各軍の英雄をまとめて抵抗した。見晴らしのきく要害の建物である小雁塔は、城南の主戦場で戦火の破壊に見舞われ、塔には多くの弾痕が残された。(参考訳)

 

もう一つが、下真ん中にある地図です。☟

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民国二十二年(紀元1933年)の、西安市区地形図に描かれた薦福寺小雁塔。

 

こちら☟は、小雁塔修復の様子。

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最後、北側入り口側の売店横に、世界遺産登録に関するパネル。☟

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これで、蔵経殿内を一周し終えました。(*^-^*)

 

【大雄宝殿】

大雄宝殿の北側入り口から、蔵経殿と小雁塔を撮影。

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蔵経殿と大雄宝殿の間の空間は、記念写真にもってこいのようで、人の姿が途切れることがありませんでした。(^o^)

大雄宝殿に入ります!\(^o^)/☟

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この「シルクロードの明珠 小雁塔」のパネルは、大雄宝殿南側出入口に設置されています。

序文があるのですが、内容は蔵経殿の展示物の説明と重なるので、訳さず先へ進みます。(*^-^*)

 

序文パネルから左側の様子。☟

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唐や明清の時代に関する展示です。

 

序文パネルから右側の様子。☟

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右側の壁に沿って、義浄に関する展示が続きます。

 

中央には、名称と時代しか情報がない展示物が陳列されています。

4つの内の2つです。☟

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薦福寺から出土したものなのか尋ねたのですが、回答は「分からない」でした。

それも仕方ありません。

大雄宝殿内にいたのは、観光ルート案内のデスクに座っていた女性お二人のみ。

お二人は専門家ではないのです。(^^;

 

この大雄宝殿と、先ほどご紹介した蔵経殿。

展示内容が被る所が多くあります。

そこで、新たな情報を中心にご紹介していきたいと思います。(*^-^*)

 

【密檐式の傑作 経典の翻訳機関ーー小雁塔の価値】
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参考として、訳してみます。(*^-^*)

仏塔の起源は古代インドの墓塔で、紀元前3世紀中葉に出現した、最も古い仏教建築形式の一つである。小雁塔は密檐磚塔という建築形式であり、インドの仏塔が早期に中国長安地区に伝来した貴重な例証であり、東西文化の交流と融合を凝縮して体現している。小雁塔が建っている薦福寺は唐代の勅令により建造された皇室の寺院であり、国立の仏典翻訳機関「翻経院」を備え、長安における三大仏典翻訳機関の一つである。ここは宗教遺跡として、仏教がインドから東伝した歴史の証人であり、「シルクロード」文化交流の例証である。

蔵経殿のパネルの訳では固有名詞が登場せず、「仏典翻訳機関」と訳していた機関名

ここで「翻経院」だと説明がありました。(^_^)/

 

☟左部分は、塔の建築様式を紹介していました。

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柱の右側のパネル。☟

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仏塔に関する紹介と、「国立翻訳機関」に関しての説明コーナー。

 

【国立翻訳機関】

以下☟、「国立翻訳機関」についてです。

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薦福寺は中国の仏典翻訳史上著名な「長安三大翻訳機関」の一つである(残り二つは、慈恩寺・興善寺のもの)。唐の中宗・睿宗・玄宗の開元期、国家が直接管理する文化機構「翻経院」は薦福寺に設置され、義浄・金剛智・法蔵等の仏典を翻訳する東西の僧侶がここで経典を訳し仏法を伝授した。仏教発展の過程において経典を伝播した重要な寺院である。(参考訳です。(*^-^*))

 

☟は、蔵経殿の説明と同様です。

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☟左、神龍二年(706年)薦福寺義浄翻経院人員構成表。

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☝右、薦福寺義浄翻経院翻訳仏典一覧表。

 

【高僧雲集】

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参考に訳してみます。(*^-^*)

盛唐の薦福寺は、皇室寺院として雄大壮麗で繁栄し、多くの「シルクロード」沿線の東方・西方の僧侶及び学者を引き付け、ここに来て仏法の教授・仏典翻訳或いは求法を行わせ、また、仏教伝播の過程において宗派義塾が交流するための重要な寺院であった。

 

☟のパネルは、ここまでで名前が登場した「法蔵・金剛智・円仁」と「実叉難陀」の4名の紹介です。

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「遺産の保護・文化の伝承」ということで、1957年に西安市文物管理委員会が小雁塔に設置されたことなどが紹介されています。☟

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☟、義浄による「大唐西域求法高僧伝」などが展示されています。

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右隣りには、寺と塔の修繕、保護管理の状況がまとめられていました。☟

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こちら☟も、保護管理に関するパネルです。

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各種行事が行われた様子も紹介されていてます。

その中には、2008年北京オリンピックの聖火が西安にやって来た際、式典が小雁塔で行われた様子もあります。

 

以上、序文が書かれた「シルクロードの明珠 小雁塔」のパネルから見て右側のご紹介でした。(*^-^*)

 

続きまして、序文が書かれた「シルクロードの明珠 小雁塔」のパネルから見て左側を見て行きます。☟

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寺と塔のレイアウトや、歴史の変遷に関するパネルがあります。

 

上の壁の右手に、唐代の手形のついたレンガ(小雁塔修繕時に保管されたもの)や、十一面観音頭像等が展示されています。☟

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その☝隣の壁。☟

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左上:小雁塔と薦福寺が長安城内のどの位置にあたるかを示した地図。

左下:宋代政和六年(紀元1116年)、小雁塔を修繕した際の「大薦福寺重修塔記」碑

右側は、蔵経殿で紹介されていた内容とほぼ同じ。

薦福寺がもとは中宗皇帝李顕の旧宅であったことや、唐中宗の時代に義浄浄が翻経院で仏典翻訳を行ったこと、唐中宗が薦福寺を何度も巡幸したことなどが、その出典と共に紹介されています。

 

【 武挙題名碑拓本】

☟、右の薦福寺の図面は、蔵経殿でも見かけました。

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真ん中のパネルにご注目。(^_^)/

武挙題名碑、またしても登場!

明清の時代、陝西地方の郷試に合格した武挙人が、唐代の進士が慈恩寺塔(大雁塔)下で名を記したことを真似し、薦福寺小雁塔の下で石に名を刻んだことから、「雁塔武挙題名」という習慣が形成された。(参考訳です)

この碑は、「明万暦四十六年(紀元1618年)の『明武科題名記』碑」と紹介されています。

そして、拓本のタイトル部分、たぶん「明武科題名記」であっています。☟

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「たぶん」というのは、何となく漢字の形が似ているから。(笑)

その他、碑文の文字の中に、「萬暦四十六年戌午」を発見しました!\(^o^)/

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気分がいい~~~デス。

 

☟、左は「漢中八景」の説明(鐘楼の鐘について)。

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☝、真ん中上は、明嘉靖三十年(紀元1551年)小雁塔北門楣「王鶴題記」。

かまぼこ型の黒い拓本の一部は、蔵経殿の説明にも登場しています。

☝、真ん中下左は、清康煕二十九年(紀元1690年)「補修薦福寺宝塔碑記」碑の写真です。

これは、小雁塔南側階段の右側にある石碑のことです。

☝、真ん中右は、民国時代の小雁塔と薦福寺大殿。

 

そして、上の写真一番右は、1964年、修繕前の小雁塔塔身の亀裂を写したもの。

これだけ、アップにしました。☟

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参考として、訳しておきます。(^^)/

1962年、小雁塔を実測した際、 「塔の基座幅は狭く、僅か20平方メートル(?)しかなかった。地震による亀裂は南北それぞれに一本、頂上から二層までを貫通していた。これに伴い各層の穴の上にあるアーチは破損し、また部分的に陥没していた。ひさしの角は風雨に浸食され、崩れていた。(清代以来、)塔頂は存在していない。

 

こんな状態で、よくぞ塔身が真っ二つに 裂けて崩れてしまわなかったものです。

「神合」、すごい!!!

 

以上で大雄宝殿のご紹介を終わります。

それでは、外に出ましょう!\(^o^)/

 

☟は、大雄宝殿の南側。

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扁額が掛かり、狛犬が門の両脇を守り、その側に大雄宝殿の説明文もあります。

 

【樹齢1300年の木々と石碑の亀】

ここから南側を眺めると、樹齢1300年と紹介されている木々に囲まれて、石碑が4つ並んでいます。

その向こうに、慈氏閣のアーチも見えます。☟

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では、前進!(*^-^*)

石碑も一基ずつ写しているのですが、あまり興味がなかったので、足元の亀(神獣?)の横顔をごらんください。四体ともそれぞれ個性がありますよ。(*^▽^*)

大雄宝殿の方(北)に向かって、右の亀から。☟

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一番右の亀は、顔が柵にくっついてしまって、すごく窮屈そうでした。

 

こちら☟は、樹齢1300年の古木ーー槐。

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☝の槐、☟のように石碑の前に枝を伸ばしています。

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こちら☟も同じく、樹齢1300年の槐。

f:id:shanshanduohuizi:20190531200500j:plainどの古木も、枝が折れたりしないよう、支えが施されています。

 

【慈氏閣と鐘楼・鼓楼】

古木の間を抜けて、慈氏閣とその側にある鐘楼へ、Go!\(^o^)/

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慈氏閣は、側面にある階段を利用して、上に上がることができます。

慈氏閣の上からの景色は後からご紹介するとして、鐘楼側にある鐘撞きコーナーへ行ってみましょう。(*^▽^*)

 

【鐘楼の鐘】 

鐘を釣る枠が金色の布で巻かれていて、眩い~~~。☟

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右端で男性が覗き込んでいるのは、目いっぱいまで水が入った鉢です。

中の水は、鐘の周囲に巡らされている水路とつながっています。

参観者が鐘を突くたび、その衝撃で鉢の中央から水が溢れ出していました。

 

この鐘、無料では突けません。(笑)

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雁塔の早朝の鐘は有名な「漢中八景」の一つ。

鐘を鳴らして幸福を祈り、厄払いをすることで、あなたに幸運をもたらすことができます。

平安健康を祈り、悩み事を取り除くことで、幸せと聡明さを得ることができます。

三度突けば、智慧が付き、一歩一歩上昇、

六度突けば、平安幸運を得、万事が望みように進み、

九度突けば、吉兆が長く続き、無事息災。

お代は、お一人様3回に付き、5元です。(だいたい、こんな感じの意味です)

と看板にあるので、9回突くなら、15元かかります。(笑)

 

【慈氏閣】

この鐘のすぐ側に「慈氏閣」。☟

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軒下に「勅賜薦福寺」と書かれた木製の扁額が見えます。

これは明の正統十四年(紀元1449年)のもの。

「慈氏」とはインド古代梵語で「弥勒」を意味するそうです。☟

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この慈氏閣、階段があるので上に上がってみました。☟

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階段の途中から撮影した、鐘を突く観光客の皆さん。

 

歩いて来た、樹齢1300年の木々に囲まれた道。☟

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【鐘楼】

慈氏閣から下りて、今度は鐘楼を撮影。☟

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観光客が鳴らしている鐘とは別に、鐘楼の軒下に鐘が見えています。

実は、見学していた時は、この軒下の鐘には気付きませんでした。(^^;

蔵経殿でご紹介した内容は、「鐘楼内には、金代明昌三年(紀元1192年)鋳造の鉄鍾が現存している」というもの。

貴重な800年以上前の鉄鐘を軒下に、しかも囲いすらなく放置するなんてことはあり得ないと思うので、本物は建物の中ですよね?

 

少し南へ歩いた後、慈氏閣を振り返ってみると、古木に遮られて扁額は見えず。(笑)☟

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基部アーチの向こうに、大雄宝殿の赤い壁が見えていました。

 

【鼓楼】

ここから、鼓楼の方へ向かいました。☟

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鐘楼の側には、有料で鐘を突くサービスがあり、鐘の音も賑やかでしたし、観光客の楽しげな声も響いていて、活気あり。

でも、鼓楼の周囲は寂しそう。

概要にも建築構造と、仏寺の習俗として朝は鐘、夜は太鼓をたたいたとしかなく、昔の太鼓が保管されているようでもなさそうです。

 

☟、この左右二つの石碑の間を通り過ぎれば、後は南山門が待つばかり!\(^o^)/

 

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と気が緩んだせいでしょうか?

この二つの石碑は、石碑を背負っている亀も、概要説明も、石碑本体も、何もアップ写真を撮っていませんでした。(^^;

蔵経殿や大雄宝殿のパネルで見かけた石碑の写真で、見覚えの無いものがあったのですが・・・・・・。

この二つのどちらかだったのかも。(T_T)

 

【南山門】

【北側】

こちら☟が、(その1)のラストを飾る「南山門」。

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青い瓦屋根がキレイなので、屋根のアップを!(*^-^*)☟

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ところで、蔵経殿で勉強した南山門の寺額は、

現存する寺院の南山門上にある「勅賜薦福寺」の寺額は、明の正統年間(紀元1436~1449年)に英宗皇帝の手によるものである。 

というものでした。

あれ?字が違う???

 

概要説明を見ると・・・・・・。☟

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南山門北側の扁額は明代の「最勝法門」。

「勅賜薦福寺」の寺額は、南側。

ブログ用の写真を整理している時このことに気付いたので、敷地外側からでないと見ることができない南側へ、出掛けて来ました。

その時、西安博物院の西門の写真も撮影。

中に入らないで済んだので、気軽に出かけられたのです。

前述の石碑のように中に入らないと見られないものは、帰国までにもう一度来るチャンスがあるかどうか・・・・・・。(T_T)

でも、またまた、今気付きました。(^^;

寺額の「勅賜薦福寺」が作られた年代が違う~~~!!!

ここでは、「門額の南側には、明正徳六年(紀元1514年)に作られた『勅賜薦福寺』石刻の寺名扁額がはめ込まれている」となっています。

しかも、Wikipediaでも、百度百科でも、明正徳六年は「紀元1511年」。

どうして???(T_T)(T_T)(T_T)

 

【南側】 

☟気を取り直して、南山門の南側を見に行きましょう!(^_^)/

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南山門の南側の道は「薦福寺路」。

道幅の狭いこの通りは、不要になった段ボールや電化製品などを回収する場と化し、それらを積載したトラックが並んでいて、重量を計量する計器などもありました。

 

その横を通って奥へ進んで行くと、「小雁塔」と書かれた石碑が登場。☟

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「勅賜薦福寺」、ありました!!!\(^o^)/

南山門の南側全体を撮りたかったのですが、違法駐車の警告が貼り付けられた車が邪魔で、ムリ。☟

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仕方ないので、まず車の陰になって見えない狛犬を、スマホを持つ手を柵の隙間から差し入れて撮影。☟

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それから、寺額と青い瓦を撮影。☟

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年代の矛盾をどう考えたらいいのか困ったままですが、現状はこうなっているということで、終わりにしたいと思います。(^^;

 

博物館の展示品については、少し間が開くと思いますが、またゆっくりアップしていきたいと思います。(*^-^*)

それでは、今回はこのへんで~。